『かなかな』より
かなかな
空が明るんでくるころ
かなかなと鳴いてみる
かなかなと何度か練習する
あとは黙っている
昼間は暑いのに
ジージージーと鳴いている油蟬
オーシツクツクオーシツクツクと鳴く
法師蟬の声を聞いても黙っている
みんな黙っている
あたりがうす暗くなるころ
朝の調子を思い出して
かなかなと鳴いてみる
かなかなと軽く鳴く
すると むこうでも
こっちでも かなかなかなかな
かなかなかなかなと
声の提灯が灯る
暗くなってくるのに
明るい声で
かなかなかなかなと
みんな思い切り鳴いている
満 月
九時頃の
満月の夜道で
あっと叫んで手をやると
前額に怪我はなかった
ほっとして
何気なく地面をみると
黒い虫が歩いている
これが物体だったら
容赦なくわたしを傷つけただろう
わたしを傷つけなかったのだ
虫は夜道を歩いている
虫はぶつかったショックで
ゆっくりとしか歩けないのだろう
とぶ翅があるのに
たたんだまま歩いている
どこか傷ついているのだろう
えっちら
おっちら
黒い虫は歩いている
愛嬌ふりまく道化の虫よ
いたずら者の虫よ
大丈夫か
ひとを撃つ
わたしはたった一度だけ
銃でひとを撃ったことがある
T青年の持っていた空気銃は
少年たちの憧れだった
そのずしりとした銃身
交代で持たせて貰った
空に向って目標を定めて
撃つ
当時
垣根は茶の木が植えられていた
その垣根の西の端
隣接地との境にある
木の股に銃身を固定して
わたしは引金に指を当て
獲物を撃つ真似をしていた
耳許でささやく声がした
――大丈夫だから撃ってごらん
弾丸は入っていないから……
わたしは目標を定めた
向うからくる幼児を撃った
火のついたように泣き叫ぶ男の子
かけつけた母親が大声で叫んでいる
わたしはどうしてよいか判らなかった
鞄を背負って一目散に
小学校へ走っていった――
あれから四十年程になる
冬のことで
わが家の庭から富士山がよく見えた
石焼きの石を新聞紙にくるんで
しもやけの手を暖めたりした頃である
厚着をしていたので
弾丸は貫通せずに
途中でとまっていたという
冬になると
荒れてくる手の甲に
浮き出た血管のなかを流れ
わたしの中を流れている血が騒ぎ出す
――大丈夫だからやってごらん
大丈夫だから
風羅坊の雀
多摩川の
ススキの原の
一本の細いススキの穂先に
群から離れ
雀が一羽とまっている
不確かな自分を確かめているのか
雀のいまいる位置は
不安定で
風に吹かれるススキの穂先
身体の重みで
茎は
暫くは 此処に
こうして
生きている重みを確かめている
風羅坊の雀
註・笈の小文「百骸九竅の中に物あり。かりに名づけて風羅坊といふ」
鯎幻想
くもった日には
多摩川の流れのなかで
星に憧れている鯎たちは
ある夜
空に向かって昇っていった
空には星たちが鯎の来るのを待っていた
夜明け前に
鯎はひとつずつ星を持って川に帰ってきた
翌朝
多摩川の流れのなかで
星を持った鯎の群れは
新鮮な輝きを増して泳いでいる
きらりひらりと光りながら。
註・ウグイ=コイ科の魚。ハヤともいう。
カネタタキ
庭の片隅で
カネタタキが死んだ
小さな生涯で
生涯を
いつも
コオロギの音楽を聞いてはいたが
我関せずという風情で
鉦を叩いていた
チンチンチン
単調な音だが
聞いてくれる耳のため
鉦を叩いていた
叩いているうち
鉦を叩くのが
自分のためだと気付いたように
只管
鉦を叩いていた
飾りのない
単調な音だからこそ
聞くもののこころをうった
カネタタキが死んだ
ひっそり死んで
誰も何も言わなかった
チン チン チン チン
冥土から
鉦を叩いている音が聞えてくる
月が冴え
雲は流れてゆく
註・カネタタキ=コオロギ科の昆虫で雄は約九ミリ、秋に枯葉の間などで「チンチン」と鳴く。
石を投げる
学校の帰り
少年のわたしがいつも通る道には
小石を持って待ち伏せしていた
わたしが通ると
小石を投げてきた
あるとき
友達とふたりで
苛めっ子をやっつけてやろうと
小石をひろい集め
苛めっ子に向って投げ続けた
ところが 彼は
すいっすいっと身軽によけて
わたしたちが投げ終ると
たった一人でこちらに向って
勢いよく走りながら
次次と石を投げてきた
この苛めっ子は
実は左目が潰れていた
左の目はまったく見えない
片目の少年であった
この少年は いま
わたしのこころの中にいる
潰れてしまった左の目には
いつも涙が
小石を拾い集めては
暗い海に向って
投げている
豆絞りの手拭
雨は終日降り続いていた
五月の夜に
帰宅して門扉を開け
庭へ足を踏み入れたとき
豆絞りの手拭を蹴とばした
何でこんな所に手拭を!
と考えていると
豆絞りの手拭は
くるりと身を半転させて
のそのそと恥ずかしそうに
庭の隅の方へ這っていった
豆絞りの手拭と見たのは
実はひきがえるのお腹の模様だった
憎めないなぁ
踏み殺さなくてよかったと安堵して
可笑しみのある
歩く姿を見つめていた
その夜わたしは夢を見た
豆絞りの手拭の大好きだった父が
待ちに待った夏祭りの夜に
水玉模様の浴衣を
豆絞りの手拭を首にひっかけて
自転車で出かけていく姿を。
鷺宮
御神酒所へ向って自転車をこぐ
遠ざかる父を。
もう決して帰ることのない父の姿を。
うぐいすが血ッ血ッと鳴く
民家の玄関先に咲いている椿の木の枝から
うぐいすがとび出してきて
チッチッと春を祝福するように
わたしの目の前を低空飛行でとんでいった
一月の晴れた朝
東京青梅市の郊外の荒れた畑には
とり残された
目も口もない瓢箪だが
ゆったり寝そべっているもの
転っているのを楽しんでいるもの
朝の光は暖かく瓢箪たちを舐めていた
空を見上げると
白い雲が浮かんでいた
この空はいまも
戦いの行なわれている暗黒の空と続いている
わたしは幻視する
うぐいすが血ッ血ッと叫びながら
北の方へ向ってとんで行った
残された椿の木は花から血を流していた
畑の瓢箪は兵士のとなって転がっている
いつの間にかやってきた四十雀が
黒と白の喪服姿でせわしなく動いている
目を見ひらく
すると
一月の晴れた朝
四十雀が電柱にとまって鳴いている
チューピーチューピー春を告げているのを
悪夢のあとの朝のように
哀しく祈る姿勢で聞いている
田 螺
魚の棲む水甕の中には
水甕に生ずる苔を食べて生きているので
水甕の中はいつも綺麗に澄んではいるが
田螺の貝殻には苔がいっぱい付着している
自分の背中の見えない田螺は
きょうも水甕の
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2012/01/06
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