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花の寝床

 少年を抱きながら薄目をあけて灰色の海を見ていた。薄曇りの夕暮れで、()いでいた。

 古いテトラポッドが無造作に積まれた護岸にふちどられて、海は、鈍い色に光り、たふたふと揺れている。もったりと重く上下する海面は、岸の手前でふいに力を増してせりあがり、白い波頭がちらちらとはじけ、やがてテトラポッドの隙間(すきま)に溶けるように消えていく。

 殺風景な海岸にたつ宿だった。陽にやけた畳の間に続いて、窓ぎわには二畳ほどの板敷きがあり、そこに(ひじ)かけイスがあった。少年は長い脚をもてあますように腰かけ、そして私は、彼の(ひざ)にのっていた。それぞれの腕は、互いの体にまきついていた。私は少年の肩に体をあずけたまま海をむいていた。

 小さな突堤では、色とりどりのジャンパーを着た男たちが釣りをしていた。

 海の底の見えない宝を探り当てるように(ねら)いをさだめ、竿(さお)をふりおろす。しばらくすると竿をあげて釣果(ちょうか)をみて、また(えさ)をつけてふりおろす。それはいくら眺めていても飽きなかった。

 しかし退屈した少年は、大きな(てのひら)で私の乳房をつかむ。

 眠っているの、ねえ。

 私は黙っている。

 少年はまた私の胸をにぎる。ねえ……。

 ほんの数週間前に初めて知った果実に、彼はもう慣れている。

 少年は、返事をしない私の両膝をすくって抱きかかえると、大股(おおまた)に歩いて布団へ私をはこび、よろよろとおろした。

 私にかぶさってくるとき、不器用な口づけをした。髪から昼間泳いだ海水の(しお)っぽい匂いがした。それから、十代なりの男臭さをみじかく()いだ。少年の背にしがみついて、目をつむった。

 いつから少年が視野にはいってきたのか、想いだそうとする。同じ建物にすんでいたはずなのだけれど。

 彼は人目を()くきれいな少年だった。けれど一回り以上も年下の男の子になど、興味がなかった。たとえ目にしていても、飼育がむずかしいとされる南国の(ちょう)でも鑑賞するような心持ちで見ていたのだろう。

 それに、私には縁がないものと思っていた。まだ大人になる前で、育ち盛りで、反抗期を完全にはぬけきらない、そんな気どった少年が、年上の女に関心をもつとは思えない。もしあるとしたら、性的な好奇心か、母性的な女への(あこが)れか、あるいは悪質なからかいだろう。自分が十代の少年に相手にされるはずがない。

 そうした思いこみを、人は(あきら)めとよぶのだろうか。しかし私は、先行きに救いのない関係のなかで倦怠(けんたい)暗鬱(あんうつ)にひたるのはもう(いや)だった。夫と別れてから、やっと二年たっていた。

 初めて言葉をかわしたのは、元日だった。年賀状が間違って配達されてきたといって、少年は部屋にやってきた。私の真上にすんでいるという。一人で寝正月をきめこんでいて寝巻に上着をはおっただけだった私は、思いがけず、見上げんばかりに背の高い少年があらわれて、うろたえた。少年は、ほっそりしていた。貧弱といってもよかった。けれど高い鼻梁(びりょう)と切れ長の目元が大人びていた。そこに不似合いなニキビが、痛そうに赤くはれていた。ドアを開けた途端にそんな男の子が立ちはだかっていたのだ。驚いて年甲斐(としがい)もなくあがってしまった私は、葉書をうけとって、ぎこちなく礼をいうと、すぐ戸を閉めてしまった。

 それきり何カ月も会うことはなかった。しかしときどき天井を見上げて、ふと思い出した。この上に、()せた体に男っぽい顔をした子どもが寝起きしているのだ。

 夜遅く帰ってきて疲れた体を横たえる。天井を見つめながら、少年のあどけない寝顔、もしかすると悩ましいかもしれない寝姿を思ってみた。けれど朝になるとすぐに忘れた。やがてそんなことはきれいに忘れてしまった。

 

 半年近くたって、次は、結婚式の帰りだった。神戸三宮(さんのみや)にちかい人工埋め立て島にある大きなホテルへ出かけたのだ。

 私は牡丹色(ぼたんいろ)綸子(りんず)白百合(しらゆり)をすらりと描いた単衣(ひとえ)の訪問着を着ていた。帯じめと帯あげには、さわやかなひわ色をもってきた。洋服もきものも、いつも地味にまとめるが、その日は友だちの披露宴だもの、と思って、牡丹色にひわ色というはんなりした色あわせにした。白い()の袋帯を胸高にむすび、ふわりと大きめのお太鼓にして、娘らしく着つけた。結った髪には、金銀の蒔絵(まきえ)(くし)をかざった。

 そのなりで、大きな引き出物の紙袋をもち、マンションの前でタクシーからおりた。そのとき金色の夕日があたって、光沢のある綸子地がつやつや光った。きものの(すそ)を持って、前かがみになって車から出て顔をあげたところで、ちょうど帰ってきた少年と出くわした。

 あら、いつかの……、あのときはどうもありがとう。身なりも化粧もととのっていたせいか、(おく)せず、すんなり声が出た。そればかりか愛想のいい、心やすい笑顔をしていたと思う。

 一瞬、彼は誰なのかわからなかったようだった。戸惑った顔のまん中で目をぱちりとさせている。

 ほら、年賀状をとどけていただいて、もう随分前ですけど、お正月に。

 ああ、あのときの、いやどうも、ええと、と少年は舌をもつれさせた。きものやから、見違えました、と慌ててつけ加えた。

 あいかわらず桃色のニキビがぽつぽつしていたが、私から視線をそらせて平静をたもとうとしている少年は、きれいな顔をしていると改めて思った。日ごろ彼は、ととのった顔立ちをくずさず、怜悧(れいり)な物腰をよしとしているのだろうか。赤面した自分を恥じているふうだった。

 そんな少年の青くさい硬さも何もかもが愛らしく思えて私はうふふと笑ってから、よかったら、お礼にうちでお茶でものまない、少しだけどケーキもあるし、と引き出物の袋をのぞきこみながらいった。

 はあ、と間のぬけた顔をまた赤らめた少年に、遠慮しないでいいのよ、と声をかけながら私は先にたってエレベーターに乗りこみ、自分の階だけボタンを押した。少年は彼の部屋の階を押さなかった。

 部屋のあり様は、はいる前からわかっていた。出かけるぎりぎりまで小物のとりあわせに迷っていたので、あちらこちらに帯あげ、腰ひもなど、色とりどりの絹のきれがひらひら散らばっている。玄関の姿見の前には、はきくらべた草履がならんでいる。

 玄関へはいった途端、それは自分の目にも、女めいて華やかな()まいにうつった。少年は上がり口で靴もぬがないまま躊躇(ためら)っていたが、私はまるで気にせず、すっと台所にあがり薬缶(やかん)をかけた。

 やがて少年もおずおずとあがってきた。落ちつかない様子で中腰になり、部屋をながめわたしている。そんな少年を、ちらと横目でみた。まるで自分が、きらきら光る巣のまん中で若い獲物をまっている女蜘蛛(おんなぐも)になったような気がした。(そで)をよごさないように気をくばって紅茶をいれ、引き出物のケーキを切った。

 少年は、居心地が悪そうだった。私はかまわず、悠然とほほえんでいた。はじめ、少し話をした。少年は高校生だった。神戸市内の私立高校へ通っている。父親の転勤をきっかけに神戸へきて、高校受験の妹と母親が、東京に残っているという。

 あら、私も東京から転勤してきたのよ、広告代理店で働いているの、というと、少年は顔をあげた。

 えっ、お姉さん、お勤めやったん? 僕、女子大生おもうてた。

 あはは、とつい声をあげて笑った。本当は三十をすぎているのだ。大人の女を見る目がないのね、まだ、とかわゆく思った。が、胸にしまった。

 まあ、どうもありがとう。

 お世辞じゃないよ、だって初めて会ったときはパジャマに素顔だったし、今日は、こんなんきれいなきもの着てるし、僕、若いお姉さんかと思った。

 うふふ、うふふ。少年がたまらなく愛らしく思えた。慣れなくて少し変な関西弁もたどたどしく、ほほえましかった。

 それにしても、関西弁、身についてるね、私も職場に大阪の人が多いから、関西弁がうつってしまって、もう大変、と笑った。

 そのうち、東京から関西へきて驚いたこと、面白かったことで盛りあがって、そうそう、そうや、と話がはずんだ。

 東京の人と話できて楽しいなと、少年はうちとけてきた。一時間ほどして、彼は帰った。

 長い前髪からのぞくすっとした目がきれいで、いつまでも見ていたかった。お茶を飲むたびに、ほそい首に喉仏(のどぼとけ)が大きく突き出て動いていたのも、じっと見ていた。笑うと、小さな歯の並びが少し悪くて、それにくらっときた。少年はケーキをもう一切れおかわりして、お茶を三杯飲んだ。それに私は満足した。

 それからは毎日、天井を見上げるようになった。上からの小さな物音も聞きのがさなかった。しずまりかえった深夜になると、洗濯機の音が低く聞こえる気もした。そういえば男所帯で、料理や洗濯はどうしているのかしら。少年のすらりとした姿や、男らしい鼻梁、少しゆがんだ桃色の唇を想った。その面影は、私のなかでいつも好ましく、気持ちがほろりとした。

 

 けれどいくらか気恥ずかしい後悔を覚えたのも確かだった。無理矢理さそって部屋に呼んだりして、ずうずうしい女と、少年はあとで辟易(へきえき)しただろうか。

 結婚式帰りがいけなかったかもしれない。

 学生時代の女友だちが純白のドレスをまとい、同い年だという新郎と一緒に金びょうぶの前にならんでいた。三十代の花嫁は、愛する伴侶(はんりょ)をえて喜びに輝いていた。その姿に心を動かされた。

 十年前、自分が花嫁だった日が思いかえされた。あのとき、私もこの花嫁のように紅潮し、若さにつやつや光って、感激に涙ぐんでいた。あんなに幸せだった瞬間は、もう二度とないだろう。結婚生活がうまくいっていた頃のひととき、心なごむ語らいも、夢のように思い出された。

 けれど少しずつ、愛想も尽きるほどの幻滅が、お互いにつもっていった。そして彼は小さな浮気をした。私は許すことができなかった。

 結婚とは果たして幸せになれるものなのだろうか。私はいつかまた誰かの妻になるのだろうか。あてのない再婚を夢見る心持ちと、もううんざりだという拒絶の両方があった。にぎやかな祝宴の中で、私はしずかに考えこんでいた。それは久しぶりに顔をあわせた同級生たちと語りあって消える(たぐい)のものではなかった。

 数年ぶり、もしくは十年ぶりの友人たちは懐かしかった。けれど、最近どうしているの、ふーん、そうなの、という繰り返しには、過去だけを共有し、今は別々の生を歩いている遠い隔たりが明らかになるばかりで、しんみりした感慨だけが残った。人恋しさがつのった。だから少年をさそったのだろうか。

 あるいは、よそゆきを着た興奮も手伝っていたかもしれない。手間暇かけて着つけたなりをこわすのが惜しまれて、着飾った様子をもっと楽しんでいたいような人に見てもらいたいような(かす)かな自己顕示欲をもてあましていた。

 いずれにしても、私は少年を好きになっていた。もっと彼を見つめていたかった。彼は年上の私をどう思っただろう。

 

 予想に反して、少年は、ときどきやってくるようになった。私が会社から帰る八時すぎを見計らって、扉をたたく。これ、聴いてみてと、CDを何枚か差し出す。貸してくれるという。父親の帰りが遅い夜は、夕ご飯、いかへん、と何気ない調子でやってくる。

 私の都合などお構いなしにいきなりくる子どもっぽさが不思議と厭でなく、むしろ(うれ)しかった。そんな気さくなつきあいは、久しく誰ともしていなかった、たとえ親であろうとも。私も気軽につきあった。時には一緒に料理をつくった。母親と離れているから、ふつうのお惣菜(そうざい)が食べたいだろうと思ったら、父親は厨房(ちゅうぼう)仕事が趣味で、(なべ)や調理道具に凝っていて、出汁(だし)も、鰹節(かつおぶし)をかいてとるというから舌を巻いた。少年もそこそこ手つきが慣れていた。

 二人でつくった手料理をならべて、テレビを見ながら食べていると、心底のんびりできた。そうした食事がどうして夫とはできなかったのだろう。多忙にまぎれて、二人はいつも別々の外食だった。

 年下の可愛い、そして大人びた少年と一緒にすごすのは楽しかった。これも人生の(たの)しみの一つなのだ、こうした出逢(であ)いも友情も人生のめぐりあわせ、縁なのだと、三十をすぎた私はようやく思えるようになっていた。恋だの愛だのと舞いあがったり苦しんだりせずに、すこやかにこの関係を楽しんでいたいと思いながら、テレビに視線を(くぎ)づけにして肉じゃがをほおばっている少年の横顔を見やった。

 

 少年の一学期の期末試験が終わると、少し遠くへも足をのばした。

 明石(あかし)の天文台へ行って雨にけぶる淡路島(あわじしま)をながめ、それから須磨(すま)の砂浜を、数時間かけてあるいた。梅雨(つゆ)の雨がしのしのと降るなか、傘をさして波打ちぎわをゆっくりすすんだ。平日の午後で、ほかに人影はなかった。雨は、海と砂にすいこまれるように落ちていった。傘をやわらかくうつ雨音と、波の音だけが聞こえていた。少年は、伏し目がちだった。私は、ときどき水平線をみた。白い浜は広くて、海沿いの道路までかなり距離があった。やがて少年は、ぽつりぽつりと話し出した。

 僕ね、自然観察クラブいうのん、はいってるんだ。山を歩いて、草や実をつんで食べるの、図鑑で調べて。海へ行ったら、海藻、たとえば、海苔(のり)とかわかめとかを、塩水で洗ってかじってみる。面白いんだ、ものすごく。それからまたしばらくおとなしく歩いていたが、ふたたび口を開いた。

 僕の両親、いずれ離婚するんだ、僕ら子どもたちが大人になったら別れるって。ずっとごたごたしていたからね、今のところは家族が二つに別れる形でとりあえず落ちついているけど、お母さんは、ずっと別れたがっていた。あの人は新聞記者で、ほんとに忙しいんだけど、別居してからは気分が晴れ晴れするっていって、僕にもお父さんにもずっと優しくなった。だけど、不思議なもんだね、好きで夫婦になったのに、どうして離婚するんだろ。僕と妹がどんなに哀しいか、何も考えてくれへん。

 私は、何もいえなかった。そして夫にいつも苛立(いらだ)っていた日々を思い出した。どうして私はいつも夫の前であんなに不幸せな気分だったのだろう。小さな波がちらちら、ちらちら泡だち、足もとではじける。

 瀬戸内の海は優しいわね。私はこの海辺で育ったから、瀬戸内海を目にすると、ほっとするの、本州の兵庫のほうから見ても、四国から見ても、どこから見ても。私は波うちぎわにかがんで指を()らした。それは夏の雨のようにぬるかった。

 

 私は十七歳半、ふくらはぎも顔も丸い田舎(いなか)の娘だった。瀬戸内海の西の端、壇ノ浦とよばれるあたりもそう遠くない、そこが私の生まれ育った土地だ。白っぽい光が閑散とした道路にみちている(ひな)びた町だった。

 私は、同級生の男子に初恋をした。毎日、海沿いの道を自転車でならんで登校した。下校も一緒だった。あっというまに家に帰りつくのが惜しまれて、自転車を押して、のろのろと歩いた。ときどき自転車を道端にとめて、浜へおりた。肉体のことも性のことも知らなかった。とにかくそばにいたかった。休み時間ですら、彼の教室へ出かけた。それは、白墨の粉にまみれた黒板消しや、校内売店の赤いジャムパンや、下駄箱の蒸れたような匂いにふさわしい、まったく野暮で、初々しい恋だった。若すぎてお金もなくて、遊び場もない田舎だから、夏だけ客の入る海岸通りのバス停前の食堂でかき氷を食べたり、小さな図書館で一緒に受験勉強をした。

 夏の日も冬の日も、海がそばにあった。初めて海水浴のデートをした日、恥ずかしくてお互いの水着姿を正視できなかった。おまけに彼はのぼせて日射病にかかってしまった。一日中、海辺で遊ぶと、(ほお)が赤くほてり、手足の指は白くふやけた。日焼けした肩に塩がふいて、髪の間には砂が残った。くたびれた体に服をはおって、ひたひたと満潮が寄せてくる夕暮れの海を見つめていた。

 そんな十代の夏を思い出しながら、いまの私は同じ瀬戸内の浜辺を少年と二人で歩いている。あの夏がまだ続いているような錯覚に、ふととらわれる。けれどあれからもう十五年がすぎているのだ。高校を卒業すると、私は親元をはなれて進学した。それから東京で働き、結婚して、別れた。そして新しい生活をもとめて関西転勤を志望し、うつってきた。海も少年も何も変わらないのに、私だけが娘時代を終えようとしている。そういえばあの牡丹色の訪問着は、二十歳(はたち)のとき、初めての単衣のきものに、と親がつくってくれたものだ。娘らしい華やいだ色合いは、もうそろそろ着られなくなるだろう。黙って歩いていると、記憶はとぎれとぎれに立ちあらわれてまた消えていく。

 私が初めて口づけをしたのも瀬戸内の海岸だった。一学期が終わろうとする、ちょうど今頃だった。暗くなるまで待って、黄昏(たそがれ)の浜辺に座り、かたく抱きあった。無我夢中の私は、やがて潮騒(しおさい)がきこえなくなった。彼は、ひとたび唇にふれると、つづいて何度も吸いついてきて、やがて砂に私を倒した。私は冷静になり、潮騒がまた耳に戻ってきた。執拗(しつよう)に唇をもとめる少年を手におえない動物のように感じた。優しかった少年のなかから男のがむしゃらな欲望があらわれ、私は(おび)えた。その強さが怖かった。なんとうぶで無垢(むく)だったのだろう。

 けれど次の日、彼の柔らかな唇が恋しかった。その感触をもとめて、体中に自分の唇を押しあててみた。腕のうちがわに、手の甲に、膝に。けれど唇と同じ場所は、どこにもなかった。それは唇にしかない感触なのだと知り、切なくなった。それが欲望の芽生えだった。

 

 そして私は、いま隣を歩く少年に目をむける。本当は彼も、同じ年頃の少女とそんな恋をした方がいいのだとさみしく感じた。

 あのね、私、ファーストキスは、瀬戸内海の砂浜でしたの。あなたは、もうした?

 うん、ええと、中学のときに、一年先輩の女の子と。

 いまどきの少年にとっては当たり前かもしれないが、意表をつかれた思いで私は少し()いた。少年は立ち止まった。

 僕、お姉さんとしたいよ、キス。

 私は慌てて、あら、あの建物、レストランじゃない? と無邪気な声をよそおって、遠くを指さした。薄闇(うすやみ)のむこうに、店の明かりがまたたいていた。

 良さそうなお店ね。ねえ、あそこで夕ご飯を食べましょうよ。

 近づいてみると、須磨海浜公園の端にぽつんとたつ建物は、イタリア料理の店だった。まるでピカソやダリの絵のように斬新(ざんしん)な内装で、変わったソファやオブジェがならんでいる。大人のしゃれた遊び場のような店内を、少年はおどおどしながら私の後ろについて席へ歩いた。

 少年にはアルコールの入っていないジンジャエールをすすめようかと思ったが、カシスのエキスを白ワインでわったキールを選んだ。私は白ワインにした。グラスをちりんと鳴らせて乾杯をした。雨の夜、見晴らしのよい店に客はまばらで、森閑としていた。私たちはつい小声になってお(しゃべ)りした。

 少年はじっと私の口元を見つめた。それを私は知っていた。少年がその後のことを思って、身を熱くしていることも知っていた。私は赤く塗った唇を婉然(えんぜん)とひらいて、銀のフォークで食べ物を運びいれた。

 すっかり暗くなった頃、外へ出た。私が勘定を払うとき、少年は硬い顔をしていた。自分で払いたかったのかもしれない。

 傘をさすと、少年は自分の傘を投げ捨てて、抱きついてきた。少年の唇が近づいてきたので、私は軽くふれた。少年はどうしたことか大きく口をあけているので、二人の唇はまるで重ならない。おかしかった。本当に彼はキスをしたことがあるのかしら。彼への(いと)しさのなかで、私は我を忘れていった。二人で一つの傘をさしながら、舌をからませあった。少年の欲望を恐れず、しっかりと受けとめて(こた)えている自分がいた。

 須磨から神戸へ帰る電車のなかで、私たちは黙っていた。人のいない海岸から混んだ駅へもどると、傍目(はため)には、どう見ても不釣り合いな二人連れだった。他人のように無関心になってすわった。

 少年は、そのまま部屋へついてきた。私は拒まなかった。自然に寝室へむかって、自然に服をぬいで、磁石がひきあうようにぴたりと抱きあった。

 雨に濡れた手足は、最初、冷たかったが、すぐにぬくもった。裸になった少年は、胸も腰も思ったよりたくましかった。色白の体の下部も力強くそそり立っていた。私は好奇心一杯になって思わず見つめた。彼は恥ずかしがって、明かりを消した。私のほうから横たわった。息をつめて、待った。

 少年は私の目を見ながら、にじりよってきた。僕を愛しているの、ときいた。私はちょっと微笑(ほほえ)んでから、好きよ、とても好きよといって、少年の腕をとった。そして、どうしていいかわからないとつぶやいた彼の体をみちびいた。

 

 目が()めたとき、植物の匂いがしていた。布団をはいで体を起こしてみると、少年は丸くなって、小さな寝息をたてていた。窓からさす夜の薄明かりに、彼の痩せた体がうかびあがった。それはとても優雅だった。まるで青白いくきの若い草が、花びらを閉じて寝床で休んでいるようだった。

 体のまん中に、陰毛が、花の(しん)のように濃く密集していた。そこには、これからの歳月でさらに猛々(たけだけ)しく燃えたつ勢いが、隠されていた。しかしそれは、私の味わう(みつ)ではないのだ。私のそこには、いつからか白いものが二本、まじっている。頭には二十本くらいある。それは抜いても抜いても、決められたように生えてくる。しかも増えているのだ。すうすうと息をする少年の頭がまあるくて愛らしかった。私は赤ん坊をかかえるように下腹にのせ、髪をさわった。固くてはりがあった。さらさらと素直にこぼれる髪をいつまでも()でていた。

 

 少年は夏休みに入った。私は罪悪感と後悔に苦しんでいた。少年との性に、ときめきの余韻はあったが、それは苦かった。欲望に引きずられた自分への嫌悪だった。このままではいけない。けれど、どうすればいいのだろう。気が重かった。やがて結末へむかって二人の間に持ちあがるいさかいを思うと、暗澹(あんたん)とした。

 なるべく帰宅を遅らせて顔をあわせないようにした。どうしたのと少年が問えば、夏はイベントが多くて平日も休日も忙しいの、ごめんなさいね、と仕方なくいった。最初の口づけのときからわかっていたのに。私は少年の一途(いちず)さにほだされて関係を続け、その末に独りきりの中年女になるのではないかと恐れた。だいいち少年のためにならない。私はきまじめになり、厳粛になった。少年と別れなければならない。

 

 しばらく彼を遠ざけていたある晩、少年は悩みぬいた声で電話をかけてきた。父親を気にしているのか、ひそひそと語った。

 このごろ、僕をさけてるの? 嫌いになったの?

 そうじゃないわ。

 じゃあ、なんで……。

 だから忙しいし、それにいろいろ考えているの、ねえ、あなたはまだ高校二年生よ、こんな関係はよくない、勉強もとても心配よ。

 勉強なら、ちゃんとしているよ。

 でもあなたには、もっと若い女の子がふさわしいわ。

 そんなことは自分できめるさ。少年は憮然(ぶせん)といい放った。彼のそんな口ぶりは初めてだった。

 そうね、でもあなたはいつか、素顔が可愛くてミニスカートがよく似合う、そんな女の子に恋をする、きっと女の子からも愛されるわ、そうなったら私はどうすればいいの、もう私は若くない、私を二十六、七と思っているかもしれないけど、三十三歳なのよ、別に隠すつもりはなかったけど、十六歳も年上よ。

 でも僕、ぜんぜんかまわないよ、お姉さん、とても若く見えるから、それに年の差なんて関係ないよ、ほら、最近は年上女房がはやりだっていうじゃない。

 そうね……、大人同士なら年上の女性もいいかもね、でも、あなたはこれから大人になっていく、これからいろいろな経験をして、成長していく、大学や職場で出会った同じ年頃の女の子とつきあうほうが、あなたのためよ。

 僕のことは、もういいよ、お姉さんの気持ちはどうなんだ。

 私は、私は、もちろんあなたが好きよ、でも、こんなつきあいは、永く続かないわ、きっとあなたは老いていく私を毛嫌いするようになって、そして私は、中年にさしかかる自分の気持ちをわかってくれない若いあなたに不満をもつのよ。

 お姉さんはどうしてそんなに悲観的なんだ、どうしてそんなに暗い将来ばかり考えるんだ。僕らはこんなに好きあっているのに。少年は声を荒らげた。

 それは、あなたが子どもで世間を知らないからよ。私もつい語気が強くなった。人は好きだけでは暮らしていけないわ、そう、好きだけで人は生きていけない。生活していくためには、忍耐も、我慢も、それに諦めもいる、相手はこんな人なのだと欠点を受け入れて諦めて暮らしていくしかない、好きだからこそ、それは幻滅や失望になる、実は私ね、離婚したことがあるの、年の近い男と女でも、一緒に生きることは簡単じゃなかった。

 リコン? お姉さん、リコンしたことあるの、結婚してた?

 ええそうよ、私を嫌いになった?

 いいや、でもちょっと驚いた、なんで離婚したの、そんなのまわりにとってはいい迷惑だよ、うちの親のことで、僕も、妹も、おばあちゃんも、みんな心配して悩んだし傷ついた、離婚する(やつ)なんて勝手だよ!

 それは、そうかもしれない、私の両親にも、夫の両親にもすまないことをしたと申し訳なく思ってるわ、でも私だって傷ついて悩んで落ちこんだのよ、夫がほかの女の人を好きになったの。

 それはきっとお姉さんが優しくなかったんだよ。

 そうね、そうだったかもしれない、私は優しくないものね。

 いや違う、ごめん、いいすぎたよ。

 ううん、いいの、それにね、私、もうすぐ東京へ戻るの、不景気が続いて関西では仕事も増えないし、だから夏の異動で本社へ帰ることになったの。

 少年は沈黙した。そして大声をあげた。なんでそれを早く教えてくれなかった? 僕とのことは転勤前の遊びだった? そやったら悔しい、頭くるで、あんたほんまは僕のこと好きやなかったでしょ、嫌いや、あんたなんか。少年の声はふるえていた。

 責められるのは当然だった。せっかくの愉しい時間に水をさすのが惜しまれて、話そうと思いながら、いえなかった。夫と別れると同時に、そのしがらみを断ち切るように東京をはなれ、大阪の支社へ移った。このとき、私は同期との競争からおりたことになった。世を捨てたような静かな気持ちで暮らした関西での日々の最後に咲いた小さな花のような恋、その夢が終わるなんて考えたくなかった。別れが近いことを知って、少年の目から輝きが消えていくのが怖かった。けれど夢はもう醒めようとしている。

 遊びじゃないわ、もちろんあなたを好きよ、ほんとうよ。でもやっぱり別れた方がいいの、永く続かない愉しみは、はなやかなうちにいさぎよく幕をひいた方がいいの。

 じゃあ、年が離れすぎていて、転勤もあって、長続きしないことも最初から知っていて、どうして僕を好きになったん、そんなら最初から好きにならんといてほしかった、お姉さんが僕を好きだなんて、(うそ)だ、ほんとに好きだったら、一緒にいてくれるはずだ、僕のことは、いい加減な気持ちだったんだ! 少年は悲鳴のような声をあげた。僕は一緒にいたいと思って、会いたくて会いたくて、どうにもならんかった、それくらい愛しているのに、卑怯(ひきょう)だ。

 こんなに率直な言葉を聞いたことがなかった。荒い言葉のなかの純真さにうたれた。嬉しかった。私も少年を愛しているのだと知った。けれど少年はたぶんわかっていないのだ、彼に激しい肉欲や母親への渇望がひそんでいることを。

 ごめんなさい、私がいけなかった、あなたを好きになって、私は大人なのに、本当にごめんなさい……、でも、いけないとわかっていても、人を好きになることはあるでしょ。離ればなれになるって分かっている人を好きになったり、結婚している人に恋したり、それに、結婚している人が誰かを愛してしまうこともあるでしょ……。といいながら、夫の浮気を糾弾し続けた矛盾がちらとよぎった。好きになっても、ふられることも、実らないこともある。好きだけじゃ、どうにもならない……。

 少年は何もいわなかった。受話器から、押し殺した嗚咽(おえつ)が小さく聞こえている。やがて電話はしずかに切れた。

 彼とのお喋りもご飯もすべて、あんなに楽しかったのに。私は両手で顔をおおった。涙がとまらなかった。しかし、生温かい涙といっしょに、かすかな安堵(あんど)も、ほろ苦くわきあがっていることを、私は知っていた。

 

 少年と私は紀伊半島の海岸の宿へ出かけた。これで最後にしようと、どうにか二人とも心に折りあいをつけてきた。父親には、男友だちと海へキャンプに行くといったらしい。少年にそんな嘘をつかせて気がとがめた。本当にこれで最後にしなければならない。

 プールのついた小綺麗なリゾートホテルをとろうとしたが、少年は自分も半額出せる宿がいいという。食事も泊まり代も払ってもらうのは嫌だと、にこりともしないでいう。彼の自尊心を思って、民宿のような旅館を予約した。学生時代に合宿でわいわい楽しく泊まったような宿だった。けれど大人になって、年の離れた少年と二人ではいるには(わび)しい造りだった。

 昼間は、深い青緑色をした太平洋で泳いだ。それから宿に戻り、窓からテトラポッドの見える部屋でやすんだ。畳はなんとなく傾いていて、歩くと、きゅうきゅう鳴った。蚊が出るのか、すみに蚊とり線香があった。夕食には、お刺身、塩気のきいた貝ご飯、焼き魚などを食べて、ビールをのんだ。日焼けしてひび割れた唇にしょう油がしみた。(あい)のさめた浴衣(ゆかた)に着がえて、古い型のテレビでクイズ番組を見ているとき、少年はつぶやいた。

 でもやっぱり僕、これからもお姉さんに会いに行くよ、年に何回も、世田谷(せたがや)の母親の家に行っているんだ、そのとき会ってくれる? この夏休みも東京へ行くんだよ、それに再来年の春、僕は東京の大学にはいる、そしたらいつも会えるよ。毎日でも会えるよ。少年は子供っぽく笑った。

 

 十五年前、高校の卒業式が終わると、進学のために上京する私は、同級生の彼と離れることになった。郷里の町で、彼と別れるとき、私は少しも泣かなかった。

 彼は、地元の国立大学へ行くことになっていた。長男なので、親が手放したがらなかった。卒業したら帰る約束で都会の学校へ出たのに、それきり戻ってこない若者は、少なくなかったからだ。

 国鉄の駅には、家族全員と少年が見送りにきてくれた。弟と父、ふだんは外出しない祖父も(つえ)をついて駅まで来た。彼らは入場券を買ってホームまできてくれた。少年は人目もはばからず、涙をにじませて立ちつくしていた。家族との別れを邪魔しないように一歩離れたところで。

 連休には帰ってくるからね、みんなありがとうと、私は満面の笑みを浮かべていった。悲しかったはずなのに、都会暮らしへの期待が私を高ぶらせていた。

 その前日、彼の部屋で半裸で抱きあったときも同じ約束を布団のなかでいった。そして少年の首に抱きついて、ねえ、してみようよと、まだ試したことのなかった最後の果実をさそった。彼はしかし、悲しすぎてできないよと泣き出した。私はぽろりとこぼれた裸の胸をしまった。無性に残念で、カーテンをつかんだり離したりした。彼はしおしおと泣いていた。壁に、もう袖が通されることのない高校の制服がかかっていた。黒い詰め襟だった。肩さきが小豆色(あずきいろ)()せていた。こんなに古びた制服を着ていたのかと、初めて気づいた。

 春先の駅のホームは、日向(ひなた)はあかるかったが、屋根の下は暗く、そこはまだ空気も冷たかった。タールで黒く塗った木の(さく)に沿って三分咲きの桜がならんでいた。列車が、ホームに入ってきた。私は、新居の準備のために一緒に上京する母と二人で、在来線に乗った。

 泣く必要はなかった。途中で新幹線に乗りかえて東京まで五時間あまり、夜行でも半日で会える。五月の連休には帰るし、夏休みも冬休みも春休みも帰省する。週末だって、望めば一緒にすごせるだろう。そうして頻繁に会いながら、たった四年間、離れているだけだ。卒業したら、私は帰郷して、町の役場か信用金庫に勤めて、彼と結婚するのだ。そう信じて疑わなかった。それは私の夢でもあった。

 家族がいるので、少年とは両手で固く握手しただけだった。それが別れの挨拶(あいさつ)となった。列車に乗ってから、私はふり返り、笑いながら手をふった。それきり、彼に会うことはなかった。

 

 上京した私に、彼は毎晩のように電話をくれた。夜、ときどき私はアパートにいなかった。留守番電話はまだ高価で買えなかった。入学式の翌日、広告研究会というサークルに勧誘してきた上級生の柏木(かしわぎ)と、私は親しくなっていた。アパートを整えて母が帰っていくと、東も西もわからない東京で、私は泣きたいほどの孤独にとりのこされた。親戚(しんせき)も知人もそばにいなかった。街の雑踏も恐ろしく、冷淡に感じられた。そんな私の前に、柏木は優しくあらわれて、授業のとり方やキャンパス周辺の案内、買い物先から地下鉄の乗り方にいたるまで、何でも親切に教えてくれた。

 五月の連休はすぐにやってきた。帰省するという約束は、いつのまにか有耶無耶(うやむや)になっていた。すると少年が上京してきた。電話では聞いていたが、まさか本当に来るとは思っていなかった。

 その夕方、私は部屋にいた。けれど呼び鈴に、出なかった。部屋の電灯はついていた。テレビもつけていた。けれど居留守をつかうほかなかった。なぜなら部屋には、柏木がいた。扉を(たた)く音はしばらく続いていた。静かになってから開けてみると、外に紙袋が置いてあった。バイトで貯めたお金で新幹線の切符を買って来たよ、駅前の地図で番地をさがして来たよ、でも、これからまた夜行で帰る、と走り書きのメモが入っていた。私が好きだった故郷のケーキ屋の手作りクッキーと、東京の百貨店の包みにはいった美しいスカーフがあった。部屋にいた柏木に、私は何と弁解したのだろうか。

 それきり、少年からの連絡は途絶えた。葉書の一枚もこなくなった。それを当然だと思いながら、寂しいとも悪いとも思わずにけろりとしていた。私も連絡しなかった。

 柏木は、私に夢中だった。車を運転し、煙草(タバコ)をのみ、黒っぽい服を着こなした彼が私には大人に思えた。年上の柏木への憧れと感謝を、私は愛情と錯覚していた。柏木に甘えて頼ることで、地方から出てきた一人暮らしの孤独と不安を忘れようとしていただけだった。それがわかったのは、柏木と結婚してからだった。

 

 大学生になって最初の夏休みに帰郷したとき、私は少年に電話をした。彼の母親がひややかにとりついでくれた。彼はなかなか電話口に出なかった。ようやく耳にした彼の声は、しかし前とは違っていた。一度もきいたことのない乾いた声色だった。すぐに話すことはなくなった。そのとき、私はどんなふうに対応したのか、憶えがない。自分に都合の悪いことはみな忘れてしまう。私は限りなく楽しそうに繕ったかもしれない、あるいは虚勢をはって冷たく切ったのかもしれない。

 それを気に病むこともなく、残りの夏休みは西瓜(すいか)川蟹(かわがに)を食べすぎて腹をこわしたり、直線裁ちの木綿のワンピースをぬったりして暢気(のんき)にすごした。弱って寝つくようになっていた祖父のかわりに、植木に水をやり、(こい)の世話をした。しかし浅はかな東京かぶれの娘に、田舎は退屈に思えた。まだ大学は休みだというのに、八月、東京へ戻った。その夏の終わり、祖父が亡くなった。

 これからも、多分、初恋の人とは会わないだろう。あの日、少年だった彼も、いまは三十をすぎて、故郷の農業高校で英語の教員をしている。まだ独身でいると、(うわさ)にきいた。

 

 蚊とり線香が、少しずつ燃えつきて端から灰になっていく。

 黙っている私に、少年は浴衣の膝をすって寄ってきて、ねえ、僕が大学生になったら、きっと東京で会おうね、とまたいって、私の顔をのぞきこんだ。

 そうね、というよりなかった。そうねといっても、いいえもう会わないわといっても、結局は同じなのだ。時やめぐり合わせは、いつも人を思いがけない方向へ運んでいく。何を思っても、何を意図しても、ふり返ってみると、いつのまにか遠い場所へたどりついている。あんなつもりではなかったのに、こんなはずではなかったのにと思ったときには、もう戻れない過去になっている。

 漁船の灯が、暗い水平線にならんだ。(いさ)()ゆうんでしょ、と少年は嬉しそうにいった。そよりと風がふいて、生地の薄くなったカーテンが風にふくらんだ。しめった潮の匂いが流れてきた。少年の薄い肩に私はもたれた。私の背を撫でていた少年の手にまた力がこもっていく。目をとじる前に、窓の外を見た。海の空気は濃紺にかげり、曇った空に、月がのぼっていた。

 

──完──

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/05/02

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松本 侑子

マツモト ユウコ
まつもと ゆうこ 小説家・翻訳家 1963年 島根県出雲市に生まれる。『巨食症の明けない夜明け』で、すばる文学賞受賞。英米文学からの多数の引用を解明した訳注つき全文訳『赤毛のアン』『アンの青春』を手がける。

掲載作は、1996(平成8)年集英社刊の単行本『花の寝床』所収。