処女作天魔談
文壇では私の処女作を知つて居つたものは殆んどない。紅葉が知つて居つただけであるが、それすら故人となつたから、今では闇から闇に葬れるものとなつた。
処女作は『天魔』といふので、二十一年頃であつたと記臆する。
これは今日現存して居る人の影でもあり、
私がこの『天魔』を持つて、さる人の所へ行つて居ると、丁度そこへ紅葉が来合はして、紅葉も読んで見る、お互に笑つたといふやうな訳で、紅葉と顔を合したのも、この時が始めてゞあつたので、妙な縁になつて居る。
それから始めて世に出た『露団々』とこの『天魔』との間に「和想兵衛」「夢想兵衛」風のものを二つ三つ書いた。別に名前もない短い読切物で、これも何時しか反古になつた。
近頃では小説を書くにも、先づ名前を作る、段取をする、それからそこへ持つて行つて、それそれに充て
主張、そんなものはない。主張だとか覚悟だとかいふことは近頃盛んに流行するやうであるが、小説は何処までも小説で、自分の感興を写す外に小説の目的はない。主張といつたやうな事を、発表したいとならば、他になほ幾等も適当な方法があるだらう。『露団々』を世に出したのは唯あゝいふ感興をあゝして書物にしたといふ迄である。
然し感興といつても、私共は感興が湧いたから書く。面白い想が浮んだから、それを直ぐ筆にするといふのではない。種を寐かすといふことをする。どうもこれは一般の作物の上に必要な事であらうと思ふ。
こゝに一つ面白い想が浮んだとする。すると暫くこれを寐かして置く。寐かして置いても、それが真に面白い想であると、何時かしらん又頭を擡げる。それでも構はず、又寐かす。寐かしても寐かしても、それが良い種であると、必ず幾度でも又幾年の後でも、芽を萌き出す。其時これを筆にして決して遅くないのである。然るにそれが良くない種であるといふと、遂に秀でずに終る。即ち
誰であつたか、何処かの雑誌に、宵に書いた時は馬鹿に巧いやうに思つたものが、朝になつて見ると誠に拙いのに驚くといつたやうな事を話して居つたが、これは誰しもある経験であらうと思ふ。故人も、文章初めて稿を脱するとき、弊病多く自ら覚らず、数月を過ぎて後、始めて能く
然し世の所謂達者側の人は、多くが
故人森田思軒なぞは第一想、第二想、第三想といつたやうに、幾つもの想を並べて見て、其中から一番良い想を選ぶといふことをした。例へば、「花は」といふのと、「花が」といふのと、「花や」といふのとがあるとすると、これを「は」にしたものであらうか、それとも「が」にしたものであらうか、又「や」にしたものであらうかといふやうに工夫する。即ち選ぶので、この選ぶ事も亦必要である。
思軒の如きは又推敲改竄非常に力めたもので、選んだ種をこんどは大に練るといふことをした。故人にも文を
芭蕉の如きも、十分に選び、十分に練つた一人である。若い間はそうでもなかつたらうが、彼が晩年の句に至つては、
又西鶴の如きは発句にはこれぞといふやうな句もないが、附句の技倆に至つては古今独歩で、人の句を巧に運用して之を働かす才は恐るべきものがあつた。それであるから西鶴の附合を見ると、西鶴の附句があつて後、発句なり、第三の句なりが、これに従つて出来たのではあるまいか、西鶴の句の為めに他の句が置かれてあるのではあるまいかと思はれるやうな事も屡々である。この物に応ずる才といふものも、決して侮る可からざるものであつて、人の平凡な想からして、更に自分の
私は大に練り大に選ぶ方であるが、さればとて、それが決して一様ではない。洒々落々たる淡白水の如き人を描くには、自分の筆も自ら
それ故、私の原稿には所謂一気呵成に成つて、全く改竄を加へぬ処もあれば、句々竄易し去つて、初造意の時の文字は全く見るべからざるものもある。要は事と物とに応じて筆致を異にすることはあるが、然しながら一時
近時小説に筆を執るものゝ傾向のうちに、真といふ側ばかりを究めようといふものと、美といふ側を主として書かうといふものと、即ち写実にのみ走る者と、趣味にのみ赴くものと、二つがあるやうであるが、何れも偏したものは喜ぶべきことでないと思ふ。
泰西の学問が入り込んで、智の眼は大に開かれた。それが為め兎角何事も解剖に傾いて、小説の如きもどうかすると、科学の範囲内に踏み込みさうなこともある。智は譬へば燭火の如きもので、それを以て照らす所は明かに見ることが出来る。既に見えれば見えたゞけの所は
何も見えるものを眼かくしゝて、強ひて、見ないにも及ぶまいが、其上それを説明するのは愚たるを免れない。世間では漱石といふ人の小説を、悪罵する人も多いが、私はそんなに批難すべきものでないと思ふ。
私が小説を作るのは前言つたやうに感興によつて筆を執るのであつて、或特種専門の事に
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/08/03