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反戦ドラマ『GYOKUSAI』のメッセージ

 今年五月の本欄(「西雷東騒」)で、私は私の小説「玉砕」(新潮社・一九九八)を原作として、直接的にはそのドナルド・キーン氏の英訳(Donald Keene "The Breaking Jewel" Columbia Univ. Press. 2003)を土台に使ってのラジオ・ドラマをイギリスのBBC・ワールド・サービスが八月六日の「ヒロシマの日」(とBBCはその日のことを名づけている)に全世界むけに放送すると書いた。実際、ドラマは「GYOKUSAI」と題してその日に放送された。「ワールド・サービス」は短波放送なので、「全世界向け」というのは誇張ではない。全世界で聞いているのは千四百万人いるという。

 自分の原作をあげつらうつもりはない。もらったCDでドラマを聞いてみたら、原作から独立した作品として聞けた。またそう聞いた場合、原作以上に普遍的に問題を強く押出しているように感じとられた。それで今回はこのイギリス版「GYOKUSAI」のことを書いてみたい。

 ドラマの作者テイナ・ペプラーは十年前、同じ「ヒロシマの日」に、私のべつの小説「HIROSHIMA」(講談社・一九八二。今は講談社文庫)を、やはり、英訳を直接の土台としてラジオ・ドラマにして、同じBBCから放送している(ただし国内むけ)。十年ぶりにロンドンで会ったら、彼女はラジオ・ドラマ、テレビ、映画の台本で活躍する「はやり」の作家となっていた。しかし、変らず重い政治的、社会的主題を追及している。「GYOKUSAI」もそのひとつだろう。

 ドラマの製作自体についても少し書いておこう。製作のもとじめとなったのは、BBCのベテラン・プロデューサーらしいが、声優は登場して来る日本兵士の英語に特異性をもたせるためか、多くが中国系の声優だった。製作に立ち会ったペプラーの話では、彼らの「声」による演技は「GYOKUSAI」日本兵になりきった迫真のものであったらしい。CDを聞いていても、たしかにそう感じとられた。

 そして、全体として「GYOKUSAI」がよかったのは、これは「西洋」でつくられる戦争ドラマのたぐいではまったくまれなことだと私が考えるのは、このラジオ・ドラマには、日本兵士が大部分の登場人物なので当然といえば当然のことだが、戦闘場面にしろ戦争全体にかかわっても、当時の日本兵士、日本人が、彼らが感じ考えたことをふくめてそのままの姿かたち、いわば生で出て来ることだ。息子のためにつくった「千人針」を息子が出征していなくなったので、満州からはるばる太平洋の玉砕の島まで移動のさなかの息子と同年齢の日本兵士に手渡す日本人女性も登場して来る。

 だいたいがどこの国の戦争ドラマにあっても、「敵」の存在はないものだ。あるいは、問題にされない。それゆえにこそ平気で「敵」にむかって大砲を射ち、ミサイルを飛ばし、原爆を投下する。

「敵」がいたとしても、「敵」は人間ではない。アメリカ兵士は日本の特攻兵器にたいてい「バカ」という呼称をつけた、あるいは悪鬼だ。ことに「敵」が自分より劣る人間としてある、そう考えられる相手としてあるときは、事態はそうなる。これは日本人を「敵」とする場合だけではなかったにちがいない。ベトナム戦争ものの戦争ドラマはアメリカであまたつくられて来ているが、そのなかでベトナム人がまともに存在しているのがどれだけあるか。第二次大戦にかかわっても、ドイツ人はまだ「敵」として存在したかも知れないが、日本人の場合はどうか。これも、むごい戦争の現実のひとつだ。

 BBCのラジオ・ドラマ「GYOKUSAI」が特異なのは、「敵」の日本兵士、そして、日本人が存在するどころか、自分たちイギリス人と同じように心とアタマをもった、つまり、感じ、考えることができるまともな人間として出て来ていることだ。べつにその日本兵士、日本人を「武士道」にひっかけて称讃しているのではない。無益に戦い、殺し合い、死ぬ、いや、殺される人間として、彼らは出て来る。そこにおいても、この「敵」たちは自分たちと同じように人間だ。

 戦争はまともな人間どうしが、それぞれに正義やら国益やら愛国心やらの大義名分を背負って殺し合いをする行為だ。その行為をおたがいがすることで、戦争という巨大な狂気をつくり上げ、その狂気にさらに大きく人びとは、巻き込まれる。ラジオ・ドラマ「GYOKUSAI」は、その戦争全体の姿かたち、そして本質を強力な「メッセージ」として聞く人間に伝えてくれる。聞いているとそう感じとられて来る。

 この「メッセージ」の意味は何か。戦争に反対するのは、正義やら国益やら愛国心やら、あるいは「敵」が誰かやらにかかわっているかぎり、できない。それは戦争のその本質を見さだめて戦争全体を否定することによってのみできる。「メッセージ」は強力にそう告げる。その意味で、このイギリスのBBCがつくった「GYOKUSAI」はきわめて本格的、本質的な「反戦ドラマ」だと言えた。

The radio drama "Gyokusai" is a radio drama of BBC World-Service basedupon my novel, the "Gyokusai" (Shinchosha,1998)(translated by Donald

Keene as the "Breaking Jewel" - Columbia University Press, 2003),whichwas broadcast world-wide on the 6th of August, 2005 (BBC calls the 6th of August "HIROSHIMADAY").

As to the quality of the drama, you can have various opinions (though I thinkthe drama is a very well done work). What is good and important about the dramais, I think and believe, that in this drama, Japanese soldiers or Japanese peopleappear as they are without any modification in battle scenes or concerning thewar itself. This is very rare or perhaps the first time in war drama or filmsproduced in the "West."

In war dramas or films, usually the enemy side does not exist. Or they existonly as insane or stupid people or as devils. Especially when the enemy sidecan be considered inferior people - such as Japanese or Vietnamese. The war dramasor films of the Vietnam war have been so far produced in America in a large quantity,but usually the Vietnamese don't exist. In the World War II dramas or films Germansmight exist, but Japanese don’t exist or exist just as insane, stupid peopleor as devils.

In this British-made drama "Gyokusai" Japanese appear as human beingsas normal as Britishers or Americans. In any war, normal people begin to fightand to kill each other with any kind of justice or justification or patrioticfeeling, logic and ethics - and thus make the entire madness of the war and thisengulfs more normal people and makes them more mad and inhuman.

This is the crude reality and truth of the war. The drama, "Gyokusai",shows this crude reality and truth of the war with unusual power of persuasion.In this sense the drama is an "anti-war drama" in the truest senseof the word. And the present world needs such a fundamental anti-war principleor "anti-war-ism" at any place and at any time.

This is what I think and believe now.

 

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The writer of the drama, Tina Pepler wrote a radio drama based upon my anothernovel, "HIROSHIMA" (published in 1982 - the paperback edition of theEnglish translation under the title of "H: A Hiroshima novel" by KodanshaInternational in 1995). The drama was broadcast by BBC (domestic service) onthe 6th of Aug. (HIROSHIMA DAY), l995. Now she writes not only radio dramas butalso TV and Film scripts taking up social and political themes - "Gyokusai" isa good example.

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/11/25

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小田 実

オダ マコト
おだ まこと 小説家 1932年~2007年7月30日 大阪府に生まれる。『HIROSHIMA』によりロータス賞、『「アボジ」を踏む』 により川端康成文学賞。最期まで、表現者として十全の活動をした姿は、感銘を与えた。

掲載作は、「毎日新聞」2005(平成17)年10月25日付の連載「西雷東騒」欄初出の一編に編集室で題を附し、著者自身による関連の英文「Some Words」を加えた。原作『玉砕』も、下記のラジオ・ドラマに触れた先行のエッセイもすでに電子文藝館に展観されている。