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短編二つ

  散歩しながら

 

  A

 

 ある朝、街角をまがりかけたとたんに、ガボッ! といつてその通り一めんの青い焔が立つた。ピタッと自分は煉瓦に身をくつつけた。

 しばらくして何があつたのだらうと近づくと、路のまんなかに赤い火がある。へんな螢だと思つてとらうとすると、ひとりの男がうつ伏せにシガーをもつてゐたのだつた。ひき起して「どうしたのだ」と云ふと

「さつきここへくると、きふにシガーのいぶり方がわるくなつたので、マッチをすつたとたんにやられたのだ」

「ふーん」と云つて、そのまつくろにこげた顔と手と服を見てゐると、黒い影が走つてきて

「君はマッチをすつたな」と云つた。

「いやこちらの男だ」

「さうか、なぜそんなことをしたのだ」

「道路でマッチをすつちやわるいか」

「わるいもわるくないもない。君は命がいらぬとでも云ふのか?」

「命がいらぬと誰が云つた」

 喧嘩になりかけたのをとどめ、わけをきくと、あとからきた男は

「こんなことに気がつかぬ紳士方とは思はなかつた」と云つてむかうにあつた立札を示した。

  *

 当工場において発散するLQガスは月光と混合の際爆発のおそれあれば風なき月夜ここにおいて喫煙を絶対に御遠慮下され度候  コックス会社

  *

「なるほど」自分は云つた。「――これは見えにくいね」

「会社からひとりも挨拶にこないのはどうしたわけだ」

 月光の下に相かはらずシューシューとガスを出してゐる黒い建物の方をすかしながら、ひとりが云つた。

「それを云ふなわしがつらい。――署長の経営だでな」

「君は?」

「ポリスだ」

「いいぢやないか君、あす署長のところへ行きたまへ」自分は他のひとりに云つた。

「さよなら」

「さよなら」

 月夜の黒い影は三方へはなれた。

 

  B

 

 チョコレートやウヰスキーがにぎやかに見えてゐるキラキラ灯のついたガラスのまへで、人形のやうな西洋の子供が縄とびをしてゐた。

 私がとほりかかつたとき、店のなかから何かちひさい鳥のやうな白つぽいものがとんで出て、フハフハと低いところをまはり出したので、彼らは追ひまはさうとしてゐた。大さわぎの後みんなをいいかげんにからかつた白つぽいものは、そばのガス燈にとまつてしまつた。

 さあしめたとひとりが鐵の棒をのぼり出したが、下からおしりを友だちがもちあげてゐるのに、中途からぐづぐづして下りてしまった。

「手がとどかぬ」とその子は云つた。

「蝶だなあ」ガスの燈をまともにうけたのがつくづくながめてゐる。

「蛾だい」もうひとりが云つた。

「蝶だい」

「毒蝶だよ」

 云ひ合ひをしながらものぼる者がない。こはいのらしい。そこで私はつかつかとよつて、ソーともつて行つたステッキのさきでバタッとはらつた。

 白つぽいものはひらりと煉瓦の上に落ち、子供たちはまはりをとりまいた。

「銀紙だ!」と声がした。

「銀紙?」

「そうら」ひとりが他をわりこませるためにすきをあけた。

「やあ蝶かと思つたら紙だい」

 そこでみんなドッと笑ひ出した。

 私も近づいてみると、いかにも蛾でない。子供たちが手をつけずにゐるのをひろつてみると、なるほど――

「これは帽子の裏にはつてあるマークだよ」と私は云つた。みんなけげんな顔をしてみつめてゐる。

「バタースビイかい」

 ひとりが云つた。

「バタースビイぢやない」

 私はくらくてよく見えない英字をよまうと、ガスの光のあたるやうにかざしてみたが、ボルサノでもステットソンでもない。ききおぼえのない会社だ。が、中折帽子のマークにはうたがひなぃ。――それにしてもこれはたしかにガス燈から今落ちた。それがさつきまでツイツイととんでゐたのは、俺のみでなく子供をちもみとめてゐる。ハテナと私は考へかけた。

 子供たちはまた縄とびにうつつてゐる居留地の、春のやうな秋の夕べである。

 

(大正十四年十二月「文藝時代」)

 

  天文台

 

      ほんとうを云へば地球をとりまく円天井は

      豪気に薄情に出来てゐるのさ――ジュール ラフォルグ――

 

 いつの若葉だつたか、――それはもうずつと以前のことでした。私はトンコロピーピーと笛の()がきこえてくるやうな森や丘をひろげてくる夕月夜の路をとほして、Y氏といふ紳士と一しよに帰つてきたことがありました。あたまの上にお月さまがあるとは云へ、それはベールのやうな雪にぼかされてゐるから、上着をぬいだ私は自分のワイシャツと一しよにモーニングコートのつれの白いきちんとした胸を意識するだけのおぼつかなさでした。しかし、おひるすぎにまだかまだかと思ひながらこゝをあるいて行つたやうな不機嫌はもうどこにもありませんでした。一つにそれはギラギラと木々の葉をてり反すお日さまがなかつたのによりますが、またこんな夢見るやうな景色と溶け合ふ何云ふともないかなしさが胸のうちに忍びこんできてゐたからにもよるのでした。それでだしぬけに年上の友だちに声をかけられたとき、私はびくつとしたほどでした。

 それといふのも、けふ私はその紳士にともなはれて、七つの尾をもつウヰリアムス彗星とハイカラな輪をつけた土星にあこがれてこの郊外の天文台を訪れたのでしたが、赤い三角帽に緑いろの衣をつけた白ひげのおぢいさんから魔法のやうなかずかずの機械を見せてもらふかはりに、広大な土地にちらばつたコンストラクショニズムの作品のやうなものを見まはし、その一つの大きな鉄骨の屋根がゴトゴトとダイナモの力でひらくのを仰ぐと、次にはそこに大砲のやうにのしかゝつた望遠鏡を支へる地下五十フィートにも入つた(いしずゑ)を見るために鉄の梯子(はしご)を下りてゆきました。地球と同じ直径の円弧であるといふ筒のなかに入つた水銀が正しくまんなかに泡をよせてゐるのにおどろくと、またこの機械を入れた建物がお天気の模様によつてのびちゞみするために別にこしらへられた火薬庫の堤のやうなもののなかにあるコンクリートの部屋の窓へもひとみをすゑました。加へて、ズボンのポケットに両手を入れたまゝそんなところを案内してくれるY氏のお友だちのTさんといふのが、何でもないやうなしづかな声で、自分が統計を取つてゐる地球のゆがみを研究する学問は五百年くらゐ経たないと面白いところへはこないのだなどときかせるのでした。つまり、この日求めようとしたのに答へられたところを一口に云ふなら、お日さまの黒点とて統計的には議論も出るが、まだ方程式には現はすことができぬからTさんたちには大して用のないものであり、火星の表面にある運河にしても、さう云はれるとそれらしいものをみとめられぬではないが、しかもそれは写真には撮ることができないし、そんな好奇心の満足のかはりに、今日はもつとハッキリしたことでしなければならぬ研究に気づくべき時期であると云ふのでした。あんな奇妙なふうのまゝに走りまはつてゐると思つてゐたホーキ星も、じつはお日さまのちかくにきたときだけ引力を受けていろんなかたちに変るものであり、またそれは大へんうすく地球には何らの影響も及ぼさぬから或る人たちをのけては相手にされてゐないものだといふのでした。その上にこれだけはぜひ見ておくやうにとY氏が口ぞへをしてくれた空間の色、――それはT氏は何もそんなことは云ひませんでしたが、何か云ひ知れぬむらさきをした深いしづかな宇宙の色であるやうに私には想像されたのでしたが、これもあたりが青くぼやけてきてT氏がその望遠鏡室の鍵を取りに行つたときにはうつすらとかゝつてゐた雲のためにのぞかれず、結局レンズ一ぱい絹ハンカチにつゝんだ(だいだい)のやうにはまつたあばたのお月さまで満足するほかはなかつたのでした。

 しかし、その不思議な区劃からのがれて夜道をたどり出したときには、そんなふうにこの日を何だか見当はづれにさせたのは、おそらくはじめから自分のあたまのなかにあつていろんな夢を織り出す元にもなつてゐたものが、ほんとうの天文台ではいづこにも取扱はれてゐないせゐにあつたらうといふことが私にはわかりかけてゐました。さきほどから私のあたまのなかには、T氏が長い廊下にあるドアをあけた青い傘のある灯のついた部屋でパンとハムとアルコールランプであたゝめたチョコレートをもてなしながら、T氏と交してゐた広大無辺の世界に関したといふより他に私にはわからなかつた対話のきれはしが、皎々とした別室の電燈の下に見た赤い本のページと一しよにうづまいてゐたからです。赤い本といふのは、ホーキ星と云つてもぼやけた点のやうなものしかうつつてゐない乾板(かんぱん)や、数字ばかりのその説明書や、こんなに円いのにまだやりそくねのだといふお日さまの模型である白いボールと一しよに見た厚い表紙の十五六冊でしたが、両手をのばしてひろげられるそのいづれのページも、一めんに引かれたゴバン目をうづめて灰をぶちまいたとしか思へぬ点々にまつくろなのです。こんな星の世界の図を造つた天文学者がまたその仕事のみに一生を尽してしまつたといふ云ひそへをきかされたとき、私はたゞもう地上の砂粒も及びつかぬやうなそんな星の数に、これも欄外をまつくろにした零のたくさんついた数字と共に何しれぬ気もちに見守るほかはなかつたのでした。そして、この地球のそといづこをながめまはしても、まるで灰樽のなかにあるやうにそんなすき間もなくぎつしりつまつた星屑がおほうてゐるといふことのもちつゞけから起されてきたおそろしいやうな、しかも荘厳きはまりない題目のまへには、けふあつけなかつたお日さまや火星やかずかずの幽艶な物語をひめた星座なんかはもうどうでもいゝことになりはじめ、しかもそれらをどうでもいゝことにしかけてゐるこの地球の上の自分といふことに気づくと、私は世界のそとへとび出してトンボ反りを打ちたいやうないらいらしさにおそはれてきたのです。けれども一方、そんな興奮を或るものしづけさにまでいたらずにおかないあたりの空気には、いつか星をかぞへるのは一たんその写真をぼかしてあとにのこつた光度のつよいのだけを採るときかされた言葉を思ひ出してゐました。それは私にとつてあんなにも星がつまつてゐるものならTさんたちのどんな確実な仕事が行はれてゆけよう、星はメチャクチャにあるけれどもそれはかぞへられるのだといふ思想を意味しました。もう一べん考へなほしたとき、吾々にとつては何の役にもたたぬはてのない宇宙といふことは、吾々の気もちを承ふのではなく、いかなる人のまへにもかう云ふかぎりにおいてこれはほんとうであるといふことを断言するために、こんなさびしい郊外にふみ止まつてゐるTさんたちの英雄的事業にならねばなりませんでした。そんなアイデアにほつとしたときこれも何か考へこんでゐたらしい私の紳士が白い顔をふり向いたのでした。

「こんな一本だけがあるとする」

 人さし指で横に引かれたのと一しよに云ひあたへられたさきは、ちやうど路につき出した木の枝の影をすかしたときなのでおぼえてゐないのです。

「――すると僕たちには直線の世界しかない。これがまがつてゐなくても、物尺(ものさし)が一本なのだからわからせることができないのだ。これがまがつてゐるかどうかをきめるためには、これに垂直にまじはるもう一本を加へなければならぬ、この十字でもつて」

 その人は今一本よこにゑがくまねをしてつゞけるのでした。「これではじめて曲線といふ世界がある。けれどもこれが平面にあればいゝがもしよぢれてゐたときには」

「蛇みたいに?」と私は云ひました。

「さう、木に巻きついた蛇のやうによぢれてゐたならどうしても立体といふものをもつてこなければならぬ。x、y、いづれにも垂直にまじはるzさ。この三本からできた糸わくによつてはじめて吾々のまへには球面といふものができる。ところがこの球面の世界も……」

 ちよつとつまつてからつゞいたのは「口で云ふのは六つかしいが、さつきの曲線が蛇であつたと同じやうなわけにねぢれてゐることがあるんだ。そこで図形にはできぬが、x、y、zのいづれにも垂直にまじはるz′といふのを入れなければならぬことになつてくる――」

 どうやらそれはさつきTさんとの話にあつたことのやうに思へてきてゐたのですが、そんなふうに手のひらでこしらへた球面がよぢられると一しよに糸わく形のなかへさし入れられた不思議な第四番目に私はもうーつききたい気もちでした。

「あゝこれはね」たづねるまへにその人はうなづくのでした。「僕たちがこれこれのことだときめて手をつけるでせう、けれどもその仕事はどこかにはじめに思うてゐたのとはちがつてしまふ――そんなふうなことをさしてゐるのだ。僕たちのあたまはまだこの第四番目の世界のことを知るやうに馴らされてゐないからね」

 さきの論議をもう一ぺん自身に納得させようとしてゐる人の思ひつきのやうにもあつたのが、またほんとうにうかゞひ知られぬ世界にぞくすことのやうに考へられ、そこんとこはTさんたちにだつてよくわかつてゐないのだらうし、自分がきき反したいやうなこともふくめられてゐるのかしれぬとすると、私はもうだまつてうなづいてしまふほかはないのでした。

「あゝ桐だ」だしぬけにY氏が云つたのは、幻燈にうつつてゐるやうなところをすぎて私たちの乗るステーションの青いシグナルの灯が見える方へまがりかゝつたときでした。

「そら、僕はあの花の匂ひが大好きなんだ」

 モーニングコートの紳士は細いステッキをふつて首をあげましたが、暗いところにはそんな色も香りも私にはけはひすらなかつたのです。たゞそれとつゞけてハンカチを出してメガネをぬぐうた人がついでに涙もふいたやうに思はれ、何かきふにしんみりした気におそはれた私は、出さうとしてふるへさうになつた声をおさへ忘れてゐたポケットの紙巻をさぐつたのでした。……

 

(昭和二年三月「文藝時代」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/07/07

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稲垣 足穂

イナガキ タルホ
いながき たるほ 作家 1900・12・26~1977 大阪府に生まれる。新感覚派の周辺に作家として生まれたがほぼ文壇から孤立、一所不住の生涯を特異なモダニスト・イデアリスト・自由人として終え、優れた大部の全集を遺した。

掲載作は、大正14年12月「文藝時代」、昭和2年3月「文藝時代」に初出。

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