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末那(まな)

かかかか、ああ唖唖烏呼、呵呵、呵呵、天命已むなし鴉もわれも 『迦棲羅』

 

庭先のにはたづみより一雫の光を(はし)(つぐみ)とびたつ

 

漆黒の切込みふかき翼もて鴉は昼の太陽かくす

 

俄雨夕べの笹生に音たてぬ夏の言葉は短きがよし

 

いつ知らず沼に閉じ込められし水幾世も月の通りすぎたり

 

夜の空を速やかに進む細き月いづれの窓を飾らむとする

 

白猫の闇にみひらく目の奥に来し方の謎みどりにひかる

 

忘れゐし火薬の匂ひに花火爆ぜて束の間有情無情を照らす

 

瞬きのひまを惜しみて見しものは花火の闇に消えゆく時間

 

縁台に涼めるわれの裏側を照らせるならむ全円の月

 

花時の過ぎし黒百合の群落に差す日の影の定まり難し

 

長く住みし家を(さか)りて夫と仰ぐ空に二重の虹のたちたり

 

今生のいのち垂直にたたしめむ水引草の花おとろへて

 

これの世のくれなゐの色ことごとく雲に集まり夕日傾く

 

クレオパトラ、アントワネットはた楊貴妃四十歳を越えられざりき

 

垂直の意志ひえびえと立ち並ぶ竹の林の朝の明るさ

 

竹林に黒き小さき椅子を置くあまたの別れ重ねきたりて

 

逆しまに吊らるる薔薇よりくれなゐの気体しづかにたちのぼりゆく

 

ゆるやかな秩序をもちて暗みゆく何処ともなく水の音する

 

透明なる定規をあててひき直す星とわれとを結ぶ直線

 

新しき物語せむ彗星を追ひつづけたるまなこ洗ひて

 

牛小屋にみじろぐ牛の黒き尾が午後のけだるき時間をたたく

 

わが家に近き稲田の平家螢あひ呼ぶこの夜月曇りたり

 

灯の点る街にさまざま立つ音を抑へて大き月のぼりゆく

 

野の鳥のまなこしづかに閉じさせて夕日を空の外に送りぬ

 

種のなき西瓜の油彩見てしより夏はみるみる遠ざかりたり

 

人間の孤独を上へ積み上げて成りたるものを塔と思はむ

 

時ながくさはに花咲く耶悉茖(じゃすみん)の鉢より匂ふ異教の祈り

 

天に届け地にも響けと樹の上の青松虫の渾身のこゑ

 

ひた走るくれなゐの帆の捕へたる風は脹らみ光りてやまず

 

大空の次第に(から)になりてゆく日暮れの庭の鶏頭あかし

 

この谷にいかなる掟あるならむ風ゆるやかに闇を導く

 

盛んなる夏を誰にも譲らずに向日葵の花生垣をぬく

 

夜の空の中心は此処くれなゐの叫びはじけて花火かがやく

 

山百合のあをき蕾を鍵として高原の霧ひらかれてゆく

 

羽根にたたむ光しづかにほどきつつ白き孔雀はおもむろに覚む

 

迷走のはじめはメロンの網目にて野を吹く風の行く方知れず

 

なめらかに月が軌道をゆかむため窓の硝子を拭き清めたり

 

いびつなる円ゆゑ親し耳の折れし兎を抱きて空渡る月

 

呼びかくるいとまもあらず薄青き風を束ねて少女駆けゆく

 

秋の日を虜としたる公孫樹未完の歌をあかるく照らせ

 

途方もなき願ひのごとき紺青の空をゆるりと鳶のめぐれる

 

連なりて風に吹かるる雁来紅があなたの眼鏡に火をつけてゐる

 

浮く雲に夕日の光かかるとき人に聞えぬ音たつならむ

 

すぎてゆく時に句点をうつごとし闇夜のおくの涓滴の音

 

垂直に落ちくる瀧のみなもとは藍湧きやまぬ空とし思ふ

 

寂しさに耐へてみひらく眼に似たる沼に雑木の影濃く写る

 

釘を打つ調子微妙に異なりて屋根の上なる二人の会話

 

睡蓮の鉢に月影とぢこむる薄ら氷の面たひらかならぬ

 

金星蝕はじまりたれば観音のまなこ大きくみひらかれたり

 

ストールを押さえて歩むわが影は地の凹凸に逆らはず沿ふ

 

虹に添ひ虹のたちたり夜ばなしの茶事は明日(あした)と母の伝へ来

 

手をのべて焚火にあたる人の背は人のかたちの暗闇を負ふ

 

風吹ける池のおもてに後戻りならぬ水輪が水輪を押せり

 

まぼろしのたつ暗闇のあることをかりそめならず救ひとなさむ

 

大空へ鳥の還りし空白に死は垂直に降りてきたれり

 

まぼろしの飛ぶかと見れば翻り鷺はきりりと水に足刺す

 

傘の柄を握るわが手に伝ひくる雨の力の急に強まる

 

天と地のかなしみの息あふときに雨は烈しく降り出でにけり

 

瞑らざるまなこと思ふ小さき沼暗きみどりの水の動かず

 

野の道を人すぎゆけり大空に吊らるる的に似たる黄の月

 

夕暮に木を削ぐ刃物の音きこゆ夫は静かに雷神を彫る

 

わが前を時の逃るる合図かも時計の振子きらりと光る

 

掌に雪を握りぬしたたりて鳥の涙のごとき雫

 

わが魂を煽りて吹ける風が好き焚き火の炎磨ぐ風もまた

 

暗闇に白木蓮の花びら拾ふわが解き難き言葉のごとく

 

木蓮のはなしろしろと極まりて惑へるわれを空へ導く

 

手にとれば四肢かたかたと頼りなきマリオネットを再び吊す

 

甕に挿すま白き菊に目に見えぬ雪が絶え間もあらず降りくる

 

直線に空を射貫きてとぶ鳥の嘴いかに熱くあらむか

 

暗闇はうすくれなゐにうつりゆき地球の自転といふはかそけき

 

山かげの岩根に出づる水を飲むこの夜の夢にも水の匂はむ

 

一碗の水にうるほひかるがると透く魂となりたきものを

 

魂の乗るにほどよき雲ならむ桜のうへの白きひとひら

 

ある時は人に還れぬ危ふさのあらむか子らの隠れん坊の鬼

 

観覧車静かに止まれ青空に汲みたる夢の毀れぬやうに

 

鞦韆にさしくる光かきわけて地球にはつか離れて遊ぶ

 

打ちあがる花火の速度うつし世を逃れむほどに速くはあらぬ 『多羅葉樹』

 

打ちあげし花火煌らにひらかせて地上に手繰る地の底の神

 

わが声がわれのかたちの影ひきて広き野原をゆくと思へり

 

滑りあひ散る芍薬の花びらのあはひかすかに匂ふ風たつ

 

ビー玉を手にのせてゐつ青色の心湛へてありし日かへる

 

揺るるともあらぬ桜木数知れぬ花の花心をまともに仰ぐ

 

尋ぬるに行く方もなし昨夜(よべ)の夢あしたの夢に散る桜花

 

われと影とのあはひに揺るる稀きもの月の光にいよいようすし

 

覚めてゐてひとり笑へり狂ひたる心少しく持つは楽しき

 

いささかの狂気を愛すうつしみのわれに許せし我儘として

 

覚めながら覚めざる一部もつわれは夢から夢へたやすく眠る

 

指先にうけたる月の光にて作れる鶴を空に放てり

 

わが歩む道に見えざる細道が仄かに(あか)く添ひつつあらむ

 

はからずも鳥の落とせし涙かも額にあつく溶くる雪片

 

喉に棲む佛に触れて出でてくる言葉にあればわが母の言ふ

 

今日の日に瞠くまなこ定めむと母はあしたの鏡をひらく

 

明けぐれの空に溶けゐし紫が葡萄の粒にもどりつつあらむ

 

神神は酔ふための酒(かも)さむに紫の色葡萄に()びぬ

 

少女子の噛みて醸せし葡萄の酒よ古代はをみなに明るかりしか

 

薄ものを纏ひてあゆむ昏れがたを空と葡萄に紫は凝る

 

死者よりも寂しくあらむ永劫に賽の河原に石崩す鬼

 

石崩す役目の鬼よためらふな崩さねば積む石のなければ

 

くらがりに動く臓器を司るものはなにかとゆくりなく思ふ

 

ふるふると逃げゆくやうなわが影を淡くやうやく足裏につなぐ

 

エレベーターに寄りあふしばし肩触れて人と人とはかるく許せり

 

地下街の雑踏のあひ人びとに揉まれて土の神はゐるかも

 

世を懸けて借りると思ふししむらをとどめもあへぬ湯に浸しをり

 

純白に磨ぎし意志かも樹の末を越えてますぐにさせる光は

 

嘴に掬はれしゆゑすみやかに透きとほりゐむ窪の雨水

 

自らを放つごとくに飛びたちし鳥よ()が目に空は何色

 

藍色に(くら)まぬ目もつ鳥ゆゑに空飛ぶ業を神は許せり

 

日の光()みつつ心しづかなり地に一枚の影を持てれば

 

土までの距離はあかるしたまさかに上枝を離れ木の葉散るなり

 

吹かれつつ日に散る木の葉かろがろと薄くあるものおほよそ清し

 

そくそくと風を伴ふかなしみを逃さむために(あばら)は空けり

 

沸点にとどかむとして湯の騒ぐ不確かにものの影ある夕べ

 

はかりがたきまでに距離ある恒星と思へず玻璃に映れる夕日

 

焦点のなくて玻璃戸に映りゐる夕日に掌あててをりたり

 

硝子戸をさしてこもれるひとり居の平安といふは茜色なす

 

白くはあらぬ白色山まゆのつくづく吐きし糸を紡げば

 

いつまでを空に漂ふ流星塵燃え尽きぬとは傷ましきかも

 

星なりし記憶失はずあはあはと日に漂はむ流星塵は

 

緩やかに降りくだるらむ流星塵ポケット空に子は帰りきつ

 

七十六年をかけて巡りくるハレー彗星いづれの窓にわれは待ちなむ

 

半円をとりもどしたる寒の月指させば罅はしると思ふ

 

幾兆の細胞に水を貯へてわれはさながら漂ふごとし

 

白藍の雲天心に吹かれをりこの夜みるべき夢近づかむ

 

足もとに絡むわが影天心を白く大き日ゆらりとずれる

 

地のなかのくれなゐの水曼珠沙華の茎を伝ひてのぼりつつあらむ

 

夢のなかを溢れ出でたる薔薇の花めぐりの闇をくれなゐに染む

 

夢を食ふごとくに氷菓食べ終へて何を探しに子はたちあがる

 

汝が浅きねむりに障るなにものも許さじと思ひいつか眠れり

 

子が打ちし白きボールを見つめゐる夫とわれとの夢異ならむ

 

かるがると空に吹かるる銀杏の葉かたちのままの光となれり

 

磨きたる硝子に向かひたちゐたり透き徹るものいくばく持ちて

 

火の窯を出だされしより腐食することはあらざり三彩の馬

 

武人俑口をひらきてゐるなれば()が忠誠を語りはじめよ

 

あな百合の咲きたる音か早暁の窓に光がひとすぢあたる

 

大らかにたちたる虹の輪の端を支へて(うみ)は鎮まりをらむ

 

遙かにも宇宙に放つ地球の影ひとりし覚めて目守りをりたり

 

角形の壜のうち側音たてて毀るるやうな光差しくる

 

あをみゐる花びらの色白百合を足下に頭かなしきマリア

 

今しがた見てをりし夢の記憶には散りし檸檬花白くかかはる

 

雪片のおのおの影を持ちながら(かひ)の平に緩く漂ふ

 

漂ひて枯野に雪の白ければ眠りの奥に雪は止まざり

 

杉の葉に霧触れてゐる音のなか昏の藍色近づききたり

 

ふかぶかと桜花散り敷く細き道薄明に覚めし際のこころか

 

淡泊に背の骨の鳴るかかはりもなく()けゆきし鳥は黒色

 

残照は暗くなりつつ路上に曳く影なき群衆のひとりなるわれ

 

賛美の声われにも清し乞ひ()むにあらぬ祈りを捧げつつゐて

 

月光のなかの草むら葉のしたに禁忌のごとき暗黒をもつ

 

空間を降りくる昏の(あけ)の色屋根屋根なべて(つつ)しむごとく

 

白木蓮の花びらあつく積むごとき清き眠りをわれにたまはな

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/09/01

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宮 禮子

ミヤ レイコ
みや れいこ 1932年 東京に生まれる。『迦楼羅(かるら)』により日本歌人クラブ優良歌集賞受賞。

掲載作は、2003(平成15)年8月、歌集「迦楼羅」「多羅葉樹」より150首を「電子文藝館」のため自選。

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