詩集『白い記憶』(抄)
第Ⅰ章 白い記憶
白い記憶
八十歳を迎えようとするとき
父は地元の「医師会報」にと
自分の歩んだ道を
体験談を交え
口伝で私に書き記させた
戦時中に父が書いた
ガリ版刷りの戦時記録を
初めて目にしたのも
その時だった
父はどこに記憶を仕舞っていたのだろう
淀みなく正確に
日時まで入れて淡々と語り
私はそれを書き取っていく
母が時には顔をのぞかせ
口を挟んだりもしたが
昭和九年
父は予備役として台湾に渡る
中国での激戦から救出され
一度は帰国して後の応召だ
衛生兵から医師になった父の元へ
母は単身嫁いで行った
それから十年
広島と長崎への原爆投下
そして惨めな敗戦を迎える
しばらくは中国人を相手に
医療に携わっていた父だが
いよいよ帰国というとき
財産は没収され
米一升とわずかな所持金に
まだ幼い兄姉四人を連れ
引き揚げ者満載の貨物船に
父母はようやく乗船した
海は荒れ
苦しむ船酔いも
昭和二十一年四月二十八日
広島湾沖に一晩停泊しておさまる
DDT散布後
大竹港から上陸する
原爆投下から八ヶ月後の広島
広大な焼跡の一隅で
母は米を炊いた
「白いご飯の味は忘れない」
と語る老いた父の顔
国のために
一命を捧げんとした
一人の医師は
戦争の悲惨さと
生命への畏敬とが
気持ちの中で交錯し
思わず複雑な笑顔を浮かべる
敗戦の味を嚙みしめた家族
その時私は
母の胎内に宿され
臍の緒を通し
広島を感じていた
見えない目
聞こえない耳
動かない体のまま
わずかに心音だけを響かせ
生前父が低い口調で
(戦争だけは・・・)
と呟いた言葉は
かつて若いころに訪れた
原爆ドームの記憶と重なって
六十歳を過ぎた私に
いま 鮮明に甦るのだ
母
(1)
家を出ようとすると
母は追いすがるように
小走りに出てくる
アマリリスの花が開いたよ
戻ってみると
大輪の白い花
みずみずしく凛として咲いている
よく見ると
ちょっと赤みがかっているんだよ
(ぼくには見えない)
花の中にのみこまれそうな
母の小さくなったからだ
二人でじっとみる
(2)
母はみるみる小さくなっていく
もう少しで峠だよ
あの峠を越えれば
あなたのもとめている世界が開ける
もうこちらを見ずに
ずっと前を向いて
歩いて行ってください
――――先に旅立った人たちは待っています
ぼくは見送っていよう
あなたが向こうの
新しい国につくまで
いましばらく
時のたつのも忘れて
(3)
白い菊を手にして
母がほほえんでいる
花を愛した母だから
写真の奥から
声が聞こえてくるようだ
(花はまた咲くよ これはもらって行くよ)
沈黙の時間がそこにある
動かない空間がそこにある
あのとき
あの瞬間
そのまま 現在
そして
永遠
*アマリリス‥球根の鉢植えを誕生日にプレゼントしたもの。
兄
(1)
兄は三十六歳のとき
不治の病になり
まだ小さい子どもたちを膝に抱いて
近くの公園で最期の花見をした
蒼白な表情に
すでに死期を予感していたが
再入院して一ヶ月後
兄は無言のまま旅立った
自分のハンカチを湿らせ
死に水をとったのは母
母は嗚咽し渾身の悲しみを表した
それが精一杯
自分の子にしてやれることだったのだ
花見はいやだとつぶやいた母
以後 母は二度と口にしなかった
桜は離別を意味し
美しければ美しいほどに
離愁をさそう
あの日から二十七年
かつて兄が農薬会社に初めて就職をした頃
部品を購入し組み立てた自作のステレオで
ボリュームを気にしながら
二人 粗末な下宿で聴いた
「断頭台への行進」
――――今は私だけの記憶になった
(2)
S大農学部で応用昆虫学を専攻した兄は
カメラの接写のほかに
昆虫の点描をよくした
石橋を叩いて渡るような性格で
根気よく几帳面に
自分が納得するまで
一つ一つ点を打ちながら
昆虫の絵を描いていく
何もかもがその調子で
おシャレな彼だったが
何がどう人生を動かしたのか
不意に病が襲ったのだ
S医大で薬理学を教えていた次兄が
開腹手術に立ち会ったが
すでに手遅れ
進行性胃癌
病名が分かってから
わずか半年で兄は逝った
何喰わぬ貌をして
時間は流れていく
その流れの無音の調べの中に
ふとつぶやいてみる
もっとゆっくり
もっとのんびりと
旅
旅人のわれも数なり花ざかり*
不意に
鶯か何かの鳴き声に似て
くるくると耳をくすぐってきたものは
列車に乗り込んできた東北弁
女子高生の明るい声
流れいく車窓の風景に見入る
傍らには友二人の輝く顔がある
酒田市での高校総体の夏 八月
弓を習い始め
わずか半年で優勝
受験勉強をやりながらの列車での旅だ
わたしたちは信州から飯山線経由で
親不知と反対側をさらに北上していた
大会当日
予選一回戦であっさり敗退
恩師に連れられ
最上川鉄橋を渡り
敗北を嚙みしめ
仙台に入る
松島廻りの船の中で
芭蕉の句を口ずさみ
明るく笑い合っていたが
奇岩と海の青さにすべてを忘れ
青春の真中にまぶしさだけを刻み込む
十七歳のかがやき
この時から
わたしの旅は始まっている
*井上井月 ‥江戸安政年間に越後から信州伊那に漂着し、明治二十年入寂までの三十年間、伊那谷を放浪した俳人。
捨てる
桜の季節になると
世界はなぜか哀愁を帯び
桜前線の先陣をきってくしゃみをする
花見というしかたで
人は死と向き合い
もっとも厳粛な一日の終わりを知る
その昔
武士は 潔く
美しいものと向き合って自刃した
今では
時も場所も選ばず
衝動的に死を選ぶ
自ら生を受けた命だからと
懸命に生きてきたのに
生きていくことへの
架橋をあっさりと捨ててしまう
過去 現在 未来
いまわしい時間の序列はすでにない
すべては無であり
無の一点から
有を現じている
時間
矢はまっすぐと
わたしの内奥に向かって
突き進む
かつては人を殺した道具だが
それは生きている魔物のように
わたしの血脈を遡る
一瞬のうちに
記憶のなかの白い的の中心が
鋭い音をたてて射抜かれる
わたしの生は終わり
静寂そして無
あとには
新たな時間が
命への芽吹きが生まれる
友
わたしの生は
日々 年老いて
無の世界に向かっている
泳ぎを知らなかった小学生のころ
夢中になってウシから
川の深みに飛び込んだことがある
遊びのなかで命を賭けた
度胸試し
いま生きているのは
溺れてもがくわたしを
水中から引き上げ助けた
友がいたからだ
武士道とは死ぬことと見つけたり
今は亡き友の眼差しが
やさしく笑うように
それでいて
物憂げにこちらを見ている
*ウシ‥坐かごに石を詰めて川に沈め、水に流されないように、太い木の丸太をウシの角のように組んであったもの。
肖像画
長い間 壁に掛かったまま
石のように
世界を閉ざし続ける
肖像画がある
さみしさは
さみしさの中に宿っている
さみしさがさみしさを離れ
遠く野辺の花路をさまよい
あるいは山嶺に憩う雲の影になり
時には落葉松の無数の針の
降りしきる音になり
たとえ冬山の雪渓に光る
目映い沈黙になっても
さみしさは
決まっていつも
さみしさに帰っていく
日差しに向かって
目をつむると
さみしさもまた
微かな温もりを連れ
意識の底にしずむ
寒い冬の一日
黄ばんでいく刻の流れを
鮮やかに遡ってくるのは
死者を頬笑ませる
漆黒の遺伝子たちだ
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/12/21
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