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津軽・抄

 

鬼灯(ホズギ)

 

倉の白壁(スロカベ)

秋陽()(アダ)てだ

軒下(ノギスタ)(サガ)さネ吊さえでだ

鬼灯(ホズギ)

真赤であた

遠エ(ドゴ)

田んぼア黄色ぐなてまて

そろそろ稲刈(エネガ)りだどいう()

如何()したンだが()

他人(フト)の田んぼサずがずがど()()

学生服(ガクセエフグ)ばぶン投げで

(エネ)敷布団(シギブドン)ネして

大の字ネなて

寝で()

(ツラ)(カプ)さた(エネ)の穂の向ごうサ

真青(マアオ)だ空(フロダ)がって()

(カジェ)()()(シツ)かアな()であた

心底静(コンミドシツ)かアな()であた

()だが

遠エ遠エ(ドゴ)で泣えでだネ

                 
(第五回「文芸思潮」現代詩賞受賞作)
 

  

(カッチャ)

     ― 七十三の齢、母を偲ぶ―

母ア(カッチャ) ()七十三ネなたネ

   元気良(マミシ)ぐしてるよ

母ア(カッチャ) ()(カッチャ)アの(ゴト)()(オべ)でねエンだネ

   (ツラ)コも声コも(オベ)でねエンだ

    写真コも見だ(ゴト)ねエンだ

母ア(カッチャ) 母ア(カッチャ)()三つの(ヅギ)

   ()ど離さえだンだってのオ

   急性の流行性脳膜炎(ノウマグエン)

   伊東(イドウ)病院の隔離(カグリ)病棟サ()らえだンだってのオ

   その(ヅギ)(カッチャ)ア泣ぎ(サガ)ンだべアなア

   出して()へってよオ

   其処(ソゴ)如何()したンだ部屋だべなア

   鉄格子(ハマ)てだンだがア

母ア(カッチャ) 母ア(カッチャ)()四つの(ヅギ)

   其処(ソゴ)で亡ぐなったンだってのオ

   ()ネも看取(ミド)らえなくてのオ

   その(ヅギ)(カッチャ)()の名前コ呼ンだべアなア

   一人(フトリ)息子の()の名前ばよオ 

母ア(カッチャ) 母ア(カッチャ)の声、そえでも()の耳サ(ノゴ)てねエンだネ

   ()(オベ)でねエンだ

   (ナサゲ)ねエ息子だと()てるンでねべがなア

   そえでも()(カッチャ)アの亡ぐなった(ヅギ)(ゴト)

   何時(エッツ)も気ネ掛げでるンだネ

   この七十過ぎだ(エマ)でも気ネ掛げでるンだネ

   あの一年(エヅネン)()ンぼ(ヘヅ)ねがったべアなアど()てるンだネ

母ア(カッチャ) ()七十三ネなた

   元気良(マミシ)ぐしてるよ

                   
(第五回「文芸思潮」現代詩賞受賞作)
  

(ヘガレ)やエ

  

(クレ)エ雲ア動がねエ

雨の線ア重エ

だけンども

あの(フグロウ)(マナグ)見ろ

森の大木の(ウロ)()

遠ぐば見でる慈愛の姿(シガタ)

(ヘガレ)やエ 

(ツヅ)ば耕せ

乳しぼれ

(イノヂ)(モド)の根ば探れ

(ナン)も悩むな

()も言うな

(アヘ)ば流せ

血ば熱ぐしろ

()(シカリ)ア動がねエ

(カジェ)の線ア(カデ)エ 

だけンども

あの大鷲(オオワシ)(マナグ)見ろ

(ミサギ)の枯れ木サ止またまま

八方睨ンでる孤高の姿(シガタ)

(ヘガレ)やエ

舫綱(モヤエズナ)解げ

船ば出せ

(イノヂ)(モド)の気ば満だせ

(ナン)(マヨ)るな

()も言うな

骨ば鳴らせ

(ニグ)躍らせろ

高橋竹山(タガハシチグザン)物語       

       ―津軽三味線一代―
 

一、 二つの年ネ(ハシカ)(カガ)

   三つの年ネ目アつぶれ

  三味習たのア十五の年よ

  乞食(ホイド)座頭(ジャドウ)(メグ)坊様(ボサマ)ヨて

  (イヤシ)めらえで(カド)かげ(アリ)

  じょんがら、よされ、三下り

  宿ア舟小屋、橋の(スタ)

  波や流れの(オド)聞いで

  ()(ゴト)もあた(ナジ)冬ど

二、三味線の(イド)切れだら結び

  (バヂ)(イガ)れだら櫛使て

   糸巻(イドマギ)駄目(マイネ)ば木の棒挟み

   細棹(ホソジャオ)片手(カダテ)一日(エヂニヂ)四、五里

  下手(ヘダ)でも()エがら(タマシ)入れろど

   師匠(シショ)(スカ)らえ三味ば()

  薄ら(マナグ)白玉(シラダマ)

   津軽の景色(ケシギ)(オド)ネして

   木古内、松前(マヅメ)、江差サど

三、嫁貰たのア十九の春よ

   二人で()ぐネ門回(カドマワ)

   子供(ワラシ)()れで(オラ)ア三味線

   母親(カガァ)子供(ワラシ)背負(オボ)って(ウダ)

   米ば貰うジャ茶碗サ(シコ)

   気持(キモヅ)コ泣げば三味も泣ぐ

   キューンキューンて(カジェ)ネ泣ぐ

   津軽の(カマリ)(オド)ネして

   盛岡(モリオガ)横手(ヨゴテ)秋田(アギダ)サど

四、中棹(チュウジャオ)太棹(フトジャオ)手ネも()だけど

  使え慣れだの細棹(オソジャオ)

  三味安くても()(フト)の腕

   気持(キモヅ)コ込めで(ウダ)サ合わへる

   (ウダ)の文句ネ音色も変わる

  動ぎも変わる顔色(ツラツキ)

  (フト)の心ば見で()げジャ

  (コゴロ)見るのア(マナグ)でねエ

  耳サ(ノゴ)るの師匠(シショ)の声

五、戦争(センソ)始まり満州事変

  入営する(フト)多ぐなり

  停車場何処(ドゴ)も歓呼の声で

  泣ぎ騒ぐ声気の毒なもの

  一人(フトリ)歩ぎも(タダ)でねぐなり

  其処(ソゴ)で一座ネ呼ばらえで

  樺太までも()(ゴト)

  荷馬車ネ揺られ船サ乗り

  留萌(ルモエ)稚内(ワッカナエ)、大泊

六、世の(ナガ)不景気(フケエギ)興行(コウギョ)駄目(マイネ)

   其処(ソゴ)仲間(ナガマ)座敷(ザシギ)打ぢ

  あれア昭和の(ハヅ)年の春

  南部ア久慈、野田、普代て回り

  ()(ナギ)だなて()だその()ゲネ

  地震の(アド)大津波(オオヅナミ)

  野田ア津波サ(サラ)わえで

  田んぼのようネなてしまた

  そえがら()がねジャ三陸サ

七、戦争(センソ)戦争(センソ)で夜も日も明げず

  挙句(アゲグ)(ハデ)ネアメリカど

  (ウダ)(ウダ)ってる場合ガ貴様!

  村の巡査ネ(フタガ)れ蹴られ

  唄会(ウダカイ)一座サ電報来れば

  皆ンな御用の召集状(ショウシュウジョ)

   次いで戦死の通知来て

  箱ば()げれば一本(エッポン)

  木片(コッバ)ばかしで遺骨ア()

八、戦争(センソ)終わって又歌(マダウダ)流行(ハヤ)

  雲竹(ウンチグ)師匠(シショ)(カダ)()

  東京(トウキョ)()たのも忘らえねエジャ

  竹山(チグザン)どいう名前も貰て

  (オラ)の三味線知らえでも来た

  三味の手、付けだの山唄(ヤマウダ)

  十三の砂山、ワイハ節……

  (モド)手拍子(テビョシ)(ウダ)たもの

  ()してレコードの吹込(フキゴ)みも

九、山の(ママリ)コ海の(カマリ)

  ()げばごろりど(ヨゴ)ネなて

  (ナン)()も皆な忘えでしまう

  苦労した(ゴト)(ヘヅ)ねがった(ゴト)

  過ぎでしまれば(ナン)()ぐなる

  山ア()エなア海も()

  山ど海どに相談し

  その気持(キモヅ)コば聴いでがら

  感情(カンジョ)コ入れで(イド)払う

十、三味線一丁(エッチョ)()ネも負げねエ

  商売一代(エヅダイ)飯の種

  ()いで(タダ)えで(スク)って()ねで

  門付(カドヅ)げ芸ば五十ネ三年

  (ヘヅ)ねエ生活(クラシ)して来たけンども

  (ワリ)イ病気サも(カガ)らねで

  よくぞ此処(コゴ)まで生ぎで来た

  これも感謝よ皆様よ

  山神様よありがどう

  海神様よありがどう

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2014/12/01

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福地 順一

フクチ ジュンイチ
1936年青森県弘前市生まれ。2009年、第5回「文芸思潮」現代詩賞受賞。

掲載の『津軽・抄』は2010年12月15日鳥影社刊。

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