死の家
今年の梅雨は例年にまして、雨が多かつた。雨ばかりではない。風さへ加はつて、秋のあらしの様になつて、風をきらふ弓子を、
久しぶりで今日は、晴々とした、好い天氣になつた。丁度日曜日である。毎朝きまつて六時になると起しに來る小間使の初が、日曜日だけは、弓子の室の雨戸さへ、起き出るまでは開けずに置くのである。
弓子は四畳半の化粧部屋へ這入つて、初の持つて來てくれる一ぱいの桶の湯と水指の水と
茶の間へ出て見ると、自分のお膳が一つ丈出てゐて、初がお給仕に來てゐた。小さい時お父う様に別れて、一人のお兄い様は今京都の大學に行つてお出でなので、東京の住まひは、母あ様と二人切りである。
「わたし一人なの。そんなに遅いかね。今日一日潰すのだと思つて、ゆうべ十二時迄起きて復習をしたもんだから、すつかり寝過したわ。かあ様は。」
「福島の奥様がお出になりまして、お二階に入らつしやいます。」
「福島の奥様。」
弓子は此間中から度々言ひ込んで來る自分の縁談に違ないと思つた。やうやう學校を卒業する迄は、結婚はさせないと、極めて下さつた母あ様を、又迷はせにお
弓子は長年自分を育ててくれた乳母が、丁度七年程前に急によめに行つてしまつたのが、不思議でならない。いつまでもお嬢様のお傍におりますと、口癖のやうに云つてゐた乳母が、俄に人の女房になつて、今迄の倍もある大きな丸髷に結つて、お
乳母の夫は結婚後間もなく大阪の郵便局へ赴任した。乳母が泣きの涙で弓子に別れてから、もう七年立った。長い間來る手紙も來る手紙も、自分の軆の弱くなつたことばかりが書いてあつた。たうとう二月程前に、子供を連れて、夫に送られて、鵠沼在の實家へ歸つて來た。安心したせいか、汽車の旅に疲れたのか、めきめき病氣が重つた。母あ様がお醫者を頼んで、鵠沼まで診察に行つて貰つたが、肺結核のひどひので、お醫者にも見限られてしまつたのである。
此頃は日々お嬢様々々とばかり云ひ暮らしてゐる。或る日なんぞは便所へも行かれぬやうになつてゐる體で、どうしても一遍東京まで出て、弓子に逢つて來ると云ひ出して、家中を騒した。そこで乳母の兄がおとつひわざわざ弓子の内へ來て、母あ様にその話をしたのを、弓子が聞いて、今日執事の山尾を連れて、九時十分新橋發の汽車で、鵠沼へ行く事になつたのである。
弓子は御飯を濟まして、母あ様の二階から降りて入らつしやるのを、新聞を讀みながら待つてゐた。そのうち八時が過ぎたので、二階へ上がつて行つて、母あ様に挨拶して出掛けることにした。
弓子の乗り込んだ二等室は、かなり込んでゐた。連れが男なので話もなく、人形の様におとなしく兩手を膝に載せて、發車を待つてゐた。後れ
藤澤に着いたのは十一時少し過ぎであつた。停車場前の茶屋で休んで、弓子は東京から持つて來たサンドヰチツや西洋菓子や果物を取り出して食べて、山尾にも分けて遣つた。結核の病人のゐる所で、物を食べない用心をして、こゝでいろんな物を食べたのである。
そこで車を
松の木は目の前に見えてゐても、がたがた車が乳母の家に着くまでには、かなり時が立つた。最初に弓子を見附けたのは、土間で
乳母は弓子の來るのを知つてゐたか起き上がつてゐた。そして「お嬢様ですか」と云つた切りで、泣いてゐる。それを見ると、弓子の目からも涙が出た。これは全く豫期してゐない涙であつた。けふ死に掛かつてゐる乳母を見舞ふと云ふことは、弓子が爲めに果さなくてはならない義務に過ぎなかつた。そして乳母になんと云はうかと思つて考へるのが苦になつた。泣かれようなんぞとは思はなかつた。その目に涙が出た。弓子は重荷を
暫くハンケチを顔に當ててゐた弓子は顔を上げて云つた。「ばあやお土産があつてよ。これはかあ様とわたしとで拵へたのよ。掛けて御覧。」
紫絣の銘仙に、クリイム色の絹の裏を附けた下掛である。それを乳母に着せ掛けて遣つた。
「それからばあやの食べられさうなお菓子を色々持つて來てよ。牛乳の中へ入れる様にと思つて、ココアもあるのよ。それから婆あやが寝てゐて眺める様にと思つて、造花を持つて來たの。まだ稽古し立てだから随分まづいわよ。ほら、つづき茨に菊に桔梗に朝顔に蓮。これで習つた丈みんなよ。」
「お出を願ひました上に、色々頂戴物をいたしましては濟みません。早く直つてお禮に東京のお邸へ伺ひたいと思ひますが。」
十日持つか持たぬかだと、醫者に宣告せられてゐる、窶れ果てた乳母を、弓子はどう慰め様もなかつた。
乳母の枕元には、弓子のかぶきりで
「この子供は婆あやの子なの。なんといふ好い子だらう。」
「大阪に居りました頃、好く御主人のお子様と人に間違へられましたが、やつぱりお嬢様を大切にお
乳母は寂しい笑顔をした。
「子供は連れて來てゐるのね。」
「はい。今しがた
乳母の青い顔は薄赤くなつた。そして目が異様に光つてゐる。詞とそれを言つてゐる人との矛盾とでも云はうか、何か不合理なやうな處のあるのが、弓子には不快に思はれた。
次の間では山尾が乳母の母親に
「病人のあるところへ來て騒がせては濟まないと思つて、途中で食べて來たの。ほんとよ。」
「わたくしが病氣でないと、詰まらない物でも、お嬢様のお口に合ふ物を拵へますのに。それでもお薩の新を先程掘らせたのが、ふかしてある筈でございます。どうぞあちらで少しでも召し上がつて戴きたうございますが。」
「薩摩芋は相變らず結構よ。では御馳走になつて來るわ。」
薩摩芋なら皮があるから好いと弓子は思つたのである。そして山尾と一しよに母屋の奥座敷へ行つた。切角支度をしてあるのだからと云つて、山尾は色々の物を一人で食べてゐる。給仕に出て來た母親は、病人の事を云つては泣く。それを山尾が旨い事を言つて慰めてゐる。母親は涙がはらはらこぼれるのに、兩手を顔に當てるでもなく前掛で拭くでもなく、全くの手放しで泣くのである。弓子はこの今迄見たことのない泣き方を妙だと思つて、皺だらけの老人の顔を見てゐたが、ふいと可笑しくなりさうになつたので、さつき汽車の中の空氣枕の紳士を笑つた様な事になつてはならないと、脣を
丁度乳母の子供が歸つて來てゐた。冩眞にもまして美しい子である。乳母はくれぐれも母を失ふ此子の事を弓子に頼んだ。
後に乳母が亡くなつてから、此子は京橋で待合を出してゐる、父親の妹の内へ引き取られた。その家へ遊びに來る羽左衛門や高麗藏が役者にしたいから、養子にくれろと、度々望んだが、子供が聴かなかつたさうである。
山尾に促されて、弓子は
乳母は縁側迄這ひ出て來て、見送つた。もう四時近いのである。片蔭がすつかり出來て、一面の青い畑の上を凉しい風が吹いてゐる。車の廻りには近所の子供が珍らしさうに集まつて來た。「東京の女は妙だなあ。夏首巻をしてゐらあ」なんぞと顔を見て云ふ。きたない子等の中に乳母の子は別物の様に美しく見えた。
弓子は「さよなら」と云つて車に乗つた。鼻を垂らして、赤いくしやくしやした目をした子供達も聲を合せて「さよなら」と云ふ。乳母の家の人達はみんな出て來て見送つた。車はがたがたと細いくねくねした道を動き出した。弓子が振り返つて見ると、乳母はどうして登つたか二階の窓から幽靈の様な顔を出して、こつちを見送つてゐる。弓子は「死」の影が自分に附いて來るやうな心持がした。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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