詩集『シルクハットをかぶった河童』抄
象のサーカス
スパンコールのきらきらの数だけ
哀しみを喰べたおまえたち
身売りして来た
故郷のあの村のあの仲間の代表だ
ほこらかに鼻をもちあげ
口をほっと開け
細い目で充分に微笑んで
「せーの」の鞭のひと振りで
インドの背中にアフリカが
アフリカの背中にインドが
前足をのせ寄りかかって輪を作ると
太陽の国は大きく丸く
国境の傷跡はどこにも見えなかった
調教師はにこやかに手をあげ
おじぎをした
おまえ達の耳もひらひらと
おじぎをした
ら
スパンコールの光は
あの大地を照らす月に変り
ポップコーンの匂いは
もろこし畑を吹く
緑の風に変った
涙を溜めた私は
おまえ達の仲間に届くようにと
心を
シンバルのように打ちたたいた
外はジンタの雨
わが家の廂に
ジンタの音がして
杜も社も灰色に沈んで
その奥に
サーカス小屋の出来あがり
おしろい塗って紅さした
司会の少女は
マイク片手に
ショーの英雄を紹介する
ピカピカのピラピラの姿で
大酒樽の中
少年はバイクにまたがって
ゆっくりと一周り
スピードあげて樽の壁を
真横に周る
爆音に小屋は震え
思いははじき跳んで
少年も消えた
景色の奥は
流れる谷も峡谷も深く青く
青い村の石橋は
人と牛をぎりぎりに通せる
幅で架っていた
荷物を背負った旅の人
牛追いや木樵の村人が
何百年も通って
すりへった石の窪みに
急ぎ足のサーカス隊も
影を落して
山向うの隣りの村へ
移って行った
ジンタの音が
風に乗って踊り周る
村へ帰るすべはない
外はジンタの雨
遠ざかるサーカス隊のように
地を洗う水音に
梅雨あけ待ちの今日が
また暮れる
河童忌
梅雨の終る日
息急ききって
わたしの腕にぶらさがる
遠く
大きく流れる筑後川を
水すましのように
すいすい滑走する赤い水上機で
やって来たのか
草深い茂みの淵を
ひる顔の受けた
満杯の雨の酒を蹴ちらし
締まりのない顔で
無様な足音引きずって
やって来たのか
腐れ縁だネ
怪魔の不気味な気配もなく
鬼や天狗の威厳が欲しいと
細くてまばらな頭髪に
経帷子ですごんでみるが
せいぜい十両級の妖怪だ
おまえなんか友だちではないゾ
あれやこれや考えた
おまえなんか友だちではないゾ
幽霊
なぜか
夏になると
暑くて狭い故郷の
長い歴史に溜った怨念が
うごきだす
はけ口のない思いが
古い町を駆けめぐるのだ
お化け屋敷や
町で一番古いあの家の
土蔵の中
足のない身体で
私の住むこの町まで
ついて来て歩きまわる
心に
見えない足で
あぐらをかいて
身体いっぱいを占領して
太ってゆく
ちょっとこい
地の果てか
空のかなたか
気ぜわしい呼び声が響く
夢の中での
父との会話も
遠ざかって久しい日
ちょっとこい ちょっとこい
に
立ち尽くす森の中
遠い記憶の
心細い糸の先端
いまだにぶらさがって離れない
あの約束
ちょっとこい ちょっとこい
は恐しい
たとえば
出来なかった
話し続けて 語り続けて
どれだけの時間がたったろう
絶妙な間で
ちょっとこい ちょっとこい
右手のカンカン帽子が
ちょっとこい ちょっとこい
微笑までが凍りついて
高鳴る胸に
ひそかに準備する
あれや これや
に
袂からの一箱のキャラメル
ちょっとこい ちょっとこい
の
呼び声は
ガラガラ引き摺る
父と私の錆びついた枷だ
ちょっとこい ちょっとこい
後を追いたい
独りの森の中
シリヒキマンジュ
夕闇に浸食されて行く部屋
この匂いには記憶がある
思い出せない苛立ちを養分に
繭玉の大きさから
椰子の実ほどの大きさに変って行く
この匂いには記憶がある
疲労と倦怠の交った奇妙さ
思い切り窓を開けた
川のへりを
真っ白な霧が
屍衣のように這っていた
目をこらすと
川原で大きい男が一人
生臭い水しぶきを浴び
何かと相撲に余念がなかった
シルクハットをかぶった河童
が
夕闇の中
足早やに通る
シルクハットで皿をかくして
今宵もあのカフェーのドアを押す
若い
壁一面に描かれた部屋
呪文を唱える妖しいダミ声で
みどりの酒の注文だ
足りない言葉は
両手両腕ひらひらさせて
<おさけはやぐくらさんしょ>
好物の胡瓜片手に丸齧り
グラスは緑色の玉をはじけさせ
小気味よく
飲む程に酔う程に
シルクハットのその下で
おだやかに満ち始めた水は
ちろちろとこぼれ出し
燭台の灯にビー玉の光を放った
酔いに
森が唄う
埋めたてられたお鷹沼が哭く
仲間が叫ぶ
河童は哀しくなってヒーョヒーョと
鳴き出した
青面の河童はゆらゆら立ち
骨董屋の角を曲り
虫喰いの河童ことばを囁いて
今 天まで届くマンションの
あの屋上の水槽へ帰って行った
犬殺しの夏
あの子は
バサラ神のおとし子だった
悪童たちは十中八・九
あの子が実行するのを知っていた
小犬は
みんなの真ん中で竦んでいた
歯をむき出したり
咬みついたりはしなかった
落ちている藁屑と遊ぶふりをした
長い尾を元気ぶって振った
あの子は
ポケットから一本の綱を出した
小犬はそれでもじゃれていた
機嫌をとって
より大きく尾を振った
地べたに腹をつけ
寝ころぶふりをした
人なつっこい目で
遊びたいと哀願した
鼻づらを縛る子の手を
ペロペロ舐めていた
あの子は
一瞬ゆっくりと宙へ釣りあげた
敏捷な四肢を持ち
跳ぶように地球を駆けたあの小動物
とりまく悪童たちは
踊ったり叫んだりした
わたしは
ふるえながら ドスン ドスン と
地を踏んで
哀しい声の届かぬ所へ
歩いて行った
今でも
炒られるような白い夏
バサラ神が立ちはだかって
はったと睨む
そんな気がして
立ち竦むのだった
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/12/17
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