べんがら炬燵
雪の後
北がわの屋根には、まだ雪が残っているのであろう、
太平記を借りうけて、今朝から手にしはじめた
「雪じゃよ」
「
「のう十郎左」
三、四人おいて坐っていた
「──雪で思いだしたが、もう十年も前、お国元の馬場で、雪というと、よく暴れたのう」
「うむ」
十郎左は、
「この中でも、いちばん年下じゃが、そのころお小姓組のうちでも、やはり貴様がいちばん小さかった。そして、泣き虫は十郎左と決まっていたので、貴様の顔ばかり狙って、雪つぶてが飛んで来たものだった」
「泣き虫なら、もっと、涙もろい先輩がおるよ」
「誰」
「よせ、あの話は」
友達は、みな知ってることとみえて、同じようにくすくす笑った。
こんなふうに、時々、
ちょうど、
ふた組に分れていた。
その上の間の組には、
内蔵助だけは、斜めに顔をあげて、いつもの深謀な眸も、今はもう何も思うことがないというように、ぼんやり、半眼にふさいでいた。書き物もせず、書も手にふれず、どっちかといえば小がらで肩のまろい体を、やっと、置くべき所へ置いたというような恰好で、居ずまいよく坐っていた。、
十二月十六日──
人々は、手紙の封に書いている。
討入のおとといの夜は、もう過去だった。何だか、遠い過去の気がするのである。
ゆうべは雨だった。
吉良殿の
意外だったのは、ここへ着いて、おとといからの泥装束を脱いでいる混雑のなかへ、五十四万石の大身である越中守が、自身、無造作にやってきて、
(この度は、さだめし、本望なことであろうの)
と、ねぎらわれたことだった。
次には
内蔵助は、
(上杉家には千坂がおる)
一笑したが、若手のいる
(いや、何ともしれぬぞ)
と、胸の余燼を、消さなかった。で──雪とは承知しながら、ずしん、ずしん、と地ひびきのする度に、潮田又之丞も、ほかの者も、すぐ眼をうごかした。
眼 皺
表役との境は、混雑していた。 家老の
「なに、あの者たちへ、火鉢を与える─ ……。以てのほかな!」
と、たしなめていた。
「火鉢はおろか、公儀のお預け人。あの衆と、雑談なども、かたく無用でござる」
伝右衛門は、
「料紙
「心得ぬことを……」
伝右衛門は、
「なにが心得ぬ」
「御家老には、あの衆は、ただの
「お預けの罪人、囚人に相違なかろう」
「罪人」
伝右衛門は、眼に涙さえもって、心外そうに、
「武士は勿論、お台所の御用にまいる町人や、お坊主の端くれまで、義士よ武士道の華よと、世間を挙げて、
「だまんなさい。罪は罪」
「御家老は」
「だまらぬかっ。私情をもって、御法を
「武士の情けを知らぬおことば、伝右衛門は、服しかねまする」
「服さぬ」
「はいっ」
「服さぬといったな」
「申しました。申さずにはおられませぬ」
「これは、伝右、伝右。……貴公よいお年をしながら、
「そんな、軽薄な存念とお考えあることが心外じゃ。今の世相をご覧あれ、武士道がどこに、君臣の義がどこに。武士の賢い道は、
「困った熱病じゃ。とにかく、火鉢などは相ならん」と後ろへ、幾つもの箱を運んで来て、
「元へ戻しておけっ」
と、叱った。
ふだんの伝右衛門とは、まるで別人のように、
「いや、かまわぬ。もしお
「ならぬっ」
「御家老も接伴役のおひとりではないか」
「さればこそ、落度のないように計るのじゃ。伝右ひとりの腹切ってすむことならよいが、お家にもかかわる」
「あの衆の心事に、武士が、涙をそそがいでは、いよいよ武士道は地に
「これや、伝右が、どうかいたしたわい。火鉢は、納戸へ返せっ」
「かまわぬ運べっ」
「だまれ。上役の命を」
十七士のいる広間まで、二人の大きな声は、がんがん聞えて行った。一同は
すると、程なく、何事もなかったような伝右衛門の顔が、にこやかに、そこにみえて、
「そこへ一つ、その辺へ一つ」
と、納戸の者をさしずして、火鉢をすえさせた。金網のかかっている大きな
ことばになど現わし得ない気持と──伝右衛門の身にかかる
ゆうべ、一番さきに、彼と懇意になった
「これで、夜に入っても、いくらかはおしのぎようござろう」
伝右衛門は、満足そうに、
「──わけても、大石殿はの」
と、
内蔵助は、遠くから、
「伝右どの」
いっぱいな感謝が、その眼ざしと、その一礼とで相手の心に
「ははは。聞えましたな」
「助右衛門が、いらざる無駄ばなし、寒さなど、とやこう申す境遇ではござらぬ」
「御心配くださるな。唯今、上役と
紫
接伴役は、十九名いた。交代で非番をつくり、その日は、夕刻から家に帰って、休養することになっていた。
堀内伝右衛門は、
「世間は、底の方ほど、頼もしいものじゃ。赤穂の衆を見ても、大石殿はべつじゃが、大野、奥野、千石どころの重臣に、節操のある奴はおらぬ。義士の多くは、みな軽輩じゃ。
「落首だろう、読んで来い」
と、駒をとめた。
若党の佐介が、走って行って、
「見て参りました」
「なんとあった」
「──細川や水野ながれは清けれど……」
「ふむ」
「──ただ
「ははあ、町人どもの勘は、怖いものじゃ。義士のお預けをうけた四家のうちでも、細川家と水野家は、情ある取扱いをしているが、毛利と松平の二家は、冷遇じゃという噂がある。さてこそ、その
伝右は、会心の時にやる独り合点を繰返して、
「やりおるやりおる」
と、駒を、
「はてな、今日も──」
そこで彼が、眸を、反対な左の河岸へ
木枯らしに吹かれて、女は二つの長い袖を胸に掻きあわせていた。戸ざした
どこか淋しい影のある顔だちだった。若くて、水の垂れるほど美しい姿が、
「どこの娘─」
伝右は、鞍つぼの上で、考えた。
町家の女ではなく、
数えてみると、伝右衛門は、その江戸紫の頭巾を、これで何度見ているか分らなかった。
ある時は、はっと、用ありげに眼を惑わせながら、そのくせ、近づいて来る気ぶりはなく、いつも濡れているような眸を投げて
「品よく見せてはいるが、娼婦かも知れぬ」
そうも、考えられた。
どぎつい元禄の風俗、華美な姿、世相に浮いてる油のような表皮は、すべて軽薄なもの、腐敗をつつんだものと伝右衛門はきめていた。
「──お帰り遊ばしませ」
式台には、いつも通り、妻の
家庭にあっても、彼はむろんよい父であり、よい良人だった。行きとどいた調度や掃除にも、何不自由ない平和さがみえた。
が──ちらと不機嫌に、
「修蔵は、また、留守か」
食膳につくと、すぐ訊ねた。
お磯が、晩酌の
「書物を買いにといって出ましたが……」
「書物を。──書物など、読んだこともないに。──また、
「いえ、このごろは、よく御教訓を守って、道場の方も、励んでおりまする」
「なんの、道場通いが、あてになろう。お前など、そんな浅はかゆえ、若い者の行状が分らんのだ。道場の門弟仲間と、悪所へ行くらしいという噂を聞いたぞ」「まだ、江戸が珍しいのでございます。友達に
「そう
伝右衛門は、苦りきった。
国許の親戚の眼がねで、この春、江戸へ
戸田修蔵といって、国許では秀才だといってよこした親戚の添状どおり、頭もいいし、人品も、お磯の気に入っていた。それだけに、修蔵は早く江戸に同化した。一度、風呂屋遊びに行ったことが、伝右衛門の耳に入ってから、すっかり信用がなくなっていた。
「まず、あれも駄目じゃの」
杯を、きぱと、膳にふせて、
「あんな柔弱者なら、江戸にいくらでも、次男坊や三男坊の口がある。何もわざわざ」
ふすまが開いた。
娘のお麗が、
「お父様、ご
「たくさんじゃ」
「ご飯になさいますか」
「む……む……貰おう」
黙々と、飯を噛む父の顔つきを見て、お麗は話題をさがすことに努めた。
「お父様」
「なんじゃ」
「きょう、
「そうか」
「その時、刀屋も不審がっておりましたが、どうして、あんなに沢山の刀を、一時に
「今にわかる」
「でも合戦もないのに」
「武士にとつては、常の日も
「そして、あの刀屋は、面白いことを申しました」
「なんというて」
「御主人様には、この度は、赤穂浪士の接伴役とかにおなり遊ばして、まことに、お
「ふむ」
伝右衛門は、硬ばった顔を
「代わりを」
と、飯茶碗をだして、
「ははは。わしの役目を、羨ましいとか」
「刀屋ばかりではございません。呉服やの番頭も、花道の師匠様も、出入りの八百屋までが、義士たちのためなら、どんなことでも尽くしたい。身代りになっても上げたい。──それの出来る御主人様は、お羨ましいと申すのでございます」
「至誠は人をうつ。……そんなかのう」
「その代り、うるさいことも訊かれて困ります。大石内蔵助様は、どんな顔だの、堀部様はどうだの」
「ははは。見たいのじゃな」
「いちばん困るのは、お
「何事も、知らぬというておけ」
「でも世間の衆は、よると
「わからぬ」
「遠島ぐらいでございましょうか」
「さあ」
「やはり、死罪でしょうか」
「何とも、まだ」
「死罪でも、打首か、切腹か、
「いうな」
伝右衛門は、首を振った。
「──お裁きは、御政道じゃ。将軍家や閣老方の慎重なるお考えにあること。われわれなどが口にすることでない」
だが、すっかり機嫌はなおって、伝右衛門は、やがて、のびのびと、安息の寝床に入った。
彼が、眠りかけると、
「修蔵様、お帰り」
と、玄関の方で、お磯とお麗との声がした。
──帰ったのかな─
伝右衛門は、そう思ったが、修蔵の部屋に、人の入ったらしい跫音はしない。
「ははあ」
と、伝右衛門は
案の定、夜が更けてから、裏庭を開けて、そっと、寝所へ跫音が消えこんだ。
それが、修蔵だった。
「ちッ……」
と、彼は寝返りをうった。
田 作
細川家の優遇を通して、世間のうわさだの、身寄りの消息だの、またその後の上杉家の態度などが分ると、十七士は、することもなく、一日ましに、藩の接伴役と、親しみを加えて行った。
伝右衛門は、
広間の方で、あまり愉快そうな笑い声がどよめくので、彼は、夕刻、お台所の方からそっと取り寄せておいたごまめの醤油煮に
「おう、お
「や、伝右殿か」
「伝右殿、ここへござれ」
下の間の若者達は、べんがら染の
「いつも、お元気じゃの。──何か面白い話でもござったか」
「あるわ、まあ、お坐りなされ」
「──今の、近松勘六めが、
「それは近頃、珍しいことじゃの。して、どんな惚気─」
「江戸詰の頃、他藩のお留守居とともに吉原とやら参って、ひどう、
「はははは。この勘六殿がのう」
と、その勘六のそばへ坐った。炬燵の
勘六は、討入の時、
頭を掻いて、
「嘘、嘘」
「
「はははは」笑いながら、一人が、伝右衛門のそばにある
「これは何じゃ」
伝右衛門は、蓋をとって、
「
「ほう、
「なに、田作」
と、一同は首をのばして、
「よかろうどころか、これは珍品」
「お一つ、おつまみなされ」
と眼をこすった。
「
「源蔵に涙をこぼさすなどは、おつおつな田作じゃ」
案外、評判がいいので、伝右衛門は欣しかった。すると、沈黙していた上の間の方から、吉田忠左衛門が、
「伝右殿。
「いや、これは失礼」
と、伝右衛門が、真面目にうけて、田作の
その声に、眼をさましたか、同じ色のべんがら色の
堀部弥兵衛は、眼鏡を
「耳よりなお
「ささ、どうぞ」
「わしも、酒の折に」
間瀬久太夫は、
むろん、何気なく出たのだが、久太夫のことばに、一同は、はっとしたようだった。死を待つ国法の罪人に、過分とも何とも、これ以上は、好意の表現がないほど、優遇を尽くしてくれている細川家に対し、また接伴役の家士に対して、今のことばが、ちょっとでも、不平とひびいては申し訳ないという気持が、期せずして、誰の眉にも、ぴりっとうごいたのであった。
だが、伝右衛門は、そんな神経は持ち合せてもいないように、むしろ、そういって貰った事が欣しい顔つきで、
「ほう。ひどくお気に召されたの。てまえも、非番の日は、ちと、晩酌をやりまするで、
すると、内蔵助が、
「伝右殿」
炬燵ぶとんを
「はっ、何ぞ─」
と、べつな返辞をした。
内蔵助は、いい
「まことに、
「はい」
「われら、永年の浪人暮し、粗衣粗食に馴れて参ったせいか、御当家より朝夕頂戴いたしおります二汁五菜のお料理は、結構すぎて、ちと重うございます。
弥兵衛、惣右衛門、十内なども、尾についていった。
「そうじゃ、そう願いたいよ」
「実を申すと、毎日の御馳走には、少々、参った形でござる」
伝右衛門は、笑いだした。
「それでは、
「そうそう、それに、書見のほか、ほとんど身動きもせぬ体じゃ」
「ところが、二汁五菜は、太守のお声がかりでござれば、これや、一存で
「いやあ、愈々、弱る」
「ちと、お体を動かすことが出来ればよろしいが、それだけは、公儀のてまえ。
……定めし、外気にも、飢えましょうの」
沈黙家の
「毎晩、足の土踏まずが、かさかさして
「ご尤もじゃ。御当家はお庭も広し、品川の海も
「オ、お時計が鳴った。お寝みなされ」
と立ちかけたが、また戻って来て、
「──申し忘れたが、明日より、お奥の役者の
と、断って、詰所へ退がつた。
内蔵助は、茶色のちりめん頭巾をかぶって上の間の床脇へ寝るのだった。下の間は、寝つきが早く、すぐ静かになったが、上の間では、
潮田又之丞は、寝入ると、歯ぎしりする癖があって、よくからかわれた。一番老年で、ことし七十六歳になる堀部弥兵衛老人が、ある夜、
「えーいっ。えーいっ」
ふた声、
けれど、ほど経つと、もう考える問題が何もなくなった。死は、白い紙を見るように当り前な観念になった。──床に入って寝つくのが、誰も早くなって、すやすやと十七人の寝息がそろった。そして、その一つ一つの小屏風のうちへ、四家の大名に分れて同じ境遇にある我が子や、友や、また
十郎左
朝。
ああまだ俺は生きている。
陽を見ると、誰もそう思った。ゆうべの夢を話す者はなかった。
よほど、欣しいことがあるとみえて、伝右衛門が、にこにこ顔で、何か抱えて来た。
「御一同、今日から、お
これは、確かに、
ここにいる者、ほとんどが、煙草ずきだったが、太守の越中守は煙草嫌いで、禁煙は、藩風のようになっていた。──それを、伝右衛門はどうかして殿の許可を得て来たのである。
接客用の提げ煙草盆、見事な
「は……」
何かしら、
「さ、さ、どうぞ」
「御好意に甘えて、大石殿から先に参らせましょう」と原惣右衛門が、
しばらくの間、ゆるい、紫いろの煙が、上の間からも、下の間からも流れた。
「今年も、暮れますのう」
「されば……」
と、伝右衛門は、何かいいかけたが、口をつぐんで、ふと、奥の物音にこういつた。
「大工がはいって、お騒がしゅうござろう。その代り、初春は早々、あちらの役者の間へお移りができまする。ここは、暗うござるが、あちらなれば、庭も見え、空も見え......」
と、いいかけて、
「源蔵殿、どうなされた」
体を、無性に掻いていた赤埴源蔵が、
「
「それやお辛うござろう。なぜはやく仰っしゃらぬ。典医に申して、塗り薬をとって来て進ぜよう」
立ちかけると、
「伝右殿、伝右殿、おついでに、十郎左へも、一服お
と、誰かいった。
「十郎左殿も─」
と見まわすと、この中では一番の年少者で
「御病気か」
「いいえ、少々ばかり」
十郎左は、首を振った。
そばの者が、
「
「なぜ、我慢などなさる。左様に、お親しみ下さらぬと、伝右めは、殿のお心持を、十分にお取次ができませぬ。役目の落度と申すもの。どうか、もっとお心易く、用事を仰せつけ下さらぬと困る」
「これから、気をつけまする」
叱られたように、十郎左が、真顔で謝ったので、側の者も、伝右衛門も笑った。十郎左は、顔を
朝夕、世話をしているせいか、伝右衛門は、今ではまったく、この人々を、他人とは思えなくなっていた。とりわけ、この磯貝十郎左衛門には、一番年少者であるせいか、自分の子みたいな愛着があった。──ふと、胸の中で、一人娘のお麗の顔と、十郎左の顔とを、並べてみたりした。
「──年といえば、熊本から来た修蔵めと、何歳の違いもないに」
と、思った。
また、ある夜のつれづれに、堀部老人から十郎左の身の上話を聞いたことも手伝っていた。何でも、十郎左は、十四歳の時に堀部老人の推挙で、
その、密偵の仕事のうちでも、最も、探り得なかったのは、吉良上野介の寝室の位置だった。
討入を決するまでに、どれほど、それを知ることに、同志の者が、苦心したか、想像のほかだった。──それを、最後に、突きとめて、味方に、
「よし」
と、最後の準備をさせたのも、十郎左の
また、吉良の
「ちょっと、母の顔を見てこい」
と、いったが、かぶりを振って、十郎左は行かなかったという話や──それらが、いつとはなく、特に、伝右衛門が彼を好く原因にもなっていたには違いなかった。金杉橋から、たった一足の
「この辺だな」
と、思い出す話でもあった。 だが、朝夕、こうして同じ屋敷に暮しながら観察していると、十郎左は、美貌だし、なで肩だし、一体、どこにそんな剛気がかくれているのか、不思議に思えた。──今だって、側の者、が、下痢だといったのを、まるで、処女のように、
──男が惚れる男だ。
伝右衛門は、つい、じっと見つめてしまった。お麗の姿を、彼のそばに描いて……。
「どれ、それでは、典医を連れてまいろう。その方が、早かろう」
一つの青春
松の内が過ぎると、閣老や世間のあいだに
評定所の十四人衆から、閣老へさし出した意見書の眼目は、
浪士助命説。
だった。赤穂浪人の挙は、君臣の美徳を高揚したもので、これに、死を与えることは、道徳に死を与えるも同じである。また、赤穂浪人の行動は、
それは、民間の輿論と、ほとんど同じ気持だった。将軍家すらも、内心、御同意という噂がある。
だが、強硬な反対説もあらわれた。
多くは、学者である。学府の中でも、最高権威者、
浪士死罪。
を主張した。
理由は、「法」の尊厳である。
幕府は、義と法の重さに迷った。老中の意見も二分するし、ここに、上杉家という白眼で見ている一派もある。
だが、世間は輿論をあげて、浪士の助命を信じた。殊に細川家などは、台所役人から、太守までが、殺したくないので、胸がいっぱいだった。太守自身、神にまで、祈願した程であるから、情熱的に、
「助かる」「助かりましょう」
と、いいあった。
で、ひそかに、
──
──遠島に処せられた時。
──死罪の時。
三つの場合を予想して、急場に、まごつかない準備をしていた。
伝右衛門などは、殊に、十七士が細川家に
「梅が咲いたの。──あの衆に、はやく、晴々と、今年の花を見せたいが」
もう、一月の末。
その日も、非番で、伝右衛門は自宅へ戻るところだった。
金杉まで来ると、若党が、
「あれ、旦那様、また」
鞍つぼへ寄って、主人の袴を引いた。将監橋の上に、くっきりと、濃い紫、白い顔が、見えた。
「ウーム、気狂いじゃろう」
「この辺でも、そう申しておりまする」
「若いのう」
「
「
「お嬢様と申せば、お嬢様も近頃は、どこか御気分がすぐれぬように存じますが」
「そちの眼にも、
「ちと、御血色が」
「うむ……」
帰ると、きょうは修蔵もいた。お麗や母と、顔を
機嫌がいい。
しかし、修蔵には、余りものもいわず、晩酌がすむと、すぐに寝室へ入った。
かなり眠ったつもりだが、近くの太鼓は、まだ
といっても、家人は皆、床についたはずなのに、裏庭で、物音がする。戸……跫音……。
「修蔵だな」
直感に、首をあげて、
「このごろは、だんだん遊び上手になって、わしが寝かけてから、抜け出しおる。よし、今夜──」
「誰だっ。──盗賊か、修蔵か、これへ出いっ」
ずるずると、襟がみをつかんで、ひきずり出すと、
「あっ、おゆるしを」
「修蔵だの。……こらッ」
「…………」
「卑怯者、顔を上げい。……何じゃ、何じゃ、その
「あっ、こればかりは」
修蔵は、両手で
「や……娘の」
こめかみに、青白い怒りを走らせて、伝右衛門は、修蔵の襟がみを掴み直した。
「おのれ、浅ましい奴。娘の部屋から、遊びの
「お父様っ……」
ふいに、彼の足もとへ、お麗が走りよって泣き倒れた。
「私が、上げたのでございます。修蔵様に」
「な、なんじゃと、……貴様が、修蔵にやった─」
「はい、どうしても、お
「たわけ者っ!」
「母をよべっ。──お磯っ」
「はい……」
後ろに来て、悄然としていた。
「お前も、お前だぞっ。よう聞けっ、この馬鹿娘が、この
「お詫びいたしまする。まったく、私の……」
「
手を離して、
「修蔵、出て行けっ」
「…………」
しゅくっと、お麗が泣いたのに誘われて、お磯も、修蔵も、涙をながした。
「見るも、けがれだっ。おのれのような
「申しわけがございませぬ。まったく、同門のお友達と、近頃、酒をのみ覚えまして」
「いい訳がましいことを申すな。行けといったら、行けっ。──これお磯、笠と
「あなた……」
「早くいたせっ」
「でも、あまりといえば」
「今宵ばかりは、
いいすてると、伝右衛門は、風呂場で足を洗って、寝てしまった。
明くる日、出役の間際に、
「修蔵めは、出て
「はい……。
母と娘は、悄然と答えた。
敦 盛
二月に入って、二日の晩だった。伝右衛門が、ちらと、用事に姿をみせると、上の間から、
「オオよい所へ。伝右どの、これへ」
珍しく、内蔵助が、呼ぶのである。それも、いつになく、ほがらかに。
見ると、酒が出ている。
甘党の赤埴源蔵、吉田忠左衛門、堀部老人、小野寺、間瀬の人々は甘みぞれを飲んでいた。無言
「お杯を下さるとか」
伝右衛門が坐ると、
「されば。──十郎左、その杯を、伝右殿に」
「はい」
「十郎左どのの杯じゃの」
伝右衛門は、干して返した。
十郎左は、手を振って、
「もう、参りました」
「磯貝、卑怯」
と、下の間で、近松勘六がさけんだ。
伝右衛門は、手をのばして、
「これはいかな事。
「でも、今宵は、
と、廊下へ逃げた。
内蔵助は笑いながら、
「いやいや、十郎左は、あのような
「返せ、
伝右衛門は、
「討死」
と、いった。
「まだ、ちと、早い」
早水藤左衛門が、腕をすくって、
「もう
「おいじめなさるな。もう……もう……
「そんな弱い、十郎左ではない。よし、よし、飲まねば、あのこと話すぞ」
勘六や、瀬左衛門は、面白がって
、「そうそう、のまねば、あのことを、伝右どののお耳に入れよう」
「何じゃ、それや聞きたい」
「十郎左が
「それや、聞いた」
「いや、それに
「いけないっ。謝る」
十郎左は、あわてて、
「それだけは、勘弁せい。飲む……飲む……。その代りに、伝右殿、あしたはまた、御典医を、おねがい──」
「いや、飲んで貰うより、その話、聞きとうなった。何でござる、十郎左殿の手功ばなしに
「知らん、知らん、真言秘密と申すなり」
「ははは。見ろ、十郎左が、あの困ったらしい顔を」
そんな、
「はてな」
伝右衛門は、いつもと違った人々の
と、夜になって、上屋敷から使者が来た。沈痛な夜気が
浪士の裁決はついたのである。幕府の内意が、その日、四家へ向って発しられたのだ。
四十六名、切腹。
「……だめだったか」
伝右衛門は、詰所から立つ勇気も、口をきく勇気も失ってしまった。
同時に、
「ああ偉い」
越中守の伝言で、それを、ことばで伝えるには、あまりに冷たい。
「あの衆に、花を見せる日が来たか……」
伝右衛門は、その
用事が終ってからも、行くに堪えない気がしていたが、やはり、心にかかって、ちょっと、浪士たちの広間をのぞくと、もう、上の間も下の間の人々も、半分は、床に入って寝んでいたが、大石瀬左衛門、富森助右衛門、近松勘六などは、起きていて、
「オオ、それにおいでたは伝右殿とお見うけ申す。お入りあれ」
「もうはや、お寝みでござろうに」
「いや、ちとお目にかけたいものがござる。──ほかでもないが、吾々どもも、やがて程なく、この世の
屏風の蔭から、二人のお尻が突き出ているし、瀬左衛門が澄ましこんで
十郎左は、床に入っていたが、腹ばいに首を上げて、
「困った大人どもでござる。伝右殿、あしたは、その
と、いった。
「
「上天気」
「ははは、上天気」
「あすの
「つづきましょう、よい春じゃ。いや、お寝みなされ」
「お寝み……」
「伝右殿、お寝み」
「お寝み……」
ひとり残らずいった。
琴の爪
翌日の四日は、非番に当っていた。伝右衛門は、
眼のふちに、うす黒い肉が、たるんでいた。馬の上でも、彼は、一言もものをいわなかった。
「やっ、修蔵様がっ」
若党が、口走った。
札の辻の往来から、修蔵の影が、路地へ走りこんだのを、伝右衛門は見て見ぬふりをして通った。もう、とうに江戸にはいないはずの彼だったが、
──帰ったら、
漠とした彼の頭には、それすら、それ以上には考えられなかった。ただ、ゆうべの隆達ぶしの声、踊りの
すると、ふいだった。走って来た女だった。
悲鳴のような声で、いきなり、
「殿様っ……。殿様っ……。お慈悲でござりますっ」
もつれて、何をいうのか、
「狂女めっ!」
若党が、横から、突きとばした。
わっと、倒れた途端に泣いた女の声は、生涯、耳から消えまいと思われるような叫びだった。
すぐ、橋のそばの番屋から、人が駈けて来たので、幸いと、伝右衛門が駒をすすめると、絹を裂くような声が、後ろで聞えた。そして、何者かが、前へ廻って、伝右衛門の駒の口輪を、がきっと抑えた。
「何するッ」
「わしじゃっ」
見ると、同僚で、同じ接伴役の林兵六である。
「伝右殿、すぐ引っ返せっ」
「やっ、御上使か」
「とうとう来たっ」
「あっ……今日……今日」
伝右衛門は、夢中で、
すでに、十七士の部屋は、静かだった。最後の食事をすまし、各々、越中守の贈り物、白の小袖に、
伝右衛門は、詰所と、そこと、廊下と、また上使と検使役のひかえ間とのあいだを、うろうろしていた。
「いけない! 見苦しい」
自制して、詰所で、がぶがぶ水をのんだ。
前日、予告があった代りに、上使が来ると急だった。もっとも、人数が多い。
越中守も、ひそかに、お成りだ。大書院におられるらしい。庭には白い幕、白い屏風。──伝右衛門は、眼をそむけた。
広間を見ると──
ずらっと、同じ白と浅黄の死装束が、すずやかにならんでいる。彼の熱い眼に、そうして、平然といる人々が不思議だった。眼で、人々は、伝右衛門に別れをつげた。伝右衛門の眼は、それに答えるのすら、あぶなげなものを、いっぱいに、たたえていた。
すると、一人が、
「伝右殿、今日は、別して、御馳走になりましたが、まだ、煙草が出ませぬな」
「おう、唯今」
細川家の者は、みな、死なぬ者が、
料紙、
辞世。
書く者もあり、書かぬ者もある。
その間に、伝右衛門は、やっと、人々と別れがいえた。いろいろな
「十郎左殿には、何か……」
十郎左は、にっこり首を振った。
やがて、時刻。大石内蔵助の名が先によばれた。彼の姿が、庭先の、白屏風のかげに隠れると、しいんと、真夜中よりも静かな一瞬が来た。──異様な音が、ばすん──と聞えたと思うと、人々の
「──内蔵助殿、お仕舞いなされました。吉田忠左衛門殿おいでなされ」
庭で、役人がよんだ。
それから、順々に最後の大石瀬左衛門の切腹が終ったのは、もう夕方──庭は屏風と幕だけが、暮れ残っていた。
伝右衛門は、もう、自分が悪鬼か人間か分らなくなっていた。人々の遺品や、脱いだ物を、各々、札をつけ、番号をつけて、空虚な部屋の隅に、積みかさねていた。
と──覚えのある十郎左の衣服があった。きちんと、畳みつけてある。古い帯、古い持物、すべてが、几帳面に。
「……若かったなあ」
ひたと、横顔を押しつけた。若い十郎左の
「─ ……」
見ると、濃い紫の
琴の爪─
あの美貌で剛気な武士のこれが
「さては……。吉良殿のお寝間とは……」
読めたのである。
もう一人、彼は、べつな最期を見送る責任を感じた。──だが、夜だし、もうあそこにいるかいないかを疑問にしながら、その夜更け、駒を家路へ向けてゆくと、金杉橋は真っ暗だった。
番屋をたたいて、
だが、もう生ける人ではなく。
あれから、番屋の者の隙をねらって、すぐ表の川へ、身投げをしたというのである。そして、何か、手紙を抱いてるし、昼間のことがあったので、死骸に
「どれ……。会おう」
番太郎は、菰をめくった。白い顔が、馬上の伝右衛門に、いつもの眼を向けているように仰向いていた。そして、その胸に、かけてある、
「よし、この死骸は、わしがひきとる」
伝右衛門は、彼女の抱いていたという手紙だけを、
馬のそばに、駈けている、若党や
「旦那、あの女は、一体、なんでございます」
「
「へえ。何処の─」
「吉良殿の──」
と、いって、すぐその下から、
「人に申すなよ」
伝右衛門は、手綱をのばして、
「修蔵も、あれでいい。お麗のねがいも
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2001/11/26