星の間で
カモメ
カモメは河口にいる
蛇行する川のしるしが
海岸線に断ち切られ
ふいに消える場所
カモメはその河口の上を飛びかいながら
海の裏側でたえず生まれてくる
小魚の群れを見張っている
カモメを知りたいときには
河口に行かなくてはならない
だがカモメの方法や川の方向
騒がしい小魚たちの名前の抑揚を
ひとつひとつそらんじてみても
河口を尋ねあてることはできない
河口に逆巻くカモメたちの
乾いた喉の音さえ聞けない
カモメのいる河口は
地図の上にはない
カモメの舞う空には
高さがない
疲労した空の等高線をなぞって
ひとが河口にたどりつくまでに
カモメは鳥の姿のままで
とっくに死んでいるだろう
ヘンゼルとグレーテルの島
二人で一つの島にすんでいた夏がある 小さい門に
はどの家とも区別がつかないように×点がつけてあ
った 私はせまい階段をのぼって 髪に花をさしな
がら部屋に入った 部屋には象がいた 象は後ろ向
きになって海のことばかり想像していたので 波が
いくたびも背中をのりこえているうちに ほとんど
島になりかけていた やがて島は小さな明かりをと
もしたまま二人をのせて 夜ごと海へ沈んだ
兄は夜になると島のことばかり話した 島はまだ幼
ないときヒトに囚えられて裸にされ 動物分布図ま
で記入されている(二人はとてもはずかしかった)
古い記号が今もかすかに島のあちこちに残っている
それは縄目のあとのように見える デボン紀に一種
の両生類が島を通りぬけた跡があるが通りぬけたこ
と以外何も分らない さびしい島はそれ以来象の姿
でひっそりとぼくらを待っていたのだ 空と明るい
|羊歯(しだ)の森かげへぼくらを連れていくために
昼間二人は円い食卓に向い合い象と島の行方だけを
考えた 盆踊りの余韻が風にのって流れ東洋のどこ
かの国へ来たような気がした 私は象にドーラとい
う名をつけた 兄は島にドーラという名をつけた
私は象使いのムチをつくる蔓草について歌をつくり
兄は島の地質とただひとつの大きい足跡の寸法につ
いて長い論文を書いていた 二人はテーブルをまわ
りながら象と島の見える位置へはてしなく近づいて
いった
いろいろなところで父や母が死にはじめた 大人た
ちの戦争が起こった みなれぬ魚が階段をのぼって
戸口できき耳をたてる気配がした 私はうつむいて
魚をひきあげると足を切った どの足も短かかった
窓の外は足と古い内臓の匂いがした みごもった魚
の腹のなかには盲いた地図が赤くたたまれていた
楕円形の暗いお皿の上に兄は地図をひろげた それ
は多産な地方だった 二人は無垢な疵口のように横
たわりみしらぬ魚の料理法を初めて学んだ 魚もヒ
トもいつか癒される必要があるのだと知った それ
が大人たちの秘密だった
森の奥で羊歯の胞子が金色にこぼれる音がした か
まどの中で魔女がよみがえりはじめていた あの人
のポケットにはもうパン屑も小石もなかった そし
て短い夏の末にあの人は死んだ それは透明な小さ
いコップのような夏だった だがそのような夏を人
は愛とよぶような気がした
春のキャベツ
それはところどころ
大気の中へ薄れかけていますが
草の繊維で編んだ
長い梯子をのぼっていくと
空のすきまから
キャベツの内部が見えることがあります
それが春ならば
緑いろの厩舎の奥で
馬たちが
蛾のように孵化しています
透きとおったひづめが
卵の殻の内側を
しきりに掻いていて
羽毛状の触角が
空の方へ伸びかけています
(キャベツの一日は途方もなく長く……)
麦色の太陽が廻る
太い芯の上に
小さな男が腰かけています
手にぼんやり握っているあれは……
ラッパでしょうか
むちでしょうか
男は百年の間もそこで番をしていますが
キャベツはまだゆっくり熟しています
もし耳をすますなら
天空のどこかで
たえず葉の捲いている音がして
キャベツの芯の部分は
星雲のように暗いのです
秋のいもうと
風が吹くとちいさないもうとがたずねて来ます はしばみ色の目を
伏せて 台所で菊の花をゆがいています
かたわらの鍋で湯があわあわと吹きこぼれています
「きのこを焼いて
赤ぴーまんを焼いて
オリーヴ油と…
ばるさみこ酢を ね
ゆうべ残った《二十世紀》を
すりおろしたら
岩塩と ウイキョウと
それから…裏庭のハーブをひとつまみ…」
ちいさな素足のいもうとがやってくると ゆうぐれのゾウも裏庭に
やってきます むかしふうのつつましさで西の井戸端にすわってい
ます(それはいつもの習慣です)ゾウたちの憶い出はもうゾウの姿
かたちよりも大きくなっていて そのなかに沈んでいく星の数をだ
れひとり(ゾウさえも)知りません ちいさないもうとのようにか
れらもやがて地上から迷子になるでしょう
《みずが いっぱい ほしいよ》という声にふりむくと さっきゾ
ウのいた付近から夕月がのぼっています 如雨露をもってはだしで
裏庭におりていくと ゾウは萎えた植物の匂いを立てて臥せってい
ます それは地を這うエレファンタ属というハーブの一種です 遠
い星にいつか生えていた薄色の草です
ちいさないもうとの指がエレファンタを摘んでいます 《二十世紀》
のレシピに添えるのです(黄昏によく似合うサラダです)ハーブの
実は星のように飛び散ってあたりの空気がパチパチ鳴っています
(ゾウの草葬のようです)耳のなかは草いろのゆうぐれに染まりゾ
ウの影がそこをよこぎっていきます
台所でほのかにエプロンが揺れています ちいさないもうとのうし
ろ姿の近くを 死んだ母が通りぬけていきます(そこはひとつの星
です)菊の花の香りがただよい 鍋の湯があわあわと吹きこぼれて
います
水底の秋
古墳の森のはずれに
晩い夏の宿をとると
夜 埴輪のかたちをした馬が
夢の近くを通りかかる
千年の闇に沈む寝床は
素焼きのかめの底のように涼しい
枕もとから
さわさわと水が満ちてくる
見あげると
水面に浮かんでいるのは
西瓜のにおいのする
うすあかい月だ
耳もとに ひそかな波紋をたてながら
土の馬の背に運ばれて
中天を移動していく
水底によこたわり
月の階段を仰いでいると
(森は病んでいます…)
と すすきの穂がまばらに鳴る
ふと めまいがして
(生きることが もはや病では…)
と 風につぶやく
一晩中 いにしえの女たちが
夢の戸口で
とちの実を砕いている…
その音が
わたし自身の
遠いしぐさを憶わせる
冷凍庫の空
冬のサンドイッチ
その置かれた皿の端から
たえまなく 雪が降っている
(世界はとても神話的だ)
そんな夜
天の一角で
巨人がひとり
死にかけているのだ
彼の畑が血で汚され…
そんな夜
星の裏側で
夕日がぶつぶつと泡立ち
紅色の 波立つシーツの上で
死んだ母たちが子を生んでいるのだ
(世界がいくたびも回転する)
私は 冷蔵庫のとびらを閉め
天から 遠い蛇口の下で
真冬の苺を洗う
閉ざされた夜空に
大皿は 凍てついて
夢のなかに
取り残される
巻き貝のおとこ
埋立地で 貝をみつけた
空き家かな…とノックすると
うたごえがきこえてきた
らせん階段のおくの暗がりから
《この身は半ば 海に浸かり
塩辛き石になれど
わが夢の 薄き羽衣は……》
唄の途中で その貝がらを
海の方へ…
思いっきり遠く抛ったら
豆粒のおとこが跳びだして
空の方へ…
消えていった きらきらと
唄のこだまを ひとつ残して
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/01/14
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