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追い風 向い風

(Head Wind Tail Wind) 

フライト

久々の太平洋上飛行にて座席の画面はフライトマップ

風向は追い風 高度は一定11,887m

憧れのヒューストン空港に到着す築三年の白の美意識

待っていた地名が航路に現れて毛布被ってブラインド上げる

窓枠より見下ろす一帯アマゾニアなぜかふんわり温かき闇

イグアスの滝

トロッコの列車は走る原生の林をぬけてイグアスの滝へ

赤き地を溶かして流れる赤き川いかなる忿怒を溶かし来たるや

青空に立ち昇りゆく水煙と轟く音に歩み速まる

どの滝も滝壺見せず水煙の深きに潜めて轟くばかり

立ち昇る水煙に円弧の虹立ちて手を伸ばしたら触れられそうだ

滝壺を覆う水煙にころころと球なす虹が転がりている

桟橋の導くままに入りゆく滝の飛沫の中に快感

ほとばしる滝の飛沫を身に受けて私一人の三次元()

痛いほどビニール合羽に打ちつける赤みを帯びた滝の水滴

頭上より圧倒される滝見つめ落下のベクトルに前のめりする

轟きは誘いか拒絶か 滝壺が不気味に厚き飛沫に潜む

泣き虫を断ちたる日より溜まり来し涙を瀑布に投げてしまおう

とうとうと流れて来たる河の面が滝に落ちゆくまぎわに騒立つ

北斎の「阿弥陀が瀧」の滝の()の円の構図を思い出すなり

目交いに触れたる地球の躍動がわが生涯の動態財産

二百余のイグアスの滝の競演におのもおのもの意志あるごとし

イグアスの宿は五つ星マブホテル 空に輝く南十字座

はつなつの三国国境地点にはイグアス川の穏しき合流

尻尾のように国境線を伸ばしいるA国ありて平和保たる

ブエノス アイレス

空港よりサッカー地区抜けポカ地区へ小径に踊るタンゴに寂あり

陶板にわれの短歌を墨書して展示されいる ボルヘス文化センター

街なかの歴史建造物内に展示場ありショッピングモールも

華やげる夜のフロリダ通りには若者たちがデザインを売る

サッカーも街路も墓地も生活もアートと成して(さき)わう国なり

マチュピチュ

岩峰の一つひらきて目を見張る 真空の都市 宙空の都市

渓谷より迫り上がりたる断崖に神の造化と思う遺跡は

若峰(ワイナピチュ)と石積み建物と段々畑(アンデネス) かかる構図に立ち竦みいる

差し伸べてくれし(おみな)の手を借りて神殿めぐる列にし戻る

山酔いの足どりに石段登るとき湿潤温暖地(ソナ・テンプラダ)の風のやさしさ

足元の危うき岩場に蘇る「三点確保」の登攀の教え

あえぎつつ日時計(インディワタナ)の神殿に登りつき労う言葉に迎えられたり

巡り来し神殿ごとに石積みの匠の技の極まるを見つ

精緻なる石垣の陰に石工らの数多の思い込められていん

コンドルの神殿に入りて耳を突くごとき言葉の「牢獄」「囚人」

農業と太陽神とを尊びし遺跡は権力のなごり思わす

工事地区と住居地区とを画しいる石垣の辺に若草茂る

「神聖なる広場」の近くに野生蘭はつなつの光につつましく咲く

鶏鳴きてマチュピチュ村に目覚むれば朝の光に芭蕉葉ゆれる

午前中の自由時間に遺りいる農地管理人住居跡見る

岩棚のベンチに坐り見はるかす遺跡の中にわれ遺跡人

昂りて昨日巡りし実感をうちに覚まして順路をなぞる

端整な段段畑に真向かえば名刹の庭に(むか)う心地す

神業のごとき調和の造形美 眼に収め静態財産

背景に鎮座まします若峰(ワイナピチュ) 謎のすべてを知りて語るか

今ここに毛筆あらば描きたし水墨の画にわが魂込めて

和紙と墨その律動にマチュピチュの遺構描きたき思いのつのる

ウルバンバ渓谷より昇りくる霧が遺跡に立ち込め初むる

アンデスの雷鳴聞こゆ 慈父のごと雨を降らせて遠ざかりゆく

いずこより来たるか白きリャマ一頭雨滴の光る草を食みいる

見つめいるアンデスの空の静けさの涯に消えゆくケイナの響き

石の文明

クスコ市の石畳の道歩みいてインカの民の矜持を覚ゆ

巧繊なる石の壁にし囲まれて自ずと心の引き締まりくる

石組に十二角の石ありて「薄刃も通さぬ」技倆に捉わる

石組の十二角なる石の辺は接する石に隙間なく付く

石組の中に一辺2センチの石を見つけてほほ笑むわれは

精密なる石の加工に使いしは堅くて黒き小石のみとぞ

要塞のサクサイワマンにインカ(びと)巨石を積みて神殿築きし

見上ぐれば要塞の巨き石聳ゆ高地の空に石稜のごと

要塞の石垣に沿い歩むとき蛇や花の石組みもあり

マチュピチュの水汲み場への水の道 遠き山よりの石組みの道

今もなお水を給して守られる遺跡に人の温みを思う

大き塔の巨石に彫られし階段に厳しきまでの技量の遺る

石洞の霊廟のぞき過ぎりくる黄金博物館(はくぶつかん)に見き儀式の刀

帝王と神官のみの秘儀という生贄の台も大き石なり

太陽神への儀礼に天体観測に石への篤き尊奉ありき

古代より石を尊び祀り来し心は宇宙への帰依とも思う

ナスカ

リマ市よりハイウエイひたに走り来て夕暮れ迫るナスカに着きぬ

マリア・ライヒエの観測塔に馳せ登り遠山に沈む夕陽に向う

素朴なる観測塔(ミラドール)より辛うじて地上絵「手」と「木」の一端を見る

落日の斜光に浮かぶ地上絵は思いのほかの巨き広がり

夕つ陽は淡き茜に残りつつナスカを墨の色に鎮める

荘厳なるナスカの落暉を見収めて顧みすれば夕茜の月

東の空に豊けき月出でてゆるらに光り輝き冴ゆる

月光に地上絵のコンドルやハミングバード銀の砂漠に飛び初むるらん

雨乞いの鯨や魚やシャチたちが月の光の流れに泳ぐか

いずくかにわが魂の宿りせん月光みつるナスカの原に

オアシスの街のホテルの内装はナスカ文化の織物・絵画

一夜明け青き空飛ぶセスナ機より朝日に映える地上絵を見る

人工衛星(ランドサット)の画像のみにて発見された地上絵ありて想い広ごる

旅の終わりに

あなうらにアンデス越えを感じつつ夜間飛行を愉しと思う

ヒューストンより成田へ向かう北航路 向い風とは旅への惜別

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2012/08/29

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河村 郁子

カワムライクコ
主な歌集は、第一歌集『翼』、第二歌集『追風 向い風』[Head Wind Tail Wind](日・英bilingual)。

掲載作は、第2歌集『追風 向い風』(2009年、美研インターナショナル刊)より抜粋(電子文藝館掲載にあたり、改作した歌あり)。

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