わがひとに与ふる哀歌
晴れた日に
とき
老いた私の母が
強ひられて故郷に帰つて行つたと
私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ
誰もがその願ふところに
住むことが許されるのでない
遠いお前の書簡は
しばらくお前は千曲川の上流に
行きついて
四月の終るとき
取り巻いた山々やその村里の道にさへ
一
なほ日光の中に残り
五月を待つて
桜は咲き 裏には
と言つて寄越した
愛されるためには
お前はしかし命ぜられてある
われわれは共に幼くて居た故郷で
四月にははや
又キラキラとする太陽と
到底まつ青な果実しかのぞまれぬ
変種の林檎畑を植ゑたこと!
私は言ひあてることが出来る
命ぜられてある人 私の放浪する半身
いつたい其処で
お前の懸命に信じまいとしてゐることの
何であるかを
曠野の歌
わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ!
消さずあれ
息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
ひと知れぬ泉をすぎ
隠れたる場しよを過ぎ
われの
近づく日わが
この
あゝかくてわが
高貴なる
木の実照り 泉はわらひ……
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!
私は強ひられる――
私は強ひられる この目が見る野や
雲や林間に
昔の私の恋人を歩ますることを
そして死んだ父よ 空中の何処で
噴き上げられる泉の水は
区別された一滴になるのか
私と一緒に眺めよ
孤高な思索を私に伝へた人!
草食動物がするかの楽しさうな食事を
氷れる谷間
おのれ身悶え手を揚げて
遠い海波の
樹上の鳥は撃ちころされ
神秘めく
きりない歌をなほも
憂愁に気位高く 氷り易く
一瞬に氷る谷間
脆い夏は響き去り……
にほひを途方にまごつかす
(かくも気儘に!)
幽暗の底の縞目よ
わが 小児の
この歩行は心地よし
逃げ後れつつ逆しまに
氷りし魚のうす青い
きんきんとした
痛し!
新世界のキィノー
朝鮮へ東京から転勤の途中
旧友が私の町に
私をこめて同窓が三人この町にゐる
私が彼の電話をうけとつたのは
私のまはし者どもが新世界でやつてゐる
キィノーでであつた
私は養家に
さがし出すと それに送宴の手筈を書き
他の二人に通知した
私ら四人が集ることになつたホテルに
其の日私は一ばん先に行つた
テラスは扇風機は止つてゐたが凉しかつた。
噴水の所に 外から忍びこんだ子供らが
ゴム製の魚を
私の腹案の水面に浮べた
「
旧友が言ひ出したのを まるきり耳に入らないふりで
異常に私はせき込んで彼と朝鮮の話を始めた
私は 私も交へて四人が
だんだん愉快になつてゆくのを見た
(新世界で キィノーを一つも信じずに入場<はい>つて
きた人達でさへ 私の命じておいた暗さに
どんなにいらいらと 慣れようとして
目をこすることだらう!)
高等学校の時のやうに歌つたり笑つたりした
そして しまひにはボーイの面前で
高々とプロジット! をやつた
独りホテルに残つた旧友は 彼の方が
友情のきつかけにいつもなくてはならぬ
あの朝鮮の役目をしたことを 激しく後悔した
二人の同窓は めいめいの家の方へ
わざとしばらくは徒歩でゆきながら
旧友を憐むことで久しぶりに元気になるのを感じた
田舎道にて
日光はいやに透明に
おれの行く田舎道のうへにふる
そして 自然がぐるりに
おれにてんで見覚えの無いのはなぜだらう
死んだ
ずつとおれより賑やかなのだ
でないと おれの胸がこんなに
真鍮の籠のやうなのはなぜだらう
おれの
そして おれの冒険ののち
名前ない体験のなり
真昼の休息
木柵の蔭に眠れる
牧人は深き
太陽の追ふにまかせて
われもまたかくて坐れり
二番花乏しく咲ける窓辺に
牧人はねむり覚まし
約束の道へ去りぬ……
二番花乏しく咲ける窓辺に
われはなほかくて坐れり
帰郷者
自然は限りなく美しく永久に住民は
貧窮してゐた
幾度もいくども烈しくくり返し
岩礁にぶちつかつた
波がちり散りに泡沫になつて
各自ぶつぶつと呟くのを
私は海岸で眺めたことがある
絶えず此処で私が見た帰郷者たちは
その不思議に一様な独言は私に同感的でなく
非常に常識的にきこえた
(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
どうして(いまは)だらう!
美しい故郷は
それが彼らの実に空しい宿題であることを
無数な古来の詩の讃美が証明する
曾てこの自然の中で
それと同じく美しく住民が生きたと
私は信じ得ない
ただ多くの不平と辛苦ののちに
晏如として彼らの皆が
あそ
私を慰めいくらか幸福にしたのである。
同 反歌
田舎を逃げた私が 都会よ
どうしてお前に敢て安んじよう
詩作を覚えた私が 行為よ
どうしてお前に憧れないことがあらう
冷めたい場所で
私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ
海水浴
この夏は殊に暑い 町中が海岸に集つてゐる
町立の無料脱衣所のへんはいつも一ぱいだ
そして悪戯ずきな青年団員が
町にはしかし海水浴をしない部類がある
その連中の間には 私をゆるすまいとする
成心のある噂がおこなはれる
(有力な詩人はみなこの町を見捨てた)と
わがひとに与ふる哀歌
太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讃歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何にならう
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
静かなクセニエ(わが友の独白)
私の切り離された行動に、書かうと思へば誰でもクセニエを書くことが出来る。又その慾望を持つものだ。私が真面目であればある程に。
と言つて、たれかれの私に寄するクセニエに、一向私は恐れない。私も同様、その気なら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが出来るから。
しかし安穏を私は愛するので、その片よつた力で衆愚を
そこでたつた一つ方法が私に残る。それは自分で自分にクセニエを寄することである。
私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さうすることで、彼らの風上に立つのである。悪口を言つた人間に慇懃にすることは、
しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決して粗野な彼らの言葉を、その儘には受領しない。いかにも私の丈に合ふやうに、却つて、それで瀟洒に見える様、それを裁ち直すのだ。
あゝ! かうして私は静かなクセニエを書かねばならぬ!
咏 唱
この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと来ないだらう
そして蒼空は
明日も明けるだらう
四月の風
私は窓のところに坐つて
私は思ひ出す いろんな地方の町々で
私が
真実彼らは孤児ではないのだつたが
孤児!と自身に
この上なく自由にされた気になつて
おもひ切り
ひねくれた誹謗と歓び!
また急に悲しくなり
おもひつきの善行でうつとりした
四月の風は吹いてゐる ちやうどそれ等の
昔の中学生の調子で
それは大きな
自分の途中に安心し
到る処の道の上で悪戯をしてゐる
帯ほどな輝く瀬になつて
逆に
一散に走る部分は
老いすぎた私をからかふ
多くの家族の
又ある部分は
見せかけだと私にはひがまれる
甘いサ
そんなに誘ひをかけ
あるものには未だ若かすぎる
私をこんなに意地張らすがよい
それで も一つの絆を
そのうち私に探し出させて呉れるのならば
即 興
……真実いふと 私は詩句など要らぬのです
また書くこともないのです
不思議に海は
新月は空にゐます
日日は静かに流れ去り 静かすぎます
後悔も憧憬もいまは私におかまひなしに
奇妙に
独り歩きをしてゐるのです
秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る
匂ひのいい朝風は
レース雲もいらない
霧がためらつてゐるので
栗の矮林を宿にした
秧鶏はね酒にして呑んでしまふ
波のとほい 白つぽい湖辺で
そ
道づれになるのを秧鶏は好かない
強ひるやうに哀れげな昔
ちぐはぐな合槌できくのは骨折れるので
まもなく秧鶏は僕の庭にくるだらう
そして この伝記作者を残して
来るときのやうに去るだらう
咏 唱
秋のほの明い一隅に私はすぎなく
なつた
充溢であつた日のやうに
私の中に 私の憩ひに
朝顔は咲くことは出来なく
なつた
有明海の思ひ出
馬車は遠く光のなかを駆け去り
私はひとり岸辺に残る
わたしは既におそく
天の彼方に
海波は最後の一滴まで
沈黙な合唱をかし
月光の窓の恋人
無限な泥海の輝き返るなかを
縫ひながら
私の岸に辿りつくよすがはない
それらの気配にならぬ歌の
うち顫ひちらちらとする
緑の島のあたりに
遥かにわたしは目を放つ
夢みつつ
如何にしばしば少年等は
各自の小さい
あゝ わが祖父の物語!
泥海ふかく溺れた児らは
透明に 透明に
無数なしやつぱに化身をしたと
*註 有明海沿の少年らは、小さい板にのり、八月の限りない干潟を蹴
つて遠く滑る。しやつぱは、泥海の底に孔をうがち棲む透明な一種の蝦。
(読人不知)
深い山林に退いて
多くの旧い秋らに交つてゐる
今年の秋を
見分けるのに骨が折れる
かの微笑のひとを呼ばむ
………………………………………………
………………………………………………
われ 烈しき森に切に
日の了る明るき断崖のうへに出でぬ
静寂はそのよき時を念じ
海原に絶ゆるなき波涛の花を咲かせたり
あゝ 黙想の後の歌はあらじ
われこの魑魅の白き穂浪踏み
夕月におほ海の
かの味気なき微笑のひとを呼ばむ
病院の患者の歌
あの大へん見はらしのきいた 山腹にある
友人の
自分の肺病を癒さうとしたのは私の不明であつた
友人といふものは あれは 私の生きてゐる亡父だ
あそこには計画だけがあつて
訓練が欠けてゐた
今度の 私の入つた町なかの病院に
来て見給へ
深遠な書物の
景色を自分で截り取る苦労が
だいいち 私にはまぬかれる
そして きまつた散歩時間がある
狭い中庭に コースが一目でわかる様
稲妻やいろいろな平仮名やの形になつてゐる
思ひがけず接近する彎曲路で
他の患者と微笑を交はすのは
その散歩時間の始めと終りを
病院は患者に知らせる仕掛として――振鈴などの代りに
俳優のやうにうまくしつけた犬を鳴かせる
そして私達は小気味よく知つてゐる
(僕らはあの犬のために散歩に出てやる)と
あんなに執念く私の睡眠の邪魔をした
時計は この病院にはないのかつて?
あるよ あるにはあるが 使用法がまるで違ふ
私は
その十二個のどの島にでも
随時ずゐ意に上陸出来るやうになつてゐる
行つて お前のその憂愁の深さのほどに
大いなる鶴夜のみ空を
あるひはわが
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ
はや後悔の
魔王死に絶えし森の
遥かなる
群るる童子らはうち囃して
わがひとのかなしき声をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし
河辺の歌
私は河辺に
(ふたたび私は帰つて来た)
曾ていくどもしたこのポーズを
肩にさやる雑草よ
昔馴染の 意味深長な
と嗤ふなら
多分お前はま違つてゐる
永い不在の歳月の後に
私は再び帰つて来た
ちよつとも傷つけられも
また豊富にもされないで
悔恨にずつと遠く
ザハザハと河は流れる
私に残つた時間の本性!
孤独の正確さ
その精密な計算で
はやも自身をほろぼし始める
野朝顔の一輪を
私はみつける
かうして此処にね転ぶと
雲の去来の何とをかしい程だ
私の空をとり囲み
それぞれに天体の名前を
山々の相も変らぬ戯れよ
噴泉の怠惰のやうな
翼を
けれど少年時の
飛行の夢に
私は決して見捨てられは
しなかつたのだ
漂 泊
底深き海藻のなほ 日光に震ひ
その葉とくるごとく
おのづと
見知られぬ入海にわれ浮くとさとりぬ
あゝ 幾歳を経たりけむ
高まり 沈む波の揺籃
懼れと倨傲とぞ永く
その歌もてわれを眠らしめし
われは見ず
この御空の青に堪へたる鳥を
魚族追ふ
め覚めたるわれを遮りて
あゝ われ等さまたげられず 遠つ人!
島びとが群れ漕ぐ舟ぞ
――いま 入海の奧の岩間は
孤独者の
と告げたる
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ
耀かしかつた短い日のことを
ひとびとは歌ふ
ひとびとの思ひ出の
それらの日は
いい時と場所とをえらんだのだ
ただ一つの沼が世界ぢゆうにひろごり
ひとの目を
それでちつぽけですんだのだ
私はうたはない
短かかつた耀かしい日のことを
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ
鴬 (一老人の詩)
(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう
――幼かつた遠い昔 私の友が
或る深い山の
私は稀にその家を訪うた
すると 彼は山懐に向つて
奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし
きつと一羽の鴬を誘つた
そして忘れ難いその美しい鳴き声で
私をもてなすのが常であつた
然し まもなく彼は医学校に入るために
山の家は見捨てられた
それからずつと――半世紀もの後に
私共は半白の人になつて
今は町医者の彼の診療所で
再会した
私はなほも覚えてゐた
あの鴬のことを彼に問うた
彼は微笑しながら
特別にはそれを思ひ出せないと答へた
それは多分
遠く消え去つた彼の幼時が
もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や
地虫や いろんな種類の家畜や
数へ切れない植物・気候のなかに
過ぎたからであつた
そしてあの鴬もまた
他のすべてと同じ程度に
多分 彼の日日であつたのだらう
しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために
書きとめた
(読人不知)
水の上の影を食べ
花の匂ひにうつりながら
コンサートにきりがない
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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