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幾春別

光り苔しめりただよう(うろ)ふかく光る一途(いちず)を生きねばならぬ

 

散りぎわの香りをのせて風に渡す花よりかろく転身はあれ

 

沈みゆくもののかたちに人ねむり水中花のみ明るき真昼

 

隧道は地層のしずく(こぼ)しいて風はしるとき山の泣くこえ

 

原型をくずさぬように魚煮つつ生臭きもの家居に満たす

 

単線の終着駅に降り立ちてなお奥をもつ内耳のさむさ

 

一つ炭層に送りこまるる男らの朝の人車に歯ぐきにおわす

 

ビルド・アンド・スクラップある日統計屋の手土産に微量の黒黴

 

太陽に灼かれし肌に膏ぬりて坑道をゆく肉色もぐら

 

墓よりも深き地底に人あればコンプレッサーの音たしかめて眠る

 

〈深部緩傾斜炭層開発〉の坑ふかく妻子らの知らぬ男の年譜

 

億年の安息えぐる資本論 石炭(いし)の華売る〈黒い・城郭(シャトー・ノワール)

 

一千メートルの深坑すでに煉獄として悪魔の贈り物 そは一酸化炭素

 

いつも不意に喪は持ち込まれ悲しみのプロローグに届く花輪の

 

葬儀屋はまず哀しみに防腐剤 祭りのような電飾ともす

 

言葉にはなせぬ怒りか炭層にツルハシが描く楔形の文字

 

公園にいつも輝く噴水と類型に手を挙げてシュプレヒコール

 

他国ものの足裏さみし路傍に敷かれし石のまろさに転び

 

石ひとつ飲んで真珠の言葉はき帰りて漱ぐ(のみと)のいたみ

 

霜の中に麦のみどりの伸びるとう 母のあること俄にうれし

 

ふかぶかと一樹を植える穴掘らす 流氓しならば堕落ならむか

 

老い父の(はだえ)に似たる瓶ありて語らぬ生の深きをたたう

 

北へ向きテールランプの朱が動くすでに灯ほどの故郷となり

 

くやしみを超えなん意図のあるべかり水溜まりの空に散れる花びら

 

耿々と滅びてゆきし月の人朝を帰りて永眠(いね)しままなる

 

いとしきを野に奪われし獣にて風を聞くさえ耳尖りゆく

 

闇につづく黝きひかりの道なれば先達として()は逝きたらむ

 

雨あしは矢の寂しさに打ちつづけ(ほう)の葉裏に伸びし繊毛

 

沛然と降れる彼方に見送りしうしろ背なれば乾く間はなし

 

みまかりし後えいえいと微笑める遺影と雪の中なる朱の実

 

たまらなく寂しき日ざし 川底の小石すこしく転がりたりし

 

夕焼けのさかる運河をいでて()く船のへさきに男は()えむ

 

水上(みなかみ)に棲む魚なおも水上へ(のぼ)ると言いし父みまかりぬ

 

月の子を宿しておちる軒雫 母にかなしき男子(おのこ)となりぬ

 

えいえいと色覚欠陥継がしめる月読神の末裔(すえ)にてわれら

 

セェロ弾きがスポット・ライトの中にいるしんしんとして月の受刑者

 

水色の浮華なすいのち追いゆけば蛍は無明の裡にて光る

 

愛しみを追いゆくものをゆさぶりて翔びたつ鳥のさみどりの声

 

光の中に光るがありて海鳥と思うたちまち翼となれり

 

雪と水ひとつ土管に渦巻きて耀ようばかり春の陣痛

 

頷きて一語を咽喉にくだすとき白鳥の首わけてさみしえ

 

純白を吹雪かせながら縫うドレス嫁がするとぞ奪わるるとぞ

 

いとしめば飛び立つ鳥のぬれ羽色こころ隠して髪あらいやる

 

夕焼くるきわみに灼かれ一鳥の目を喪えばましぐらに飛べ

 

夏草の折れ穂が匂うかくばかり命のことは生ぐさきかな

 

秘めておく真実ひとつのやさしさよ氷下の魚の薄きくれない

 

夫の享年越えてながらう現実(うつしみ)日差雨(そばえ)降る中たてる一穂

 

遺されし者にふたたび死はほてり水曳草にくれないの秋

 

雨の音傘に聴きつつ庇護のないすがしさ寒く黄昏れてゆく

 

絶望は闇にてやさしここよりは踵を返す光のなかへ

 

川のごと一日揺れて身の幅に波立つものか 言葉浮きくる

 

雨の中餌を拾いいる鳩のいて足あかあかと棄てし故郷

 

月光をあびて魚は跳ねるとう短き一生の表裏を見せて

 

持ち歩く道路地図にはない小径 ちょっと曲がってコスモスに会う

 

ガラス屋が運ぶガラスのむこう側のぼる鞦韆おりる鞦韆

 

幾そたび曲がりし角ぞ今日くれば秋をあつめて火を焚くにおい

 

濡れて知る紫陽花のこと愛のこと路上しばしば水鏡する

 

粟粒に病みし肺腑の二十代 花の暗喩にふりむけば藍

 

執着の薄れ行くまで藍色の襯衣ながながと着つづける雨季

 

無限花序まなくくまなく雨の中移ろうもののまだある豊饒

 

留守ながき部屋に薄れて咲く緋薔薇 非在というが不意にかぐわし

 

陥穿のかげりもそっと並べある靴一足の旅立ちを()

 

苺ジャム煮詰めすぎたれ過去(すぎゆき)の夕焼け雲を集めいたれば

 

天極にひき廻されて馬星座(ベガッサス)たてがみのある身をはずかしむ

 

風船に息を吹き込む気疲れの一日くれてのぼりくる月

 

寂しさの的となりたる星川の白鳥座こそ今宵の(たける)

 

星川のざわめき避けているにしても牽牛・織女の光年の距離

 

泣き疲れようよう寝たる幼子の羅紗の兎も月へ帰さな

 

爪ぬらし巨峰の皮を剥きにつつ仲秋名月つと呑みこみし

 

月の字に月がかかって神おらぬ月こそわれの月を見る月

 

月のごとたえず一つの貌をのみ見せて静けくありし仏の

 

円空が彫らねばならぬ世を照らし鑿の心をもてあます月

 

桜花あるかなきかの風に散る孤立無縁をかがやきながら

 

一途こそ美しけれと散り敷ける花びら踏みてゆける足裏

 

さきだてる生命はつねに(すぐ)れいて散華のくだりまた涙する

 

声あぐれば(こぼ)たるるまでぎりぎりの表面張力たえる弟

 

濡れし手をするり落ちたる刃物ほど驚かせもして病みいる一躯

 

ゆっくりと足を拭いぬ寂しさを踏み来しような足を拭いぬ

 

いずこへぞ還らむ里の見ゆべかり風が開きしさくら下路

 

吸音のまま鳴き止みし雉鳩の咽喉(のみと)にからむ桜はなびら

 

花いっぱい鳥の目人の目虫の目を集めていたる死という奢り

 

飛び翔ちし小鳥に枝を震わする老母よあなたも一本の樹で

 

死後の人あおい雨傘さしながら曇りガラスのむこうを通る

 

草もみじ蛇の抜け殻つきつめて滅びの論理かさかさと鳴る

 

へり下る分だけ思いあがらせて冬のシーソー斜めに凍てつく

 

花という字死という文字のどことなく似て吹雪かるる冬の(いしぶみ)

 

なが哭きを諌める母の声もして疾駆(はし)るほかなきわがブリザード

 

耳なりをさやけく雨が降り来しとう母にうべない傘さす言葉

 

キャンベラ局ヌサグヤ局やマケレレ局逝きてしものへ繋ぐ電信

 

また一人過去をつれ去る使者おりて空のリフトが霧を分けくる

 

半面を雪に打たれている地蔵 言葉は空しとただ立ちつくす

 

一本の樹に戻るまで散りつづけ自伝のなかに女さびゆく

 

彼岸花朽ちゆくように折る膝の霜月忌日いたむ関節

 

モヨロ人永久なる眠りあばかれし恥辱に耐えるその屈葬位

 

カムイ・ワッカ神の禁忌を登りゆくシャモの末裔の白き足裏

 

雪しぐれ笹鳴る峠なにもかも終わったようで此処にはじまる

 

くたびれし黒衣ひきずる影法師ひっぱりあげて愛車(はし)らす

 

北へ発つ鳥の翼の一点に重なりしとき打つべき句点

 

女ひとり死なせるほどの男なく劫火しずかにあかき曼珠沙華(ニコリス)

 

いつもより森が大きい風の日の郵便受に来ている蟋蟀

 

魚一尾つかまえたりし稽田(ひつじだ)の白鷺の咽喉ひと冬ひかる

 

透明を重ねるはずの(うみ)のいろ 私のずるさあなたの狡さ

 

放射能もれし報道 山ひくき国原の草ささくれだたす

 

危険区域十キロ以内と見定めてコンパス回す(おとこ)の度胸

 

なるようになるしかないの譬えとしノストラダムスの一九九九

 

私という私に見えない私が臨界こえればおたおたさわぐ

 

JCO無色の美学に溺れしかウラン溶液素手にいとしむ

 

「持つ」という惧れあらたに神無月日記最初のページを汚す

 

しんしんとウランを白鳥とすり替える男のロマンに十月冷ゆる

 

汚染という具体見えねば髪琉きてポストへ急ぐ日傘をさして

 

闘病のまま半世紀ながらえて汚染見舞いの電話下さる

 

群れという一致団結さりながら先途のいっぴき殿(しんがり)のいっぴき

 

ボードレール魂の遍歴の「悪の華」秋は静かに読むべきものを

 

おさな児に聞かす童話の残酷も羽うつくしく選ばれし鳥

 

うるうると十三夜月照らしいる平和利用の滅ぶしずけさ

 

いかな怒りあつめて濁る雨後の水 生々流転の河口へちかく

 

水惑星 ()に酔うあそびも飽きたらむ白鳥ゆっくり水よりあがる

 

母が来て筵の上に金時豆(きんとき)の嚥脂ころがす夢のひとおれ

 

ふるさとを離れしものは旅人と言っている声背中で聞いて

 

空知郡三笠山村幾春別(いくしゅんべつ)弥生通りにはじまる記憶

 

冬眠とう修辞よろこび床下室(ゆかむろ)に石炭込んで父がかがやく

 

冬くれば凍てつく扉の当然に湯を注ぎいる母のうしろ姿()

 

捨て炭に火の付くチャンスほのぼのと一人のゴドー待っている兄

 

ふるさとは一つ産業ほろぼして軍配ナズナ八月惚ける

 

いっせいに梅・桃・桜咲かせたるふるさとにして父母わかし

 

舗装路の継ぎ目に生えしカタバミは黄の花さかす 父の紋章

 

寒の夜は故郷の歴史に死にし人ら物語りしてツララ尖らす

 

アスパラを送りくれたる故郷へこころの緑一日そよぐ

 

幾春別とう名のうれしさに棲みつきし父母の墓その街にのこす

 

人ひとり乗せて去りゆく終バスの尾灯ゆらめく「かしこ」のように

 

花咲いてはじめて朴を朴と知る 一山借景兄のベランダ

 

魚の群れ解けて華やぐ光りあり有縁無縁いまだしなかば

 

玲瓏と母が(こはぜ)に灯をうつし足袋をつくろう父の履く足袋

 

父といえ母といえども死ぬまでの人間稼業 菜の花浄土

 

一山の自我の白さを際だたす妙高きのうと(おんな)じ高さ

 

雪国の雪をよろこぶ足裏は雪ぐに生まれをまだ知っている

 

さくらさくら散るがさくらの華の日と(いざな)う風のいろはにほへと

 

無常というこの世の措定 見上げいる桜は桜いっしんの桜

 

うつしみの壷にはかなき花挿すと想いつ知らず水あふれさす

 

枯れにつつ風にゆらゆら探る秋 ここで死にたいカラスウリの赫

 

凍らせて彼岸をつなぐ冬川の九十五年 母みまかりし

 

びょうびょうと雪に痩せゆく冬の川 母がようやく人間を解く

 

喜怒哀楽この世の虚飾すべて捨て母のむくろの嵩へりてゆく

 

吹雪く日の野辺へ発たす母なれば則り破りて足袋をはかする

 

てのひらに豆腐を切ればほつほつと母の背中が()ちくる夕べ

 

さなきだに里山こぶしこの春は観音に咲き仁王にくずれ

 

おんおんとただ在るがよく曼珠沙華まはだかに咲く丘のひだまり

 

ひぐらしは夜明けとともに啼きはじめ暦の中の死者つれてくる

 

「死の後もかたわらにいる人」として夫の定義いつか定まる

 

他人(ひと)のこと妬まぬように胸の()を陽にむけているカモメ一族

 

(にお)どりのかいくぐりたる辺りより春の波紋のまるきひろごり

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/06/10

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福島 美恵子

フクシマ ミエコ
ふくしま みえこ 歌人 1930年 北海道空知郡幾春別に生まれる。

掲載作は「ペン電子文藝館」のために過去作品より2002(平成14)年5月自選。

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