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ラ・メール

第一章

 

 

空と海とワンちゃんと

 

初めての出会い

 山の稜線が(ほの)かに色づいてきた朝明けの空にくっきりと浮かび上がると、にわかにけたたましく騒ぎまくるカラスの声、人間たちも寝てはいられないと起き出す気配がして、今日一日があわただしく始まる。 

牛乳配達の車の次に、判を捺したように唸りを上げて現れる新聞配達のバイクの音に促されるようにして私も寝床を離れる。階下に下りて家中の窓を開けて換気をしてから、冷たい水で顔を洗い、歯磨きにたっぷりと時間を掛けると、今まで引きずっていた眠気もさっぱりと消え失せ、清々しい朝を迎えられた喜びに満たされる。

 急いで白いジャージに着替え、新聞受けから朝刊を取り出し、小脇に抱えて散歩に出かけるのが私の一日の始まりであり、雨でも降らない限り春から秋までこれを実行している。

 早朝の街は雨戸を閉めたままの家が多く、誰にも出会う事のないのがありがたい。

 すでに公園の公孫樹(いちょう)は黄色に染まり、あたりの木々も落葉が始まって、見通しもほどほどに良くなり、一年のうちで一番気分の落ち着ける景色がそこには展開されている。

 顔見知りの老夫婦が落ち葉の中の銀杏(ぎんなん)を探している姿を遠目に見て、私がひたすらに目指すのは、池のほとりに立っている大柳の下にあるベンチだ。

 広い公園には芝生に覆われた一画があって、その片隅にひっそりと佇む池のそばには、ほど良い間隔で梅や牡丹が植えられており、季節ごとにここを訪れる人々の目を楽しませてくれる。しかしそれらの木々は「まだ私たちの出番ではありません」と言わんばかりに、今は堅く芽を閉じている。

 朝早く行くと、時には思いがけない場面に遭遇することもあって、その意外な発見が私には散歩の楽しみの一つにもなっている。

 先日も池の中で何か動く気配がしたのでそっと近づいてみると、このあたりでは最近見かけなくなって久しい五位鷺(ごいさぎ)が池の魚を狙っていた。

 細くて長い片足をゆっくり持ち上げ、静かに池の金魚が近づいてくるのを待ち、あっという間に口に(くわ)えて飲み込んだ。

 あまりにも鮮やかなその早業に、一瞬金魚の危機も忘れて、彼の朝食のありさまに見とれてしまった。我が家の近くの老人が、趣味で飼っている金魚や鯉の稚魚をこの池にいくら放しても、持って行ってしまう根性の悪い人間がいると憤慨して話していたが、犯人はこんなところにいたのだ。ちょっとした秘密の発見にぞくぞくするほどの喜びが沸いたのはなぜだろう。

 目的のベンチに行くと、今朝はすでに先着者がいた。

 少し残念ではあったがこのような事は間々あるので、少し離れたベンチに腰を下ろして見るともなく視線を走らせると、そこには年の頃二十代後半の女性の後ろ姿があった。

 はっとさせられるほどに白くほっそりとした(うなじ)。長く豊かな髪の毛は無造作に一本の三つ編みに束ねられ、その先端を肩から前にさりげなく流している。

 たったそれだけの事なのに、なんと人目を引く清潔さだろう。

 最近では、このような自然な装いの人にお目にかかるチャンスは少なくなっている。

 おデブで猪首の私は自分の身も省みず、と言うよりは、それだけに美しい人に対する憧れにも似た気持ちがあり、美しさに対する評価の基準は結構厳しい。ところが、その私にも抵抗を感じさせないほど素直に「美しい」と思わせる人がそこに存在した。それだけで、何となくラッキーな気分になりベンチに深く腰を下ろした。

 その時である。

 突然この若い女性の足元から、白金色の流れるような美しい尾を振りながら、一匹の犬が立ち上がった。

「あっー、サルキーだ」

 それはエジプトのピラミッドの壁画にも描かれている犬で、古代エジプト人はこの犬を神からの贈り物として大切にしたと言われている。

 狩猟犬としていかにも活躍しそうな細くて長い足。身体全体はしなやかだが、がっしりとした胸部。ウェスト部分は弓形に細く引き締まり、その風貌は穏やかで面長。犬の中の貴族とも言えるほどに高貴な雰囲気をあたりに漂わせて、見る人に品位さえ感じさせている。身体は短毛だが、尾と耳の先端には長いふさふさとした白い毛が流れていて、名高いロシアの代表犬種「ボルゾイ」の原種とも言われるのも納得出来る。

 折から昇ってきた朝の柔かい日差しに、シルクのように光る美しい尾がゆさゆさと揺れる。

「メール」

 澄んだ声とともにその女性が立ち上がった。

「そろそろおうちに帰りましょう」

 人は自分に似ている動物を好んで飼うとか、犬を見れば飼い主が想像出来るとか言うが、まさにその言葉どおりのカップルだった。後ろ姿だが、細身の茶のパンツ。素足に無造作に履いている茶色の皮のサンダル。オレンジとレモンと茶を織り込んだ軽めのふっくらした手編みのセーター。あたりの景色にとけこんでいながら、そのさりげない程の良い装いには、彼女の全人格が滲み出ている。

 まったく私の理想とする〝素敵な人〟の条件を全て備えていて、女の目から見ても好感が持てる。目立たないようでいながら、強烈に自己主張をしているタイプの人であった。

目白の思い出

 新聞を読み終わる頃には日差しも上がり、ベンチの前にある梅の古木にはいつしか四羽の親子らしい目白が、幹に巣食っている虫か何かをしきりに突ついている。

 グリーンの身体に目の周りの白い輪はいかにも愛らしい。

 私が小学二年生の頃は太平洋戦争の真っ盛りで、当時、まだ若かった叔母夫婦に連れられて、福島県の海に面した、通称「浜通り」と呼ばれている相馬市中村の飯豊村に、叔父の縁故を頼って疎開した。

 横浜から満員の電車に乗り、上野で乗り換え、煤にけぶった上野駅から、物悲しい汽笛の音に送られるようにして出発。汽車の吐く油煙と煤で鼻の中まで真っ黒になりながら、ヘとへとになってやっとの事で辿り着いた桃井家では、逞しい体つきのばばちゃんが、子供たちの顔ほどもある真っ白くて大きなお握りと厚切りの沢庵、これまた見た事もないほど大きなゆで卵と、西瓜をお盆に盛って待っていてくれた。

「挨拶はあとでいいから、まんず食べてくなんしょ。この卵は都会の人は珍しかっぺ。あひるの卵なのよ」

 と勧めてくれる。

 田舎と言えども、当時それだけの歓待をしてくれるのは大変な事であったと思われるが、広い心と優しい思いやりのあるばばちゃんの温かい接待に、私たち子供はすっかり安心してしまった。

「これからは親とも離れ、戦争が終わるまでの日々を他人様の中で過ごさなければならないのだから、人様にご迷惑をお掛けしないように気をつけなさい。どんな事が起こってもわがままは言わないで我慢するのよ」

 と母にくどいほど言われてきただけに、何かほっとするものがあった。

 飯豊村と言うだけあって、戦時中とはいえ白いお米が食べられた事は、食糧難の都会から疎開をした私たちにとっては大変にありがたい事であった。

 来る日も来る日も代用食のじゃが芋や、水っぽいカボチャしか口にすることが出来なかった都会の子供にとって、それらは目を見張るほどの大ご馳走であり、あっと言う間に綺麗に胃袋の中に収まった。

 このあたりの農村でも若い衆はほとんど戦争に狩り出されていて、残っているのは老人と女子供だけではあったが、田圃や畑はきちんと守られていた。

 若い嫁はんの労働力は当てにされており、子供の世話は老人に任せて、朝から晩まで田や畑を這いずり回るようにして働き詰めの毎日だった。子供心にも農家の嫁はんはいつ眠るのだろうと不思議に感ぜられた。

 目の前の川では(うなぎ)(ふな)、河口では大きな(しじみ)。裏の松川浦に行けばそれこそ牡蛎(かき)、ほっき貝、浅蜊(あさり)(はまぐり)などの貝類が敷き詰めたようにいて、(かに)海老(えび)も子供の私たちでもいくらでも採れた。

 半農、半漁をしていた男たちが戦争に赴き、老人と女と子供だけ残されたこの村では海で漁をする人手が少なかったからである。

 子供だけで海に行く時には、ばばちゃんが大きな重箱にご飯をいっぱいに詰めてくれて、梅干と大きな塩漬けの紫蘇の葉、沢庵、塩、味噌、醤油、大鍋を持たせてくれた。

 物のない戦争中にもこんなにも心の豊かな大地の様な女性がいたのである。

 当時多くの都会の人たちが疎開先で意地の悪い事をされて大変な苦労をしていた事を考えれば、私たちはこのばばちゃんのお蔭でどんなにか救われた事だろう。

「裏の畑さ寄って胡瓜やトマトさもいで行け。今朝見に行った時、西瓜も甘くなっていそうなのが畑の真ん中さあったから、持てたら持って行け」

 子供たちは八人ぐらいの隊列を組み、それらを担いで炎天下を海に向かってひたすら歩き、もう駄目だと思う頃に海に着く。

 直ぐに始める事は流木を拾い集めて火を起こし、持ってきた鍋で海水を沸かす。

 浜辺には我々以外誰もいない。

 白い砂浜はどこまでも広がり、大声を出そうがふざけようが、子供たちの天国だった。 

 遠浅の海で泳いでいるうちに鍋の中の湯も煮えたぎる。

 その中に海で採ったばかりの魚介類を投げ込んで塩や味噌で味を調える。

 この村の子供たちは生きていく術を自然に身につけていて逞しかった。

 機銃掃射で狙われて、結構怖い思いをした事もあった。

 ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダッ。

 飛行機が急降下して、お互い顔が見えるくらいまでに近づいてきた。

 私たちはいっせいに潜る。子供の浅知恵で、潜れば見つからないだろうと思っていた。しかし相手が子供と判ったのだろう。今まで撃っていたのをぴたりと止めて旋回して去って行った。私たちは大はしゃぎで、

「アメリカのバーカ、撃てるものなら撃ってみろ」

 と、去り行く飛行機に向かって叫んだりしたものである。

 大人に話せば「危ないから」と止められるのが関の山なので、この事は暗黙の了解で大人に話される事もなく、それからも、大方は本当に楽しい毎日を過ごしていた。

 大人たちから「勉強しなさい」などと言われる事もないので、まったく気ままで大らかな日々だった。

 都会育ちの私は、体育の時間になるとよくバレーを踊らされたり、学芸会ではレコードの代わりによく歌わされた。

 宿題が出ると、何人かに教えてほしいと言われ、お礼にほおずきや野菜をたくさんいただき、大人たちに喜ばれたものである。

 ある日学校の帰り道にこの目白を見かけた。当時、鳥と言えば雀かカラスしか知らなかった私は、てっきり(うぐいす)を見つけたと思い、そばにいた友達に、

「あっ、鴬がいる。ほらあそこ、今に鳴くから静かにして、シー」

 と囁やいたら、

「何言ってんだ。馬鹿さこくでねー。全然違うっぺ。よく見てみー、あれは目白だっぺ。ほら、目の周りさ白かっぺ。鴬は白くなんてなかっぺ、そんな事も知らんけ、都会っ子はこれだから困るだ。鴬は春の鳥だども、今頃はあんまり里にはいねえよ」

 と、すっかり馬鹿にされてしまった。

 それからしばらくはその友達にまったく頭が上がらなかった。その時のお蔭で、今日まで目白だけは絶対に間違えなくなった。

 私が疎開をしていたのは夏の二ヶ月足らずの事ではあったが、この村と村人からは生涯忘れられないほどの豊かな体験と温かい思い出をいただいた。

 あの子は今頃どうしているのだろう。私は田圃や牛小屋の臭いさえ今でも懐かしく覚えているのに、あれは遠い日の想い出となってしまった。私の胸にこんなにも鮮明に刻み込まれたあの頃の事は夢だったのかしら、などと懐かしい気持ちに浸っていたら、いつの間にか目の前の美しいカップルはすでに消えていた。

夫婦の会話は

「今朝、公園で絵になる人を見つけちゃった」

 朝食の時、トーストを頬張りながらいささか興奮気味に話しかける私に、「ふーん」と夫は味気ない返事を返す。

 この年齢の夫婦の会話はだいたいこんな感じでいつも終わる。

 今でこそ大きな老犬のような風格になってちょっとやそっとでは動じなくなった夫も、これが若い頃だったらきっと、

「へえー、どこで。君がそう言うからにはよっぽどの美人さんだったんだろうね」

 と興味を示したであろうに。

 庭のピラカンサスの赤い実に視線を移すと夫は静かに紅茶を啜った。

「そうそう、その人ね。あのサルキーを連れていたの」

「へえー、サルキーとは珍しいね。どんな色のサルキーだった?」

 犬好きの夫の興味が初めてこちらに向いてきた。

「それがねー、全体は金色だけれど、尾の先の長い毛が白くて、朝日が当たるときらきら光ってとっても綺麗だったわ。手入れが本当によくされているから、貴方がご覧になったら育ちの良い素晴らしいワンちゃんだってきっと思うわよ。メールちゃんて名前みたい。あの子にぴったりの名前だわ」

 いつの間にか、人間の話が犬にすり替わってしまっている。考えてみれば、私もさっきの人の後ろ姿しか見ていなかったわけで、それだけで惚れ込んで浮き立ってしまったなんて、笑われるだけの事だと気づき、それ以上聞いてこないのを良い事に話を止めた。

冬支度

 六十歳を過ぎると、どうしてこんなに早く一年が過ぎていくのだろう。

 テレビでは娘のような若いアナウンサーがしきりに、

「東北では雪が降りました」とか、

「関西ではお正月用の干し柿作りで農家は一年中で一番忙しい毎日を送っています」

 とか流していて、こちらの気分までなんとなく忙しく追いやられてしまっている。

 例年よりちょっと早めに寒波が近づいてきたようなので、我が家では今日から暖房も入れて、すっかり冬支度に模様替えをした。

 暖かい部屋でアイロン掛けをしながら、気に入ったテレビ番組でも見て過ごそう。

 朝晩の気温もだいぶ冷え込んできたので、私の朝の散歩もここのところ止めている。

 九十七歳で亡くなった姑が、まだその頃は若かった私たち嫁に、

「あなたたちも七十歳になれば七十歳の、八十歳になれば八十歳の年寄りが言っていた事を思い出すようになるわよ」

 とよく言っていたが、本当に我が家も一年ごとに年寄り所帯っぽくなっていくのが自分でも可笑しいぐらいによく判る。その姑が、

「ねっ、やっと判ったでしょ」

 と悪戯っぽく微笑みかけてくるような気がして、ふっと後ろを振り返りたくなる時がある。自分も間もなくあの頃の姑の年に近づきつつある。

 庭の蜜柑(みかん)は例年になくよく実をつけ、おまけに味が濃くて甘い。

 この夏の暑さと、台所の生ごみや苦土石灰をせっせと埋めてやった成果が表れたのだろう。ご近所に差し上げると、

「お宅のお蜜柑とても味が濃くて美味しいわ」

「最近の売っている蜜柑は、甘いだけで酸味もなければ濃くもないでしよ。それに比べるとお宅のお蜜柑は味が濃くて甘味も酸味もあるから、我が家の連中ったらすっかりお宅の蜜柑のファンになっちゃって、『もうお隣さんの蜜柑はないの』なんて言うの」

 などと褒めてくださる。

 そこですっかりいい気になってまた配り歩くので、

「ご近所にご迷惑なんじゃあないの」

 と夫に笑われている。

 しかし単純な私のやる事は今日に始まった事でもない。夫も半ば諦めているはずだ。

 食べる事に貧欲な私たちにとっては、食材の豊富な冬は心楽しい季節だ。

 果物でも、野菜でも、魚でも、どうしてこんなにも素晴らしい味になるのだろう。

 きっと神様が寒い冬を過ごす生き物たちに、「頑張れよ」とエールを送ってくれているからに違いない。

 秋も深まってくると私が先ず取りかかるのは白菜漬けで、八百屋に大株が出始めるのを待って漬け込む。

 子供たちの巣立った今は、夫婦が食べる分だけ漬ければいいから気は楽だ。二人だと一株でも相当食べごたえがある。白菜は八つ割りにして、洗ってから天日干して、予めこれも干しておいた蜜柑の皮や昆布、大蒜(にんにく)、赤唐辛子など自分の好きな物をその時の気分によって加えて漬ける。

 初めて食べる時などは、水が上がってくるのをまだかまだかと待ちかねて、わくわくしながら取り出す。私の好みは浅漬のうちだ。

 白菜の薄黄色の、芯に近い甘いところから食べ始めるのが「最高の贄沢」と堅く信じている。いい年をして食べ物にわくわくするなど我ながら浅ましいが、これも健康の証拠と思えばありがたくも思える。

 かつてだったら、バターたっぷりのフランス料理や肉汁がジュウジュウ音を立てている厚いビーフステーキ、舌が落ちそうなほど美味しい中華料理が好物であったはずなのに、この頃では刺身とか、あっさりとした漬物が何よりのご馳走に思えて、こんなところにも忍び寄る年を感じざるをえないので、

「まあ健康でいられれば良しとしなくちゃ。年なんだから仕方がないか」

 と変な納得をしている。

 さっき八百屋の店先で白菜と一緒に目に留まった紅玉を買ってきたので、その芯を()り抜き、シナモンと砂糖を詰め込んで、バターでしっかり蓋をしてオーブンで焼いたら、焼きりんごが出来上がり。

 甘い、えも言われない香りが家中に漂い、これぞ家庭の味。主婦業をやっていて最高の幸せを感じる一瞬だ。

 仕事を辞めて家にいる時間の多くなった夫は、十時と三時のティータイムには、必ず甘い物を欲しがるようになったので、今日はこれを出してあげよう。

「一年ぶりの焼きりんごの味はいかがですか?」

「まあ、こんなものじゃない」

 と、これもまたいたって素っ気ない。

「もうちょっと言いようがありませんか。あなたが喜んでくださると思って作ったのに。まったく張り合いをなくしてしまうわ。あら、あら、皮を残したら駄目じゃない。美味しいのよ。それに皮には身体に良い成分や繊維質がたくさん含まれているのに。せっかくの良いところを捨ててしまってはなんにもならないわ。林檎が可哀想」

「僕には僕の食の哲学があるの。判っているでしょ。美味しいと思う物は最高の感覚で食べなければ、かえって焼き林檎に失礼になるでしょう。美味しいと思う感覚を皮なんかに邪魔されていたら、林檎に対して本当に気の毒。それに今の林檎は農薬がいっぱいかかっているんでしょ。君がそんなに皮が好きなら、そちらにあげましょう。どうぞ」

 こうなったら言い争うだけ野暮だ。

ガーデニングセンターで
 

「もうすぐお正月ね。この前、テレビのガーデニングの時間に、ミニ葉牡丹の寄せ植えをやっていたのがとても可愛らしかったから、今年はお玄関のところにあんな寄せ植えを置きたいと思っているの。ついでに肥料や腐葉土も買いたいけれど、重たい物ばかりなので一緒にガーデニングセンターまで付き合ってくださらないかしら」

「いつ頃行くつもり」

「今日これからでも良いかしら」

「別にかまわないよ」

 ガーデニングセンターの中には、もうすぐにでも春が来るのではないかと錯覚を起こしそうなほどの、色とりどりの可愛らしい花が所狭しと咲き誇っている。

 お目当てのミニ葉牡丹のような目立たない植物は、陰に隠れてなかなか見当たらない。

 レジに行って聞くと、店の若い店員が隅のドッグフードの陰に無造作に置かれているミニ葉牡丹のところに連れて行ってくれた。

「ずいぶん地味なんじゃないの。こんな小さかったらよほど取り合わせを考えて植えないと貧弱になるよ」

「白やピンクを混ぜてそこに松を入れれば、お正月の頃には立派になるわよ」

 その時、さっきの店員に導かれて若い女性がやって来た。

「えっ」

「あら、あの時の方だわ」

「ほら、いつか話したことのある〝絵になる人〟よ。あの時はお顔を見られなかったけれどやっぱり素敵な方だったわ」

「例のサルキーのお嬢さんか」

 夫も覚えていた。

 彼女は犬の餌を買いに来たらしく、先に来ていた私たちに軽く会釈をした。

「確かサルキーを連れていらっしゃった方ですね」

「あ、はい、どこかでお目にかかったのでしょうか」

「富岡総合公園で……。私も朝の散歩をついこの間までしていましたからお見かけしていました。もっともここのところ大分寒くなってきましたので、歳を考えて春まで休むつもりなのですけれど、まだ行っていらっしゃるのですか?」

「まあ、少しも気がつかなくて失礼いたしました。はい、続けております」

「とてもよくお手入れをしていらっしゃったので、幸せなワンちゃんだなあと拝見しておりましたの。ワンちゃんは確かメールちゃんだったかしら。その後元気にしていますか?」

「ありがとうございます。家の中で飼っておりますが、おいたばかりして困ります」

「まあーあんなに大きなワンちゃんを家の中で飼うのでは大変でしょうね。だからあれだけ綺麗にしていらっしゃるのですね。春になったらまた公園でお目にかかりましょうね」

「楽しみにしております。ではお先に失礼いたします」

 何種類かの餌を台車に乗せて、軽やかに去っていく彼女を見送ってから夫は思い出したように言った。

「なかなかの美人さんだね。サルキーはもともと南の犬だから、寒くなれば家の中で飼ってあげるのが一番良いとは思うけれど、しかしあれだけ大きい犬を家の中で飼うのは手入れをよくしないといけないから大変だ。よほど大きい家でないとちょっと飼えないね」

「そーね、私だったら絶対に我慢できない。犬の臭いが家の中に漂っているのを想像するだけでも嫌だわ。どんなに綺麗にしてあげていても、犬の臭いは独特ですもの。でもあの方、本当にこの頃の若い人にしては珍しく清潔感溢れる人ね。すごい綺麗好きなのよ。きっとメールちゃんもしょっちゅうお風呂に入れてもらっているんでしょ。この前は彼女の後ろ姿だけしか見ていなかったら判らなかったけれど、でも本当に素敵な方。私の好みはいい線いっているでしょう」

 まるで息子の連れ合いでも探している母親のような口ぶりになっている自分が可笑しかった。

 家に帰ってから葉牡丹と松は丸い素焼きの植木鉢の中に、それなりの位置を占めて植えられ、年を越す頃には一応風格を持って訪れる人を迎えてくれた。

 正月が過ぎるとあっと言う間に春は訪れる。

なぜ我が家に来たの?
 

 我が家の表の通りは通学路になっていて、今日は入学式なので朝から賑やかだ。可愛い子供たちの手を引いて、若い母親たちが晴れ晴れとした顔つきで、自慢の我が子と通り過ぎて行く。

 お向かいの光君は小学生に、冬ちゃんは幼稚園に上がり、さっき、

「おばちゃん、行ってきます」

 と緊張した顔つきをして出かけて行った。

 今年は暖冬のせいもあって桜の開花が早まり、入学式前に満開になって、今日は早くも散り始めている。

 新一年生にはなぜか桜がよく似合う。今年も穏やかな一年を過ごしたい。

 私が小学校に入学した時は戦時中であった。物のない頃だったが、母は祖父の灰色の着物と、母の女学校時代のえんじ色の袴を解いて、グレーのブラウスにえんじの丸型の縁取りをした襟をつけ、ジャンバースカートはえんじ色で仕立ててくれた。

 私はその上下がとても気に入って、得意になって着た。

 満開の桜が今日のようにはらはらと散るのが嬉しくて嬉しくて、その下で、新しく出来たばかりの友達と騒ぎまくっていた。小学校一年の入学式。気がつけばあっと言う間の六十年であった。

 小春日和に誘われて朝から庭の手入れに夢中になっていたが、喉も渇いてきたので家に入って一息入れることにした。

 夫は明日、友達の出版記念会があるので、久しぶりに床屋に行くと言ってさっき出て行ったが、そろそろ帰ってくる頃だ。

 お茶の用意などして待つともなく待っていると、ほどなくして玄関の門扉のあたりから大声で私を呼ぶ夫の声がした。

 出て行ってみると、床屋から帰ってきてさっぱりとした顔つきの夫が、家に入れないで立っている。

 その足元には長い足を伸ばした一匹の大きな犬が横たわっていた。

 どうしたのだろう?「もう動けません」とこちらを探るような哀れっぽいその目つきからは、もはや抵抗をする気配もなく、弱りきっていて動けなくなってしまっている事が見て取れた。

「どこかの家のワンちゃんらしいけれど、腿のところに大きな傷があって動けないようだな。大人しそうだからちょっと手を貸してくれないか。平らなところへ運んで手当てをしてやらなくては」

「あら、すごい傷、五センチくらい皮が剥がれて、大きな穴があいているわ。とっても痛そう。可哀想に、どーしてこんな傷になっちゃったのかしら」

「こりゃあちょっとやそっとの事では手には負えそうにない傷だ。下手に動かせば痛がるだろうな。すぐ獣医さんに連絡してみて……。」

「あらっ、ちょっとよく見せて。この子、あの時のサルキーじゃあないかしら。あんなに可愛がってもらっていたのに、いったいどうしたんでしょう」

 犬は見る影もなく汚れて痩せ細りやつれきっていた。

優しい獣医さんは

 まもなく駆けつけてくれた獣医は、

「大分弱っているし、この痩せ方を見るとここ数日間何も食べていないようですから、はじめは消化の良いミルク粥でもあげてください。この傷は棒か何かで殴られたんですね。まったくひどい事をするもんだ。抗生物質を差し上げますから、柔らかいパンにでも挟んであげてください。本当にこの頃は人間のほうが何をしてくれるか判らない怖さがありますんでね。こんなに大人しい良い子になんだってこんなにひどい怪我を負わせたんだろう。まったく許しがたい。怖かったよね。もう大丈夫だよ。ここにいる限り大事にしてもらえるから、もう安心していてもいいよ」

 と言いながら、ワンちゃんの首の下を無骨な手で優しく撫でてから、重たそうな鞄に手をついて「よっこらしょ」と、大儀そうに立ち上がった。

「奥さん、私のほうで保健所には連絡しておきますから、どちらにせよ飼い主を調べてもらいましょう。これだけの犬ですから、すぐに飼い主は見つかります。きっと逃げ出して家が判らなくなったのでしょう。飼い主は心配して今頃は夢中になって探していますよ。サルキーを飼うぐらいの人は、よほど犬に詳しい人のはずですから。まあとにもかくにもしばらくは傷を治すことが先決です。しかし、それにしても、よくもこんなになるまで保健所に捕まらなかったものだ。むしろそのほうが不思議ですよ。こんな大型犬がふらふらしていたら、すぐ通報されてしまうのがオチですからね。こちらみたいな方のところに迷い込むなんて、お前も相当に勘のいい奴だな。それにしても良かった良かった」

 と嬉しそうに言いながら犬の頭を撫でている。

 人の良さそうな獣医は、もう私たちが当然この犬の世話をやくものと思っているらしく、

「じゃあ、また明日様子を見にきます」

 そう言って帰って行った。それからこの獣医は言葉どおりに毎日通ってきた。

 かれこれ一週間もたった頃、彼はすまなそうな顔をして、

「金沢区の保健所には、あれからすぐに連絡を取ったのですが、該当する飼い主は見当たらないし届けも出ていないと、今朝連絡がありました。もしかしたら遠くの人が車で散歩に連れてきたのかもしれませんね。警察にも届けておきましたから、そのうちなんとか言ってくるでしょうが、ついでと言っては申しわけないが、もう少し面倒を見てやってくださいませんか」

お人好しの若いお巡りさんは
 

 獣医の言ったとおり、二、三日すると若いお巡りさんがやってきた。

「このワンちゃんですか、なかなか良い子ですね。これだけのワン公でしたらきっとすごい血統書つきだと思いますよ。躾もきちんとできている。良い子だ、良い子だ」

 自分の顔をペロペロ舐めさせながら、この若いお巡りさんは、

「怪我をしていたそうですが、すっかり肉が上がってきて大分回復してきたようですね。毛も少し生えてきているし、もう大丈夫だ。お前、本当に良かったなあー、こんなに可愛がってもらって、運が良いぞ。さーてっと、奥さん、これからどうしましょう。これだけ大きくなるとちょっと新しい飼い主を探すのも難しいと思いますが……。最悪の場合は保健所になりますが、それもなんか切ないなー。世話してもらったご縁で、なんとかお宅で飼ってやってくれませんか。実を言うと僕は犬大好き人問なもんで、この前も野良犬を引き取ったばかりなんですよ。これ以上連れて帰ったら僕も奥さんにどやされてしまう。あいつを引き取っていなかったら僕が飼ってやっても良かったんですけれどね。うちのは雑種で、器量も躾も悪くて()えてばかりいるんで、家の連中にはめつちゃ評判が悪いんです。でも可愛いもので、僕にだけは恩義を感じているらしく忠実なんですよ。因縁ですね。こいつだって保健所にやったら一週間で、一巻の終わりです。奥さん、本当にこれだけの犬は滅多にいませんよ。それにお宅に(なつ)いている。ほら、お前からもお願いしろ。よろしくお願いしまあーす」

 ワンちゃんの頭をぐいぐい押さえつけた。

どうしてこうなるの
 

 結局メールは我が家に居つくことになった。

 なんでこういう事になってしまったのか、私には今もって判らない。

 私たちの甘さが獣医や若い犬好きの警察官に見破られてしまったんだろうか。

 そう言えば、彼らの現れたタイミングは、私たちが世話をしてちょうど情が移ってきた頃にひょっこり現れているし、巧みに時間を取っている。でも、もしそうだとしても、なぜこの二人がここまでこのワンちゃんに力を入れるのか。単なる犬好きと言うだけでなく、彼らの生き物に対する基本的な姿勢が心底から優しくて、「このワンちゃんをなんとか救いたい」という気持ちが私たちを動かしたのだろうか。あるいは、お巡りさんの言うように、因縁みたいなものを私たち夫婦がこの子に感じたからなのかもしれなかった。

 考えてみれば、初めの感動的な出会いから、飼い主はどこの誰かも判らないままに二回の出会いと、その中の一回は短いものではあったにしても、彼女と言葉を交わした事は間違いのない事実だったし、そして何よりも夫とメールの相性が良かった。

 私自身も、私の眼にかなったあの人があれだけ一生懸命に育てていたのだから、

「性格は良いはずだ。彼女があれだけ可愛がっていたのだから、悪くなりようがない」という確信を持っていた。

 でもなぜこのような惨めな形でさ迷わねばならなくなったかという事については、「よくよくの事情があったからに違いない」など勝手な推理展開をしていた。

 実際には飼い主の隙を見て逃げ出したけれど、さ迷っているうちに自分の家が判らなくなったお馬鹿さんのワンちゃんなのかもしれない。

 そう思ってみると可笑しなことに、どことなく間延びをしたような顔つきは、あまり悧巧そうには見えない。

 上目遣いに人を見上げる仕草など、日本犬は絶対しない表情で、見方によってはとてもずる賢そうにも見える。

 傷も治った事だし、これから一週間も公園に散歩に連れて行けば、きっとあの人が探しに来ていて、

「まあ、どこに行っていたのメール。心配していたのよ。ずーっと探していたのですがよく捕まえてくださいました。本当にありがとうございました」 

と名乗り出てくるだろうと思っていた。

 可愛がられて育った犬だけあって甘ったれではあったが、メールにとってはそれが幸いし、すぐに我が家に溶け込んだ。さほど犬好きでもない(むしろどちらかと言えば猫好きの)私でも可愛いと思えるようにしてしまった事は、メールの犬徳のなせる技なのだろう。 

 退職後、暇を持てあましていた夫にとってはよい相棒が出来、メールを口実にして彼の朝晩の散歩が始まった。彼らは毎日のように富岡総合公園をさ迷って彼女を探して歩いたが、とうとう巡り会いのチャンスは訪れなかった。

 一週間たっても一ヶ月たっても、なぜか彼女の姿は富岡総合公園には現れなかったのである。

メールの小屋が出来た

 たとえ短い間の事にしろ、生き物の世話をするという事は、それなりの形を取ってやる必要がある。

 私の家は道路から四メートルほど高くなっているので、訪ねてきた人が下から上ってくると、物音に気づいたメールが、上から眺め下ろすような形で長い足をフェンスに掛けて覗こうとする。来客はメールが今にもフェンスを越えて跳びかかってくるような恐怖を感じるらしく、

「お宅に伺うとメールちゃんが飛びかかってきそうで怖いからなんとかして」

 と注意された。

 いくらメールが大人しい犬であったとしても、彼を知らない人にとっては大きな体のメールは恐ろしい存在に違いない。

 早速、旧い付き合いの工務店の鈴木さんに頼んで、フェンスを高くしてもらった。

 ついでに今までは物置にしていた中階段の下を、犬小屋に改良することにした。

 メールは室内で大切に飼われていたワンちゃんなので、寒い冬を屋外で過ごさせるのにはよほど小屋のことは考えてやらなくては可哀相だと、夫と私の意見は一致したからである。

 二畳敷きくらいの空間を二つに仕切り、奥を外気から遮断して光も入るように繊維入りのプラスチック板で仕切る。コンクリートで床を一段高くして扉をつけ、残り半分はフェンスで囲み、雨の日でも濡れることなく自由に運動が出来るようにして2Kのメールの住まいが出来上がった。夫はメールのような大型犬はつないでは可哀相だと言って、家周りの狭庭半分を鉄の扉で仕切り、メールの運動場にした。さして豊かでもない年金生活者の我が家にとっては大変な出費だったが、なぜか私たちには気にならなかった。子供を育て上げ彼らが自立した今、夫婦で夢中になって取り組むことがあまりにもなかった事も幸いしたのかもしれない。

 夫はそれからも材木屋に行って厚板を買ってきて、コンクリートの床にしっかりとした床板を敷き詰めた。

 顔を赤く上気させ少年の頃のような顔つきで夢中になっている夫の姿は、周りの者を微笑ましい気分に誘い込む。

 外出のあまり好きでない「家」大好き人間の夫にとっては、可愛いペットが自分の所有物になった喜びで胸の中がいっぱいになってしまったかのようであった。

 それからはメールの世話は夫の仕事となり、彼らは近隣の丘や山間を毎日毎日歩き巡った。

 空を見上げて吼える

 春の空は時々驚くほど高くまで澄み渡る事がある。その日も果てしなく晴れ渡り、雲一つない快晴で、布団を干すには絶好のチャンスであった。

 ベランダからは遠く西の位置に雪を置いた富士山を眺め、東には東京湾から房総半島の先端近くまでがくっきりと浮かび上がり、借景ながら雄大な景色に浸れて実に気持ちの良い午前中であった。このような日は高台にあるこの六十坪足らずの小さな家が、私たちを、「見渡す限り我が庭よ」と天下を制した王様のような最高の気分にさせてくれる一瞬である。

 ベランダの手すりに干したふかふかの布団に寄りかかって、しばし東京湾を沖に進んで行く大きな白い船に目を奪われていた。

 その時、急に下のほうからメールの今まで聞いた事がないほど悲しげな、泣くとも叫ぶとも言いがたい胸に染み渡るような長く尾を引いて吼える声が聞こえてきた。

 あまり突然の事に驚いた私は下を眺めながら、

「メール、どうしたの」

 と声をかけたが、止めるどころか、さらに激しく空に向かって吼え続けている。

 上を見上げると紺碧の空に飛行機が一機、銀色に光りながら南に向かって飛んでいた。成田空港を飛び立つ外国行き飛行機は我が家の上空を航路にしているらしく通過して行くので、私にしてみれば特に珍しい事ではない。

「あれは飛行機。別に怖いものが落ちてくるわけでもないのだから怖がらないの」

 となだめてみたが、どうしたのかその日はそうやって一時間ぐらい吼え続け、やっと諦めたというように悲しそうに自分の小屋に引き込んでしまった。

 いったいどうしたのだろう。メールがあんなに悲しそうに吼えた事は後にも先にもこの時以外、私たちは聞いた事がない。

飛行機の中で諒子はメールの声が確かに聞こえた。 

 成田空港は春休みも終わり、さすがに子供の姿は見えなかったが、観光シーズンともあれば中高年の男女の旅行客が群れをなして旗を持ったガイドに導かれ、はぐれたら大変と言わんばかりの緊張した顔つきでぞろぞろと諒子の前を流れて行く。

 一昔前ならこんなことは考えられなかった光景であるが、今では普通の家庭の主婦がこうしていとも気楽に海外に出かけて行く。

 諒子の搭乗するニュージーランド航空の改札の時間が来たので、ショルダーバッグを担ぎ搭乗ゲートに向かった。

 機内は予想していたよりは混み合ってはいたが、窓側の彼女の席の周りは偶然にも空席で、これならばあまり周りに煩わされる事なくすみそうだとほっとする。

 深々と腰を下ろすと「ふうー」と思わず溜息が出て、この一ヶ月あまりの目まぐるしかった事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 長期にわたる夫の両親の介護から解放され、やっとニュージーランドの夫のところに行くことになった。その準備に走り回っている間に、我が子のように可愛がっていた愛犬のメールが、お手伝いさんのちょっとした隙をついて脱走してしまった。

 新婚生活もつかの間、夫は単身赴任となりニュージーランドに行ってしまった。高齢の夫の両親にとっては、一人息子が海外に行ってしまったのがよほどショックであったのか、母親が間もなく亡くなり、そのあとを追う様にして父親も倒れた。それからの二年間、諒子は舅の看病に付き添い、ついにその義父も力尽きたかのように亡くなった。

 もちろん諒子たちにとっては子供を作る暇もないうちの出来事であり、

「私はいったいなんなの。なんのために結婚したのかしら」

 と先の見えない生活に胸が詰まるような思いの日々もあったが、打ち明けるほど近しい人がいるわけでもない諒子にとって、気持ちを紛らわせてくれたのはメールであった。

 その間の事情をよく知っていたお手伝いさんは、「申しわけない」と休日を返上してありとあらゆる手を尽くして一緒に探し回ってはくれたが、消息は掴めないままにとうとう出発の日を迎えてしまった。責任感の強いお手伝いさんはしきりに恐縮して、

「奥様が発たれてからも、一生懸命探します」

 と言ってはくれたが、諒子は何か悪い予感がしてほとんど眠れない日を過ごしてきた。

 エンジンの音が一際強くなってふわっと機体が浮き上がる。

「あーこれでメールとも永遠のお別れなのだわ」

 そう思うと込み上げてきた感情が押えきれなくなり目頭がじーんとしてくる。

「どうかなさいましたか?」

 通りかかったスチュワードが怪訝な顔をして尋ねた。

「ご心配をかけてすみません。出発の用意でここのところあまり寝ていなかったので」

「ご気分が悪いようでしたら遠慮なくおっしゃってください」

「大丈夫です。少し眠れば治ると思います」

「それではごゆっくりお休みください。目的地までは時間も充分にございますから……」 

大きな身体のニュージーランド人らしい磊落(らいらく)なスチュワードはウインクをして去っていった。

 機体がちょうど三浦半島の上空に差しかかった時、突然、「ウオーン、ウオーン」というメールの鳴き声が諒子の耳に聞こえてきた。はっとして窓から下を見下ろすと横浜の町が眼下に広がっている。

「メールが鳴いている。この声は確かにメールの声だわ。メール、どこにいるの」

 飛行機の中の諒子に、聞こえるはずのないメールの声が聞こえたとすれば、それは理屈では計り知れない強く引き合う力が諒子とメールの間に走ったとしか説明がつかない。

 それは別れの声であったのか、それとも、私は元気にしておりますからご安心くださいというメッセージだったのかは判らない。しかし諒子には、「メールは生きているのだ。良かった」という確信に近い思いが起こり、いつの間にか深い眠りに落ちた。

公園に来る人々

 初秋の日差しはいまだ強く、公園には犬を連れて夕方の散歩に出てきた人たちが、愛犬を交流させながら自らもしばしのお喋りを楽しんでいる。

 メールは大きいのでその中には入らず、夫とともに私から五十メートルほど先をすたすた歩いて行く。

 大型犬と大型人間には、一五五センチ足らずの私のコンパスではとても追いつかない。

 彼と一匹は、私より少し大回りをしてきて、また池のところで落ち合う事にしている。

 夏の名残りを惜しむが如く、街路樹に止まりジージー泣き喚く蝉の声。まさに蝉時雨とはこの事かなと感じ入っていると、突然その声が一瞬途絶えた。

 道の反対側に視線を移すと、年の頃四十五歳ぐらいの男が傘を振り上げ、飛び上って木を叩いている。一本が終わるとまた次の木のところに行って同じ行動を繰り返している。

 何をやっているのだろうと、思わず足を止めた。

「あら嫌だ、また来てる、あのおやじさん。毎日必ず今頃にやって来て、ああやって蝉を叩き散らして歩いているの。公園中の木を回って帰って行くんだけど、なんだか薄気味悪いねって若いお母さんたちと話しているのよ。蝉だってわずかな命なんだから。なんだってあんな可哀想なことするのかしら。子供たちの教育上も良くないから、やめてほしいのよね。昼間からお酒を飲んでいるようだし、あの分では頭も相当いかれているんじゃないかしら。怖くて誰も何にも言えないのよ。何が気に入らないのか知らないけれど、あんな事するのいいかげんにやめてほしいわ。まったくどうしようもない人問っているのよね」

 吐き捨てるように、あとから来た三十代の女性に投げかける。

「あの人、私の家の少し先に住んでいる人だけど、なんだか奥さんにも逃げられちゃったんだって。この不景気で仕事もリストラされたらしいわ。朝からああやって酒びたり、アル中になっているんじゃないかな。子供たちにはそばに近づかないようにって言っているんだけれど、ほんとに怖いわね」

 連れらしい女が言う。

「ふーん、それで自棄になっているのかね。でもあれじゃあ、奥さんにも逃げられちゃうね。もしかしたら、酒びたりの彼にとっては、あれも運動のうちなのかも。蝉に当たってもしょうがないけど哀れなもんだね。家族を抱えていれば、男稼業も大変だ。この不景気だから、これからはああいう連中が増えてくるのかもね」

 男は蝉落としに夢中になってヒョコタン、ヒョコタン飛び上がりながら去って行った。

話しかけてきた老婆

「奥さん、ここ空いていますか」

「どーぞ、どーぞ」

「奥さん、お一人」

「えーそうですけれど」

 七十歳ぐらいの小太りの女性が話しかけてきた。

「私ね、このちょっと上のほうに住んでいるの。半年ほど前に主人が亡くなって、近くに住んでる娘は心配してちょくちょく来てくれるんだけど、やっぱり娘は駄目ね。お互いにわがままが出てきて、慰めてくれるのか、えばられているのか判らなくなっちゃう。今日も午前中に来てくれたのよ。でもつまらない事でまた喧嘩になっちゃってさ、くさくさしたから出てきちゃったの。生きている時は大した事のない平凡な人だと思っていたけど、信じていた娘にまで馬鹿にされると、あんな人でも存在価値があったんだなとつくづくと思い出すの。今さら、何を言ってもしょうがないけれど、もっと大事にしておけば良かった。本当よ。夫を亡くすと、とたんに周りの者の態度が変わるのね。娘は借家住まいだから、私と一緒に住めば家賃は要らないし、私に子供の世話を押しつけて働きに出たいらしい事が見え見えなのに『お母さんが心配だから一緒に住んであげる』なんて恩着せがましく言うの。冗談じゃないわ。昔だったら上げ膳、据え膳で、大事にされた年よ。それなのに娘ときたら自分の事しか考えないで、家賃も光熱費もかからないし、家具類も食器も、『おばあちゃんの物を使わせてもらえば倹約出来るわ。お金をいっぱい貯めて素敵な家を建てたいの。よろしくね』なんて勝手な事を言うのよ。新しい家を建てたら『お世話になりました。バイバイ』が関の山。この年で孫の世話だ、食事の世話だと、こき使われるくらいなら死んだほうがましよ。親はお手伝いさんじゃあないんだから。私だって今まで夫に遠慮して出来なかった旅行や、趣味の事をやりたいでしょ。もうこの年になったら自分の事だけで精一杯、家事をやるのはもう嫌。初めて掴んだ自由を、たとえ娘だからと言ってもさ、妨害されたくないじゃない。孫は可愛いけれど、たまに来た時に可愛がるのがちょうど良いの。ほかの子供の手前もあるし、娘だけの言い分を聞いているわけにはいかないんだから。どこの家にもそれなりの事情ってものがありますからね。この頃はここに来て、主人によく似たタイプの若い人が来たら何となく話しかけて溜飲(りゅういん)を下げているの。これって結構面白いし、気分転換になって気持ちが落ち着いて、私には良い薬になるの。一銭もかからないから経済的でしょ。女っていつまでたっても男を意識するものなのね。そのうちに若いボーイフレンドでも作って、お芝居だ、旅行だって行こうかなって、娘に言って驚かせてやろうかしら」

 一気にまくし立てる。

「それは良い考えですね。子育ては親の責任でやるものですよ。最近の若い人たちは何か勘違いをしていて、自分が甘えている事に全然気づかないで、親に子供を押しつけて平気な顔をしている。おかしいですよ。自分たちは、稼いでそのお金で遊びまくっているし、分不相応なブランド物を、似合いもしないのに着けて得意になっている。馬鹿な若者が多いですよ。皆おんなじ物をつけて、個性のかけらもない。総白痴化もいい所。私たちの頃は誰にも頼らず子育てをしたし、それが当たり前で、子育てが楽しみでしたよ。今の人たちは、一人か、せいぜい二人ぐらいの子供を育てるのも大変だ、大変だのオンパレード。ハートのかけらもない。自分たちの子供でしょう。我々はやっと子育てが終わったら、次は親の介護で息をつく暇もなく過ごして、最後に夫を見送りやれやれと思ったら、自分もいつしか年を取ってしまったなんていう人が多いですよ。それが良いと言っているわけじゃーないんですよ、結婚してからなんの楽しみもせずに、子育てと老人介護に明け暮れて過ごしてしまった我々の年代の人たちが、残り少ない人生を自分の好きな事に費やしたり、気の合った友達と旅行に行ったりしても、誰からも非難される筋合いはありませんよ。そんな親たちに子供を預けて稼ぐ事を口実にして子育てから逃げたり、遊びまくろうとしている若者たちの言なりになる必要は絶対にありません」

 私は思わず語気を荒らげて、その老婆に言った。

若者の会話

「お前の家ってよー、爺さんや婆さんはいるの?」

「いねー」

「生きていないって言うこと? だけどさ、生きていなくてもどっかにいたことはいたんだろ」

「あったりめえじゃあねーか。俺の親だって木の股から生まれたわけじゃない」

「それじゃあ、墓はあるんだろ。それってどこにあんの?」

「知らねーよ」

「何、お前。親父の親や、お袋の親の墓も知らねーのか。それじゃー墓参りはどうするのさ。お彼岸やお盆の時行かねーのかよ」

「そんなの行った事なんかねーよ」

「えーまじで。ほんまかよ」

「ああ、まじだよ。そう言えばむかーし、親父の親父とかがおっ死んだ時によ、親父たちは葬式に行ったついでに、お袋の親の墓参りもしてきたとかなんとか言っていたよ。俺んちの親父もお袋も同じ村から出てきたらしい。北海道のど田舎らしいけどおれっち行った事なんかねーよ。運賃もたけーからな。うちの親父みてーな安月給取りじゃー子供までは連れて行けねーんだろ、哀れなもんだ。だからさ俺たち、子供は爺さまや婆さまの顔も墓も知らねーんだ。だけどよ、俺たちもそーやって人生を終わるのかと思うとやりきれねーな。世の中やっぱ金だよ。金を持っていなくちゃ何にも出来ねー。金を持っている者の勝ちだ。俺は稼ぐぞー。俺は絶対に金持ちになるぞー、うぉー」

 拳骨を空に向かって突き上げる。

「だけどさー、それって俺から見れば羨ましいものがあるぜ。俺なんてさー、親父もお袋も都会育ちの一人っ子同士だもんな。おまけに俺まで一人だろ。両方の爺様、婆様から、あんただけが我が家の血筋を引いた跡取りなんだからお墓のおもりは頼んだよ、なんて言われてよー、小さい時からお彼岸と暮には必ず両方に付き合わされるんだ、本当に冗談じゃーねーよ。老い先短いあの人たちの頭の中には、自分たちの墓の事しかないんだな。可愛い孫だなんて言ってもさ、所詮は自分たちが死んだあとの墓を誰が守るかしか考えてないんだから。馬鹿じゃあないって言いたくなるよ。人間だって所詮骨になれば物体よ。どこでどうされても文句は言えないじゃないかよ。それなのにその事で最近は親父とお袋の間までおかしくなっちゃってさ。『お前は親が離婚したら父親につくか母親につくか』なんて馬鹿な事を言うようになっちゃってさー」

「ふーん、お前のところも結構大変なんだな、それでお前、なんて言ったの?」

「それならそれで助かった。どっちにもつかないで、俺、独自の新戸籍を作るから心配しないでくれ。これでどっちの墓も守らなくてすむからありがたい。身軽になったら海外にでも住んでみようかな。青い目の嫁さんをもらって、墓の守りも親の介護もしなくてすむなら気楽じゃん。別れる以上はお互い後腐れのないように再婚をしてくれ。これで俺は自由になった、って言ったら、みんなシーン。これで一件落着さ。見事なもんだろ。だけどさ、まじで墓の問題なんてくだらないよな」

「俺もそう思う。俺なんて自分が死ぬなんてまず考えられねーし、たとえ死んだにしても、あんな黴臭くて真っ暗な墓の中には入りたくはねーよ。自分の骨に黴が生えているところを想像できるかよ。やべーぜ。たとえ親から頼まれても、これからの世の中、我々は世界のどこの国に住むかも判らねーんだから気安く頼まれたくないよ。てめーらの住んできた時代と一緒にしないでほしいんだよな。俺は子供にも遺言で、俺が死んでも墓だけには入れてくれるな。大好きな海にでも撒いてくれればそれが俺の本望だ。もしこれを守らなかったら化けて出るぞーって書いておこうかな」

「まったくだ。化けて出ることが出来るかどうかは別として、人間いつかは死ぬ事は確かだ。生きているうちが(はな)だ。一生なんて短いんだからさ、自分の生きたいように生きればいいんだよ。俺たちだって爺様たちだって、死んでしまえば皆ご先祖様よ。俺の墓は地球だと思っていれば、世界のどこに葬られようが偕老同穴でめでたしめでたしさ。何百億年かたって地球が滅びるまでは俺っちの墓はあるんだからそれでいいんじゃねーの」

 二人の大学生らしい若者は結論が出たのか、「寒くなってきたから帰るべ」と立ち去って行った。公園には色々な人が来る。私もちょっと寒くなってきたので立ち上がり、後ろを振り向くとそこには「大分待った!」と嬉しそうに尻尾を振っているメールと夫の姿があった。

箸にも棒にも掛からない

 めったに寝込んだ事のない夫が、

「なんだか風邪を引いてしまったらしい。どうも散歩に行くのが億劫だからメールを頼む」

 と言って寝込んでしまった。自信はなかったがこうなれば仕方がない。散歩用の引き綱を手に犬小屋へ近づくと、メールは怪訝そうな顔で首を傾げている。

「今日は、パパがお風邪だからママとお散歩に行きましょうね」

 首輪に引綱をつけると、やっと事態が判ったようで、大騒ぎして飛び上がって私の肩に手をかけ舐めようとする。私は犬に舐められるのが苦手なので、

「駄目、駄目。こら、そんな事をしたらママは潰れちゃうでしょ。メ、メッ」

 綱を短くして持ち、そろり、そろりと階段に近づく。

 私より身体の大きなメールに、ここで引っ張られたら一巻の終わりだ。

 ところが驚いた事に、階段の上の門を開けても自分から飛び出す様子もなく、私が一段、一段下がるのを待って慎重に私の足の運びを見ながらあとからついてくるのだ。

 これは新しい発見だ。この子は優しいし賢い。私でも安心して散歩に連れて行ける自信が出てきた。メールの以前の飼い主も階段を上った家に住んでいた可能性がある。

 あの華奢な彼女が連れて歩いていたのだ。階段などはよほど訓練していなければ危ない。彼女に比べたら私のほうが体重が重いだけ優位だが、危ない事には変わりはない。

 いざという時には階段に座り込めるように腰を落として下りていたのだが、中段からは身体を伸ばして下りた。きちんと訓練されている事をメールの中に発見するたびに、私たちはやはりメールは利口で育ちの良い犬だと言っては喜び合う。

 今日の新しい発見も夫に報告してあげよう。

 いつも夫が歩くコースは少しきつそうなので、私がかつて通い続けた子供たちの小学校へのコースを選んだ。子供が成長した今、こちらへ歩みを向ける事もなく過ごしてきたが、当時を思い出してなんとなく懐かしい。

 ここは佐野さんの家だとか、あそこのまきちゃんは可愛かったけれど、どんなお母さんになっているんだろうとか、現在の我が家の子供たちの変化を重ね合わせながら歩く。

 今の季節は、家々の庭に花が溢れるように咲き乱れていて実に美しい。しかし最近では名前も知らない外国産の花が多いので、直接短歌や詩に歌い込むことは難しいから、色の美しさや、形、匂いなどをしっかりと頭に刻み込む。長男の小学校時代のクラスメートだった家の前まで来た時、そこの母親が可愛らしい男の子を抱えて立っていた。

「あら、お久しぶり。ご無沙汰いたしておりましたけれど、お元気? まー、なんて可愛らしい赤ちゃんかしら、丈夫そうによく育って、重そうね。やっこちゃんのところのお孫さん? ウックーン、あら笑ってくれたわ。いい子ちゃん。早いわねー、あなたも、もうおばあちゃんになられたのね。でもこんなに可愛い赤ちゃんが出来て、もうご安心ね。ご主人もさぞかしお喜びでしょう。良かったわねー」

「それがちょっと違うのよ。ねー急いでいらっしゃる。もし差し支えなかったら久しぶりにお茶を飲んでいらっしゃらない。積もる話もしたいしー」

「別に急ぐ旅でもないけれど、申しわけないじゃあない。メールも連れている事だし」

「いいの、いいの。ワンちゃんは大人しそうだから大丈夫でしょ。そこの柱につないでおいてちょうだい。今、やっこが来ているの。話を聞いてやってよ。二人で話していると変になっちゃいそうだから、そうそうお宅の話も聞かせてね。康子―、康子―、珍しいお客様よ、お茶でも淹れてー」

「おばちゃま、お久しぶりです」

 奥からここの家の一人娘で、長男のクラスメートのやっこちゃんが顔を覗かせる。

「わー、すごく大きい犬ですね。なんていう種類の犬ですか。初めて見たわ」

 メールが近寄って尻尾を振ると、やっこちゃんはよほど気に入ったのか、

「可愛いー。いいなー。ママも運動になるからメールちゃんのように大人しい犬を飼えばいいのよ。食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活じゃあろくな事にはならないわよ。ねー、おばちゃま、そうでしょ」

「やっこちゃん、それって私のこと……」

「嫌ーだ、おばちゃまったら、そんな意味じゃあないですから誤解しないでくださいね。今お茶を淹れてきまーす」

「そこへお座りになってね。そのごどうしていらっしゃるの。きみ君も良いお父さんになったんでしょうね。皆さんお元気」

「お陰様で、どうにか」

「うちはねー、二年前に主人が心臓病であっと言う間に死んじゃって、それから全てが狂い始めたの。やっこはその半年前に結婚していたんだけれど、あちらもお父さんを亡くされてお母さんと妹さんだけなもので、何かというと長男を頼っていただけに、うちのお父さんが死んだら、やっこが一人娘だという事が急に気になり出したみたい。最初からそんな事判っていたはずなのに、長男を取られたような気がするらしくて、何かとやっこに嫌味を言うようになったのよ。うちのお父さんは、農家の出なの。やっこは一人娘だから嫁に行ったら婚家の墓に入るんだろうから、俺たちが死んだら田舎のお墓に入れてもらおうよって言ってたので、田舎の兄さんに頼んでとりあえずはそこに入ったんだけれど、あちらのお父さんも秋田の農家の三男坊だからお墓もないらしくて、お骨を今はお寺さんに預けてるんですって。この頃、お寺さんからもお墓はどうなさいますかって催促されているらしいの。お寺さんも、お墓もない人のお骨をいつまでも預かっているわけにはいかないんでしょ。でもこっちじゃあお墓を建てるにしても、なまじのお金じゃあ買えないでしょ。あちらのお母さんも、妹さんの結婚を考えたり、ご自分の老後を考えるとお墓どころではないから、やっこの亭主に『長男のお前がお墓を建ててくれ』って事になったんだけど、やっこたちにしたらこの子も生まれた事だし早く家が欲しいでしょ。家賃節約のためにこちらへ来て少しでも貯金したいと言ったら、お母さんが逆上して、『そんなに実家がいいんなら息子と離婚をしてからにしてくれ』と言い出したの。無茶な話でしょ。こんなに可愛いラブリータンまで出来たというのに気が狂ったとしか思えないわ。だってあちらは市営住宅に住んでいて、妹さんもまだいるわけだから、この人たちを迎え入れる部屋なんかないんですもの。ここに来れば広いし、家賃は要らないし、私がラブリータンの世話をすればやっこだって働く事もできるんだから、お墓を建てるにしても最短距離の方法だと彼も説得したんだけれど、全然聴く耳もなく、もうほとほと困りきっているの。何か良い方法はないかしら」

「やっこちゃん、あなたのお連れ合いってどんな方?」

「おばちゃまだから言っちゃおうかな。驚かないでね、よーするに一言で言うならば、マザコン野郎のすっとこどっこい。箸にも棒にも掛らないひょなひょな男なのよー。まったくどうしてあんな奴を選んじゃったかと思うと悔しくて悔しくて。私に人を見る目がなかったんだなー。後悔先に立たずっていう事。彼ったら母親に何か言われると何にも言えなくなっちゃってさー。まったくだらしがないんだから、嫌になっちゃう」

「あんたみたいに母親にズバズバ言う子も問題だけれどさ、彼は優しいからお母さんに強く言えないのよ」

「私の友達のところでも同じような問題が起こって。でもうまく解決したみたいよ」

「あらそうなの、どう解決したの」

「そこはどちらも一人っ子同士だったみたい。結局話し合って、どちらも死んでしまえば子孫にとってはご先祖様になるわけだから、無縁墓地を増やす必要はない。両方でお金を出し合って先祖代々っていうお墓を作って一緒に入る事にしたんですって。これからはこの形式が増えてきますって、お寺さんが言われたそうよ」

「でも宗教が違ったらどうなるの」

「それが面白いお寺さんで、『信仰の自由は個人の権利です。亡くなってあの世にいらした方を今の僕の力では改宗させる事は出来ません。しかしこうして皆様からご相談を受け、当寺のお身内のお墓に入られるのも仏様のご縁でございましょう。大切にお守りさせていただきます』って本当に大らかなんですって。みんなすっかり感激しちゃって、偉いお坊さんだ。素晴らしい知恵者だって大騒ぎ。これからはお墓の問題で揉めている家のアドバイザーをお寺さんがすればいいのよ。ヤラズブッタクリで、お経だけ読んでいればすむ時代ではなくなってきているんじゃあない」

「なるほどねー。良いことを教えてくださってありがとう。今日彼が帰ってきたら話をして、あちらのお母さんも交えて考えてみるわ。あちらが理解して、そうしてくださればうちのお父さんだって田舎のお墓で寂しい思いをしなくてすむし私だって孫がお墓参りに来てくれたら嬉しいもの。よかったねラブリータン、ママとパパが仲直り出来そうだよ」

 一ヶ月後、親、子、孫三代で遊びがてら我が家に訪ねてきた時に、

「お陰様で一件落着いたしました。あちらのお母さんもお父さんのお墓の事でお寺さんから言われて辛い立場だったのね。あれから皆であちこちの公園墓地を見て回って、最終的に皆の気に入った三浦半島の海が見える墓地を我が家で買って、これからの御守り一切をやっこの家族で責任を持つ事にしたの。付録なんだけれど、あちらのお母さん、妹さんが嫁がれたら我々と一緒にここに住む事になったのよ。ラブリータンも二人のおばあちゃんが育てればやっこたちも安心して勤めにも出られるし、両方のおばあちゃんも孫を公平に世話が出来るでしょ。何も今から一緒にならなくてもと言う人もあるけれど、お墓まで一緒なんですもの。早いか遅いかの違いだけですものね」

「やっこちゃん、箸にも棒にもの君はどうなったの、仲直り出来た?」

「嫌だ、おばちゃまったら、もう言いっこなしにしてくださいな」

「判ったわ、お幸せにどうぞ」

 何はともあれ、めでたしめでたしの決着であった。

トロイの美女

 時々公園で出会う親子連れがいる。母親と思えるその女性は人目を引くほどの美人さんで、少しふくよかな有馬稲子と言ったところか、横から見た額から鼻までの線がギリシャの彫刻のように美しい。

 しかし彼女が連れている三人の子供たちは一人としてこの母親に似た子はなく、兄弟妹もそれぞれが全然似ていない不思議な親子である。しかしどの子も「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼んでいるから、おそらく彼女の子供には違いない。

 長男は色白でヒョロヒョロッとしており、いかにも気の弱そうな細い目をした子で、活発で利発そうな妹のあとからオズオズとついて回っている。

 妹は活発なだけあって、目も大きく、キリッとした顔立ちで、夏という事もあってか、真っ黒に日焼けしており、兄や弟の三倍はあるかと思うほどの声を張り上げて常に兄弟をリードしている。末っ子の男の子は動作が緩慢で、お人好しそうでちょっと頼りないが、兄弟妹は仲が良く、母親も大らかにゆとりをもって子供たちを見守っている。

 なかなか良い育て方をしているなー。最近は連れ子同士の再婚も結構多いのでその類かななどと勝手に想像していた。

 いつものようにメールと夫が遠回りをしてくる間、ベンチに腰かけて待っていると、この母親が私の隣に来てドスンと座り、手に持っていた荷物をよいしょと下に置いた。美人さんとその動作があまりにもそぐわなかったので、驚いて視線を投げかけると、

「あっ、ごめんなさいね。子供三人を遊ばせるって結構しんどいのよねー。おーい、お前たちこっちに来てジュースを飲みな」

 私の持っていた彼女に対するイメージが、ガラガラと崩れ落ちる。

「あんたたち、いいかい、汚すんじゃあないよ。昨日買ってもらったばかりなんだからさ。ジュースの染みはなかなか取れないんだからね。煎餅もあるよ。誰か食べるかい。疲れたから、もうちょっと遊んだら帰ろうね。そうだ、今日は父ちゃん、飲み会で遅くなるんだっけ。どーせ飲めない酒に付き合ってくるんだから、父ちゃんにはお茶漬けでも作ればいいんだからさ。皆で帰りにラーメン食って行こうよ。今日はもう母ちゃん疲れちゃった。俊夫、お前はまた餃子かい。判ったよ、何でも良いからもう少し遊んできな」

 身なりもそれなりにお酒落をしているし、子供たちにもお揃いの新しいジャージを着せている。結構豊かに生活をしているように見えるのに、その口元から出てくる言葉つきは、美貌とはほど遠いものであった。

 子供たちが遊びに散って行くと、足を大きく開いて椅子の背に反り返って伸びをする。

「あーあ疲れたー。子供は可愛いし、良い子たちだけど相手するのは本当に疲れるわ。奥さん気がついた? 子供たちみんな似てないでしょ。全部私の子だけどさ、父親が違うのよ」

「まーそうですか」

「うちの父ちゃんの子供は一番上の子でさ、下のあの女の子の父親は顔もスタイルも結構いいから、あたしの美貌と両方の血が混じって綺麗な子になったんよ。女の子は美貌じゃあないとね。だからあっちの奥さんも大喜びでさ、私に感謝してくれてるの。一番下の子の父親は、デブで少しとろいんだけど、百姓やってた親からもらった土地が、開発ですごい金が入ったんよ。まあ奥さんがしっかり者だから守っているんだけどね。うちの父ちゃんって人は、鼠男みたいに貧相な人なんだけど頭は良いんよ。だから私は父ちゃんを尊敬しちゃうんだ。私はこの美貌だけどさ、頭はあんまり良くないのね。少し。パーなのよ。お互いに品種の改良と思って結婚して長男を産んだんだけれどさ、巧くいかないね。長男はお父ちゃんにそっくり。頭は悪くないから、お父ちゃんは自分が家庭の事情で入れなかった大学に入れたいんだって。でもさあ、お父ちゃんの給料じゃあ、大勢の子供はとっても育てられないでしょ。一人がやっと。でもお父ちゃんは子供が大好きだからどうしても三人はほしい。父ちゃんは大勢の子供に囲まれて暮らすのが夢だったんだって、だからお前も協力してくれって言うの。人助けをしながら三人の子供を育てる方法を考え出してね」

「はー?」

「金は持っているけれど子供がいない四十五歳過ぎの夫婦に持ちかけて、私とそこの旦那が関係を持って妊娠したら、生まれてくる子供の籍は相手のほうに入れて、育てるのは私たちがする約束をしたの」

「え、えっー」

「相手にしたら大喜びよ。自分たちの子供は出来ないと思っていたのに、跡取りが出来たんだものね。今までなんとかかんとかうるさいことを言ってきた親戚に対しても、えばったもんだし、もちろん奥さんたちとも養子縁組をしているから、あの女の子も下の子も、あっちの財産を継ぐから将来も心配ないし、長男にしても妹弟があったほうがいいじゃん」

「でも、本当にそんなに巧くいっているの?」

「ちょっとこの写真を見て。月に二回ほど三家族で集まって一日一緒に過ごすの。親戚、兄弟の集まりみたいなものよ。これ、この前伊豆へ一泊しに行った時の写真。ほら、この綺麗な顔立ちの、立派な人が女の子の父親よ。かっこいいでしょ。こっちの人が下の子の父親、ベンツのすごいのに乗ってきちゃってさ、この時の費用は全部彼の箸り。すごく楽しかった。養育費として一人月二十万円ずつ入れてくれるんだけど、そのほかに色々な物を買ってきたり、送ってきたりするの。子供たちも夏休みは向こうの家に泊まりに行ったり結構楽しんでいるんだ。結構巧くいってるよ。私たちは子供たちがいない間、去年はハワイにご招待で、二週間ばかり行かせてもらっちゃった」

「でも子供さんたち、お名前がみんな違うんでしょ。大丈夫?」

「子供たちにも話してあるから、兄弟で姓が違っても子供なりに納得していて、今のところ問題はないわ。奥さん、でもね、私はうちのお父ちゃんが一番賢いと思っているの。だって人助けにはなるし、皆が幸福になるんだから、それを考え出したうちのお父ちゃんてすごい人だなって思っちゃうのよ」

 屈託なく、見ず知らずの私に何でもしゃべってしまう、このちょっととろい美女。案外こういう人が少子高齢化を食い止めるのに貢献しているのかもしれない。

 筋が通っているようで通っていない、大変に不道徳ではあるがどこか可笑しい。

 しかしここに登場してくる人々は、それなりに今現在はみんな幸せに暮らしている。

 たとえそれが一時の幸せであったとしても、子供を仲立ちにして、この人間関係の希薄な世の中で親族のように生きていく事ができれば、それも一つのあり方かもしれない。

 考えてみれば道徳なんていう代物も、所詮は人間社会だけに通用するもの。その枠を取り払ってしまえば、彼女たちはごく自然体で生きているのかもしれない。

 それにしても、この世の中には色々の生き様があって面白いなー。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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神川 十浄

カミカワ トキヨ
かみかわ ときよ 1937(昭和12)年栃木県足利市に生まれる。生後2カ月で横浜に移住。音楽教育に携わったのち非常勤国家公務員。著書に『ラメール』(2005年、文芸社)、『佐和 鎌倉そだち』(2008年、文芸社)がある。

掲載作は、2005年文芸社刊『ラメール』より第一章を抄録した。

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