最初へ

パリ日乗

ユーロスターよりパリ北駅の降り立ちに想いの巡り胸迫り来る

ひさびさの駅前広場パリ嬉し笑顔のひとはサ・ヴァと出迎う

セーヌ河渡りて鳥の一羽舞い二羽の立ち舞い群れ移り行く

地下鉄の熟れたる匂い親しかる暗きホームに酔いどれひとり

道端のカフェで飲むカルヴァドス渋き香りも久しぶりなり

学窓の思い出深し下町のカルチェラタンの匂いもあらた

ランボーに悩みひねもす格闘せしパリ大学の階段教室

五フランの昼飯を食み通学の苦しかりける思い出いまに

青春の心捉えしボードレール墓所に石ころ積み上げ溜まれり

ペーラシェーズ公園墓地の門近くショパンの墓に花束の山

パリうれし三つの墓地を巡るにも夢の小説いくつも書けむ

合コンの夜通し荒れて喧騒の酔い覚めの朝見知らぬ女と

今朝までは赤の他人でありたるが夕餉は共に同じ部屋にて

パリの朝カルチェラタンの巡り会い恋慕募りて共に棲いぬ

睦みあう前戯もなくて時過ごし青春の頃空腹のまま

裏通り向かいの窓のカーテンが動くに全裸の男女激しく

朝晩に肌を合わせし君のこえ遠くに聞こゆ学舎の庭に

水道が破裂しバスタブ満杯を知らざりしベッドに激しき軋み

昼もなく夜もなきままの貪りに月曜の夕ようやく起きぬ

日毎にし感じ合う場所理解しぬ色即是空波のまにまに

睦みあう感じるという乳房にわれの噛みしか歯型残れり

好みたる夜毎の体位気に入らず争いともなり仲直りしき

怒鳴りあい罵り合いせし愛憎の細かきことで別れの話に

夫々の事情がありて是非もなし別れしことは運命なりしか

安下宿きみと過ごせし日々の果て別れし後はエルサレムへと

君と別れ肌のぬくもり忘れかね往時の宿を訪れにけり

町中を歩めば獣の匂いせりフランス人は肉食動物

フォアグラをソテーしパンに塗りつけてカフェオレとの朝の食卓

異国にて共に暮らせる一年の別れしあとの君に逢うなし

マロニエの緑葉高く伸び揃いノートルダムの屋根と溶けあう

(「パリ日乗」より)
 

近代画ゴヤはサラゴサ生まれにて名作残せし栄枯も盛衰

エル・グレコ技法のデフォルメ神秘的画風怪しく蒼く光りて

血の中にスペイン人の燃え滾るピカソの赤は激しく震え

人類を嚇かし続けし半世紀ダリの技法はカミソリのごとく

かたつむり花星女の単純化ミロのテーマはピンクの祈り

暑き夏にスペイン人の習わしは体力調整のシエスタしかり

シエスタのあとで夫婦の交わるといわれて訪問時間をずらす

勉学の美校への道同学のアンフェリネスとの恋もえあがる

酢オリーブ好みて食すきみの口石榴のごとく熟す香りす

午後遅くバルの奥にてヴィノを飲み舌からませてキスを交せり

にわか雨に濡れし着替えにアンフェリネスとその夜のことは落花狼藉

白き肌アンフェリネスの四肢の伸び皮膚が蕩けて朝を迎える

夜明かしの酒盛り果てて眠りける南部女の精の強きよ

同宿のジプシー一家に美人いて南部女の嫉妬の姦し

火祭りに始まる闘牛シーズンのきみとの午後は燃え滾りしよ

血の儀式日差しの強き闘牛場に戦い済みしアンフェリネスと

くどくどし郷里の叔母が宿に来たりごたごたのあり男女の仲裂く

セゴビアの水道橋は花崗岩ローマ奴隷の悲鳴ぞいまに

タホ川を渡ればトレド終生の忘れ難かる想い出のあり

教会の尖塔に登りて眺むれば時を忘るるサグラダファミリア

巨人ピカソ精力絶倫変遷の激しきままに蒼の筆力

暁の光の中に海の見ゆ七つの丘に囲まれしリスボン

追憶の重なり合いつ入りこめるリスボンの秋いまし更け行く

定まらぬ恋と悲しみ苦しみを哀歌にぞ込むファドの陰影

知り合いし売春婦いま客のなくファドを聴きつつ小声に語る

哀愁をこめし調べのファドの歌いずこか日本の演歌にも似る

ハンガリーダンス激しき曲にして踊り踊りて朝の来るまで

マーラーの演奏あとの帰り道そのままエレナの棲家に寄りぬ

パプリカを朱色にかけし牛煮込み家庭料理に舌つづみ打つ

ブダの宵物語しつ眼を閉じて舌絡め合い鐘を聴くなり

(「欧州幻影」より)
 

 

雨上がり大肖像画に迎えらる順安空港は緑のただなか

空港で携帯電話預けしが今の世界に奇妙なること

拉致家族らの帰国せしより見慣れたる階段に立ち記念写真す

ピョンヤンの町に行き交う車なく人だかりして電車待つ顔

地方より人々集いてこもごもに主席の巨像に花束を捧ぐ

「偉大なる」将軍様との形容詞よそびとの我いかにも馴染めず

開城まで二百キロの道程に行き交う車はほとんど見えず

板門店非武装地帯みどり濃くわかき中佐の説明をきく

現代史上東西対決接点の「板門閣」上にいま我の立つ

知られたる休戦交渉会場の間じかに米軍兵士と見合う

エンジンの途切れて汗ばみ到着す強き日差しのハバナ空港

キューバ人陽気に声かけ笑いあう気楽さ明るさ底なしの良さ

反米を貫くキューバの影響に中南米が反米政権

旧市街歩めば声の飛び交いぬ物売りのひと道に座りて

街角のホテル・アンボス・ムンドスはヘミングウエイの定宿なりし

ダイキリの胸つく甘きカクテルの血糖値気にしつ盃をあぐ

八十歳カストロ倒れてカリブ海未知への遭遇世界はぴりぴり

清貧に生きたるカストロ理想主義平等精神のいまなお生きて

閣僚は自転車通勤普通なり貧富の格差いささかもなし

澄み切った瞳と意志のチェ・ゲバラひとは忘れずいまに英雄

ヴェトナム戦最後の脱出この地より嗚呼タンソンユット空港いまに

ドイモイの溢るる熱気昂揚に舞台はホ・チン・ミン市いまし燃えつつ

自己流にアオザイ着こなし艶やかに白き太股すその乱れて

喧騒のバイクと自転車乱雑の行きつく先に学校のあり

物売りの掛け声激しハノイ市の市場の熱気けむり溢るる

繁華街その裏通り歩み行く我が青春の北京のフートン

屋根屋根の重なり合いてどこまでもフートンの秋紺碧の空

股拡げ道路の端で飯を食う女性を見つけてほっと安堵す

瑠璃廠を歩めば古書の山ありて親しき友に会いたる心地す

おお故宮世界遺産の宮殿にガムのポイ捨て絶対禁止と

(「地球万華鏡」より)
 

 

虚ろなる魂のなく経済の大国日本「立派」に残れり

回教は大義に生きる民なればアッラー抜きでは世界を語れず

激変の銀座に春の来りなば外国ブランド軒並みに咲く

春祭りもろ肌脱ぎの花の下くりからもんもんにひと集まらず

民族の悲哀を語る李登輝氏薄き白髪を見るは淋しき

嫌な予感紙切れ経済破綻来る年金医療出入口なし

さえずりの桜三分の木洩れ陽に昔のひとの肌想いけり

クルド人排斥されて一千年ノアの国よりイラクへの道

ブルーモスク四百年の佇まい五千のひとが無限祈祷す

中庭に木陰のあれば腰おろすトプカプ宮殿往時を偲びて

海峡の大橋渡りてアジア側ウシュキダルの海辺に立ちぬ

緑濃きわが庭石に腰おとしイスタンブールの空を想いぬ

時ならぬ台風に似し風雨あり東京の町に渋滞起こる

緑増す我が時刻表を眺めつつ日々心して生きぬと思う

国益のため命捨て動乱の日本の危機に国士いま立て

眠れずとただに悶える蒸し風呂の大地の燃えに身体も茹る

熱風吹くに慌てず焦らず諦めず大金星は野口みずきに

風止みて宵暖かきに豊饒の酒を酌み交わしし朋友逝きぬ

神木に包まれいたり熊野宮仰ぎて見れば雲流れいく

秋深く日陰の長く尾を曳きてイラクの戦い遠き夢ごと

(「ホームページ」より)
 

 

この国の未来を託すおさな児の年々減りて年は明けしが

不祥事の続発止まぬ保険庁国民怒り燃えて年明く

新春の風の向く先われ知らず見上ぐる空には悪魔の笑い

空しさの言葉の世界を離れ来て修羅の叫びをしかと受けとむ

生かさるる人生語り深夜までときを忘れて抹茶を一服

人生は杓子定規に行かぬもの生者必滅今宵も通夜へ

冬ごもりテームズ川の水澄まずロンドン塔に鳥一羽飛ぶ

暗き午後ビルの谷間の窓越しに足速に行くロンドンのひと

パソコンは時代のながれ鉛筆が不要となりて我にも変化

「山頭火」心に沁みいる感性の生死の境詠むは厳しく

秀次の非業のあとの佇まい静寂の町近江八幡

丹羽文雄天寿終わりて去りに逝き富士霊園に我も眠らむ

中華街にわかに初夏の風情あり肩出す女性町を闊歩す

星もなく黒き夜空にちりばめし光の海は横浜港に

作品を他人がとやかく批評せる当の作者にとりては可笑し

漫才のブームというがテレビには笑うに笑えぬ芸人ばかり

飛び起きる夜の目覚めは怖きこと死を望みつつ果たせぬひといて

もう一度生きてみたいと相談の寂しく笑い泣く後ろ肩

三鷹宿太宰治の去り逝きし玉川上水に錦鯉泳ぐ

無責任愚かなるにも歌碑建てて顧みもせず草の繁茂す

(「光陰流水」より)
 

 

新年の仕事はじめのパソコンの指先馴れるに違和感のあり

年替わり画面にメール溢れ出で英仏中露アラビア語もあり

学問はスカートの中から始まるや植草教授の心の闇は

十一年世界最高所得者は今年もゲイツ五兆円稼ぐ

目標を捨てず邁進栄光の王ジャパン勝つ奇跡の逆転

彼岸日の鳥啼き花咲く日和よく我が人生の残り火燃えつ

冷静なぶれない男イチローが言葉に詰まるテレビに溜飲

バス停に優しき老婆ひとり立つ我が亡き母の命日今日なり

贈られし歌集は読まず本箱へ我も知りつつ贈るにがさよ

たけのこの季節となりてアクをとる日本の主婦の伝統のわざ

人生は塞翁が馬の喜劇なり今宵ひとりにマルゴーを飲む

人生は全て喜劇と思えども死もまた喜劇こりゃまた楽し

久々に渋谷歩めば地鳴りする色と性との臭い漂う

米国の喉に刺さりしキューバ人カストロ去りて未知との遭遇

忘却の御巣鷹山のうら哀し二十一年の巡りめぐりて

天高く純白の球今日も飛ぶ早実優勝し君に栄誉を

あの人もこの人も死ぬ通夜帰り晩酌の酒も癒せぬこころ

ヴェルディの喜劇のオペラ聴く帰途の上野に秋雨の降る

小泉の権力を去るすがた佳し背広の肩に哀愁のなし

からす鳴く影さす庭に木枯らしの吹きすさびつつ年は暮れ行く

(「日々塞翁が馬」より)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/01/31

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

小久保 晴行

コクボ ハルユキ
こくぼ はるゆき 洋画家、作家、評論家、歌人。1936年 東京都江戸川区に生まれる。

歌集『パリ日乗』『欧州幻影』『地球万華鏡』『ホームページ』『光陰流水』『日々塞翁が馬』らがあり、掲載作は、それらの中から自選した150首。

著者のその他の作品