逸見猶吉詩集(抄)
目次
兇牙利的(ウルトラマリン第二)
レイタンナ風ガ渡リ
ミダレタ髪毛ニ苦シク眠ル人ガアリ
シバラク太陽ヲ見ナイ
何処カノ隅デ
毀ワレタ椅子ヲタタイテ
オレノ充血シタ眼ニイツタイ何ガ残ル
サビシクハナイカ君 君モオレヲ
何処ニモナイ君ノヨロコビノ為ニ元原ノ表出 彼ノ大樹ノ
裂カレタ幹ニ 君ノ光栄アル胸ヲ飾レ
イノチ有ルモノニ歌ハシメヨ 歯モ露ハニ眠ルモノ 君ノ
眼窩ニ千年ヲ
アア 吹キ捲ル風ニ撓ンデ 殷賑タレ
曝サレタ歌
歯モ
死ノヤウニ
告ゲルコトナク家ヲ
精神稀薄ノモノ 憂鬱デ扁平ノモノ 情操ナク可憐ノモノ ソノ哀情ノ毒ヲ払へ
イッサイハ其ノ中ニ在ル
経験卜認識ヲ超エテ 彼等ハツネこ饒舌ヲ極メル
大街道ノ屋根ヲ
海ハ遮ラレテ一枚ノ紙ノムカフ 激動セヨ オレノ
錆ビ荒レタ鉄ノ橋梁カラ
ツラナル大街道ノ諸道具ヲ
星ハ還ルデアラウカ星ハ 地平ヲ
何処こモナイ君ノヨロコピノタメニ
元原ノ表出 彼ノ大樹ノ裂カレタ幹ニ 君ノ光栄アル胸ヲ飾レ
イノチ有ルモノこ歌ハシメヨ 歯モ露ハニ眠ルモノ 君ノ
アア 吹キ
ある日無音をわびて
ぺこペこな自転車にまたがつて
大渡橋をわたつて
秩父颪に吹きまくられて
落日がきんきんして
危険なウヰスキで舌がべろべろで
寒いたんぼに淫売がよろけて
暗くて暗くて
低い屋根に鴉がわらつて
びんびんと硝子が破れてしまふて
上州の空はちいさく凍つて
心平の顔がみえなくて
ぺこぺこな自転車にまたがつて
コンクリに乞食がねそべつて
煙草が欲しくつて欲しくつて
だんだん暗くて暗くて
眼 鏡
どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすくろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鉄橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろく倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天が墜落しよう
黒龍江のほとりにて
アムールは凍てり
寂としていまは声なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものか
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに蔵せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる転移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ来たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は来れ
我が韃靼の海に春近からん
人傑地霊
巻きあげる龍巻を右とみれば
きまつて
左に巻き上る時
これこそ
かかる無辜にして原始なる民度の
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を駆つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の真に迫る時だ
彼は若く充実せる気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地霊を信じる者だ
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/01/30