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漢字御廃止之議

 国家の大本は国民の教育にして其教育は士民を論せす国民に(ひろ)からしめ之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひさる可らす 其深遠高尚なる百科の学に於けるも文字を知り得て後に其事を知る如き艱渋(かんじふ)迂遠(うゑん)なる教授法を取らす(すべ)て学とは其事理を解知するに在りとせさる可らすと奉存候 果して然らは御国に於ても西洋諸国の如く音符字(仮名字)を用ひて教育を布かれ漢字は用ひられす終には日常公私の文に漢字の用を御廃止相成候様にと奉存候 漢字御廃止と申候儀は古来の習用を一変するのみならす学問とは漢字を記し漢文を裁するを以て主と心得居候一般の情態なるに之を全く不用に帰せしむると申すは容易の事には無之候得とも能く国家之大本如何を審明(しんめい)し御廟議を熟せられ而て広く諸藩にも御諮詢(しじゆん)被遊候はゝ其大利益たること判明せられ存外難事に非すして御施行相成り得へきやと奉存候 目下御国事御多端にして人々競て救急策を講するの際此の如き議を言上仕候は甚迂遠に似て御傾聴(けいちやう)被下置候程も如何有御坐()憚入(おそれいり)奉存候得共御国をして他の列強と併立せしめられ候は是より重且大なるは無之やに奉存候に付不顧恐懼(きようく)敢て奉言上候 学事を簡にし普通教育を施すは国人の知識を開導し精神を発達し道理芸術百般に於ける初歩の門にして国家富強を為すの礎地に御坐候得は成るへく簡易に成るへく広く且成るへく速に行届候様御世話有御坐度事に奉存候 然るに此教育に漢字を用ひるときは其字形と音訓を学習候為め長日月を費し成業の期を遅緩(ちくわん)ならしめ又其学ひ難く習ひ易からさるを以て就学する者甚た稀少の割合に相成候 稀に就学勉励仕候者も惜むへき少年活溌の長時間を費して只僅に文字の形象呼音を習知するのみにて事物の道理は多く暗昧(あんまい)に附し去る次第に御坐候 実に少年の時間こそ事物の道理を講明するの最好時節なるに此形象文字の無益の古学の為めに之を費し其精神知識を頓挫(とんざ)せしむる事返す返すも悲痛の至りに奉存候 (そもそも)御国に於ては毫も西洋諸国に譲らさる固有の言辞ありて之を書するに五十音の符字(仮名字)有之(仮名字の出所に種々の論説有之又御国古文字等の論説も有之候得共本議には不用に御坐候得は(ここ)には附記不仕候)一の漢字を用ること無くして世界無量の事物を解釈書写するに何の故障も之れ無く誠に簡易を極むへきに中古人の無見識なる彼国の文物を輸入すると同しく此不便無益なる形象文字をも輸入して(つひ)に国字と(なし)て常用するに至りたるは実に痛歎の至に御坐候 恐多くも御国人の知識此の如くに下劣にして御国力の此の如くに不振に至りたるは遠く其原因を推せは其素の毒を(こゝ)に発したるなりと痛憤に不堪奉存候

 因みに米人ウヰリアム某か一話を御参考の為めに記して御賢覧に奉供候 同人は亞米利加合衆国の基督教の宣教師にて亞細亞地方に同教宣布の為め先つ支那に渡航し咸豊(かんほう)の末迄同国に於て支那語を学ひ夫れより長崎に来りて近頃迄同所に本邦語を学ひ居たる者に御坐候 同人は始て支那に(わた)りたる頃一日或る一家の門を過たるに其家中に多数の少年輩か大声に号叫する頗る喧囂(けんがう)なるを以て何やらんと門に入りて之を見れは其家は学校にして其声は読書の音なり 何故に斯く苦しけなる大声を発して囂号するかと疑ひたるに後日其実況を知れは怪むに足らさる事なり 彼等は其読習する所の書籍には何等の事を書たるやを知らすして只其字面を素読して其形画呼音を暗記せんと欲するのみなり 其読む所の書は経書等の古文にして老成宿儒(らうせいしゆくじゆ)の解に苦む所のものなり 支那は人民多く土地広き一帝国なるに此萎靡(ゐび)不振の在様に沈淪(ちんりん)し其人民は野蛮未開の俗に落ち西洋諸国の侮蔑する所となりたるは其形象文字に毒せらるゝと普通教育の法を知らさるに坐するなり 今日本に来りて見るに句法語格の整然たる国語の有るにも之を措き簡易便捷(べんせふ)なる仮名字のあるにも之を専用せす彼の繁雑不便(はんざつふべん)宇内無二(うだいむに)なる漢字を用ひ句法語格の不自由なる難解多謬(たびう)の漢字に據り普通の教育を為すか如し 此の活溌なる知力を有する日本人民にして此の貧弱の在様に屈し居るは全く支那字の頑毒(ぐわんどく)に深く感染して其精神を痲痺(まひ)せるなり云々と 是等の話頭は漢字漢学を以て薫陶せられたる多数の邦人及之を以て最上等の学文なりと妄信する学者輩の聞くときは(いたづら)に驚怪するのみならす魔語賊言として排斥可仕候得共深識遠慮の具眼者をして聞かしめ候はゝ涕泣(ていきふ)賛歎可仕候 恐多き事なから何卒賢明なる慧眼を以て深く此意を御洞見被遊度誠に悃願(こんがん)の至に不勝(たへず)奉存候

 漢字を御廃止相成候とて漢語即ち彼国より輸入し来れる言辞をも併せて御廃止相成儀には無御坐只彼の文字を用ひす仮名字を以て其言辞を其侭に書記するは(なほ)英国等の羅甸(ラテン)語等を其侭入れて其国語となし其国の文字綴(つづり)を以て書記すると同般にするの謂に御坐候 即ち「今日」を「コンニチ」「忠孝」を「チウカウ」と記るす類に御坐候 此の如くせは(ハシ)(ハシ)(ハシ)の混雑あるへく又「(カスミ)野辺(ノへ)香哉(ニホヒカナ)」「カス。ミソ。ノ。ヘノ。ニホヒ。カナ。」と誤読する如き句切りを(あやま)る恐ありなと非難仕候者も可有之候得共是等は文典を制し辞書を編し句法語格接文の則を西洋諸国に既成のものと御国固有の者とを参酌(さんしやく)折中して御制定相成候ときは毫末(がうまつ)恐るゝに足らさる儀にして而かも漢字の如く騒乱字と乱臣字の如き混雑も無く又大将軍大将なるかなる将軍なるかひにさにせんとするなるかひにふると読むなるかを弁別し難き病は無御坐候 漢文の如き句法語格の無きものすら前後の語勢と人知の理会を以て大将軍は即ち大将軍たる官職と理会し征夷大将軍を読て「してひにさにせんとす」とは(いづ)れも理会する者は無御坐候

 国文を定め文典を制するに於ても必ず古文に復し「ハベル(侍ル)」「ケルカナ」を用る儀には無御坐今日普通の「ツカマツル(仕ル)」「ゴザル(御座ル)」の言語を用ひ之れに一定の法則を置くとの謂ひに御坐候 言語は時代に就て変転するは中外皆然るかと奉存候 但口舌にすれは談話となり筆書にすれは文章となり口談筆記の両般の趣を異にせさる様には仕度事に奉存候 是等の如きは学術上に渉りたる事柄にて元より本議御採納(さいなふ)の上其事業に御着手のとき学者輩の議に任すへきものに御坐候得共御賢按(けんあん)の御資料に迄取摘み言上仕置候

 漢字を普通一般の教育上に廃することは素読習字即ち文字の形画呼音を暗記し之を書写するの術を得る為めに費す時間を節減仕候に付一般学年の童子には少くも三ケ年専門高上の学を(をさ)むる者には五六乃至七八年の時間を節省せしむへく此節省し得へき時間を以て或は学問に或は興業殖産(しよくさん)に各其所望に任して用ひしめは勝て算すへからさるの利益なるは毫末疑を容れさる事と奉存侯 乍恐(おそれながら)此時間利用の一件に就ては殊に賢意を被為注度奉存候 御国人の時を徒費して惜まさるは実に歎しき至に御坐候 大禹か惜寸陰(せきすんいん)の格言を万般の実業に実施せしむこそ実に治国の大要件と奉存候

 次に普通一般の教育法を御改良不被遊候ては一般の知識を開達せしめす其愛国心を厚からしむることは無覚束事(おぼつかなきこと)と奉存候 前にも申上候通り国人皆自国を以て無上至善の国と自信し自ら自尊の志を(おも)ひて寸毫も他に譲らさるの気象を保たされは真誠の愛国心を発揚仕り兼ね候 御国人の所謂大和魂は一種特有の魂気の如く御坐候得共決して然るものには有御坐間敷取りも直ほさす愛国の一心に外ならすと奉存候(自尽決死に果敢なるか如きは大和魂の一部分なるに過きすと奉存候)

 御国普通一般の教育は上下の二等に分れ其下等なるものは只僅に姓名の記し方消息の書き方及其職業に就て要用なる字面を(そらん)するのみにして(をは)り宇宙間事物の道理の如きは分毫も之を教示するもの無之国外国ある事をすら知る者少き状態に候得は愛国心の如きは是等の種族中には絶て影たに映出致せし事は有之間敷奉存候 其上等なるものに於ては先つ四書五経の素読より支那の歴史に相渉り文物制度より治乱興敗の蹟を講し候にて御国の古典歴史の如き課外の業に附し去りて之を知るも知らさるも教育上には関係無きは一般に御坐候 故に彼を尊み己を卑むの病は早く(すで)に彼等の脳裏に感染し愛国心を傷け候 素より知識を開達せんには広く宇内の事績を講明するを肝要と仕候得は支那は差措き西洋の書をも閲読せしむるは勿論之儀に候得共普通一般の教育に就ては尤も本邦の事物を先にし他邦の事物を容れて自国の事物の如く自国の言語を以て教授し(即ち学問の独立)少年輩の心脳をして愛我尊自の礎を固めしむること甚た肝要の事と奉存候 他を学て而て后我を知るか如きは主客を転倒し順叙を(あやま)るの本にして風習の大体に就て大妨碍(だいばうがい)と相成候 学者の常に()ふ我民をして尭舜の民たらしむ 英雄を論して楠正成は諸葛孔明に似たりと云ふ如きは主客順序を転倒するものにして邦俗風習を卑屈ならしむるの一例に御坐候 西人某の談話に日本人は大和魂と云々すれとも従来漢学を以て学問教育の基本とするゆへ一種の支那魂ありて大和魂(愛国心)に乏し 輓近(ばんきん)に至りて漸く西洋学を為す者増加せるゆへ早く学問の順叙を改正して之を制せされは他日は自ら一種の西洋魂を輸入して支那魂と衝突し不可謂(いふべからず)の葛藤を起し其極大和魂を皆無にすへしと (これ)は外人の妄評には御坐侯得共亦全く御遠慮の外に可被為措の一話とも不奉存候故に願くは速に学問独立の大本を被為立御国語を以て編纂したる徳育の書(孝悌忠信徳誼品行上に係るもの)智育(歴史地理物理算数等に係るもの)の書下等上等の両区に分ち彼我主客等皆其叙次を定て一般普通の教育に御適用被遊候様御廟議有御座度奉存候

 学問の順叙を立てさる教育は愛国心如何の一点に止らす御国人一般の智徳を発達せしめさる大病源に御坐候 (たと)へは仁義とか明徳とか治国平天下とか云へるは老成学者の猶明解に苦しみ老練為政家の難しとする所のものに御坐候処童年初歩の教授本と致候に付可惜智力発揚の時間を之に費し数年の苦学は僅に素読の一事に(とどま)り随て(やむ)れは従て其字面をさへ忘失し全く無価の徒労と相成候 又学問は只道徳上のものとのみ見做(みなし)候に付物理の学の如きは古来全く教育上の物とせす技術上の教育に於ては之を職工の賎業とし学校の門に入れさるより工芸陋劣(ろうれつ)風教浮薄此貧弱未振の今日を致し志士をして痛歎血泣せしむるの悲況に立至り候 畢竟自尊独立の気象を盛にし愛国至誠の心を固からしむるは富強の二力に職由(しよくいう)仕候は今更申上候迄も無之其大原たる実に学問の順叙方法其宜を得さるに帰着仕候段は深く御賢慮被遊度 (けだ)し此儀は方今学者の多く力を極め言を尽て排斥する所と奉存候得共是等俗儒庸士(ぞくじゆようし)の能く知る所の者に無御坐候得は彼等の紛儀は御峻拒被遊何卒御廟議英明の果断に被為出度切至(せつし)奉悃願(こんがん)候 実に此儀は空前絶後千載の一事と乍恐奉存候

 前記第三と事項を分て申上候御布令其他に漢字を用ひさる云々は廃漢字の手続まてにして別に可申上程の緊要は無御坐候 斯く御手段を不被遊候ては一般をして速に漢字を用ひす国文を用ふるの時を得難く又斯くあらは相互の私書には御立入無御坐旨を明にするの御便宜も可有と奉存候 但地名人名に漢字を用ひさるときは喩へは松平を「マツタイラ」「マツヒラ」「マツヘイ」「シヤウヘイ」其外「シヤウヒラ」「シヤウタイラ」何と読て然るへきや其人に聞かされは其正を得さる如き実に世界上に其例を得さる奇怪不都合なる弊を除き万人一目一定音を発する利を()ては此御美挙(びきよ)なるを普く賛賞仕候儀は尤速なる御事と奉存候

 右は御用御多端の際御通覧の労を憚り卑懐の幾分を言上仕候迄に御坐候間幸に御一覧の栄を賜り候上にて尚御下問の御儀も被為有候は難有謹て(つまびらか)に言上可仕候 但微賎の分限をも不顧奉犯尊厳候段其僭越の罪は元より湯くわく(=難漢字 たうくわく)をも不奉辞謹て待罪罷在候 恐々謹言

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/04/07

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前島 密

マエジマ ヒソカ
まえじま ひそか 明治期の官僚 1835・1・7~1919・4・27 越後(新潟県)生まれ。我国近代郵便制度の確立に努めた。国字改良論者としても知られる。

掲載作は1866(慶応2)年12月、時の将軍徳川慶喜に奉った建白書である。長崎遊学中に知り合ったアメリカ人宣教師から「難解多謬の漢字」による教育の不都合を指摘されたことによるとされる。明治に入り近代国家建設の大本である教育普及には国字、国文の改革が不可欠なものとみなされるにいたり、改めてこの建言は見直され、大きな問題として浮かび上がった。言文一致の国語改革の出発点とも言える史料である。

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