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鶏飼いのコムミュニスト

     一

 

 朝といつてもまだ早く竹薮の中はうす暗い、小田切久次は四辺に気を配りながら静かに鋸を()くのであつた。ゴースー、ゴースーとかすかな音がひびく。

 半丁ばかり距てた薮の入口には乞食たちが住んでいる。ここに住む恩義から乞食たちはこの竹山の番人の役を買つていたのである。

 だが今朝はまだ彼等も(こも)の中で夢を見ているのであろう、気づかれた気配もない。鋸はいつか唐竹の根に三分の二ほども喰い入つていた。パーンと不意に竹が裂けた、小田切久次はぎよッとして手を引いた、サアサアと頭の上で葉ずれの音がして竹は、ばさりと倒れた。小田切久次はにたりと会心の笑をもらした。どこかで鶏がときをつくつている、サアサアと再び竹が倒れた。パチーンと不意に(つぶて)が飛んで来て小田切久次の右手の竹に当りはね返つた、つづいて、誰だッと鋭い声が背後で怒鳴つた。小田切久次は総身に水を浴びたようにはッとして脂肪(あぶら)ぎつた顔を上げうしろをふり向いた、三人の乞食たちが近くに迫つていたのである。それをちらと視線の端にとらえると彼は四斗俵のように太くずんぐりした体をむつくり起し、鋸をつかんでとんとんと駈け出した。パーン、パーンと竹にぶつつかる礫の音がした、小田切久次は白髪まじりの頭を振り熊のように竹薮を縫つて走つた。まもなく、はッはははと背後で笑う声が聞えた。追手の間隔は遠くなつていた、追うことをやめたらしい、小田切久次ははじめて立ち止りふりかえつた。乞食たちの姿は竹に遮ぎられて見えなかつた、はッはははと小田切久次は笑つた。竹を()つて鶏小屋を建て増ししようという計画が喰いちがい、彼は少しばかり不愉快になつたのである。

 家に帰るとしかしもう仕事がそれを忘れさせた。鶏小屋で鶏たちが騒いでいた。家に程近く彼が盗みに行つたような竹山も雑木林もあり、前は原つぱ、裏には地面に軒のすれそうな藁葺きの百姓家もあろうというなごやかな新市内だつたので、夜はしつかり鶏小舎を囲わぬと野良猫や(いたち)の類にしてやられる。だから毎朝小田切は鶏に鳴き起されると、囲いのトタン板を取つてやるのだが、今朝は臨時の仕事でそれが遅れたのである。

 鶏は三十羽、兎が二十匹ばかりいた。兎の方が繁殖力が強いのでゆくゆくは兎をふやすつもりであつた。これをやりかけた当座、うるさい友人の中には、小田切いよいよ変てこなことをはじめたよ、と笑う奴もいたが、詩を作るよりこの方が飯を食うにはたしかさがあつた。

 小田切久次は囲いをとり鶏たちを広い棚の中へ移すと、籾殻(もみがら)を敷いた中の糞をかき集め掃除して新しい餌を撒いてやつた、兎にもキャベツと人蔘(にんじん)を与えた、子兎たちは同じ篭の中で全く戦争のように大騒ぎして野菜を奪い合つた。

 それが済むと小田切は台所へ行き、昨夜魚屋から盗つて来た魚の雑物の入つた馬穴を流しの下から引きだした、腐つたような魚くさい臭いがむッとする、小田切久次はどろどろした雑物の中にどぼりと手を入れた、臓腑の中に混つて魚の頭や骨が手に触れる、彼はその頭やほんの少しでも肉のついた尾鰭は丹念に拾いあげるとジャアジャアと水をかけて洗いドンブリに入れた。これは鶏や兎にはもつたいないので彼等夫婦がおつゆにしたり、余れば壷の中の酢につけておく。後の臓腑や骨はどぼどぼと大鍋に移し瓦斯(ガス)にかけて煮るのであつた。鶏たちの馳走である、煮つめた雑物は細かく打ち砕きぬかに混ぜると鶏三十羽の三日分の餌が出来る。思えば鶏も兎も小田切久次もよく肥つているのはこうした特別な脂肪分とカルシウム分とを摂つているせいであろう。ただ生來腺病質な女房の芳江だけがこの例に洩れる、それがために性欲旺んな小田切久次がお精進でいねばならぬことは不幸だつたが、兎は毎日機関銃のように体をふるわして生殖に没頭していたし、鶏も大きな卵をよく産んだ。

 兎の馳走は八百屋の掃き溜めから持つて来た。腐りの来たキャベツや人参は糞蝿がたかり嘔吐が出そうだが、小田切の手を通せば見ちがえるような野菜になる。まず人間も兎も食えそうもないものは畑の野菜の根にくれてやる。彼に不要というものがない、彼は前の空地を耕して畑を開いている。この開墾は一度ひどく地主にどなりこまれたことがあるが、地主は遠くのべつに来れない所に住んでいるところから小田切はねばり強く今でも時無大根や茄子(なす)、カブ、トマトの類を見事に育てている、地主が現れるまで口に入れるほど大きくなれと(ねが)う日々の気遣いは投機的興味さえあつた。むろんそんなわけで所有権を主張する地主のために何時荒らされるか計りがたいので面積はごく遠慮がちなものだつたが、台湾禿げの地主の恐れさえないなら彼はもつと大規模な耕作地を開墾したいのであつた。さて、選り分けたキャベツや人蔘は水で洗い、腐つた部分は庖丁で削り取る、中には殆んど何ともないのさえまじつていることがある、そんなのを発見した時小田切久次は、ほおう、と入念に手に取つてみる、だがこうして手を入れてみるとみんな人間が食べても恥かしからぬ結構な野菜になり、兎や鶏にはもつと外に何かないものかと小田切は何時もいたく惜しいと思うのである。そして人の気も知らずにこの野菜を当然のように貪り食う兎たちにほんの軽い嫉妬に似たものをおぼえ、彼も亦豊富な煮込みや野菜サラダを作り消化(こな)れ切れぬ位沢山食べるのであつた。

 小田切久次はたまに肉類も食べたいと思う、そんな時は鶏の首をひねるなり、兎の眉間(みけん)を叩けばよかつた。無駄はない、骨はスープにして一週間も食べる、煮出した骨は臓腑や足やトサカまで一緒に細かく叩きつぶし、ぬかに混ぜて同族に馳走する。羽毛は座蒲団に、兎の皮は敷物になる。彼の家を訪ねた者は兎の皮を何枚も合わした思いがけぬ豪勢な敷物に坐らされ一驚するであろう。腕前も立派なものだが、小田切久次にあまり出来ないものがない、何処からか桐を見つけて来ては自分の下駄を作るし、セーターを編み、机、椅子を作る、野菜を作り詩を創る、彫刻をやり染色をやり版画をやり小説を書く、それが何れも一応専門家の域に至つているのが不思議である、彼の友人である堀川と杉村はある日彼の女房がベッドに寝ているので、病気の女房をいたわるためとはいえ小田切にしてはよくも奮発したものと感心し、ためつすがめつ、相当取られたろう、と尋ねたほどである、それほど彼の製作品は素人ばなれしていたのである。

 小田切久次は又面白い木片を拾つて来ては盆や灰皿や額皿を彫る、これらのさび

た藝術品は彼の家の長押(なげし)や床の間や机の上やに随所に発見されるのである。彼は美に対して敏感で、町に出てふと眼にふれると急須(きゆうす)や湯呑みを買つて来る、それがきまつて揃いの一つか二つに傷物のある場合である。それを見つけたら彼は腰を据える、まことに彼の執念深さはこういう時に現れる、そうか、どうしてもまからんなら止めよう——散々時間をつぶさせた後で彼は一旦店を出ようとする、そんなことを性懲りもなく繰り返しているうちに店主の方がへとへとになり、ようがす、と来る、小田切はにたりと笑う、だが彼はまだ金を出さない、そこまで負けたんだからも一と奮発えい丁度

にしとけよ、と第二段の交渉をはじめる、或時は最初六十銭に負けろと値切つておきながら、店の者が性も根もつきはてた結果、口あけだ、と投げ出すと小田切久次は仔細らしく財布を取り出し、ジャラジャラと白銅銭をかぞえ、次第に困つたような顔をして見せ、いかんな、五十銭しかなかつた、と言い出す、再びすつたもんだがはじまり、しかし結局辛棒強い小田切は店主をふらふら

にして了い、呆れ返つている相手の手からさらうように、買い取つて来るのである。文化的な今日にお構いなく米醤油を買うにも卵や鶏に換えて来るほどの小田切久次が、錆びた財布の紐を解くのはこうした藝術的な茶器類と書籍を買うときぐらいのものである。

 小田切久次は珍らしい藏書家である、彼は欲しいと思う本があればどんなことをしても手に入れる、たとえ盗んででも——盗んででもと云つたが、実は彼の見上げるような書架にぎつしり詰つた本の三分の二は盗んで来たものである、彼がそこらの古本屋で一冊の本を買えば帰りにはマントの中に買わなかつた本も入つている、何時いかなる隙にそれだけ器用なことをやつてのけるのか生れつきタレントがあるのであろう。

 ともかく彼の所有慾は貪婪(どんらん)で、これから話そうとすることも思想をマルキシズムに拠りながら、資本主義社会に育ち生きている小田切久次が食わんがためには如何に執拗な所有欲と個人主義的な感情に満ち、一個の矛盾した生活をしているかをありのままに語るにすぎないが、彼の場合はそれがシムボリックで、個人主義的な慾望はその階級的な思想と共に清算したかの如く上手に取り済ましたポーズをした彼の同志たちからは、まるでマルキスト検査の不合格品で余計者のように取り扱われ、そのために小田切久次をして一層人を疑い世を白眼視する性格を創り上げる結果となつたものであろう、階級のため一生懸命働く同志を見ても彼は、へん、執行委員にでもなりたいのだろ、と思うのである、何時か彼の心には疑いを貪る暗い隅が出来、物を見ても一度その隅を通さないと考えられぬ常癖が創られて了つた。彼はアナーキスト時代からの詩人であり、今はプロレタリヤ文学者同盟でも古顔の一人だが、同志の中でも彼と交友のある者は少く、又自分からも強いて友達を求めようともしない、()らそうな理論闘争をやつて同盟を喰い物にしているヴューと(ヴューはアウトサイデヴューのことであろう、彼は時々よく意味のわからぬ英語を使つた)自分で鶏でも飼つて働いてるのとどつちがプロレタリヤ的かと、ぷんぷん一人で腹を立てながら毎日魚屋の雑物を盗つて来ては煮しめ、鶏の糞をかき集めたり、兎の旺盛な繁殖を見て暮らしている、たまたま堀川や杉村が訪れても、のらくらと着流しで何しに来たのかねえ、というような顔をするのである。

 

     二

 

 地区の研究会が済んだのは夜も更けてからであつた。ほめられても素直に嬉しくなれたためしのない小田切久次も今夜は心自(おのづか)らたのしかつた。詩人としての自分の才分を同盟員たちは今度正当に見た、彼はこれまでついぞ人を賞めたことがない、小田切久次の眼には同盟員七百人中誰一人、詩らしい詩、小説らしい小説を書く者もいない、幹部の指導方針や活動も気に喰わぬ、小田切久次にとつて他人のすることは善悪美醜ともに浅墓でケチくさかつた。だが生れつき容易に人に感服できない彼の性格が何時か萬年不平分子というレッテルを張られ、今日では誰も小田切の不平を本気で聞くものがないような結果となつていたのである。

 ところが今度彼が機関誌の五月号に書いた「相模川の霧」という詩は計らずも問題になつた、それも臆病な同盟の批評家たちは異端者扱いにされている彼の詩なぞ読んでも読まぬふりをしていたのだが、あるブルジョア雑誌で「相模川の霧」を賞め、わずか一篇の詩を七頁ほども割いて取り扱つていたので、同盟側としても見直してみねばならなかつたのである、そうなると編集部に来ていた、正に屑篭に入るだけの運命にあつた投書なども引き出され、地方通信員たちや地方支部同盟員たちの推賞の言葉も案外沢山あさり出された。そして今夜地区研究会でも小田切の詩が批評の中心になつていた。

 小田切久次はそれを考えると久しぶりおおらかな気持にさえなるのであつた。ざまア見あがれ! 小田切久次はいまいましい仇敵を今日只今ぎやふんとやつつけた時のように独り言を云つて満足気に笑うのだつた。ふとその笑いが消えた、小田切久次は木下暗(こしたやみ)に立ち止まつた、さつき研究会に行くとき彼は本屋に寄るため廻り道をした、途中酒屋の店先高く積まれたビール箱の上に一斗甕を見た。実はゆうべ気づいたのだが、ゆうべはまだ少し早く酒屋の戸が細目に開いていたのでそのまま通りすぎた、今度は大分遅い、もう寝てしまつたにちがいない、よし、と思つたからである。小田切久次は踵を返し今来た道をすたすたと戻りはじめた、木下暗を出ると何夜の月というか知らぬが月が冴え、ずんぐりした彼を斜め上から一層ちぢめた影にして地に落した。ずんぐりと云えば彼の背丈は四尺五寸三分——つまり普通の女よりも低い、その埋め合せでもあるまいが横幅が張り、脂切つた肉がでつぷりつき腰の回りは四斗俵を思わせる、腹は十分ふくれ、胸に女の乳房のような乳房がふわッふわッとゆれている、しかし贅肉でもなく足は丸太ン棒のように、腕には隆々と力瘤が盛り上がつている、不均衡な体は徴兵検査に落第したが生れてから病気をしたこともなく、百姓出で力は沢山持つて居り、今でも四斗俵を膝につけずすーうと肩に持ち上げるのが自慢の一つである。

 顔の雑作も体と均衡を保ち四角で、眉は濃く繁り、唇はむくれて厚く、鼻は小鼻のところが一般の型を破つて反対に凹み、先へ行くに従い徐々に高さと幅を加え先端はやや誇張を許すなら奇想天外な形でむつくり飛び出している、これは小田切の平凡ならざる顔の中でも尤も偉観であつて全体が膨れたような感じを与え、跳び出した鼻先は見事な赤褐色を彩どり健康と強い情慾を現している。ただ何時の頃からかぽつりぽつりと生えはじめた白髪混りの頭が精力的な顔貌と似つかわしからず流石にそろそろ四十に手の届こうという彼の齢をうかがわせるものがある。

 その風変りな姿が今ポストのある菓子屋の角を曲つた、菓子屋の隣りが乾物屋、乾物屋の次がしる粉屋、そのしる粉屋と露路一つ距てて例の酒屋だつた。とうに十二時は過ぎたろう、田舎街は已に寝静まり、彼の目指す酒屋も雨戸をとざし隙間洩る電灯の光さえなかつた。ただ店先のビール箱の上には相変らず一斗甕がのつている、彼は四辺を見廻しそつと近づいて行つた。両手を伸ばし取りおろそうとしたが、何か中に入つているのであろう、びくともしなかつた。彼は傍に乱雑に置かれたビール箱を二つ重ねて足場を作つた。今度は腕を水平にして甕が抱けた、力を入れると重ねられたビール箱がぎ一いと揺れただけで甕は尻を持ちあげなかつた、糞ッと小田切久次は渾身の力を出した、大力な小田切に渾身の力を出されては甕も尻を持ち上げぬわけにゆかなかつた。だぼッだぼッと重たく液体の揺れる音と共に甕は小田切の胸へのしかかつて来た、小田切ははずみを食つて足場の悪い箱の上で危く倒れそうになり、やつと踏みこらえて姿勢を直し足場を跳び下りた、その拍子に甕がビール箱に障りガラガラと音を立ててくずれた、小田切久次は総毛立ち反動で駈け出していた。甕はだぼッだぼッと気になるような音を立てた、中味は何だろう? 追う者もないのに小田切は駈けている、淡い月光に濡れた道を四斗俵と一斗甕が一緒に転がつてゆくように見えた。

 

     三

 

 おい開けてくれ、と小田切久次は足で玄関の格子戸を蹴つた、すぐ女房の芳江はごほんごほんと咳をしながら起きて来た。彼女は格子戸を開けると入つて來た甕の親子のような小田切の様子に、まあどうしたの、と眼を見張るのだつた。小田切は、ああ重かつた、と玄関の間の上り口にどしんと甕を下ろした、だぼッだぼッと甕は鈍重な音をたてた、何よそれは? と芳江が重ねて尋ねても小田切は矢張りそれには答えず、暑い暑いと帯を解いてぱッと浴衣(ゆかた)をぬいだ。びつしよりかいた汗を拭きもせず、一寸茶碗を貸してごらん、と云う、芳江はごほんごほんと咳をしながら台所へ行つて湯呑みを持つて来た、その間に小田切は玄関から甕を持つて来て六畳の床框(ゆかがまち)の上にどつこいしよと据え、栓口が(かまち)から喰み出るようにした。差し出した女の湯呑みを無言で受け取り甕の出口にあてがつて栓を抜いた、どくッどくッと大きく息づきながら液体が出て来た、なみなみとついだ湯呑みへ小田切は鼻を寄せ小首をかしげ、長い厚い舌を出して舐めてみた、そして、おい舐めてみろ、とはじめて芳江の方をふり返えるのだつた。

 それまでやせた体を前かがみに、ごほんごほんと咳をしながら見ていた芳江は、鼻近く差し出された湯呑みの液に一寸舌をふれたが、水じやないの、と云つて明らかに軽蔑の色を現した。小田切は、いや、ほんの少しだが酒の気があるよ、と笑いもせず、自分でもう一度舐めてみて、うん、たしかに酒の気が大方まじつている、とつぶやいた。芳江は中の水にはあきらめたが只甕に気を曳かれ、どうしたのよ? ともう一度尋ねた、これか、と小田切は、どうやら余裕のある声を出し、あり(てい)の話をするのであつたが急に思い出したようにむずかしい顔になり、こんなことを誰にも云うんじやないぞ、杉村なんか放送局みたいにうるさい奴だし、堀川と来たら薮ん中の蚊みたいに油断のならぬ奴だからな、いいか、と念を押した。

 芳江は、ああこれがわが亭主かとふとあさましい気持になり、(あたし)寝るよ、と云つてさつさと寝床にもぐり込んだ、小田切は慌てて呼び止め、ねえおい、まさかこの中に汚い水を入れるわけはねえなア、と聞いた、芳江は答えない、わざわざ溝の水を入れる必要もないからなア、と今度は独言を云い、そして、ねえ芳江、明日から煮〆はこの水で煮るといいよ、わざわざ味醂(みりん)や酒はダシに入れるもんだからな、と云う、芳江は、止して下さい、そんな腐つた水! と怒つた声を出した。小田切は芳江にそう云われると矢張りいくらか気になるらしく、又思案気に舌をつけて舐めてみるのだつた。

 何だかすつぱく、墓場の花立の中に(よど)んだ水を思わせるような臭いがした。だがたしかに舌の先には生ぬるい酒の気が残る、小田切は二三度犬のようにペラペラと舐めてから独りうなずき、台所へ行つて手製の塩辛と葉唐辛子の煮つめた皿を持つて来た。そして一斗甕の前にどつかり安坐(あぐら)をかいて塩辛を食べては湯呑みの液をちびりちびり飲みはじめた、小田切久次はそうしているうちにほんとに陶然となつて来るように思えるのは我ながら嬉しかつた、一文もかけず、人間の裏面にはこんなにも怪しからぬ程面白い、秘密の快楽があるものだとでも云うように、薄笑いを浮べながら塩辛を舐めては仔細らしく湯呑みを口へ持つてゆくのであつた。

 

     四

 

 居るかい、と誰か柵の外から呼んだ、小田切久次は台所で魚のヘタを煮ていたが、声で杉村と直感し急いで座敷へ引き返した。机の上にあつた五十銭銀貨とバットの箱を曳出しにしまい込み、小田切君、ともう一度呼ぶ声にはじめて聞えたふうをし、おう、と応えて台所から出て行つた。小田切は突然友人に來られ、今みたいに五十銭銀貨やバットの買いたてなぞ見られるのが嫌いだつたので何時も柵の柴折戸に鍵をかけておいた。

 彼は杉村の顔を見ると落ちついた様子を装い、やあ、と云いながら鍵をはずした。杉村は座敷に通ると妙にかしこまつた様子で膝を揃えて坐り、どうしているかねえ、とこの歴史には逆行しているような変り者の友人の顔をうかがい、袂からバットを取り出した。小田切は小田切で何時見てもインテリ臭い男だ、今頃何しに来やがつたのか、と杉村を考察(はか)るように見て、いや、どうもこうもないよ、と云うのだつた。杉村は傍のマッチを取ろうとして急に気づいたように、どうぞ、と小田切の方へバットの箱を押しやつた。小田切は虚を突かれたように一寸たじろいだ、此奴俺が今バットを曳出しにしまつたのを見てわざと皮肉にすすめるんじやないか、とちらとそう思つたからである。しかし窓はしまつていた、あの今しがたの自分の慌てぶりは見えなかつた筈だと思い返し、何喰わぬ顔で、いや俺あキザミがある、と机の下からハガキの袋と煙管を引きずり出した。小田切は同盟で流行している「お先煙草」が大嫌いだつた。彼は人から馳走になることも、自分のものを侵害されることも共に好まない。義理というものが思わぬ金を喰う。それが一番面白くなかつた。しばらく煙草を吹かしていた杉村はふと床の間の一斗甕に気づくと、ほほお、豪気なものがあるじやないか、と感嘆した。小田切久次は、何、あれか、と空とぼけ更に取り合おうともしない、杉村は好奇の眼をかがやかし、入つてるのか、と重ねて聞くのだつた、小田切は仕方なく、いや知り合いの酒屋がやろうと云うから貰つて来たのさ、空だよ、水を入れておいて夜中に眼を醒ましたときなんかに手を伸ばして飲むんだよ、と答えた、彼は折角盗んで来たこの甕をもつと外に何か利用方法はないものかとあの夜以來考えていたのであるが、今のところそれ以上にいい方法も思いつけないでいたのである。

 空だと聞いて杉村は興ざめの形で、そうか、時に——と急に話を転じた、実は君にお願いがあつて来たんだが、小田切君、君機関誌部の仕事を手伝つてもらえまいか、木村君が病気でね、僕後釜の人選を任されたんだけど、君にやつて貰えれば非常に好都合なんだ、と杉村はごく謙遜な云い方ではあつたが、多分に好意を押し売りするひびきがこもつていた、小田切は同盟の中にこれはと思う親友もなし、杉村や堀川なぞまあ最も親しくしている方だが、何時も杉村や堀川が中央部や支部の機関にいるということが小田切とすれば面白くなかつた、大体杉村という男は、ともかく評論委員会にいる男だけに会合なぞではいささか弁の立つところから、小田切よりいくらか利用価値があるように見られている、だが本当を云うと評論も小説もてんで駄目だ——尤も同盟の役員なんぞというものは本当の藝術家でないのが多いが——それでいてよく堀川なぞと大言壮語し、かつての同盟の混乱時代反対派活動の急先鋒であつたことを今もつて鼻にかける癖がある、内省が足らず思い上がつて居り、鈍感で藝術家としての稟質(りんしつ)は気の毒ながらなさそうに思えるのは小田切としては嬉しいが、そのくせ妙に腹黒いようなところがあり、矢ッ張り心から好きになれぬ男である、そう云えば同盟の中で一体誰と誰が親友であろう? 同志というからにはブルジョア的な親友以上のものかも知れないが、結び目を解いてみた個人々々の交友は何と寒々しいものであろう。家庭的にも感情的にもしんみりと話し合える親友という程のものは誰にもない、それは慌ただしい同盟生活のあるひよいとした間隙にふとわびしい思いにとらわれる誰しもの事実であつた、同盟の同志たちはなまじつか階級的制約の不文律があつたためにお互に暗黙のうちに警戒し合い、弱音や恥や愚かさもそつくり吐き出して理解し合うということはついぞなかつたのである、杉村が小田切を後ろ暗い男と思い腹の底まで打ち明けず、小田切が杉村を狡猾な男と眺めているのも(いず)れこの例に洩れないであろう、ただし本物の間には階級的不文律がこんな愚かしい交友の桎梏(しつこく)となることはないであろうが——。

 それはともかくとして機関誌の編集部員になつてくれという杉村の言葉は小田切久次の気を引いた、杉村や堀川たちの所謂三十歳組よりはるかに歳上の彼は同盟生活の歴史も古いのに、今日まで思わしい部署についたこともなく、万年不平分子の名にふさわしく何時も不遇? であつた。杉村や堀川たちが一緒に東京支部の執行委員になつた時も小田切久次は地区の配宣係、つまり地区同盟員に機関紙やニュースを届けて廻る役にえらばれた、子供達の遊戯に一人()け者にされ、それでも時々用事の時は使い走りをさせられるようなのが彼の存在だつた。糞面白くないと彼が大層いじけたのも無理ないであろう。

 そんな彼だ、杉村の言葉がうれしくないことはない、だが人間は他人に損させても自分で得することばかり考えるものだという哲学を持つ彼は、人がうれしい便りを持つて来ても、此奴俺を喜ばして鶏の卵でも一つ貰おうと思つて来たんだろうと疑う、だから喉から手の出るような杉村の交渉にも一度は歪んで意地悪を云つてみないと気が済まないのであつた。何も君、鶏飼いぐらいが適当している男に編集の仕事を持つて来んでも、外に沢山ジャアナリストがいるだろう、堀川なんかどうかね? と小田切は白眼がちな眼をじろりと杉村に向けた、誰某(だれそれ)はどうかね? と人を引き合いに出し、相手が誰某をどう思つてるかを探りたいのが小田切の妙な癖だつた。この場合堀川を引き合いに出したのは、堀川が蔭で小田切のことを「鶏飼い位が適当だ」と評したのを聞き知つていたからであろう。杉村はこんな時のくせで、まあ冗談は止して、君本当にやつてくれないか、と殊更鹿爪らしい顔をするのであつた。小田切は、俺も杉村常任に認められたわけかね、とねちねちと皮肉を重ねた、まさか駄目なら外の人へ頼もう、と白々しく帰つてしまう冷淡な杉村でもないことを見越しての思わせぶりでもあり、比較的近かしい友人に平常不満の飛沫を()ねかける可憐な甘えでもあつた。ほんの少しばかり政治家のつもりでいる杉村が又、この小田切の皮肉も甘えもいやいや()もありなん、と一通り悟つたような顔をし、子供でもあやすような悠然たる態度で、どうか一つ引きうけてくれないか、と神妙に頼むのも安手の政治家のようでおかしかつた。すると小田切も今度は真顔になり、俺に出来ることなら一つ手伝つてみようかねえ、と受けた。殊勝な顔や深刻な顔をするのが若きコムミュニストのポーズであつたから——。

 じや一つ頼むよ、と杉村が立ちかけると小田切は、俺もそこまで行こう、と云つて急いで着物を着更えるのだつた。外は何時か暮れていた、二人は原ッぱを横切り、火葬場の前を通つてほんの申しわけほど店の並んだ街通りへ出た、小田切久次はとある酒屋の前を通りかかつた時、冷酒を一パイやらないかね、と杉村の袖を引いた、杉村は立ち止まり、思いがけぬことを云う鶏飼の顔を怪訝(けげん)そうに見つめた、小田切は、いや今日は卵を売つてね、二杯位ずつならあるんだよ、先に立つて酒屋の土間へ入つて行くのだつた、奇特なこと、よほど先ッきの話は先生うれしかつたのだな、と杉村は小田切の心を読みながら彼の後に従つた。

 小僧が酒を持つてくると鶏飼いはコップ受けの(ます)を持ち上げ中をのぞきながら、おいサービスが少ないぞ、と怒鳴つた、そして一口ぐつと飲んでから桝を小僧に突き返した。杉村は苦笑した、見栄坊の彼は小田切のすることには何時も冷汗をかくことが多い、そのくせ自分でも桝をちらと見て、俺のもこぼれが少い、と思うのだつたが——。

 小田切は立ち飲み用に置かれた沢庵を杉村にも食わないかとすすめ、杉村がつまむと後に残つた三片ばかりを一緒に口に押し込み、小僧さんお新香もつとくれよ、と小皿を高く持ち上げた。小僧がはあッと威勢よく小皿を受けて奥へ消えると、小田切久次はじろりと杉村を横眼で見、しきりに(あご)をしやくりはじめた、杉村はその意味がわからず、え? と聞き返した。小田切ははッとしたようにどこか後へ伸ばしかけていた手を急に引つ込め奥の方をぎろりと鋭くふり向いた。やがて小僧の持つて来た小皿に早速手をつけながら小田切は、仲々君ンとこの酒はうまいものを飲ませるじやないか、とお世辞を云い、ヘッヘッと笑うのだつた。

 店を出て四五軒も行くと小田切久次は急に小走りにいそぎだした、杉村も無意識のうちにそれに従つた、何故か鶏飼いの態度は杉村にもそうすることを命じているように思われた、小田切久次は早く早くと小声でささやき煙草屋の角を折れた、杉村が呆気にとられ、どうしたのか、と追いついてゆくといきなり鶏飼いは懐から二つの固い物を取り出して杉村の(そで)に投げ込んだ、急に左袂がぶらんぶらんしはじめた、杉村はわけもわからず、只何か逼迫(ひつぱく)したものを感じ小田切と共に駈け出した。

 杉村の家まで急ぎつづけ、玄関に入ると錠を下ろし、座敷へ上つてはじめて安心したように小田切久次はヒヒヒヒと笑つた。そして、どれ出して御覧! と杉村の袂をさぐり、蟹の缶詰とココア缶を取り出した、杉村は(つき)ものでも落ちたようにぽかんとし、小田切久次の顔をみつめた、小田切はそんなことには頓著なく、缶切りがないか、と云い杉村が茶箪笥から出してやるとさつさと缶を切り、手づかみに食べるのであつた。杉村はようやくわかつたのか苦笑を洩らし、なかなか達者なものだねえ、と感嘆すると小田切久次は笑いもせず、いやしかし君も達者だよ、あの曲り角で僕が袂に入れたとき直感して一生懸命駈け出したところなんざなかなかどうして馴れたもんだ、君も相当経験があるんだねえ、驚いたよ、とあべこべに敬服するのであつた。杉村は返えす言葉もなく呆れ返つた顔をして小田切久次の怪奇な赤鼻を眺めていた。

 

     五

 

 編集会議が済んで小田切久次が家に帰つたのは夜の十時過ぎである、彼はさつき紙を呑み込んだのが未だに腹につかえているようで変な気持ちがしていた、実は会議も終りかけた頃、事務所の本部書記が来て、知らせに来たのを皆まで聞かず、丁度その時小田切は突嗟に丸めて手早く呑み込んでしまつたのである、彼はまるでもう玄関に来たかのように聞きちがいしたのであろう、それから書記の報告を落ちついて聞いてみると委員長のKの家へ廻り、その足でこの会場とは方角ちがいの下落合の方へ廻つたことがわかり、小田切は、是非読みたいところがあつたのに、とくやしがつたが、呑み込んだものをどうしようもない。

 悪食(あくじき)に馴れた彼も少し胃袋がしつくり来なかつた。台所へ行つて手杓子でごくごくと水を飲んだ、女房の芳江は読みかけていたらしい本を(ひじ)に敷き枕を外してよく眠つていた、彼は起そうかと思つたが止めにした、柱にぶら下つた富山の薬袋から宝丹を取り出し、ぽりぽりと噛みながら彼は机の前に坐つて、今日杉村から電車賃として貰つた五十銭の中の残りを数えるのだつた、二十五銭残つていた、うれしかつた、彼は抽斗(ひきだし)から直径八分、高さ二寸五分ばかりの金属製の円筒を出した、上端に口があり、口の下に「独立貯金銀行」と枠付きの文字が浮き出ていた、そしてその枠右肩に「大海の」とあり枠の左下に「水も一滴より」と受けてある、露店を歩くとよく一本十銭で売つている例の貯金箱である、小田切久次はその「銀行」に三つの白銅銭を押し込んだ、ガチンと音がした。

 何と思つたか彼は立上がり古ぼけた箪笥の上から三番目の抽斗を開け両手に幾本かの同じような「銀行」を掴み出した、それを机の上に並べ、同じようなことを三度ばかり繰り返した、机には円筒が二列横隊(おうたい)に並び、小さなポストの行列のように見えた、並べ終えると彼はバットに火をつけうまそうに深く吸い込んだ、すぱーすぱ一と天井に煙を吐き上げながら小田切久次は悠然と机の前に坐つていた、時々じろりとポストの兵隊に眼をくれ、満ち足りた秘密な幸福ににんまりと微笑を洩らすのであつた。

 やがてゆつくり一本の煙草を吸い終えた小田切久次は「銀行」の端からヒーフーミーヨーと(あご)をしやくりながら数えはじめた、「銀行」は皆で二十五本あつた、彼はそこにあつたメモに25と書きつけ、それに23をかけて五百七十五という答を出した。「銀行」にはそれぞれ五十銭銀貨四十六枚の二十三円ずつが入つて居り、二十五本で五百七十五円也という意味であつた。

 鶏や兎の収入と云つても最近失業者の増加と共に競争者がふえ、割に金高にならず月せいぜい二十五円か二十三円だつた、家賃は十一円で小田切夫婦の大半ではあつたが、それでもどうしてこれだけの金を何時の間に溜めたものか平凡な頭には想像のつかぬことである、同盟員中誰がこうした隠れた蓄財を彼が持つていると知り得よう、尤もそんなことを知られたら貧乏な同盟から、出版防衛基金だの、犠牲者救援金だの、支部強化費だの、新聞定期刊行基金だのと数限りもない名目で入り代り立ち代り部署々々の係が現れて二十五本のポストは日ならず美名? と変るであろう、考えてもみるがいい、彼が何時も柵に鍵をかけておる理由であり、バットをかくす理由であり、又こうして夜更けてはじめてゆつくりとポストにあかず眺め入り、所有するひそかな愉悦をやつと味い得る理由である。

 

     六

 

 印刷所のケースに仕切られた校正室では杉村と小田切が忙しくゲラ刷りに赤字を入れていた、小田切は人の欠点だけが眼につく男で、校正をしながらも原稿の誤字を一々取り上げては、何だ粉砕の粉の字も紛と書いてる、実際此奴は字を知らん男だなア、こんな男が巻頭論文を書くんだから同盟の弱化も必然だよ、なぞとぶつぶつ云いながら得意の達筆をふるい、原稿の字が間違いでお気の毒、植え代えを頼む、と長たらしい説明をつけたりして校正している、そんなことでも書けば巻頭論文に少しは腹癒せが出来るのだろう、杉村は何かぶつぶつ云つてないと奴さん生きていられないのだなと思いながら赤線を引いていた、そこへ妻君とも娘ともつかぬ女がお茶を持つて来た、彼女は、まあもうそんだけになつたんですの、仲々早いわね、と愛想を云い近くの椅子に腰をかけ、テーブルにお盆をおいてお茶をすすめるのであつた。

 小田切は忙しげにゲラ刷りを読んでいるふりをし、上眼使いにしきりと女の顔をうかがつている、杉村は、や、ありがとう、と云つたが仲々筆をおかない、菓子盆には大福が入つている、小田切はそれを盗み視ると一層せわしく赤字を書き込んだ、彼はこんな場合決して自分から手を出さぬ、それでいて、杉村の奴早くお茶にしたらいいのに、気取つているな、と思うのだつた。

 暫く二人の仕事をぼんやり眺めていた彼女はつまらなそうに、杉村さん、如何(いかが)! と甘ッたれた声でもう一度すすめた、杉村はやつと筆をおき、あ一あと大きな背伸びしてから豆入りの大福をつまんでぱくりと喰いついた、小田切も今やつと終つたというふりをして顔を上げ、はじめて大福に気づいたかの如くやあこいつは豪気だナ、と云つて手を伸ばした。女はお茶をすすりながら小田切を見て、こちらさんはじめてねえ、と云い杉村に紹介しないかと催促顔であつた、杉村は、そう紹介しようか、こつちは小田切君、ほら「相模川の霧」を書いた小田切君、こちらは——と女の方へふり向き一寸言葉に詰つたふうである。女は(えくぼ)でにつこり笑い、蓄妾(おめかけ)さんよ、とずばりと云つてのけた、はア、と小田切久次は神妙に頭を下げた、杉村は勇敢です、と推賞し、頭に手を上げて照れた様子をして見せた、彼女もほんの少しばかり頬を赤くし、あ、そう、此の方なの、と云つたが何か妙にしつくり来ないような顔をした。杉村はふいと真顔になり、何故? と聞いた、彼女も大層真面目に取りすまし、何が? と問い返えすと期せずして三人の間に何やらわけの知れぬ笑いが流れた。彼女はその笑いをいち早く消し「相模川の霧」とても良かつたわねえ、と小田切を見直した。

 小田切はまごつき、へえ、貴方はそんなものを読むんですか、と意外な面持ちである、杉村が、いやア彼女は仲々プロレタリア文学のファンでね、と説明した、すると、あらファンは可哀想よ、と彼女は杉村を睨む真似をし、でもあんな詩を書く人(あたし)どんな人かと思つてたわ、とそつと紅色の大福をつまんだ。小田切は、こんな人でがつかりでしよう、と云いながら、あんまりがつかりもしないでしよう、というような顔をするのである、彼女は思い出したように、あーア当分呑気だわ、と云つて背伸びをした、杉村はこれ今居ないの? と親指を出して見せた、彼女はうなずき、出ればきつと一週間は帰つて来ないですね、とまるで自分には関りのないことのように云うのだつた、彼女は男の(もと)めるものを与えて、着る物と食うものと、それからほんの少しばかり気儘に使えるお小遣いとを貰えば何の取り組んだ感情もなく平静であるように見えた、小田切はその間中もちらッちらッと彼女を盗み視た、彼女はかこい者になるだけあつて何となく艶ッぽく、束髪にこそ()つているが、どこか素人ばなれのしたところがあつた、元は三味線ぐらい持つた身であろう、丸顔で、身のこなしかたなぞ少しばかり淫蕩的な感じを与えたが、たしか美人の部類に属するであろう、小田切は女性と同席すると何時も体内から何か分泌するような興奮を感ずる癖があるが、はや怪しからぬ想念に体をほてらし、彼女が、当分呑気だわ、と云つた言葉を妙に忘れかねていた。

 彼女は改まつたように、時に小田切さん、妾これから詩を勉強したいと思うんだけど、見て下さらない! と云つて、それは身についてしまつた彼女の癖であろうが肩をよじり、気にかかるような様子をするのである。小田切久次は洗練された男好きのする瞳を真正面に受けると、ふと刺激され、腋の下を羽毛かなんぞで撫で上げられるような変にこそばゆいものを身内におぼえるのだつた、え、ぼ、僕でよかつたら何時でも拝見します、と云いながら不覚にももう落ちつきを失い、そそつかしくお茶をすする小田切の様子はおかしかつた。

 杉村はもう筆をとつてゲラ刷りを読みはじめた、間もなく女も茶碗を片づけて去つて行つた、彼女が去ると小田切は、仲々シャンじやないか、勿体ないねえ、と云うのだつた。何がどう勿体ないか杉村はわからなかつたが、うむ、と只口の先だけで答え文字面を追つた。小田切は残り惜しそうな顔で、仕方なく丸めたゲラ刷りをひろげたが、一行も読まぬうちに再び顔を上げ、職工たちはここに泊るのかと聞いた、杉村が簡単に、いやと、答えると、小田切は尚も、ここには二階に住いがあるのか、と問いかけた、杉村は妙なことをうるさく聞きたがる男だと思いながら彼女の部屋が二階にあるらしいねえ、と素気なく答え、ゲラ刷りに

の字を書いた。もしもし、はいはいと二階で電話をかけている彼女の声が聞えて来た。

 

     七

 

 校正を了えて杉村と小田切が工場を出たのはかれこれ十一時すぎ、ぱたんとばね仕掛の開戸(ひらきど)をはなして外へ飛び出すと、杉村は一パイやるかと小田切をふり返つた、小田切は背の高い杉村を見上げ、悪くないねえ、とわざとごくり唾を呑む真似をした。だがこれは秘密だぜ、と杉村は念を押すのだつた。同盟の財政は窮迫し機関誌も新聞も月々に細りつつあるこの頃、たとえ長い労働の後とはいえ、編集雑費で酒を飲むことは許されない。

 工場から四五軒、すぐT字形になつた角を曲り、その道を出た所が電車通りである、右手に赤い灯の見える交番に反対の方角へ一丁程ゆくと杉村が時たま来たことのある「たこ安」というおでん屋がある。奥まつたテーブルに向い合つて、酒を、と小女に命ずると杉村はテーブルの蔭でこつそり財布を調べるのだつた。

 二人ともいける方で、編集雑費の残額は心細いものだつたが、一本や二本位の不足は自腹を切つてもと酒のことなら杉村は最初から覚悟が良かつた。酒が来ると小田切は杉村の手を制してすばやく徳利を自分で持ち、まあま、と杉村に先ず猪口(ちよこ)を上げさせた。小田切の百姓出らしい義理がたい癖である、次に自分の猪口にもつぐと徳利の口にしたたる酒を小田切は長い舌を出してペロリと舐めた、やつてるな、と思いながら杉村は知らぬ顔だつた。一人で飲む徳利ならいいが、みんなで飲む時は少々きたならしいので、これまでも堀川なぞが、小田切もそれをせんといい男だけど、と遠廻しに云つても通ぜぬのか仲々直らなかつた。

 小田切は最初の一杯を飲みほすと感にたえた面持で、うまいなア、と眼をつむつた、五臓六腑にしみ渡るという様子である。杉村はそれほどの正直さは出さぬが、久しぶりに飲む酒は乾からびた喉にじゆうと鳴る思いだつた。

 しばらくは話もなく口からテーブルヘ、テーブルから口へ杯が上下していた、徳利が空になつたところではじめて、やあ、と感慨めいた顔で二人は互に見合い、ふふと笑つた。杉村は空の徳利でコツ、コツとテーブルを叩き、何かおでんを、とはじめて箸の物を注文した、二本目から三本目と酔いが廻るにつれ杉村は饒舌になつた、彼は、書記長が頭を割られたというニュースを知つてるか、とにやにやしながら小田切の顔を見た。そうかい、それは本当かい、小田切久次は思いがけぬ喜ばしい事件のように眼を見張つた。まあ書記長にも時には虫下しだ、しかし新聞なぞが書き立てると困るから極秘だぜ、と杉村も時節柄流石(さすが)に内紛のデマを恐れて特に念を押してから、実は昨夜の、まだ湯気のホヤホヤ立つてるニュースだよ、と語り出した。

 最近同盟には一種の伝染病のように女房が亭主を捨てて逃げるのが流行つた、高川という男は警察に半月ばかり泊つている間に最愛の女房に家財道具をさらつて逃げられた、大栗は女房の同郷とかいう男に盗られ、吉野は親しい同志であつた元の書記長に女房と共に裏切られた、山檻鈴江が獄中の細河内を捨てて新劇の男優の懐に走つたことは一般にも注意を曳いた程である、その(ほか)成島、細山等数えれば案外の多数に上る、闘争は困難になるにつれプロレタリア作家の行く手には暗い雲が垂れはじめた、階級闘争に身を捧げたつもりの同盟員たちまでが、絶望や懐疑におちいりがちな時、華やかな夢を期待し、いくぶん感傷的な昂奮で亭主に()いて来ていた彼女たちが、観念の上の昂奮では、し(ぶと)い伝統の力や外的圧力に勝ちがたく、とどのつまりが現実とは冷雨(ひさめ)であつたと悲しい悟りをひらいて、ひよッとしたら自分の亭主は豪い人になりはしないかと、或は仲々いいところがあるが、とそれぞれにまだ幾分の恋情を残しながら男を捨てて逃亡する——これも情勢であり、(つい)えはじめた屋台骨の中に起る悲劇の一例に過ぎないのであろう。

 一夜高内寺組でこうした悲劇の主人公の一人である吉野を慰め、はげます会というのが持たれた、ごく親しい者だけが寄り合い、小やかましい会合の型を破つて酒を飲み、腹の底から友情まで温めようというのであつた。かつて同盟の懇談会が酒を用いたということで「同盟の自己批判」という大論文を書き、酒飲みの杉村や堀川たちをすくませたころのあの書記長がその発案者であつた。杉村はここで一区切りして、昔は酒を飲むさえこつそりやつていたのに、同盟は今昔の感に堪えないものがあるではないか、と思わせぶりな顔をしながら立てつづけに酒をあおるのであつた。小田切も忘れていた杯を乾し、それでどうした、と好奇の眼で追及した。

 ところが大体一座の顔も赤くなつた頃、書記長は例の雄弁で誰かを相手に口角泡を飛ばしていると突然、馬鹿野郎ッと叫んで横合いからビール瓶で殴りつけて来た者がある、理論家ではあつたが書記長も暗打(やみう)ちには身をかわす暇がなく、殴られてからやつと驚いて身を引いたが、その時は(すで)に頭でビール瓶がはじけ全治一週間の傷が出来た後だつたそうだ、あはははと笑つて杉村は言葉を切つた。

 ふむ、ふむ、同盟にも仲々捨てがたい奴がいるね、で、そ奴一体誰だい、と小田切は益々興味をそそられて来たふうである、宍戸(ししど)だよ、と杉村はずばりと云つた、小田切は、宍戸か、ほほお、と感嘆の(てい)である。

 何でも事の起りは何時か書記長が文藝時評を書いていたが、その中で宍戸の小説の批判がなつていないと云うので根にもつていた彼がその席で書記長の名を呼んだらしいけれど、今云つた通り奴さん夢中になつて理論闘争をやつていた折から聞えなかつたのだろう、そ奴を生意気だと取り、かッとなつて殴りつけたというわけだ、それからまあ大騒ぎになり、みんなで宍戸を抱きとめると宍戸は、貴様が同盟を今日のような極左に陥し入れたんだぞ、自決しろッ、と叫びながら猛烈に欠けたビール瓶を振り廻して暴れ、仲々勇ましかつた模様だよ、と杉村は語り終えると愉快そうにぶすりとおでんの豆腐に箸を突き刺した。

 ふふーん、仲々宍戸もいいところがあるねえ、と小田切はつまらぬところに感心し、興趣(おのずか)ら湧くと云つたような顔をしてもう一度、ふふーん、と独りうなずくのであつた。

 前書記長は恋の逃避行をやるし、屋台骨が傾きかけるといろんなことが起るよ、と杉村は余所事(よそごと)のように云つたが、矢張り気になると見え、ともかくあんまり人に云わぬがいいよ、ともう一度念を押し、さあ飲もう、と徳利を眼のあたりまで高く持ち上げた、少々酔つて来たようだ、小田切久次は、お祝いのようだね、と意味のわからぬことを云つてにやにやしながら杯を徳利の口へ寄せてゆくと不意に、おーとッとッと、頓狂に叫んだ、杉村が酒を()ぎこぼしたのである。勿体ないことをするな、と小田切は急いで杉村の手から徳利を引つたくり、周囲をベラベラと舐め廻し、それからテーブルに鼻面をすりつけてこぼれた酒をズー、ズーと吸つた。おでん鍋の向うで小女がくすりと笑つた。杉村は、止せよ、と小田切の額を指先でついて持ち上げさせ、お代り、小女をふり返つた。

 おい、いいのかい? と小田切は心配そうな嬉しそうな顔である。杉村は、ポッポは温かいよと着物の上から胸を叩いて見せるのだつた。

 

     八

 

 二人は何時かいい気持ちに酔つていた。十二三本の徳利を並べ、ふらふらと彼等が「たこ安」を出たのはもう一時すぎだつた。通りかかつた円タクを呼び止め杉村が乗り込むと、何故か小田切久次は素知らぬ顔でひよこひよこ行きすぎた、おーい、おーい、と杉村は車の中かち怒鳴つたが、小田切は聞えぬのか、それとも聞えて聞えぬふりをしているのか矢鱈にずんずん歩いて横丁へ曲つてしまつた、杉村は、厄介な奴だな、とつぶやき車を跳び降りて後を追つた、角を曲つて横丁へ入ると小田切の姿はもう見えなかつた。おーい、小田切君——杉村は駈足になり横丁を抜けて向う通りに出たが更に小田切の姿はない、小田切君、と何度も呼んでみたが返事もない、変てこな奴だな、まるで鼠みたいだ、と独りつぶやき杉村は尚も横丁や露路をうろうろとのぞき廻つたが、もう皆目わからなかつた。探しあぐねた杉村は何時か狐につままれたような顔をして電車通りへ出て来た。

 その頃小田切久次は知らぬ家の裏の塵芥箱の蔭にしやがんでにやりと笑いを洩らしたところだつた、うまく行つた、と頃合いをはかつて彼はのつそり立ち上がり、露路から裏通りへ出るとすたすたと印刷所の方へ急ぎはじめた、怪しからぬ想念に刺激され心臓が何時になく太く息づいていた、あの女はたしかに俺に好意を持つている——小田切久次は改めて思い直す、鶏や兎の性慾的な生活だけを見て暮している彼は何時か鶏や兎の生活と人間の生活とのけじめがつかなくなつていた、人間も性慾的には雄鶏のように軽卒で安直ならばいい、いや誰も心では雄鶏を羨んでいるのだ、何の不自然もなくそう思い込んでいる小田切久次はあの女が今夜俺を待つている、——でなくてどうして主人が留守だということをあの時わざわざ云う必要があろう、()して詩を見てくれ、なぞとてつきり文学少女のだ、よし文学少女結構——それは杉村と飲んでいる間中も彼の脳裡をはなれなかつたのである。彼はそれを本気に信じていた、うつかり、おでん屋の主婦にでも、又いらつしやいねえ、と云われると本当に夜遅くなつてからなぞ、又来いと云つたから来たよ、と云つてやつてゆく彼とすれば無理もないことかも知れない、やがて小田切久次は体を縮めたかと思うと跳び上り塀の笠木に手をかけた、音もたてずよじ昇り、するすると向う側へ降りてゆくのも手馴れた小気味よい手際だつた、そこは印刷所の通用口である。溝板を踏んで奥へ進むと間もなく台所だつた、そつと硝子戸に手をかけてみたがもちろん錠が下りている、彼は一寸考え、ふと露路の突き当りに私設の電柱が立つているのを発見すると静かにそれに近づき、ぺッぺッと掌に唾をかけそろそろと細い電柱を登りはじめた。

 ふと小田切久次は頭に何か触れたように感じた、途端に何物かが肩をかすめ、塀にぶつかつて時ならぬ音を立てた。電柱が物干に代用され竿が渡してあつたことに気がつかなかつたのである、小田切久次ははッとして電柱の中途で身をすくめた、大した音というでもないが突然隣りの庭から犬が吠えはじめた、彼は慌てて電柱から跳び降りた。すると犬は一層仰々しく吠え立てるのであつた、小田切久次は塀腰の横桟の間からのぞき不器用な手つきでおいでおいでをしながらだまそうとかかつたが、犬はその手に乗つて来ない、小田切はへつぴり腰で去就(きよしゆう)に迷つているうち、隣りでは誰か起きたらしくがちやがちやと台所の鍵をひねる音さえ聞えて来た、今は猶予もならず小田切はちッと舌打ちして裏口へ急いだ、再び小気味のいい跳躍を試み、熊のように塀によじ登つた。だが運の悪い時は仕方ないもので、一人の警官が右手の曲り角に立つていたが、小田切が塀から跳び降りたのを見るといきなりサーベルを掴んで追つて来た。流石の小田切も狼狽し、地に足がつくが早いか一散に駈け出した。

 泥棒、泥棒ッ、と警官は夜更けの街に物々しい声を上げながら追跡した、小田切久次はその叫びが気に喰わなかつたが泥棒じやねえぞ、と一声喚き返して宙を飛ぶように走つた。足は太く短いが走ることは自信があつた。通りを右へ折れ半丁も駈けると再び露路に入り、それからというものはどこをどう抜けたか自分にもわからぬ位彼は無茶苦茶に駈け廻つた、蓄積された彼の精力はこういうときに目覚しいばかり発揮された。もう警官もつけて来る模様がなかつた、どんなもんだ、小田切久次はほんの少しばかり得意になり、その露路の角に偶然にもさつきの警官が立つているとは知らず悠々と出て来た。

 

     九

 

 小田切久次が警察の地下室から出て来たときは已に機関誌部には他の同志が補充されていた。だが校正の済んだ組版も同盟が約束の半金を入れないため未だに印刷所の棚にそのまま積まつていた、雑誌も新聞も何時出るか見透しさえつかなかつた。只ひつきりなしにニュースや号外だけが同盟員に訴えかけていた、だが同盟員たちはあまり感激しなかつた、何れの機関も有名無実で、()びた車のように動かなかつた。それでも辞めさせられたと思うと小田切は癪だつた。彼はますます誰とも逢わなくなり、毎日鶏と兎と女房の芳江にぷんぷん当り散らしていた。鶏と兎はもう可愛がつてくれなくなつた主人の時々の粗暴さに頓狂な叫びを上げておびえたが、女房の芳江は鶏たちほどおどかされなくなつた。

 はじめて()げられた理由が夜這いだなんて、どの面下げて留置場から出て来たんです! と筋張つた顔で詰め寄つた。そして二言目には出てゆくといつた。

 小田切久次は世間が憎く、人が(うら)めしく、わけのわからぬことを怒鳴つては芳江を殴つた、芳江はそうなつてくるとじつと歯を喰いしばつてこらえ、一言も云わなくなるのである。この変つた鶏飼いに連れ添うた短かからぬ年月が彼女をも亦変つた女にしたのであろう。ある日、小田切久次は鶏小舎を開けて糞の始末をしていたが、ひよいと顔を上げると芳江が風呂敷包みをかかえてこつそり裏口から出て行こうとするのを見た。逃げる気だなと直感した小田切は鶏の糞を片手に掴んだまま小舎を飛び出し、いきなり芳江の襟首に手をかけて引倒した。ふくれた風呂敷包みがころころと溝板の上に転がつた。小田切はもの一つ云わず彼女を引ずつて鶏小舎まで来ると、片手に握つていた鶏の糞を棚の上に投げ(鶏の糞は一俵いくらで売れるので彼は一塊の糞もおろそかにしなかつた)それから彼女を座敷に引きずり上げ、手足を細紐でがんじがらめに縛り上げた。その間小田切は全く口を利かなかつたが、芳江も亦無言でされるがままになつていた。

 鶏小舎では鶏たちが怪訝(けげん)そうに首を伸ばしたり縮めたりしていたが、やがて一匹の雄は入口の開いていることに気づき、くくくくと云いながらのこのこと庭へ出てゆくのであつた。それを見ると外の鶏たちも申し合せたように喉を鳴らし、ぞろぞろと隊を作つて庭へ出はじめた。先の雄鶏は久しぶり解放された喜びで垣根のそばに餌を見つけたらしく、くおッ、こここと逞ましい脚で砂をかき、雌鶏たちを呼んだ。

 丁度この時芳江を縛り上げて出て来た小田切久次はこの有様を見ると人間か鶏かの見境いもなくカッとなり、馬鹿野郎ッと怒鳴つて傍の薪木(まき)をはつしと雄鶏に投げつけた。雄鶏はこの奇襲に驚愕の声を上げ、一旦は飛び上がつたが、降りたときは薪木を受けた片足がなえていた。それでも恐ろしさにびつこ引き引き小舎の中へ逃げこんだ、外の鶏たちもむろん肝をつぶし悲鳴を上げながら垣根や小舎にばたばたと飛び上つた。三十羽からの鶏が前の原ッぱや隣家の庭へ逃げ出したのには今更小田切自身がひどく狼狽しなければならなかつた。こんなことが度重なり、今では鶏たちは主人の姿を見ると体を寄せ合い、すつかりちぢこまるようになつてしまつた。

 雄鶏の脚を折つてから一週間ばかり経つた或る日の晩、もう鶏たちの餌がなくなり、小田切は例の魚屋へ雑物を()りに出かけねばならなかつた。芳江は已に寝ていた、小田切は着物の上からかつては新らしかつたこともあつたかと思われる、ほんとに申し分けのためにだけ破けずにいるような古ぼけたレインコートを着、台所から大きな馬穴(バケツ)を下げて出かけた。レインコートのポケットからは小便染めのような手拭がだらりと垂れていた。これは全く相当な格好だつた。夜も更けて街通りは雨戸を閉め、通る人の影もない、やがて目的の魚屋のところまで来ると彼は足音を忍んで裏露路を入つて行つた。魚屋の裏にはいくらかの(おけ)が積んであつた、彼はそれに近づき上から順々にそつと胴を叩いて中をたしかめてみるふうだつた。そして夜盗のように緊張した様子で上の槽を静かに地面に下ろし、二番目の槽に手を差し入れた。手掴みに幾度か槽から馬穴へ移し、それが一杯になると再び槽を元通りにしてこつそり露路を出て来た。

 彼が馬穴を下げて家に帰つた時には已に寝ていた筈の芳江の姿が見えなかつた。便所かと思つて台所脇の便所の戸を開けて見たが、ぷーんと臭気が鼻に来ただけで彼女はいなかつた。芳江、芳江、と彼は呼んで見た。返事はなかつた。座敷に引き返し、机の前にゆくと彼はそこに見覚えのある筆跡を発見した。左様なら、小田切久次様、芳江——と簡単に走り書きがしてあつた。

 小田切久次はぼんやりと馬穴を下げたまま暫く立つていた。彼はそこで馬穴を下ろしてもいいことを忘れていたのである。彼は次第に云おうようのない空虚と寂蓼にとらわれて行つた。ああ、出かける時に手足を縛つてゆけばよかつたと後悔したが甲斐もなかつた。今更逃げた魚は惜しく、何よりも再び女房を持つことが出来るかという不安と絶望とがはつきりと彼の心に来た。やがて彼は座敷の真ん中にはじめて馬穴を下ろし、そのまま下駄をつつかけて出て行つた。彼はすつかり昂奮していた。無意識に中野の方角へ駈け出していた足をふと止め、踵を返えすと今度は杉村や堀川たちの家の方へ急ぎはじめた。夜更けの道は寒々とする程静かだつた。通り馴れた火葬場の前も夢中で過ぎ、寺や墓場のある薄暗いところにさしかかると、不意に横丁から出て来た背の高い男があつた。

 のつぽの男は前を走り過ぎようとするずんぐりした男を一寸眼で追い、すぐ、小田切君じやないか、と呼びかけた。小田切はいささかぎよつとして立ち止まり、杉村か、と感慨めいた声を出した。杉村は小田切に近寄り、常任委員会は今夜——たつた今、同盟の解散を決議したよ、とこれも昂奮した口調だつた。だが小田切には同盟の解散という歴史的な事件も今はさして驚くほどの事件ではない、ふむ、と一つうなずいただけだつた。杉村は小田切の様子が何時もとちがうことにはじめて気づき、君は又、この夜更けにどこへ行くんだ、と尋ねた、小田切は落ちつかぬ気に、女房が逃げたよ、と云い、杉村が聞きとがめて、何ッ、奥さんが? と驚くのにも答えず、後で君の家へ寄るから待つてくれよ、一寸神近さんところへ行つてみるから、と云い捨ててもう歩き出していた。

 杉村は着物の上から古ぼけ垢じんだレインコートを着て、そのポケットからだらりと手拭を垂らした滑稽な小田切久次の後ろ姿を暫らく苦笑もせずに見送つていたが、やがて、ふむ、やつぱりそうか! と独りわかつたようにうなずき、墓場の前を家の方角へと帰つて行くのであつた。

 

(昭和十年七月「文藝」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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平林 彪吾

ヒラバヤシ ショウゴ
ひらばやし ひょうご 小説家 1903・9・1~1939・4・28 鹿児島県姶良郡に生まれる。復興局の建築技手を勤めながら1931(昭和6)年日大社会学科を卒業日本プロレタリア作家同盟に加入、喫茶店や撞球場を経営したり、詩を書き文学雑誌を出し文士劇をやり、生前に1冊の著作集もなく、掲載作以降僅か4年間に長短20余の小説を書いて、37歳で死去。

掲載作は、1935(昭和10)年7月「文藝」懸賞に入選のいわゆる「転向」作と観られるが、地下活動の一端を深くのぞき込み、端倪すべからざる異色の毒と表現を得ている。

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