『いとしのエラ エラ・マイヤールに捧げる挽歌』
<目次>
■はじめに
クリスチアン・デュメ=ルヴォフスキ
アンヌ・ドゥリアの手によるこの物語は、師を失って嘆く弟子の、慰めようのないエレジーであり、献身の対話である。それは「魂の奥底の平和」「生きるとは何か」の深遠な追求を続ける師と弟子の姿を、共同生活の何げない日常の中に紡ぎ出す。
二人の対話は、著者自身が共に生活し深く交わりをもった、エラ・マイヤールというスイスが生んだあの類い稀なる行動の女性の、晩年の二年間の思想を描き出すが、その語り口はヒンドゥー教のバクティ(信愛)を想起させる。
その二年間のほとんどを、エラ・マイヤールとアンヌ・ドゥリアは、アニヴィエの谷を見下ろすシャンドラン村の、マッターホルンの素晴らしいシルエットに向き合う「アチャラ山荘」で送った。
山々を凝視し、庭の雑草を刈り、静寂に耳を傾け、太陽に祈ることは、この二人の女性にとって「不変のもの」に敬意を表わす祈りのようなものであったろう。落葉松を骨組みに樅の羽目板を張ったこの飾りけのない住まいで、「今世紀が生んだ最大のさすらい人」はその生涯を終えたのだ。
今から六十年前に、インドのラマナ・マハルシ師のもとからスイスに戻ったエラは、放浪の果ての憩いの宿のようにこの山荘を建て、以後毎年、春と夏をここで過ごしてきた。冬は生まれ故郷のジュネーブに滞在したが、他の大都市と同様、ここジュネーブの町はあまり好まなかった。
「地球というものの不可思議に取り憑かれて」、エラは「偉大な全」と称する探究へと旅立つ。それは彼女を有名にした数かずの冒険旅行と同じエネルギーを要した。神へと続く道は険しく厳しかった。まるでエラが住みついたこの谷と同じように。
土地っ子のコリンヌ・ビーユが、いみじくも言っている。「ここには何もない。だからこそすべてがある。人は孤独だ。人はここで自らに出会うことができるのだ」と・・・・・・。
心の内面へと向かうこの旅の物語は、エラ自身の写真のいくつかで、節目がつけられている。それらの写真は、この地球の現実の姿であるとともに、彼女が見せたいと願った内面への道、東洋の魂でもある。
1997年3月27日、二年間付き添ったアンヌの腕に優しく抱かれながら、神が仕事を始めるまさにその時間に、エラはその最後の光りを放ち尽くした。アンヌ・ドゥリアを寡黙な別れの儀式の中に置いて・・・・・・。
「さあ休息の時が来た。バルコニーに出て、胸一杯、息を吸い込んでごらん。そして自分の魂が生きようと望んでいることを想い起こすのです」。
これは人がどう生きるべきかを語る本であり、物語の主人公に対する敬愛心と回想に立った、誠実な魂による祈りの本でもある。
■プロローグ
親愛なるエラ
私があなたのためにして差し上げたのは、何ということはない身の回りのことでしかありませんでした。下着を洗ったり、夕食の支度をしたり、床を掃いたり、ベッドまで連れていって、寝息が聞こえるまで付き添ったり、といったことです。
そして、いよいよ息遣いが苦しそうになった時、私はあなたを自分の腕の中に抱きました。そうやって永遠とひとつになろうとするあなたの最後の呼吸を、じっと見守りました。
あなたのこの地球上でのとても長かった歩みのうち、私はほとんどご一緒していませんでした。しかし、あなたの歩みが緩やかになり、そして歩行が困難になった時、私は足をさすって差し上げました。
そんな時でした。あなたが自分の伴をしてほしいと言ったのは・・・・・・。
そうやって、私たち二人で辿る旅が始まりました。
何とはない時の流れと、日常的な空間の中に。
そして、ある春の日の明け方、鳥が囀り始めるその前に、あなたは静かに生への別れを告げました。
いつもあなたはおっしゃっていましたね。この静寂に耳を傾けるようにと。そしてそれを描くようにと。ですから私は・・・・・・。
あなたの忠実なアンヌ。
現在目の前にある時だけが
真実である
人の思いが現実となる力は
そこにある
活力は
考えることによって生まれる
過去は死んでいるが
将来を築くために
役立つものかもしれない
■声の日々
それは私の魂の奥に命じる声でした
力強く厳かなあなたの声
それはずっと深いところ
はるか遠くから響いてくる声でした
あなたとはじめて行き逢ったのは、標高二千メートルにあるシャンドラン村の、小さなレストランでした。友人たちに囲まれて長いテーブルに座っておられましたね。周囲はほとんどが女性だったように思います。
みんな、しきりにあなたに向かって話しかけていましたが、あなたは返事をしていませんでした。あの人たちは、きっとあなたの取り巻きのようなものだったのでしょうが、あなたは少しも女王然とはしていませんでした。聞こえていないような顔付きをしながら、ひとりだけ別の世界にいるようでした。まわりの女性たちが、大声でひとつひとつ言葉を、区切るようにして喋ろうとすると、あなたはそのぶん自分の中に閉じこもっていくように見えました。のちにあなたがみずから「聴覚障害」と呼んでいた、あの「だんまり」だったのでしょう。
突然、あなたは、支配者のように命令を下しました。「さあ、カルヴェールの丘へお祈りに行きなさい!いい散歩になるから。古いホテルのもっとその先まで行くといいわ」と言って立ち上がったのでした。
声を聞いてからはじめてあなたの顔をしっかり見ました。力強く、厳かなその声はいまでも私の中で鳴り響いています。そしてこれからも響き続けるでしょう。
あなたの顔は、陽に焼けてつやつやしており、何かに一心不乱に集中している様子でした。手にした二本の杖の先をじっと見据え、グループから離れ、日の光がこぼれ溢れるレストランのテラスを出て、ご自分の住むシャレーへ登る石段の登り口に向かって、緩い坂道を登り始めました。
一歩、また一歩、あなたは石段を克服していきました。右手で手すりに掴まり、左手は束ねた二本の杖に凭れるようにして・・・・・・。
この石段を造らせたのはあなた自身でした。敷石の一つ一つから、一部に使った線路の枕木までご自分で選んだそうですね。
この石段のいちばん上には、小さな木戸がついていました。その錠を開けようと、あなたは左手で木戸の支柱につかまり、右手で真鍮の把手を回しました。この止め金は、あなたが昔操舵した「アタランテ号」から持ってきたものだそうですね。台所の戸棚にも同じものが使われていたのを覚えています。
杖の先を使って足元の砂利をならし、バルコニーに向かって歩きながら、あなたは細い通路の両側に植えられた植物を一つ一つ念入りに見ていました。左側には赤いケシの花と百合、それから硫黄のような黄色をしたアネモネの一群、そして大きな青アザミ、右側にはピンクのカーネーションと小さなリンドウ、そしてアヤメもあちこちに塊まって咲いていました。
「この草を抜いてちょうだい」。あとになってからのことですが、あなたはよく私にこうやって命令しました。タンポポとかイネ科の植物が多かったようです。
「この草は、じきに胞子をとばして、庭中を侵食するわよ」。
私はかがみこんで、草を抜きました。「違う! 根っこごと引き抜くのよ」「道具をもってらっしゃい。ちゃんと根が抜けるように掘るのです」「それから、ホースを解いて水を撒きなさい。ここの草や花は窒息しているわ」。
私はバルコニーの隅に、まるで巨大な蛙のように蹲っていた緑色のホースを引っぱりだし、それから水道の口を開けにいき、水を通し、そして近くの草花から手はじめに、思う存分、水を与えました。
「それでいいわ。こんどはカラマツの根元のケシの花に届くようにやってみて! ブラボー、ブラボー。じゃあこんどは、四分の一回転して、あの三本の薔薇に水を遣ってちょうだい。標高二千メートルで薔薇を咲かせるというのが、私のご自慢なの」。
あなたがこの世で過ごした最後の数週間、ご自分の頭をさしながらいつも言っていましたね。
「ここにも水を遣ってね」。私は あなたの髪の毛を撫でました。
「この草は抜いてちょうだい!」私は なおもあなたの髪を撫で続けました。
私はあなたの言うことにじっと耳を傾けました。
私はあなたを注意深く見つめました
この母なる大地に
あなた自身の偉大な肉体が
根を張る様子を
あなたの山荘の大きなバルコニーは、東、南、西と、三方に開かれていました。この設計をしたのはあなたご自身で、わざと一般的とはいえない寸法のバルコニーを作らせたのだそうですね。ここはあなたの最後の日まで、まわりの景色に心を通わせ、また神と対話するお気に入りの場所だったのでした。
西向きのバルコニーには大きなクッションが置かれ、三人は座れる広さがありました。
南側には、古新聞をボール箱につめて上からビニールコーティングの紙を貼った、丈の低い椅子を作って置きました。
「航海しているときはね、なんでもまわりにあるものを活用するのよ。作ろうと思えば椅子だって作れるんですもの。新聞の束を捨てるなんてもったいないじゃない」。
「ほら、クッションを置いてごらんなさい。気持ちいいでしょう?」
クッションは平らで、赤、青、緑と色鮮やかなものばかりでした。
東側のバルコニー用には、椅子つきの小さなテーブルまで作りました。私はしばしば糊でそれを修理したものです。ここは朝食の場でした。
あなたの歩き方は、とてもゆっくりとしていました。いつも二本の杖にすがりながら。
杖を使って歩くあなたを、私はいつも見ていました。
あなたの杖! ご一緒に住んだ二年間、あなたは何度となく言いましたね。
「私の杖、杖はどこ?」「大きい方の杖は?」
私は探しに走り、あるときは机、あるときは安楽椅子、ベッドの端、お風呂場の洗面台の脇などに立て掛けられたままの杖を、いつも見つけました。
でもあなたは、杖なしで済ませようとも努力しておられましたね。
最初の頃、あなたはよく言っていました。「杖は、ただ気休めなのよ」。
そして大きなほうの杖しか使おうとしませんでした。
しばらくたってから言いました。「杖は二本必要なの。二つないと困るわ。でもまだ、あなたの助けはいらない」。
そして、最後にはこう言ったのです。「私と一緒に来て、支えてちょうだい」。
私はあなたの身体を支えました。とても慎重に。そっと左の肘に手を当てるだけにして、あなたの歩調に自分の歩みを合わせませした。あなたはとりつかれたように歩行訓練に打ちこんでいました。カルヴェールの丘でも、バルコニーでも、お風呂場でも。いつもぶつぶつ言いながらでしたけど。
「まったくひどいものだ。ちっとも進歩がない。この筋肉は、もう役立たずになっちまった。なんて私は駄目なんだろう」。
私は消えてなくなりたかった
たとえそこに居ても
居ないと同じ見えない存在になりたかった
私の存在が必要という現実は
あなたの衰えにほかならないのだから
最後の頃あなたは
私によりかかったまま笑いながら言いましたね
「お前さんは私の三本目の杖なんだよ」
あの日、私は遠くからあなたに向かって微笑みかけました。1994年9月4日のことでした。
空が明るく晴れた日でした。
あなたが大好きだったこの明澄さ。どんな風が吹いていたのかはよく思い出すことができません。風のことについて教えてくれたのはあなたです。
風はどこで生まれて、どこへいくのか?
「これは良い風です。クッションを南のバルコニーに出しなさい。 西側はシャレーの蔭になるから」。「良い風というのはね。東から吹く風よ」と言い、またある時は、こんな風にも言いました。「これは大西洋から吹く風です。でもよく見てごらん! もっと高いところには、また別の風が吹いているのよ」。
その年の十一月に、私はあなたに、お手伝いを申し出る手紙を書きました。
私はちょうどシャンドランに腰を落ち着けるつもりでしたし、あなたが、家事をこなしたり食事を作ったりして介護をする人を探していることも聞いていました。
「私が憶えていると思うなら、私の記憶力もあてにはならんというわけだ」。
ずっとあとになって、この「憶えているかどうか」とか、記憶の脱落についての問答は、一種のゲームだったのだなとわかりました。些細な記憶など打っちゃって、自分を自由にするやり方、あなたのことをあれこれきめつけようとする人たちを横に置いて、ほかのものを代わりに置くというお芝居だったのです。
「お前さんは、なんて記憶力がいいんだろう」と、よくあなたはいいましたね。
「いいえ、あなたこそ」と私が答えると、あなたはにっこりしました。
ある人たちは言っていました。「エラはなにも憶えていない。ほら、見てごらん。エラはもうなにも思い出さないんだ、もう以前の彼女とは違うんだ」と。
私は あなたが心の中で笑っていると感じ、内面で見ていることを感知し、そして心の奥で思い出していることを直感していました。
あなたは喋っている人たちを見据え、聞きました。
「あの人たちはなにを言っているんだい?」と。
私はあなたがすべてを忘れているとは、とても信じられませんでした。あなたの眼、笑い、微笑み、涙は、あなたが別の記憶の世界、別の時間に入りこんでいることを物語っていました。
何度となく、私たちは一緒に時の流れを再構築しようと試みましたね。
「時間はあるかい?」
「私のアドレス帳を持ってきておくれ。この名前を見つけなくちゃならないんだ」。
そうやって私たちは、絵葉書や、写真や、あるときは、夢にあらわれた人物の名前を再発見するのでした。
でも、それがなんの役に立つのだろう?
こんなことがほんとに有益なのだろうか?
あなたは時どき、自分自身に腹を立てているようすでした。そして最後には、いつも決まり文句になってしまうのです。
「これはみんな昔の話さ。過去は死んでいる。今現在、目の前にある時だけが真実なんだよ」。そして弾けるように笑い出しては、「さあ、今の時を生きるんだ!」
その続きは沈黙でした。じっと目を閉じて・・・・・・。
私はあなたの顔を眺めるのが好きでした。一緒に過ごした日々のどんな時でも。
その容貌は、あるときはインディアンの大酋長のようであり、またあるときはびっくりした子どものようであり、そしてしばしば聖人のように見えました。あるときは、答の出ないままの疑問でくしゃくしゃになり、またあるときはまるで祈る姿のように、豊かな胸のなかに顔を埋めているのでした。
私が書いた最初の手紙に、あなたはすぐに返事をくださいました。それは、あなたのシャレーである「アチャラ荘」の近くで草を食べる二頭の牛が描かれた絵葉書でした。
私はずっとあとになって、この返事の仕方に隠された意味があったことを知ることになります。知らない人でも、なにか希望を感じられる人には二頭の牛の絵葉書を、そして特に親しい人には猫の絵葉書を送っていたのです。
その絵葉書には、きっとなにがしかの希望を託しておられたのでしょう、こう書いてありました。「これからラヴェイ・レ・バンの温泉へ行きますが、来年五月にはシャンドランに戻ります」。
長いこと、この絵葉書は私のキッチンに貼られていました。私は返事を書きました。「良いクリスマスを!」というもので、あなたも、同じ内容の返事をくれました。
私がシャンドラン村に腰を落ち着けたのは、1995年4月22日のことでした。
■源 の日々
どうしてシャンドランを終の住処としたのでしょう?
多分、水が豊かなことが理由の一つでしょう。
ここではどこにも水が流れています。特に春には。
「水よ、水、それは自由そのものだ。お前は水の上にいる。誰にも止められない。お前は自由だ。海の真っ只中に独りでいると想像してごらん。たったひとりで、呑み込まれそうな荷物の番をしなくてはならない。そんな時きっと、『神様はいる!』という気持ちになるだろう。たった独りで航海しているとき、水と大気の近くで、私は神を感じたものだ。そして山に登るとき、私は神に近づいていると感じた」。
静寂も理由のひとつでしょう。執拗なほどのこの静寂。ある時間になると黙り込んでしまう自然を、あなたはこう表現していましたね。「この静けさを見つけるには、はるか彼方へ旅しなくてはならない。これは神の静寂だ。今が一番美しい時間。もう一時間は完全な時が続く。さあ、今の瞬間を生きよう」。
「教会の塔を照らす日の光を見てごらん。教会は、私たちのために祈っているのだよ」。
しかし、とりわけ私の心を捉えたのは、この村がもつ垂直性でした。
高みに持ち上げられたような感覚は苦しみを断ち切り、視界は四十五度も傾斜のありそうな坂道を追っては登ったり沈み込んだりしつつ、ちょうど目の高さまで明るい光に照らされた山の稜線を追って、永遠なるものへと取り込まれていく感じがするのでした。
それとも、折り重なるようにつづく山並み、光線に呼応するような山の斜面に惹かれたのかも知れません。「ここでは、あたりが灰色の時間になっても光があるのよ。それは空に近いから」と、あなたは言っていました。
そしてこういつも付け加えました。「本当に美しい! この地球の美しさをごらんなさい。この世の美しさだけをよりどころにして生きていけないものだろうか?」
それとも雪のせいかも知れません。雪はいつでもすぐ身近にあって新鮮な空気を作り出してくれますから。
それとも、この高いところから物を見通せる感じのせいかも知れません。凍てつくような澄み切った夜、霧や靄が谷からあがってくると、山々の頂きは隠れてしまいます。
「見てごらん、なんて雄大なんだろう。瞑想に引き込まれるようだ。他のことに気をそらすなんてできない。この美しさ、この深い静寂がいつでも私を本質へと誘ってくれる。この静寂の中に神の声が聞こえる」。
あなたはいつも、そういっていましたね。
私が二度目にあなたを見たのは、六月はじめのカトリックの祭り、「フェート・ド・デュー」の日でした。私は祭りには行かないつもりにしていました。村の人たちにとって、私はよそ者にすぎませんから。だから朝早くに山の方に散歩に行く予定にしていたのです。
当時私は、村の真ん中にある貸しアパートに住んでいました。その日は、あなたがよく使った言い方を真似すれば、「上天気」でした。
「今日は上天気間違いなしだよ。だからクッションを南のバルコニーにお出し!」
雲一つないその朝、空の濃い青さに誘われて、私は外の通りへ出て行きました。朝の六時。異様なざわめきに驚きました。道は晴れ着で着飾った人びと、花、笛に太鼓、男、女、そして子供が溢れ、それが今まさに動き出そうとするところでした。
短いパンタロンをはいて、いつものようにリュックを背負った私の格好は、不釣り合いに見えたでしょう。そのまま自分の家に引っ込んでしまえばよかったのです。でなければもっと早くに出かけるべきでした。でも朝の六時に祭りがはじまるなんて、誰が知っていたでしょう。
迷っているひまはありませんでした。「自分もこのお祭り騒ぎに参加するしかない!」
私は一張羅のワンピースに着替え、このカラフルな集団の動きの一つ一つに注目しながら待ちました。教会の鐘が、大きな音でお祭りのメロディーを奏ではじめたとき、私は外に出ました。
その時です。あなたがあのネパールの上着を着てシャレーの扉の前を横切ったのは! 二本の杖に縋って、ゆっくりと、でもしっかりと歩みを進めていました。
本能的に、私はあなたのあとに従いました。教会の手前まで来たとき、行列はもう教会の前庭に近づいており、あなたは低い石垣に座っていました。その時、「誰か手を貸してくれる人はいない?」とあなたは叫んだのでした。まわりにいた女たちが駆けよりました。
ひとたび立ち上がると、あなたは「助かった!」と誇らしげに言いました。この言い方はそのあと何度となく耳にしたものです。教会の最後列の椅子に腰かけて祈るあなたを、私はこっそりと見つめました。その顔は日焼けして、美しく、平和で、神聖でさえありました。
時どき、あなたは眼をあげて、私を見据えることがありました。私はその瞳の中で溺れそうでした。一体何度、私はこうして溺れかけたでしょう。その度に、あなたはいろいろ用事を言い付けて窮地から救ってくれました。
「絨毯をまっすぐに直して! いますぐに!」
「メモをとってちょうだい!」
「お食べなさい!」
「明かりをつけて!」
「便座を下ろして!」
「カルヴェールの十字架にお祈りに行っておいで!」
「私の杖はどこ? 大きいほうよ!」
しかしあなたの声は、体力を消耗する大声からだんだんと小声になっていきました。そしてあなたの目に残る大いなる光だけが、私に話しかけるのでした。
私は黙って杖を差し出し、明かりをつけ、かつて「イノセントな女」と呼ばれた人がエラに贈った柳の木の椅子に腰掛けて、台所の隅っこで食事をし、そしてカルヴェールの丘へ祈りにいきました。
私の仕事といえば、手紙に返事を書き、請求書の支払いをすませ、傷に包帯をし、あなたの足をマッサージすることでした。あなたの船乗り、船長、教師としての訓練を尊重し、その指示に寸分も違わぬよう、意に沿うようにと努力しました。
この二度目の出会いのあと、村人たちがあなたについて話しているのを何度か耳にしました。あなたが病気だったこと、一人で生活するには無理があることなど。
雪が降りました。この標高だと夏でもひと月のうち一回ぐらいは雪が降るのです。
あなたがキッチンの戸口の前の雪を掃いているのを見かけました。
この冬は本当になんども雪掻きをしたものです。その六月の朝、あなたは赤いジャケットを着ていて遠くからでもよく見えました。
「私の赤いジャケットはどこ?」「赤いジャケットをとってちょうだい!」と、あなたはよく言いましたね。ある日のこと、この赤い上着をクリーニングに出すことになりました。そうしたほうがいいという、まわりの言葉に勝てなかったのです。
あなたはいつも言っていました。「なんでもかんでも洗い過ぎないように! 汚れているわけじゃないんだから。それより水を大切にしなさい。中央アジアでは、ほんの少しの水で生きているのよ」。
でもこの赤いジャケットは、洗濯機のガラガラには耐えられませんでした。私は深い、名状しがたい後悔にとらわれました。どうやったらこうした孤独な生活が編み出した、儀式的とも言える習慣を裏切らずに過ごせるのだろう。
あなたのすることの一つ一つが意味を持っていました。あなたの動作は、長年の探究が生み出したものであり、その結果でもあったのですから。でもこの赤いジャケットがダメになってしまうことを、どうやって予知できたでしょう。ウール地で出来ていて、「すり切れない」ことが、ご自慢でした。あなたの好きなものはどれも、「摩滅しない」ものばかりでした。その赤い上着はマックグレガー製で、袖が長く、丈は短いものでした。いつもブラウスやセーターの上に羽織っていましたね。
「私は赤が好き! とくにゼラニウムの赤が!」
最後の夏にゼラニウムが咲かなかった時のあなたの失望ぶりは、何と大きかったことか! 私は、一生懸命に水をやり、寒さから守り、風を避け、日に当てて守りました。でも無駄でした。あなたは烈火のごとく怒りました。「すぐ電話をしなさい。そしてどうやったらゼラニウムの花が咲くか聞きなさい。こんなことは初めてです」。
たしかにこんなことは、かつて無かったことでした。
その夏、あなたには初めてのことが、なんといくつも起きたことでしょう。
「なにが起きたの?」「死ぬ日が近づいたと思うかい?」「神様が話しかけてきたよ」「こんなことが起きたのは初めてだ・・・・・・」。
■至 の時
夏のはじめに、私は二通目の手紙を書きました。6月20日の午後のことです。やむにやまれぬ感情に押されて、もっと遊びたがる近所の子どもに、「大切なお手紙を書かなくてはならないのよ」と言いきかせて家に帰しました。お手伝いをさせて頂きたい旨を、こんな言葉で書きました。「私は、この村に住んでおります。時間もたっぷりあります。もしお手伝いをお探しでしたら、どうかおっしゃってください」。
一種の慎みの感情から、またお邪魔をしてはいけないという思いから、手紙はあなたのシャレー「アチャラ荘」の郵便受けに直接入れないで、郵便で配達してもらおうと考えました。郵便局は村の上の方にありました。投函してまた下りてくるとき、あなたの家の前を通るか、それとも近道しようか迷いましたが、結局近い方にしたのでした。そしてまさにその近道をした坂の下に来た時、そこにあなたがいらしたのです。矢車草の花束を手にもって、低い石垣のところに腰かけていました。この天啓とも言える偶然を頭で理解するまえに、命令の言葉が飛んできました。
「手を貸して頂戴!」
それは、最後まで変わらぬあなたの口調そのものでした。
私は動顛して、口の中でモゴモゴと言いました。
「あのう、いま丁度あなたに手紙を書きまして、お手伝いできればと申し出たところなのですが・・・・・・」。
「そんなことは、どうでもいい! 手紙の返事などあとで書ける。それより今、手を貸して! 何か新しいものを建てているというから見にきたら、ちょっと歩き過ぎて立てなくなっちゃったのよ」。
私があなたの右の肘をとると、厳然と指示がおりました。「違う、左の肘を掴んで! 私は発作で左が弱くなっているんだから」。私は、言われたとおりに左の肘をとり、そのままずっと支えていました。そうやって支えながら、ゆっくりと百メートルほど歩き、だんだんと村の中に入り、もう一度低い石垣に腰をおろして休みました。そこはちょうど私が最初にあなたを見かけたあのレストランの前でした。私たちは無言のまま座っていました。
それからまた立ちあがり、途中で何回か休みながら少しずつ一緒に歩き続けました。
やっとアチャラ荘の西のバルコニーにたどりつくと、あなたはクッションの上に崩れこみました。ちょうどお日さまが沈む時刻でした。
「助かった!」
あなたは、誇らしげに顔を輝かせて叫びました。私は横に座って、あなたが太陽に語りかけるのを聞いていました。「太陽よ、今日は特別の日でした。今日も私たちと一緒にいてくれて感謝します。明日もどうか戻って来てくれますように。そしてあなたの娘エラのことを忘れないで! どうか力を下さい!」
それから私の方へ向きなおって言いました。「アナタ、お茶の淹れ方知ってますか?」
「はい」、すこしもじもじしながら答えました。
この質問の裏には、きっと厳しい作法がかくされているにちがいないという予感がしたのです。あなたにとっては、お茶の用意の仕方も一種の儀式なのにちがいないのだと思えました。
「よろしい」と、あなたはちょっと性急に続けて言いました。
「ではキッチンへ入って、流しの右手にある黒い鍋をとりなさい。蓋は上の鉤にかかっています。それに流しの左にかかっている計量カップで二杯水を入れなさい。私は水を無駄にしないために、必ず沸かす前に計ります。アジアでは水は神聖なもの、それに私は無駄づかいはきらいです。それから、窓のそばにあるお盆の上の丸い急須をとりなさい。それを温めてそこにネパールの紅茶をお匙に二杯入れなさい。お茶は同じお盆の上の銀色の箱に入っています。きっちり計ってそれ以上入れないように。私はお茶を飲むたびに、インドの何キロ平方もある茶畑を思い出すのです。お茶を乾燥させるために、人はたくさんの木を切って火を起こします。そうやって人はヒマラヤの森を破壊しているのです」。
「今日は大事な日だから、とくべつにネパールのお茶にしましょう」。
「それから、流しで乾かしてある赤いボウルにお茶を入れなさい。お盆はコンロに立てかけてある白い小さいのをお使いなさい。お砂糖はヒスイ色の容れものの中、お匙は棚の右の上にあります」。 私はエラの台所に入りました。まるで寺院に入るような震えと、テストを受けるような緊張感を感じながら。
すべてはエラ・マイヤールが言ったように配置されていました。私は彼女の指示どおりにお茶を淹れました。赤いカップに注ぎ、お盆にのせてバルコニーに運びました。
「食器戸棚の真ん中を開けて、下のほうから丸い缶をもっていらっしゃい」。それはビスケットの箱でした。
戻って行ったとき、「お茶が急須に残らないように、はじめから同じコップを二つ持ってきて全部注いでしまうように」と、さりげなく教えてくれもしました。
「それ以外は、すべてよろしい」と、あなたは満足そうに大声で言いました。
それから私の近くに座って、はじめて来た者に対して用意してある質問を、次から次へと浴びせはじめましたね。「名前は?」「職業は?」「結婚しているのか?」「子供は?」「シャンドランで何をしているの?」
「ああ、つまりひらめいたっていうわけね。それは私もおんなじ。これはいい一致点ね。きっと私たちは気が合うわ」。
それから二人は黙ってお茶を飲み、あなたは沈んでいく太陽に、明日も戻ってきてくれるように祈り、そしてこの特別な日に感謝していました。
「お盆を台所に下げなさい」と、あなたは私に命じました。赤いボウルとスプーンを洗って元通りの場所におきました。砂糖とビスケットを所定の場所に戻し、お茶の葉をカラマツの木の下に捨てたとき、あなたは台所に入ってきて再び言いました。
「長椅子に横になるから、手伝って頂戴!」
それからぐるりと見回して、「ここにある家具は、みんないただいたものばかりなのよ」。籐の椅子が二つと丸いテーブル、そして長椅子が一つありましたが、それ以外は絨毯のことも、書斎の机のまわりに置かれたものも、注意してみる間もありません。あなたが次の命令を出していたのですから。
「私のデスクの前にある籐椅子の、クッションの下に畳んである毛布を持ってきてください。これはあの舞踏家のモーリス・ベジャールのお気に入りのダンサーが使っていたものよ。私が横になったら、これを足もとにかけてちょうだい」。
私は、この日から二年間、あなたが安らぐこの作業を一日も欠かしませんでした。そしてこの世の最後の日までの数週間、この愛用の三枚の毛布が日夜あなたを包んだのでした。「さあさ、今日はもう家に帰りなさい。そして明日からいつでも都合のよい時間に来るのです」。
何か大切なことが、あなたの日常、そして私の日常にも起きているような気がしたかと聞かれれば、そうだったかも知れません。すべてが、これほどまでにうまく響きあったことに、私はたとえようもない心の平安を味わっていました。
あの十八段の段々、あとになるほど凹凸の具合まで一つ一つわかるようになったあの階段を下りながら、明日はどのようにどこであなたに会うことになるのだろうと、自問自答していました。
あなたは深い淵のそばに立っているように、私には見えました。たった一人で、まるで中央アジアの砂漠の真ん中にいるように。ほんとうに独りぼっちで。
「独りで生活するって、本当に大変なことではありませんか?」
「一人でいることは喜びだわ。だって好きに自分の考えを追っていられるんですもの」。
この夜、お宅を失礼したとき、あなたは長椅子にすわり、クッションにかこまれて微笑んでいました。いまにも消えそうなローソクのように弱々しく、その一方でとても強くも見え、さながら命のエッセンスをかき集めているように感じられました。
私は自分に問いました。いったい誰がこの並外れた人格の結実を摘み取ることができるだろう。そしていったい誰が本当にそれを理解できるだろうか? と。
あなたの家のバルコニーから見ると、近くの家の木を葺いた屋根が、まるで城壁のように、次から次へと折り重なるように目の前に連なって見えました。
自分の家に戻り、ローソクをつけました。そして夜も更けてから、もう一度あなたの家を見ようと外に出ました。シャレーの窓は皓々と輝いていて、まるでこの村のなかでただ一つ、地球のてっぺんに引っかかった四角形の光のように見えました。安心しました。あなたはランプをつけたのでしょう。新聞を読んでいる姿を想像しました。
あなたは毎日『ジュルナル・ド・ジュネーブ』と『ヌーベル・オプセルヴァトワール』紙を念入りに読んでいました。それと一週間に一度は、新聞の切り抜き、とくに『フィガロ』の切り抜きを手に入れていました。それは、お友達の一人が、あなたが興味を持ちそうなものだけ忠実に、念入りに選んで送ってくるものでした。
「新聞の切り抜きをこちらにちょうだい。私は世界につながっていたいの。なんでも知っておかなくては!」新聞を読む時のあなたは、コメントをしたり、議論をふっかけたり、実に生き生きしていました。
でもそんな時も今は過ぎ去りました。
「ママは一日に一冊は本を読む人だったわ。我が家では四カ国語を話していたのよ」。
そんな時も過去のものになりました。
あなたの読み方は、はっと思い付いて本の名前をいったかと思うと、すぐもういいわと言うふうに、だんだんと間遠なものになっていきました。なにか残虐な事件を読んだときなどは、泣いたり笑ったりしたものです。
「この本を取り寄せてちょうだい!」
「この本を送るように手紙を書きなさい!」
「ジャン・エラークルの本を取って!彼のユニークな人生を理解したいのよ」。
「ジャン・シャロンの『リジューのテレーズ』を一緒に読もう!」
ゆっくりと、いっしょに何ページか読むと、本から手を放し、頭を下げて目を閉じました。かなり時間がたってから、また身体をしゃんとさせて、さっき読んだページを解説してくれるのが常でした。
話をしているときも、似たようなものでした。いつでも他の人がしゃべっているのを黙って聞き、最後に一言質問するか、短い言葉でいましゃべっていた内容を要約するのでした。
「みんなしゃべりすぎる。しゃべらせておけばいい。彼らが帰ってから大事なことだけ伝えてちょうだい」。
あの小さい窓の明かりの内側に、独りぼっちの老女が、籐椅子にひっそり身を沈めているなんて誰が想像できたでしょう。愛してやまない自然とその世界に近づくために、自分のたった一歩を確保しようと力一杯戦っている女性がいることを! あなたの極限の身のこなしの中に、その最後の歩みのうちに、あなたがなお計り知れない広がりを駆け巡るのが見えるようでした。
「お前さんは、こうして私と一緒に旅をしてくれているのだね?」
籐椅子から長椅子に移るとき、にっこりしながらこういうのがお好きでしたね。
はじめて「アチャラ荘」をお訪ねした日の晩、私はほとんど眠れませんでした。翌日、それは6月21日のことでした。身支度を整えると、森に走っていって、黄色のアネモネを摘んであなたの所へ持っていきました。朝の十時頃だったと思います。あなたは籐椅子に座って、マッターホルンの方角をじっと眺めていました。
「これはヨーロッパの聖なる山だよ。だけどヨーロッパは、この山をコケにしている。スキー場のシンボルにしちまったんだから。もう我われ西洋人は、理想主義を捨ててしまったんだ。でも見てごらん。地球から生まれてきたこんな完璧な美しさは、神さまが作ったものとしか思えないね。マッターホルンは、ほんとにヒマラヤのカイラス山か、日本のフジヤマと同じだ」。
私が摘んで来たアネモネを見た時の、喜びようと言ったら!
「まあ、なんてうれしいこと!」。
でもその次に、すぐ命令が続きました。
「その石のストーブの上の、真鍮の花瓶に水を入れて活けなさい」
「花は大好き。嬉しいわ」。
「ごらんのとおり私は結婚しなかったし、子どもも持たなかったわ。そのかわりに自分の庭に木を育て、花を植えたの。ほら、目の前にあるこのカラマツ、これは私の息子なの」。
村の道を下りて行く時、このあなたの愛情が詰め込まれた王国を遠くから何度眺めたことでしょう。その時にはいつかあなたの子どもたちを託されることも知らずに。
家に帰ると、その夜あなたからの電話がありました。
「こちらはエラです! あなたの手紙を受け取りました。よろしい。
その一、私が手伝いを必要なのはまぎれもない事実だし、へたばりかけているわ。
その二、あなたは人のことを思い遣る心をもっている。自分の手柄じゃないのよ。そういう人間に造ったのは神様なんだから。
その三、あなたは馬鹿じゃない。そこで決めたわけ。あなたを採用します。いつでも都合のいいときにいらっしゃい。条件を決めましょう」。
翌日の朝お訪ねすると約束した私を、あなたは待っていてくれました。キッチンでパンの焼ける匂いがし、朝の光が山荘中に洪水のように溢れていました。
あなたは二本の杖に縋って立ったまま、注意深く絨毯を観察していました。
「ほんとうにこの家政婦には腹が立つ。絨毯のこと、ちっともわかってないんだから。この絨毯はね、アフガニスタン製で、青の色と赤の色が特別なの。だから逆向きに置かなくちゃいけないのよ。こっちのはね、インドから来たの。みんな旅から戻るときいっしょに持ってきたのよ。これを、滑り止めの上に、きっちり正しく置き直して、私が滑らないようにしてちょうだい。そう、ちゃんと、四つん這いになってやらなくちゃダメよ。そうそう、ブラボー、ブラボー。デスクの下にちゃんと入れてね。そう、机を持ち上げて。ちょっと待って。とても重いから、この杖をテコにして持ち上げなさい。その間に私は絨毯をキチンと直すから」。
たっぷり二時間もかけて、私は四つん這い、あなたは杖につかまって立ったままで、いくつかの絨毯を、無事にいろいろな家具の下の正しい位置にすべりこませました。
「力持ちだってわかったわ。ブラボー、ブラボー」。正しい選択をなしとげた主人という面持ちで、満足げにおっしゃいましたね。
こうして私は、たった一ミリでも意味をもち、どんなものもあるべき位置があるという、あなたの世界へと足を踏み入れていったのです。
毎日の生活は、命令されることではじまりました。あなたはどんな些細なことにも、最大限の注意を払うことを教えてくれました。
「ちがう、この花瓶ではお花の水が足りない。真鍮の大きい方を取って、テーブルの真ん中においてごらん。ほら、この花が部屋全体を変えてしまっただろう?」
あなたの書斎の中のものは、すべてそれぞれに意味がありました。それはあなた自身の歴史の反映であり、あなたの追求の道標でもあったのです。
あなたのこの世での最後の数週間、よくこう聞かれました。
「このお気に入りの丸いクッションをどうしよう。この真鍮のお皿は? アフガニスタンの急須は? 中国の猫の絵は? 誰かこんなものに興味を持ってくれるかしら? ずっと大切にしてくれるだろうか?」「さあ、この鈴を持っていきなさい。これはチベットから来たものよ」。
「お前さんは私と似た感性をもっているね。幸い子供がいるから、自分がはじめたものは、受けつがれることもあるだろうけど、私ときたら・・・・・・」。
そんな時、いつも言いました。「でも私がおります」。
深刻な様子になってくると、「あなたは私にとって師です」とも言いました。
「でもこういったことも、とらえがたいことだね。弟子ごときを持つ資格のない自分にがっかりするわ。とうとう頂上には辿りつけなかった。聖なるものにも、光にも」。
「いいかい、自分自身を自慢する必要はないんだよ。それはエゴが口をきいているようなものだからね。でも駄目なものだね。単純に『仲介的存在』になるべきなのにね。知覚する光でしかない。私は神の知覚に、この身をまかせることしかできない」。
そして微笑みながら言うのでした。
「でも一体人間はなんだって殺しあうんだろう。鳥を見てごらん。愛しあっているじゃないの。それとも殺しあっているかい?」。
私は心地よい気分でした。そこで籐椅子に座ったあなたの足下にうずくまって、こうたずねました。
「知覚の光って、なんですか?」。
「それはね、自分のなかにある神の閃きを感じることですよ。つまり自分の中にある絶対を感じることね。生きとし生けるものはだれでもその能力を備えているのです。だれでも生きていれば、この神性の一片を意識しているはずよ。それこそがあなたが栄養を与え、大切にし、水をやって育てているものなのだから」。
「庭の野菜だって、だれかがサラダにしようと庭に出てきて摘もうとすれば、『もうじき自分は死ぬんだってわかる』といいますよ。犬でも猫でもそれは感じ取れるのよ。ただ、そうした生き物が私たちと違うのは、言葉を持っているかどうかなの。朝、私が目を覚ます時、だれでもそうでしょうけど、『おや、私は生きてる! やっぱり神様っているんだなあ!』と思う、それが神を認識するということなの。幸せと認識するか不幸と認識するかは別だけれど。その次は、良い認識と悪い認識という問題になるわね。そうなるとこれはモラルの問題よね。私にゃ、お手あげだわ」。
「では、キリスト教は?」。
「わたしゃ、十字架に釘で打ち付けられた男のことを瞑想するなんで興味ないね」。
「でも、人にはシンボルというものが必要だわね。つまり神が存在するというサインみたいなものね。この十字架を見てごらん。横の棒は時間を、つまり過去と未来を表わしている。縦の棒は物事を貫く精神を表わす。そして、二つの棒が合わさる部分がキリストで、我われに智恵を教えている。でも大切なことは、我われが自分の中にある、神の閃きを意識することなのです」。
「仏教を信じる人たちは、輝いているわ。彼らは愛に光り輝いている。キリスト教の福音書は汝らお互いを愛せよと唱えているけれど、見てごらん。我われの住む村ひとつ見ても、人びとがお互いに愛しあっていると思うかい? 誰もが人の女房を寝取ることを考え、隣人の富をかすめ取ることを考えている。ところが仏教を信じる人たちは、女房を寝取ったり、財産を奪った隣人が、そのために地獄に落ちることを憐れんで、祈りを捧げるというんだから」。
「このカラマツがなんて大きくなったこと! 見てごらん、何千何万の緑の針をつけて。なんと生き生きしているんだろう」。
ええ、エラ、私もあなたの庭を眺めていました。日がな一日あなたが庭仕事に費やしていた頃に比べると、すこし野性味が増してはいましたけれど、でもほったらかしにされたようすではありません。この庭の木も草も、はじめから知っているものばかりだったし、毎日あなたの眼差しを感じ、与えられた水の量は少なくとも、あなたから溢れるほどの愛を受けていたのですから。
そして私もあなたの眼差しを受けていました。
あなたの傷口や、日ごとに強まっている身体的な衰えにも関わらず、その輝きが失われることはありませんでした。その眼差しは、あなたの生きる目的であった平安そのもの、こよなく深い、平和な気持ちを私に与えてくれたのでした。
まるで私の心のなかを見透かすように、あなたは続けました。
「なにより、殺し合いをやめないとね。そして私たちの心を導く智恵を探さねば」。
「人は、なんのために生きるのかを知らなくてはいけない。納得できる拠りどころをもつこと。自分に向かって難癖をつけることも、バカ扱いすることもしてはいけない。人としての賢さをみつけるには、自らを試練にかけなければね」。
それから、私の目をまっすぐ見つめて、「死ぬ前に、どうしても病気を直さなくては・・・・・・」と言ったのでした。そしてあなたが「もう死んでも良い」と言ったその日、あなたの傷口はふさがっていました。歯医者に行き、美容院に行き、そして入浴もしました。
その同じ日、バルコニーに出て、あなたは私に向かって話し続けていました。
「見てごらん、こうしてここに出て立つと、まるで永遠の中にいるようだ」
「この見えるものの変わりようを見てごらん。こうして四分の一身体を回せば、もう別世界に行けるよ」
「西を見れば人間臭い感じ、南をみれば雄大さを感じる。なんという素晴らしい景色だろう。そして雄大な景色は瞑想へと誘ってくれる。こうして、身体を四分の一回転するだけで、私は旅をしている気分になれる!」
それは善と悪を越えた一体化を求める旅であり、静かにじっと動かぬ中で行われた旅でもありました。
「お前さんは、物を書きたいと思っている。書かなくちゃいけないよ。ただ存在することを書くのです。仮面もかぶらず幻想も抜きで! 物を書くということは色々なエモーションを通過することです。感情の昂りを自分に留めないこと、単純で普通の言葉が、だんだんと大きさを備えていくのを待つのです。そうすることで、全体として密度の濃い内容になるのです」。
「詩は神の声であり、正しい言葉を見つける人間の声なのですよ。人生のあらゆる場面を通して、正しい言葉を見つけるために時には数年もかかり、一生探し続けることだってあるのです」。
私はあなたが話すのを、じっと聞いていました。そして二本の樅の木の間に、一条の水の流れが、まるで銀色のリボンのように流れ落ちているのを、遠くから眺めていました。それは夏でした。そして冬になるとすべてが沈黙しました。でもその水の流れが奏でていた妙なる音楽を、どうして忘れることができるでしょうか?
■倖 の日々
ごくはじめの頃、私たち二人は、共感と自由をお互いの原則として協力しあうことを申し合わせました。「都合の良い時に来ればいいのですよ!」と、あなたはしつこいほどくり返しました。私は、毎日あなたのもとへ行き、あなたはいつも同じ情熱で迎え、かならずこう叫ぶのでした。「神様がお前さんをよこしてくれる! まちがいない。お前さんを私のもとに送ってくれるのは、神様なんだ。お前さんは、私の守護天使だ!」
私の役目は、とても簡単なことばかりでした。朝のお茶を用意すること。昼のコーヒーを用意すること。夕方のスープをつくること。「卵を一つ割って、スープに入れてちょうだい! 精がつくわ。削ったチーズと、ニンニクを潰したのも足してね。チベットの人は、冬にはたくさんニンニクを食べるのよ。からだにいいことをよく知っているのよね」。
「それからライ麦パンをちょうどいい厚さに切って、焼いてちょうだい」。
パンを切るまな板は、いつも、ギザギザのついた包丁が入ったパン入れの箱の横におかれていました。丸くて茶色いライ麦パンは,表面がざらざらしているので、うまく調節しながら切らねばなりません。厚さは五ミリでなくてはいけませんでした。それをトースターに入れ、片面ずつ焼きました。それがちょうどよいキツネ色にパリパリに焼けるのを、注意深く見ていないといけません。ちょっと焼きすぎると、すぐにばれてしまいました。「焼きすぎたね。ぼんやりしているからだよ。棚の上の小さなナイフで焦げたところをこそぎとって流しに捨てておしまい。なに、気にすることはないんだよ。私もよくやることだから」。
流しに残った黒い煤のようなものをきれいに流すのにも、水を無駄にしてはなりませんでした。熱いスープと焼いたパンの準備ができると、私はそれをお盆にのせて、折りたたみテーブルに運びました。そのテーブルは、あなたの師であるラマナ・マハルシの写真の下にありました。私たちは、毎晩この師とともに夕食を摂っていたわけです。
あなたのシャレーにいるときはいつでも、私はあちこちに置かれた写真の師の視線のもとにあったのです。「お前さんもこの善の眼差しに取り込まれれば、もう何も訊ねることはなくなる」。いつもあなたは言っていました。あなたの地上の生活の末期になると、師はあちこちに現れました。そして最後にすべき所作を、ひとつひとつ教えてくれたのです。
私はいつもテーブルを少し引いて長椅子のはしっこに腰かけました。その長椅子はあなたが亡くなったときに足をのせていたものです。夕食を頂く前に、あなたはきまって言いました。
「クッションをちょうど良い高さに調節して!」
あなたは、私の目の前の椅子に腰かけていました。
スープは湯気をたて、煮詰まって、なんともいえぬ色になっていました。卵とつぶしたニンニクが入ったお昼の残りものに、オリーブオイルを小さじ一杯足すという、得体の知れぬ代物になっていましたが、熱くておいしいものでした。チーズが削ってなかったときは、あなたはお皿の底でそれを小さく潰して食べていました。オレンジ色のプラスチックのお皿は二種類ありました。平らなものと底の深いもので、私たちは毎晩深いほうのお皿を使いました。
スープのあと、あなたはよく果物を召しあがりました。果物は台所の電熱器の近くに置いて熟させました。「熟した果物があったら、ちょうだい!」
あなたは果汁がたっぷりの、甘くて柔らかい果物がお好きでした。熟した果物がないときは、お菓子のかけらかチョコレートを召し上がりましたね。
ワインは、毎日というわけではありませんでした。しまいには私はご要望に従って、タマネギのワインをつくりました。「これは健康にいいのよ!」
しかし、友人が訪ねてきたときには、赤のワインを開けさせました。お気に入りの作り手から取り寄せていたものです。「お隣さんがつくったピノだよ。とってもおいしい」と、いつも大きなしっかりした声で言い張りました。食前酒には、あなたが「坊主のワイン」と呼んだ赤ワインと香草をミックスしたお酒を出すと喜ばれました。この香りの良い薬草をワインに混ぜたものは、血液の循環を良くするといわれています。「心臓にいいらしいよ」と言っては、あなたは大声で笑ったものです。
みんなでいっしょにワインを飲むときはいつもお祭りみたいでした。新来のお客様に、「我々の友情に!」「シャンドランの美しさに!」「神様に!」と言っては乾杯しました。「神様のことを忘れないようにしよう! すべてをなさる神を!」
あなたが「ちょっとウイスキーをどう?」と聞くときは、祭りのハイライトでした。
こうして私たちは、「ちょっぴりずつ」と言いながら、何度ウイスキーを飲んだことでしょう。「グラスを出して、冷たい流水の中に漬けなさい。ウイスキーを飲むんだから」。
日曜日だとか、散歩が済んだからとか、これからとても仲良しの友だちが来るからとか、私がどこからか帰ってきた時とか・・・・・・。
最初の頃、私は一日じゅう用事で出かけていることがありました。そして戻ってくると、いつもこのお祭り騒ぎになったのです。そして、私があなたから離れている時間は次第に少なくなり、やがてついにつかの間も離れていることはなくなりました。
食事が終わると、私は、洗剤を使わず、最低量の水で食器を洗いました。あなたは流しの排管に食べカスを流さないよう、そしてトイレにペーパーを流さないよう、厳しく管理していました。こうした屑は、バケツに集めておいて燃やしていたのです。「このけがれのない自然のなかに、こんなゴミを捨てるなんて絶対許せない」。
あなたの環境重視は絶対的なものでした。それは こうしたけがれのない場所への愛にほかならなかったのです。あなたは自分が正しいと思う主義主張に対しては、名前も貸し、お金も出しました。世界が変わることはあり得ても、あなたを変えることはできなかったのです。
夜になって自分が家に帰る時間になると、翌日私がドアを叩くとき、彼女はまだ息をしているだろうか? と、私は心配しました。あなたが夜中に独りでこの地上から去って欲しくないと思っていました。
人は、あなたのことを、よくこう言いました。
「あのひとはいつでも自分の死のことを話す。準備はできているし、独りでいることも彼女の宿命だ。いままでもずっと独りで生きてきた。彼女がとても強い人だということを知らないのか?」と言うのです。
たしかに私はあなたのことをわかっていない。私の本質をとうに見抜いていたのはあなたのほうなのですから・・・・・・。
あなたはよく言っていました。
「お前さんは、私の孤独に光りを与えてくれる」。
「みんなが来る前に、はやく包帯を直してちょうだい」。
「バルコニーへ出て、彼らと話をして!」
「『今、昼寝をしている』、と言いなさい!」
「村のほうにみんなを連れていって!」
「櫛で髪をといてちょうだい!」
私は化粧机の上にある象牙の櫛をとりにゆき、あなたの真っ白な髪をやさしく整えました。
一櫛入れるごとに私は自分の左手を上げ、おまじないをするようにぶつぶつと唱えました。
「神様、どうかこの人を守ってください。彼女を直してあげてください。彼女を長生きさせてください。そしてあなたの御心にしたがって彼女をお連れください。でもお願いですから、彼女が苦しまないようにしてください!」
まるで私が言っていることを聞いているかのように、目を閉じたままあなたは言いましたね。「もっと、もっと、頭のてっぺんのところよ。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。私は猫族なのね。猫は撫でてあげなくっちゃ」。私は、ぶつぶつ呟きつづけ、祈り、そして髪を梳きつづけました。あなたの髪はどんどん柔らかになるようでした。「もっと、もっと、右の耳のうしろのところよ」。
私はといえば、神の恩寵があなたの頭上に降りてくるのを祈りつづけていました。まっすぐでか弱く、支えているのがやっとなのに、それでいて力強く君臨し、私に対し遠慮のない命令を下しているこの頭へ下りてきますようにと。いつかあなたの命令からはなれた時、いったい自分が師亡き後の「無垢な弟子の境地」に入れるのだろうか、わかりませんでした。
「もういいわ! お茶を入れてちょうだい。それからマフラーを取って!」
「青いやつ、そう、私に青い色を届けて頂戴!」
私は、インドシルクで出来た青いマフラーをわたしました。
私なら、葬儀人が棺に横たわる人の口を閉じるために使う顎当てを、きっとこのマフラーで隠したことでしょう。
私はあなたにとって一体何だったのでしょう?
私の絶対服従は、あなたの権威の刃にぴったり符合していました。そしてこの符合は、周囲の人達に感歎と驚きをもたらしたのでした。
私たち二人の際立った個性にもかかわらず、あなたの完全な信頼と私の献身が織り成す完全なフォルムは、ふと山の蔭に姿を現す湖のように、知らず知らずに無条件の愛を形成したのです。
「エラ、私はあなたが好きです!」
「ああよかった。そうでないと・・・・・・」。
愛についての対話に立ち戻るのはしばしばあなたの方でした。
「お前さんは、なんて辛抱強いのだろう。お前さんはまさしく私の娘だ! それとも私の母親かな? お前さんが、もうひとつの生へ私を産み落としてくれる」。
もう一つの生、それはあなたにとって一体何だったのでしょう? 今ではもう、一体いつ、私が最後の時までご一緒しますと言ったかを思い出せません。
はじめの頃、あなたは私を見つめながら おかしそうに言ったものでした。
「『事を計るは人、事を成すは天』と、諺にも言うでしょう!」
でも私には、強い確信がありました。この地上の最後の時を過ごすあなたに付き添うことこそ、まさしく天が私に命じているのだということを。
それは私たち二人で作った一つの旅のようなものでした。二年あまりの行程でしたが、そこにはいろんな段階がありました。あなたは、私のなかにある確信を感じ取っていたのでしょう。「よくわかってますよ。最後の息を引き取るまで私を温めてくれるのは、お前さんだってこと」と言ったりしたのでした。
ある日のこと、それは8月1日の建国記念日でしたが、あなたは演説を聞きに行きたいと言い出しました。この日、スイスでは町も村も、夜には大きな篝火を焚いて人びとを集め、誰か有名な人が演説し、建国の年にあたる1291年の誓約を読み上げ、あの「山に太陽が昇る時」のスイス国歌がコーラスによって歌い上げられるのです。子どものころだれでも国歌は暗唱していたものですが、最近は大人でも歌詞をそらで歌える人が少ないのに気がついていました。口を半開きにして、おぼつかない口もとで歌詞を追っているのです。いったいどんな悪いまじないをすれば、聖なる言葉を忘れることができるのだろうと、いつも不思議に思います。私の目から見れば、我われの祖先が、あのひどいオーストリアの代官を駆逐しおおせたのは、聖なる出来事に思えるのです。この代官たるものは、イスラム教徒、コミュニスト、ナチやコカ・コーラの帝王となんの変わりもないのです。彼らはきっと怪物の顔を持ち、我われに自分自身であることを妨げようとした、いや今でもそうしようとしている人びとに思えます。
我われはただ、自然を愛し、自由を愛し、そして神を愛する存在だというのに。
あなたは、あらゆる種類の怪物の脇を、怖がらずに通ってきた人ですね。ときには睨み付け、ときには笑い飛ばし、でも、いつも自由を守ってきたのです。私が今お供をしていると実感し、守りたいと願い、そしてなんとか存在させ続けたいと思うのは、この自由さを現実に表わした肉体なのです。あらゆる身体的な不自由に、あなたが悩む状態であったとしても。
「私の杖、杖をとって頂戴! それから私の部屋に行って、ベッドの左のタンスを開けなさい」
「白いマント、ウールの織物で出来たやつを持ってきなさい。これはイスラマバードから持って帰ったものよ」
「着せて頂戴」
「マフラーは絹の赤いやつ」。
「お待ち! ピッコロの音が階段の下に聞こえたら、シャレーを出るのよ」。
ピッコロが聞こえました。私たちは外へ出ました。我われしかいませんでした。
「左の肘よ、左腕の肘を支えて!」私はあなたを支え、介助し、あなたは二本の杖につかまって歩きました。杖をしっかり大地に固定し、あなたは用心深く前へ進みました。
あなたの白い大きな袖のマントは、王様のローブのように足もとまで届いていました。足の動きを合わせるために、あなたの歩調に耳を澄まし、自分のからだでうまく支えられるようにと、あなたのからだの動きに全神経を集中しました。
そうやって我われは、まるで二人で一人のようにぴったりくっついて、お祭りの音がする方へ向かったのです。
「手を離さないで! お前さんが放したら、私はこけてしまう」。
「エラ、私は放したりはしません!」
どこへでも、行かねばならぬところまで行こう、このお祭りのその向こうまででも。私がつき従っているのは、いまこの場を支配している魂、それを司る神官、いやそんな呼び方はどうでもいい、ともかくエラ、あなたは天から遣わされた人なのだから。
「お前さんの言うこと、ちょっと脱線してない? 我われはだれでも神の使いなのよ」。そしてからかうようにつけ加えたものです。
「人の心が正しい場所にあればの話だけどね」。
あなたと考え方がぴったり合った時いつもそうだったように、私は現在の充実感の中に、恐れることを知らずに生きていました。
でも、人に、よくこんなことを言われました。
「あとどうするつもり?」
「余力があるかしら?」
「とても難しいことじゃない?」
私には、言っている意味が理解できませんでした。
二人でわかち合っている調和は、私にとっては、前もなく後もなく、強さも弱さもなく、たやすいことでもなければ難しいことでもなく、ただ「ああだったのだ」としか言えないほどのぴったりした一体感でした。
私はあなたの跡をなぞるためにご一緒したわけではありません。あなたがもう先へ進めないからお供したのです。あなたは、それでも先へ行きたいと望んでいました。単純で予期しない出来事が待つ場面に出会いたいと思っていたのです。
「杖を取って! さあ村のほうへ行こう!」
「昨日、お祭りで演説をした人の家はどこだっけ?」
塀の向こうから、その議員さんの頭がのぞきました。
「ああ、あなたでしたね。昨日の演説をもういちど聞かせて頂けません? 私は耳が遠いものですから、よく聞き取れなかったのです。今日は補聴器を持ってきていますから」。
それから二時間、私たちは、この議員さんのシャレーの庭で、テーブルに張りついたままでした。何本ものワインが空になり、まるでいつもの晩のスープ鍋のように、なにもかもがごっちゃになっていました。
こうしたことは、毎日ちょっとだけ味わう、小さな自由でした。あるときは、ごくごく小さく、あるときは無限の大きさに広がりました。それが次第に「アチャラ荘」のバルコニーの範囲内に、そしてそこから見える村の道の長さに限られていきました。この山の小さな村は、下から見上げると、まるで空を切り取ったように見え、そこからは思いがけない出会いがしばしば芽を出すのでした。
「すべては『どういうふうに物を見るか』ということだね」。
「眺めるのは目だけれど、見るのは魂だ!」あなたはいつもそういっていましたね。
はじめのうちは、毎朝あなたの家へ行っては、ドアをノックしていました。それは木の扉で、目の高さに鉄細工の格子が嵌ったガラス窓がついていました。その鉄細工は太陽が引っ張る小舟のモチーフで、あなた自身がデザインしたものでした。扉の木の部分を叩いて、中に入ると、パンの焦げる匂いがし、それだけで私は幸せな気分になりました。この匂いは、すべてが順調という証拠で、「あなたが頑張って自分の足で立って、朝食をとっている」ということだったからです。
しかしある日のこと、朝の八時ごろに電話が鳴りました。
「こちら、エラよ! 一緒に朝ごはんを食べましょう。お湯を沸かしておくから」。
私が着いたとき、あなたは台所に立ったままこう言いました。
「お盆を用意して、丸いテーブルに運んでちょうだい。私は両手に杖だから、ころんだら顔に一発くらうことになる」。
私はお盆を運びました。例の四分の一リットルのカップにはお茶が入っていました。
「違う! 朝はネパールのお茶じゃないの。このティーバッグで充分よ」。
お茶には、褐色の砂糖をお匙に三杯、それをかきまわしながら、溶かしました。
「砂糖は入れたかい?」
それからお盆に、焼いてバターを塗ったパンを数切れ載せました。
「バターをつけて! 壁ができるくらいたっぷりとね。パンが熱いうちにね。さあバターを塗って! バターは牛からとれる一番良い部分よ。牛は神聖な動物だからね。私にとっては、インドと同じようにここでも牛は聖なるものなんだよ。私がバターをけっして冷蔵庫に入れないのがわかるだろう? 冷蔵庫にいれると、風味が損なわれるからね」。
あなたは柔らかいバターがお好きでしたね。黄色くなって、ほとんど匂いが変わりかけたのが・・・・・・。あなたはバター入れを、いつも流しの右側においていました。
それからあなたは、冷蔵庫に立てかけた杖をとり、じっと私を見つめました。
「お前さんは、ほんとうに良いときに、私のところへ来てくれたものだ」。
蜂蜜のポットは、いつも、あなたの籐椅子の足もとに置いた電気ストーブの近くに置いていました。それは、山荘のほかのいろいろなものと同じように、中央アジアから持ち帰って来た真鍮のボウルの中に入れられていました。
この日私は、あなたがもう朝食のお盆を自分で運べなくなったことを悟り、それからは、「朝の八時にはあなたのそばにいる」と、決めたのでした。
蜂蜜・・・それはここでとれた蜂蜜でした。「これは、ビーユの息子がつくった蜂蜜だよ。私がここに住むようになったのは、彼のおじいさんのおかげなんだ。私が1945年にインドから戻ったとき、私は彼とジュネーブで出会ったんだ。母が彼を知っていてね、母は絵が好きだったから」。「エドモン・ビーユは、私にこう言ったんだよ」。「エラ、あなたはなんてひどい顔色をしているのです。シャンドランの私の別荘を貸してあげよう。標高二千メートルで三か月も暮らせば、健康回復まちがいなしだよ」。
「まさしくその通りになった。私は本当にあの大きなシャレーにやってきて、そこで三か月暮らしたんだ。それから村の中に小さな部屋を借りた。もうここから離れることはできなくなっていたからね。お前さんもわかるだろう? 同じようなことをしているんだから。私はインドから帰ってきたところだった。私はヨーロッパに戻りたかったんだ。シャンドランにいると、神が近くにいることを感じる。ごらん、ここは本当に世界でも稀な場所だよ」。
ある夜のこと、あなたは言いました。「ここで眠りなさい。電話が鳴ったら取れるように。私は耳が遠くてとても聞こえにくいんだ。そうしたほうがいい」。
このような次第で、数週間後には、私はドアをノックする必要がなくなっていました。あなたのシャレーの中で、夜も昼もあなたと一緒にいました。
はじめは、私たちは毎日、カルヴェールの丘へ行きました。たいてい夕方でした。
はじめのうち、あなたはなんでもご自分でやっていました。朝のお茶、パンをトーストすること、蜂蜜をたっぷり塗ること、そう、ここで取れた蜂蜜をね。それから郵便物、洗濯、お掃除、そして夜のスープも。はじめの頃は、朝食に茶色のパンを二きれあなたは食べました。
そしてある日、一切れしか食べなくなりました。私は、いつかはこうなるのかもしれないことだと思いました。
そしていつのころからでしょう? あなたが茶色のパンを食べなくなったのは?
私は、ブリオッシュや三つ編みパンを薦めてみました。それから、一口大にして出してみました。最初、あなたは私が差し出すバターと蜂蜜をたっぷりのせた小さなパンのかけらをなんとか食べていました。それがあなたの唯一の食事だったのです。
しかしある日、あなたは、「ぜんぜん食欲がない」と言いました。私は、キッチンに隠れるようにして急いで自分の分を食べました。パンにバターを塗ったものや、ご飯や、なつめやしを乾燥させたダットなどを、力をつけるためにかきこみました。
ダットは、私にとってはクリスマス、子どものころのクリスマスの思い出と重なります。
おばあさんが、これを大きなお盆に山盛りにして、台所の扉を開けた日のことが思い出されるのです。私はダットの甘さが大好きでした。いまでも好物です。これを食べると慰められるのです。とても甘くておいしいのです。あなたもお好きでしたね。ダットは定期的にあなたのお友だちから送られて来ていました。「ジャン・シャロンから届いたダットをひとつちょうだい!」食事のあと、あなたはよくこう言いました。「遊牧民が、何日も何週間も何か月も、果てしもなく広い砂漠を横断するとき、彼らは一日に十粒くらいのダットを食べて凌ぐのを知っているかい?それで足りるんだってさ。さあ、ダットをお食べ!」
私はダットを食べました。雪が降り、我われを外の世界から隔絶したときも・・・・・・。
この冬は、雪がよく降りました。大雪はもう十一月から始まっていました。
何メートルもの雪! あなたはキッチンの窓越しにそれを眺めては、感激していました。まるでエスキモーのイグルーの壁のように積み重なる雪の厚み! でも、それと同時に、表の道に出るための一本の筋を確保する雪掻きのことを考えると、恐怖にかられもしたのですが。
「もっと見えるように窓を開けて!」「信じられない! こんなのは見たことがない!」
この大スペクタクルを眼の前にして、あなたは子供のようにはしゃぎました。それはたしかです。こんな大雪は見たことがありませんでした。それも十一月だというのに。でも私は仕合わせな気分でした。あなたには「かつてない!」ということが必要だったのです。
でもある日、あなたはダットも食べなくなりました。
「ダメ、このダットは乾き過ぎてる。ほかのを取って!」
私はダットを柔らかくしようと、お湯に浸してみました。なんとか食べてもらう方法はないものかと思ったのです。こんなにたくさん届いてくるダットをどうしたらいいのか、もうわからなくなっていたのです。ジャムを作ればよかったのでしょう。でもやり方を知りませんでした。それにやってみる勇気ももうなかったのです。
「このダットは、やけに水っぽいわ。一体なにをしたんだい? ひどい味だよ」。
いいえ、エラ。ひどいのはダットじゃなくて、私なのです。もっと生きて欲しいという、私の恐ろしいほどの願望の現れなのです。そしてそれをあなたに伝えようとした私がひどいのです。あなたの魂の鼓動に耳を傾け、その訴えをもっとよく聞き取るためには、私の肉体にある生への煩悩を沈黙させることができなくてはいけなかったのです。
ごめんなさい、エラ。どうか許してください。
はじめのころ、あなたはくり返し私にいいました。
「見てごらん、なんて美しいんだろう、この景色にとけこんで、この美しさと一体になるんだ。その上のほうは、もっと美しいに違いないよ!」
あなたの肉体の生命力は、最後の日まで、最後の入浴の時まで非常に強く、あなたはお風呂の中でこう叫んだのでした。
「なんて嬉しいんだろう。奇跡みたいだ。肌の上を水が流れて、体中が生き返るようだよ。幸わせだ。ごらん、幸福というのは肉体にはじまるのだよ」。
この最後の入浴の最中、あなたはなんて美しかったことか! まさに産ぶ湯のようでした。
あなたの肉体にはすべてが実在していました。逞しさ、優美さ、すべての欲望への誘い、豊満さとすべての喜びが。そしその不思議なほどのか弱さ。そして謙虚さも備えていたのでした。
「わたしゃ、なんて情けないんだ。からだが私の言うことをきかない。私のやりたいことをやってくれない。これが老いというものだろう」。
「もう一度はじめから勉強しなおさなくちゃ! お前さんは、ここに神から遣わされていて、私に老いることを教えてくれるんだ」。
そして早口で言うのでした。「太陽よ、太陽よ! そこにいてくれてありがとう。あなたの娘、エラを忘れないでね。あなたをとても必要としているのですから」。
「赤いケシを見てごらん。赤は私の力になって、にっこりさせてくれる色なんだ。ケシの花たちにお礼を言いたいわ。私に勇気を与えて、人生という遊びを楽しませてくれているんですもの」。
今年の夏、赤いケシが咲くかどうか心配で、じっと様子を見ていました。去年、それが最後の夏であり、もうこの地球上で一緒にこの花を眺めることはないのだと、私たちは知っていたでしょうか?
あなたは、歌うような色がお好きでしたね。あなたが愛情こめて作り上げた、この魔法の絵の数かずを、いったい私は、どうしたらいいのでしょう。
「わかるかい?」とあなたは言いました。「この美を謳うためには、絵描きにならなくちゃならないんだ。私も絵描きになりたかった。写真家の目は、すばやく真実を見なくてはならないけれど、画家の目はそれとは違うからねえ・・・・・・」。
そして十月のある日のこと。その朝はとりわけ日の光が甘く、夢の世界のような紋様を作りだしていました。正面に見える森は、すこしヴェールがかかったように朧げで、その上にはいつものように、切り取ったような頂きが聳えていました。野生のサクランボが少し赤みをまし、秋が近いことを告げていました。
あなたは森の中を散策して、とても幸せそうでした。私たちは切り株のそばに腰を下ろしました。あなたは小さなベンチに座り、私はその傍らにうずくまりました。あなたは私をじっと見つめ、私はあなたに微笑みかけていました。その日から私たち二人は、途方もない忍耐の世界に入って行ったのでした。永遠の静寂、しかしその静寂はすでに転調し、小節に区切られていました。私たちは長い時間、この美しさと、私たちの鼓動を聞いているこの場所の力の中に寄り添って座っていました。
そして我われは、そこから永遠を聞いていたのです。あなたは本当にそのことを、最初に出会った日から私に言ったのでした。我われの間には死が介在すること、そして地上でのこの私たちの愛は、きっと短期間のものだろうということがわかっていました。多分そうなのかも知れない。私は物事を、一分とか、一週間とか、一年で考えたことがなかったのです。すべての時間が自分たちのものだと思えました。
しかし、時は厳然と計算されていたのです。私はきっと違う次元の時の中にいて、その中であなたが導いてくれたのです。私にとって、なにはさておき重要なこと、それは生きることでした。あなたと生きること。そして生きるための目的を見つけることでした。
「全くお前さんがいなかったら、私はどうなっていただろう。きっと病院行きだったろうね」。
「病院にいる私なんて想像できるかい?」
「お前さんは本当に神様から遣わされたんだ」と、いつもくり返すのでした。
しかし、我われの出会いの意味は、時どき 私にもわからなくなることがありました。
二人で共通の計画などについて話し合えたら、と思いました。たとえば、「本を書こう!」とか、「可能な範囲内でいいから、旅に出よう!」とか。
私は自分の能力について悩んでいました。そうしたことを話すと、あなたはその考えの先にある、私の心の秘密を見すかすように、その青い瞳で私をじっと見ました。
「プロジェクトだって? お前さんはなにかプロジェクトを持ちたいのかい? いったいどん な計画のことだい?」そしてあなたは付け加えました。「本当に賢い唯一のプロジェクトは、神を探すことだよ」。それから、笑いながらつけくわえました。「でも神はどこにでもいるからねえ、とりわけ我われ自身の中にいるからねえ。さあどうすればいいかねえ」。
「私は言うべきことは、すべて言った。もう何も言うことはないんだ。この静寂に耳を傾けなさい。そして私のいうことを信じなさい。この質の高い静寂を見つけるには、山の奥深く分け入らなくちゃならない。ただ人はそのことに気がついていないんだ」。
「もう私は黙っていたい」。「私はもうともかく、自分が出会った偉大な賢者の言葉をくり返して言おうとは思わない。だから書くのはお前さんだ」。
「私が学んだことはね、たとえ自分でわけも判らず、また判ろうともせず、神の手の中にあるままに、命を神にゆだねるとしても、これだ! という感覚は、自分の内にある深い確信に、強くつながるということなんだよ。それは本から学ぶ賢者の教えより、もっともっと大きなものなんだよ」。
「一体、こうした本がなんの役にたつというんだろう」。あなたは自分の書斎の、二千冊にも及ぶ蔵書を冷ややかに眺めながら、よくこう言っていましたね。
「智恵も、神も、心の中にあるんだ。微笑みの中や、目の光のなかにあるんだよ!」
「お前さんは」とあなたはつけ加えました。「生きるのと死ぬのと両方を、手伝ってくれるわけね。私はね、美しく死にたいのよ」。
「いつのことと思っていらっしゃるのですか?」私は心配で聞かずにいられませんでした。
「もうじき死にたいと、思っていらっしゃるんですか?」
「いや、お前さんの方の覚悟が出来ていないからね。お前さんを苦しめたくない。でも死んでからのほうが、一層近くにいるってことがきっとわかるよ。死んだあとこそ、お前さんの助けになりたいと思っているんだから」。
そしてこう付け加えたのでした。
「ありがたいことに、その日を決めるのは神様なんだよね」。
それは木曜日のこと、あなたの、地上での最後の木曜でした。シャレーの西側のバルコニーの、台所の前にあるベンチまで、あなたは歩いて出てきました。私はこの小さな散歩を見て、とても満足でした。あなたが力を取り戻したように見えたからです。あなたは、なにか目的を達すると、いつでも誇らしげに「助かった!」と言ってにっこりするのでした。
雪が解け、お日さまの位置も高くなりました。夕方の五時頃だったと思います。あなたの傍らに腰を下ろすかわりに、私は地面に散らばったカラマツの枝を集めようかと思いつきました。私はこの労働に携わっている間じゅう、あなたは満足そうに私を眺め、あかずこう言ったのでした。「お前さんはたしかに、見る目を備えている」。
私はかなりの量の小枝を集め、外にあるラクレット用のかまどに入れました。そして「ちょっと火を入れましょうか?」と言ってみました。
この質問に、あなたの顔が喜びでパッと輝きました。その時、思いだしたのです。二年前、まだあなたがシャレーのまわりを、自由に行ったり来たりできたころ、ある夕方あなたはちょっと火を焚こうと言い出しました。しかしその時、私はなにか急ぎの用事にかこつけて、断ってしまったのでした。あとになって、とても大事に違いないこの願いを聞き届けてあげなかったことを、とても後悔しました。
「火は素晴らしい」、といつもあなたは言っていました。「火は人間が発見したものだ。火を起こすということには、人間の原始の喜びがある、根源的な歓喜なのだ」。
この木曜日、私はかなりの量の乾いた小枝を集めました。それは、いくつかの冬の嵐の置きみやげでした。そっと火をつけました。炎がかまどの中で燃え上がり、あなたはもっと良く火を見ようと、のぞき込みました。
「ふいごを持っておいで!」
それは、真鍮性の、トランペットのような形で、両端に二つの口がついていました。その一方の一番細いところを火に近付け、もう一方から風を送るのです。あなたがインドから持ち帰ったものでした。ふいごはいつでも、あなたの書斎へ入る左側の、台所の仕切りにかかっていました。それをとってきてあなたに渡すと、「ちがう、お前さんが吹くんだ」。私はびっくりしました。火を起こし、炎を立てるという、情熱の主役、冬を破壊する権限を私に渡そうとしている。私はおずおずとたずねました。
「できるでしょうか?」
「もちろんだとも、お前さんにはできる」。
私はふいごを手に取って、小枝の下に差し込みました。そして風を送りました。それは、あなたがいる前でふいごを使った最初であり、もちろん最後でもありました。
エラ、あなたは泣いているのですか?
それは法悦の涙ですか? それとも苦悩の涙? 浄化の涙でしょうか?
私はなんどとなく、あなたの涙を拭きました。
「エラ、泣いているのですか?」
「ええ、私は泣いているわ。私は、マハルシ師の教えをもっと活用できたはずだわ。お前さんはインドのアシュラムへ行って、私がそう言っていたと伝えるのです」。
「私は塩水を飲んだために死んだ馬を悼む」。
「私は捨ててしまった猫を思って悲しむ」。
「猫にドアを開けておやり。自由に入れるようにしておやり。そして撫でておやり」。
あなたの命の最後の日々、夜中に用事があるとき、私を起こしにくるのはいつもこの牝猫でした。今では、彼女は私を待ち、私を見つめている。
あなたはよく言っていましたね。「動物というのは本当に凄い。なんでもわかっているのよ。この猫も、お前さんのように正しい目を持っている」。
いいえ、エラ。正しい目を持っていたのはあなたです。
■永久 の日々
ある朝、短い散歩を終えて、あなたの家のほうに戻ろうとしたとき、山が歌っているのを聞きました。それはヒマラヤで吹く、ほら貝の音のようでした。
二月のことで、雪はまだいっぱいに積もっており、日は照っていませんでした。山の頂きは、白い霧のなかに隠れ、森の黒っぽい姿が、かろうじて認められるだけでした。村の中は砂漠のようでした。
この日から、食事が終わると長椅子のあなたのそばに座り、腕のなかに抱くようになりました。私たちはそうやって、ぴったりと寄り添って長い間身動きをしませんでしたね。
私は、これがあなたの二重の旅の最後の段階であると感じていました。二重の旅の外面は、地上のパラダイスを探すこと、内面の旅はあなたがしばしば「神」と呼んでいた「不変のもの」を追求することでした。わたくしたちは二人して「大きな河」のほとりにいました。あと数歩のところまで来ている。でもあなたはもう一歩も踏み出せない状況でした。
あなたが力の限り求めてきた神はどこにいるのか? 神とは誰だったのか?
神はこうして、全く無力にすることによって、死との一体化を遅らせようとしているというのか? あなたはそのことを、私よりずっとよくわかっているようでした。
「お前さんの準備ができたら、私は逝くよ。でもまだ覚悟ができていないね。見ればわかる。私はお前さんを苦しめたくないんだよ!」
それからあなたは、カルカッタの家のこと、ティルヴァナマライや聖なる山のこと、ラマナ・マハルシ師のこと、母上や友人たちのことを私に話しました。
そして一つの日を探していること、その日を決めるのを手伝って欲しい、と言ったのでした。
その夜、時間は八時でした。私はマントをひっかけ、ブーツをはきました。
「どこへ行くんだい?」
「カルヴェールの十字架に祈ってきます」。
「ああ、行っておいで。早く戻って、それからはもう、どこへも行かないでおくれ」。
あなたの大きく見開かれた目は、とても明るく、澄み切っていました。その瞬間、あなたの目がまるで永遠を見納めるように、私の目の中で凝結するのを感じたのでした。
何日か前に、あなたはこう言ったばかりでした。
「もっと近くに寄っておくれ。もう一度しっかり見つめ合おう」。
しばしばあなたの視線は、私を貫きました。あるときは私を包み、あるときは物問いたげに・・・・・・。でも、いつもまっすぐに私を見据えていました。
「死後の不滅の霊魂を信じるかい?」。
「もちろんですわ、エラ。それだけを信じていると言えるくらいです」。
「よろしい。それこそ、私のそばにいる理由だね。お前さんは、私の母親だ。もう一度生まれかわるのを手伝ってくれる」。
その夜、私はカルヴェールの丘まで走って行き、十字架にすがって、力の限り声をあげて泣きました。
「神様。あなたは大袈裟すぎます。もう、私たちが証しを立てることを学んだのがおわかりにならないのですか?」
「もし、私が覚悟をしなくてはいけないとおっしゃるのなら、今、この瞬間に私の準備を完了してください! もうあの人が苦しまないように、どうかあなたのもとにお連れください」。
私はシャレーへ走って戻りました。
「ああ、お前さんか!」
「私の近くに来て、もうどこにも行かないでおくれ。私のそばから離れないでおくれ!」
私はもう二度と、あなたから離れませんでした。彼らがやって来たときをのぞいては。
彼らは、あなたの遺体を引き取りにきたのでした。その時、私は出発しました。
あなたも同様に出発したのです。それは聖木曜日でした。
そして今、私は言うのです。
「エラ、私から離れないで!」
ごめんなさい、エラ。夜の九時に彼らがあなたの遺体をひきとりに来た時、私はそばにいるべきだったのでしょう。
私は彼らに言えませんでした。「魂をまとっていたこの肉体・・・・・」「手入れをし、繕ろい、包帯をしたりした生身の体・・・・・・」「神を呼ぶ、あなたの魂のかぼそい光が歌っていたこの身体」。私にとって大切なのは、硬直して、もうカラとなってしまった、うつろな、その肉体だということを。
私はあなたの肉体の最後の運命まで、共にするべきだったのでしょう。私自身でその身体を燃やし、骨を潰しその灰を集めるべきだったのでしょう。私たちがともに、この場所が生む神の静寂を聞いたように、その呼吸の沈黙に耳を傾けるべきだったのでしょう。
しかし遠ざかる生とともに、その眼差しの不在を見つめなければならなかったのです。一緒にいても、皮膚の冷たさを感じることは、死が近いことを思わせました。
あなたの地上の命の冬。あなたが見つけ、刈り取り、また種として蒔いた穀物の集積、あなたの疑念の終末、あなたの美のフィナーレ。あなたの肉体が腐るまで、私は、あなたの側にとどまるべきだったのかもしれません。なぜなら私は、その時まで全力をつくして、永遠が定めた時を遅らせようとしていたのですから。
あなたの魂につき従っていて、河の向こうまで一緒にわたるべきだったのかもしれない。我われが一緒に現在の中で達した高みよりもっと高いところへ。
現実は、炎になり、灰となり、熾き火に変わってしまった。私を滅ぼしそうなこの現実!
実際にこの目の前で、あなたが微笑んでいたというこの現実!
「永遠に還りなさい」とあなたは言いました。「そして証人になりなさい!」と。
エラ、あなたがいなくて寂しい。
私がしていたしぐさは、どこに行ってしまったのだろう。あなたの髪をとかし、あなたの足をさすり、あなたをささえるこの所作は?「しっかり支えて! 私のウエストを持って、しっかり支えてちょうだい!」というあなたに、耳を傾けるこの私の動作は?
あなたはよく言っていました。「誰もが、死を通過しなくてはならない。それは疑いようがない。永遠に生きなくちゃならないとしたら、その方がよっぽどひどいことだよ」と。
私のしぐさも、過去とともに死んだのだ。
でも私はいまでもなお、それらを思い出そうとしている。
「もし悲しくなったら、美しい詩を唱えなさい。そして頭の中の混乱をとりさるのです。無になるのです」。あなたはよくそう言いました。
「まず自分自身と平和な関係になりなさい。それから神様ともね」。
ある日のこと、あなたは、いつになくたくさんしゃべりました。秋でした。
「ナナカマドが赤くなってきましたね」と言ったら、「そうさ、そうやって、私にサヨナラを言っているんだよ」と言い張りました。
「お前さんの新しい家に住んでいる小さな地の神に、『自分を受け入れてください』とお祈りするのを忘れるんじゃないよ。そこはお前さんの天国だ。自分のところにやってきたものの面倒を見なさい。その天国の責任者は、お前さんなのだから」。
「それから、シンプルに書きなさい。ダイレクトに! 結論へまっすぐ行きなさい。人はもうゆっくり読んでいるひまはないのです。ものごとの輪郭を、はっきりさせなさい。良く物事を見て! お前さんのその目を、よく見るように鍛えるのです。お前さんはいま人生の十字路にいる。確実に正しい判断をしなくてはね」。
「お前さんは、私が老いるのを手伝ってくれた。見てごらん。庭のカラマツが、金色の房になっている」。「この旅がひとりぼっちでなくて良かった。お前さんは、私の孤独を光で照らしてくれた。お前さんがいなかったら、本当に私はひとりっきりだったよ。親しい友だちは、みんな死んでしまったからね」。
「人は、花に水をやるとき満足感を覚える。花が命を長らえてくれることに、感謝しているからね。でも私はもう終わりの時が近い。今すぐ死んでもおかしくはないよ。でもたとえ私が明日死んでも、すべてちゃんとしてなくてはね。そう、私は準備ができている。この上望むのは、沈黙と平和の二つだけだね」。
「彼らに言っておやり。私は、この世の至福を味わったし、お前さんもそれを理解し、私と分かち合ったのだと。偉大な賢者たちの教えを、西洋の言葉で、彼らに言ってやりなさい。この世には、西洋の智恵と東洋の智恵と、別々に二つあるわけじゃないんだから。叡智は、一つしかないんだよ。我われは、アジアを忘れては、何ものでもないということを忘れてはいけないよ」。
「この歌うような色を見てごらん。それにひきかえ、私はなんと醜く汚いのだろう。セルヴァンよ、モンセルヴァン、お前の千年の力を私に与えておくれ! 私はもう黙ることにします」。
「これは姿勢の問題。毎日の生きる態度の問題だ。大切なのは日々の実証なのだ。肉体的な衰えをはっきりと、明晰に見通すことなのだ」。
「私は自分自身に起こる事柄の証人だ。まるで映画を見るようなもの。これは無料の演し物だよ。私に起きる事柄は、もう私には関係なくなるのだから」と言って、あなたは、はじけるように笑うのでした。
「この枯れた茎を切りなさい。百合は枯れている。春に芽を出し、夏に花を咲かせ、そのオレンジ色の花を堪能させてもらった。いまや、最後の籤が待っている。それは死なのだ」。
私は微笑み、あなたの髪をなでていました。
あなたがこの地上を去ったあと、雨が何日も降りつづきました。山は白く霞み、目の前の山は黒ずんで見えました。まったく外に出る気にはなれませんでした。
春でした。
春になると、あなたはいつも言っていました。
「ナナカマドの花の香りを嗅いだだろう? えも言われぬ微妙な匂いだろう?」
私は、もう二度と赤いケシに咲いて欲しくありませんでした。芽が顔をのぞかせ、花弁が開きそうになったとき、私はそれを根こそぎ抜いてしまいたいと思ったほどです。二人がこよなく愛した赤という色を見るのは、堪えがたいことに思われました。
「赤、それは喜びそのものだわ」。あなたは何度となく、こう叫んだことでした。
あなたの存在を感じたくて、私は一日に何度となくカルヴェールの丘に行きました。でも私が感じたもの、それは無でしかなかったのです。私はあなたの不在を噛みしめるしかなく、もうあなたはいないという悲しみの坩堝の中でしか、あなたに再び出会うことはできないのだ、ということを悟ったのです。
私は墜ちるところまで、墜ちなければならなかった。そして逆説的に言えば、この下降が上昇なのだった。まったく逆さまの頂点への、上昇なのだった。
「お前さんが壁の前に立つときこそ、自分の中にあるすべての力に気がつくのだよ」と、あなたは言っていました。「エラ、私は壁の前にいます。その壁は他の世界から私を断絶させます。叩いてみるのですが、それは高くてとてもよじのぼれそうもありません」。
あなたはいみじくも言ったものでした。「我われ二人は一緒にいる必要はないのだ。大事なのは精神だからね。お前さんはたとえ私が死んだあとでも、いつでも私の心の中にいる。そして私は死んだあとでも、お前さんを助けるからね」。
私の心の中に溶け込んでくるあなたの言葉や沈黙が、次第に音楽になっていくのを感じます。
それを聞きそして私は前へ進みます。昇ろうとしては滑ります。しかし妙なる調べが私を誘導してくれるのです。それはあなたの命令と私の服従の、そしてあなたの信頼と私の献身の、妙なる調和なのです。
そうやって私は少しずつ、二人の歴史の四隅から離れることができたのでした。
ある日、数週間低くたれ込めていた空に、裂け目が見えました。青い色が、清く神々しいまでの青が、顔をのぞかせました。それは本当に、あなたが大好きな真っ青でした。
その日の夕暮れ、空は夕日で黄金にかがやきました。私は目の前の青い影や、歌うようなさまざまな色を見つめました。そしてその瞬間、澄んだ夜の大気のなかに、星が一つ一つ輝きだしたのです。まだ寒く、地面は黒々としていました
今こそ、私は灯りをつけましょう。そして、火をともすという、この原始的な喜びを表わす言葉を探すのです。
あなたの眼が懐かしい。あなたの声が聞こえなくて寂しい。でも眼差しも声も私の中にある!何もない砂漠の光景のなかに、ゆっくりと広がりを描く曲線のように!
「見えるように開けてちょうだい!」
いいえ、エラ。私はもうあなたのために開けるのではありません。
表のドアも、猫のための小窓も、封筒も、包帯の箱も。
私は自分のために開けるのです。
そして他の人びとのために。
あなたが居なくても、あなたの視線を思い出しながら、自分の目の前を通って行く事柄を注意深く見つめます。私はあなたと一緒にそうしたように、まっすぐ前を見ることしかできないでしょう。
ええ、エラ。私は開けますとも。
あなたは毎日のように言っていました。「微笑みをありがとう! 自分の敵のために祈りなさい。チベットの聖者、ミラレパのようにね」。
「お前さんは自由だ!」
■エピローグ
ある夜、私は、シャレーに続く石段の傾斜を、一つ一つ刻むように登っていました。
とても骨が折れました。足を一歩一歩踏みしめていないと、石の段々で滑ってしまいそうだったのです。息をはずませ、疲れ切っててっぺんに辿りつき、やっとのことで顔をあげました。
そこにあなたがいらしたのです。杖もつかずに、すくと立っていました。インドのスカートを着けて、背中にはリュックも背負って・・・・・・。
夏でした。
びっくりして、あなたから目を逸らすことができませんでした。あなたの眼差しは、いつもと同じように、明るく澄みきっていました。優しさに溢れた様子でこう言ったのです。
「お前さんの目を見られて嬉しいよ」。
「私も嬉しいです」。
そしてシャレーの中へ入れてくれました。
テーブルがひとつあって、腰掛けるようにと言いました。
あなたはひとりでした。
私は食事をするときにいつもしていたように、横に座っていいか訊ねました。
「もちろん!」
そしてこうつけ加えたのです。
さあ、
休息の時がきた。
バルコニーに出て
胸一杯息を吸い込んでごらん
そして
自分の魂が生きようと望んでいることを
想いおこすのです
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2011/05/22
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