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煤煙の臭ひ

   

 

 彼は波止場(はとば)の方へふらふら歩いて行つた。此の土地が最早(もう)いつまでも長くは自分を止まらせまいとしてゐるやうで、それが自分のにぶりがちな日頃の決心よりも(むし)ろ早く、此の土地を去らねばならぬ時機が迫つて来はせぬかといふ、妙に心細い受け身の動揺の日がやつて来たのだ。勿論それは彼の思ひ過ぎでもあつた。これまでも屡々あつたことだ。こんな気持の時は足がおのづからステーションや波止場の方へ向くのであつた。ステーションヘ行つて思ふ都会の駅名を恋人の名でも読むやうになつかしく眺めるのも一種の心遣りだつた。波止場へ行つて汽船賃をしらべて旅費の都合を考へたりすることもにえきらぬ自分の心に対する一種の示威運動であつた。そこには人足達の肩を煩はしたいろいろの貨物の山、起重機で捲き揚げられた鉄材、思ひ思ひに旅装をして汽船に乗り込む客、(はしけ)から上陸する人、そこには常に放浪病者を魅惑するやうな遠い国々の幻影が漂うてゐた。然し此の土地が全く面白くなくなつた彼のやうな気持とは恐らく正反対の心持でわざわざ此の小都会に望みを抱いてやつて来る者もそこにはある。或は夫婦づれの、或は独身者らしい(すね)一本の労働者が、青服の着流しで、手荷物を振分に背負つて、ぼつぼつ桟橋から上陸して来るのを見ると、彼はちよつとまた妙な気がして考へをにぶらせるのであつた。現在の自分の心の迷ひを今一度圧し鎮めてよく反省して見ないわけには行かなんだ。

「彼等は此の土地より外にもつとよい所へ行けないのだらうか。此の土地だつて仕事にあり附くまでは容易ぢやない。工場へ入つて愈々(いよいよ)働くことになるまでには随分めんだうな手数を喰はされるのだ。二月や三月は居喰ひで過さねばなるまい。其の揚句、まづく行つたら身体検査ではねられて、果ては身一つの捨て場に迷ふ者さへある。」と彼は半ば同職者としてのさうした思ひ遣りを持つて、それらを眺めるのであつた。殊に妻子を曳いた渡り者を見ると一層その思ひを深うした。そして、次には直ぐ自分の無分別を顧慮しなければならなかつた。此の土地を今離れることは全く軽率であると気が附くのであつた。どんなに厭な思ひをしても、工場の方で解雇しない限りはおとなしく此所(ここ)へかじりついてゐるに越した事はないといふ心持になるのだつた。毎日工場へ出て働きさへすれば(きま)つた賃銀が得られる現在の境遇が忽ちに何ものにも替へがたくなるのだつた。そして、自分ながら意気地なく、明日からまた気をとり直して、みつしり働かうといふ料簡(りやうけん)になるのであつた。此の料簡は今から二年前、彼が此波止場へ着いた時の心持と稍々(やや)同じ者である。其の時は二月の末で、港の山々にはまだ雪が消え残つてゐたが波はもう春らしい丸みを見せて鷹揚(あうよう)に揺ぎ、商船や軍艦の間を白い鴎が飛び交うてゐた。威勢よく空一面に漲つてゐる焦茶色の煤煙、その下に鉄とエンヂンとのどよめき渡る工場の彼方(かなた)を汽船の甲板から眺めた時、彼は云ひやうのない心強さと讃美の気持でいつぱいだつた。此の土地が自分を定住させてくれたらば、どのやうに幸福であらうと思うた。()し思ひ通りに行かぬ時の第二の目的地を予想することは此の場合に於てどれほど心細く且つ不幸であつたらう。その不安は彼を心から運命に対する従順な敬虔な人間に立ち戻らせずにゐなかつた。

「今度こそは、今度こそは仕事に取り附いたらば一生涯此所(ここ)が自分の身の定め場所だ。どんなことがあつても今度こそは腰を据ゑて稼がずになるものか……。」と彼は此の港で一番高い山に向つて合掌せんばかりの心持で、堅い言質をかけて誓つたではないか。万一にも他日此の土地に飽きが来た時、自分をひどくたしなめてくれる対象として役立つものが彼には必要であつたのだ。それほど彼は自分の心の奥底に隠れてゐる飽きつぽい迷ひ易い性情を怖れてゐたのであつた。それは曾て唯の一度だつて其の頑固な性情の抑制に成功したためしがなかつたからである。

 ともあれ其の時だけは真実此の土地に安住を誓つたのであつた。三年間の軍隊生活の堪へがたい忍苦、実戦に参加しそこねて命拾ひをして、やつと我が身一つが自分の物になつたといふ悦びは、世の中の一切を無批判に肯定させた。かうした凱旋兵の眼には如何なる苦惨な人生にも意義と幸福と悦楽とが見出された。それは特殊な苦しみを経てへとへとに疲れきつた者にのみ一時甦つて来る愚かな病的な錯覚であつた。然し今彼の目前に(よこた)はつてゐる此の港、此の小都会の全景は其の時の錯覚の冷たい殻に過ぎなかつた。

 彼は暫く波止場に立ちつくしてゐた。秋の陽は島山に落ちた。うそ寒い潮風が吹き渡つて来た。それは曾て遠い過去に於て失職の果てに知らぬ旅路の海岸をさまようた時分にも出逢つた風であつた。()し彼が誤つて一歩此の土地を離れた後の失職の憂目を予感させるやうな夕風であつた。

 もう荷揚人足等の或る組は仕事を終つて其の日の労銀を受取つて、そこらの寄りつけの酒場へてんでに押しかける頃だつた。彼方(かなた)の造船場からは五時半の喉太い汽笛が鳴り響いて来た。自分勝手に工場を怠け休んで此の一日を無為に遊惰に過ごした者はその汽笛の声を喜ぶ資格はなかつた。汽笛は勤勉ならざる者には堪へがたい威嚇(ゐかく)であつた。一日でも骨折を惜んで血税を怠る者を忽ち憂鬱にした。

 彼の顔面には此の一瞬間弱い心の(もだ)えと怖れとがありありと現はれて見えた。それは其の汽笛の威嚇に打ち()たうとする反抗の色であつた。然し其の汽笛の声は彼等労働者が永遠に背くことの出来ぬものだつた。それを思ふと彼は強ひても自分の意志を消極的にし、そして一生涯此の土地に身を縛り附ける為めには妻子といふ重荷が必要であること、それが結局得策であることなどを考へ到らねばならなかつた。それは一面の要求として(はや)くから急がれたことでもあつたのだ。

 今しも彼が佇んでゐる波止場の石段の下には近海通ひの曳船が着いたところだつた。田舎風の男女の客が二十人ばかり上つた。其のおしまひに二十五六の赤い手柄(てがら)を見せた色白の小肥りな丸髷の若いかみさんが上つた。彼は何気なく見てゐる間に其のかみさんに目を留めた。田舎の女には珍らしくみづみづして其のお納戸色(なんどいろ)の型附半襟の(うち)から柔らかな白い首筋の線がのびのびと弧を描いて耳朶(みみたぶ)の裏の生際の奥に静かに消え上つてゐるのなどを彼は見た。四つばかりの丸々と肥つた男の子が此の母親の手から船頭の手に差し渡されると見る間に宙へ浮いて子供は嬉しさうに陸へ上げられた。其所(そこ)には幾台ものがた馬車が客を待ち構へてゐた。御者(ぎよしや)は彼女の手荷物と其の子供とを貰ひ物でもしたやうに気おひながら積み込んだ。彼女もそれに打ち乗つた。馬車は(はし)り出した。彼はそれをなほも見送つてゐた。自分の現在の生活の最も不足してゐるものをそこに見たのであつた。

 

   

 

 街には電燈がついた。四辻はひとしきり工場から吐き出される職工等の足埃で狭霧(さぎり)に襲はれたやうにけむつた。彼は波止場から宿の方へ急いだ。さつさと町の片側を脇目もふらず歩いて行つた。終日の労働を完うして帰る大勢の仲間(たち)に行き逢ふことは厭であつた。然し一日も休まぬといふことを何よりの誇りとしてゐる仲間の方では恐らく彼のやうな怠け者の姿をよしや見附けたところで見ぬふりして過ぎた筈である––彼の顔面は懶惰(らんだ)の羞恥で堅くなつてゐた。

 然し駄目だつた。たうとう一人の年上の仲間に彼は呼び止められてしまつた。それは最も彼が出逢ふことを怖れてゐた一人だつた。

「どうしたい。身体でも悪いのかと思つたに、さうでもねえのか。」と、彼は(さげす)むやうに云つた。

「いや別段さうでもねえ、明日から出ようと思つてる。」と、彼は附け景気で云つた。

「それが()いぜ。休みが多い奴はどしどし解雇してる時節だからなあ、今解雇されちやお前だつて楽ぢやあんめえ。」と、老職工は妙につけつけ云つた。彼は直ぐ(かん)に障つた。「余計なこと云ふない。」と思つた。此の老職工はかなり金を溜め込んでそれを手堅く仲間内にまはして高利を貪つてゐる男だつた。彼は此の男にまだ借金が残つてゐた。毎月勘定日には工場の出口に待ち受けを喰つて勘定袋から容赦なく約束通りのものをさらつて行かれるのであつた。「畜生、死にそこなひめ。」と、彼は後をも見ずに大通りを横切つて行つた。そこからひつそりした町裏を幾つも折れ曲つた所に彼の宿はあつた。

 宿の格子戸を開けると玄関口にある見知らぬ、新らしい女下駄が彼の目に附いた。そして直ぐに感づいた。それは日頃から話に聞いてゐた、今日あすに来るべき筈の、遠くへ(かた)づいて行つてゐる宿の娘が今日やつて来たのだと思つた。其の女下駄の側には小さな子供靴が並んでゐた。奥の方で聞えてゐる弟妹達の嬉しげな声でも其の客の誰れだかは察しられた。台所では何やら一寸した特別の晩飯が出来る最中らしい。彼はいつになく下宿人らしい遠慮が起つた。其の癖どんな別嬪だらうといふ好奇心が彼を軽く(こそ)ぐるのだつた。

 彼は其のまま玄関脇の自分の三畳の部屋に入つて行つた。すると其所には思ひがけぬ闖入者(ちんにふしや)の丸い頭を見附けた。いきなり抱いてしまひたいほど可愛い男の子だ。(しも)ぶくれのよく肥つた眼の大きい子供が今しも彼の机の前に坐り込んで何かいたづらをしてゐる所だつた。子供は彼を見附けると直ぐ奥へ駈け込んでしまつた。そして、そうつと障子の蔭から彼をば覗いた。彼は笑顔でおいでおいでをしたが子供は遂に奥の方の母親の膝もとへ逃げて行つてしまつた。

「誰れが……うんをぢちやんが来たの?……どんなをぢちやんが来たの……まあさう……。」と、若い母親らしい声が奥ではしてゐた。

「お帰んなさんしたかな丸田さん。さあ一緒にご飯にしませうぞい。」例の気軽な老母は彼を茶の間から呼んだ。今し方工場から帰つたばかりの嘉吉は、いつもの癖で仕事着のまま円い飯台(はんだい)の一方に場広くあぐらに据わつて、もうがつがつやらかしてゐた。老主人はこれもいつもの通り長火鉢の側に箱膳を据ゑて小量な晩酌を始めてゐた。昔城下で金銀の御用細工を申附かつてゐた時分から此の家の台所の飾りである大きな円飯台の周囲が久しぶりに明るく賑やかに見えてゐた。昔は大勢の職人や弟子達がゐて此の飯台で二替りにも食事をしたものだとは老母がよく飯時に繰り返す一つ話であつた。一家が城下を引払つて今日の境遇になつてから、何よりも老母に今昔の感を深うさせるものは食事時に飯台の周囲の寂しいことであつた。丸田を下宿人として置く気になつたのも一つはそれだつた。

「なあ、縁ちふものは異なものぞい。それ、此の方は嘉吉と同じ工場に出ての丸田さんちふ人ぢやがな。此の夏から家におゐでるぞな。さあ丸田さん其所へおすわり。これが家の娘でがんす。何さ遠慮があらうに……。」老母は常よりも一層はしやいでゐた。彼は初めて若い丸髷の其の人を見た。そして挨拶を交した。然し意外だつた。其の顔は初めてではなかつた。まがひもなく先刻(さつき)波止場で見た婦人(ひと)だつた。あの時曳船から上つた赤い手柄のつやつやした丸髷が思ひもよらぬ此の場で叮嚀な、然し打ちとけた挨拶をするのであつた。かうした奇遇は相手が異性であるだけ彼の胸は快い驚異に顫へた。彼女は全く此の老母を自慢させるに不足のない女だつた。彼の心は囁いた。あまりのことに囁いた。

「此の人は何か自分に投げつけに来た。俺はひよつとするとその為めに悶えねばならぬかも知れぬ。が、それでも俺は仕合せだ……。」とやうに彼の心は囁いた。かうした新らしい局面が此の四五日来の彼の気鬱をどのやうに軽くしたか。

 楽しい賑やかな食事は始まつた。老母の手馴れのまぜめしがよく()れた。若い母親は絶えず子供に気を取られて自分の箸を持つ暇はなかつた。子供は覚束ない箸どりで危つかしい碗の持ち方をして、よく貪つた。弟妹達を始め皆は此の大喰ひな賓客を興がつて笑ひをやめ得なかつた。

「もう好いの。また明日(あした)、ねえ、あんまり喰べるから、ほら、をぢちやんがをかしいなあつて笑つてらつしやる。」と彼女は半ば子供を通じて丸田に親しみを投げるかのやうにかう云ひながら、子供の頬や(あご)のあたりにこびりついてゐるものを始末した。子供はさう云はれて大きい眼を丸田の方に向けた。然し実は丸田も此の子供と同じであつた。今宵は彼女といふ人の前に一個の好もしい下宿人であらねばならなかつたから。

 

   

 

 其の翌日から丸田は工場へ出た。調子の悪い機械が急に何かの工合で廻転し出したやうに彼は働いた。厭な動揺の危機は通り過ぎたのだ。昨日までの考へ方は自分ながらあまりにゆとりがなさ過ぎたと気が附くまでになつた。「何よりも思ひ過ぎることが悪いのだ。一体昨日まで考へ詰めた事柄は何だ……。」と彼は前日の屈託の跡を心の奥に探り当てて自分で冷笑する気持だつた。今日はそれが何でもなくなつた。其の原因はいつもお(きま)りの例の虫である。云つて見ると、此のまま妻子を持つて此の土地に一生涯稼ぐとして其の結果があまり分り過ぎてゐることと一生懸命一日も休みなしに働いて()の高利貸の男のやうにして見た所で其の結果があまりに分り過ぎてゐること、それに此の工場は土着の者が多数で彼のやうな者が生涯辛抱するには工場の空気があまりに窮屈に作られてゐる事、小頭(こがしら)を初め厭な人間で満ち満ちてゐる事、いつもさうしたむら気から心の動揺は始まるのであつた。思ひ切つて此の土地を今の間に立ち去ることが(やが)てよき運命の端緒ともなり、そして何処かへ行きさへすれば自分の懶惰(らんだ)は新たな忍耐力と入れ代つて勇気に満ちた生活が出来さうに思へるのだつた。然し最早(もう)其の事は昨日の夕方波止場に立つて考へ直した上解決した筈だ。矢張何事も忍んで此のまま行くのが安全である、と今日は其の積りで久しく手入れを怠つてゐた自分の機械をも、今日からはまた自分の物といふ気で油だまりを拭ひ取つたり、歯車の歯糞をも一本一本こそぎ落して磨いたり、メタルの調子をも工合よくしたり、さては調べ革のたるみを締めて見たりした。すると機械の方でも機嫌よく彼の云ふままになるかの如く軽やかに調子よく廻転する、小頭は通りすがりに彼の機械の前に立ち止まつて何か眼に止つたやうに見て過ぎた。それさへも今日は善意な一瞥らしく思へた。何もかもが調子の好い日だ。いつの間にか高い硝子張の屋根から秋の日光が直射し出した。と、軈て昼飯のブウが鳴り渡る。今日は時計までがいつもの渋りがちでないかのやう。

 昼飯はいつも嘉吉と一緒の場所で開くのが(きま)りだつた。今日は弁当の包み工合が常とは異つてゐることも彼には一寸嬉しかつた。彼女の今朝の骨折を思うた。昨夜来たばかりの彼女は珍らしく今朝から老母に代つて早起して甲斐甲斐しく(かすり)の鯉口の上つ張りを着て、心持寝乱れの赤い手柄の丸髷に姉さん冠りをして、引窓の下の薄明るい(へつつひ)の前に、形よくしやがんで、吹き上がる釜を見詰めてゐた。彼は寝床の中から、竈の焔に照り映えてゐる其のふくよかな彼女の横顔を盗み眺めた。かうして今朝の食事の仕度(したく)はすつかり彼女の手で出来たのだ。それだのに今朝の飯は柔らか過ぎるなどと彼女は兄の嘉吉にぷんぷん小言を聞かされてゐた。

「此の枯れ石見たいな顔をした男に、あんな妹があつたのだ……。」丸田は弁当を喰ひながら思つた。彼女の兄といふことが嘉吉の顔を常とは異つたものにさへ見せてゐる。

 

   

 

「これから俺あ露助(ろすけ)(ロシア)の船まで行かなきやなんねえが、お前も一緒に来ねえな。」と弁当を喰ひ終ると嘉吉は云つた。

「何をしに行くんだ。」

「まあ()いから来て見ねえな。」二人はそれから赤ペンキで塗つたボイラーや鉄材の転がつてゐる工場の裏手から海岸の方へ行つた。昨日の午後起重機のチェーンが()れて二人の人足が鉄板の下にまる潰れになつて死んだ其の跡を見ながら行つた。

「此の枕木の血を見な。」と嘉吉は指さした。丸田は息が詰るやうで返事が出来なかつた。其のあたりの揚荷(あげに)の上には十人ばかりの人足が腰をかけて、昨日自分達の仲間を失ひながら案外別に悲しげな様子もなく煙草を吹かせてゐた。そして、いかほど死んでも代りに事欠くことはないと云ひたげにあたりの光景は事もなげにいつもの通りだつた。(すべ)ての惨事は人間の愚かさと不注意と無自覚とに帰せしめてゐるかのやうに起重機は傲然と突つ立つてゐた。丸田は急いで通り過ぎた。嘉吉は其の先の石段を下りて小船に飛び乗つた。

「早く乗りねえ。」

「だつてもうブウが鳴るぜ。」

「構はねえてばよ。今日は小頭の奴正午退(ひるび)けだあ。こんな日に油を売らねえでたまるもんか。」

「ふんさうか。そいつあ知らなんだ。」

「だからお(めへ)にや手数がかかる。」と嘉吉は片手で器用に艪を漕ぎ出した。

「何にしに来たつて聞かれやしねえかな。」

「だからちやんと此の通りだ。」と嘉吉は物さしとインサイドパスとをポケットの上から叩いて見せる。修繕物の寸法を計る為めに来たといふ積りだ。

 (やが)て小舟は岸から間近に(いかり)を下してゐる露助の捕鯨船の横腹に軽く突き当つた。嘉吉はずんずん先ヘタラップを上つて行つた。船員達は別に二人を怪しまなかつた。修繕中で皆は暇さうにデッキの上にごろごろしてゐた。嘉吉は知つた露助を見附けて握手した。露助は笑ひながら何か分らぬ言葉で機関室の方を嘉吉に指さした。丸田は嘉吉の行く方へ()いて行つた。二人は中甲板へ降りて、うまさうな匂ひの放散してゐるコック部屋の側を通つて、薄暗い裸の蝋燭の灯の見える機関室へ降りて行つた。其所(そこ)らぢゆうは包装された大小のシチムパイプが蛇の群れのやうに這ひ伝はつてゐた。其の一隅に油だらけの上下続きの作業衣を着た一人の露助が分解したエンヂンの附属物をこつこつ磨きながら手入をしてゐた。

「アレキセイ、今日は。」と嘉吉は馴れ馴れしく露助の肩を後から叩いた。

「コーンニチワ……。」と露助は嘉吉を振り向きさま頓狂な声を出した。そして人の好い無邪気な笑顔で丸田にも会釈した。嘉吉はポケットから細長の紙函を二個取り出してやつた。露助はほくほくしながら受取つて直ぐ蓋を開けて見た。そして嬉しさうに叫んだ。それは花札と將棋の駒とであつた。アレキセイは嘉吉を何処かへ引つぱつて行つてしまつた。それから暫くしてから何か古新聞紙にくるまつた物を小脇に抱きながら嘉吉は戻つて来た。

「これで用はすんだ。行かうよ。」

 二人もと来た昇降口から明るい甲板に出て小船に飛び移つた。

「お前これ何だと思ふ。」嘉吉は得意さうに艪をあやつりながら云ふ。

「パンか、それともビスケットか、せいぜい罐詰だらうな。」

「冗談ぢやねえぜ。あてられてたまるものか。」と、嘉吉は空嘯吹(そらうそぶ)いて云ふ。軈て石垣の岸へ着くと小舟は元のやうに繋いで置いて、二人は赤煉瓦の倉庫の方へ急いだ。此の時かかれのブウが鳴つた。二人はそれには頓着なしでずんずんあらぬ方向へ行つた。そこらには倉庫が新らしく建たうとして、(くひ)打ちの綱引女がだらしなく(やす)んでゐた。二人の姿を見つけると何か悪口をべちやべちや、浴びせかけた。

「ふん、べたふくめ。」と嘉吉は一寸相手になつた。すると一人の赤い腰帯のが追ひかけて来て嘉吉の背中に()ぶさりながら煙草をねだつた。

「うるせえ。皆やらあ。」と嘉吉はバットの函ごとおつぽり出してやつた。

 嘉吉と丸田は或る一棟の倉庫の入口に消えて行つた。そこには猫背で胴体の馬鹿に短い、そして脚ばかりがひよろ長い、腕の片一方ない番人の爺さんがゐた。これは若い時分旋盤工だつたがシャフトに捲きつけられて片腕を失つてから、お情で倉庫の番人にまはされ、それから三十年も此の消耗品倉庫の暗い穴に居据わつてゐる爺さんだ。嘉吉は心易げに此の爺さんと話した。それから一番深い地下室へ降りて行つた。燃えさしの蝋燭に灯をつけた。其所には煙草の吸殻で穴だらけにされた粗大なテーブルと二三脚の無器用に出来た腰掛とが姿を見せてゐた。嘉吉は抱いて来た小脇の古新聞紙の包みを先づテーブルの上に置いて開き始めた。「それ、ウオツカと乾葡萄だぜ、露助め素的(すてき)な物をくれよつた。あの爺さんに分けるんだが、どうせ瓶ごと此所(ここ)に置くから勝手に飲むが好いや。そら一寸やつて見ねえ。」嘉吉はかけた茶碗を探し出して、それに瓶の物を注いだ。

「此のまま飲めやしねえ。水を()ぜるもんだ。」

「さうか。ぢや其の薬缶にさめた湯がある筈だ。」

「あるある、お(あつら)へだ。」

 二人は蔵鼠のやうに眼をぱちくり見合せながらぐびりぐびりやり始めた。そしてだんだん好い気持になつて行つた。それから二人は話した。

「おい、お前はもう今日で五日休んだぜ。あともう二日休んだら罰を取る約束だ。好いかい。」と嘉吉は云ひ出した。

「分つてるよ。だがもう俺あ一日だつてこれから休みやせんから見てゐてくんな。」

「ふん、堅えこと云ふぜ。」

「ぢや()しか休んだら今度はバット二十個といふことに()めて置かうよ。」

「よし来た。間違(まちげ)えねえな。」と大煙草好きの嘉吉は、もう貰つたやうな顔で云ふ。

「一旦云ひ出したからにや男だ。間違ひつこねえさ。其の代りこれから一日も休まねえで俺が出たらお前は何をくれるんだ。」

「待ちねえ……。」と嘉吉は此所で一寸躊躇して考へ込む風をした。

「まあ好いからお前の二日分の給料だけおごつて貰ふとしような。」

「待ちねえ待ちねえ。それぢやお前の方が割りが好いや。」

「ぢや一日分で好い。」

「お前はほんとにもう休まねえ気か、それなら(おら)あ二日分でもおごつてやらあ。」嘉吉は張り合ひのある目で丸田を見た。

「お前は休みさへしなきや金は残るんだぜ。俺達とは違つて残さうと(おも)やいくらでも残るんだぜ、俺あお前のやうなひとり身になりてえんだ。」嘉吉は云つた。

 嘉吉は四人の家族を背負つてゐた。其の為めに女房をも貰ひ(おく)れてしまつて今では毎日工場へ出て働くより他に仕方のない男だつた。別に楽しみもなかつた。家へ帰ると妙に無口で仕事着のまま飯台の前にあぐらをかいて、無造作にさつさと晩飯を喰ふ。それから新聞の拾ひ読みをしてゐる間に昼間の疲れが襲うて、其のまま(うた)た寝をしさうになると二階へ上つて床を敷いて直ぐ寝込んでしまふのが例だ。

「だつてなあおい。人間も俺見たいに毎日毎日かうやつて働くばかりぢや情ねえわけだなあ。お前なんか休むつたつてよく考へりや当りめえだ。馬鹿馬鹿しい賭けつこなんてよしだ。いくらばたばたしたつてよ、同じだ。俺は今の賭けつこはよしだ。よしだ。」と嘉吉は何を思つたのか急に調子を変へてかう云ひ出した。

「似合はねえことを云ふなよ。お前は大丈夫バット二十個取る方だ。どうせ俺が負けるに定つてるから心配するなつてば。」

「勝ち負けはどうでも好いさ。俺はよしだ。考へて見ねえな。俺達あ仕様がねえから毎日かうやつて我慢して働いてるんだ。なあ……その上身体に賭けつこなんかしちやお身体様に罰があたらあ……。」嘉吉は大分酔ひがまはつて来た。

「お前本気か、お前がそんなことを云ひ出してどうするんだ。辛抱するに越したことはねえさ。俺見たいに(なまけ)たつてつまんねえさ。俺あお前のやうな辛抱人になりたくつて仕様がねえのに。」

「お前はさういふけれど、俺は昨夜お前から借りた本を十二時まで読んでしみじみ感心しちやつたぜ。俺ああんな好い本を生れてから読んだことがねえさ。あんまり好いんで所々手帖に、かう見ねえな、書き写しちやつた。」と嘉吉は手帖を見せた。

「そら、第二章の終りの所だ。まあお(めへ)は分つてゐようけれど読んで見るから聞きねえ。」と嘉吉は手帖に写した部分の文句を朗読し始めた。

「奴隷関係と自由契約関係とあり、現時の自由労働制度と(いへど)も実は仮定に過ぎず。労働者の自由は死活間題を伴ひ、資本家の自由は単なる損益問題なり。此の故に労働者は結局雇主が自由に決定せる工場内規に服するの外なく、若し労働者が其の工場内規の如何(いかん)、又は衛生的危険防止等の設備の有無を問ふ時は、何処(いづこ)に於ても絶望不満に堪へざるのみ。(しか)して(かく)の如き労働者は工場主側に於ては労働者の払底(ふつてい)を告げざる限り永久に容れられざるは勿論なり。此所(ここ)に於て餓死を欲せざる以上労働者は自ら譲歩に譲歩を以てするの他なく遂に如何(いか)なる虐使にも服せざるを得ず。此の意味に於て今日の自由契約関係と雖も実は依然として奴隷関係の旧態を(そん)せるものと云ふを得べし。」

「これだ。まつたくこれに(ちげ)えねえや。」と嘉吉は読み終つて昂然となつた。

「さうだ。俺達の自由てえのは名目だあ……。」

 二人はそれから(おほい)に論じ合つた。

 番人の爺さんに起された時はもう五時だつた。紡績糸屑の俵の間から寝ぼけた眼をこすりながら二人は抜け出でて物蔭を伝ひながら工場の方へ戻つて行つた。と間もなく終業のブウは鳴つた。

 

   

 

 幾日か過ぎて行つた。彼女は毎日せつせと洗濯物や張物に忙しかつた。幼ない弟妹達の冬着の(つくろ)ひや其の他のいろいろな仕事が老母の手一つで出来かねてゐたので、夜は(おそ)くまで針仕事に(ふけ)つた。彼女はめづらしく母思ひの()だつた。毎朝のやうに老母に代つて、丸田と嘉吉の二人を工場へ出す為めに早起した。二人が先づ朝飯をすまして出て行つた頃には、間もなく二人の弟妹(実は亡くなつた長男の遺児)達がそろそろ寝床を起き出て学校行きの仕度をするのが毎朝の順序だつた。かうして朝の台所が一形(ひとかた)つく頃は大抵九時であつた。半ば耄碌(まうろく)しかけてゐる老父は毎日のやうに遠くの町の薬湯へ握り飯を持つて出かけて行つた。そこでは見知越(みしりご)しの老人仲間が落ち合つて、臭い薬湯に浸つては、ゆだり気味になると板の間に寝そべつてお念仏を独唱したり、世間話をしたりして一日を暮すのだつた。老父は彼女が来てからはよく小さい孫と二人づれで出て行つた。家ではさうした間こそ老母と彼女とがいろいろ母娘(おやこ)らしい話をするに都合よい時間だつた。先づよく持ち出される話題は彼女がとついでゐる先のことだつた。邪慳(じやけん)な姑のこと、意地くね曲つたヒステリーの(あによめ)のこと、相変らず愚図で気のきかぬ頼りない亭主のこと、それから今度のごたごたに就てのことだつた。

「何もかも憐れみたまふ神様は知つてござらつしやるけ、くよくよ思はいでも、何事も神様におすがり申してゐさへすりや……。」と老母はよくさう云つた。

 彼女のとついでゐる先は六里程ある田舎で、S城下の河下(かはしも)であつた。そのあたりには幾つもの小鉄工場が細い煙を立ててゐた。彼女は其の間にある小鉄工場主の弟嫁であつた。以前は此の造船場に勤めてゐたのであるが、兄といふのが独力で小資本の工場を始めてから彼女の良人(をつと)も其の方へ行つて一緒にやることになつた。そして今では小さいながらに此の兄弟の鉄工場は発達の見込も立つて来た。

「何というても腕一本であれまでに仕上げた男だけにさばけた人間ぢやて……。」と老母は折節(をりふし)嘉吉の前で其の兄なる男の力量の程をほめたてるのが癖だつた。するといつでも嘉吉は不興気(ふきようげ)な顔になつて、

「お母さん達の眼にはさばけた人間でも、おいらの眼鏡にかけるちふと話にやなんねえさ、ヘヘん……。」と吐き出すやうに云ふ。

「わりや、そないなこと云ふけんど、()しやのことでもあつて見ろな、われがひよつとして病みわづらひでもして見ろな、力になつてくれる者ちうては、あん()より(ほか)にあるまいがな、今だつて随分世話になつとることは知つとりながら何ちふ云ひやうぢやらう。」と老母はたしなめる。と嘉吉は、それぎり黙り込んでしまふのが常だつた。然し今度妹が当分の問逗留の積りで帰つて来たのも、そこには何かの事情がなくてはならなかつた。嘉吉はそれを知つてゐた。

「まあお母さん、此の矢絣(やがすり)のきれが出て来たぢやないの……。」と彼女はぼろきれの(うち)からさもなつかしいものを見附けたやうに母親にかう云つた。

「あゝ、それはわしが此の間ひよつくら見附け出したから其所(そこ)に取つといたがな。」

「まあ、随分古いわねえ。(わたし)これを着てお天長節に学校へ行くのが楽しみで楽しみで、その楽しみつてなかつたのよ……。」彼女はなつかしげに云つた。

「古いもんぢやぞい。それはお前がまだ五つか六つ時分ぢやつたぞよ、(げん)をぢさんが東京へ行つた折になあ、土産に買うて来てお前にくれたのぢやが、お前にそれを着せるとお父さんの機嫌が悪うてな、其の時分はわしも丁度今のお前と同じやうな苦労が絶えなんだぞよ……。」と母親は目をしよぼしよぼさせて鼻をならした。

 母娘(おやこ)の話は其所(そこ)で何故かとぎれた。

 

   

 

 夜も十一時過ぎだつた。丸田はふと聞き馴れぬ人の話声に目をさました。もう皆は寝床に就てゐたが、彼女と老母だけはまだ起きて何やらしてゐた。

「夜船は気楽ぢやらうと思うたに却つて乗り手が多うてな……。」と客は話しながら有り合ひの物で出された膳で茶漬を掻き込んでゐた。沢庵をぽりぽり云はせて噛んでゐる音がをかしく聞えた。丸田は寝ながら障子越しに客の話す喉太い其の地声を聞いてゐるうちに、いつとはなく、ぼつてりと締りなく肥つた人の好ささうな男を想像に浮べてゐた。そして彼女の亭主が突然やつて来たのではないか知らと思つた。然し何となくその語調に重味のない所などが彼女の亭主としては物足らぬ感じもした。彼の目と耳はだんだん冴えて行つた。

「矢張りさうだ……。彼女が帰つて行く日も来た。(おそ)くも一両日のうちには一緒に帰るのだ……。」と彼は其の客が(やが)て寝に就く時になつて初めてそれと悟つた。此の時の彼の顔は全く蒲団の襟深く埋められてゐたけれど其の云ひやうのない表情は僅かに見えてゐる額にも読まれた。

 彼は彼女が行つてしまつた後の月日を早くも胸に描いて見た。すべては初めから分りきつてゐたのだ。それでゐて何かを望んでゐたのだといふ愚かしさを彼は今気づいた。

「俺はあまり彼女の好い所ばかりを見た……。何時行つてしまつても俺は何ともなく平気でゐられるやうに、いつそのこと厭な所を見て置く方がましだつた……。」とさへ、彼は今更思つた。心の許さぬ、望みのない思ひをいさぎよく棄てるに最も安全な途は(むし)ろ其の相手の欠陥に幻滅を起すことより他になかつたからである。

「一体どんな男だらう……。」と丸田は明朝になつて其の亭主なる男と必ず顔を合すことに今は幾分の好奇心を持ち得た。()しも自分よりは数等劣つた男であつた場合は何か新なる自信と満足とが自分に起りはしないであらうか、其の人が初めて自分を見てどういふ感じを持つであらうといふことまでも彼は想像した。或は既に姦夫であるかの如く思はれはしまいかとさへ心配した。更にまた、其の人が自分よりは数等立ち(まさ)つた男であつた場合をも考へて見た。寧ろ其の方が自分の愚かしい心持を微塵に粉砕してくれさうでいさぎよいとも思つた。

 かうした考へのうちに時計は二時を打つてしまつた。

 

 翌日は祭日で工場は休みだつた。彼が昨夜予想した通り、朝飯の時飯台で其の人と落ち合つた。彼の予想はかなり当つてゐた。亭主はまだ三十二三の肥つた一目見て好人物と(ほか)思はれぬ男だつた。そして誰の眼にも丸田以上に色白の美男だつた。眼は義眼(いれめ)のやうに大きく立派で、殊に顔ぢゆうでは其の鼻が最もみごとであつた。横顔などは丁度トランプの王様などに見るやうな、クラシックな美貌の線がなめらかに其の額へと上つてゐた。

 そして其の偉大なる6の字型の鼻の片側には、丸田をしていつぞやの乾葡萄を思ひ起させるやうな大きなイボがぶら下つてゐた。彼は一寸此の瞬間危く吹き出すところだつた。此の素的に偉大な鼻は約五秒置き位に自動車の警笛に似た発声と共に異様な震動を起すのであつた……。それが甚だしく耳に立つので傍なる彼女は心持顔を赤らめてゐるやうにも見えた。丸田もそれと知つて気の毒だつた。「妙な癖を持つてる人だな……。」と思つた。然しかうした癖が好人物らしい此の人になくてはならぬ附属物のやうでもあつた。

「あんた、此の方は丸田さんて方よ。兄さんと同じ工場に出てゐなさる方よ。」と彼女は良人に丸田を引き合せた。此の瞬間丸田は何となく妙な気持がした。既に彼女と道ならぬ関係でも出来てゐて、それを気取られまいとして彼女自身が思ひ切つてきつぱりとかう出てしまつた時のやうな一種の影がさした。それ故彼は一層叮嚀にさも敬意を持つかのやうにおじぎをした。

「あ、さうでごわすか。」と亭主は云つたきりだつた。さつさと食事をした。

「随分せつかちな飯の喰ひ方をする人だ……。矢張俺に好い感じを持たないな……。」と丸田は何処までも気になつた。さう思うて見るせゐか猶更先方の顔には変な気分がかすかに漂つてゐるやうだつた。然しどうしても善良な変人といふ以上の悪感を与へるものではなかつた。それに何故か、老母を初め弟妹達まで此の人には軽い侮蔑を持つてゐる様子が見え出してから丸田は堪へがたい気持になつた。然し嘉吉だけは此の妹婿をよく理解して心からもてなしてゐる風であつた。

「今日は好い天気だ、そこいらまで歩いて見ませうか。」と食後に嘉吉は云ふと客も直ぐそれに同意した。

「正坊もお父さんがつれて行つてやるからなう、母ちやんに足袋をはかして貰つてなう、帽子も冠つて……。」と亭主は子供に云つた。丸田も一緒に伴ふことになつた。子供は父親の肩車に乗せて貰つた。かうして練兵場の方までぶらぶら行つた。朝日は(くま)なく照つてゐた。嘉吉と妹婿とは歩きながら仕事の話をした。丸田は二人に遅れがちに歩いた。嘉吉はまるでそんなことには無頓着だつた。然し子供は父親の肩車の上から丸田を絶えず振り返つて見た。それが「何故をぢさんは坊やのお父さんと話しをしてくれないのだらう……。」と子供心にも気にかけてゐるやうに見える。

「発明な児だから、あれで何でもちやんと感づいてゐるのぢやないだらうか?」とさへ丸田は思つた。そして自分の心持をかくす為めに丸田は此の練兵場の隅々までも響くやうな指笛を鳴して見せた。子供は喜んだ。遠くの方から白犬が此方を目がけて飛んで来た––。

 三人は其所で暫く煙草を吸うてから軈て引き返した。

「正坊、父ちやんと二人今日一緒に()なうかの。」

「お母ちやんも去ぬの?」

「お母ちやんは来いでも()えから二人で去なうよ。」と父親は云つた。肩の子供は思案にあまつたやうに黙つて遠くの方を見詰めた。

「今日帰るんですか、二三日遊んで行つちやどうです。」と嘉吉は云つた。

「今仕事が忙しいもんだから、さうもしてをれませんよ。そのうちにあんたも一度……。」

 客は今日中に自分だけ帰る考へらしかつた。丸田はそれを聞いてあたりが急に晴れ晴れと見え出した。空も山も街の高い建物も、何もかもが矢張自分に味方をしてゐてくれたやうな気で始めてほつとした。彼女はなほ幾日か此のさきも丸田の生活の色彩として彼の物であつた。彼は自分のその気持を見透かされるやうな気まづさの裏に云ひやうのない幸福を感じながら、矢張先刻と同じやうに遅れがちに離れて歩いた。然し此の時彼はふと子供の寂しげな顔を見て胸を打たれた。それは今にも泣き出したげな悲しさうな顔だつた。

「折角来た父ちやんは誰れにも歓迎されずに、また一人で帰つて行つてしまふ。何故母ちやんは父ちやんと坊と一緒に帰らないのだらう?」と子供は今、小さい胸の疑問に悩んでゐるやうであつた。丸田は自分の幼ない頃味つた哀愁をさながらに示されるやうな心持になつた。

 客は其の日の午後、一人で帰つて行つた。

 然し土曜日に笑ふものは日曜日に泣くと––其の翌日は丸田にとつては非常に不祥な日だつた。朝工場へ行つて仕事にかかる間もなく彼は憲兵隊から呼ばれて行つた。一応宿へ帰つて仕事衣を着替へて、それから出頭した。受附の上等兵は彼の姓名を聞き取ると、待つ間もあらせず今一人の上等兵が早速彼を廊下の果ての留置場の方へ曳つぱつて行つた。監房の前には粗末なギコギコ鳴る腰掛が置いてあつた。上等兵はそれを指して「此所(ここ)で待つてをれ。」と云ひ捨てて行つてしまつた。彼は監房と向ひ合せに腰をかけてあたりを見廻した。昨日の今頃は空も山も街の高い建物も、何もかもが自分に味方をしてゐるやうにさへ彼には見えた。然し今日は目に入る周囲のすべての物象が彼に逆襲の鉾を向けてゐるかのやうに見える。今し方彼が通つて来た町の人車の響きまでが、彼を送るべき所へ送り込んだ後の極めてそつけないリズムを塀越しに伝へてゐた。彼は其所で二時間余も待たされた後隊長の面前に引き出された。呼出しの件は寄留地簡閲点呼参会願の手続きを怠つた為め本年度点呼不参者の一人としてであつた。

「官姓名を云へ。」と隊長はいきなり薄気味の悪い低音で云つてギロリと上目で睨んだ。

「陸軍輜重輸卒(しちようゆそつ)、丸田吉之助。」と彼は曲りなりにも軍隊式の姿勢で云つた。

「御勅諭の五個条を云つて見ろ。」

「一ツ軍人は忠節を尽すを本分とすべし。一ツ軍人は……。」

「それを云ふだけで役に立つか。(おまへ)は何故それを実行しない。何故実行しないかツ!」と隊長は云ひさま砕ける程テーブルを叩いて、続けさまに怒鳴り立てた。さすがに丸田は面喰つて其のまま後方へよろけた。隊長は一瞬間調子を柔らげたと思ふと、また限りなく怒鳴り続けた。丸田は顔色なかつた。そしてその時どうしたわけか、全くこれとは別問題である筈の、彼女に対する其の事までが根底からくつがへされてしまふやうな気がしてゐた。

「そればかりでない。人妻に対して汝は不埒(ふらち)な考へなどを持つてゐくさるぞ、此の不届者(ふとどきもの)……!」と隊長は事の(ついで)に其の事までも素つぱぬいて罵つてゐるやうな気がして、彼はすつかり恐縮してしまつた。(あたか)も点呼不参の忌避罪と姦通罪とを一緒に問はれてゐるやうな気持だつた。そして此の間ぢゆう彼女の姿が近く現はれたり、遠くなつて消えたりした。かうした場合の彼の男らしい態度と弁明の如何(いかん)によつて、彼女は親疎を決しようとしてゐるかのやうでもある。

 隊長の調子は(やが)て幾分やはらいだ。

「此の度は何とも、はい……実は此の土地を立ち去る考へでもございましたので……はい……それで寄留の手続も……はい……はい……余儀なく見合せましたやうなわけでございまして……はい……今度のところはどうか隊長殿のお情に……はい……。」と彼は事情を述べてひた詫びにお詫びをした。隊長はそれを一々書き取つた。かうして二時間余の後、取調べは終つて一先づ彼は返されることになつた。宿へ帰つた時はもう二時過ぎだつた。

「どうでしたの? ……」と彼女はいきなり彼に尋ねた。

「え、やつとすみました。何でもないことでした。」と彼は極めて無造作に云つた。

「それならよござんした。まあ随分お腹が()いたでせう。」と云ひながら彼女は膳ごしらへをする。老母は今し方紺屋まで行つたとかで、まるで彼の為めに作られたやうな場面だつた。

「あの時の俺のざまを若し此の人が見てでもゐたらどうだらう……。」と彼女の横顔を見ながら彼はさう思つた。すると隊長の顔が、飯を喰つてゐる彼の前へありありとまた浮び出して来た。丁度此の時である。

「丸田さん、あなたは何兵でしたの。」と彼女に問ひかけられたので、彼は一層まごついてしまつた。実は輜重輸卒と云ひたくも云へなかつたのだ。

「………………」

(わたし)、あなたの兵隊さんの姿が見たうござんすわねえ。あなた軍曹でして……、それとも伍長?」

「まあそこいらにしておいて下さい。」と彼はほくほくしながら云つた。

「あなたは何でも御自分の偉い所をかくしていらつしやるから、ほんとにうつかりものは云へませんわ。妾の良人(うち)のもあれで兵隊ですのよ。それこそお恥かしい兵隊ですの……。」

「どうもさうらしいと私も思ひましたよ。何兵でした。屹度(きつと)軍曹か何かでせう。」

「まあ、人が悪い。丸田さん、あんな豚々した軍曹があつたらそれこそ大変ですわ。あの人は輸卒ですのよ。それも補充輸卒のペイペイですの、ほゝゝゝ厭になつてしまひますわ妾……。」と彼女は笑つた。聞いてゐる輜重輸卒も耳の根つこまで赤くなるほどたまらなかつた。

「此の人は俺が輸卒だといふことを知つてるのか知ら……。」

 

   

 

 冬が来た。歳も暮れに近づいた。或る日彼女の良人の兄といふのが所用で大阪へ行つた帰りとかで立ち寄つた。四十前後の、顔の大体は先に来た弟とよく似てゐたが、然しずつと世智に引きしまつた顔で、何かと如才のない話振りを聞いてゐてもなるほど兄らしく思へた。老母を始め一家の者にとつては此の上もない客だつた。

「まあ、ようこそ兄さん……。」と彼女はいつの間にか髪を撫でつけて、心持顔を赤めながら客の前へ出て一通り挨拶をした後、あちらの様子など尋ねた。

「まあ来なさるたんびにこないな結構な物を……。」と老母は土産物を押し戴いて仏壇の前へ先づ飾つた。(やが)て弟妹達も学校から帰つて来て、そこに、お土産を沢山持つて来るをぢさんを見るより、直ぐに手をついて、行儀よくお辞儀をした。

「大けうなつたなあ。一寸見ぬ間に子供ちふものは見違へるやうになりますでなあ。」と客は二人の者を見くらべながら、もういつの間にか、そうつと銀貨を握らせてゐた。

「まあ、あんた……そないに一々やつて下さんすな……これ……。」と老母はそれと見て取つて仰山(ぎやうさん)(さへぎ)つても駄目だつた。

「さあ、どうぞ兄さん、何にもお口に合ふものがございませんで……。」と彼女は何時の間にか帯をしめ直して、くつきりと身じまひを見せながら客にお酌を始めた時はもう夕方だつた。

「これもなあ、あんた早ういなんにやならんちうて、そればかり云うとりますんぢやがの、わしがつい勝手にかう長う引き留めて婿にもすみませんわいの。許してくだんせ、年を取るちふと、もう眼がさつぱり薄らいで何一つ縫ふことは出来まへんでの。そんでもこれのお蔭でやつと片づきましたわい何もかも……。」と老母は娘のことに就て云ひ訳をした。

「なあに、あんた、そないに気つかふことはありませんよ。家にやまだ女共がをりますけ、少しも構やしまへん、どうせ暮れも近いけえ、年が明けてからでもゆつくり帰るが()うがすよ。情男(いろ)が出来たといふんぢやなしな、わつはゝゝ。」と客は駄洒落(だじやれ)に笑つた。此の時彼女も老母と共に高笑ひをした。客は更に爺さんの方へ向いて、いろいろと自分の新らたな計画などを話し出した。

「来年は工場を拡める積りでごわす。さうなつたら(いづ)れ嘉吉さんも此方をやめて来て貰はんにやなりますまい。われわれ兄弟仲間の力を借りて関西一の工場と云はれるやうにしたうごわすてなあお父さん。」

「まこと、さうでがすともな。」と隠居も云ふ。

「わしらの生きてる間に、しつかりやつてくだんせや。」と老母も横合から声を励まして、「嘉吉もなあ、どうぞあんたに引き立てて貰はんにや今のやうぢや一生涯頭は上りませんわいの。ぢやが、あれも御存じの通り難物(こまりもの)ですぞい。あの年になつても人様に御あいそする事も何も知らぬ世間見ずの一こくでなあ、行末が案じられますわいの、あんたでもどうかして物にしてやつて下さらんにや(とて)もが見込みは立ちませんや。」と老母は嘉吉のことをこぼして云つた。

「なんの、さう心配しなさらんが好うがす。あれでまた女房でも取るとがらりと変るもんですわい。」と客。

 かうして夜に入つた。嘉吉と丸田の二人も軈て工場から戻つて来た。嘉吉は木戸口を入る時、直ぐそれと感づいて、いつになく、仕事衣(しごとぎ)を先づ着替へて、それから座敷へ行つて一通りの挨拶を客にした。一つ二つ盃を取りやりしてゐたが、直ぐに台所の方へ来て丸田と一緒に食事にかかつた。

「われやまあ、こないな時には、さううろたへて飯を喰はんでも、あん()の相手をせいでどうならうに、少しや其の年になつたら(わきま)へさうなものぢやになあ……。」と老母は台所へやつて来て小声で嘉吉をたしなめた。

「だつて仕事から帰つて来て飯を喰はずにをれるもんぢやない。」と嘉吉は不興げに云つてガツガツ飯を喰つた。そして直ぐ何所(どこ)かへ出て行つてしまつた。

「丸田さん、あんた、御迷惑でもあちらへ来て、あれの相手をして下さんせ。酒のみは相手を一人でもほしがりますでな。嘉吉めにも困りますぞい。」と老母は丸田を座敷へ引つ張つて行つた。そして客に引き合せた。客は直ぐ打ちとけた風に丸田に盃をさした。

「失礼ですがお国はどちらでごわすか。」などと問ひかけた。

「九州です。」

「へえ、それはそれは御遠方な。まだ三十にやおなんなさるまいて、工場ぢやよほど()え給金を取つておいでぢやさうですが。」

「どうしまして、ほんの喰ふだけのものです。」

「私も以前は此所の造船場に弁当さげて通つたもんですわい。」と客は自分の現在を語りたげに云つた。

「然し只今では大層御成功のやうに(かね)て聞いて居ります。」丸田は客の喜びさうに話を持つて行つた。

「いえ、もう、お恥しいほど()つぽけな工場をやつとります。まあおかげ様で瓦斯(ガス)エンヂンだけは評判を取つとりますやうなわけで。」と客はだんだん自慢話に移つた。毎月五六台平均瓦斯エンヂンを作り上げること、それでも註文の間に合ひかねること、来年は工場を増築する計画のこと、自分が居ないと三分の一も仕事がさばけないことなどを客は語つた。

「僅か十二人の職工ですがわつしがをると仕事はよその倍出来ます。十二人と云つても職人は二人きりであとは皆年期小僧でごわす。わつしは(あく)まで自分で仕込んだ子飼の職人だけでやつて行かうてえ方針でごわす。それでないと本筋の仕事は出来ませんて。よく旅で(こま)つたから給金は幾らでも()いなんてのが泣きついて来ますがな、わつしの家ぢや渡り者は一切使はねえことにしとります。渡り者てえ奴あ始末におへませんでなあ。」

「渡り者といへば俺も渡り者だが……。」と丸田は此所(ここ)で一寸さう思つた。客はそんなことには少しも頓着なく語り続けた。

「いやもう工場を始めてから五年間といふものは小僧を仕込むに骨が折れました。今ぢや十人の小僧がみんな一ぱしの腕になりやして、まあ小僧の自慢を云ふんぢやごわせんが、ヘマな職人なんか足もとにも寄れねえんでごわす。小僧てえ奴あ仕事を覚え出すと上達は早うごわす。仕込方一つぢや三年目に七八十銭の職人にひけを取らねえだけの腕になりやす。今わつしの所にゐる一番弟子の徳てえのは来年兵隊検査でごわすが此奴(こいつ)は素晴らしい腕になりやした。仕上げだらうと旋盤だらうと、火作りだらうと、何をやらしても人以上のことをやりやす。わつしも此奴にや舌をまいとります。これの親爺はもと矢張り此所の造船場でわつしの組下にをりやして、百六番船の試運転の時に惨死(やら)れやしたもんで、十二の時からわつしが引き取つて仕込んだんでごわす。今兵隊に取られるなあ惜しうごわすが。これはお(かみ)のことで仕様がありませんや。」工場主はまるで人間の養牧でもやつてゐるやうに語るのだつた。

「なるほどおつしやる通り御自分で仕込んだ子飼ひの職人は使ふに骨が折れますまいし、それにそんな好い腕のお弟子が出来るのは結構なことですな。別に給金と云つては要らず、盆暮の仕着せ位ですむんでせうから……。」と丸田も云つた。丸田の目にはまだ見ぬS城下の河下の小鉄工場の姿が、ぽつと想像のレンズの中に浮んだ。見るもみじめなぼろぼろの油服を着て、時々此の親方にひつぱたかれながら()き使はれてゐる十五六の小僧の姿が浮んだ。日に三度のお粗末な飯と早く夜になつて寝ることより他に楽しみを持たぬ小僧等の身の上––或は九時十時まで夜業にぼひ使はれて、へとへとになつた小さい身体を工場の一隅の、鳩の巣のやうに出来てゐる吊り二階(これは丸田が昔小鉄工場の小僧であつた時分の記憶そのままの光景)に犬ころのやうに抱き合つて寝込む小僧等の可憐なさまがありありと目に浮んで来た。

 客は盃をほしてあらためて丸田にさした。

「もう私はいけません。思はず御相手を過ごしました。」と丸田は此の時辞退した。

「まあまあ、これはあらためてお近づきの盃でごわす。あんたも此所の工場が厭でしたら何時でもわつしの所にやつておいでなさらう。先刻(さつき)も申したやうに来年は旋盤も四五台殖やす積りでごわす。此所で取つてゐなさるだけの給金は、わつしの所でも差し上げますわい。」と客は云つた。

「いや。いろいろ御親切に……私共は矢張渡り者で、まことに……。」と丸田は頭を掻くやうにして云つた。然し云つてしまつてから妙に厭味に聞えたので客の目色を見ると、矢張何か感じたらしかつた。此の瞬間、自分が此の土地を離れて、若しも非常に窮迫して(やつ)れ果てた最後に此の人の工場へたよつて泣きつくやうなことになりはすまいかといふ厭な予感が彼を(おび)やかした。

 軈て客は子供達や彼女をつれて街へ出かけて行つた。老母も云はれるままにいつになく羽織などを引つかけて一緒に行つた。街の興行区は無数の電燈と瓦斯(ガス)の光に華やぎ、いろいろの絵看板が両側につらなつてゐた。目新らしい曲馬の見せ物の楽隊の囃子(はやし)が夜空に冴え渡つてゐた。人の潮がゆるやかに流れてゐた。

「まあ賑やかなこつちやなあ、わしらは目鼻ほどに近うても一年に一度も此所らにや来やせんがな……。」と老母は彼方(あつち)(まぶ)しさうに眺めた。

「大阪の道頓堀へ行くと、まだまだこれどころの騒ぎぢやありませんて、それはそれは大変な人出ですぞ。」と客は誇張して云つた。

「それはさうでせうてなあ……。」

 此の時彼女はつと客に寄り添うて「此所で子供と老母とを早く見せ物へ入れて、それから二人きりになりませうよ……。」といふ意味を簡短に囁いた。客は直ぐそれを承知した風だつた。すると今度は少し遅れがちに歩きながら「(わたし)、兄さんに買つて貰ひたいものがあるから、お母さんは子供達を入れて見せてやつて下さいな……。」と彼女は母に囁いた。

「あゝ、そんならさうしたら()えわいの。」と老母は直ぐ呑み込んだ。

「母ちやんも直ぐ来るから、お婆ちやんや姉ちやんとお馬の藝を見ておいで、ねえ好い子だから。」子供はすなほに聞いた。

 

 客や彼女達が街へ出て行つてから間もなく丸田もふらりと家を出た。嘉吉が宵の口に何処かへ出て行つてしまつて、帰りさうもないので家にゐるのが寂しかつた。でこれから、嘉吉がひよつとしたら行つてゐさうな二三の低級なバーを覗いて見て、若し其所(そこ)で見つかつたら自分も何か飲んで、それから一緒に帰つて寝る積りだつた。然し嘉吉の姿はそこらには見つからなかつた。他に見当がつかぬので、そのまま仕方なしに興行区の辺まで歩いて行つた。久しぶりに見せ物町を通ると、そこには彼が三年前戦地へやられる際、三日間滞在した佐世保の街で見た女剣舞や、手なし美人や、猿芝居などがかかつてゐた。彼は立ち止つてなつかしく眺めた。二度とは()ても見るやうなことはあるまい、と思つて、つい入つて見る気になつた。三年前の其の時の自分の心の有様などが此等の見せ物によつて回想された。丁度今しも手なし美人は(うる)はしい哀れげな声で御詠歌を唄つてゐた。そこらを歩いてゐる多くの人、中にゐる見物人の中の誰れよりも此の見せ物とゆかり多い一人の男が今ゆくりなくも立ち止つて聞きほれてゐるとは知らずに唄つてゐた。見せ物町を通り過ぎると、そこではいろいろの野師(やし)が巧妙な弁舌を転がしてゐた。歯薬売りの居合抜きや、人造金の指環売りや、暗記術速習の本を売る書生風の男や、それから薄暗い横町の電柱の陰では(つば)の垂れた帽子で目隠しをしたヴァヰオリン弾の唄売りなど、それぞれ人の渦を作つてゐるのであつた。なまなかに自由を慕ふ人間の運命の標本として冬の夜の月はその唄売等の姿を照してゐた。丸田は其所から左に折れて静かな通りに入つた。いつぞや呼び出された憲兵屯所の前を通つた。そして一丁あまりも行き過ぎた頃、彼はふと見ると五六間先の男女の人影に歩みを緩めなければならなかつた。マントを着た中折帽の男は今宵の客だつた。それに寄り添うて歩いてゐるのは彼女だつたのだ。丸田は此の時、一緒に家を出た老母や子供達の姿が其所に見えないのを直ぐ不審に思つた。

「まるで夫婦か何ぞのやうにして歩いてゐるぢやないか……。」と彼は思つた。此の瞬間ふと(いま)はしい考へが頭の中を(かけ)つた。そして其の考への閃光の中に彼女の良人の顔が、あの大きい鼻が、義眼のやうな眼がありありと浮び現はれた。彼は胸苦しかつた。其の胸苦しさは彼女の良人自身が経験しなければならぬ実感と、今一つは彼自身の堪へがたい幻滅の悲哀とを二重にしたものだつた。

「何を俺は早飲み込みしてゐるんだ……どうして今そんなことが云へる……。」と彼はあまりの苦しさに今度は自分を嘲笑つて見た。然し仮にも一度さう思ひ込んだ以上は、何かそれを(くつ)がへすだけの確乎とした反証を握り得ないまでは心の平静を見ることは出来さうもなかつた。

 彼は出来るだけ遠い距離を保ちながら二人の後をつけた。軈て博品館のある四角(よつかど)から二人の姿は右に折れた。彼は急に足を早めなければならなかつた。然し二人の姿は矢張り彼の視域内のものだつた。此の時彼女はちらと振り返つた。丸田はしまつたと思つた。然し安心した。先方は正しく後方(うしろ)を振り返つたのでなく横を向いただけらしかつたので。

 二人は遂にデパートメントストアに入つてしまつた。此所で彼は一頓挫を(きた)した。

「全体俺は二人の間に何かあることを確かめようとしてゐるのか、それとも、さうでないことを確かめようといふ気か……。」と丸田は此の時自分に尋ねるやうに呟いた。若し彼等二人の間に道ならぬことがあるとしても其の真相を掴むことは()ても今宵直には不可能のやうに思へて来た。何故なら或る程度までの二人の親しい振舞は家族関係といふ特殊な名目がそれを承認せしめ得るからであつた。如何に傍若無人に寄り添ひながら二人が歩いてゐたとしても、更にまた奥まつた小料理屋の玄関へ消えたにしても。

 かう思ふと最前からの自分の行動が全く徒労であつたことを気附かぬわけにゆかなかつた。

「二人は一緒に町を歩いてゐた……それからデパートメントストアに入つた……そこで彼女はショオルか半襟かを良人の兄に買つて貰つた。それからレストランヘ入つて何か喰つた……それがどうしていけないのだ。それがどうしたといふんだ……。」

 かうした事実は二人が家族関係である以上勝手である。何処まで追求しても真相を捕捉しがたいものだと思ふと、彼は馬鹿馬鹿しくなつてとつとと引き返した。それから、予て行きつけの今から二時間ばかり前に一寸覗いただけで入らなかつた其のバーに再び立ち寄つて熱いのを喉に通はせてから家へ帰つて寝た。

 

   

 

 翌朝(よくあさ)はいつもよりは薄霜だつた。此の朝に限つて老母が早起して朝餉(あさげ)の仕度をした。丸田は例に依つて嘉吉よりも早く眼をさました。実は昨夜はろくには眠れなかつたのだ。彼は云ひやうのない不快な、もの悲しい考へに(とら)はれぬいて、それから夜明前にほんの一眠りしただけであつた。

 昨夜彼がバーから帰つて見ると老母と子供達だけは先に帰つてもう寝てゐた。彼も直ぐ寝た。それから十二時打つてしばらく経つてから裏口の戸が静かに開いた。それが客と彼女だつた。二人は二階へ上つて行つた。益々何もかもが丸田の最初の邪想に当て嵌つてしまふやうな気がした。然し今朝起きて、顔を洗つて、それから円い飯台の前に坐ると老母はいつもの老母と少しも変りはなく、まるで家族同様に彼に対して「今日も工場で怪我過(けがあやま)ちのないやうに……。」といふ彼女の信心の習慣から、神仏の下り飯をいただかせて縁起のしるしをしたり、それから長いお祈りに耽るのであつた。彼は堪へがたい哀感と共にふと涙ぐましくなるのを覚えた。然し彼は自分の忌はしい想念を如何に打ち消さうとしても、もう及ばなかつた。其の日は終日生気のない顔をして仕事をしてゐた。昼飯の時はいつもの通り嘉吉と一緒に寄り合つた。然し彼の頭の中は此の二人とない信友に対して心すまぬ苦しみでいつぱいだつた。不確な自分勝手の速断の為めに二人の友情をまで汚すのは彼には忍びがたいことだつた。此の生一本(きいつぽん)の男は何処までも真清無垢(しんせいむく)として置かずにはすまなかつた。然し何よりも嘉吉の相変らずの男らしい元気な顔は寧ろ丸田の心持を圧倒するものがあつた。

「ねえおい、俺あ昨夜はあの本をステーションの待合室へ持つて行つて読んだ。夜ステーションヘ行つてゐると何だか遠い国へ行つてるやうな気持がして、そりや好い気持だ。昨夜読んだのは第三章だつたが、家へ帰つてからまた手帖へ写したよ、かう見ねえ、労働には他の貨物と同じく自然価格即ち一家の生活標準を以て労働者及び其の家族を維持するに必要なる価格あり……といふくだりだ。若し労働者の市場に於ける賃銀が自然価格以上に騰貴(とうき)せんか、一般労働者は生活程度の安易に依つて多数の家族を養育し得るに至り、(つひ)には労働者の数を増加し労働供給の過剰を招き、久しからずして賃銀の市場価格は下落し、結局自然価格はおろか、時には反動的現象としてそれ以下に下落すること()れにあらざるなり……。」

「全くこれに(ちげ)えねえ。」と嘉吉は読み終つて頻りに感心した。然し丸田はそれにさへ今日は気のりがしなかつた。

「それやさうとお前は何んで昨夜は家にゐなかつたんだい。」丸田は云つた。

「うん、俺ああの野郎の面を見るのが心底(しんそこ)嫌えなんだ。声を聞くのも虫が好かねえんだ。弟の方はさうでもねえけんど。」

「俺あ、あれからお前の代りを勤めて御馳走になつた。」

「それはすまなんだなあ、あいつの自慢話を聞かされちや誰れだつてたまりやしねえからな。」

「でも、あれまでやり上げたんだから偉い人さ。」と丸田は云つた。

 日暮れに二人が工場から帰ると客は今日の夕方立つたといふことであつた。

「お小夜(さよ)も波止場まで正坊を負ぶつて送りに行つてまだ戻らんがな。」と老母は嘉吉に云つた。丸田にとつては何となくはずみのない晩飯だつた。

「丸田さんによろしう云うてくれ云うて()にました。あんたはなかなか苦労人ぢやいうてほめとりましたぞな。」と老母は丸田を見て云つた。

「来年は工場を拡めるけえ、われにも来て貰ひたい云うていんだがな、いつまでも此のままでをるよりかさうする方が()えと思ふが、わりや、どういふ料見か知らんてな。」

 嘉吉は黙つてそれに返答しなかつた。食後の煙草を二三ぷく吸ひながら嘉吉の顔はだんだん気むづかしくなつて行つた。

「お()んたちは人に寄りすがつてゐさへすれば好えと思ふのが大間違ひよ。わしだつてあんた等を(かつ)ゑさしやせん積りで此の通り身体の続くだけ働いとるぢやないか……。」

「誰れもそれを云うとりやせんがな。われがよく働いとるのは知つとるがな、そんでもあん()がいろいろわし等一家のことを思うて云うてくれるけえ相談して見るのぢやがな。」

「わし等一家のことを思うて云ふのかどうか人の心が分るものか、今時そんな浅はかな考へでゐると大間違ひのもとさ。」

「そんならそれで好え。われの思ふ通りにするが好え。」と老母は急に口を尖らせて、「わりや妙にわしの云ふことには反対ばかりするが、どうしたのか。皆んなわれの身を思へばこそ云ふことぢやぞよ。今の有様ぢやわれも嫁を貰うても苦しまんにやなるまいがな。さうかと云うて其の年になつて独身でいつまでも居られもせまいが。親には親の考へがなうてはすまんけえ、いろいろと気をもんどるのに、われや何故わしがものを云ふと直ぐ意地になるぢやらう。さうわしをうるさがるなら、わしはもう何もわれにや云ふまいて、これからは何も云ふこつちやないぞよ。われが思ふ通りにするが好え、さうするが好え、わしがうるさいなら世話にならいでも、どうでも()えけ、勝手にしろ、此の親不孝者!」

 老母は泣き声になつてなほ云ひ続けた。「長次郎さへ生きてゐてくれたら何も云ふことはないぞよ。同じ兄弟でもわれやどうしてさう頑固ぢやらう。昨夜もあん()が久しぶりに来たものをろくに相手にもならいで、飯を喰うて直ぐ出てうせたぢやないか、義理知らずが、なんぼ人の力にすがらんちうても、われや此の世がそれで渡れると思ふか、今に思ひつかうぞい、今に……。」老母は声を顫はしてわめき立てた。老父は黙つて火鉢の傍で聞いてゐた。子供達はいつになく大変な事が持ち上つたといふ面持で暗い三畳の隅つこに小さくうづくまつて老母の様子を見まもつた。丸田は唯もう老母をなだめるより他に方法を知らなかつた。すると、軈て嘉吉は立ち上つて例の本を懐にねぢ込んで、ふいと何処かへ出て行つてしまつた。多分またステーションの待合室へでも行つたのだと丸田は思つた。そこには暖かいストーブがあり、そして果て知れず遠い、自由な明るい国に行かれさうな気分が常になつかしく漂うてゐたから。

 

(大正七年七月「中外」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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宮地 嘉六

ミヤヂ カロク
みやぢ かろく 小説家 1884・6・11~1958・5・18 佐賀市唐人町に生まれる。小学校を中退し、早大で聴講している。洋裁店の小僧から佐世保の海軍工廠に勤め日露戦争に補充兵として従軍もした。呉工廠でのストライキに加わり四ヶ月も広島監獄に拘禁もされた。旋盤工になる気で上京したものの官憲の妨害ではたせず、堺枯川の世話で編集雑務をしながら執筆。

1918(大正7)年「中外」7月号に初出のこの掲載作は、プロレタリア文学前史に属する先駆的秀作として文学史に名を刻んだ。本格の労働者文学であり、文学作品の格調をしっかりもっている。労働者作家が作家として社会的に認知されだした、宮島資夫とともに、1番2番バッターであった。

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