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詩集『山芋』(抄)

 

目 次

  山 芋

  畑うち

  虫けら

  雑 草

  虫けら

 

 

山 芋

 

しんくしてほった土の底から

大きな山芋(やまいも)をほじくりだす

でてくる でてくる

でっこい山芋

でこでこと太った指のあいだに

しっかりと 土をにぎって

どっしりと 重たい山芋

おお こうやって もってみると  

どれもこれも みんな百姓の手だ

土だらけで まっくろけ

ふしくれだって ひげもくじゃ

ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手

これは まちがいない百姓の手だ

つぁつ(*)の手 そっくりの山芋だ

おれの手も こんなになるのかなあ

 

          *つぁつぁ=父おや

 

 

畑うち

 

どっかん どっかん

たがやす

むっつん むっつん

たがやす

鍬をぶちこんで 汗をたらして

どっかん どっかん

うんとこ うんとこ

たがやす

 

葡萄園(ぶどうえん)の三人兄(*)みたいに

深くたがやせば たからが出てくる

くわの つったたるまで たがやす

長い長い ごんぼうできよ

まっかな人蔘(にんじん)もできよ

ぶっつん ぶっつんと

でっかい大根もはえてこい

かぶでも 山芋でも でっこくふとれ

 

たがやせば 畑から たからがでてくるのだ

汗をたらせば たからになって 生まれてくるのだ

うまいことを いったもんだ

けれどもそれは ほんとのことだ

ぐっつん ぐっつん

腰までぶちこむほどたがやす

星がでてくるまでたがやす

 

          *葡萄園の三人兄弟=フランス童話。イソップ物語にもある。

 

 

虫けら

 

畑をたがやしていると

いろいろな虫けらがでてくる

土の中にも

こんなに いろいろなものが生きているのだ

こんな 小さなものでも

すをつくったり こどもをうんだり

くいあいをしたり

何をたのしみに 生きているんかしらないが

ようも まあ たくさん 生きているもんだ

 

 

雑 草

 

おれは雑草になりたくないな

だれからもきらわれ

芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう

やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても

ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば

すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまう

だれからもきらわれ

だれからもにくまれ

たいひの山につみこまれて くさっていく

おれは こんな雑草になりたくないな

しかし どこから種がとんでくるんか

取っても 取っても

よくもまあ たえないものだ

かわいがられている野菜なんかより

よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草

強い雑草

強くて にくまれもんの雑草

 

 

虫けら

 

一くわ

どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から

もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる

土の中にかくれていて

あんきにくらしていた虫けらが

おれの一くわで たちまち大さわぎだ

おまえは くそ虫といわれ

おまえは みみずといわれ

おまえは へっこき虫といわれ

おまえは げじげじといわれ

おまえは ありごといわれ

おまえらは 虫けらといわれ

おれは 人間といわれ

おれは 百姓といわれ

おれは くわをもって 土をたがやさねばならん

おれは おまえたちのうちをこわさねばならん

おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが

おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする

おれは こまった

おれは くわをたてて考える

 

だが虫けらよ

やっぱりおれは土をたがやさんばならんで(*)

おまえらを けちらかしていかんばならんでや

なあ

虫けらや 虫けらや

 

          * たがやさなければならないのだよ

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2016/01/08

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大関 松三郎

オオゼキ マツサブロウ
おおぜき まつさぶろう 詩人。新潟県生まれ。1926(昭和元)年9月7日~1944(昭和19)年12月19日。農家の7人兄弟の三男。山口県・防府の海軍通信学校を経て、海軍に志願。1944(昭和19)年12月、マニラの海軍通信隊に赴任する途中、南シナ海で魚雷攻撃に遭い、乗っていた輸送船とともに沈没、戦死した。18歳であった。

掲載作の詩集『山芋』は、生活綴方運動の教師の指導の下、大関松三郎が高等小学校6年生の1年間に書き貯めた詩を自分でまとめた、というもの。戦時中、官憲に押収され『山芋』も所在不明になった。戦争が終わる半年余り前に松三郎は戦死してしまったが教師たちは松三郎の「若く雄々しい魂」を悼むとともに、散らばっていた詩篇を拾い集めるようにして詩集『山芋』を蘇生させた。1951(昭和26)年、百合出版から初版が刊行され、版を重ねた。小学生らしからぬ観察眼や表現力の鋭さに指導した教師と児童との合作ではないか、という批判もあるが、大人とは違う感受性を感じる。詩集抄録にあたっては、1967年刊の同書(新版第11刷)所載の23の詩篇から5篇を選んだ。「虫けら」という詩は、2つあるが、詩作力の成長がうかがえると思い所収した。「大将でもないし 敵でもない」という表現は、詩が書かれた1938(昭和13)年の戦時色が12歳の少年のうちにも刻印を残している証であろう。

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