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うしろめた屋

   路 地

 

屋台の椅子は低いほうがよい

地べたに這いつくばうようにして

コップ酒を呑んでいると

植え込みから幽かに虫の音がきこえてくる

白粉花の葉裏の息づかいがみえてくる

もっと低く もっと低く

屋台の客はみな

斜め前方に傾いて酒を呑んでいる

ネクタイが大きくゆるみ

背広が半分脱げかかっている

そのようにして

自分に合った姿勢に近づいてゆく

 

手の甲は陰 手の平は陽

とは怪談噺の枕だが

ひとに見られているのは手の甲

汗をかいているのはいつも手の平だ

握りしめた手の平に

他人さまには見せられない

意志が隠されている

“ぢつと手を見る”啄木だって

ゆったり開いた手の平を

ながめていたにちがいない

 

たとえば路地は手の平だ

小さな生きものの大きな気配のなかで

屋台の客はみな黙っている

呑んでいるのは酒ではない

握ったコップ越しに見えている手の平

人にはいえない意志を呑んでいる

 

   さかな屋

 

店員はいつも怯えている

死んでも閉じることのない

おびただしい眼球に囲まれて

威勢のよい呼び声の語尾がふるえている

新鮮だよ……と言いかけて

店内にみちている

死の臭いに圧倒されてしまう

店員は腹のなかでせせら笑っている

死んで間もないものが新鮮ならば

犬や猫ならまだ温かい

あれが新鮮といえるか

平気で嘘をつく店主は

なぜあんなに溌剌としているのか

眠がうろこのようにひかっているではないか

 

店員はおもう

海から引きあげられて

急速に死の道をたどるさかなと

羊水から泳ぎ出て

確実に死へ向かう自分と

とてもよく似ているとおもう

みんなそれを知っているくせに

気付かないふりをしている

 

とびきり新鮮なさかなを と

客になま臭い息をふきかけられて

店員はぎょっとしてふりかえる

客の眼にもうろこがはりついている

長靴のなかに溜った水が

胸元までせり上がってくる

 

   ふとん屋

 

店のなかは雨

ぐっしょり濡れたふとんが

重たくかさなっている

まだ売られていないのに

まだ使われていないのに

これからふとんの上で起こることが

きのこのように生えている

積まれた枕の間で

羊歯がこっそり育っている

 

店の主人はひとりで納得している

若い男女が一心に物色しているものが

夜具と呼ばれていることがよくわかる

だがけっして にやにやしてはいけない

気付いていないふりをして

愛想笑いは絶やしてはいけない

 

雨がやむとたちまち

店のなかは乾ききってしまい

ひとの誕生や死にふかくかかわるふとんの

やわらかな綿に抱かれていた胞子が舞って

店主の鼻腔をくすぐる

くしゃみをこらえながら店主は

選ばれるふとんの行末を

もみ手の指先で考えている

 

生きるとはおそらく

ふとんのように湿ったり乾いたりの

そのくり返しだ

たれかの疲れた身を

ゆったり受け入れることだ

 

   とうふ屋

 

この店の朝のあわただしさは

お産の現場に似ている

ふんだんな水と

湯気がたちこめるなか

新生児の

あるいはおんなの肌のような

食べてしまいたいほどいとおしい

きぬごしどうふが

つつましやかに産まれてくる

 

焼きどうふがつくられるとき

この店はまるで戦場だ

火炎放射器とみまがうガスバーナーが

もめんどうふの表面を

容赦なく焼きつくす

焼きどうふは食卓のすき焼鍋で

また 焼かれてしまうのだ

家庭は戦場ではないが

 

油揚げはこころしてつくられねばならない

厚すぎてもいけない

堅すぎてもいけない

口に含んだとたん

うっとり舌をからませる

そういう気分にさせる程度に

しなやかさと

ざらつきも保たせなくてはいけない

ほんとうはこれは

舌もどき と

密かに呼ばれていたにちがいない

 

淫靡なとうふ屋は

看板もかかげず

裏通りでひっそりと湯気をたてている

 

   床 屋

 

店の奥には布団が敷いてあって

老婆が寝ている

顎の輪郭に沿って剃刀が動くたびに

背筋がぞくぞくして

両手に力が入ってしまう

布団のなかから

老婆がじっとこちらを見ている

しわぶきがひとつ

弱々しいが太い声だ

まだまだ生きながらえる声だ

剃刀が喉元をそりあげる

奥で ごくりと痰を呑み込む音がする

喉仏あたりに鋭い痛みが走り

なまあたたかいものが胸元に流れる

店員たちも客も総立ちとなり

血のしたたる剃刀をぶらさげて

放心している理髪師を遠まきにしている

 

奥で またひとつしわぶき

我にかえると

理髪師の真剣なまなざしがあった

この椅子はどうしてこうも

眠気をさそうのか

油断してはいけない

とたんにぼくは饒舌になって

理髪師の精神を剃刀に集中させまいとする

 

奥で寝ている老婆もけっして

すんなり長生きできたわけではないだろう

あのしわぶきは

生に執着するぼくの幻覚を

嘲笑しているかのようだった

 

   人質屋

 

ほら あそこの

どこにでもあるような路地の

白地にくっきりとした文字の看板の店

入口にはのれんが掛けてあり

潜ったひとの背を呑み込む仕組みだ

ぼくはそこに入ったことがなく

いつも横目でちらりとみて

足早に通り過ぎることにしている

だが店の主人ならよく知っている

旋盤が気だるく静止する|正午(まひる)

決まって定食屋の椅子にいて

そろばん型の口に楊枝をくわえている

横顔が父さんに似ているのが不気味だ

 

まったくよくできた店だ と

危うく虜になるところだったひとが言う

のれんのむこうは迷路になっていて

母乳のような風が吹いている

風はいつしかなまぬるい水となり

懸命に泳ぐとらわれびとは

己れの位置を見失ってしまうのだ

 

魂が抜かれてしまう

というようなことはないのだが

そこから出てきたひとはみな

目付きが少しおかしい

まるでよじれた空間でも歩くように

甘えた仕種をみせている

淫らな雨のなかで

おんなたちは羊歯類になりたがっている

おとこは女になりたがっている

 

   合鍵屋

 

そこには秘密の匂いがただよっている

工作する店主の後姿は犯罪人のようだし

依頼者であるぼくもうしろめたさで

ほかの客ばかりが気にかかる

なにに似せてなにが作られるのか

それをどのように使おうとしているのか

ぼくにもわからない

複雑に削りとられた空間にこそ

文字通り鍵がかくされてある

ということはわかるのだが

 

鍵によって守られているもの

たとえばあなたの寝姿でもよいのだけれど

守る姿勢が強いぶんだけ

よけい覗いてみたくなるものだ

職場の机上になにげなく置かれた鍵

それは強烈な挑発だった

だからそれをそっと持ち出し

合鍵屋に駆けこんだのだった

あなたの部屋に忍びこむなんて

少しも考えたことがなかったのに

 

誰にも知られたくないものは

たとえうまく変形させようとも

決して形あるものにしてはいけないのだ

ひとりの夜更け

作りたての合鍵をかざして

あなたの寝姿など想っている

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/08/25

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山田 隆昭

ヤマダ タカアキ
やまだ たかあき 詩人 1949年 東京都世田谷区に生まれる。

掲載作は、1996(平成8)年6月出版の『うしろめた屋』(土曜美術社出版販売刊)より抄録。同詩集により、第47回H氏賞受賞。

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