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あたらしい憲法のはなし 附・日本国憲法

   目 次

   一  憲 法

   二  民主主義とは

   三  國際平和主義

   四  主権在民主義

   五  天皇陛下

   六  戦争の放棄

   七  基本的人権

   八  國 会

   九  政 党

   十  内 閣

   十一 司 法

   十二 財 政

   十三 地方自治

   十四 改 正

   十五 最高法規

   附  日本國憲法

 

   一 憲 法

 

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。

 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

 これまであった憲法は、明治二十二年(1889)にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

 みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。

 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。

   二 民主主義とは

 

 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。

 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。

 國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく––これが民主主義の治めかたです。

 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見をきいてまわることもできません。そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが國会です。國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。

 國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。

 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとりひとりが、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。

 みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこどもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。

   三 國際平和主義

 

 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなけれは、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

   四 主権在民主義

 

 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。

 國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。

 みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。

 

   五 天皇陛下

 

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

 憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

 

   六 戦争の放棄

 

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

 

   七 基本的人権

 

 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。

 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

 またわれわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

 國の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとするならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを基本的人権を「保障する」というのです。

 しかし基本的人権は、こゝにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。自由権だけで、人間の國の中での生活がすむものではありません。たとえばみなさんは、勉強をしてよい國民にならなければなりません。國はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育を受ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、國にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。争いごとのおこったとき、國の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権ですが、これも請求権であります。

 それからまた、國民が、國を治めることにいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。國会の議員や知事や市町村長などを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、國や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です。

 みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。

 こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。國ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

 

   八 國 会

 

 民主主義は、國民が、みんなでみんなのために國を治めてゆくことです。しかし、國民の数はたいへん多いのですから、だれかが、國民ぜんたいに代わって國の仕事をするよりほかはありません。この國民に代わるものが「國会」です。まえにも申しましたように、國民は國を治めてゆく力、すなわち主権をもっているのです。この主権をもっている國民に代わるものが國会ですから、國会は國でいちばん高い位にあるもので、これを「最高機関」といいます。「機関」というのは、ちょうど人間に手足があるように、國の仕事をいろいろ分けてする役目のあるものという意味です。國には、いろいろなはたらきをする機関があります。あとでのべる内閣も、裁判所も、みな國の機関です。しかし國会は、その中でいちばん高い位にあるのです。それは國民ぜんたいを代表しているからです。

 國の仕事はたいへん多いのですが、これを分けてみると、だいたい三つに分かれるのです。その第一は、國のいろいろの規則をこしらえる仕事で、これを「立法」というのです。第二は、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめる仕事で、これを「司法」というのです。ふつうに裁判といっているのはこれです。第三は、この「立法」と「司法」とをのぞいたいろいろの仕事で、これをひとまとめにして「行政」といいます。國会は、この三つのうち、どれをするかといえば、立法をうけもっている機関であります。司法は、裁判所がうけもっています。行政は、内閣と、その下にある、たくさんの役所がうけもっています。

 國会は、立法という仕事をうけもっていますから、國の規則はみな國会がこしらえるのです。國会のこしらえる國の規則を「法律」といいます。みなさんは、法律ということばをよくきくことがあるでしよう。しかし、國会で法律をこしらえるのには、いろいろ手つづきがいりますから、あまりこまごました規則までこしらえることはできません。そこで憲法は、ある場合には、國会でないほかの機関、たとえば内閣が、國の規則をこしらえることをゆるしています。これを「命令」といいます。

 しかし、國の規則は、なるべく國会でこしらえるのがよいのです。なぜならば、國会は、國民がえらんだ議員のあつまりで、國民の意見がいちばんよくわかっているからです。そこで、あたらしい憲法は、國の規則は、ただ國会だけがこしらえるということにしました。これを、國会は「唯一の立法機関である」というのです。「唯一」とは、ただ一つで、ほかにはないということです。立法機関とは、國の規則をこしらえる役目のある機関ということです。そうして、國会以外のほかの機関が、國の規則をこしらえてもよい場合は、憲法で、一つ一つきめているのです。また、國会のこしらえた國の規則、すなわち法律の中で、これこれのことは命令できめてもよろしいとゆるすこともあります。國民のえらんだ代表者が、國会で國民を治める規則をこしらえる、これが民主主義のたてまえであります。

 しかし國会には、國の規則をこしらえることのほかに、もう一つ大事な役目があります。それは、内閣や、その下にある、國のいろいろな役所の仕事のやりかたを、監督することです。これらの役所の仕事は、まえに申しました「行政」というはたらきですから、國会は、行政を監督して、まちがいのないようにする役目をしているのです。これで、國民の代表者が國の仕事を見はっていることになるのです。これも民主主義の國の治めかたであります。

 日本の國会は「衆議院」と「参議院」との二つからできています。その一つ一つを「議院」といいます。このように、國会が二つの議院からできているものを「二院制度」というのです。國によっては、一つの議院しかないものもあり、これを「一院制度」というのです。しかし、多くの國の國会は、二つの議院からできています。國の仕事はこの二つの議院がいっしょにきめるのです。

 なぜ二つの議院がいるのでしょう。みなさんは、野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。一人の選手が球を取りあつかっているとき、もう一人の選手が、うしろにまわって、まちがいのないように守ることを「バック・アップ」といいます。國会は、國の大事な仕事をするのですから、衆議院だけでは、まちがいが起るといけないから、参議院が「バック・アップ」するはたらきをするのです。たゞし、スポーツのほうでは、選手がおたがいに「バック・アップ」しますけれども、國会では、おもなはたらきをするのは衆議院であって、参議院は、たゞ衆議院を「バック・アップ」するだけのはたらきをするのです。したがって、衆議院のほうが、参議院よりも、強い力を与えられているのです。この強い力をもった衆議院を「第一院」といい、参議院を「第二院」といいます。なぜ衆議院のほうに強い力があるのでしょう。そのわけは次のとおりです。

 衆議院の選挙は、四年ごとに行われます。衆議院の議員は、四年間つとめるわけです。しかし、衆議院の考えが國民の考えを正しくあらわしていないと内閣が考えたときなどには、内閣は、國民の意見を知るために、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆議院の選挙のやりなおしをしていただくことができます。これを衆議院の「解散」というのです。そうして、この解散のあとの選挙で、國民がどういう人をじぶんの代表にえらぶかということによって、國民のあたらしい意見が、あたらしい衆議院にあらわれてくるのです。

 参議院のほうは、議員が六年間つとめることになっており、三年ごとに半分ずつ選挙をして交代しますけれども、衆議院のように解散ということがありません。そうしてみると、衆議院のほうが、参議院よりも、その時、その時の國民の意見を、よくうつしているといわなければなりません。そこで衆議院のほうに、参議院よりも強い力が与えられているのです。どういうふうに衆議院の方が強い力をもっているかということは、憲法できめられていますが、ひと口でいうと、衆議院と参議院との意見がちがったときには、衆議院のほうの意見がとおるようになっているということです。

 しかし衆議院も参議院も、ともに國民ぜんたいの代表者ですから、その議員は、みな國民が國民の中からえらぶのです。衆議院のほうは、議員が四百六十六人、参議院のほうは二百五十人あります。この議員をえらぶために、國を「選挙区」というものに分けて、この選挙区に人口にしたがって議員の数をわりあてます。したがって選挙は、この選挙区ごとに、わりあてられた数だけの議員をえらんで出すことになります。

 議員を選挙するには、選挙の日に投票所へ行き、投票用紙を受け取り、じぶんのよいと思う人の名前を書きます。それから、その紙を折り、かぎのかゝった投票箱へ入れるのです。この投票は、ひじょうに大事な権利です。選挙する人は、みなじぶんの考えでだれに投票するかをきめなければなりません。けっして、品物や利益になる約束で説き伏せられてはなりません。この投票は、秘密投票といって、だれをえらんだかをいう義務もなく、ある人をえらんだ理由を問われても答える必要はありません。

 さて日本國民は、二十歳以上の人は、だれでも國会議員や知事市長などを選挙することができます。これを「選挙権」というのです。わが國では、ながいあいだ、男だけがこの選挙権をもっていました。また、財産をもっていて税金をおさめる人だけが、選挙権をもっていたこともありました。いまは、民主主義のやりかたで國を治めてゆくのですから、二十歳以上の人は、男も女もみんな選挙権をもっています。このように、國民がみな選挙権をもつことを、「普通選挙」といいます。こんどの憲法は、この普通選挙を、國民の大事な基本的人権としてみとめているのです。しかし、いくら普通選挙といっても、こどもや気がくるった人まで選挙権をもつというわけではありませんが、とにかく男女人種の区別もなく、宗教や財産の上の区別もなく、みんながひとしく選挙権をもっているのです。

 また日本國民は、だれでも國会の議員などになることができます。男も女もみな議員になれるのです。これを「被選挙権」といいます。しかし、年齢が、選挙権のときと少しちがいます。衆議院議員になるには、二十五歳以上、参議院議員になるには三十歳以上でなければなりません。この被選挙権の場合も、選挙権と同じように、だれが考えてもいけないと思われる者には、被選挙権がありません。國会議員になろうとする人は、じぶんでとどけでて、「候補者」というものになるのです。また、じぶんがよいと思うほかの人を、「候補者」としてとゞけでることもあります。これを候補者を「推薦する」といいます。

 この候補者をとゞけでるのは、選挙の日のまえにしめきってしまいます。投票をする人は、この候補者の中から、じぶんのよいと思う人をえらばなければなりません。ほかの人の名前を書いてはいけません。そうして、投票の数の多い候補者から、議員になれるのです。それを「当選する」といいます。

 みなさん、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことです。そうして國会は、國民ぜんたいの代表者です。それで、國会議員を選挙することは、國民の大事な権利で、また大事なつとめです。國民はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。選挙にゆかないのは、この大事な権利をすててしまうことであり、また大事なつとめをおこたることです。選挙にゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。これは、権利をすてるという意味です。國民は棄権してはなりません。みなさんも、いまにこの権利をもつことになりますから、選挙のことは、とくにくわしく書いておいたのです。

 國会は、このようにして、國民がえらんだ議員があつまって、國のことをきめるところですが、ほかの役所とちがって、國会で、議員が、國の仕事をしているありさまを、國民が知ることができるのです。國民はいつでも、國会へ行って、これを見たりきいたりすることができるのです。また、新聞やラジオにも國会のことがでます。

 つまり、國会での仕事は、國民の目の前で行われるのです。憲法は、國会はいつでも、國民に知れるようにして、仕事をしなければならないときめているのです。これはたいへん大事なことです。もし、まれな場合ですが秘密に会議を開こうとするときは、むずかしい手つゞきがいります。

 これで、どういうふうに國が治められてゆくのか、どんなことが國でおこっているのか、國民のえらんだ議員が、どんな意見を國会でのべているかというようなことが、みんな國民にわかるのです。

 國の仕事の正しい明かるいやりかたは、こゝからうまれてくるのです。國会がなくなれば、國の中がくらくなるのです。民主主義は明かるいやりかたです。國会は、民主主義にはなくてはならないものです。

 日本の國会は、年中開かれているものではありません。しかし、毎年一回はかならず開くことになっています。これを「常会」といいます。常会は百五十日間ときまっています。これを國会の「会期」といいます。このほかに、必要のあるときは、臨時に國会を開きます。これを「臨時会」といいます。また、衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、あたらしい國会が開かれます。これを「特別会」といいます。臨時会と特別会の会期は、國会がじぶんできめます。また國会の会期は、必要のあるときは、延ばすことができます。それも國会がじぶんできめるのです。國会を開くには、國会議員をよび集めなければなりません。これを、國会を「召集する」といって、天皇陛下がなさるのです。召集された國会は、じぶんで開いて仕事をはじめ、会期がおわれば、じぶんで國会を閉じて、國会は一時休むことになります。

 みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをごらんなさい。あれは日本國民の力をあらわすところです。主権をもっている日本國民が國を治めてゆくところです。

 

   九 政 党

 

「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、同じ意見をもっている人があつまってこしらえた団体のことです。みなさんは、社会党、民主党、自由党、國民協同党、共産党などという名前を、きいているでしょう。これらはみな政党です。政党は、國会の議員だけでこしらえているものではありません。政党からでている議員は、政党をこしらえている人の一部だけです。ですから、一つの政党があるということは、國の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝぜいいるということになるのです。

 政党には、國を治めてゆくについてのきまった意見があって、これを國民に知らせています。國民の意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく分けてみると、この政党の意見のどれかになるのです。つまり政党は、國民ぜんたいが、國を治めてゆくについてもっている意見を、大きく色分けにしたものといってもよいのです。民主主義で國を治めてゆくには、國民ぜんたいが、みんな意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党がおたがいに國のことを議論しあうのはこのためです。

 日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、國の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、國の仕事について、國民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいるのです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。

 國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの団体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を國民に知らせて、國会でなるべくたくさんの議員をえようとします。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。それで衆議院の選挙は、政党にとっていちばん大事なことです。國民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれは、じぶんの意見が、政党をとおして國会にとどくことになります。

 どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。國民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。しかし政党には、きまった意見があり、それは國民に知らせてありますから、政党の候補者に投票をしておけば、その人が國会に出たときに、どういう意見をのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党の候補者でない人に投票したときは、その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくことになります。これは、いいかえれば、國民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでもあります。

 みなさん、國民は、政党のことをよく知らなけれはなりません。じぶんのすきな政党にはいり、またじぶんたちですきな政党をつくるのは、國民の自由で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

 

   十 内 閣

 

「内閣」は、國の行政をうけもっている機関であります。行政ということは、まえに申しましたように、「立法」すなわち國の規則をこしらえることと、「司法」すなわち裁判をすることをのぞいたあとの、國の仕事をまとめていうのです。國会は、國民の代表になって、國を治めてゆく機関ですが、たくさんの議員でできているし、また一年中開いているわけにもゆきませんから、日常の仕事やこまごました仕事は、別に役所をこしらえて、こゝでとりあつかってゆきます。その役所のいちばん上にあるのが内閣です。

 内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできています。「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜんたいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。それで、内閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん大事なことですが、こんどの憲法は、内閣総理大臣は、國会の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申しあげ、天皇陛下が.これをお命じになることになっています。國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分かれたときは、けっきょく衆議院の意見どおりにきめることになります。内閣総理大臣を國会できめるということは、衆議院でたくさんの議員をもっている政党の意見で、きまることになりますから、内閣総理大臣は、政党からでることになります。

 また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自分でえらんで國務大臣にします。しかし、國務大臣の数の半分以上は、國会の議員からえらばなければなりません。國務大臣は國の行政をうけもつ役目がありますが、この國務大臣の中から、大蔵省、文部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になって、その役所の仕事を分けてうけもつ人がきまります。これを「各省大臣」といいます。つまり國務大臣の中には、この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事ぜんたいをみてゆく國務大臣とがあるわけです。内閣総理大臣が政党からでる以上、國務大臣もじぶんと同じ政党の人からとることが、國の仕事をやってゆく上にべんりでありますから、國務大臣の大部分が、同じ政党からでることになります。

 また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見をとおすことができないと思ったときは、意見のちがうほかの政党と組んで内閣をつくります。このときは、それらの政党から、みな國務大臣がでて、いっしょに、國の仕事をすることになります。また政党の人でなくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入れることもあります。しかし、民主主義のやりかたでは、けっきょく政党が内閣をつくることになり、政党から内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることになるので、これを「政党内閣」というのです。

 内閣は、國の行政をうけもち、また、天皇陛下が國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、また、御同意を申します。そうしてじぶんのやったことについて、國民を代表する國会にたいして、責任を負うのです。これは、内閣総理大臣も、ほかの國務大臣も、みないっしょになって、責任を負うのです。ひとりひとりべつべつに責任を負うのではありません。これを「連帯して責任を負う」といいます。

 また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、いつでも「もう内閣を信用しない」ときめることができます。たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院はできません。なぜならば、國民のその時々の意見がうつっているのは、衆議院であり、また、選挙のやり直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、衆議院だけだからです。衆議院が内閣にたいして、「もう内閣を信用しない」ときめることを、「不信任決議」といいます。この不信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、國民にうったえてきめてもらうか、または辞職するかどちらかになります。また「内閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といいます)が、衆議院で反対されて、だめになったときも同じことです。

 このようにこんどの憲法では、内閣は國会とむすびついて、國会の直接の力で動かされることになっており、國会の政党の勢力の変化で、かわってゆくのです。つまり内閣は、國会の支配の下にあることになりますから、これを「議院内閣制度」とよんでいます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係があるのです。

 

   十一 司 法

「司法」とは、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。

 裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。

 こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。

 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

   十二 財 政

 

 みなさんの家に、それぞれくらしの立てかたがあるように、國にもくらしの立てかたがあります。これが國の「財政」です。國を治めてゆくのに、どれほど費用がかゝるか、その費用をどうしてとゝのえるか、とゝのえた費用をどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みな國の財政です。國の費用は、國民が出さなければなりませんし、また、國の財政がうまくゆくかゆかないかは、たいへん大事なことですから、國民は、はっきりこれを知り、またよく監督してゆかなければなりません。

 そこで憲法では、國会が、國民に代わって、この監督の役目をすることにしています。この監督の方法はいろいろありますが、そのおもなものをいいますと、内閣は、毎年いくらお金がはいって、それをどういうふうにつかうかという見つもりを、國会に出して、きめてもらわなければなりません。それを「予算」といいます。また、つかった費用は、あとで計算して、また國会に出して、しらべてもらわなければなりません。これを「決算」といいます。國民から税金をとるには、國会に出して、きめてもらわなければなりません。内閣は、國会と國民にたいして、少なくとも毎年一回、國の財政が、どうなっているかを、知らさなければなりません。このような方法で、國の財政が、國民と國会とで監督されてゆくのです。

 また「会計検査院」という役所があって、國の決算を検査しています。

 

   十三 地方自治

 

 戦争中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとりがよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。

 こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの団体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの団体です。これを「地方公共団体」といいます。

 もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共団体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共団体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公共団体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共団体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共団体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。

 このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共団体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。

 みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。

 

   十四 改 正

 

「改正」とは、憲法をかえることです。憲法は、まえにも申しましたように、國の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。

 そこでこんどの憲法では、憲法を改正するときは、國会だけできめずに、國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。

 まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。これを、憲法改正の「発議」というのです。それからこれを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになります。これを國民の「承認」といいます。國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。これを改正の「公布」といいます。あたらしい憲法は、國民がつくったもので、國民のものですから、これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。

 

   十五 最高法規

 

 このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。

 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。これも憲法がはっきりきめています。

 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。

 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。

      おわり   (昭和22年8月2日発行)

 

 

    昭和二十一年(1946)十一月三日公布

    昭和二十二年(1947) 五月三日施行

 

 

  日本國憲法

 

 日本國民は、正当に選挙された國会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の厳粛な信託によるものであって、その権威は國民に由来し、その権力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自國の主権を維持し、他國と対等関係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

 日本國民は、國家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

  第一章 天 皇

 

 第一條  天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。

 第二條  皇位は、世襲のものであって、國会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第三條  天皇の國事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第四條

  天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その國事に関する行為を委任することができる。

 第五條  皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその國事に関する行為を行ふ。この場合には、前條第一項の規定を準用する。

 第六條  天皇は、國会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 第七條  天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び條約を公布すること。

 二 國会を召集すること。

 三 衆議院を解散すること。

 四 國会議員の総選挙の施行を公示すること。

 五 國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

 七 栄典を授与すること。

 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

 九 外國の大使及び公使を接受すること。

 十 儀式を行ふこと。

 第八條  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、國会の議決に基かなければならない。

 

  第二章 戦争の放棄

 

 第九條  日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない。

 

  第三章 國民の権利及び義務

 

 第十條  日本國民たる要件は、法律でこれを定める。

 第十一條  國民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が國民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の國民に与へられる。

 第十二條  この憲法が國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 第十三條

  すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する國民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。

 第十四條  すべて國民は、法の下に平等であって、人種、信條、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 第十五條  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の権利である。

 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を間はれない。

 第十六條  何人(なんぴと)も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 第十七條  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 第十八條  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 第十九條  思想及び良心の自由は、これを侵してならない。

 第二十條  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、國から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 國及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 第二十一條  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 第二十二條  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外國に移住し、又は國籍を離脱する自由を侵されない。

 第二十三條  学問の自由は、これを保障する。

 第二十四條  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 第二十五條  すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 國は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 第二十六條  すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 第二十七條  すべて國民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 賃金、就業時間、休息その他の勤労條件に関する基準は、法律でこれを定める。

 児童は、これを酷使してはならない。

 第二十八條  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 第二十九條  財産権は、これを侵してはならない。

 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 第三十條  國民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 第三十一條  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 第三十二條  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

 第三十三條  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となってゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

 第三十四條  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

 第三十五條  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三條の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

 第三十六條  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

 第三十七條  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。

 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、國でこれを附する。

 第三十八條  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 第三十九條  何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

 第四十條  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、國にその補償を求めることができる。

 

  第四章 國 会

 

 第四十一條  國会は、國権の最高機関であって、國の唯一の立法機関である。

 第四十二條  國会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

 第四十三條  両議院は、全國民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

 第四十四條  両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信條、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

 第四十五條  衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

 第四十六條  参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。

 第四十七條  選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

 第四十八條  何人(なんぴと)も、同時に両議院の議員たることはできない。

 第四十九條  両議院の議員は、法律の定めるところにより、國庫から相当額の歳費を受ける。

 第五十條  両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、國会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。

 第五十一條  両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を間はれない。

 第五十二條  國会の常会は、毎年一回これを召集する。

 第五十三條  内閣は、國会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 第五十四條  衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、國会を召集しなければならない。

 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、國に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであって、次の國会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

 第五十五條  両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

 第五十六條  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。

 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

 第五十七條  両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

 両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。

 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

 第五十八條  両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。

 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

 第五十九條 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

 衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取った後、國会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

 第六十條  予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。

 予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取った後、國会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。

 第六十一條  條約の締結に必要な國会の承認については、前條第二項の規定を準用する。

 第六十二條  両議院は、各々國政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

 第六十三條  内閣総理大臣その他の國務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

 第六十四條 國会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。

 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

 

  第五章 内 閣

 

 第六十五條  行政権は、内閣に属する。

 第六十六條  内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の國務大臣でこれを組織する。

 内閣総理大臣その他の國務大臣は、文民でなければならない。

 内閣は、行政権の行使について、國会に対し連帯して責任を負ふ。

 第六十七條  内閣総理大臣は、國会議員の中から國会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行ふ。

 衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、國会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。

 第六十八條  内閣総理大臣は、國務大臣を任命する。但し、その過半数は、國会議員の中から選ばれなければならない。

 内閣総理大臣は、任意に國務大臣を罷免することができる。

 第六十九條  内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。

 第七十條  内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて國会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

 第七十一條  前二條の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

 第七十二條  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を國会に提出し、一般國務及び外交関係について國会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

 第七十三條  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

 一 法律を誠実に執行し、國務を総理すること。

 二 外交関係を処理すること。

 三 條約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、國会の承認を経ることを必要とする。

 四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

 五 予算を作成して國会に提出すること。

 六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

 七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

 第七十四條  法律及び政令には、すべて主任の國務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

 第七十五條  國務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

 

  第六章 司 法

 

 第七十六條  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 第七十七條  最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。

 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。

 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

 第七十八條  裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

 第七十九條  最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。

 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際國民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。

 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

 審査に関する事項は、法律でこれを定める。

 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。

 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。報酬は、在任中、これを減額することができない。

 第八十條  下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。

 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

 第八十一條  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

 第八十二條  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

 裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する國民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

 

  第七章 財 政

 

 第八十三條  國の財政を処理する権限は、國会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

 第八十四條  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める條件によることを必要とする。

 第八十五條  國費を支出し、又は國が債務を負担するには、國会の議決に基くことを必要とする。

 第八十六條  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、國会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

 第八十七條  予見し難い予算の不足に充てるため、國会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。

 すべて予備費の支出については、内閣は事後に國会の承諾を得なければならない。

 第八十八條  すべて皇室財産は、國に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して國会の議決を経なければならない。

 第八十九條  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 第九十條  國の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを國会に提出しなければならない。

 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

 第九十一條  内閣は、國会及び國民に対し、定期に、少くとも毎年一回、國の財政状況について報告しなければならない。

 

  第八章 地方自治

 

 第九十二條  地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

 第九十三條  地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。

 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

 第九十四條  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で條例を制定することができる。

 第九十五條  一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、國会は、これを制定することができない。

 

  第九章 改 正

 

 第九十六條  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、國会が、これを発議し、國民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の國民投票又は國会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、國民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

  第十章 最高法規

 

 第九十七條  この憲法が日本國民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の國民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 第九十八條  この憲法は、國の最高法規であつて、その條規に反する法律、命令、詔勅及び國務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 日本國が締結した條約及び確立された國際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 第九十九條  天皇又は摂政及び國務大臣、國会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

  第十一章 補 則

 

 第百條  この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び國会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

 第百一條  この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は國会としての権限を行ふ。

 第百二條  この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

 第百三條  この憲法施行の際現に在職する國務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められている者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。

 

憲法條文は冊子『あたらしい憲法のはなし』に附された昭和二十二年八月当時の「表記」を敢えてそのまま踏襲した。歴史仮名遣いで、しかも促音表記など、異例の点もあるが、改めなかった。 編輯室

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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掲載史料は、日本國憲法が、1947(昭和22)年5月3日に施行された同年8月2日付け、著作兼発行者「文部省」名義で公にした、日本國政府による公式の「新憲法」認識ないし解説であって、学校生徒児童を主対象に広く配布されている。奥付には同日付け「文部省検査済」と極めが打ってある。(この本は浅井清その他の人々の尽力でできました。)と奥付に付記してあるが、新憲法発布にともなう「憲法尊重」のもっとも純真な理解を明瞭に確認した、公式の文部省刊行物であることに相違はない。 以来60年近く、いかにその後の日本國政府政権が、恣に「憲法」解釈変義や拡大解釈を重ねてきたかを疑い、また多くの機会に不当に軽視・無視・蹂躙を重ねて「遵守義務」に公然背いてきたかをも疑い、あらためて此所に「憲法」條文の総てを併載して、深く思い致したい。 この機会に此の史料、並びに「憲法」そのものが読み直されることを日本ペンクラブは切望する。

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