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詩集『円』抄

序詩

少年の頃

大きな円を描こうと

投企の世界へ

この身を投げ入れた

 

それから

苦の遊戯を

たび重ねながら

いろんな人に出会い

そして別れた

中に偉大な心の持ち主や

優美な女人もいた

 

さまよい歩いた霧の街や

裏町の小川のほとり

 

いつしか大人になった

と思った途端

病に薙ぎ倒され

生きる意欲も奪われた

病が癒えると

私は泣きながら旅へ出た

 

故郷の山や

知らない町や湖を訪れ

私の起死回生の旅は続いた

その途上で明るい伴侶を得

私の旅は深まった

 

胸に詩を刻みながら

古都の雨に打たれ

清澄な海の風に吹かれ

私の心は暖かくなった

 

その間

知らぬうちに

親しい師や(いと)しい友に恵まれた

 

今 再び自分に挑むように呟く

大きな大きな詩魂の円を描こう と

 

 

第一章

朗読会にて

   ――浅井薫さんに

 

現代詩朗読会

司会をするあなたとは

実に二十八年ぶり

ロビーで再会を喜び合う私達

初めてあなたと出会った頃

二人共髪が黒々としていた

今ではあなたは頭部が薄くなり

私は髪が白くなっている

 

二人とも同じ市内に住みながら

所属詩誌が違うせいか

たえて会う機会もなかった

けれどもその間

あなたの詩集が私に何冊か届けられ

私もあなたに私の詩集を何冊か謹呈した

 

愛知文学学校

その設立に

まだ若かった

あなたと私は奔走した

大阪から小野十三郎氏を

講師に迎え

記念講演会も開催した

文学学校の受講生たちは

今はどうしているだろう

受講生の中には

著名な女流歌人となり

自ら生命(いのち)を断った人もいたが

 

朗読会が始まる

チェロとピアノに合わせ

朗読する老婦人

音楽は即興で演奏

手拍子をとりながら

叫ぶように朗読する長髪の青年

宗次郎のオカリナの曲で

朗読するのは私

アフリカの小さな民族楽器を

奏でながら朗読する御婦人もいる

代わる代わる

詩人達の朗読が続く

時々 詩行(フレーズ)が音立て

詩心の波が騒ぐ

そして スペインを歌った

あなたの名詩「とりのうた」を

朗読する女優

Mさんの澄んだ声

いい詩だと心から感動し

しばらく余韻に浸る

琴の演奏は心を和やかにさせ

アトラクションのフラダンスは

会場を明るくしてくれる

 

楽しみの懇親会

テーブル狭しと並べられた

数々の料理に果物

ビールに日本酒

お酒が入ってみんなは赤ら顔

談論風発

生々(いきいき)と詩談が交わされる度に

私は美しい夢をもらう

輝いている笑顔はいいものだ

名残りも尽きぬが

別れ際

むかしと変らぬ

優しい眼差しのあなたから

あたたかい手を差し伸べられた

私はその手を強く握った

よい仕事をしましょう

そう心に祈りながら

 

 

横浜の友

   ――渡辺悦男君に

 

不整脈で体調をこわしている

横浜に住む君を 今日見舞いに来た

君と私とは高校も一緒 大学も一緒 國學院

 

新横浜の駅前 コーヒー店で君を待つ

白いサマー・ジャケットを着た君は

思った以上に元気で軽やかに歩いてくる

 

――やあ しばらく 何年ぶりかなあ

懐かしい君の声 すかさず私は返事をする

――君が十年前に名古屋に来た時以来さ

 

二人で並んで歩く中華街

週末の今日 大勢の人で賑わっている

料理店だけで三百軒はあるという

 

二人で四川料理の店に入り テーブルにつく

今日は俺のオゴリさと微笑んで君は言う

ゴチになるよと言って私も微笑む

 

学生の頃 フェンシング部で鳴らした君は

昔からがっしりした体格をしている

社長職を降りたら体調もよくなったとのこと

一時は不整脈の発作で死ぬかと思ったという

その時の状況をビールを飲みながら君は話す

今は悠々自適の羨ましい身分

 

昼食を済ませ 緑の山下公園を歩く

マリン・タワーの下 君は私を携帯で撮る

――後でパソコンでプリントして送るよ

 

君も若い頃 僕らの詩誌で詩作したものだ

仕事はコンピュータグラフィックスを

用いたCM制作を担当していたという

 

大学時 国語学演習のテスト勉強を

ガール・フレンドも混じえ君とやったものだ

勉強はそっちのけで三人で人生を語り合った

 

快晴なので湾内のクルージングを楽しむ

あれが港の見える丘公園 あれが大桟橋

君は指さしながら名所を説明してくれる

 

船内のベンチに腰掛け 潮風を受け

高校時の仲間の消息を尋ねる

鎌倉散歩の会を作って楽しんでいるとのこと

 

休みの一日 君を訪ねてほんとに良かった

船を降り別れ際 君は嬉しいことを言う

――またおいでよ 今度鎌倉を歩こうよ と

 

 

自慢の友 M君

 

私の最近の詩を読んだ

高校時の友 M君は

私が温和な人柄になっていて安心した

そう手紙で述べて来た

若い頃 君はいつも

殺気だっていたとも書いてあった

 

その手紙を引き出しにしまうと

私はM君のことを思った

T大の大学院を出て

印度へ留学し

仏教の学問を修め 今は

私大の仏教の先生をしている友のことを

 

私は以前に

彼が私に語ってくれた

一人の学者の話が忘れられない

その人は

数年間 毎夏 印度を訪れ

サンスクリットで記されている碑文を集め

日本語に翻訳し出版したという

それを世に〝静谷本〟という

私はその学者の情熱を思い

その姿勢に学びたいと思った

そして 良い話を聞かせてくれた

M君に心から礼を述べた

 

この数年の間に

M君は自分の著した

その努力の結晶ともいうべき

仏教書を三冊も

私にプレゼントしてくれた

私も私の著書を数冊

M君にプレゼントした

 

学問・芸術の仲間が

高校の同級生にいてくれることは

私自身の苦労が半減し

大きな励みになる

 

思えば

私が殺気だっていたあの頃

彼は単車を乗り廻し

頭部にケガし傷を負っていたことも

今となっては懐かしい思い出だ

 

 

愚弟より賢姉への悼詞(ことば)

   ――福田万里子氏逝く

 

昨夜 電話で

あなたの御夫君から

あなたの死を

聞かされました

 

あなたが長く病床にあったので

その時が来たのだと

自分に言い聞かせました

軽い眩暈を覚えながら

 

あなたは九州へ転居される以前

この町に住んでいらっしゃった

隣近所ということで

よくお宅へお邪魔したものです

 

詩や研究の他

絵もおやりになるあなたから

百号の絵「妹」を見せて貰ったものです

幼い時 失くされた妹様の

 

私達は同じ会のメンバー

皆と一緒にドライブに行ったものです

古いお宮である猿投神社や南宮大社へ

民俗学の採訪も兼ねて

 

詩論集を出版する企画のあった時

私もあなたも喜んで参加したものです

前川知賢先生のビジョンによるものです

あの時は横井新八さんも一緒

 

忘れられぬ伴野憲詩集『クルス燃える』

その自作テープを聞く会でも一緒

部屋に響いていた音声と音楽

その世界にどっぷり浸ったもの

 

時に文学の話題を離れて

健康のためにスポーツもプレイしました

その頃盛んであったボーリング

爽快な汗を流したものです

 

あなたの詩集『発熱』出版はその頃です

その作品群の中には

私を歌った詩が三篇もあります

その詩を私は終生忘れません

 

あなたは九州から新潟へ転居され

その後 枚方へと移転されました

新潟では詩集『雪底の部屋』を出版

新潟は私の故郷 私の喜びも一入

 

一度大阪へ妻を伴なって訪れたものです

三人で小雨降る四天王寺を見学

私達は能「弱法師」を語り合いました

宝物殿で見た「蘭陵王」の面の異様さ

 

その後 あなたは詩集『柿若葉の頃』を出版

それを機に私は詩歌鑑賞ノートを書きました

それが「鑑賞 福田万里子の詩」

おかげであなたの高貴な魂に触れ得ました

 

ことある毎に電話させてもらったものです

もうそれもかなわぬことになりました

あなたの葬儀で御夫君が挨拶されたそうです

――世界一の妻でした と

 

あなたは酉年 私も一回り下の酉年

こんなに馬が合った人は他にいなかった

この夜更け 思い出したように

愛しき著『柿若葉の頃』を読んでいます

 

――さようなら 万里子さん

 

 

春夕 一つの尊い生が

   ――義父逝く

 

まだ寒い如月の真夜中

突然 電話が鳴る

暮れに肺炎を起こし

寝たきりになってしまった義父(ちち)からだ

私と妻は大急ぎで

タクシーを呼び

高速道路を走って

義父の家へ駆けつける

私達の顔を見た義父は

安心したのか穏やかな眠りに就いた

 

それから半月後

義父にヘルパーさんも付き

ようやく安堵の思いを

抱き始めた時

ある会合に出席していた私の

携帯に妻から連絡が入る

――お父さんが救急車で運ばれたの

私は慌てて病院へ

義父はその時はかすかに

意識があったようだ

翌日から意識がなく

点滴と酸素マスクの病状

――いつ死んでもおかしくないです

医師は静かに私に話す

 

――おとうさん おとうさん

妻と義母(はは)は病室に入る度に声をかける

テレビをかけ

イヤホーンで音量を調節する

それから毎日消燈の九時半まで

付き添うのが私達の日課

私は勤め先の仕事を

病室に持ち込み 義父を看る

次々と訪れる見舞い客

やけに喉が渇きお茶ばかり飲む私達

妻に疲労の色が濃くなる

私も同様なのだろう

 

深夜二時過ぎ

病院からの義父の死を

知らせる電話の声

――よくガンバッタほうです

医師も看護師も声をそろえて告げる

義父の亡骸(なきがら)を寝静まった病院から

暗い自宅へ静かに車で運ぶ

 

花が好きだった亡き義父の祭壇

思い切り賑やかに花を飾ってもらった

通夜の読経の最中(さなか)

義父と訪ねた花の名所が脳裡に浮かぶ

家族四人で()でた

蒲郡プリンスホテルの赤い躑躅

安城のデンパークは

ガーデニングが好きな義父に相応しい

東山植物園の三色菫に

ランの館の花々

それらをいとおしむ優しい笑顔

 

告別式の読経も済み

引導を渡され

いよいよ出棺

――おとうさん おとうさん

涙を浮かべた

妻と義母は声をかけながら

棺を白い花や黄色い花で埋める

親類縁者もそれぞれに

それから私はコーヒー好きだった義父に

コーヒーとご飯を納める

それとは別に妻と義母は

写経した経文を納める

車は斎園へと向かう

桜の花が見事に咲く川の畔の果て

その斎園での別れの読経

お線香を一本ずつ捧げ

(つい)の茶毘に付す

 

春夕 一つの尊い生がここで了った

 

 

第二章

隠岐

 

 島後

 

朝早く

バスはホテルを出発

後醍醐天皇の行在所趾

隠岐国分寺に着く

 

本堂の広間

ツアー客と共に座る

住職の話に耳傾ける

天皇配流の時

付き随って来たのは

一条行房 千種忠顕

阿野廉子の三名だけだったという

約九ケ月の滞在の後

嵐の夜

天皇は隠岐を脱出された

海上を越え行く御座船

その折の五分の一の船の模型が

本堂の傍らに展示されている

きっと中央の宮方の武将との連絡も

密にされておられたことと想像する

思わず恩師の歌を口ずさむ

 

〈隠岐の島を脱出し太平を開きたる後醍醐天皇の御意志尊し〉*

 

堂内の頭上の側面に描かれた

くすんだ数々の絵

稲村ケ崎の新田義貞

如意輪堂の楠木正行など

猛き南朝の忠臣たちよ

 

私は太平記ゆかりの寺の境内から

晴やかな空を仰いだ

 

 

 島前

 

昼過ぎ

フェリーは菱浦へ着く

バスに揺られて

後鳥羽天皇ゆかりの地へ行く

 

御火葬塚へ

美しく背の高いバスガイドが

我々一行を導く

ここは承久の乱で流された

天皇の埋葬されたところ

今はただひっそりと祀られてある

夏の日がじりじりと照らす

さらにガイドは

行宮にあてられた源福寺院跡へと

案内してくれる

柵がしてあり夏草が茂っている

隣接する隠岐神社の石段を上り

またもや恩師の歌を想い出す

 

〈後鳥羽院の聞きたる荒き波風に吹かれて長き石段のぼる〉*

 

天皇が祭神の社殿を参拝する

大きな石の歌碑が陽に光っている

並木の参道をゆるやかに下る

 

真向いに立つ歴史民俗資料館

学芸員は語る

天皇は多趣味の方で

刀剣作りにも励まれたという

館内(なか)に勤務していた私の大学の先輩に当たる

神職の方としばし歓談

隠岐山陵図の説明を受ける

天皇に忠勤を励み

天皇亡き後 代々墓守を務めてきた

村上家がいたという話に

私はそっと胸を撫で下ろす

 

私は『隠岐本新古今集』を成した天皇の

その歌心を懐かしく思い資料館を後にした

 

           * 阿部正路の歌

 

 

会津・飯盛山

 

石段を上り切ると

ちょっとした広場

黄葉がハラリと落ちる

左手に並んでいる十九基

白虎隊隊士の墓

墓は鶴ガ城の方を向いている

 

ガイドは語る

――戦場から水路を伝って逃れてきた隊士たちは城にて一戦しよう

と、この山から城を見ると、城が燃えており、今はこれまでと自刃

し果てたのです。実は燃えていたのは城下であり城ではなかったの

ですが。

 

その自刃の場は

今は緑の草地になっている

先に見学して来た

鶴ガ城内の絵のパネルの数々

隊長篠田儀三郎以下隊士の

面々をおぼろに私は思い浮かべる

齢十五歳から十七歳の若者たち

 

広場の右手に建つ

イタリアはローマ市民から

贈られた記念の碑

彼の国の人たちは

その忠烈ぶりに

感じ入ったのであろう

 

藩校日新館の若き烈士たちよ

あなた方は凄い人たちだ

徳川親藩に見る会津魂

 

少し下ったところに

十九士の霊神たちを

祀る古いお堂が建っている

堂内を飾っている

壮烈かつ紅顔の剣士たちの人形に

夕光(ゆうかげ)がほんのり映っている

前を勢い良く流れるその水路を

眺めながら私は

しばらく感懐に浸る

 

山下の土産物売場

その二階のステージ

白い(おもて)の女剣士

剣舞〝白虎隊〟が披露される

私は盃を飲み干し

荘重なメロディーに唱和する

秋が終ろうとしている

 

 

鎌倉ハイキング

 

水無月の第一日曜日

明るい横浜・港南台の駅前で

懐かしい高校時のクラスメート

私を含めて六人の男仲間が落ち合った

 

何年も前から時々行われている

鎌倉ハイキングの会

今日は愛知県在住の私も

初めて参加させてもらった

 

住宅街から道はいよいよ

緑の尾根伝いの山路に入り私達は

わいわい言ったり時にしめやかに

小暗い細道を歩いて行った

 

――いいおじいちゃんになって と

三十余年ぶりのI君から言われてしまった

――今読むとしたらどんな本がいい

無口なM男君からはボソッと聞かれたり

 

途中休憩を取ったり賑やかに食事をしたり

峠の茶店に着き古いテーブルを囲んで

おでんを食べながらビールで乾杯

眼下に鎌倉の町を臨み三浦半島を見はるかす

 

話題は発展して S君いわく

――数をたくさんこなすと

ある時ひょっと質を見出すのさ

なるほど 君は巧いことをいう

 

人生の量と質の発見

そんなテーマをそれぞれの胸に

最後の峠を下り 麓へと出ると

道は鎌倉宮の庭へ続いている

 

護良親王を祀る宮に参拝できるとは

私は予期せぬ収穫にゴキゲン

父の後醍醐天皇に情容赦なく見捨てられ

足利直義にも敵視され殺された皇子(みこ)

 

宮の石段の下 おのずと(こうべ)を垂れる

そこを後に 鶴岡八幡宮へと進む

ここが八幡宮の境内 流鏑馬の馬場

質実剛健 鎌倉武士の意気を思う

 

若者のカップルや家族連れで賑わっている

境内の源氏池や平家池の傍らを歩き

皆でスナップを撮り 口々に叫ぶ

――小町通りの居酒屋で一杯やろうぜ と

 

 

羽黒山

 

バスを降りると

雨の中

山伏さんの出迎えを受ける

清めの〝シメ〟を手渡される

私達はそれを

首に掛け 山径を歩む

 

杉木立の中

左手に見える

静謐な蜂子皇子の御陵

蘇我馬子の背下に

刺殺された崇峻天皇

その人の御子 蜂子皇子

この山の御開祖

彼は都を去り

この地でひたすら

治心の苦行を積んだという

 

壮大な茅葺きの

羽黒山三神合祭殿

その厳かさに

私達は圧倒される

その後

参集殿から神前に昇る

 

神官の朗々たる祝詞の上奏

鈴の付いた金属製の御幣で

(こうべ)を軽く打たれた時

粛然として

私は皇子の威徳に

触れたような気がした

 

 

誕生日

 

白馬村のホテルで

妻の誕生日を祝おうと

私達は朝早く出発

 

バスは御柱(おんばしら)で名高い

諏訪の湖畔に着く

秋空に流れる白雲

四方の青い山々

館内で開かれている

ガラス工芸品展

妻はピンクの

イヤリングを買い求める

私はサービスのお茶を飲む

土産物売場では

大河ドラマ「風林火山」に

因んだ品々が売られている

 

安曇野をバスは走る

木崎湖が見えてくる

湖水は静かに横たわっている

ここははるかむかし

今はもうこの世にないSさんと

二人でスケッチ旅行に来たところ

以前 映画「犬神家の一族」の

ロケが行われたところとか

何だか懐かしい思いがする

 

私達は

一組みの男女が寄り添う

路傍の愛の道祖神を

車中から目を細めて眺める

いつ頃から何のために

建てられてあるのだろう

あれら 古い愛の道祖神たちは

そんなことをちらっと考え

ちひろ美術館に入館する

「子ども」をテーマに

描かれた数々の名画

その女流画家の魂に触れ

ほわっとした

何とも言えない気分になる

 

小雨がパラつく

黒姫高原に到着

広場にある句碑に目を注ぐ

〈痩蛙負けるな一茶これにあり〉

ここは一茶の故郷に近いんだと納得

石製の蛙も天を向いている

淡紅色のコスモスが

美しく咲いている小さな丘を

二人で楽しんで見物

 

ホテルのレストラン

キャンドル・ライトの下

シャンパンで祝杯をあげ

ハッピーバースディを歌い

その時に思った

これまで二人支え合って

生きて来たように

これからもお互い敬愛し

支え合って生きてゆこう と

あの素朴な道祖神のように

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/12/09

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阿部 堅磐

アベ カキワ
あべ かきわ 詩人。1945年、新潟県生まれ。詩集に『八海山』(1980年、中部詩人サロン刊)など。

掲載作は詩集『円』(2012年、土曜美術社出版販売刊)よりの抄録。

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