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童児群浴

黒き玻璃(はり)の山脈、赤き血の滴

げせぬ鋭どき天のときの声

これらみな紫の異常になげく

夏の午後の一とき

 

薄紫、赤、黄は透明を伝染し

天地にみなぎりたり

硫黄泉(いわうせん)は地底をつたふ

美しき湯気の香はする

 

この時太陽は血潮の「能」を舞ひ

この時童子等は大川に喜戯(きぎ)

紫の渦巻きに

うつれる空に喜戯せり

 

黄金の童子等は赤く笑へり

一瞬にして食人びとにとらはるゝばかりの恐れ

おしかくし勇ましく大笑す

天と地とうつしし水に

 

げに金属の童子等は

怪しく焼けしその頬に

無窮の笑を()ばしめつ水にとび入り

爬虫(はちゆう)の如く(たは)むれつ

 

かくも眺めてわが胸は

薄青き珠玉の汗を宿し

この現象の(ものう)さに全神経は

焦げはてゝじつとをのゝく

 

童子の腹赤く輝やく

五、六、七、美しき河水のそばに

おう赤き童子の群よ

太陽の祖先の如き赤さもて

 

真赤に童子は喜戯せり

黒き玻璃の山脈にほの赤き幻燈うつる

血の(しづく)、低き天つたひてゆけば

天のときの声もものうく消えぬ

 

宝玉の(ごと)、ものみなは輝やけり

さんらんたる思ひかや我をとり

わが眼をして大川の浅き底をも

深き天遠くに舞へる太陽をも慕はしむるは。

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/09/30

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村山 槐多

ムラヤマ カイタ
むらやま かいた 詩人 1896~1919 神奈川県横浜市に生まれる。京都府立一中に学び少時より詩と画に才能をみせ、ランボーを慕い孤独とデカダンスの生活のなか、1919(大正8)年22歳半ばに急逝。没後大正9年『槐多の歌へる』、10年『槐多の歌へる其後』が刊行された。

掲載作には詩人の秘められた少年愛も表現されている。

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