露国社会党に与ふる書 (『平民新聞』社説・1904.3)
「
一千八百八十四年、諸君が虚無党以外、テロリスト以外、別に社会民主党の
諸君よ、今や日露両国の政府は
然れども我等は一言せざる可らず、諸君と我等は虚無党に非ず、テロリストに非ず、社会民主党也、社会主義者が戦闘の手段は、飽まで武力を排せざる可らず、平和の手段ならざる可らず、道理の戦ひならざる可らず、我等は憲法なく国会なき露国に於て、言論の戦闘、平和の革命の極めて困難なることを知る、而して平和を以て主義とする諸君が、其事を成す急なるが為めに、時に
この公開書簡に接し、「歴史上重大文書と謂はざるべからす。(中略)力に対するには力を以てし、暴に抗するには暴を以てせざるを得ず、されど我等がこの言を為すは決して虚無党又はテロリストとしてにはあらず、我等は先に露国社会民主党を建設してより以来、テロリズムを以て不適当なる運動方法となし、
然れども此問題は今此場合に於て、さしたる重要の事にあらず。今我等の最も重大に感ずるは、日本の同志が我等に送りたる書中に於て現したる一致聯合の精神に在り。我等は満幅の同情を彼等に呈す。
万国社会党万歳!」 (ロシア社会民主党機関誌『イスクラ』返信 大要)
この返信に接し、「吾人は之を読んで深く露国社会党の意気を敬愛す、然(さ)れど吾人がさきに、暴力を用ふる事に就て彼等に忠告したるに対し、彼等が
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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