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三つの声

  一 虚栄の声

飲めや友歌へ手嫋(たおやめ)

歓楽の数をつくして

山海の珍味を尽さん

夜も昼もわれら飽くまで

善も来よ悪も群れ

浮世をば只我まゝに

我まゝに大手ふりつゝ

渡りゆく身こそ(えら)けれ

黄金こそまことの帝

大臣も巡査も犬も

此前に頭を垂れて

道徳も人倫も空

「あやめ」なは位望むか

さらば只我れになびけや

多額納税貴族に列し

五萬円任従五位

「小菊」なは盃みたせ

「色香」なは肴をつけよ

「初音」汝は歌ふてひけよ

嗚呼黄金花さく御代や

何を歌ふ?

「しのゝめのストライキ」とや

とんで火にやけ死ぬ虫の

うじ虫の日やとひ職工

捨てゝおけ飢えてや死なむ

社会主義只やせ犬の

墓原に吠ゆるが如く

黄金の城の何のこしやくな

中止解散我意のまゝなり

飲めや友歌へ手弱女(たおやめ)

飽かずんば裸に躍れ

徳義何? 風教何ぞ

黄金の城の身こそ安けれ

 二 貧苦の声

五月雨の降りしくなかを

破れたる小笠にかくれ

出でゆきてすぐれぬ面の

目につきてこらへかねつも

かこつ心露もたねども

貪の身は「ぐち」に痩せて

一時もやすき眠りに

我がせこを置きし夜もなし

嬰児(ちご)なけば胸はやぶれて

紅き血の流れはすれど

着するべき衣はなくて

のますべき乳は涸れけり

嗚呼工場の雨に日くれて

疲れはて帰り来ますを

如何にして慰むべきか

この肉をさかば如何にぞ

されどこれもいたくやせたり

嗚呼この世消えて行けかし

此命消えてゆけかし

降る雨の水面に落ちて

名残なく消えてゆくごと

神楽坂神の助けも

あらざりし世こそうたてき

降る雨にしとゝ打たれて

逝きしとはあさましきかな

其面は土の如くに

其腕は糸の如くに

其胸をやぶりやぶりて

紅き皿を吸ひしは誰れぞ

君が血は我等のいのち

君が手は我が杖なりき

さるに今いのちにはなれ

盲目らは杖を折られぬ

嗚呼この世消えて行けかし

此命消えてゆけかし

隠る雨にしとゝうたれて

消えゆきし其人のごと

 三 大霊の声

生めよ繁殖(さかえ)よ地に満てよ

とはによかれとわがのりし

わが花園は醜草(しこぐさ)

今さかりなる浮世かな

昔林檎の木のかげに

かくれて住みしへびの如

今の錦のもすそには

貧の血を吸ふまむしあり

歌は欄干に漂ふて

絃声夜気をふるはする

高楼の下をよくみれば

貧にかれたる骨白く

(やう)々もゆる若草は

黄金の岩に圧へられ

逢ふべき春の野べにだも

花に(さち)なき長恨賦

嗚呼只かりに与へたる

人の権威のなどてかく

罪なき民をくるしめて

其血と肉を(むさぼ)るか

及ぶ手なきを誇り気に

嵐を知らぬ花のごと

富と権威の人の子は

此大霊をわすれしや

いざ今さらば四十夜の

雨はかの地に送らずも

無象の風に(うち)のりて

道の軍の鯨波(とき)あげん

黄金の栄光(さかえ)何日(いつ)までぞ

小さき権威は水の泡

天のラツパの響くとき

只見る前のちりほこり

立てよ楼下に枯れし骨

起きよ斃れし貧の民

岩のはざまの若草も

今いましらの春や来む

歌へ其時大ごゑに

新らしき世のあり様を

愛と平和と平等を

われは無限にほゝ笑まむ

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/11/27

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松岡 荒村

マツオカ コウソン
まつおか こうそん 詩人。1879(明治12)年~1904(明治37)年。熊本県生まれ。明治35(1902)年、足尾銅山鉱毒事件の田中正造の直訴に賛同し、鉱毒問題演説会を開いたり、1903(明治36)年、社会主義協会に入ったりした。北村透谷の浪漫主義を最もラジカルな形で受け継いだ詩人と言われる。25歳で病没、明治期の多感な青春を象徴する。

掲載作は1903(明治36)年6月と7月に「社会主義」に掲載された。生前には著作がない。没後、1905(明治38)年に『荒村遺稿』として刊行されたが、発売禁止となった。『明治文学全集83 明治社会主義文学集(一)』(1965年、筑摩書房刊)所収。

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