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言葉の自画像

暗澹と菜の花の黄に降りそそぎ音なき昼の時はすぎゆく  『輝く時は』

 

干網は白く芝生にうたれつつ輝く時のいまは過ぎゆく

 

心いまとがり秋陽のひびわれの草薙ぐ風に(たち)となりゆく

 

手を下げている明るさのひろびろとがんじがらめの白鳥の羽

 

青春はなおそれぞれに痛ましくいま抱きおこす一束の薔薇

 

暖かく日は照りながらかたわらに妻いることも不思議のひとつ

 

灯ともりてにぎわいてゆく水面を幼くなりて妻はよろこぶ

 

いちどきに咲き急ぐ白い花の下子を差し挙げていながら昏し

 

愛情を確かめ合いいる秋の日々あるときは樹のことばも借りて

 

淋しさを差し出してくるてのひらに暖かきもの載せてかえさん

 

芽ぶきどき木立の中は午後の風荒れつつ(うろこ)のごとき光が  『石の鳥』

 

青潮をいだく入江のふところに雨移り来て馬はより合う

 

青潮へふかく差し入る岬鼻いそぎきていま夕立過ぐる

 

成らざりしひとつはあれど紫の秋のしずくはのどを落ちゆく

 

繁みより繁みに移る鳥ありて秋ひかりつつたるる糸みゆ

 

馬撃たれ騎手もろともに倒れゆく馬の演技というを映せり

 

朱の酒はのどにひろがり秋の夜は胸の奥処の火事を見ている

 

大地より力を得しか黄牛(あめうし)は群れつつ秋の丘をこえ行く

 

広き葉を踏みて帰りし足裏をおもえば月光ぬれてかがやく

 

ささやきに似て秋の日は降るものを死を待つ人をかたわらにして

 

枇杷熟るる宵々なりき降りつぎてほのくらがりは母をつつめる

 

ややあける右目目守(まも)れば安らけく眠れる母かとしばし思えり

 

死のきわの手の冷たさを思い出で夜更すこしの水を零せり

 

折りこんでゆく秋の陽のくれないや少女の夢の鶴のかたちや

 

うたがいをもてるがごとく脚はこぶ丹頂鶴のすそ汚れたり

 

若葉闇奔馬つつむという恐れ少年の日の今もいだけり

 

口ぬらし枇杷食う夜は手のひらに黒き眼の種子を吐き出す

 

鋭心(とごころ)を鎮めむと来しゆふぐれや雨水(うすい)(はな)のうすきはりつけ   『春の雷鳴』 (以下旧かな)

 

夜の空遠く落ち行く春雷を聞きゐたりしがやがてねむりぬ

 

すもも咲く午後の眠りに近づける神の気配を知ることもなし

 

降り沈む雨びしよ濡れの花菖蒲なにに逆らふこころか兆す

 

校庭に桜の白き花びらはひろがり風に行きまどふなり

 

黙示録よみ進めをりつきつめて思へば常におのれかばひきぬ

 

葉の落ちて高さきはまる梢には糸屑のたれうす陽さしをり

 

ものなべて響きをたてむ冬晴れの空に少年の凧力みをり

 

一子のみわれら賜はり夜の卓にむきゐる秋の果肉よ白き

 

まどろめるわが(かうべ)にはわづかなる銀たまりゐて秋深むなり

 

まぎれ来しこの世の事とうべなひて千手観世音に向ひ立ちをり

 

一枚のガラスが支ふる夕茜手に脆きもの賜はり立てり

 

白黒の幕張りてある喪の家は路地の奥にて灯がもるるなり

 

勝手口をりをり笑ひの聲きこえ喪の家の内明りみちをり

 

行きて逢ふ人はなけれど安曇野の菜の花畑ひとり恋ふなる

 

ひとひらの感じに高く舞ひ上がり鳶はをりをり冬の陽のなか

 

雪の夜を別れ来ぬれば紀の国の黄金(きん)のみかんを恋ひわたるべし

 

水音は銀をふふみてたまりゆき深きねむりにあふれむとせり

 

感情は直接にしも現はるる聲うはずれる時に打ち合ふ

 

その胴に打ち込みしとき一瞬のすきは()れしか面を打たれぬ

 

弟に譲りし信濃の家古りて建てかふるとぞ伝へて来たる

 

いくばくか酒を好めど酒による人脈その他われよしとせず

 

口濡らし果実食べつつ今日の午後すれちがひたる神を思ふも

 

一枚のガラスが支ふる夕茜手にもろきもの賜り立てり

 

オリーブの薄緑なる粒の花こぼるるゆゑに右手をひらく

 

金網に吹き寄せられし紙屑の風にさからひやがてくづれぬ

 

わが(うち)の野の昏がりに舞ひくだる光の束のごとく白鷺

 

卓上にひろげし白紙かげりつつ遠ざかり行く春の雷鳴

 

箸先に生きて身をそる白魚(しらうを)をのみこみし夜半ひとりするどし

 

外国に留学したき()の願ひ抑えおさへてわがふがいなし

 

またたびに百獣の王酔へるさま秋の日なかに思ひ出でたり  『聲韻集』

 

降り継ぎて(ひる)に近づくころほひを障子の匂ひわづかたちそむ

 

録音機に再生されゐる()が聲を聞きつつ言葉の自画像を思ふ

 

ほのかなる虹を立てつつわがかたへ(おほ)き孔雀のよぎりてゆけり

 

演技との(きは)あいまいとなる時に役者といふはいかにかすらむ

 

若き日にをりをり襲ひし狂暴の思ひ萎ゆると酒に酔ひをり

 

あをき実の熟す日頃を言葉よりことばをえらぶ苦役たのしむ

 

ゆふかげの漂ふあはひひしひしと火は硝子戸に近よるものを

 

小綬鶏は若葉の闇にかくれゐて火を点じあふごとくに叫ぶ

 

みづからの意思つたへむと形もて色もて花はこの世に開く

 

次々に舞ひくだりくる丹頂鶴ながき脚先まづわれは見き

 

緊張をその脚先にあつめつつ丹丁鶴は地に下り次ぐ

 

紺色の半ズボン穿く疎開児を寒からむとて何時もおもへり

 

国語の本の朗読うまき疎開児を妬みすぐすを日常とせり

 

髪長くウェーブをたらす東京の少女の瞳つね意識せり

 

空襲の恐ろしきこと語れるに目を輝かせわれら聞きにき

 

日をつぎて疎開して来る彼等みな不思議なれども成績のよし

 

大方は土蔵の二階に住めれども疎開児の暮し貧しからざり

 

今日ひと日花を支へて立つ茎へ朝ひえびえと水注ぎをり  『蒼昏』

 

緊迫をそこにあつめて指揮棒を振りつづけゐる孤独あるべし

 

日溜りに泣きさけびゐる()の幼児右手にくろき砂にぎりをり

 

北窓に、茜の雲をみたるのち。遠妻の聲きかむと立てり

 

芽吹きたる欅のうへをこゆる時一羽の鶇なにかこぼせり

 

ほどかれたる黄の連翹の花の束釈迦のちひさき膝におかるる

 

一枚の硝子のへだつる暗闇にひしめき始めし刻をみむとす

 

高層に住みてたちまち十余年せっぱつまるといふ事忘るる

 

曇り日の空よりくだる白鷺のためらはず水面の闇を選びき

 

直線に水面を擦り遠ざかる鴨の首ここより定かに見えず

 

口中にひらひら間なくひるがへる舌赤きゆゑわれは信ぜず

 

通り来し硝子戸いくつきれぎれの今日の肉体をゆふべ集むる

 

しきりにも物音のする安息は日曜の長き午後におよべり

 

知る権利と知りたき興味の交ざり合ふ過剰報道に慣らされてゆく

 

誘拐ののちに殺害されしこと推理を交ヘテレヴィは伝ふ

 

梅雨ぐもる空のかなたの(おや)を呼ぶ孔雀の聲の高々ひびく

 

近づきて来る雷鳴は一つならずレモンを輪切りにしつつ聞きをり

 

雨のち晴れ、蛍袋のほの明り言葉を包みのびあがりをり

 

黙々とゆふべの飲食するわれが硝子戸の奥に似るしぐさせり  『今なら間に合ふ』

 

近づくは我がもう一人ウィンドウの若葉のそよぐはるか奥より

 

噛み合はぬ激論ののち硝子戸を出でて光の散乱を踏む

 

理髪店のドアを光らせ出でて来る初老なるわれすこし傾く

 

硝子戸の日だまりに来て憩ひゐし冬のアゲハも何時か消えたり

 

右の手を伸ばしし筈が硝子戸のわれは左手伸ばしてつかめり

 

右側と左側とより近づきて硝子戸のなかにて一人となりたり

 

ただよへる飛行船の影見えねども街の凹凸を移動してゐむ

 

うす蒼き陶器の底に小寒の卵黄はすこしふるへてとどまる

 

靴に踏む秋の芝生の弾力をあはれさびしみ西にあゆめり

 

帰り来しゆふべの部屋の卓上に書き損じたる紙つぶて伏す

 

卯月の空花ひらきたる花水木、花の横に花、風の横に花

 

高々と曇天に桐の花ともる、今なら間に合ふと歩きはじむる

 

飛びたてる鳥の行方を追ひし後水はゆふべの闇を宿せり

 

午睡より覚めて漂ふ肉体の火ともしごろを小綬鶏さけぶ

 

皮膚といふ皮でつつめる肉体をニンゲンと呼ぶこと時に疑ふ

 

石段をわれに先立ちくだりゆく影とふひらたき分身ひとつ

 

降り沈む雨をふふみて咲くさくらそのくれなゐの滴りやまず

 

森ゆらし油蝉鳴く夕暮れのいづくの森ぞかなかな混じる

 

自づから散り始めたる桜の花しばしその樹のめぐりただよふ

 

自動ドア過ぐるいくたび仄かなる痛みにも似る感覚おそふ

 

雨ののち俄かにあかるき桜の下ひととき狂ふことなどありや

 

木の幹にふきよせられてふくらめるビニール袋が聲なく喚く

 

白き花さはにそよげる昼を来て心処(こころど)くらし妻をいだかな

 

陶器より夜な夜なとび()つ烏ありと思へどつひに人には告げず

 

柘榴三個それぞれ割れて産院の玄関にありしを夜半に()ひ出づ

 

翔つ鳥の臓器を思ふをりをりに発光すらむと空あふぎをり

 

鬱々と葉桜そよぐ木下道うしろ向きに来る少年ひとり

 

この世から言葉を隠してしまひたる烏瓜垂れ動くともせず   『草木言問ふ』

 

ひよろひよろとペットの犬が前を行くくくみ鳴く鳩がはじけ遠のく

 

自動ドア出でたる刹那うしろにて我より切り離されし何かがありき

 

き、き、き、き、黄金(きん)のキンカン頬ばりて心あかるむ今宵なるべし

 

八重咲きの華やぐなれば曇天こそ鬱金(うこん)の桜に似合ふと思ふ

 

むきむきに花笑ふ鬱金桜の下何かにキレて聲をあげさう

 

高官の恋や不倫はプライベートの範疇やいなや、新聞をたたむ

 

収賄にて政府高官が()はれしと不徳とも甘えともこのごろ多し

 

若葉の闇午後の硝子戸を覆ふころ少年じみて変身をおもふ

 

カナカナは繁みに灯ともし池の面に灯ともし、我には故郷あらず

 

風のたびゆさゆさ上下に揺れあそぶ木蓮の花は神の爪として

 

リラ咲くに樫の若葉は闇深む、本日の午後は睡魔がおそふ

 

さう言へばポプラもイチョウも新芽から大人の形す、こまつしやくれて

 

みどり児は恐ろしき夢に目覚めしや若葉の窓へ泣きさけぶなり

 

午睡より目覚めし時にヴェランダに鳩の鳴きゐて妻不在なり

 

フレッシュマン五月病みても六月は少し気儘に遅刻などせよ

 

笑ひ疲れひと休みする紫木蓮厚き花弁をだらりとたらせり

 

ゆふぐれの明るさ動かす花水木風の横に花、の横に葉、葉、葉

 

泥のやうにわが眠りゐるころほひも新葉の上に月光ひかる

 

右に曲がる都バスが窓硝子にこすりたる花水木の花散りしやいなや

 

桐の花はうすぐもる空こそよく相応ふかぞへ始めて涙ぐみたり

 

小さき蜂出で入る藤の花房の滝にまぎれて戻らぬもよし

 

垂れてゐし房の先端の藤の花見とどけずああ五月もなかば

 

大麦の熟れて熱風おこすころしづまりがたき少年期ありき

 

黄金に熟れし小麦の穂波の上すれすれにつばくらは往きて帰らず

 

ぼそぼそと君が何かを語るとき眼鏡の逆光が表情をかくす

 

紫に熟しこぼれし桜の実踏みつつ振り向けば今日が消えゆく

 

橡の葉は天狗の舌だ ゆふぐれにだらりと垂らしこの世を笑ふ

 

すこしづつ社会機構を外れゆき自分本位の暮しに移す

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/10/04

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松坂 弘

マツザカ ヒロシ
まつざか ひろし  歌人 1935年 長野県に生まれる。

掲載作、『輝く時は』10首、『石の鳥』17首、『春の雷鳴』30首、『聲韻集』18首、『蒼昏』18首、『今なら間に合ふ』28首、『草木言問ふ』29首の150首は、2002(平成14)年初秋へかけて「ペン電子文藝館」のために自選。

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