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萬葉集巻十六

 萬葉集は歌集の王なり。其歌の真摯に且つ高古なるは其特色にして、到底古今集以下の無趣味無趣向なる歌と比すべくもあらず。萬葉中の平凡なる歌といへども之を他の歌集に(さしはさ)めば(おのづか)ら品格高くして光彩を発するを見る。しかも此集今に至りて千年、未だ(かつ)て一人の(これ)を崇尚する者あるを聞かず。眞淵の萬葉を推したるは卞和(べんくわ)(ぎよく)を献じたるに比すべきも、彼(なほ)此玉を以て極めて瑕瑾(きづ)多き者となしたるは、善く玉を知らざりしがためなり。眞淵は萬葉に善き歌と(あし)き歌とありといふ。歌に善きと悪きとあるは何の集か(しか)らざらん。然るに特に萬葉に於てしか云ふ者は萬葉には殊に悪歌多き事を認めたるに(あらざ)るか。萬葉に於て悪歌多しといふ裏面には、古今、拾遺(など)が比較的に善く精選せられたるを意味するに非ざるか。若し然らば眞淵は萬葉の悪歌を以て古今の悪歌よりも更に悪しとする者にて、余の所見と全く異なる所見を抱き居りし者なり。余は眞淵を以て萬葉を解せざる者と断言するに躊躇せざるなり。論より證拠、眞淵の家集を(ひもと)いて彼の短歌(長歌の事はこゝに言はず別に論あり)が萬葉の調(しらべ)に近きか、古今以下の調に近きかといはゞ無論何人(なんぴと)も古今以下の調に近き事を認めざるを得ざるべし。眞淵は口にこそ萬葉善しといへ、其実、腸には古今以下の臭味深く()み込みて(つひ)に之を洗ひ去る事(あた)はざりしなり。只彼の歌が多くは字句の細工を(しりぞ)けて、趣味ある意匠を選ぶに傾きたるは、当時に在りては極めて卓越せる意見にして、これこそ、彼が萬葉より得来りたる唯一の(たまもの)なりけめ。されど萬葉の長所はこれに止まらず。眞淵は僅に趣向の半面を見て調子の半面を見得ざりしなり。萬葉の調子の善きは如何なる凡歌といへども眞淵の歌の調子抜けたるが如きはあらず。(いは)んや眞淵は趣向の半面すら其一部分を得たるに過ぎず。萬葉の趣向は眞淵の歌の如く変化少き者にあらざるなり。

 眞淵以後萬葉を貴ぶ者多少之れ有り。されども其萬葉に貴ぶ所は其簡浄なる処、荘重なる処、高古なる処、眞面目なる処に在りて、(かつ)て其他を知らざるが如し。簡浄、荘重、高古、眞面目、此等が萬葉の特色たる事は()(また)異論無し。萬葉二十巻、殊に初の二三巻が善く此特色を現して秀歌に富める事は余も亦之を是認す。只萬葉崇拝者が第十六の巻を忘れたる事に向つて余は不平無き能はず、(むし)ろ此一事によりて余は所謂(いはゆる)萬葉崇拝者が能く萬葉の趣味を解したりや否やを疑はざるを得ざるなり。余は(こゝろみ)に世人に向つて萬葉第十六巻の歌を紹介し、我邦の歌、しかも千年前の歌に此種類の歌ある事を現すと同時に、萬葉集の中に此一巻ある事を知らしめんと思ふなり。

 萬葉第十六巻は主として異様なる即ち他に例の少き歌を集めたる者にして、趣向の滑稽、材料の複雑等(その)特色なり。(しか)し調子は皆萬葉通じて同じ調子なれば如何(いか)に相違あるも其萬葉の歌たる事は一見まがふべくもあらず。左に其一二を挙げんか。

 

 さし鍋に湯わかせ子供いちひ津の檜橋より来むきつにあむさむ

 

 こは狐の鳴くを聞きてよめる歌にて狐に沸湯(にえゆ)を浴びせてやらんと戯れしなり。眞率なる滑稽甚だ興あり。

 

 す(こも)敷き青菜煮もてきうつばりにむかばき懸けてやすむ此君

 

 或る食事の時の有様なるべし。或る人が行縢(むかばき)(はり)に懸けて休息して居る処へ薦(食事のために敷く者)を敷き菜を煮て持て来たといふ事にて、材料極めて多し。

 

 はちす葉はかくこそあれもおきまろが家なる者はうもの葉にあらし

 

 うもの葉は芋の葉なり。おきまろは人名なり。これは蓮の葉を見て「これは蓮の葉ぢや、おき丸の内にあるのは芋の葉であつたらう」といふ意なり、無邪気なる滑稽今人の思ひよらぬ処なり。

 

 玉箒かりこ鎌麻呂むろの樹と棗がもとゝかき掃かむため

 

 鎌麿は鎌を擬人法にしたるなり。玉箒は箒木なるべし。我邦(わがくに)に擬人法無しといふ人あれど物を人に擬するは神代記に多く見え歌にも例あり。此巻に鹿と蟹とが自己の境遇を述ぶる長歌二首あり。擬人法の長き者なり。

 

 からたちのうばら刈りそけ倉建てむ(くそ)遠くまれ櫛造る刀自

 

 歌に糞を詠まずといふ人あれど此歌には詠みこみあり。しかも屎まると詠みたり。

 

 勝間田の池はわれ知る(はちす)無ししかいふ君が鬚無きがごとし

 

 こは人の知れる歌なり。或る人、勝間田の池の蓮を見て帰りて其趣を女に語りけるに女此歌を詠みて戯れたるなり、其実、池には蓮多くあり。其人には鬚多くあるを反対にいへる処滑稽にして面白し。此歌の第二句「池はわれ知る」とあるは「池は蓮無し」といふべき其中へ「われ知る」の一句を挿入したる処最も(たくみ)なる言葉づかひなり。後世の歌、此変化を知らざるがため単調に()ち了れり。萬葉調を主張しながら「句の独立」などくだらぬ論を為す者は論語よみの論語知らずとやいはん。ついでにいふ、前の歌も此歌も三句切なり。

 

 奈良山の児の手柏(かしは)のふたおもにかにもかくにもねぢけ人の友

 

 佞人(ねいじん)を詠めり。此歌、殺風景なる佞人を題としながら其の調(しらべ)の高きために(ことば)気高(けだか)く聞ゆるなり。此調の高き所以(ゆゑん)は初句より一気呵成に言ひ流し最後に名詞を以て結び、一箇の動詞をも著けざる処に在り。末句を八字にしたるも結ぶに力強ければなり。此調萬葉以後に無し。

 

 吾妹子(わぎもこ)が額におふる雙六(すごろく)のことひの牛の鞍の上の(かさ)

 

 此歌は理窟の合はぬ無茶苦茶な事をわざと詠めるなり。馬鹿げたれど馬鹿げ加減が面白し。

 

 寺々の女餓鬼(めがき)申さく大みわの男餓鬼たばりて其子産まはむ

 

 これは大みわの朝臣といふ人が餓鬼の如く痩せたるを嘲りて戯れたる者にて、女の餓鬼が大みわの朝臣を夫に持ちて子を産みたいといふ、といへる、奇想天外なり。普通ならば「夫に持ちたい」といふばかりにて結ぶべきを更に一歩を進めて「其子うまはむ」といふ処作者の技倆を見るに足る。ついでにいふ、前の歌の「雙六」此歌の「餓鬼」皆漢語なり。

 

 このごろの吾が恋力(こひぢから)記し集め功に申さば五位の冠

 

「功」「五位」皆漢語なり。恋に骨折る功労をいはゞ五位ぐらゐの値打はある、と自ら戯れいへる歌なり。

 恋に骨折る程度ともいふべき事を「こひぢから」といふ一語につづめたる作者のはたらき畏るべき者あり。此の活用あるため萬葉は常に調子高き事を得たるに反し、古今以後にては詞は総て古きによるの主義にて全く造語を禁じたるため皆腰抜の歌となりたり。時として近時の俗謡に調子善き者あるは詞に束縛せられずして却て詞を活用するに因る。(おのづか)ら萬葉の(むね)を得たるものなり。

 長歌はこゝに論ぜざる者なれど余り珍しければ前に言ひたる蟹の述懐の歌一首を挙ぐべし。

おし照るや難波のを江に、(いほ)つくりなまりて居る、葦蟹(あしがに)大君(おほきみ)召すと、何せむにわを召すらめや、あきらけく吾が知る事を、歌人(うたびと)とわを召すらめや、笛ふきとわを召すらめや、琴ひきとわを召すらめや、かもかくもみこと受けむと、今日今日と飛鳥に到り、立ちたれどおきなに到り、つかねどもつくぬに到り、ひむがしの中の御門(みかど)ゆ、参り来てみこと受くれば、馬にこそふもだしかくもの、牛にこそ鼻縄はくれ、足引の此片山の、もむ楡を五百枝(いほえ)剥垂れ、天照(あまて)るや日のけに干し、さひづるやから臼につき、庭に立つから臼につき、おしてるや難波の小江(をえ)の、はつ垂れを(から)く垂れ来て、陶人(すゑひと)の作れる(かめ)を、今日行きて明日取り持ち來、わが目らに塩ぬりたべと、申しはやさも、申しはやさも

 これは初より終迄蟹の詞にて、大君が蟹を塩漬にして(にれ)の皮に交ぜて喰ふ、といふ事をのべて斯くいへるなり。此大意を俗語にて言はば「難波の海に我(蟹自らいふ)が穴を造りて住んで居ると、君よりお召しがある、何事に召さるゝであらうか、我を歌人と思ふて召さるゝでもあるまい、笛吹や琴ひきと思ふて召さるゝでもあるまい、とにかくに(おほせ)承らんと飛鳥(あすか)の宮に行きて承れば(にれ)の皮を乾して(うす)について、難波の塩の垂れ塩の辛い処を取つて来て、瓶を明日持つて来て、我が目へ塩を塗つて喰ふて下され喰ふて下され」とでもいふやうな事なるべし。言葉つゞきの理窟に合はぬ処あるは(かへつ)て面白し。

 此等の歌は皆趣向の珍しきのみならず、其趣向が文学的の趣味を帯び居るがためにいづれも善き歌として余は賞翫するなり。此一巻は萬葉の光彩を添ふると共に和歌界の光彩を添ふる者として、余は特に之を()き出だしゝなり。然るに所謂(いはゆる)歌よみ等の之を擯斥(ひんせき)するは其趣向の滑稽なりとの理由による者にやあらん。何故に滑稽は擯斥すべきか。

 滑稽は文学的趣味の一なり。(しか)るに我邦(わがくに)の人、歌よみたると絵師たると漢詩家たるとに論なく一般に滑稽を排斥し、萬葉の滑稽も(いやしく)も滑稽とだにいへば一網に打尽して美術文学の範囲外に投げ出さんとする、是れ滑稽的美の趣味を解せざるの致す所なり。狂歌狂句の滑稽も文学的なる者なきに非ず、然れども狂句は理窟(謎)に傾き狂歌は駄洒落に走る。(古今集の俳諧も駄洒落なり)これを以て萬葉及び俳句の如く趣味を備へたる滑稽に比するは味噌と糞を混同する者なり。鯛の味を知つて味噌の味を知らざる者は共に食味を語るに足らず。眞面目の趣を解して滑稽の趣を解せざる者は共に文学を語るに足らず。否、味噌の味を知らざれば鯛の味を知る(あた)はず、滑稽の趣を解せざれば眞面目の趣を解する能はず。()にや彼歌人は趣味ある滑稽を(しりぞ)けて却て下等なる駄洒落的滑稽を取る事其例少からず。こは味噌と糞とを混同するにあらずして味噌の代りに糞を喰ふ者なり。

 且つ萬葉巻十六の特色の滑稽に限らざるは前にいへるが如し。複雑なる趣向、言語の活用、材料の豊富、漢語俗語の使用、いづれも皆今日の歌界の弊害を救ふに必要なる條件ならざるはあらず。歌を作る者は萬葉を見ざるべからず。萬葉を読む者は第十六巻を読むことを忘るべからず。

 

   (明治三十二年二月~三月)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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正岡 子規

マサオカ シキ
まさおか しき 歌人・俳人・批評家 1867・9・17(陽暦10・14)~1902・9・19 伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)に生まれる。近代短歌・俳句の新鮮な邁進に力強く魁けた稀有の論客で、後々の「アララギ」「ほととぎす」への堅固な基盤を用意した。重篤の難病にはやく倒れて後も病床から優れた批評や随筆を世に送り、「写生・写実」という文藝観を確立して36歳で逝去。

掲載作は、1899(明治32)年2・3月に書かれ、萬葉集評価にユニークな視野を広げて後生を感化した。

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