第四階級の文學
去年(大正十年 1921)の暮れにロシヤ飢饉救済会の為めに大阪へ行つて、私達が行く両三日前に出獄した荒畑寒村君と会つた時のことであつた。それは
その時、
「僕は昨夜出獄した奥村から話を聞いた時、涙が流れるほど残念でたまらなかつた事がある。その話を聞いたら、いかに今日の警察と言うものは乱暴で、無茶なものかと言うことが、誰れにも分るだろうと思う」と言つた荒畑君は、またいかにも口惜し相に唇をビリビリと慄わした。
「それは僕が昨夜奥村から聞いた話なのだが、こうなのだ、此の夏京都で友愛会の演説会があつた時に、奥村も弁士の一人として出席していた。そして彼は控え室で次に話すべき演説の草稿を作つていたが、ふと演壇の方が騒がしくなつたので、何事が起つたのかと駆けつけて覗いてみると、其処はもう例の通り國粋会の人間達に占領されて、彼等は時を得顔に暴力を振つていた。ところが奥村がふと覗いた顔を國粋会の者が見付けると、あ、彼奴が悪いんだと、その中の誰かが云い出したので、演壇からはまたドヤドヤと奥村の方に押し寄せて来た。奥村は危險が自分の身に迫まつて来たのを知ると、いち早く身をひるがえして逃げ出したが、丁度演壇の裏手に警官の一隊が整列していたので、彼等の間に身を投じさえすれば、國粋会といえども暴行をする事は出来まいと思つて、彼はその巡査の列の中に馳け込んだ。
目の前に落ちて来た二人を見るや、また撲る蹴るの惨劇が演じられた。奥村は自分を救おうとしてくれた人が、何時自分の傍から離れてしまつたのかも知らなかつた。唯、彼が漸く折り重なる人を押しのけて、フラフラと立ち上つた時、彼の目の前にはまた鬼のような相好をした男が立つていた。そして「國粋会の竹を覺えとけ」と言いながら、その男は矢庭に奥村の顔をめがけて突いて来た。奥村もその時はもうどうなることか分らない、どうでもなれと言うような気になつて、彼も柔道は二段ほど取れる腕なので、いきなり其男に逆に突きを入れたので、竹はヨロヨロとして倒れてしまつた。
その有様を見ると、周囲の者は、また奥村に押し寄せて来て、再び打ち倒して、撲る、蹴るの蛮行は繰り返された。やがて彼は宙に浮くばかりに兩腕をねじ上げられて、別室に引かれて行つた。その時彼は、其処で自分を救つてくれた仲間が、兩腕は後ろに堅くくゝられた上に、首に
奥村はそれを見ると、全身の血が一時に逆流したような衝動を感じた。その瞬間、彼は生命も何も要らなくなつた。そして「オイ、X、これはなんという有様だ」というが早いか、彼は自分の口にたまつた血潮をパッとその警部の真白な夏服に吐きかけた。流石のXもこれには幾分気が引けたとみえて、部下に命じてその男を下させると同時に、彼自身は何処かへ消えてしまつた。
やがて奥村とその男は町の医者を呼ばせて診断書を取ろうとしたが、それも結局無駄であつた。そしてその深い傷が幾分か癒えるまで、警察の留置場で不自由な苦痛を忍ばねばならなかつたのだ。
「僕はこの話を間いた時、残念でたまらなかつた。それに今は出獄したてで、亢奮の度も激しいせいか知れないが、昨夜はとうとう眠ることも出来なかつた」と言つて、荒畑君はまた目をしばたゝいた。彼の顔には遣る瀬ない無念の情が
私は今第四階級の文学に就いて何か書けと頼まれた機会に於て、第四階級の文学がその本質が何であるか、如何にして発生したか今後如何に発達するかと云うような事を抽象的に論ずる前に、この具体的事実を読者の前に提出したくなつた。そして之れは私が、荒畑君から聞いた通り、いさゝかの文飾も誇張もせずして、事実を事実として報道した丈けの事である。
今日まで第四階級の人々は、長いあいだ、疾病と暗黒と無知の生活を余儀なくせられる貧困の生活を、人生のどん底に繰り返して送るべき運命を余儀なくせられて来た。そして彼等は、彼等がかゝる悲惨な生活を送るべく、特に何等か異つた運命を担つて生れ出て来た如く、或いは宿命論に、或いは何物も與えられなかつた彼等が何事も知り得なかつたのを生れながら斯の如く劣つた素質を有する者かのように
一度び此の事実に目覚めて来た時に、彼等は今までの自己の生活が、如何に少数者の手に奪われていたか、そしてまた自己自身は、人としての生活を一生を通じて生活し得ざる運命の下に置かれてあつたかを痛感した。
今日にあつてまだ
奥村君の如きもまた単に之れだけの要求を持つ運動をしたに過ぎない。
労資両階級の
杉森孝次郎氏は新年号の「改造」に発表した文章の中に、──武力的直接行動は、防衛のある(恐らく或るの意味と思う)場合の可能的必要方法としてのみ是認せらるべきだ。と云つている。今日の労働階級にある人間が、日々刻々に、その生命を搾取され、その生活意識の全部を奪われていると云うことは、私に云わせれば、間接に殺人せられていると云う事だ。──阿部次郎よ、この理屈が判らなかつたら、資本論解説の一冊も読むが好い、──自己の生命を奪われ、なしくずしに人殺しの憂目に逢いつゝある時に、自分は殺される事が厭であるから、自分は自分の生活を生活したいと云う要求を社会に提出した時に、更に與えられるものは鐡拳と牢獄と失職とである事を判然と意識せられた時、彼等のあるものが斯るなしくずしの殺人と、圧迫と苦痛の下に日々を送るより
第四階級文学の発生地である今日の第四階級者の生活は悲惨であり暗黒であり、そして彼等がその苦しき境地から一歩を踏み出そうとすれば斯くの如き圧迫と苦痛が直ちに襲いかかつてくる。然し乍ら彼等は、彼等のその生活のため理想の為めに障害であり、悪であるその対立階級の除去と、そして又た、自己自身の誤つた生活を改善せんが為めに、その全力を尽している。こゝに生れた文学もまたこの彼の悪と自己の悪とを除去し改善する為めに全力を尽して進む文学でなければならない。
有島武郎氏の「宣言一つ」と云う文章が、此の新年の論壇には大分間題になつたようである。そして之れを論じた廣津君も中村君も共に藝術は階級闘争以外に超然としたものであると云うように云つている。藝術と云うものが
然しながら今日の第四階級の生活は苦痛と悲惨に満ちている。そこに生れた文藝も、薄暗く悽愴の気に満ちて行くであろう。現に我々は友人の多くを牢獄に持ち、私の如きは殊に親しかつた友人の行方を今は失つている。悲哀も憤激もこゝから常に生れて来る。藝術としてどうのこうのと云う余裕も恐らくだんだん失つてくるであろう。
新年(大正十一年 1922)になつてから現われた感想の中で上司小劍氏の意見には、私は最も賛成する。然し氏があの意見を有しつゝあゝして納つている態度はよく判らない。今日の多くの文学者は、労働運動に対して、相当に理解と同情を有つていると口にする。然も彼等は何にもしない。之れがその生命に忠実な
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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