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玉砕(ぎょくさい)

  龍ならばや雲にも乗らむ —方丈記—

 

     一

 

「分隊長。」

 (こん)が突然声をかけて来た。

 陣地築城の作業の途中、中村が分隊全員をそれまで作業をして来た洞窟の外へ出して小休止させていたときだ。そう声をかけて来て、洞窟の入口の泥で一面に濡れて光る地面にどっかり腰を落ちつけるようにして坐った分隊付下士官は、横の泥だらけの石に腰をおろした中村軍曹をゆっくり見上げた。

 低いが、よく透る声だ。ジャングルのちょっとした切れ目がつくった小さな草地のあちこちで、坐るなり寝そべるなりして思い思いにつかの間の休息をむさぼり取っている部下がそれとなく聞き耳をたてているのはけはいで判った。二、三人は頭を上げて金と中村を見くらべるように見た。ジャングルに巣くう、ギャアッオウと赤ん坊が泣きわめくような異様な声で啼く得体の知れない鳥がその声でひと声ひときわ鋭く啼きながら頭上を飛び過ぎた。バサリと翼がジャングルの強靭な樹木の繁茂にぶち当る音がした。音は底知れない深さをもつ繁茂のなかに大きくひびき渡った。

「分隊長が朝がたあのなかで……」

 金はふり返って洞窟を見た。

「伝えてくれた部隊長の訓示は、掘る。隠れる。生きのびる。たたかう。この四つだ。」

 金も中村も煙草を喫い出していた。金鶏(きんし)の匂いと煙が二人のあいだを流れた。金は煙のむこうから中村を眺めるように見た。

「金伍長の言ったことは要領を得ているが、ひとつ欠けていた。」

 中村も金の人一倍、いや、当人に言わせれば人二倍も大きくて、軍帽も戦闘帽も鉄帽も寸法が合ったことがない大きな頭の下の赤黒く陽焼けした顔を流れる煙のむこうにゆっくり見やるように見た。金も彼自身も聞き手をあきらかに意識していた。「何かね」という表情を金は顔に出した。金のその表情にむかって、中村は煙草を口から放したとたんに顔にむらがって来るハエの群れを手で払いながら静かに言った。中村もそうだが、兵隊たちがジャングルのなかで絶えず煙草を喫うのは、ひとつには、ハエが顔にむらがって来るのを防ぐためだ。

「それは勝つということだ。……穴を掘って陣地をつくり、そこに隠れ、生きのびてたたかい、たたかって最後の勝利を収める。部隊長殿はおれたち分隊長を集めて訓示して、そう言っておられた。おれも、今朝、おれたちが今築城する複廓陣地のなかでそう部隊長殿のおことばを正確に伝えたはずだ。金伍長……」

 中村は洞窟を「複廓陣地」という軍隊用語で几帳面に言いなおしてから、最後は金に対して呼びかけ、たたみかけた。

「判っているだろうが、おれたち南方派遣の島嶼(とうしょ)守備軍はただ自分が死ぬために穴を掘っているのではない。陣地は墓じゃないし、おれたちは墓掘り人夫じゃない。それでは、わが島嶼守備軍の標語の、われ身をもって太平洋の防波堤たらんは実践できん。太平洋の防波堤たらんを実践して、皇運に奉ずることはできんのだ。それはたたかい、勝ってはじめてできる。勝つためにこそ、おれたち守備軍は今穴を掘り、陣地を築城しておるのだ。」

 声に怒気が自然にこもった。何ものに対する怒りなのか判らぬまま中村はことばを一挙に押し出すようにしてつづけた。声はたかぶり、自分で自分を励ましている気持にもなった。

 金は黙り込んでいた。彼が中村に言い負かされたのでないことは、金の顔を見ていて判った。金の表情にも怒気が出ていた。たぶん、何ものに対するものか判らぬままの怒りだ。

「おれは勝つ。そのつもりだ。」

 しばらく沈黙をつづけたあとで、金は突然誰に言うともなく言った。彼も自分で自分にむかって口をきいているようでもあった。「おれは勝つ」と言ったが、「おれ勝つ」とは金は言わなかった。「おれ」の「」に金は力を入れていた。中村は明瞭にそう金のことばを聞いた。受けとめていた。

「そのつもりだからこそ、おれは穴を掘っている。おれは穴掘り工事に精を出している。おれの掘る穴はおれの墓とちがう。おれはそこからたたかう。たたかうためのおれの陣地だ。」

 金はことばをぶつ切りのようにして一語一語に力を込めてしゃべった。彼もことばを口から押し出していた。「おれ」の「」にひとつひとつ力を込めながらだ。

 ギャアッオウとまた赤ん坊の泣きわめく、いや、赤ん坊が首を絞められでもして断末魔にわめく啼き声を出す鳥が頭上を啼いて飛び去った。今度はさっきとちがって複雑にからみあうジャングルの樹木の繁茂をうまく飛び抜けたのか、翼が繁茂にぶち当る音はしなかった。ジャングルはただ静かだった。

「小休止終了。」

 中村はコブシで顔にしつこくたかって来るハエを追い払いながら大声を出した。

「複廓陣地築城を再開する。分隊全員、作業にかかれ。」

 中村は立ち上った。そろそろ連日午後のこの時刻あたりになると飛来するB=17爆撃機の爆弾投下とグラマン戦闘機の機銃掃射よりなる敵の空爆が始まる。その時刻だ。洞窟、いや、複廓陣地の内部へ入って、作業をつづけたほうがよい。

「さあ、穴掘りだ。また、精出してやるべし。」

 中村は精いっぱい陽気な口調で言い残して、シダが何層にもからみあいながら垂れ下る洞窟の入口めがけて歩き出した。金は古参兵士にふさわしい要領のよさと敏捷な身のこなしで泥の地面から身軽に立ち上って、垂れ下るシダをどこかなじみの一杯のみ屋にかかる縄ノレンを慣れた手つきで振り払うように撥ねのけながら、洞窟のなかにすでにからだ半分突き入れている。

 

     二

 

 陣地築城はたしかに穴掘り工事、穴掘り作業だった。南方島嶼守備の動員令が出て酷寒の北満の師団駐屯地を出発したのがまだ雪が大量に営庭に残っていた三月、それから内地を上陸なしで経由して(三個所、輸送船は内地の港に寄港したが、上陸は許されなかった。最後の寄港地は中村自身をふくめて島嶼守備軍兵士の多くの出身地近くだったが、みんなはただ甲板の上から山のミドリを眺め、そのさまを記憶に刻み込んだだけだ)、敵機と敵潜水艦の跳梁する海上を途中敵機動部隊接近で退避、引き返したりしながら一月がかりで地区司令部の置かれた本島にまでたどり着き、さらにはその南四十数キロの全長八キロ、巾が広いところで三キロというこの小島にまで「大発」輸送で到着してこれで四ケ月、守備隊が上陸軍に対する迎撃作戦の訓練と連日のB=17爆撃機とグラマン戦闘機による空爆のあいまを縫うようにして懸命にやって来たのは、まず、海岸線の岩礁にとりついて、熱帯の陽光に純白に輝く白砂の砂浜とその白砂の輝きのむこうのこの世のものと思えぬほど澄みわたったサンゴ礁の海の紺青のひろがりを横眼にしながら、岩礁を切り刻み、砕き、防空壕、塹壕、戦車壕を掘り、海上、砂浜にさまざまに障害物を構築し、鉄条網を何重にも張りめぐらし、随所にトーチカを建設、さらには坑道を掘削してトーチカ相互をつないで、敵上陸軍の水際撃滅をめざす野戦陣地の築城だった。そして、その海岸線での穴掘り工事、作業が一段落すると、陣地築城作業は今度は島の中心部のジャングル地帯、中央山地に移って、ジャングル地帯の地下から中央山地の急峻な岩稜の根もとに至るまで縦横にひろがる洞窟内に入って、コウモリ、毒ヘビ、毒サソリ、毒トカゲ、赤虫と呼ばれる小さな毒虫が無数に棲息する昼なお暗い、いや、多くが暗黒そのものの洞窟を掘削して拡げ、資材欠乏のなかをやりくりして木柱、木板、鉄筋、鉄骨、鉄板を入れ、コンクリートを流し込んで岩盤、岩壁を補強する。それらすべての複廓陣地築城が始まった。基本の工事は、海岸線の岩礁の野戦陣地であれ、中心部の洞窟の複廓陣地であれ、本職の工兵隊と、つい一、二年前まではこの地域の海軍基地航空隊の重要拠点として活躍した、しかし、今はすべて傷つき古びた零式戦闘機が数機、滑走路近くのジャングルに後生大事に隠されているだけの飛行場建設に内地やら沖縄やら朝鮮やらから動員されて来て帰る便がないままにそのまま居ついてしまった三、四百人の設営隊員がやってくれていたが、それだけの労働力では四月中村たちが到着したときにはほとんど無防備だったこの島を急速に要塞化できるはずはなかった。当然、四月到着の守備隊全員で取り組むことになる。土木機械類はほとんどなかった。頼るものはツルハシ、ハンマー、円匙(えんび)、なるべく人力でやれ、使うなとの指令の下にあるなけなしのダイナマイト、掘り出した土、岩石を運ぶためのモッコ、木板、あるいは、バケツ。おまけにそのすべて人力に頼る作業を、訓練二分、作業八分の割合で行なわれる迎撃作戦の訓練と連日の米軍機の空爆、その都度くり返される退避行動のあいまに行なうのだ。そして、はじめはさすが糧秣は守備隊全員に対して九ケ月分確保されている、飲料水の補給も十分だと言われていたのが空爆と潜水艦の跳梁で本島からの輸送が次第にとどこおって来たのか、「節食節水」の命令の下、眼に見えて、いや、腹にこたえて悪くなって来ていた。いきおい日露戦争以来の勇猛果敢の伝統をもち、酷寒の北満で鍛え上げられて来た守備隊の兵士にも弱音を吐く者が続出する。これは中村の中隊でも、分隊長仲間での話題になって来ていたことだった。話題ではもはやなかった。問題だった。

 中村の分隊でも、「おれはこんなところに土方をやりに来たんじゃないぞ」と言い出すのもいれば、「こんなことなら、いっそ敵さんに早く来てもらいたいもんだ。おれはもう一刻でも早く敵さんの弾に当って死にたい」とつまらぬことを言い出す妻子持ちの、召集前は洗濯屋をしていたという補充兵の佐伯のようなのまでがいた。前者の弱音は中村は見逃したが、佐伯の場合は黙っているわけにはいかなかった。自分より三歳年長の補充兵を厳しく叱責した上に、ビンタまでくわせた。これは分隊全体の志気にかかわることだ。何を甘たれたことを言っていやがるのかと、中村は本気で腹を立てた。彼はめったなことでは部下を殴らないことで通っている分隊長で、気はやさしくて力持ちのモモタロさんのアダ名でかげで呼ばれている分隊長だったが、そのときには、「班長殿、佐伯一等兵はまちがっておりました。わるうございました」と懸命に哀願するようにあやまる、一度「これが息子です」と五歳ほどの年かっこうの愛くるしい坊やを抱いた気丈な女性らしい、しかし芯はやさしいのですとのろけてくれた彼の奥さんが大写しになった写真を見せてもらって、その一瞬だけのことではあったが中村がおれもこんな家庭をもちたいものだと魔がさしたように思ったことのある、そのあと余計そうした家庭を遠く故国において来た彼に対する不憫の気持が強まった補充兵に激しい平手打ちを遠慮会釈なく加えた。小柄な一等兵のからだは中村が力いっぱいビンタの一撃を加えるたびに大きくぶざまにゆれ動いた。「よろけるな。足をもっと踏んばってしっかり不動の姿勢をつづけろ。おれのビンタをきちんと受けろ。」中村はどなり上げ、いっそう手に力を込めた。「そんなことで、米鬼に勝てるか。天皇陛下のおんために死ねるか。太平洋の防波堤になれるか。」中村は狂ったようにビンタと怒号を同時につづけた。

 しかし、中村自身は、北満で南方動員の下命があって以来、輸送船の船上でもこの島に到着してからでもそれこそ耳にタコのできるぐらい輸送指揮官、大隊長、中隊長、小隊長、その他ありとあらゆる上官から聞かされて来たこの島嶼守備軍の標語、「われ身をもって太平洋の防波堤たらん」が、彼も部下にむかって口にするものの正直言って好きではなかった。いや、正直なところ、嫌いだった。何かそれは受け身だった。自分の劣勢、負けいくさを前提としていて、そこでがんばるというようなところがあった。がんばる気概、踏みこたえる気概はたしかにそのことばに十分にこもっていた。しかし、こちらから敵の機先を制して積極的に攻撃に打って出る——その気概はなかった。すくなくとも十分にはなかった。そのことばで懸命に穴を掘っていても、それはこちらから打って出てたたかうための穴掘りではなかった。どこかで、自分の墓を掘っている——その気持に通じた。その感じは「われ身をもって太平洋の防波堤たらん」につきまとった。中村はそう感じとっていた。今、敵の物量の荒波、大波は防波堤を太平洋の随所で砕きながら大きく乗り越えようとしている。中村はもっと積極的なものを欲していた。古びて、あちこち裂けた、陣地築城作業の汗と砂と泥にまみれた軍服をまとった全身で必死に希求した。

 

     三

 

 その彼に力と希望をあたえたのが、つい先日、部隊全体の分隊長全員を集めての守備隊部隊長の訓示だった。空爆を避けて、すでに後方の複廓陣地として完成した、持久戦に入った場合の地下指揮所となる中央山地の急峻な岩稜のなかでもとりわけ急峻な、三十メートルほどの絶壁をもつ岩峰の根もとの洞窟のなかで小一時間にわたって行なわれた訓示のあと、中村は久しぶりに勝つ気概、勝つ自信を得た気持になった。その晴れた気持で、ツタカズラが生え下る絶壁の入口から外に出ることができた。

 長いあいだ、部隊長であれ誰であれ、上官の訓示は、南方動員下令、出発の前日、まだ雪が残り、寒風吹きすさぶ駐屯地の営庭に出動軍の全員を長時間立たせて行なわれた師団長の激励の訓示以来絶えてなかった。狭い輸送船の甲板ではそんなことはもちろんできなかったし、この島に来てからは、訓練、作業で忙しかった上に、部隊長が守備隊全員を集めて訓示するというような悠長なことができる場所も時間もなかった。いや、そんなことをのんきにやっていれば、たちまちグラマン戦闘機の一斉機銃掃射を浴びて、全員それこそいながら「玉砕」だった。

 北満の駐屯地出陣にさいしての師団長の訓示は、それをガリ版で印刷した紙まで分隊の部下全員に周知徹底させるようにと分隊長はあとでもらったので中村はよく記憶しているのだが、「御国ノ危急ニ奮起シ撃チテシ止マム勝タスハ帰ラスト互ニ誓フ諸子カ純忠ノ赤誠ハ先ツ茲ニ能ク至難ナリシ出陣ノ諸準備ヲ完成セリ」の型通りの文句から始まって、「一 幹部以下聖戦ノ真義ニ徹シ一兵ニ至ルマテ神武ノ軍ノ一員トシテ如実ニ神威ヲ発揮スヘシ 一 武人必ス死所ヲ識ル 命令一下欣然(キンセン)トシテ死地ニ赴クハ之不滅ノ大義ニ生クル所以ナリ 全員決死進ンテ難局ノ打開ニ任シ欣ンテ国難ニ殉スヘシ」というようなまさに型通りの文句がガリ版刷りの紙では句読点も濁点もなく、そのくせところどころにこれも濁点なしに振り仮名がつけられたかたちでルルつづく訓示で、こういう訓示は若い現役兵として、軍隊に希望と期待をもって入って何ごとも新鮮な感動で接することのできた初年兵のころならいざ知らず、以後数年、この種の型通りの訓示を上官からいやというほど聞かされて来た中村のような古参の兵士の心を動かすことはなかったにちがいない。営庭の片隅のゴミ焼却場には、分隊長ひとりひとりに配られたガリ版の紙が多数運び込まれていた。

 洞窟のなかでの守備隊部隊長の訓示は、こうした型通りの文字をつらねた訓示とはまったくちがったものだった。ことばにおいて、中身において、いや、まず、中身があることにおいて、それは決定的にちがった。

 分隊長、全員集合セヨの命令を突然前日に受けて、翌朝、その持久戦での地下指揮所となる洞窟へ入ってまず中村がおどろいたのは、中村が二、三度そのまえまで行きながらこれまで入ったことがなかった洞窟がすでに複廓陣地として完全に築城されていたことだった。洞窟はそのあたりでもっとも大きいものだという話だったが、中村が入っておどろいたのは、内部があらかたコンクリートで固められている上に、岩壁をぶち抜いて随所に部屋が構築されていたことだ。全体の空気にみなぎったコンクリートのすえたような匂いとともにクレオソートの消毒液の匂いも匂って来たのは、すでにどこかに野戦病院の設備もつくられているからだろう。糧秣倉庫もできていれば、水の貯蔵タンクもあると、この巨大な複廓陣地に入ったところで偶然出会った中村の顔見知りの下士官が教えてくれていた。「ここにこもっていれば一年もつ」と司令部づきの先任伍長は自慢顔に中村の耳にささやいた。「何がもつんだ。」中村は不機嫌にことばを返した。

 訓示は、そこが本部だと思われる、それだけの広さをもった一角で行なわれた。自家発電の薄暗い電燈の光の下で、前日夜おそくになって指令が来てその日の朝急遽集められた分隊長が先任順に三列に整列して待っていると、やがて長靴の音が奥の闇のなかからして、勇猛果敢の伝統で知られた師団のなかでも匪賊討伐作戦での討伐部隊長としての勇猛果敢な指揮でその名を知られた、まさにそれゆえにこそ「われ身をもって太平洋の防波堤たらん」の小島守備軍、死守軍の部隊長に選ばれたにちがいない部隊長が若い副官ひとりを連れて現われた。分隊長の整列からの敬礼を受けたあと、彼はまず「ご苦労。よく来てくれた」と礼を言い、今回の作戦は重要である、異例のことだが、戦闘現場第一線の指揮官となる諸君に作戦の枢要を知っておいてもらいたい、その意図でご足労ねがったと前おきをおいて話し始めた。いや、そのまえにもうひと言、彼は「もっと近くへ寄れ」と整列にむかって言い、副官に指示して彼を中心にして戦闘現場第一線の指揮官の輪をつくらせた。これも異例だった。

 こうした異例は戦闘現場第一線の指揮官の中村の心をとらえた。薄暗い裸か電球の光のなかに浮かび上って見える部隊長の顔を中村は一心にみつめた。不精ヒゲが下アゴに目立ち、全体の表情に疲労が色濃く出て生気がなかったが、太い眉の下の眼光鋭い眼と意志の強そうな頬骨のはった顔は、北満の駐屯地では営庭での訓示のとき以外にはめったなことに見たことのない彼の顔を間近に見ているうちに中村の心に唐突に浮かんで来た古風な言い方を使って言えば、まさに「武人」の顔だった。「武人」は右手で岩盤に突き立てた軍刀の(つか)を握り、左手のコブシでときどき頬に流れ落ちる汗をぬぐいながら、太い、くぐもった声でゆっくり力強く話した。その姿と話しぶりはまさに「武人」だった。中村はそう心の底から思った。

「わが皇国日本は今苦戦しておる。そんなことは諸君に今さら言うまでもないことだ。」

「武人」はぶっきらぼうに自分のまわりに集めた分隊長——戦闘現場の第一線指揮官の輪にむかって唐突に言った。その唐突な訓示の切り出し方も異例だった。中村は緊張して彼の次のことばを待った。「武人」は同じ太い、くぐもった声をつづけた。「諸君は、今、決死の覚悟でこの島に来ておる。それは……」「武人」は一瞬ことばを切り、すぐつづけた。「おれも同じだ。」

 その彼のことばでとっさに中村が予想したのは「おまえたちの生命はもらった。おれについて来い」というようなありふれた、北満出発にさいしての師団長の訓示にあったたぐいのこういうとき上官からきまって聞かされるきまり文句だった。しかし、「武人」は「決死は死を急いでただ玉砕、犬死にの玉砕をすることではない」と意想外のことばをかわらず力強い口調で口にした。

 このことばが中村にとってだけ意想外だったのではないことは、まわりの分隊長たちのちょっとした身じろぎ、そこからのけはいで判った。海千山千の、歴戦の戦闘現場の第一線指揮官はありきたりのつまらぬ訓示の文句では動かぬものだ。彼らはあきらかに聞き耳を立て始めていた。

 もとより玉砕は覚悟の上のことだ。しかし、玉砕のための玉砕は何んの意味ももたない——「武人」部隊長はことばをつづけた。ある島での全体が玉砕に終った戦闘では、米軍上陸直後の大量の死傷者を出した大隊の大隊長は反対する司令部から強引に玉砕攻撃の許可をとりつけ、わずか一日の戦闘で玉砕夜襲攻撃して全滅、おかげで島全体の玉砕を決定的に速めた。

「人はどういうか知らん。しかし、おれはこんな玉砕は犬死にの玉砕だと思う。」

 彼は「犬死に」に力を込めた。力を込めてそのことばを口にしながら、前方を凝視した。彼のまえには中村たち分隊長の輪があったが、彼の眼はもはや自分たちを見ていない——中村は不意にそう感じた。では、何を見ているのか。

「玉砕攻撃は何んのためにするのか。最後の戦闘に全滅覚悟で打って出て、そこで勝利するためではないのか。ただ、自分が死ぬためにすることではない。勝つためにこそ、玉砕攻撃をする。そうでなければ、玉砕はいくらくり返されても、敵を撃退することにはならん。われ身をもって太平洋の防波堤にならんにはならん。」

 部隊長のことばが中村を激しく()き動かしたのは、彼が玉砕を明確に勝利に結びつけて語ってくれていたからだ。彼の訓示のなかでは、玉砕は受け身の——あえて言えば、相手に追いつめられて、逃げ場がなくなってどうしようもなくする最後の絶望のあがき、せめてものがんばりのあかしのようなものではなかった。それは相手の機先を制してこちらから打って出て、どこまでも敵を圧倒して行くもっと積極的、能動的な行為だった。部隊長の訓示のことばのおかげで、中村の眼に、その積極的、能動的な行為としての玉砕の最後のたたかいをする自分の姿がはっきり見えたような気がした。状況はもちろん絶望的だった。しかし、その状況のなかで明瞭に目的をもってたたかう。その自分の姿が見えた。目的は、もちろん、「勝つ」。心の奥底にあった、そこでわだかまっていた疑念がはじめて晴れた気がした。その晴れた気持で、眼で、なおも前方を凝視しつづける部隊長の「武人」さながらの姿を中村自身も凝視した。今、中村自身が「武人」だ。中村はそう自分を感じとった。

 

     四

 

 これまでの各島での敵上陸軍に対するわが方の迎撃作戦はことごとく失敗している——「武人」は率直な言い方でつづけた。それは水際での上陸軍の撃滅を焦るあまり、切れ目なく飛来する敵陸上爆撃機、艦載機の空爆、機銃掃射と瞬時にして何トン、何十トンとところかまわず撃ち込んで来る敵の圧倒的に強大な上陸軍の背後の火力を無視するようにして突撃戦に打って出る戦術の誤まりに起因することだ。それらの強大な火力のまえに何んの援護、防壁もなくむき出しに自らを露出した守備軍は数時間のあいだに死傷者続出、完全な戦力喪失の状態で上陸軍に対することになるのだから、勝負ははじめからついている。一日、二日、よくて数日、一週間、二週間、三週間で玉砕に至る。さっき述べた大隊の場合は極端な例だが、今わが軍で大きな問題となっているのは、まだまだ不十分なものであったとしても可能なかぎりの兵力を集結し、「難攻不落」を呼号して、一兵たりとも米軍を上陸させじの水際撃滅作戦を敢行したこの地域の北方拠点の大島の守備軍が一月もたずに玉砕にまで追い込まれたことだ。部隊長は大島の名前は言わなかったが、もちろん、それは誰もがすでに知っている名前だった。在住の邦人が多かったその大島では、守備軍だけが玉砕したのではなかった。邦人も、女子供をふくめて、すべて断崖から身を投げて、悠久の大義に生きた。そう中村は聞いていた。

 部隊長は手きびしいことを手きびしい口調で言ってのけた。言うべきことは、どんなことでもかまわず言う。その気概が彼の口調にこもっている。「おれはその島の将兵をそしっているのではない。彼らはよくたたかった。たたかって倒れた。」彼はくり返してそうことばをはさみ込んだが、その気づかいは不要だった。彼は、これから自分をふくめてこの小島の守備隊全員がぶち当り、同じ運命をたどることになるかも知れない自分の問題として話していた。その真剣さが表情にも声にも出ていた。聞いている中村たち分隊長ひとりひとりも自分の問題として聞いた。

「では、どうするのか。」

 部隊長は自問するように言った。眉間にシワが入るのが薄暗い光のなかで明瞭に見えた。

「作戦はひとつしかない。」

 彼は自分で自分の問いに答をたしかめるようにゆっくり応じてから、「おれの知るかぎり」とつけ加えた。そのつけ加えにどこかヒョウキンなものを感じて、中村は彼に親しみをもった。

 まず、これまで守備隊の総力をあげて築城に取り組んで来た堅固な海岸線の野戦陣地に身をひそめて、上陸軍を隠忍自重待つのだ。米軍上陸に先立って行なわれる空爆、艦砲射撃は強烈きわまるものだが、堅固に築城された野戦陣地に護られているかぎり、重大な被害は出ない。これは過去の各島での戦闘の戦訓が示している事実だが、要は、ここでこの試練に心理的に耐え得るか否かの精神力の問題だ。やがて、数百隻にものぼる上陸用の舟艇や水陸両用車が、水陸両用戦車とともにサンゴ礁を破壊し、あるいは、そのまま乗り越えてわが海岸線に殺到する。しかし、早まってはならない。早くから射ち出したりすると、たちまち空爆と艦砲射撃が襲って来る。上陸用舟艇と水陸両用車が波打ちぎわの汀線に到着、いざ米軍兵士が上陸を始めたとき、それはもはや米軍が空爆と艦砲射撃を行ない得ない至近距離まで上陸米軍第一線部隊が達したことだが、彼らの位置が汀線から百メートルから百五十メートルで、わが海岸守備第一線部隊はそれまで野戦陣地に隠蔽、温存して来た野砲、歩兵砲、速射砲、対戦車砲、水平射ちの高射砲、機関砲、迫撃砲、ありとあらゆる火器の一斉射撃を開始すると同時に機関銃、小銃、擲弾筒を使って白兵戦に打って出る。この水際撃滅作戦はそれ自体として大いに成功して、上陸第一波、第二波ぐらいは撃退することはできる。できるにちがいない。しかし、物量に勝る米軍のことだ。水際撃滅作戦でわが方が大きな勝利を博したあとでも、海岸に上陸拠点を確保することに成功するかも知れない。しかし、上陸第一日目においては、敵上陸軍の海岸堡はまだ十分に強固に形成されていない。これもこれまでの各島での戦闘の戦訓があきらかにしてくれていることだが、作戦のカギを握るのは、その日の夜から翌日払暁にまで行なわれる海岸堡に対しての海岸守備隊の総力をあげてのわが皇軍伝統の夜襲攻撃だ。斬り込み攻撃を中心に、機関銃、小銃、擲弾筒など通常の夜襲攻撃火器のほかに、わが守備隊手持ちの工兵爆薬投擲機、海軍爆弾投擲機、火焔投射機等あらゆる火器を動員して、全力をあげて海岸堡への夜襲攻撃を敢行。敵の限定正面を穿貫突破したあと、即刻後方から突進突撃、翌日払暁までに海岸堡の敵軍を潰滅、一掃する。——

「いくさには勝機がある。時を失すれば、いくら大軍を注ぎ込もうが、勝てん。時を得れば、寡兵よく敵を制して、勝利を得る。」

 部隊長は水際撃滅作戦の子細を一気に語ったあと、「武人」の口調でしめくくった。

「敵米軍は長槍、長い槍をふりまわして来る。対するわが軍が手にするは短剣。長槍の力にまどわされず、敵がわが短剣のとどく距離まで来るを待つ。隠忍して待ち、待って時至れば、短剣を大胆、一挙にふるって長槍もつ敵の喉元に突き入れる。水際撃滅作戦には、快勝か、全滅か、そのどちらかしかない。快勝の快は愉快、豪快の快だ。愉快、豪快に徹底して勝つか、それとも全滅か、すべては敵米軍上陸後一日、翌朝、払暁までに決まるのだ。われ身をもって太平洋の防波堤となるか否か。なって、宏大無辺の陛下の御恩に報い、シンキンを安んじ得るかどうか、すべてはこの一日、海岸守備隊全員が戦友の屍を乗り越えてたたかう決死の戦闘にかかっている。この勝機を逸した戦闘は、あとどれだけ玉砕で勇名をはせようが、何んの意味ももたぬ。もたぬのだ。」

 部隊長のはじめは「武人」の落ちつきを見せたもの静かな口調は、ことばが進むにつれて、心のたかぶりをそのままに感じさせる激しいものになった。そこまで分隊長の輪を見まわしながら一気にしゃべって、部隊長はことばを切り、また前方を凝視したが、凝視に何かためらいがあった。中村はふとそれを感じた。そのあとまたすぐためらいを押し切るようにして部隊長は分隊長の輪を見まわしてからことばをつづけた。輪の反応をたしかめるような油断のない機敏な指揮官の眼の動きを一瞬のうちに中村は見てとっていた。

「しかし、勝敗はあくまで時の運だ。全力をつくしても、神意われにそわず、うまく勝利せぬときもある。」

 部隊長はまた前方を凝視する眼に自分の視線を戻した。

「そのときはどうするのか。」

 彼はまた自問するようにゆっくり言った。分隊長の輪に問いかけているようでもあった。

 輪は沈黙をまもった。

「わが守備軍は全軍躊躇することなく後背地に退き、持久戦の縦深作戦の展開に移る。」

 部隊長は沈黙をまもる分隊長の輪に命令するようにも教えさとすようにも言った。その持久戦の縦深作戦のためにこそ、海岸線の野戦陣地築城のあと、わが守備隊はまた全力をあげて、作戦の拠点となる複廓陣地築城をジャングル地帯の地下から中央山地の岩稜に至るまでひろがる洞窟を使って行なって来た。これまでこの持久戦となって地下指揮所となる大きな洞窟陣地から始まって兵士が何人か入るといっぱいになる小さなものまで入れてすでに五百に上る数の複廓陣地をわが守備隊は築城して来たが、まだまだその数は足りない。諸君のいっそうの努力を求める——と部隊長は命令しているようにも教えさとしているようにもとれる言い方をつづけてから、この複廓陣地に日中は身をひそめ、夜はそこから斬り込み攻撃に打って出て、わが皇軍伝統の夜襲で敵に消耗を強い、時至れば最後の勝利めざしてそのときこそ玉砕攻撃を守備隊全員でかけて太平洋上の華と散るのだと、訓示をしめくくった。

 話し終ったあと、必要なことすべては語り終えたというふうに部隊長のそれまできびしかった表情が心もち(なご)んだ。下アゴのまばらに生えた不精ヒゲに白いものがかなり混っている。この「武人」はいったい幾歳になっているのだろうと中村はいぶかしんだ。

 少しのあいだ黙ったあとで、訓示の冒頭に言った通り、諸君のような戦闘現場第一線の指揮官に来てもらって部隊長が直接作戦の概要について話すというようなことは、よほどのことがなければやらないことだ、部下はそれが誰であれ、最高指揮官の部隊長の命令一下、身命をとしてたたかうべきもので、部隊長の自分もこれまで一度もしたことがない、しかし、今、あえてこの挙に出たのは、この小島の攻防戦が現在苦しい局面に来ている大東亜戦争の局面打開の天下分け目の天王山となるほど大事な戦闘であるからだ、と部隊長は力を込めて話した。彼の表情からさっきの(なご)みは消えていた。今ここで必要なことは、士官、下士官、兵の区別なく守備隊全員が一丸となり、ひとりひとりが勝利の信念は言うに及ばず勝利のための戦略戦術を身につけてたたかうことだ。ひとりひとり、兵士ひとりになってもたたかう。たたかって勝つ。この兵士ひとりになってもたたかう気概と方策があってはじめて、この小島の戦闘は究極の勝利を得ることができる。こうした戦闘のなかで重要な役割をことに演じるのは兵士を彼らにもっとも近い位置で直接指揮しながらともにたたかうことの多い戦闘現場の第一線指揮官だ。その戦闘現場の第一線指揮官としての重要性にかんがみてこれからの作戦の概要を分隊長諸君に十分に知悉してもらうことにしたのだと、ことばの終りあたりで部隊長はそれまでになかった親しみを込めた口調で中村たち、彼を半円形に取り巻く分隊長の輪にむかって述べた。

 部隊長が話し終ったとき、中村はからだの内部に激しい心の躍動を感じた。部隊長が言うように彼のような上級指揮官が分隊長のような下級指揮官にむかって直接これからの作戦の概要を告げるというようなことはこれまでに彼がやって来なかったことであるなら、中村も四年前の現役兵としての入隊から分隊長になるまでの軍隊生活のなかでこれは一度たりとも体験しなかったことだ。この「武人」となら、ともに最後の最後までたたかう、たたかえるという信頼感を中村は部隊長に対して感じとっていた。部隊長が作戦の概要を子細に分隊長たちに告げることは、それだけ彼が彼らを信頼してくれていることだ。逆に彼らは彼らをそこまで信頼してくれる部隊長を信頼する。他の分隊長のことは知らない。中村の場合はまちがいなくそうだった。部隊長と分隊長の中村、おたがいの信頼は重なり合った。それはここちよかった。この「武人」となら最後までたたかい、ともに死んで行ける。これこそが玉砕——犬死にでない、ことばの真の意味における玉砕だと中村は思った。思えた。熱気が全身にみなぎった。

 

 もうひとつ大事なことが、部隊長の訓示にはあった。それは、これまで中村たちがやって来た陣地築城の穴掘り工事、作業のこれからのこの小島の防衛作戦のなかでの位置づけが訓示のなかで明白にされたことだ。穴掘り工事、作業はもう決してただの土方工事、作業でもなければ、自分の墓を掘っていることでもなかった。これからの作戦の展開にとって必須不可欠の工事、作業だった。その事実を、中村は誰よりもまず、歯をくいしばりながら、ときには弱音を吐き、彼にこっぴどく叱責され、激しいビンタまでくらわせられている部下に告げたかった。翌日朝、洞窟のなかに作業に入ってすぐ、中村は分隊全員を集め、前日部隊長がしたように彼のまわりに半円形に輪をつくらせて、部隊長の訓示の要点を伝えて、穴掘り工事、作業がいかに重要かを力説した。彼が伝えた部隊長の訓示の要点は、分隊付下士官金伍長がまとめ上げたように、「掘る。隠れる。生きのびる。たたかう。この四つだ。」いや、ひとつもっともかんじんなことが欠けていた。「勝つ。」

 

     五

 

 穴掘り工事、作業は中村にとってもきつかった。ことに彼は率先して働くモモタロ分隊長だったから(アダ名はその意味でもつけられていた)、人一倍きつかったと言ってもよい。

 しかし、彼は弱音を吐かなかった。分隊長としての責任感もあったが、彼はこれは自分にとっての試練だと考えていた。「われ身をもって太平洋の防波堤たらん」の決意にとって、耐えしのぎ、克服すべき試練だ。畏こくも天皇陛下のしろしめす皇国、神国日本が今危機にある。その気持は、祖国には彼が防波堤となって護るべき両親がいる、姉と弟がいる、その気持につながっていた。中村は苦難に耐えた。固い岩壁相手のツルハシふるっての作業で掌がマメがつぶれて血にそまり、落ちて来た岩で足を傷つけ、暑さで過労で汗が一滴も出なくなり、あげくのはて熱病で二、三日うなされる。そうしたことがあっても、中村は弱音をたとえ自分に対してだけであっても吐かなかった。すべては今日危機にある祖国日本に殉ずるための道だと信じていた。

 思えば、二十四歳になる今日まで、彼はずっとそうして生きて来た。中村はそう思い、そう思うことで、いっそう試練に耐えた。

 自作農ながらたいして豊かでない農家の三男坊に生まれ、空っ風の吹きすさぶ村のなかできかん気のガキ大将として育ち、戦争ごっこではいつも一番乗りの隊長になった。小学校、つづいて高等科を終えて、役場に勤めた。夜は青年学校に通うとともに、中学の講義録で独学で学習、その甲斐あって専検に合格した。今でも思い出すのは、夜中、寒いなかで冷水を頭から浴びて眠む気を防いで必死に勉強したことだ。

 現役兵として地元の師団に入隊したのが四年前。日露戦争以来の勇猛果敢の伝統で知られた師団だが、すぐ北満の駐屯地に選ばれて故郷、故国を離れて酷寒の地におもむき、そこで名うての猛訓練が始まる。冬は酷寒、丈余の雪中、夏は逆に大陸性気候の猛暑のなかでの猛訓練だが、中村はすべてその試練によく耐えた。中村は生来頑健な上にがんばりの精神も人一倍ある。銃剣術の腕もたしかで、模範兵として頭角をあらわし、同年兵のなかでの昇級も早かった。そして、軍曹に昇進してすぐ分隊長に任命された。師団の南方動員令が発令されたのはそれから三月後、中村は他の若い戦友、部下とともに「撃ちてしやまん」の意気に燃え上った。ときどきの匪賊討伐作戦への動員以外には実戦の体験をもつべくもなかった彼らにとって、ようやく軍人として死に場所を得たという気概は共通していた。おたがいたたかって、「天皇陛下万歳!」を叫んで帝国陸軍の軍人として恥ずるところなく立派に死のう、靖国神社で会おう。その高揚した精神の動きはまちがいなくおたがいのものとしてあった。

 しかし、彼らが実際に戦争を体験したのは、いや、その無残な傷跡に対したのは、敵の空爆と潜水艦の雷撃をおそれながら、さらには敵機動部隊の接近で退避行動で引き返しさえしながら一ケ月にわたる恐怖に満ちた航海を終えてようやく本島にまでたどり着いたときだった。昔から委任統治領の中心として大日本帝国の南方経営、開発の中心として栄えて来た本島南端の首都はヤシの木かげにそれなりに美麗な商店が軒を並べ、内地さながらに、いや、それ以上ににぎわっているという話の料亭、飲み屋街もあれば、女性の数も多いと聞かされていた小都市だったが、いや、そのはずだったが、彼らのまえに出現して来たのは、まず浜のあちこちに横倒しにぶざまに転覆して船腹をさらけ出した輸送船や吃水線の上だけを海上に出して沈んだ軍艦の姿だった。そして、船を降りた彼らを迎えたのは、停泊の艦船にそれほどの被害をあたえた一月まえの敵機動部隊の艦載機の来襲で徹底して破壊しつくされ、焼きつくされて無残にただの瓦礫の堆積と赤茶けた焼跡の面積と化した街の残骸だった。

 目的地への「大発」移送を待つあいだ、中村は口実をつくって街を歩いた。街は焼け焦げたブリキ板を屋根にした壕舎となかが焼けてガラン洞になった焼け残りの二、三の建物がたつだけであとは何もなかった。歩いているうちに街外れの丘の上の、これは完全に手つかずで残った神社のまえに出た。日本の南方経営の中心の鎮護の神社として建てられたという神社だ。南洋特産のその名も鉄木という堅い樹木からの木材で大鳥居も拝殿も建てられているという話は、中村は輸送船の船員から聞いていた。「立派な神社ですよ。行かれて、武運長久を祈るといいですよ」と戦前から南洋通いの船に乗っていたというその年輩の船員がしゃべっていた神社に偶然行き着いたのは、意図していなかっただけに幸先(さいさき)のよいことのように思えた。中村は彼が生まれて始めて見るブーゲンビリアの花が咲き乱れた、その先にサンゴ礁の澄みわたった海が平和にひろがって見える人影のない境内に入り、鉄木づくりの神殿のまえでかしわ手を打つ音を高くひびかせて、皇運の隆昌、祖国の安泰、わが南方派遣軍の武運長久をその順番で祈った。

 鉄木の大鳥居を出ようとしたところで、彼がそこに来るのを待っていたかのように横から場ちがいに優雅に日傘をさした和服の老女が出て来て、「満洲から来られた兵隊さんですかいな」と声をかけて来た。中村がうなずくと、「ご苦労さんです」と丁寧に頭を下げたあと、「ひとつお訊ねしたいことがありますんですが……」と遠慮がちに口ごもりながらつづけたが、そのあとの中村の故郷の母親ほどに年老いた上品な顔つきをした女性が口にした質問は「日本はこれからどうなりますんか」という中村の意表を()いた問いだった。中村が黙っていると、女性は、「このあいだ聯合艦隊の大きな軍艦が何隻も港に入って来て、わたしら、これで大丈夫、心配ないとよろこんでいましたんです。水兵さんもたくさん上陸して来たので、街もにぎやかになっていました。それが突然みんな退去して行ったかと思うと、すぐ空襲が始まって、街は焼け野原になりましたんですがな。それだったら、聯合艦隊はまったくたたかわずして逃げて行ったんと同じことになるんとちがいますかいな。そのあと司令長官はここから飛行機で出発なさったかと思ったら、今度は事故で死になさった。これではいったい日本はこれからどうなります。」女性は心のなかにそれまで貯め込んでいたものすべてを吐き出すように一気にしゃべってから大きなため息をついた。「敵はもうすぐここに上陸して来るという話ですよ。」ため息のあとを女性は自分のそのことばを聞かれるのをおそれるかのように声を低めた。

 聯合艦隊のこの島からの「退去」の話も司令長官の事故死のことも、北満からここまで移動して来るあいだ一切の外部の情報に接することのなかった中村にはすべて初耳だったが、彼はゆっくり力を込めて「日本は神国です。どんなことがあろうと勝ちます」と女性の質問、「これではいったい日本はこれからどうなります」に答えた。「その信念で自分らもここまで『太平洋の防波堤たらん』として来たのですから」とそのあとつづいて口から出かかったことばをこの本島そのものがすでに防波堤だという事実に気がついて慌てて喉に押し戻した。

「これ、持って行っていただけないでしょうかな。」

 中村の肩までしか背丈のない女性は中村の顔を見上げながら言った。何かひどくためらっていたように見えたが、いぶかしげな顔をする中村の手に新聞紙にくるんだ小さな包みを渡した。彼女に言われるままに開けてみると、布切れが出て来た。千人針だった。

 九州に仕事で出かけていた息子が召集を受けて本籍地の内地の師団に入り、そのまま中支の前線へ送られた。千人針をつくって送ろうとしたが、すでにここから内地への便は杜絶している——女性はルル語った。どうしようかと考えているうちに、北満から軍隊がやって来るという話を聞いてひとついい考えがひらめいた。もうそのときには彼女は艦載機の来襲で家と商店を焼かれ神社の近くの知人宅へ避難して来ていたのだが、その北満からの来援軍の兵隊さんのなかにはこの神社にお参りに来る人もいるにちがいない、なかには息子と同じほどの年齢の人もいることだろう、その兵隊さんにさし上げれば、きっとこの千人針はその人を護るとともに息子の身をも護ることになる。そう思って、いや、信じて、毎日一度は千人針の紙包みを持って神社に来ていた。「そこへあなたさんが……」女性は口ごもり、涙ぐんだ。「あなたさんはおいくつ?」女性は遠慮がちにきいた。中村が答えると、「息子はひとつ上」と女性は応じてから、キッと一瞬のうちに引き締まった表情で中村の顔を下から見すえるようにして見上げながら、「この千人針、ほんとうにもらっていただけますか」と拒絶を許さない口調で言った。それほど強い語気が声にあった。

「ありがたくいただきます。」

 中村は女性のその強い語に気押されたように言ってから、手にした紙包みを押しいただくように眼の位置に上げた。

 それは自分がまったく予期しなかった手の動きだったが、そのときそれほど自然な動作はなかった。故郷の母親から心づくしの千人針を受けとっている。そう中村は感じ、眼頭を熱くした。

 

 戦争の残骸の体験ではなく、戦争の実際の体験は中村が見知らぬ女性から千人針を受け取ってからわずか六時間後に起こった。

 本島から目的の彼らの派遣地の小島までは直線距離にして四十数キロ。もと漁船員とか機帆船員とかが多いと聞いていた海上輸送隊の「陸の水兵」があやつる自重九・五トンの大型上陸用舟艇「大発」の速力は八ノット、四時間で到達できると中村は見当をつけていたが、定員七十人のはずのを優に二倍の完全武装の兵員を載せた積載重量超過のせいか、それともサンゴ礁を切り開いてつくった浅瀬の多い水路は元来速く走れないものなのか、六時間かかって「大発」はようやく目的の小島北端のお粗末な桟橋に着いた。

 いつ敵機が襲いかかって来るかも知れない、潜水艦の雷撃でやられるかも知れないのあいかわらず恐怖の六時間だった。サンゴ礁の海を両側に小島を眺めながら走る行程は平和な時代ならすばらしいものであるにちがいなかったが、「大発」の舟底にうずくまる中村たちの眼に見えて来るのは恐怖に耐えているおたがいの顔だけだった。召集前には熱海かどこかの温泉場で旅館の番頭をしていた、いや、それは彼自身の自称でほんとうはあいつは客の呼び込みをやっていただけだという話もある補充兵の石崎一等兵が、戦争が終ったら、いや、自分が生きのびたら、さっきあとにして来たああいう南方の町で料理旅館をやってひと旗あげたい、いや、あげるつもりだ、その未来の彼の旅館の呼び物はここらあたりのサンゴ礁の海へ釣り舟を出すことだ、いや、それより遊覧船を出したほうがよいか、そのときにはみなさんをご招待しますよとぺらぺらしゃべり立てるのを他のみなさんは黙って聞いていた。「おい、もういいかげんに黙れよ」と中村が口出しするまえに誰かが言い出したほど彼のおしゃべりにとめどがなかったが、それはそれだけ彼の恐怖が大きかったからだろう。何か他愛ないことをしゃべっていないと、彼の神経はもたないところにまで来てしまっていたにちがいない。中村も黙って恐怖に耐えていた。ただ、彼の場合、ただ死ぬのがこわいからではなかった。ここで死んだらまったくの犬死にだという気持が恐怖に結びついていた。輸送船上でもその気持があったが、「大発」といういっそう犬死にの可能性が強い小艇の舟底ではこの気持は耐えがたいほどにつのった。それは恐怖もつのったということだ。

 六時間の忍耐の試練のあと、「到着、上陸用意」の声がようやく「陸の水兵」の口から発せられたとき、中村はそのしゃがれ声を天来の声として聞いた。しかし、その天来の声のあと、いざ舟艇から出て目的の小島に一歩を踏み入れたとき、キューンという地獄の雄たけびが後方から突然まき起こった。本島からこの島までの「大発」輸送の航跡を見つけたらしい艦載機の群れが殺到して来たのだ。一瞬のうちにグラマン戦闘機の機銃掃射が艦載機から機銃掃射とともに投下された小型爆弾の爆発音をふくめた轟音とともに始まり、その一瞬のあと、慌てて地上に伏せた兵士の列ですでに何人かが死んでいた。血まみれになって断末魔の叫びをあげるその何人かのなかに、さっき南方の都市での料理旅館開業の戦後、生存後の夢をとめどなくしゃべり、遊覧船観光にみんなを招待してくれていたもと旅館番頭もしくは客引きの補充兵も入っていた。いや、彼は断末魔の叫びなどあげていなかった。もちろん、『天皇陛下万歳』の叫びもない。彼は黙って即死していた。

 その石崎一等兵が中村の分隊での戦死第一号だった。第二号は誰になるのか。第三号、第四号は——と彼の死体を載せたタンカに附きそいながら、中村の思いはつづいた。「一分の(いのち)」という、本島の守備軍の兵士が教えてくれたことばが浮かんで来た。本島守備軍の兵隊たちのなかで今はやっているというふれ込みで教えてくれたのだが、銃口の狙いが一分それていれば、敵機の爆弾投下の照準器が一分の狂いを見せていれば、隣りの戦友に銃弾、爆弾は当っても自分は助かるという意味のことばだ。何をふざけたことを言いやがると年輩の守備軍兵士が教えてくれたときは思ったが、真実はこもっていた。その思いをふり切るようにして、「石崎一等兵、おまえの仇は分隊長のおれがまちがいなくとってやる。二倍、三倍の数の米鬼を殺すことによってとってやる」と激しい口調で中村は自分に言った。

 

     六

 

 部隊長の訓示のあと、中村は連日連夜くり返される迎撃作戦の訓練にも、洞窟のなかへ入っての複廓陣地築城の作業にも、これまで以上に精を出した。彼にはもうそれまで心の底にわだかまっていた疑念はなかった。「われ身をもって太平洋の防波堤たらん」は「勝つ」ことに強固に結びつき、陣地築城の穴掘り工事、作業も、その目的に劣らず強固に結びついた。「勝つ」ための「太平洋の防波堤」を今洞窟を掘ることで構築しているのだ。この一直線に「勝つ」目的につながる結びつきを、中村は今確実に自分のものにしていた。そう明確に彼は意識し、自覚できた。ツルハシを握る手にこれまで以上に力が入った。

 彼の部下たちも、彼が部隊長の訓示を伝えたあと、訓練と作業の双方に気合いが入った。そう見えた。分隊付下士官の金もそう中村に言った。「分隊長、者どもみんながやる気になって来た。」金は分隊の部下のことを「者ども」という古風な言い方でときどきユーモラスに言ってのけた。「これで勝つか。」中村はことばを返した。金は答えなかった。ただ微笑した。

 中村同様、金も弱音を吐かない男だった。他にも同じように泣き言を言わない部下も何人かいたが、彼がその何人かと決定的にちがっていたのは、何人かが歯をくいしばってがんばっている感じであったのに対して、金にはそうした感じがなかったことだ。そこで問題は、それでは中村自身はどうか、ということになる。それは自分では判らないことだった。そう彼は自分の問題はかたづけた。

 もちろん、金も超人ではない。彼にとっても訓練も作業もきついに決まっている。きついのに耐えている。その印象は彼にもあった。しかし、その耐え方にどこか余裕があった。いや、余裕という言い方はおそらく適切ではない。人生はこんなもの、ジタバタしたって始まらない、と突き放して距離をおいて見ている。そんなところが彼の日常の態度、挙動にあって、それが余裕を感じさせたのだろう。帝国軍人の根幹の、そうあるはずの軍人勅諭もろくすっぽおぼえていないことは、うるさ型でつまらぬことにこだわる幹候出の中隊長がときどき中村や金のような下士官にまで強いる軍人勅諭の暗誦はいいかげんにごまかしてのけることですぐ判ったし、訓練も作業も決して投げやりではなかったが、さりとて中村のように率先、先頭を切ってやるというのではなかった。しかし、彼の銃剣術の腕前は中村と並んで聯隊随一だったし(北満の駐屯地の聯隊の銃剣術の大会で、ある大会で中村が一位をとると、次の大会で金が優勝を果した)、射撃はおそらく聯隊はおろか師団一の腕前だった。北満の演習場で群れをなして原野を疾走するノロの群れを標的代りに師団の各部隊の選りすぐった射手たちが射ったことがある。彼だけがその疾走する至難の標的に命中弾をあたえて、一頭どころか二頭打ち倒して名声を博した。

 ほかにも彼には有名な話がある。真偽は知らないが、まだ初年兵でしごかれているとき、歩兵操典の「小銃」の項の暗誦はできなかった。おかげでビンタをしこたまくったらしいが、「伏射ノ姿勢ヲ取ルニハ頭ヲ目標ノ方向ニ保チ左手ニテ弾薬盒ヲ左右ニ開キ左足ヲ約半歩右足尖ノ前ニ踏出スト同時ニ上体ヲ半バ右ニ向ケ右膝ヨリ地ニ着ケ左手ヲ前ニ出シ地ニ着ケ体ヲ射撃方向ニ対シ約三十度ニ伏臥シ同時ニ右手ニテ銃ヲ前ニ出シ左手ニテ……」というような文句は暗誦できないにしても、自分はその約束の通り正確に動作をやってのけられますと指導下士官にむかってタンカを切った。これでまた余計彼がビンタをくったのは当然のことだが、横で見ていた古兵に面白がったのがいて、「じゃあ、貴様、やってみろ」と言い出した。「やれなかったら、ぶちのめすぞ」のおどしつきだったが、金は動じなかった。「ハイ」と答えて、伏射ちの動作を彼らの面前ですぐ堂々とやってみせた。指導下士官をはじめうるさ型の古兵どもは彼のその伏射ちの「模範演技」に何も文句をつけなかったというのだから、話はうまくできている。いや、もうひとつ、先を行く「伝説」があった。それは、「模範演技」をすませたあと、「歩兵操典は自分の動作を見て書いたものです」と言ったという「伝説」だが、いくらなんでもこの「伝説」はできすぎている。ただ、金が初年兵の時代からよほど射撃ができたということだけは「伝説」を通じて確実に言えた。

「おれは生まれつき兵隊稼業にむいとるらしいのだ。」

 讃められると、金は人一倍、いや、彼自身に言わせると人倍大きくて軍帽、戦闘帽、鉄帽、何をもって来ても寸法が合わない大頭をふりながら照れたようにことばを返した。

「人間には生まれつき机にむかって学問するのにむいとるのもいれば、球を投げるのにお得意なのもいる。学問するのにむいとるのは学者になってどこぞの大学の先生になればよいし、球を投げるのがお得意なのは職業野球の選手になる。兵隊稼業も同じことだ。」

 しかし、彼は「兵隊稼業」だけにむいているのではなかった。陣地築城の穴掘り工事、作業のなかで、彼のツルハシの使い方は堂に入っていた。海岸線の岩礁での野戦陣地の構築であれ、島の中央の洞窟内部での複廓陣地の築城であれ、彼は堅い岩盤、岩壁に的確な一撃を入れ、そこから岩盤、岩壁はみごとに割れた。そして、奇妙なことに、彼はいくらツルハシをふるっても、中村のように掌が血で真赤になるようなことは絶えてなかった。しかし、このことで彼は「おれは生まれつき土方稼業にむいとるんだね」とは言わなかった。「おれはいろんなことをやって来たからな。」ただ、そう言った。そのときには彼は照れたような顔をしていなかった。もっときびしい顔をしていた。

 金は兵隊のあいだで人気があった。分隊、中隊の別を越えてあったと言ってよかった。それは、まず、生まれつき「兵隊稼業」にむいている彼が優秀な兵士であったからだろう。そして、優秀な兵士であるという意味で彼は模範兵であったにちがいないが、中村がそうであるという意味においては決して模範兵ではなかった。こういう人物は一種のチマタの英雄——「フォーク・ヒーロー」として民衆のあいだで人気を得るものだ。軍隊のなかでの民衆は下級兵士だから、金が兵隊のなかで人気を得たのは当然のことだろう。中村も決して人気のない下士官ではなかったが、中村のような模範兵ちゅうの模範兵の人気は「フォーク・ヒーロー」の人気に及びもつかなかった。

 そして、金はチマタの「フォーク・ヒーロー」が民衆に対してよくそうであるように兵隊に親切であり、よく助けた。彼はときには情け容赦なく激しいビンタを部下にくわせもしたが、不器用な初年兵で殴られてばかりいるのに射撃のコッを親身になって教えたのも彼だったし、小銃の部品を失なって途方にくれている間抜けにどこからか員数を「ガメって」来てくれたのも、この兵隊にとっての「フォーク・ヒーロー」だった。

 あるいは、そういう間抜けをトクレイしていっしょに営庭で紛失部分を探してついに見つけ出したりする。そんなときでも彼はテンタンとしていて、「生まれつき木登りのうまいのが下手なのを助けるみたいなものだ」とこのときも照れたような顔をして言った。

 そして、彼は兵隊にただ親切なだけではなかった。兵隊は、安全とみきわめがついたところでは、上官の悪口を言いたがるものだ。金は自分からそうした悪口の輪のなかに積極的に入ったりしないようだったが、ときどき辛辣で的確なことを言ってのけるので人気があるようだった。中村自身がどう言われているのかは中村は知らなかったし、また知るつもりもなかったが、彼の部下のなかでもっとも槍玉に上っていたのは、幹候上りの、「ゲジゲジ隊長」とアダ名された中隊長だった。一般大学を出た幹候上りの将校にはときどきこういう手合いがいるものだが、軍人社会における士官学校出身の正規の将校に対する自分の劣位、あるいは劣等感を正規の将校以上に将校面をし、部下に対してこけおどしにいばってみせることで解決をはかる。この「ゲジゲジ隊長」に対する金の評なら、中村も聞いたことがあった。「隊長は将校として完璧だヨ。いばるし、無能だ。」評は「ゲジゲジ隊長」に対して的確だったばかりではなかった。将校全体にも的確にむけられていた。

 金の人脈は広かった。どこからどう工面して来たのか、特配の煙草も分隊に持って来て部下に配ったり、パパイヤやマンゴーという中村たちがこれまでに食べたことのない南海の珍味をもたらしてくれた。「これ、どうしたんかね」ときくと、島民からもらったのだと言う。かつて海軍の基地建設に使われていた島民が陣地築城の人夫としても使われていることは中村も知っていたし、事実、二、三度のろのろ土や石をモッコで運ぶ彼らの姿も見かけていたが、「これ、どうしたんかね」と中村がきき、島民からもらったのだと金が答えたときが、ああ、この島には島民もいて、島のどこかに住んでいるのだと中村が意識した最初のときだった。家に行って、もらって来た。いや、物々交換して来たのだと金はつづけた。「島民の知り合いがいるのか」とおどろいてきく中村に「いる。」金は自分でもマンゴーをうまそうに食いながら答えた。「何人もいるね。」金はかえっていぶかしげに中村を見た。「わしらはその人らの島に来ておるのとちがうかね。」

 特配の煙草もパパイヤやマンゴーもありがたかったが、中村にとってもっともありがたかったのは、彼が彼の広い人脈を通じていろんな情報をもたらしてくれたことだ。情報は訓練、作業の日程、部隊内の人事のことから部隊全体の作戦計画、あるいは、全般の戦況にまで多岐に及んだ。いつも「分隊長、こういう話聞いているかね」と切り出して、低声で、自分にむかってひとり言を言うようにしゃべった。そして、彼は自分がもって来た情報に、「これは確度百だ」、「これは七十」というぐあいに点をつけた。

 三月に本島から「退去」して行った聯合艦隊が最近大敗したという情報は、彼が最初に中村に告げたときには、「確度七十」の情報だった。それが「八十」になり、「九十」になり、ついには「百」になった。そして、その確度の上昇のあいだに、沈没した味方空母何隻、撃墜機数何百機(これも撃墜した敵の機数ではない。撃墜された味方機数だ)というぐあいに情報は精細、悲観的、いや、絶望的なものになる。部隊本部にいる子供のころハワイで育ったという敵の情報収集係の下士官と金は親しくしていて、彼が敵のラジオを傍受して得たという情報だった。「そんな敵の言うことは信じられるのか」と中村が言っても、金は「こういうことは敵さんの話のほうがたしかなんだね」と動じるけはいはなかった。信じる、信じないはあなたの自由——という突き放した態度もそこにはあった。「敵さんは、玉砕のことを何んと言うとるのか、分隊長は知っとるのかね」とこれも、ハワイ育ちの情報収集係から聞いて来た話を金は教えてくれた。「自殺攻撃とか万歳突撃とか言うそうだ。」そう言ってから、金は中村の顔を見ながら、「分隊長はどっちの言い方がいいかね」とからかうように訊ねて来た。中村が答えないでいると、「おれはどっちも気に入らんね」と自分で自分の問いに答えた。「自殺はおれはする気はないし、自分が死ぬのに万歳を叫ぶ気もないからね。おれはただ勝つ、そのつもりだ」とこのあいだ口にしたことばをもう一度くり返した。

 どうやら軍のえらい方々は島の防衛作戦のやり方を根本的に変えたと各島の守備軍に伝えて来ているらしい——と金が新しい情報をもたらしたのは、洞窟の地下指揮所の予定地で部隊長の訓示があって四、五日してからのことだ。圧倒的に強大な火力に支えられ、自らももって強襲上陸して来る米軍を上陸時に水際で撃滅することはもはや可能ではない。すみやかに後背地の縦深陣地を使っての持久戦に移り、最後の一兵に至るまで持ちこたえよ。その縦深作戦のための複廓陣地を強固につくれ。それは先日部隊長が訓示した通りのことではないか、と中村が金の話の途中でさえぎると、「その通りだ」と金はうなずいた。問題は、ここではまだまだ十分に複廓陣地はでき上っていない。いつでき上るか、いや、そんな強固なものがはたしてでき得るのか、だ——と金は先日から作業をつづけている洞窟の入口を見やりながらつづけた。このあいだ、中村が部隊長の訓示を伝えた洞窟とはべつの洞窟だ。問題はもうひとつある。中村は金のことばを引きとったかたちで言った。いつ、米軍は上陸して来るのか。そのかんじんの問題がある——と中村は洞窟の入口と金を見くらべるようにして見ながらことばをつづけた。金は軍帽、戦闘帽、鉄帽、いずれもその大きな寸法のものを見つけるのが至難な人一倍、人二倍大きな頭をふってゆっくりうなずいた。

 

     七

 

 金は朝鮮人だった。いや、半島人——半島人の日本人だ。日本には、「大阪府」や「岡山県」や「北海道」と同じように「朝鮮半島」という地域がある。そこの出身だから、「大阪人」や「岡山県人」があるように自分は「半島人」だと、彼の言い方をいぶかしむ無知な(やから)がいたりすると、金は丁寧に説明した。いや、もうひとつ、説明はつづく。「大阪人」や「岡山県人」は日本人とはちがうのかね。もちろん、日本人じゃないか。「大阪人」の日本人、「岡山県人」の日本人だ。同じように「自分は半島人の日本人だ。」金はそう誰に対しても、言った。上官にも部下にも言った。切り札は、「おれは帝国軍人だ。帝国軍人に日本人以外の人間がいるのか、なれるのか」だった。「おれは特別志願兵制度で志願して帝国軍人になった。おればかりじゃない。何千、何万人の半島人がなった。それどころか、今は朝鮮半島にも徴兵制が布かれるようになって、半島の青年たちが帝国陸海軍人として立派に日本人としての役目を果しておる。」ときには、金は南総督の話をした。南総督は「内鮮一体」を強くとなえ、それゆえにこそ「特別志願兵制度」を始めたのだが、総督は半島人は日本人とちがうというようなことを言う日本人がいたらぶん殴れとまで言った。「半島の国民学校ではね、皇国臣民の誓いを子供がとなえておるのですぞ。自分が皇国日本の臣民であるあかしとしてね。」金はよく言った。「内地の国民学校では、どうしてそれをやらんのですか。」金はふしぎそうな顔をした。そう半島人の日本人の、それも帝国軍人に言われてみて、同じ日本人の帝国軍人の中村もふしぎに思った。あれは半島人を立派な皇国臣民にするためにやっているのだと言いかけてやめてしまったのは、じゃあ、日本人はみんな立派な皇国臣民ですかいなと言い返されるような気がしたからだ。

 金がどうして陸軍特別志願兵に志願したのか、またどのような理由、経過によって中村の師団という半島人にとってまったく無縁のはずの師団の、それも北満の駐屯地にやって来ることになったのか、中村はよく知らなかった。今、彼の言うように半島人も徴兵でいくらでも入隊して来ている。それは問題も多く出て来るということだ。そういうときの用意に金のような自ら志願して来た「半島兵」を各師団、各部隊に配属してあるのだという話は中村も聞いたことがあった。しかし、中村の場合、金が朝鮮人、いや、半島人であること自体、知っていたかどうか。中村が彼についてあらかじめ確実に知ったことと言えば、彼が自分より一年年次が古い、一年余分に帝国軍隊のメシを食って来た、したがって中村が自動的に敬意を払うべき「古兵」であることぐらいで(金も中村も、「公」の階級による上下関係とはべつに年次による上下関係が「私」的にあり、重んじなければならないという軍隊内の「ルール」をよく心得ていた。おたがいのあいだのことば遣いもその「ルール」にそって、「公」的には金は中村を「分隊長殿」と呼び、ことばの使い方もその呼び方にふさわしいものにしたが、「私」的な会話では「分隊長、おれは……」とくだけた。中村も同じように「公」的にはあくまで部下のひとりとして「金伍長」に対し、「私」的にはときには、「金さん、あんたは……」とまでくだけた)、彼が帝国軍隊に入ってから伍長という階級に達するまでどのように苦労して来たかについては、たぶんなみ

の日本人の兵隊よりも苦労して来たにちがいないと想像はついても、中村はほとんど知るところがなかったし、また今さら知るつもりもなかった。中村が確実に知っていること、あざやかに記憶しているのは、北満の駐屯地で、ある日、異例の早さで軍曹に昇進すると同時に分隊長に任命された彼のまえに人一倍、人二倍大きい頭をもった下士官が突然出現して来て、自分はこのたび分隊付下士官に任命された「(こん)伍長」でありますと過不足なくアイサツしたことだけだ。そのあと、彼は中村とともに分隊内でくらし、次第に「公」的にも「私」的にも親しくなり、やがてともに南方動員を下命されて、この島までやって来ることになる。そして、今は、いつ来るとも知れない、しかし、その来襲の時日は確実に切迫して来つつある米上陸軍と「わが身をもって太平洋の防波堤たらん」の死闘をともに演じようとしている。

 金は「(こん)」と読んで、「(きん)」「(きむ)」ではない——とは金が最初から念を押すように言って来たことだ。内地の日本人のなかにも、昔から「金」と書いて「(こん)」と読ませる人はいくらでもいただろう。それと同じだ、と金はいつも言った。姓以外でも、法隆寺の金堂、尾崎紅葉の「金色夜叉」——みんな「(こん)」だ。「(きん)」ではない。金はそう言って、「(こん)伍長」で押し通した。誰かが「金{きん}」と言うと、「(こん)だ」と必らず訂正した。上官にむかっても、「自分は(こん)伍長であります」といちいち几帳面に訂正を申し入れた。そばで聞いていてときどきわずらわしくなって、名前の呼び方なんかどうでもいいじゃないかと中村は言い出したくなったりするものだが、彼はどんなときでもかまわずやってのけた。半島では何年かまえ、李という姓を岩本に、金を金山に、朴を新井にし、名前も姓とともに日本式にかえるという「創氏改名」が行なわれたと、ウカツにも中村の知らなかった話を教えてくれたのは金自身だったが、その話をしたあとで「おれには関係がない。おれの姓は日本人にもある金なんだからな」とつけ加えた。そのつけ加えを言うために金は「創氏改名」の話をしたのかも知れない。

「金伍長の半島の故郷はどこかね」と中村は訊ねたことがあった。京城と答えてから、京城は昔はソウルと言った。今でも半島人にはそう呼んでいる人が多いよとこれも中村の知らない話を教えてくれた。中村が呆然とした気持になったのは、そのときが彼が朝鮮語というまったくこれまで耳にしたことがないことばを聞いた最初のときだっただけではなかった。その見知らぬ言語を日本人と変らぬ顔つきをした、「ぼく」を「ぽく」と言ったりしないで正確に日本語をしゃべる、自らも半島人の日本人だと名乗る帝国軍人が口にしたからだ。

「京城は半島人はソウルと言うんだ」と、金は中村にはできない発音で「ソウル」をくり返した。その発音は奇妙に優美に耳にひびいた。そこには中村のほかに二、三人、中村の部下もいたが、みんなは気押されたように黙ってその発音で聞き慣れない地名を発して来る金伍長の口もとを見ていた。彼らにとっても、それはまったくはじめての体験であったにちがいない。

「分隊長、ナカムラサンという男を知っているかね」と中村は突然きかれた。ついこのあいだのことだ。どこかことばにからかっているようなひびきがあったので、何かあるとははじめから見当がついた。「知らんね、そんな男は」と中村が真面目くさって答えると、半島人のあいだでは、「ナカムラサン」は、たぶん、かつてその名のホラ吹き、軽薄なハッタリストがいたからだろう。そういう人物のことを指すことばだと金は中村の顔を彼の反応をたしかめでもするかのように見た。「おれがナカムラサンだと言うのかね。」中村がことばを返すと、金は大きくかぶりをふった。「分隊長、分隊長はたしかに中村さんだが、そのナカムラサンじゃない。分隊長は真面目、重厚、まさにナカムラサンの正反対だ。しかし、これからのいくさ、正反対だけでやって行けるかね。生きのびるつもりならね。生きのびて、たたかうつもりならね。」金は中村の顔を見つづけながらたたみかけた。「勝つつもりならね」とは彼はつづけなかった。それは中村が自分で意識したことだ。「ご忠告はありがたいが……」中村は言い返した。「おれはナカムラサンにならん。中村の地で最後までやる。」中村は「中村」と「ナカムラサン」のちがいを明確に文字のちがいで識別しながら話をしめくくるように言った。

 

     八

 

 敵の空爆が日増しに激しくなって来た。それは状況が日増しに切迫して来たことだ。空爆の間隔が短かくなり、規模は拡大した。B=17爆撃機が一トン爆弾を投下してジャングルの樹木の繁茂を手荒く吹き飛ばして各所に大穴を開けたあと、すぐさまグラマン戦闘機がどこかに動く人影あらば小型爆弾を投下し、機銃掃射を機敏に浴びせかけた。この敵の陸上爆撃機と艦載機の協同作戦は日増しに増え、また巧みになった。守備隊からの反撃はほとんどなされなかった。ジャングルに秘匿した虎の子の零式戦闘機は飛び上らなかったし、陣地の設置場所の秘匿と迎撃作戦にそなえての弾薬の温存のために対空砲火もよほどのことがなければ射ち上げられることはなかった。すべては、今は身をひそめて、決戦のときを待て——だ。陣地のなかで上空から聞こえて来る爆音、爆弾の爆発音、機銃の掃射音など敵機の跳梁を口惜しそうに聞く部下に中村はそうくり返した。部下に言っているだけではなかった。自分にもくり返した。何人か、跳梁の犠牲者も出た。中村の分隊には幸いにして出なかったが、中隊全体ですでに五人が戦死した。中隊長までがグラマン戦闘機が投下した小型爆弾の破片を受けて軽傷を負った。白い布で腕を吊って歩きながらあいかわらず各分隊をまわってはうるさく文句をつけていたが、ひとつよかったのは、この負傷のおかげで「ゲジゲジ隊長」は部隊本部付きとなり、北満の駐屯地にいたときから中村がよく知っていた陸士出の年は若いが、胆力がすわって大人の風格のある中尉が新任の中隊長になったことだ。部隊本部は「ゲジゲジ隊長」が部下に信頼されていないことをよく知っていて、機を見て中隊長を取り換えようと考えていたのかも知れない。「ゲジゲジ隊長」の負傷でもうひとつよかったことは、部隊長の信任も厚い、部隊での最優秀の将校のひとりだと言われる陸士出の若い中尉が新しい中隊長に任命されたのと同時に中隊が米軍上陸時の水際撃滅作戦の主力部隊に決定されたことだ。おれたちは最重要な地点に死に場所を得た。光栄だ。死力をつくしてたたかう。たたかうべし——中隊長は分隊長に言い、分隊長は部下に告げた。部下はいっせいに雄たけびをあげた。中村の分隊がそうだった。金伍長流に言えば、「者どもみんながやる気になって来た。」

 やる気にならなければ、みんなはただ米軍に殺されて死ぬだけだ。生きるためにも、たたかわなければならぬ。死ぬ死なぬはその結果だ。「死に場所を得た」と言ったあと、中村は自分の心にわき上って来たその思いを口に出そうとしてやめた。部下が同じ気持でいることは彼らの眼を見て判った。眼はいちように狂暴にギロギロ光った。深夜、連夜くり返される夜襲の訓練のあいま、岩礁のかげで中村は話していた。こわいほど澄みわたった夜空にこれもまたこわいほど澄みわたった月がかかっていた。月は煌々と照るとはこういうときを言うのだろうか。月光は鋭くまるでそこに一抹の疑念もあってはならないもののように部下ひとりひとりの顔を照らし出した。

 訓練は強化されて来た。節約しながらも実弾も使った。もはや一人一殺ではなかった。一人十殺——ひとりが十人の米鬼を必殺して、はじめて勝利の端緒も得られる。いや、まず、殺さずば殺される。敵はわれに十倍する。十人必殺せざれば、自分が必殺される。轟々と戦車が来ても、おそれるな。速射砲で射ちまくれ。「アンパン」を抱えて走れ。その爆薬は小さくとも戦車必殺の破壊力をもつ。しかし、無暗に突っ込むな。死に急ぐな。ひとり死すとも、陣地に穴があく。遮蔽物に巧みに身を隠せ。米鬼をひきつけ、至近距離で一発必中。さらには銃剣を使え、突き刺せ、殺せ。わが身傷つくとも刺しちがえて、殺して名誉の戦死をとげろ。生きて虜囚のはずかしめを受けるな。

 穴掘り工事、作業もつづいた。弾薬、糧秣、水の洞窟の複廓陣地への搬入も始まった。水源地が限られているこの島では、水の貯蔵は重要課題だった。さまざまな容器に入れて岩のあいだを運ぶ水は重かった。いつ、どこでも洞窟のなかへ入って小人数の部隊といえども最後までたたかう。その目的の下、搬入と貯蔵はあちこちの洞窟陣地に対して行なわれた。それはそれだけ作業がきつかったことだ。

 金城二等兵が中村の分隊に現われたのは、そのきつい搬入、貯蔵作業のなかでのことだ。見知らぬ小柄な、その動作からつい先日まで「地方人」だったことが見当のつく貧弱なこのごろできのスフの軍服を着た二等兵が洞窟のなかに入って来たと思ったら、中村のまえによろけたように立ち止まって、「中村班長殿、金城二等兵、ただ今到着、申告申し上げます」と教わった通りのことばをぎこちなく口に出した。緊張しているのか、唇がふるえ、語尾がふるえた。とたんに思い出したのが二、三日まえ中隊長から、本島で現地召集された新兵がこれから各分隊に配属されると通達が来ていたことだ。「金城二等兵、貴様は銃を持っているか」と中村は彼の、型通りのことばのぎこちない言い方にかえって「地方人」の匂いが強く出ている申告のあと、この現地召集の「地方人」二等兵が小銃を手にしてやって来ているのを見ていながら思わず訊ねてしまったのは、本島の現地召集された在留邦人の千三百名に上る新兵たちには、もうひとりひとりに手渡される小銃も不足して来ているのか、小銃の代りに南洋特産の鉄木の長さ二メートルほどの棒を持たされてこのあたりのあちこちの島の守備隊に送り出されたという話を聞いていたからである。新兵が武士の魂と言うべき小銃を持たされないでいるという話を聞いて、帝国陸軍も落ち目になったものだと中村はその話を聞いたとき情けなく思ったのが、三八式の旧式のものながら、この現地召集「地方人」二等兵は小銃を持っていた。銃剣も腰にぶら下げている。「よかった」と思わず口からつぶやきが出た。金城二等兵は自分が叱られたようにハッという顔をした。

 小柄だが、ずんぐりとした精悍な体格をしている。それはスフの貧弱なよれよれの軍服を着ていてもよく判った。年齢は三十一歳。中村は彼が持参して来た書類を見た。かなりの「老兵」だ。

「おまえは沖縄の人間か。」

 横から金が口を出した。

「糸満であります。」

 現地召集の「地方人」二等兵はそんな答え方をした。

「地方で何をしていた。」

 これは中村が訊ねた。

「漁師であります。しかし、このあいだからはずっと軍属扱いで機帆船に乗っておりました。機帆船輸送に従事をしていたんであります。」

「そちらの仕事は……」

「機帆船が沈んだのであります。グラマンにやられたんであります。」

「貴様は助かったんか。……泳いだんか。」

 中村は訊ねつづけた。

「泳いだんであります。二日間。通りかかった駆逐艦に助けられたんであります。」

「おまえ、それなら、泳ぎはうまいな。なにしろ糸満漁師だからな。」

 金がまた横から口を出した。

「金城二等兵、いざとなったら、おまえは本島まで泳いで連絡に行く。」

 金城二等兵はまたハッとした顔をした。金のことばは中村にとっても思いがけなかったので、彼も金のふつうの戦闘帽の入らない大きな頭の下の顔を見た。人一倍、人二倍大きい戦闘帽の下で金は考え込んでいるふうに見えた。

「おれの名前は金……(こん)伍長。おまえと同じ(きん)だが、(こん)と読む。」

 金は「金城二等兵、おまえは射撃がうまいか」とまた唐突に強い口調できいた。唐突なこの分隊付下士官の質問に「うまいほうであります」と金の語尾に気押されたようにおどおどして答えた。さっきからのにわか軍人のぎこちない口調がいっそうぎこちなくなった。その口調で遠慮がちに、「漁師だから、眼がいいんであります」とつづけた。

「じゃあ、おまえをおれは特訓してやる。いいか、おれたちがこれからする戦争はこのチッポケな島での水際戦闘、そこでひとりひとり食うか食われるかの白兵戦だ。そういうところに来ると、もう何十サンチの艦砲射撃も役に立たん。一トン爆弾も機銃掃射もワンラじゃ、アカンのじゃ。そんなものをぶっ放してみイ、こっちもアメさんもいっしょにおダブツ。だから、使えん。そこまで戦争のどんづまりまで行けば、もう小銃の一発、そいつがあたるかどうかの問題になる。もちろん、アメさんのもちなさる自動小銃にまともに行けば勝ち目はない。かわいそうにおまえの持たされとる日露戦争以来の小銃なんかまるでメがない。しかしだ、おまえが百発百中でアメさんの脳天をぶち抜いてみイ、ほんとうに十人必殺やってみイ、おまえが勝つのじゃ。」

 中村も同意見だったが、いつものどこか投げやりな感じのする口調を金はかなぐり捨てたように突然雄弁にまくしたてた。中村は異状なものを感じて金を見たが、表情は変りなかった。彼はつづけた。

「白兵戦では、敵味方、兵隊ひとりひとりがたたかうのじゃ。みんながひとりひとりたたこうとるのじゃから、味方も誰もおたがい助けることはできん。だからこのいくさはほんとうにおのれひとり、自分ひとりのいくさじゃ。相手がどんなに数で来ようが、物量で圧倒して来ようが、そこまで行くと、ひとりひとりのいくさになる。だから、自分の側が全体としてどんなに数が少のうても、物量がなかろうと、おのれひとり、自分ひとりが強ければ、敵もひとりじゃないか、十分にやっつけることができる。相手がいかに強大な国であろうと、自分ひとりで太刀打ちできる。打ち倒すことができる。おれはそう思うている。そう思うて、自分のいくさをやろうとしている。やって、勝つ。」

 金はまるで自分にむかって言うように声を低めた。一瞬ことばがとぎれたかと見えたが、すぐ強い口調でつづけた。

「よろしいか、金城二等兵、おれはおまえをたっぷり仕込んでやる。おれは、こう言っちゃあ何んだが、この部隊きっての射撃の名手じゃ。おれがおまえを特訓して仕込めば、おまえのその旧式の三八式銃でも、他の連中が持っとる九九式に立ちまさって敵の脳天を貫ける。ひとりで十殺をやってのけられる。」

 金はとめどなく話しつづけるように見えた。ころあいを見はからって、中村は「金城二等兵、もう行ってよろしい」と号令をかけるように大声を出した。そうでもしてさえぎらなければ、金はほんとうにいつまでもしゃべりつづけていたかも知れない。

 その一件があったので、二、三日経って金が「分隊長、あの糸満の漁師、胸に何をぶら下げとるのか知ってるかね」と言って来たとき、まず中村が訊ね返したのは、金の漁師二等兵に対する特訓の成果だった。「あいつは筋がよろしい。」金はまず短かく答えた。それからしばらく漁師二等兵の話をした。漁師二等兵は紐で小さなお守りのようなものを軍服の下にひそめるようにして胸にじかにいつも肌身離さずぶら下げている。昨日何かの拍子にそれが判って、そのお守りのようなものは何んだときくと、妻と小さな二人の娘の写真を入れてあるのだと答えた。奥さんもまだ小さな娘さんも三人とも本島の三月の大空襲で逃げおくれて死んだというのだが、その大空襲があったとき、同じ敵の機動部隊から発進して来たグラマンにやられて、あいつの船も沈められてあいつは二日間泳いでいよった。

「アメさんを何人も射ち殺して、奥さんと娘さんの仇をとってやれと言ったかね。」中村は話を聞いているのが辛くなってさえぎった。「言ってやった」とうなずいてから、金は口ごもった。「あいつは言ったよ、自分が殺す相手のアメさんにも奥さんも小さな娘もいるだろう、とね。」

「金伍長は何んと言った。」

 中村は訊ね返した。

「仕方がない。おたがいさんだ。殺せ。殺さないと、おまえが殺される。戦争はそういうものだ。そう言ってやった。」

「あいつが殺されるだけじゃない。おれたちが殺される。」

 これは中村が言った。

 

     九

 

「これから軍歌を歌う。」

 そう言い捨てて、中村が岩礁の上に短かい草地のある岩かげのくぼ地から飛び出して歩き出したのは、夜襲の訓練のあと小休止をとらせていた分隊の部下があまりに疲れきってまったく元気を失なっているように見えたからだ。元気がない上に、あきらかにその思い思いに岩かげに寝そべって休んでいる姿はだれている。これでは米軍上陸までもたない。中村はそう直感して横の金に「おれはこいつらに、今、軍歌で気合いを入れる」と小声で言って、立ち上った。

 月はまたこわいほど明るく冴えわたった光で砂浜の白砂を輝かしている。中村は自分の影を追うように小走りに走って、海岸ぞいの林に入った。米軍の爆弾投下のおかげで、そのあたり少し空き地ができ上っている。上空からは周囲の樹木の繁茂のかげになってたぶん彼らの姿は見えない。中村に一喝されたあと、部下はもうそれだけで気合いを入れられたように跳び起き、彼のあとを息せききって走り追って空き地に集まって来ていた。

 自然に二列に列をつくって整列、中村の号令の下、すぐ歌い出した。まず、もちろん、万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵線の花と散れ。この「歩兵の本領」を中村は現役兵として入隊してからいったい何度歌ったことになるのか。いや、これから何度歌えるのか、死ぬまで。もちろん、死ぬまで。中村は部下とともに声をはり上げながら、同じように大声を出して懸命に歌っている部下を見まわした。冴えた月光が彼らの顔をくまなく照らし出していた。一列目のいっとう右端がヒゲ面の現役上等兵の田口、その横の大きなホクロが鼻の横に目立つ同じ現役上等兵の坂本、さらにその横が妻子持ちの補充兵ながらがんばり屋で中村がもっとも目をかけてもいれば彼のもっとも忠実な部下でもある横山一等兵、彼のうしろが同じ補充兵の一等兵、独身の黒沼、こいつは少し怠け者だが、性格はいい。そこまで顔を確認しただけで中村が部下の点検をやめてしまったのは、点検が黒沼まで来たときに中村の眼に涙があふれて来てしまったからだ。むきあって歌う部下に涙を見られまいとして中村は顔をそむけてしまった。

「歩兵の本領」の次は、暁雲の下見よはるか 起伏はてなき幾山河、で始まる関東軍軍歌だ。これは二番目に歌う軍歌だと順番が決まっている。これをこの南方はるかの島で歌うのは場ちがいかも知れなかったが、そちらが北辺の守りなら、こちらは太平洋の防波堤だ。中村はまた大声を出して、先頭を切った。部下もすぐつづいた。もう中村の涙は消えていた。中村はもう部下の顔の点検はやめた。彼はただ歌った。関東軍軍歌のあとは、天に代りて不義を討つ 忠勇無双のわが兵は、だ。さらにその次は、ここは御国を何百里 はなれて遠き満洲の。もちろん、ここは、はなれて遠き満洲、ではなかった。しかし、御国を何百里、何千里離れている。この歌は沈む。この歌を歌う気持は沈む。中村は沈む気持をはねのけるように声を大きくした。部下も大声を出した。最後は、敵は幾万ありとても すべて烏合の勢なるぞ 烏合の勢にあらずとも 味方に正しき道理あり、だ。この軍歌は元気をつける。歌っているうちに元気が体内に湧き上って来る。米軍はたしかに烏合の勢ではない。しかし、こちらには正しき道理あり。中村はいつもは考えない歌詞の意味を噛みしめるようにして歌った。いつもより歌詞は彼の心に入って来た。そう中村は歌いながら思っていた。

 ふと、違和感があった。耳にそれが感じとられた。何か雑音が部下が歌い上げるその合唱の音のなかに混じっている。中村がそれに気づいたとき、歌は終っていた。

「軍歌終り。」

 一瞬のおくれを自分で感じとりながら、中村は大声を出した。

 

 中村は分隊を就寝させたあと山口一等兵を外の岩かげに呼んだ。山口は不安げな顔でついて来た。

「貴様は何んでおれに呼ばれたか知っているだろう。」

 山口は黙っていた。けげんな顔で中村を見た。何を不貞くされていやがると中村は腹を立てた。

「おまえは最後の軍歌のとき、鼻歌を歌っていただろう。」

 中村は低声だが、怒りのこもった口調で言った。

「班長殿、鼻歌ではありません。山口はハミングしていたんであります。」

 山口の落ちつき払った言い方に中村はいっそう腹を立てた。ことばをつづけようとする先に山口がつづけた。

「山口は歌詞をよくおぼえとらんかったんであります。それでハミングしておりました。」

 山口のあまりにもわるびれない言い方に中村は拍子抜けした感じで山口の小さな顔を見た。金の顔が彼の人一倍、人二倍の頭にふさわしい大きな顔なら、こちらは逆に人一倍、人二倍小さい頭にふさわしい顔だ。中村はとっさのあいだにそう奇妙なことを考えてから、「しかし、どうもおまえのハミングと言うんか、鼻歌は節がちがっていたようだ」とつづけた。

「班長殿、そんなことはありません」と山口は否定したが、それから少し考え込む表情になった。山口が嘘をついているとも思えなかった。山口は才気ばしりすぎて中村の好きな型の人間ではなかったが、嘘をつく男ではなかった。嘘をつく男は中村がもっとも嫌いな人間で、嘘が見つかると、いつでも彼は遠慮会釈なく叱りつけ、ビンタをくわせた。

 山口はしばらく考え込んでいた。さっきの軍歌を歌うなかでやったことをもう一度くり返すように口のなかで小さくハミングまでしてみせた。

「班長殿、判りました。」

 しばらくして山口は顔をあげてまっすぐに中村を見た。

「山口はどうも自分で知らぬうちにちがう歌のハミングをやっていたようでありました。わるうございました。自分でもわけが判らないんですが、そいつを口ずさんでいた……ようであります。」

「何んの歌だ。」

「ドイツの歌であります。」

 山口は思いがけない答を口にしてから、それがかんじんなことであるかのようにつけ加えた。

「ドイツの兵隊のあいだではやっている……そうであります。」

 現役兵にしては、入隊するまでの「地方人」の生活が特異だったせいか、山口の軍隊ことばはいつもどこかぎこちなかった。年若いときから船員をしていたと聞いていた。それも外国航路の貨物船の甲板員だ。

「歌ってみろ。」

「歌えません。歌詞を山口は知らんのであります。ドイツ語の歌であります。山口には判りません。できるのはハミングだけであります。」

「やってみろ。」

 山口は一瞬ためらったように見えたが、すぐ「山口一等兵、班長殿のご命令によりハミングやります」と型通り丁寧にことばを返して、低い声でハミングをやり出した。まちがいなくさっき中村の耳が軍歌を歌うなかで機敏にとらえた「異音」だが、音のひびきのどこかに問題の軍歌の調べに結びつくものは気のせいかたしかにあった。ハミングをやめると、山口は中村の反応をうかがうように怯えた眼の動きで見た。

「何んの歌だ。」

「よく判りませんが、兵営の門のまえに立つ女についての歌のようであります。」

「売笑婦か。」

「そうのようであります。」

 くだらん歌を軍歌にくっつけやがってという腹立たしい気が今さらながらした。

「何んという題の歌だ。……」

「リリー何んとかいう歌であります。その女の名前かも知れません。」

「そんな歌が軍歌を歌っているときに口に出て来るというのは、貴様の精神がたるんどるのだ。」

 山口は黙っていた。一瞬中村は彼にビンタで気合いを入れるべきか否か迷った。迷ったあげくに中村がやめたのは、精神がたるんどれば死ぬのは結局おまえだという気が不意に強くして来たからだ。

「こんな歌、どこから聞いて来た。」

「ドイツに行ったときであります。自分は不定期貨物船に乗っておりました。ハンブルグヘ行きました……であります。そのとき……」

「女にでも教えてもらったのか。」

 中村はさえぎった。手が自然にあがりかけた。その手の動きがとまったのは、山口の次のことばが意外だったからだ。

「ドイツの兵隊……であります。ビヤホールで会った……ハンスとか言っておりました。そのときの自分よりやっと二、三歳年上の年ぐらいの……戦車兵とか言っておりました。英語のカタコトで話しておったのであります。」

 山口はビンタを予期したにちがいない。怯えた口調で切れ切れにことばをつないで、それだけようやく言ってから、中村の手があがらないのを見とどけてか、ことばを継いでつづけた。

「自分はさっき軍歌を歌いながらあのドイツの兵隊は今どこで戦争しとるのかと思ったのであります。そのハンスのことが頭にあって……」

「くだらぬ女の歌が口に出たというのか。」

 中村はまたさえぎった。怒りが語気に出たが、どこかさびしげであった。そう自分のことばが耳にひびいた。

 二人がむき合って立つ岩かげの岩礁の切れ目から、サンゴ礁の内海の外に夜目にも白い波を輝かし、轟かしている大洋の月光に蒼ぐろく光るひろがりが大きくどこまでも伸びて行くのが見えた。そのひろがりのどんづまりのあたりで、稲妻とも砲弾の発射とも見える閃光がきらめき、少しの()をおいてこれまた雷鳴とも砲弾の爆裂音とも判定のつかない轟音がとどろいた。

「貴様の精神はたるんどる。」

 中村はつづけた。(たるんでおれば、おまえは死ぬ。殺される。それだけのことだ。) 心のなかで、中村はさらに激しく言った。

「もっと気合いを入れろ。」

「ハイ。」

 山口はまっすぐ中村を見た。眼に力が入って見えた。「自分、山口一等兵はもっと気合いを入れる……のであります。」山口の言い方はあいかわらずぎこちなかったが、真面目さは声にこもっていた。

「貴様はアメリカヘ行ったことはないのか。」

 中村は口調をかえて訊ねた。山口はおどろいたような顔をしたが、すぐわるびれずに「あります」と答えた。フロリダのタンパという港に一度行ったことがある。そう言ってから、自分が甲板員をしていた船は不定期の貨物船だったから、世界のどこにでも行つていたのだと少し弁解がましい口調でつけ加えた。「アメリカの他のどこに行った。」

「ニューヨーク」とか「サンフランシスコ」とか、中村は彼の知っている地名の答を期待して訊ねたが、山口は、「どこへも行っておりません。二日間船が港に泊まっているあいだ、一度だけ、タンパの町へ行っただけであります」と言ってから、中村の口から出かかった「何をしに行った」を予期したように「飲みに連れて行ってもらったんであります」とまたわるびれずにつづけた。以前タンパヘ来たことがある自分よりもっと英語のできる先輩の甲板員に連れて行ってもらった。タンパは黒人の多い町だった。黒人とやたらに街路で行き合った。それから、カリブ海とかいうあのあたりの地域の浅黒い人間もたくさんいる町でしたと言ってから、連れて行ってもらったバーの給仕をしていたのが先輩の知り合いのハンスとよく似た顔だちの、それも道理、親父がドイツ人の移民だという白人の若者で、彼は山口とまったく同じ年の生まれだった。

「そいつが上陸軍のなかにいるかも知れんな。」

 山口がタンパの話を話し終るとすぐ中村は言ったが、山口はそれまでそんなことは考えたことがなかったらしくひどくおどろいた顔をして彼を見た。

「そいつは貴様同様若いアメリカ人だ。兵隊になって、ここに上陸して来る。上陸して来て、貴様を殺す。」

 中村はあたかも目前の山口がその当のアメリカ兵であるかのように挑みかかるような口調で言った。山口も気合いのこもった答をした。

「自分は殺されません。自分が殺します……のでありますから。」

 また雷鳴とも砲弾の爆裂音とも判定のつかない轟音が大洋のむこうでとどろいた。それが山口と彼とのあいだをつなぐようにも引き裂くようにも聞こえて来た。

「もう行って寝てよろしい。」

 中村は二人のさっきからの問答にけりをつけるように言った。

「明日があるからな。」

 それからあとはむしろひとり言だった。(たたかいは明日から始まる。)中村はひとり言を自分に確信を込めた強い口調で言った。

 ふと思いがけない思いが中村の胸に浮かんだ。それはおれはまだこの年になるまでアメリカ人を見たことがないという思いだった。思いと彼はしばらくむきあっていた。

 

     十

 

 中村の「予言」はほぼ当った。本格上陸はいまだしと見えたが、翌日朝から本格上陸の確実な前ぶれと見るほかはない機動部隊の猛烈な艦砲射撃と空爆が開始された。

 米軍のやり方はまったく強引と言うほかはないものだった。太平洋上の島嶼作戦の次から次への成功の下に作戦はさらに大胆、強引、傍若無人なものになった。とにかく正攻法で表玄関から強襲して来るのだ。奇襲作戦とか、敵の裏をかく作戦など、彼らはもはやまったく顧慮していないふうに見えた。中村の「予言」の翌日から始まった強烈な艦砲射撃と空爆は、この米軍の正攻法の強襲作戦の開始をまちがいなく告げていた。すでに大型空母十、戦艦、巡洋艦十三、駆逐艦二十余、艦載機数百機がこの地域をぎっしり包囲し、背後には総数数万人にのぼる上陸軍を満載した五十隻余の輸送船が待機している。その情報も島の守備隊は本島の司令部から受けていた。

 これに対する島の守備隊は純粋の戦闘員として数えられ得る兵員は陸海軍あわせて六千人弱。砲は野砲、榴弾砲あわせて十数門、軽戦車十七輌。航空兵力はすでになかった。ジャングル内に隠されていた零戦数機は、本格的な敵の攻撃が始まると同時に果敢に飛び上るとともにたちまちグラマン戦闘機の跳梁の餌食となって火を吹き、海上に姿を消した。まさにそのために守備隊がこの島の死守を命ぜられたはずの飛行場は零戦の自殺出撃のあと、空爆と艦砲射撃に滑走路に巨大な穴を数個所あけられて使用不能になった。最初、はじめて果敢に打って出た飛行場周辺の対空兵器もたちまち所在を発見されて、空爆、艦砲射撃の集中を受け、あとほとんど沈黙。——

 まさに果し合いだ。すでに海岸線の岩礁の野戦陣地に移って、切れ目なくつづく艦砲射撃と空爆のさまを狭い銃眼からのぞき見ていた中村はしきりに思った。その果し合いで、アメリカは強引に日本に挑戦し、日本はその挑戦を受けて死力をつくしてたたかおうとしている。それはそこにしか日本は、日本人は生きる道がないからだ。すでに岩礁の野戦陣地に全員移動し、坑道でつないだ陣地の各個所に陣どった守備隊随一の若手の中隊長のひきいる中村の中隊は、部隊本部からガリ版刷りの紙で、本島の地区司令官の次の訓示を受けていた。

「敵ハ必死ノ上陸ヲ企図シツツアルモノノ如ク大東亜戦局打開ノ成否 正ニ懸ツテ此ノ一戦ニ在リ ()レ三軍ノ期待、天下ノ輿望(コソ)ツテ我等ノ快勝ニ集ルヲ 皇国ニ生ヲ()ケ君恩ニ報イ奉ルノ機断シテ此ノ数日ヲ()イテ他ナシ 全員(マナシリ)ヲ決シテ()テ 将兵一丸トナリ決死善戦以テ敵鏖(オウ)殺ノ宿願ヲ達スヘシ。」中隊長はこのガリ版刷りの訓示の紙をさらに部下の学徒兵何人かの手で写させて、その手書きの紙を分隊長に配った。中村は部下を集めて手書きの訓示を読んで聞かせる代りに、無言で紙をまわし読みさせた。「この漢字は」——中村は彼には読めない二文字、「鏖殺」を指して中隊長に言われた通りのことを言った。

「皆殺しにするということだ。」敵をまさに塵アクタのごとくに殺すのだ、とつづけてことばが頭に浮かんで来たのは、漢字の字面が似ているせいだったにちがいない。しかし、中村はそのあとのことばは自分の心にとどめただけで口に出して言わなかった。誰も何も言わなかった。しかし、読んだあと、気持はひとつになった——それは言わずして判った。たたかう。それしかない。気持はその気概となり、切れ目なくつづく艦砲射撃と空爆の轟音と衝撃に中村も部下もともに耐えることができた。すでに海岸線の堅固な、そのはずの岩礁陣地にも、沖合いの巨大な戦艦から発射される艦砲射撃の直撃弾をくらって破壊されるものが出ていた。なかの兵士はもちろん全滅した。

 

 しかし、中村の中隊は生きのびた。生きのびて、数日後の早朝、ついに上陸軍を迎え入れることができた。中村はそれをよろこんだ。これで挑戦をまっこうから受けて立つことができたのだ。銃眼から、海岸めがけていたるところで殺到して来る上陸軍の数百の上陸用舟艇、水陸両用車、水陸両用戦車の列を目撃しながら、中村がくり返して決意のようにして思ったのはまずそのことだった。たたかえ。最後までたたかえ。それしか死ぬ道も生きる道もない。中村は自分にくり返した。くり返すことで、力を得ていた。

 すでに他陣地からの強力な集中射撃で上陸の第一波は撃退し得たことは中村たちは聞いていた。それは度重なる米軍の島嶼強襲作戦のなかで守備軍が獲得し得た最初の勝利であるかも知れなかった。それは幸先のよいスタートだった。「がんばれば勝つのだ。」中村は部下にこの吉報を告げてから言った。「しかし、早まるな。わが中隊の射撃開始は敵が汀線百五十メートルに来てからだ。それまで血気にはやるな。剣道の平常心で待て。」中村は静かにことばをつづけてから、部下に軍人勅諭を心のなかで思えとつけ加えた。「心が落ち着く。勇気が出る。」彼はそう言い、自分でも心のなかで唱えた。「(ひとつ)、軍人は忠節を尽すを本分とすへし。(ひとつ)、軍人は礼儀を正しくすへし。(ひとつ)、軍人は武勇を尚ふへし。(ひとつ)、軍人は信義を重んすへし。(ひとつ)、軍人は質素を旨とすへし。」部下もそれぞれに心のなかで唱えているように見えた。

「よし」と中村は叫んだ。同時に「射撃開始。目標は前方五百メートルの水陸両用車六輌の米軍。夾差射撃で射て」と叫ぶ中隊長のかん高い叫び声が陣地の坑道にひびき渡った。とっさに銃眼をのぞいた中村は、今しも暗緑色に車体を塗った水陸両用車から砂浜近く朝の陽光に波をきらめかせる浅瀬に飛び降りようとしている米軍兵士の姿を、明瞭にその一瞬の時間の経過のなかで見た。彼をまごつかせたのは、第一番目の兵士の顔が真黒だったことだ。五百メートルの距離を(へだ)てて、それはよく見えた。「クロンボ」だと彼は一瞬のうちに思った。

 たちまち歩兵砲、速射砲、迫撃砲、擲弾筒、重、軽機関銃、小銃など分隊のもつ、そして陣地の各所に懸命に秘匿して来たありとあらゆる火砲の発射音が陣内にみなぎり、ほとんど同時に水陸両用車の周辺を包んで閃光と白煙が舞い上り、爆発音がけたたましくつづいた。中隊のもつセパード犬による連絡が成功したのか、ほとんど同時に中央山地の砲兵陣地からの水際の水陸両用車に対しての集中砲撃が始まった。

 中村は自分で軽機関銃を射った。目標はまずその「クロンボ」。次は「シロンボ」。そのつもりだった。「クロンボ」にしろ「シロンボ」にしろ、米兵、いや、米鬼は次々に水陸両用車から出て来た。次々に中村は射った。彼は全身で射った。彼自身が軽機関銃になって射った。

 突然、砲火が誘ったのか、激しいスコールが降り出した。視界がまったく閉ざされるほどの激しい吹き降りだった。少しのあいだ、砲火がやんだ。一瞬ふしぎな静寂が戦場を覆った。雨の音だけがした。しかし、スコールはすぐ晴れた。砲火がまた始まった。軽機関銃の発射を再開しながら、銃眼からの中村の眼は、水陸両用車が六輌すべてぶざまに波打ちぎわで横転して火焔をあげ、そのあたり米兵の死体が折り重なるようにして堆積している、その光景を一枚の写真のように明瞭にとらえた。その光景は、守備隊の火力に圧倒されたかたちで右往左往する米兵めがけてなおも軽機関銃を射ちつづける中村に力をあたえた。おれたちは勝っている——その発見、認識、思いが力の底にみなぎっていた。

 米軍はまさかこれほどの火力、戦力を守備日本軍が上陸前の強大、執拗な艦砲射撃と空爆のあとでもちつづけているとは思っていなかったにちがいない。あきらかに彼らの上陸作戦には不用意、無防備なところがあった。いや、あまりにも日本軍をなめていた。その日、午前中の戦闘はあきらかに日本軍優勢の下に行なわれた。米軍は砂浜の岩かげにようやく拠点らしきものをつくり出したものの、そこで前進は停滞した。あきらかに彼らは増援を待っているように見えたが、中村たち、海岸線の岩礁陣地による水際撃滅部隊はそこに集中射撃、砲撃を加えて大きな戦果を収めた。水陸両用車どころか、水陸両用戦車はおろか、すでに揚陸されて来ている巨大な重戦車までをも何輌か的確に破壊していた。

 

     十一

 

 しかし、じわじわと米軍は火力、戦力を回復して来た。午後になると、米軍は岩礁陣地をいくつか奪い始めた。戦車で攻めて行って、あと戦車を防壁にして陣地に近づいた歩兵が自動小銃弾なり手榴弾なりを陣地の銃眼からなかにぶち込み、陣地の日本兵が白兵戦に出て来たところを戦車の砲火でなぎ倒す。あるいは、上空からグラマン戦闘機が機銃掃射を加える。あたり一面を火焔の海にする油脂状ガソリンの焼夷弾を投下する。この作戦は次第に効果をあげて、午後にはどうやら形勢逆転、米軍はついに飛行場の滑走路南東端附近にまで到達するまでになった。部隊本部からの伝令が中村の陣地に飛び込んで来たのは十五時——午後三時過ぎだった。「わが中隊主力はこれより飛行場奪回の命を受け全力をつくして攻撃をかける。」中隊長が分隊長を集めて短かく言った。陣地死守の要員を残して、中隊が出動を開始したのは、それからわずか十分後、中村は軽機関銃の携行を部下に任せて、彼自身は銃剣を銃身の先にきらめかせた愛用の九九式小銃を手に持った。雑嚢一個、携行食料は一食分、水筒一個。武器は、小銃のほかに手榴弾三発。

 攻撃開始は十六時三十分。決められた通り後方よりの支援砲撃は正確にその時刻に始まり、戦車を先頭にしてすでに砂嚢で陣地を構築していた米軍に攻撃をかけた。中村の中隊で先陣をうけたまわったのは、中村の友人でもあった加納軍曹の指揮する擲弾筒分隊で、この満洲事変以来の古風な火器による至近距離からの攻撃はかなり効果をあげた。

 米軍はこんな時代おくれの火器を日本軍がいまだに使っているとは思っていなかったのかも知れない。戦車による制圧射撃のあと、その背後に出現した歩兵部隊から突然砂嚢陣地のなかにぶち込まれて来たこの小型火器による攻撃で慌てふためいて兵士たちは立ち上り、思い思いの方向に逃げ去ろうとするのが中村の視界に大きく入った。「突撃。」中隊長が号令をかけ、中村も号令をかけ、前方の砂嚢陣地めがけて走り出した。もちろん、もうそのときには米軍も態勢を取り戻して、砂嚢陣地の各所から自動小銃、機関銃、その他何んの武器か判定のつかない火器で必死の一斉射撃を陣地に躍り込んで入ろうとする中村たちに浴びせかけた。何人かが倒れた。しかし、中村は怯まず走った。そして、ついに陣地の一角に取りついて、さっきからの日本軍の砲撃、射撃で半ば破れて砂を表出させた(そのさまも中村は明瞭に記憶した)砂嚢のむこうに日本兵の出現におどろいて仁王立ちになった米兵の迷彩のついた軍服の胸にまさにこの日この瞬間のために訓練を重ねて来た銃剣による刺突の一撃を正確に訓練通りに加えた。米兵は一瞬さらに大きく棒立ちになったが、そのあとすぐギャアッとジャングルの得体の知れない鳥そっくりの断末魔の叫びをあげてのけぞって倒れた。倒れぎわに迷彩の軍服の胸に血が噴出して来たのと、軍帽の下の彼の眼をぎょろつかせた顔がはっきりと見えた。米軍は戦闘にさいして顔による識別を防ぐためか顔に偽装ペンキを塗って来ると中村は以前から聞かされていたが、彼のその断末魔の顔はたしかにペンキを塗りたくった、それだけでぶざまで醜悪な顔だった。

 しかし、勝利は、中村にとっても攻撃の日本軍にとっても、そのときぐらいまでだった。中村には彼の銃剣術の手練の技も、長年の訓練のみごとな成果もよろこんでいる時間はなかった。少しの間をおいて、はじめは自動小銃、ついで機関銃、機関砲、対戦車砲、その他さらに大口径の火器の猛烈な集中射撃、砲撃が砂嚢陣地奪取に成功した日本軍めがけて始まった。米軍お得意の瞬時に何万発もの火弾を射ち込んで来る、人間であろうと建物であろうと樹木であろうと、地上に存在する一切のものをなぎ倒し、焼殺する火力の行使である。中村のまわりでようやく砂嚢陣地にとり付いてせっかちに万歳の叫びをあげた日本軍兵士は呆気なく倒れた。砂嚢陣地自体が瞬時のうちに姿をとどめないぐらいに徹底的に破壊された。日本軍の虎の子の戦車もすべて破壊され、擱座(かくざ)し、燃え上った。中村は一瞬のうちにでき上った日本兵の死体の堆積のあいだのわずかな凹みに身をひそめで、その瞬時にして様相を一変した戦闘のさまを記憶にとどめた。

 米軍の砲撃、射撃はまるで火焔の怒濤だった。怒濤は、すでに死体と化しているのであれ、あるいは死体のすき間につかの間の生命の身を隠しているのであれ、日本軍兵士の上に日本軍の今朝がたからの予期しない奮戦に怒り狂ったように襲いかかって来た。そのうち死体の列にさえ念入りに射撃を加えるグラマン戦闘機の情け容赦のない機銃掃射も始まれば、さらにおそるべき威力を発する沖合いからの艦砲射撃も火焔の怒濤に加わった。誰がどこでどうなっているのか、死んだのか、まだ中村のように辛うじて生きているのか。凹みからわずか一センチでも頭を上げられないなかではたしかめる(すべ)もなかった。怒濤の底に悲鳴とうめき声はひろがり、充満した。血と鉄と火薬の匂いもそこに満ちた。

 これはもはや戦争、戦闘というものではなかった。ただの集団殺戮——白昼の殺戮だった。ガリ版刷りの紙の地区司令官の訓示にあった「鏖殺」という見慣れない、彼に読めない漢字二文字が、火焔の怒濤の底に沈み込んだ中村の眼にぼんやり浮かび上って見えて来ていた。おれはほんとうにここでまさに塵アクタの死をとげる。塵アクタのごとく殺され、この世から抹殺される。これが「玉砕」だと唐突に中村は思った。「玉砕」が火焔の怒濤の力でそれを包み込んでいたことばの殻が砕かれてむき出しに彼のまえに出て来ていた。出て来て、全身にぶち当った。

 ふと自分の名が呼ばれているような気がした。中村班長殿——そう中村は横のうめき声からかすかに聞いた。反射的に彼はそのかすかな声の方向に手を伸ばした。手は何か生まあたたかい、ブヨブヨした濡れてやわらかいものに触れ、思わずそれを引っぱり出そうとして、彼は愕然として手の動きをやめた。愕然として、と言うより慄然として、と言ったほうが、そのときの彼にそくしているだろう。全身を横転させるようにしてようやく横を見ることができた中村の眼がはっきり認めたのは、自分の手が今横の死体——そうなろうとしているからだの軍服の胸に大きく開いた穴からのぞいた赤黒い内臓をつかんでいることだった。慌てて手を外すと、死体が、そうなろうとしているからだが、中村班長殿——とまたかすかにうめいた。さらに全身をねじ曲げるようにして顔を見ると、佐伯——中村がかつて陣地築城の穴掘り工事、作業で弱音を吐いたことで激しいビンタをくわせた補充兵の佐伯だった。彼の苦悶にゆがんだ顔には死相が歴然と出ていた。意識ももう半ば以上失なわれていると見えた。

 これで、こんな辛い作業をやるんだったら、敵さんに早く上陸してもらって敵さんの弾に当って死んだほうがましだとの彼の願望ははからずも果たされたことになる。中村班長殿——のあとを、いったい彼はどうつづけて、何を言おうとしていたのか。あとはもう彼は何も言わなかった。中村は、彼が見せてくれたことのある五歳ほどの年齢の愛くるしい坊やと気丈な、何よりもそう見えた奥さんの写真をぼんやりと思い出していたが、その途中で何んとしてでもここを脱出しようと決意したのは、このままこの佐伯の死体のそばで中村班長殿——のことばで呪縛されたようにとどまっていれば、まちがいなく「鏖殺」されると直感したからだ。これまで以上に激しい恐怖が突然中村の全身を貫き通した。伏せたまま彼は動き出した。一センチでも、二センチでも、おれはここから離れる、脱出するのだと彼は自分を励まし、叱咤した。

 幸い死体の列は砂嚢陣地の外にも長くつづいていた。それはそのあいだに狭い凹みの空間があるということだ。彼は伏せたまま尺取り虫のようにその空間をのろのろ——無限にのろのろと動いた。幸いなことに火焔の怒濤の勢いが、もう所定の効果を収めたと判断してか、少し弱まって来ていた。そのおかげもあって、中村はとにかく手足の無数のすり傷以外には五体無事で丈高い草が生えた林の一端にたどり着くことができた。そこからは丈高い草に身を隠して、もとの野戦陣地まで比較的安全に戻ることができる。その思惑通りにしばらくことは進んで、慎重に道を選んで陣地の少し手前の地点まで無事に中村は立ち戻ったのだが、そこで彼は全身を痙攣させたように立ち止まった。陣地のなかから声が聞こえて来たが、その声はあきらかに英語らしいことばをしゃべっていた。何を言っているのか中村には見当もつかなかったが、「ジャップ」という一語だけは生まの英語が話されるのを聞いたことがない彼の耳もとらえた。

 気がついてみると、陣地の外には日本兵の死体が無雑作に投げ出されていた。中村の部下の死体もあった。ヒゲ面が目立つ現役上等兵の田口の死体だった。中村は手榴弾を陣地の入口からなかに投げ込もうとしたが、彼は米兵の模範的刺突をやってのけた殊勲の九九式小銃は必死に持ちつづけて来ていたが、手榴弾はどこかで失なってしまっていた。

 

     十二

 

 それでもその日の夕刻までには、中村はあらかじめ集結地点として定められていた中央山地のとっつきの洞窟の複廓陣地までなんとかたどり着くことができた。そこに水際撃滅作戦の生存者、いや、残存部隊は再結集し、後方にその日温存されて来ていた中央地区部隊の支援の下にいよいよ皇軍反撃の本命である、そうとされて来た斬り込み攻撃を主体とした伝統の夜襲攻撃を米上陸軍の上陸拠点に残存部隊の全力をあげてかける。米上陸軍は今朝がたまでわが方の陣地だった岩礁を奪い、そこに海岸堡を強力に構築しつつあるが、まだまだ十分に戦力は整備されていない。この機にも残存部隊の総力をあげて、皇軍、ことにわが師団の誇る夜襲攻撃をかけ翌日払暁までに米上陸軍を完膚なきまでに殲滅する——それが以前から決定されていたことでもあれば、水際撃滅作戦で部隊に命令されて来ていたことだ。命令は至上だった。それはどんな苛酷なものであろうと遂行されなければならない。遂行しなければならない。それが軍人、兵士だった。その誇りにも似た意識が逆に兵士のひるむ気持を支えた。兵士ばかりではない、将校、下士官をふくんで残存部隊全員の気持を、だ。中村は自分たちの姿をそう見てとった。

 彼自身が疲れ、憔悴しきった顔をした中隊長は、洞窟の外のジャングルの闇のなかの狭い空き地に終日の生死をかけた戦闘のなかで生き残った、そして、これから新たな決死の戦闘に出かける部下を集めて、出発前の訓示をした。中隊は終日の戦闘で死傷者を多数出して、人数は激減していた。分隊長が二人、戦死していた。ひとりは午後の飛行場奪回戦闘で先頭に立った、中村もよく知っていた擲弾筒分隊の加納分隊長だった。中村の部下にも、飛行場奪回戦闘での佐伯一等兵、そのあいだに行なわれた、そのはずの陣地死守の戦闘での田口上等兵、ほかに二名、計四名の戦死者が出た。

 われわれは終日よくたたかったと、中隊長は沈ウツな声で訓示を切り出した。しかし、たたかいはまさにこれからだと声をたかめた。口調に力がこもって来た。太平洋の防波堤たらんと祖国を離れて来たわれわれではないか。このわれわれがこれから行なわんとする夜襲に祖国の興亡がかかっている。われわれが祖国に残して来た肉親、妻子、兄弟すべてがわれわれの奮戦、勝利を待っておるのだ。ここでひるんではならぬ。ひるんで、勇猛果敢をもってなる日露戦争以来のわが光栄ある師団の伝統を汚してはならぬ。午後の飛行場奪回の戦闘のなかで危うく艦砲射撃の直撃を受けかかって九死に一生を得た中隊長はひと息に言ってから、一呼吸おいて、本日一日のわれわれの奮戦はすでに畏こくも大元帥陛下のおん耳に達した。陛下からは、緒戦に戦果を得てはなはだ結構、ますます奮闘するようにとのありがたきおことばをたまわったらしいと重大な秘密を打ち明けるように、いや、それはまさに重大な秘密だったが、声の調子を低めてつづけた。

 訓示をすませると、中隊長は日本——そうとおぼしき方向に部下全員をむかせ、「宮城遥拝」と短かく号令をかけた。全員が鉄帽をつけたまま深々と頭を垂れたあと、中隊長は口調をかえて、「どうだ、貴様ら、元気がでたか」と唐突にくだけた言い方で言った。全員のどよめきが中隊長のことばに応じた。一瞬、和やかなものがそこに出た。「じゃあ、出発だ。」中隊長は短かく言い、全員の気持をもう一度引きしめるように「これより中隊は夜襲攻撃に出発。攻撃の目標は米上陸軍海岸堡」ともちまえの機敏さを取り戻したようにキビキビした口調で号令をかけた。中隊は歩き出した。

 しかし、夜襲は失敗に終った。理由は二つあった。あとで中村は分析した。ひとつは、まず、米軍はすでに日本軍の常套の作戦方法を熟知していて、日本軍が米軍上陸当日の夜を皮切りにして連夜兵力のつづくかぎり夜襲をかけて来ることを十分に予期し、十全のかまえで準備していたことだ。もうひとつは、日本軍側の予測に反して、米軍が上陸当日のわずかな時間のあいだに重戦車をふくんで必要兵器、物資を揚陸して、上陸拠点に強固に海岸堡を築き上げていたことだった。海岸堡は脆弱どころではなかった。すでに一個の強固なトリデだった。

 部隊のひとりひとりが分かれてジャングルからそれにつづく海岸線の背後の林をひそかに進んで、砂浜に一歩出る直前の最後の集結地点に集結して、そこからいっせいに斬り込み攻撃に出るという作戦方法は、砂浜にいっせいに躍り出るという瞬間まではうまく行った。しかし、その瞬間にたちまち始まったのは、何十発もの照明弾を打ち揚げてそこに真昼を現出させて行なわれる米軍の集中砲撃、射撃——火焔の怒濤だった。それは当日、いや、前日午後の飛行場奪回戦闘での白昼の集団殺戮、「鏖殺」が再現したことだ。中村は、ただ伏せ、たちまちかたちづくられる死体の列のあいだに身をひそめる飛行場奪回作戦での体験をもう一度くり返し、火焔の怒濤からこぼれ落ちて来た機関銃弾の破片で左腕に傷を負った。うめき声は周囲に満ちた。怒濤の轟音の下で、それはかすかに、しかし、確実に、伏せたまま死体の列のあいだの凹みで自分の傷の応急手当をする中村の耳に聞こえて来た。

 それでもこの集団殺戮のなかで、日本軍兵士は勇敢にたたかった。中村は死体の列のあいだを伏せたまま動いたが、それは後方へ退く動きではなく、なんとしてでも敵陣に近づこうとする前方へむかっての動きだった。その前方への動きは彼だけではなく分隊全員、中隊全体がやっていたことだ。そう自分で動きながら中村は確信していた。確信は分隊全員、中隊全体への信頼になった。一メートルでも敵に近づき、一人でも敵を殺す。おたがいの気持、気概とからだの動きがひとつになった。中村はそう全身で感じとった。中村の場合、すでにあと二、三十メートルも駈ければ、飛行場奪回戦闘で殊勲をあげた小銃をふりかざして敵陣地に突入できるところまで来ていた。彼は実際、「突撃、分隊全員おれにつづけ」と大声をあげてそのあたりの——そのあたりで同じように伏せながらの前方への動きをそれぞれに展開しているはずの部下にむかって命令しながら立ち上ろうとした。しかし、その瞬間、彼の耳に火焔の怒濤のとどろきのなかでもひときわ轟然とひびいて来たのは、まぎれもない戦車の音だった。同時に、敵陣地の横から重戦車の一群が出現して来るのが見えた。戦車には銃剣ではたたかえない。それどころか、夜襲攻撃部隊は「アンパン」と彼らが呼んでいる戦車攻撃用の小型爆薬さえ携行していなかった。これではまさに「鏖殺」になると思ったとたんに、「転進」と大声で叫ぶ中隊長の声が聞こえて来た。いや、中村はその声を聞いたように思った。彼自身が「転進。分隊全員おれにつづけ」と後退の指令を周囲の、そこにいるはずの部下に発しながら自分でも死体の列のあいだの凹みを必死に伏せたままで後退し、死体の列が切れたところで波打ちぎわの岩礁に身を隠しながら林の末端にまでようやくたどり着くことができた。

 しばらくすると、部下の何人かがそこまでたどり着いた。彼らを連れて無言で林のなかを身をかがめて歩き、ジャングルにまで達したところで、中村は人員の確認をした。彼ががんばりで目立つ、そのがんばりで信頼して来た、彼の信頼に応えて従兵のようにいつも忠実に彼のあとをついて来る横山一等兵がまず、「班長殿、ご無事で何よりでありました」と声をかけて来た。「おまえも」と中村は応じ、「おまえはどこにいた」とことばをつづけた。「班長殿のすぐ横であります。班長殿といっしょにもう少しで刺突に立ち上るところでありました。惜しいことをしました。」彼は興奮の残る声で言った。語尾が少しふるえた。山口一等兵は死んだとべつの部下が告げた。その部下の横で、自動小銃弾の一発を受け、もんどり打ってひっくり返った。それきりだったと彼は告げた。中村は、分隊に軍歌を歌わせたとき、山口一等兵がドイツの兵隊が歌う歌だと言って鼻歌を歌った、いや、ハミングしたのを、ぼんやり思い出していた。すべてがもう何年か昔のことであるかのように記憶はぼやけていた。連想が現地召集の糸満出身の漁師兵に行った。「金城は……」ときくまでもなかった。漁師二等兵は呆然として横に立っていた。中村が「大丈夫か」と訊ねても、彼は口をきかなかった。いや、きけなかった。全身が痙攣したようにふるえていた。「金伍長……」と中村の連想はさらに進み、漁師二等兵に目をかけ、「特訓」をほどこしている、そのはずの分隊付下士官の安否を彼は訊ねた。「おれは生きているよ」とゆっくり声がして、金伍長はひときわ丈高いヤシの木のかげから、彼の人一倍、人二倍大きな鉄帽の頭を突き出した。鉄帽の塗料が剥げ、そこが少し凹んでいた。弾丸か、その破片がかすめたにちがいない。

 最初の集結地点にまで帰り着いてすぐ、中村は中隊長が戦死したことを知った。「中隊長殿は天皇陛下万歳を叫んで壮烈な戦死をとげられました」と横山一等兵とちがってがんばりではなく鼻の横のホクロが目立つ坂本上等兵が彼の姿を見るなりまえにやって来てそう告げてから、後任の中隊長はかっての彼らの中隊長の「ゲジゲジ隊長」に再度決まったと、もちろん「ゲジゲジ隊長」というアダ名ではなく隊長の正式の名前を礼儀正しく「殿」をつけて言った。「穴にもぐっての持久戦をあの隊長といっしょにやるのはどうも、だね」と横から金が口を出した。「しかし、分隊長、おたがいここまで生きのびて来た。中隊長がどう代ろうが、おたがい元気でがんばる。最後まで穴に隠れ、生きのびてたたかう。」さすがにやつれきった顔で金はつづけた。「勝つ」を、そのいつものように決然とした、しかし、距離をおいた口調で言う、いや、これは逆にも言える、距離をおきながら決然とした口調で彼が口に出すことばを中村は一瞬そのあと期待したが、金はかすかな笑いをやつれきった大柄な顔に浮かべただけであとは黙り込んだ。「そうだ、金伍長、貴様もおれもおたがいがんばる。」中村もうなずいた。たぶんかすかな笑いを彼も笑っていた。

 戦死した中隊長の顔が眼に浮かんで来た。憔悴しきった顔で訓示した彼の顔ではない。飛行場奪回の戦闘からようやく集結地点に到着したとき、「中村軍曹、でかした。貴様は米兵相手に刺突の模範演技をやってのけたそうだな」と自分の憔悴をその一瞬、忘れたように笑いながら言ったときの彼の若さと元気が一瞬でも表情に出たような顔だ。戦友は死んだ。もう彼は還らない。中村は唐突に思った。

 

     十三

 

 持久戦は果てしなくつづいた。日本軍側に言わせれば、持久戦はジャングル、山地に米軍を引きずり込んで、洞窟を複廓陣地としてたたかう縦深作戦の予想通りの展開にちがいなかったが、より戦闘の実態に即せば、どこにも出口のないどんづまりの事態のどうしようもない継続だった。その様相を日増しに戦闘はむき出しにして来ていた。

 二、三日でこの島をかたづけるつもりでいた米軍側にとって、彼らの誇る強大な艦砲射撃や空爆をもってしても破壊できない洞窟という天然の要害にひそんで斬り込み攻撃を連日連夜かけて来る、狂人のごとき日本軍相手のこの持久戦はまったく意想外の事態だったにちがいない。日本軍の斬り込み攻撃は決して現実的な勝利を彼らにもたらさなかったが、米軍側の死傷の数も着実に増加した。米軍の戦闘部隊の交替は頻繁に行なわれた。新来の増援部隊のなかに陸軍部隊がふくまれて来ているのは、これまでの上陸軍の主力だった、米軍のなかでも最強を誇って、他軍の介入を許さないという誇り高い海兵隊がそれだけ被害を受けて人員が足りなくなって来ている証拠だろう。——

 こうした情報は、生命がけで金が岩稜の中央洞窟の部隊本部に出かけて、彼の知己のハワイ育ちの敵情報収集係の下士官から聞いて来た情報だったが、「ゲジゲジ隊長」がときどき部隊本部からの正式通達として自慢顔に教えてくれる、自分たちの奮戦について感状がいくつも出されて来ている、自分たちの奮戦がまたもや大元帥陛下のお耳に入って特別のおことばをたまわったというような情報よりも、金の情報伝達を直接耳にすることのできる中村や中村の部下たちにとっては、このハワイ育ちの部隊本部の下士官が敵側のラジオから入手する情報のほうがはるかに気持を鼓舞してくれた。

 

 しかし、日増しに、日本軍にとって状況は急速に悪化して来ていた。斬り込み攻撃は米軍にたしかに死傷をもたらしはしたが、それ以上はるかに日本軍に死傷を招いた。死者の数は刻々と増え、負傷者は各洞窟に充満した。もはや、そこは複廓陣地というようなものではなかった。よくて野戦病院だった。洞窟の暗黒、くらがりのなか、負傷兵の悲鳴、うめき声、そして、血、傷、膿みの臭気、さらにはあちこちに放置された死体の死臭、腐臭は満ち、耐えがたいものにした。

 弾薬、食糧、水、薬品が不足して来た。弾薬を欠いては戦闘はたたかえないし、食糧、水を欠いては、兵士はたたかえない。薬品がなければ、傷ついた兵士は治療できない。集団殺戮、「鏖殺」にしろ、自然死にしろ、飢渇の果ての死を待つのみだ。醜悪な争いが、ことに洞窟の外に自らが出られない重傷の負傷兵たちのあいだに起こり始めた。それも「そのイモをこちらによこせ」のうちはまだよかった。それは、やがて、「そのトカゲの尻尾をおれによこせ。よこさないとおまえの胸元をこの銃でぶち抜くぞ」にまでなった。ことに深刻なのは水の不足だった。水の乏しいこの島での貯水は必要不可欠の事項だったが、洞窟内に貯め込んだ水は貯蔵タンクを洞窟内にぶち込まれて来る銃砲弾によって破壊されて急速に減少し、唯一の水源の泉はすでに米軍が奪ってしまっていた。「死ぬまえにせめて水を飲みたい。水をくれ」の必死の叫び、うめきはどの洞窟にも満ちた。

 これらの負傷兵の必死の叫びやうめきとともに洞窟のなかでひそかに始まり、やがて大声で平気で重傷の負傷兵が断末魔の息とともに言い出したのは、上官、戦友に対する、「おれをこんな目にあわせたのはおまえだ」のたぐいの悪口、呪咀だ。あるいは、「おい戦友、おれはもう自決したい。おまえの手榴弾をよこせ。おまえの銃でおれを射て。」誰かが言った。「おまえ、せめていさぎよく天皇陛下万歳を三唱してきれいに死ね。」べつの誰かがうめきのなかで言った。「それなら、おれをせめていさぎよく天皇陛下万歳を三唱してきれいに叫んで死ねるところへ連れて行け。」

 士気は低下した。斬り込み攻撃は各所でつづけられていたが、多くが米軍の歩哨地や野戦天幕を襲って、罐詰や水筒を持って来るだけの食糧奪取隊の斬り込みに変っていた。罐詰一個、水筒一筒もが洞窟内の何十人ものつかのまの生命を救った。あるいは、ただ罐詰の匂いをかぎ、水一滴を舌にのせるだけで、生きる元気をもたせた。

 ことに士気が低下したのは、艦砲射撃や空爆、あるいは戦車攻撃の常套手段では洞窟内に立てこもる日本軍をいつまでも掃蕩できないでいる現状に業を煮やした米軍が、火焔放射器で火焔を洞穴内に注ぎ込んだり、火のついたガソリン罐をころがり込ませて日本軍の全員焼死、あるいは窒息死をはかるとともに、ダイナマイト、爆薬を大量に投入して洞窟の上の岩稜を突き崩し、日本軍兵士が見たことも聞いたこともない、戦車のまえに鉄板がついて岩石を突き崩す工作機械までも動員して洞窟をまるごと破壊するなり、入口をふさいでなかの日本兵を生き埋めにする作戦に出始めてからのことだ。そして、さらに洞窟の周囲のジャングルそのものを強力な火焔放射器で焼きつくす。こうした米軍の新しい作戦は、全員焼死、窒息死にしろ、生き埋めにしろ、あるいは岩稜の破壊、ジャングルの焦土化にしろ、これまでの世界の戦争の歴史になかったものだが、とりわけ洞窟の日本兵たちを砲撃、射撃による集団殺戮とは別種の底知れない恐怖におとし入れたのは、全員焼死、窒息死と生き埋めの作戦だった。この作戦でやって来られれば、どんなに強固に築城された複廓陣地も放棄せざるを得ない。日本兵たちは、新しい洞窟を求めてジャングルのなかを彷徨し、彼らは容易に砲、射撃の集団殺戮の餌食となった。

 日本軍が制空権も制海権も完全に失ない、対空火器も使えなくなった今、島には島の外からの支援、補給は皆無だった。その可能性もまったくあり得なかった。島への援軍は、米軍上陸後まだかなり早い時期に本島から一部隊が派遣されて来た。総勢二百人ほどの先遣隊は「大発」その他で本島を深夜出発、島伝いに南下してほとんど全員が無事島の北端に早朝逆上陸することができたらしいが、かんじんの本隊は総兵力千三百人が途中の米軍の集中砲撃を受けて六分の五を失ない、結局到着できたのは二百名余だった。そして、先遣隊も本隊も、もうすでにそのときには全島にひろがった集団殺戮と斬り込み攻撃の死闘のなかにすぐ姿を没してしまった。その後、部隊本部は、増援軍の逆上陸戦闘後の位置と現在の戦況を報告するために現地召集の屈強の糸満漁師兵を中心に組織した海上強行突破の伝令隊を通じて、これ以上の増援部隊の派遣は無駄だとする意見具申を本島の司令部に対して行なっていた。

 米軍上陸からすでに二ケ月近くが経っていた。日本軍の状況はもはや絶望的としか言いようのないものだった。しかし、それでももはや複廓陣地とはとうてい言えない、ただの洞窟に日本軍は立てこもって斬り込み攻撃をつづけ、米軍は米軍で岩稜を強大な砲撃、爆撃で吹き飛ばし、ジャングルを焼きつくし、洞窟のなかへは情け容赦なく火焔放射器の火焔を注ぎ入れながら、まだ日本軍を一掃することはできないでいた。そのうち、この小島で死闘をつづける日米両軍にとって、考えようによってはどちらの側にとっても衝撃的な事態が起こった。それは、米軍の主力が、本来この小島の米軍海兵隊による攻撃、強行奪取が米軍本体のそこへの上陸作戦を容易にするために行なわれた、そのはずのこの島の西方に位置する重要拠点、フィリピンのレイテ島への上陸に成功して、今そこで日米両軍の激しい攻防戦が始まったことだ。米軍にとって事態がそうであったとすれば、日本軍にとっても、この小島の防衛、死守は元来まさにその重要拠点への米軍進攻、上陸を阻止するためのものだったはずだ。これでは、戦争の主戦場は、この小島で死闘をつづけている日米両軍の頭上を一挙に飛び越えて重要拠点フィリピンヘ行ってしまったことになる。そして、フィリピンは、米軍側にとって、そこから沖縄を通って日本本土に至る日本進攻の重要拠点であるとともに、日本軍側の日本本土防衛のためのそれこそ巨大な防波堤としての重要拠点だった。小島はもはや防波堤でさえなかった。戦争の大波は破壊されつくした防波堤を乗り越えて行ってしまった。

 しかし、それでもまだ日米両軍の死闘はつづいた。日米両軍は死闘をつづけた。砲爆撃、火焔放射、焦土作戦、生き埋め作戦によっての集団殺戮と洞窟の籠城に頼っての斬り込み攻撃との死闘だ。

 

     十四

 

 中央山地南部の死守を岩稜南部の複廓陣地を拠点として命じられた中村たち水際撃滅作戦の残存部隊と中部の守備部隊本部のあいだの通信連絡は、その中間地点のジャングル地帯を焼かれ、米軍に奪われてもう長いあいだ杜絶していた。最後の通信連絡は、金が部隊本部への連絡に、たぶんそこでハワイ育ちの敵情報収集係の彼の知己の下士官から情報を得ようとしたのだろう、自ら志願して行き、三日経って、他の何よりも中村たちの気持を鼓舞してくれた、敵側のラジオからの貴重な情報をもたらして来てくれたときだ。そのあと二日金は洞窟のなかにいて一度は中村が指揮した斬り込み隊にも参加して米兵ひとりを刺殺するという戦果をあげたあと(「あれはたしかに『クロンボ』兵だった。まっ暗闇のなかの『クロンボ』だったから、顔がよく見えんかったがね」とあとで彼は言った。「このへんは『クロンボ』兵がウヨウヨいる。あれは『クロンボ』兵を弾よけに使っとるのやないかね。」彼はそうつづけた)、彼は豪雨をついて部隊本部の洞窟が位置する中央部の岩稜めがけてまた発ち、そのあとまだ帰って来ていなかった(「豪雨をついて」ではなかった。「豪雨を利用して」だった。豪雨や濃霧は、今や洞窟とともに日本軍を護ってくれる天然の要害だった。べつの言い方をすれば、今や日本軍を護り、使い得る武器は、洞窟と言い天候と言い、唯一自然だけだ)。金はまた情報が欲しかったのだろう。屈強な糸満漁師だということで本島への海上強行突破の伝令隊の一員に光栄にも選ばれた金城二等兵に「おまえはよく地理が判らんだろう。迷って米軍につかまったら困る。おれが連れて行ってやる」と言い、そのころはまだ生きていた中隊長の「ゲジゲジ隊長」に強引にそう発令させて、胸に三月の本島の空襲で殺された奥さんと娘の写真をお守りにしてぶら下げた。ようやく「兵隊稼業」も板について来て、「金城二等兵、ただ今より決死伝令隊参加の命を受け、部隊本部に出発致します」の申告もそつなくやってのけた漁師二等兵を引き連れて、折よく猛然と強くなり出した豪雨のなかに洞窟から身を躍らせるように出て行った。そのあとうまく彼らが本部まで行き着いたのか、漁師二等兵がさらに本島まで無事に行けたのか、部隊本部とのあいだの通信連絡、交通が今や中間地点の米軍の存在によって一切断ち切られた南部の中村たちには、金がなんとかして帰り着いてくれない以上は知る由もなかった。いや、金自身、その中間地点でもうとっくの昔に息絶えてしまっているのかも知れない。

「ゲジゲジ隊長」は一度伝令二人を深夜、本部に送っていた。しかし、ひとりは戦死、他のひとりは重傷を負って這って引き返して来た。彼の苦しい息の下での報告によると、米軍は中間地帯のジャングルを焼き払ったあと、照明も完備したコンクリートか何かの道路を構築して、今は白昼さながらの明るい照明の下、戦車が行き来していてとうてい通れたものではなかった。それでも二人は強行突破をはかって、たちまち集中射撃をあびて戦友は即死の戦死、「自分だけがようやく引き返して参りました」と言い終ったあと、その生き残ったのも死んだ。死んだあと、彼の軍服のポケットから、彼が中間地点のどこかで手に入れたにちがいない米軍の兵士の煙草とチョコレートが出て来て、この「ルーズベルト給与」は洞窟のなかの彼のかつての戦友たちをしばらくよろこばせた。「ひとついかがですか」とチョコレートのかけらを持って来てくれたのがいたが、中村はことわった。

 

 岩稜南部の複廓陣地を拠点として中央山地南部を死守せよ——の部隊本部の命令は今やまったく意味をなさなかった。第一、拠点となるべき、米軍上陸以前に中村の分隊をふくめて守備隊が苦しい穴掘り工事、作業の連続で洞窟にやっとのことで築城した複廓陣地そのものが、火焔放射器の火焔攻撃、黄燐弾、ナパーム弾、焼夷弾の直接射ち込み、あるいは、ガソリンを直接注ぎ入れて火をつける、ガソリン罐に火をつけてころがし込む——というようなありとあらゆる野蛮な攻撃によって中村たち洞窟の日本兵が追い出されたあと、ダイナマイトを大量に投入されて爆破されていた。以後、この地域に無数にある小さな洞窟を見つけてはそこに適宜隠れ、ひそみ、生きのびては斬り込み攻撃をくり返すという持久作戦を中村と、中隊長のなきあと今や彼を指揮官とする小人数のもと水際撃滅作戦の残存部隊の日本兵はつづけていた。

 彼らを支えているのは、今はおそらく鬼畜米兵に対する怒り、憎しみだった。彼らを複廓陣地から追い出した米軍の文字通りの火あぶり攻撃ほど、彼らを恐れさせ、怒らせたものはなかった。彼らはそこで穴に火をかけていぶり出されるケダモノだった。そうでなければ、生きながら焼かれる中世の火刑場の罪人だった。火焔の怒濤の下の集団殺戮、「鏖殺」同様に、いや、それ以上にもはやこわいのは戦争ではなかった。救出の(すべ)もなく火焔のなかに取り残された重傷者をはじめとして多くが生きながら焼かれた。「ゲジゲジ隊長」もその憐れな火刑=戦死のひとりだった。

 ただ、彼のその生きながら焼かれた火刑=戦死はみごとだった。複廓陣地の洞窟の入口から大量に流し込まれたガソリンの引火で火だるまになった彼はそのまま奥へ逃げ込めばさらに被害を拡大するととっさに判断したにちがいない、腰の拳銃をすばやく抜いて自分の頭にあてがい引き金を引いて自殺し、その場に倒れた。火だるまのあまりの苦痛に耐えかねたとも、あまりの異常事に気が狂っただけのことだと見てもよかったが、中村はそういう見方をして彼の死を冒涜したくはなかった。そうした見方で彼の死を汚せば、自分までがそんな非人間的な、人を人と思わぬやり方で日本兵を殺す「米鬼」と同じことになる。このときほど、「米鬼」ということばを適切だと彼が考えたときはなかった。自分でも中村はそう思った。

「ゲジゲジ隊長」に代って四十人ほどになってしまった残存部隊の指揮をとることになった彼は、部下にむかって、「おれは『米鬼』をもう許せない。おれは仇をとる」と胸のうちにたまり込んだものを凝縮して吐き出すように重い口調で短かく言った。複廓陣地を米軍の火あぶり攻撃で追い出された日の夜、そのあと必死にころがり込んだ小さな洞窟のなかでのことだ。多くを語る必要はなかった。彼が言ったことは、おそらく火あぶり攻撃で米軍、米兵のなぶりものにされた部下の共通した気持だった。ひとりでも殺し返して死にたい。それはおそらく中村のみならず誰もが思ったことだ。その気持が彼らを支えた。

 次の日一日かかって彼らは作戦の準備をした。ただの銃剣と日本刀による斬り込み攻撃ではなかった。小銃十二、軽機関銃一、擲弾筒五、手榴弾五十、戦車爆破用小型爆薬四、攻撃人員三十八名の残存部隊の総力をあげての夜襲攻撃だった。目標は、ダイナマイト爆破作戦で破壊されたもとの彼らの複廓陣地でもあれば火あぶりの火刑場でもあった洞窟のすぐ下に砂嚢陣地を不遜にも構築した戦車五輌をふくむ米軍部隊。彼らこそ戦友を、生きながら焼き殺し、彼らをなぶりものにした張本人の米兵、いや、「米鬼」だった。

 しかし、夜襲は効を奏さなかった。何人かたしかに「米鬼」を殺すことはできたが、砂嚢陣地を占領することはできなかったし、勇敢に小型爆薬を戦車の下に仕掛けて爆発させることはできたが、巨大な重戦車はビクともしなかった。逆に「中村隊」の被害は大きかった。三十八人のうち十人が戦死、七人が中村自身をふくめて負傷した。

 戦死のひとりが、中村が目をかけて来た、彼も中村のその気持に応じて忠実に従兵の役割を果して来たがんばり屋の横山一等兵だった。中村は自分自身も負傷しながら、自動小銃弾を胸部に受けて半死半生になった横山のからだをひきずって歩き、明け方、小さな洞窟を見つけてそこに二人でころがり込むようにして入ったあと、血がしたたり落ちる軍服を銃剣で裂いて横山の傷を見たのだが、彼の胸には大きな穴が開き、明け方の洞窟の薄暗い、奇妙に淡い光のなかで、内臓がかすかに動いているのが見えた。「班長殿」と横山一等兵は苦しい息の下で言ったが、ことばはつづかなかった。すこしの間を置いて、「天皇陛下万歳」と唐突に言い、こときれた。自分がこのことばを誰であれ兵士のいまわのきわのことばとして聞くのはこれがはじめてだと、中村は唐突に思った。

 横山一等兵の最後を見とどけてから、彼は自分の傷の手当てにとりかかった。右脚の膝の下が自動小銃の銃弾で大きく剔られている。さっき負傷した直後にゲートルを強くまきなおして応急処置をしたのを雑嚢から包帯を取り出してもう少し本格的に処置をしてから、そこら一面の鋭角の岩石で皮膚を切って掌を真赤に血で染めながらその洞窟から這い出した。横山の死体は引っぱり出すことはできなかった。また引っぱり出したところで、どこへもって行けばよいのだ。長いあいだかかってもとの洞窟に戻って、彼はまず「おれはまだ生きているぞ」と自分で自分に確認するように言った。何人かの生存者の顔がふりむいたが、そのうちのひとりに金がいた。「おれもまだ生きているぞ。」金も言った。不精ヒゲを生やし、やつれきった顔をしていたが、中村も同じことだった。まちがいなくそうだったにちがいない。二人は微笑し合ったのではなかった。ただ、うなずき合った。

「金城は本島へ行ったのか。」

 自分が気にかけていた横山一等兵の死が連想を呼んだのか、中村は金の特訓の相手の糸満の漁師二等兵のことをまず訊ねた。行った、無事にとにかく着いたらしい、と短かく答えてから、金は意外なことばを口に出した。

「あいつはここになんとかして帰って来ると言っていた。」

 おどろいて金の顔を見る中村をゆっくり見返して、金はつづけた。

()けの一念ということもある。もうどこかに帰って来ているかも知れない。」

 そんな言い方をした。「なんでまた……」と口ごもってから、中村はつづけた。「そんなことをするんだ。」怒ったような口調に自然になった。

「あいつはこう言った。本島へ帰っても、妻も娘も死んでしまった。誰もいない。それにもうすぐまちがいなく戦場になる。故郷の沖縄へはもう帰れないし、帰れたところで、早晩、あそこも玉砕の戦場になる。だったら、ここでみんなといっしょに死ぬほうがいい。」

「みんな?」

思わず反問する中村を金はまたゆっくり見返した。

「おれ。分隊長、おまえ。」

金ははじめて中村に「おまえ」ということばを使って言ってから、ひとり言をつぶやくように口調をかえてつづけた。

「おれもここに帰って来た。」

ボソリとそう言ってから、金はアグラを組みなおした。

「あっちでは軍旗を焼こうとしている。」

「あっち」が部隊本部を意味していることは中村にもすぐ判った。部隊長の「武人」の顔がゆっくり中村の心のなかに浮かんで来た。「武人」の顔は明瞭に心の画面に出たが、画面全体がまるで望遠鏡のレンズをさかさにして見たようにはるかに遠ざかって小さく見えた。

「部隊長は……」と言いかけた中村を金はさえぎって、「現存兵力は健在者約五十名、重傷者約七十名、総計百二十名、兵器小銃のみ同弾薬約二十発。統一ある戦闘を打切り残る健在者約五十名を以て遊撃戦闘に移行、飽くまで持久に徹し米奴撃滅に邁進せしむ。重軽傷者中戦闘行動不能なるものは自決せしむ。……これが本部が司令部に送った電報だ。そいつらの自決はもうすんだ」とつづけた。「部隊長は……」ともう一度中村は言った。「自決されるだろう。もうすぐ。」金は乾いた口調で答えた。「いや、もう自決されているかも知れない。」

 そう言ってから、いつもの彼の知己の敵情報収集係の下士官から聞いた話だと前おきして、米軍の主力がフィリピンに上陸して、今そこで猛烈な戦闘が行なわれている。ここはすでに見捨てられた戦場だ、と金は同じ乾いた口調でつづけた。

「しかし、おれはたたかう。」

 しばらく黙ったあとで、中村はその金のことば——金が伝えてくれた情報に全身でさからうようにことばに力を込めて言った。「金伍長、おまえは……」とも言った。

「おれはここに帰って来た。」

 金は中村の問いに答える代りにそう言った。

「そいつはどうした。」

 と口調をかえて中村は訊ねた。

「その下士官は……おまえにその話をしてくれたそいつは……」

「死んだ。……おれにその情報を教えてくれたあとに斬り込みに出て戦死した。」

 金は一瞬考え込むように黙り込んでから答えた。

 

     十五

 

 砲爆撃、火あぶり火刑、生き埋め攻撃、あるいは、直接の銃火器による攻撃に追われて、洞窟から洞窟へ追われる日々が、中村と金、そして、二人の下士官によって指揮され、二人につき従うわずかな数のかつての水際撃滅作戦の残存部隊の兵士たちに始まった。それはまさに彷徨と言ってよかった。そのなかで次から次に兵士は殺され、傷つき、傷ついたあげくに自決した。そして、事態がもっとも絶望的になって来たのは、火器、弾薬の欠乏、減少もさることながら、食料と水の不足が深刻になって来たことだ。ことに水の不足は決定的だった。

 中村自身をふくめて負傷者までが参加して斬り込み攻撃はいまだに果敢に行なわれていたが、その目的はもはや勝利のためのものではなかった。殺した米兵の水筒を奪うための斬り込み攻撃だった。もちろん、戦果は水筒だけに限られなかった。血まみれになった米兵の雑嚢を奪い、軍服のポケットからはチョコレート、ビスケット、煙草、手当り次第に奪って逃げた。

 しかし、こちらの損害も甚大だった。戦死者も負傷者も、殺した米兵以上にはるかに数多く出た。金も傷つき、中村ももう一度負傷した。金が左腕に受けた負傷は軽傷だったが、中村の再度の負傷は腹部の盲管銃創で、これはまぎれもなく生命にかかわる重傷だった。ふつう腹部盲管の傷は助からないと言われている。それは中村も昔からよく聞かされていたことだ。血がまさに噴出して来る腹部の傷口から激痛が全身を襲ったが、もうひとつ中村の全身をとらえたのは、もうこれで自分は助からないという底知れない恐怖だった。中村は次第に朦朧として来る意識のなかでそれでも必死に声をふりしぼって、彼のからだを引きずるようにしてその現場のすぐそばに運よくあった洞窟にいっしょに入り込んでくれた金に、彼の雑嚢に包帯はないが千人針が入っている、その布で傷口を覆い、腹部を巻いて固く縛って出血をとめてくれと手短かに頼んだ。金は自分も負傷しながらも機敏な動作で中村の頼んだ通りのことをしてくれたが、その千人針は、中村がこの島に来る直前に本島の神社で話しかけて来た老女性にもらったものだった。その自分の息子のためにつくったものだという千人針は雑嚢の底に入れたまま忘れてしまっていたのを先日の負傷の処置に包帯を使ったときに見つけ出して、これはこれから包帯代りに使えると中村は考えて来ていたのだ。

 出血がこの千人針による止血で少しはとまったのかも知れなかった。痛みも少しは軽くなったようにも思えた。中村は無言で眼を閉じてしばらく横になっていた。このしばらくがどれだけの長さのしばらくなのか、中村にはもうよく判らなかった。眼を開けると、横に金が坐っているのが見えた。「大丈夫か」というぐあいに彼も無言で中村の顔をのぞき込んだ。中村は静かに、もうこれ以上おれの世話はしなくていい、と金に言った。おれはもう長くはないだろう。しかし、生きるだけは生きて、傷が少しでもよくなれば、またたたかいに出る、そうひとり言をつぶやくように言って、少しの間をおいて、傷がよくならないのなら、おれは死ぬだけのことだ、おれは手榴弾一発は雑嚢の底に残している、とつづけた。だから——とまた少しの間をおいて、おれをここに放っておいて、もとおれたちがいた洞窟に立ち戻ってくれ、あそこにはまだ武器も弾薬もある、まだ、その武器と弾薬でたたかえる、たたかってくれ、おまえひとりになっても、たたかってくれ、と中村は言った。たたかって、勝ってくれ、ともう少しのところでことばは出かかったが、その気持がしたが、最後のことばは彼の口を出ることはなかった。

 金は無言で中村のことばをおしまいまで聞いていた。中村が話し終ると、無言をつづけながら、ぎっしり小さな文字が印刷された汚ない紙片をさし出した。中村はさし出されるままに手に取り、金の背後の岩壁の割れ目から入って来るほのかな外光に紙片をかざすようにして見ながら文字を読んだ。

 

  * *

 勇壮なる日本軍将兵に告ぐ!

日本兵の勇敢なのにはつくづく感心する。これまで戦へばモウ皆さんの任務は終つたと思ふ。これ以上やるのは無駄だ。皆さんはモウ日本の軍人としての使命は十分に果された。速かにこの勧告文をもつて米軍の歩哨のところに来なさい。わが方では皆さんの来るのを待つてゐる。今後の日本を背負つて立つのは君等であるからこれ以上無益な戦さをして、無駄に命を捨てるな。日本空軍は何をしてゐるか。今や一機も来ないではないか。日本海軍は今台湾へ追ひつめられて全滅の一歩手前にある。一日も早く戦争をやめて、故国の懐しい父母、兄弟、妻子のもとへ帰れ。彼等は皆さんの無事な帰還を待つてをるぞ。我等は皆さんの命を助け、無事な帰還を保証する。……

  * *

 

 中村は顔をあげた。声をふりしぼって言った。

「おまえはおれに俘虜になれと言うのか。」

 紙片を持つ手がふるえた。そのまま金の手に押し返した。

「ちがう。」

 金は人一倍、人二倍大きな鉄帽の頭で大きくかぶりをふった。

「おれはおまえに生きていて欲しいからだ。……おまえは傷ついている。このままでは助からん。米軍には医者がいる。病院もある。……」

「おまえは自分が俘虜になって助かりたいんだろう。」

 中村はまた声をふりしぼってさえぎった。怒りが全身をとらえ、みなぎった、ことばが口を()いて出た。「おれは日本人だ。おまえのような……」一瞬のためらいを押し切って中村はつづけた「朝鮮人とちがって、俘虜にはならん。」

 激しい衝撃が金を襲ったように見えた。苦悶が彼の表情をゆがめた。そう見えた。

「おまえまでがそう言うのか。」

 金の眼が異様に光った。ふるえる手で紙片を引きちぎって破った。

 部隊本部でもそうだったと金は話した。この紙片を持って来て、そう言ったのがいた。おれはこんなところでたたかえない。死ねない。そう思った。ここでたたかおう。死のう。そう思ってた。そう思って帰って来た。金は短かくことばを切って、重ねた。ことばのひとつひとつに怒りがこもっていた。怒りでことばがふるえた。

「しかし、今、おまえまでがそう言った。」

 金は自分の短かく重ねたことばをしめくくった。口調が静かなものになった。

「おれはおまえともういっしょにたたかうつもりはない。おれはひとりでたたかう。たたかって……」

 そのあと「勝つ」と言ったのか、「死ぬ」とつづけたのか、中村には聞こえなかった。いや、金はたぶん何も言っていなかった。金は中村をみつめていたが、彼の眼はもう中村を見ていなかった。何か他のものを見ていた。そう中村には思えた。

 おれがなぜ特別志願兵に志願してなったか、言ってやろうか、と金は唐突に言った。それは、おまえら日本人に朝鮮人がこれ以上馬鹿にされたくなかったからだ。馬鹿にされて生きて……一瞬のためらいがことばの切れ目に出たが、彼はすぐことばをつないだ。殺されたくなかったからだ。

 金はそばに置いた小銃を手に取って立ち上った。誰か戦死者が持っていた三八式小銃だったが、彼はその旧式の小銃で何人か米兵を殺していた。ゆっくり出口にむかってゴロタ石の散乱のなかを登って行ったところで、金はふり返って、また短かく言った。

「ひとつだけおまえに言っておきたいことがある。おれの親父は関東大震災でおまえら日本人に殺された。」

 一瞬の間をおいて、中村は声をふりしぼって言った。

「じゃあ、おれを今殺せ。おれは日本人だ。」

 一瞬の間をおいて、金もことばを返した。

「おまえは今傷ついている。おれは負傷者はアメリカ兵も日本兵も殺さん。それはおれのいくさの……おれの兵隊の、おれの兵隊稼業のオキテだ。」

 金は「おれ」をくり返しながら、その「おれ」のひとつひとつに力を込めた。「日本兵も」にも力を込めていた。中村の耳にそう彼のその一語は聞こえた。

 洞窟の入口で銃声がした。誰かが入って来るけはいもした。金は熟練した兵士の機敏な動作で小銃を抱えなおすと、すばやく洞窟の入口につづくゴロタ石の傾斜を駆け登った。

 彼が姿を消したとたんにまた銃声が激しく鳴りひびき、しばらくそれはつづき、やがて静かになった。

 誰かが入って来るけはいはなかった。金も還って来なかった。

 

 深い寂寥が中村の心に来た。いや、全身をとらえた。ひとりになったという気が中村にはした。全世界でひとりになってしまったという気持だ。それまでは、自分がたたかうことで、いや、死ぬことではるか離れた日本とつながっている気がしていた。しかし、今、その気持はもう中村にはなかった。すべてから断ち切られて、洞窟のゴロタ石の上にひとりころがっている。死のうと思った。もう死ぬべし、だと思った。

 彼は遺書を書いた。いや、その文面を思い浮かべた。……ご両親様、ふつつか者の、これまで何んの親孝行のお返しもして来なかった私をこれまで育てて下さったこと、ありがとうございました。しかし、私は立派にたたかいました。天皇陛下のために、国のために、ご両親様のために、帝国軍人として決して恥じ入ることのないたたかいをして来ました。これ以上思い残すことはありません。傷ついた私がもうこれ以上たたかえないのは残念ですが、ご安心下さい、私は立派に自決します。……

 そこまで心のなかで書いて、少し間をおいて、最後に、天皇陛下万歳、とつづけて書いた。それは署名だった、いや、あかしのようなものだった。これでおれも靖国神社へ行ける、と思った。

 しかし、せめて水を飲みたい、飲んで死にたい、とつづけて思った。渇えは耐えがたかった。傷の痛みもまた増して来ていた。この暑いなか、すでに包帯代りの千人針の布の下で傷口では蛆虫の繁殖も始まっているにちがいない。蛆虫が繁殖すると、痛みは激増するという話も中村は聞いていた。この燃えたぎるように暑い、刻々と暑くなって来ている洞窟のなかで汗まみれになって死ぬのなら、せめてものことに自決のまえに水を飲んで死にたい。思う存分とまでは言わない。せめて水筒のフタ一杯を飲んで死にたい。——

 ふと、水のけはいがした。いや、匂いがした。気がつくと、洞窟のどんづまりだと思っていた中村の背後の岩壁に人ひとりが這いつくばってなら辛うじて通れるほどの小さな割れ目があるのが見えて、そこから水のけはい、匂いがして来ていた。

 長い時問をかけて——そう彼には思われる時間をかけて、中村は割れ目に這って入り、這って出た。割れ目の先はもうひとつべつの洞窟になっていて、地面には土があった。土はたしかに湿り気をおびていた。しかし、彼は這いまわりながら水を探し求めたが、水はどこにもなかった。おしまいには、地面の土に中村は口を当て、舌をつけた。舌は湿り気を感じとることはできたが、それ以上ではなかった。中村は眼を閉じた。気が次第に遠くなった。渇えとさらに増して来る激痛のなかで、それは救いだった。

 

 声がした。女の声だった。おどろいて眼を開けると、たしかに汚れきったワンピースを着た女が彼の横にかがんで、顔を見下していた。顔もどす黒く汚れていたが、まぎれもなく女だった。顔の両側に垂れ下った長い黒い髪とその汚れきったものながら水玉模様のワンピースがそのあかしだった。泥と血痕らしいどす黒いものがいちめんにこびりついた水玉模様の褪せて薄れた水色が眼にしみた。女は口を開いた。「ここには水はないのよ。」日本語だった——と中村がおどろいたのは、女は彼がこれまで、米軍上陸前に二、三度島のどこかで見かけたことのある島民の女だと決め込んでいたからだ。「水はないけど、これをあげる。」女はパパイヤのかけらをさし出した。中村は黙ってかけらを受け取ると口にやった。むさぼり食べた——のではなかった。むさぼり飲んだ。もっとないのか、というそぶりを飲み終ったあと、中村はしたにちがいない。もうないのよ、というふうに女は笑った。エクボが右頬に出た。年配の女だった。

 しかし、少し落ちつくことはできた。中村のその様子をみきわめたように女は口を開いた。「わたしはピーだよ」と唐突に言ってから、はじめは××、次は××というぐあいに、中村の知らない、しかし、戦場の情報のなかではいくらも聞いたことのある地名を並べたてて、わたしはそこの慰安所で働いて来たのだとつづけた。たいていが南部太平洋から中部太平洋にかけての島嶼の島の名前だった。玉砕の島の名もなかにあった。「アメさんに追われて逃げて来た。」女は笑った。また、右頬にエクボが出た。「おまえは朝鮮ピーか。」中村は訊ねた。「ちがう。わたしは日本人。日本ピー。大阪生まれだから、大阪ピー。」そう少し冗談めかして言ったあと、しかし、朝鮮ピーはどこにでもいたんだよ、わたしみたいに商売でやって来たのでなくて、力ずくで強制的に連れて来られたのがいくらでもいた、とつづけた。そのかわいそうなのが、玉砕のいくさに行くかわいそうな兵隊さんを抱いてあげて、兵隊さんが死んだあと、お線香あげておとむらいしていた。「ほんとうかね。」中村は訊ねた。「ほんとう。」女は答えた。

 本島からカレを追って来たのだと言った。彼女のことばはそう片仮名で中村の耳に唐突に押し入って来た。太平洋の各島から逃れて来て本島にまでたどり着いてまた商売を始めたところで、戦争が追いついた。そんな言い方を女はした。本島でわずかの期間だが商売をしていたあいだにできたお客に、彼女がめずらしいことに心底から好きになったカレがいた。それが現地召集で兵隊にとられて、ここまで送られて来た。本島にいても、どうせ死ぬのだ、と思った。じゃあ、ここでカレといっしょにアメさんとたたかって死んでやれ、と思った。それで来た。「ほんとうかね。」中村はまた訊ねた。「ほんとう。」女は答えた。「金城」という名が中村の心に浮かんで消えた。それはどうでもよかった。そう中村は思った。「カレはどうした。」中村は訊ねた。「死んだ。わたしが着いたとき、もう死んでいた。天皇陛下万歳を叫んで壮烈な戦死をとげた。……そういう話だよ。」女はまたかすかに笑った。エクボは出なかった。

「おまえはこれからどうするのだ。」

  しばらく経って中村は訊ねた。

「死ぬ。死にに来たのだから。」

 そう言ってから、彼女はキッとした表情に一瞬なった。

「その前にわたしはアメさんとたたかう。たたかって、カレの仇を討つ。」

 しかし、どうやってたたかうつもりか、と中村が言い出すまえに、女は、横の三八式小銃を眼顔で指した。「おまえは銃の射ち方を知っているのか」と中村は訊ねた。「知っている。」女は答えた。「わたしのお客の兵隊さんがたくさん教えてくれた。ねだると、わたしの気をひこうとしてね。」女は笑った。今度はたしかに右頬にエクボが出た。女は銃をとって立ち上った。

「その銃をおれによこせ。おれがたたかってやる。おれは射撃の名手だ。」

 中村はどなった。いや、そのつもりだったが、声は力弱くかすれて出た。ひどくぶざまだった。その気がした。女はかぶりをふった。

「カレはわたしがはじめてほんとうに愛した男だよ。これはわたしの愛のいくさだよ。だから、わたしのいくさだよ。」

 女の眼が異様に輝きをもった、その眼で女は中村を見た。

「わたしのいくさはわたしがする。」

 そう言い残して、女はさっき中村が這って出て来た割れ目に入り、姿を消した。女の持つ小銃がつかえたのか、ガチャリと金属性の音が洞窟いっぱいにひびきわたった。

 

 

    * * *

 

 島のガイドがジャングルのなかに突き出た岩山を見上げながら、あそこには面白い話があると、彼が案内して来た日本人に言った。自分はまだそのときには生まれていなかったから実際のことは何ひとつ知らないのだが、この島での日本軍の「ギョクサイ」の戦闘があったとき、本島で娼婦だった日本人の女が守備隊兵士の恋人を追って来た。「ギョクサイ」のいくさが始まるまえか、始まってからのことか、判らないが、とにかく彼女は禁をおかしてやって来て、あの山のつい下の洞窟に恋人といっしょに隠れた。恋人はそこで死ぬのだが、恋人が死んだあと、彼女は自分で銃をとってたたかい始めた。——

 戦後生まれだという、それでもかなり年配のガイドはそう下手な日本語と日本語よりは少しはましな英語をこきまぜてしゃべってから、相手の白髪の日本人に、女はたいへんな奮戦をしたらしいですよ、あの山のてっぺんに登って、銃を射ちつづけて、下の米兵をたくさん殺し、上空の飛行機まで射ち落としたというのですからと、今しも尾の長い、白いグライダーのような鳥が、たいして高さは高くはないが急峻にそびえ立つ岩山のまわりをまわって滑空するように飛び去って行くのを見ながら言った。「米軍は、その勇者が女であったことを、女が最後に射たれて、てっぺんから下にころげ落ちたときにはじめて知ったそうですよ。」ガイドは白いグライダーのような鳥から白髪の日本人の客に視線を戻してあいかわらず下手な日本語とそれよりは少しましな英語のこきまぜでつづけてから、さらにもうひと言言った。

「お客さん、こんな話、信じますかね。」

 口調にどこか、そんな馬鹿な話、とはじめから決めてかかっているようなひびきがあった。馬鹿な連中が馬鹿ないくさをして死んだ。そのひびきもたしかにあった。

「信じる。」

 日本人の客はゆっくり自分の国のことばで答えてから、

「わたしはそのときここにいた。」

 とつけ加えた。

「わたし……」

 と言いかけて「わたし」を「わたしら」に言いなおした。

「わたしらはここにいた。ここで……」

 一瞬の間をおいて彼はつづけた。

「たたかった。」

──了──

 

この作品は「新潮」一九九八年一月号に発表された。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/06/02

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小田 実

オダ マコト
おだ まこと 小説家 1932年~2007年7月30日 大阪府に生まれる。『HIROSHIMA』によりロータス賞、『「アボジ」を踏む』 により川端康成文学賞。最期まで、表現者として十全の活動をした姿は、感銘を与えた。

掲載作は、1998(平成10)年「新潮」1月号初出。