樹下の懐郷
小さなほとけさま
人として一番辛くて淋しいことは
かかわるべき人が誰も居ないことです
喜びや悲しみをわかち合う人がいれば
人は輝いて輝いて生きていける
幸せとはつまり そういうものだと思います
若き時、若さゆえの情熱を力にして
無限の可能性を信じて歩いてきた
形のない幸せよりも
顕現化された華々しさが欲しかった
人は形についてくると確信していた
命の価値をはかる物差しは
まぎれもなく
残された命の時を考える年になった今
得る幸せより 捨てる充実感の方が
はるかに大きいと考えられるようになった
泣いて苦しんで 耐えて耐えぬいて
辛酸を越えて集めてきたものを
これからは ためらわずに捨て去ろうと思う
捨てさって 捨てきって
我が手の中に残るものがなくなった時
一人で
そして
時が流れていつの日か
残していった愛しき者の手のひらに
私は小さな小さな仏様になって
帰ってこようと思う
私を支えてくれたすべての人の心の中に
はらはらと舞い降ちる花びらとなって
いつか必ず帰ってこようと思う。
お前の心に
本当に悲しい人は
悲しがらない
本当に辛い人は
辛がらない
本当に泣きたい人は
泣かない
だから
そんなことで泣くなんて
おかしいよ
泣けるということは
お前の心にまだ余裕があるということ
明日はきっと違う自分になる
なれないかもしれないけれど
なろうと思う気持ちを持つことが大切なんだ
明日はきっといいことがある
明日はきっといい日になる
年輪を重ねるということ
私はすっかり
近所の友達と一緒にかくれんぼや、缶蹴りなどで
日の落ちるまで遊び 戯れたあの光景を
なんだか今もはっきりと覚えている
おとなしい誠君や
少し意地悪で暴れん坊の茂ちゃん
みんなつい先日の出来事のように鮮明に記憶している
なのに
時が暴力的に そして突然に私の時代を奪い去り
気がつけば
顔も姿もすっかり齢傾き 描く夢まで
心はいつしか
今日の日までに
もっと違う生き方が出来たのではないか
もっと楽しい人生が過ごせたのではないか
などと考えながら 時の経過に溜め息が出る
これからも私の人生は そんなに大きな変化もなく
流れの中で一生を終えることだろう
そしていつの日か
私の
訪れる
積み重ねた光陰 命の時を
かなりの喜びと
それなりの充実感に包まれた 満足感はあるけれど
その満足感は
これから行く道に
のり越えるだけの活力にはなれないような気がする
過ぎし日々の
描いた夢や可能性までも なんだか空しくみえてきて
これから私は 何を指標に時に染まろうか
考えて考えて悩んでしまうのです
人を愛し 人に愛される心の
来た道や行く道さえも
こんなふうに 淋しくさせてしまうのでしょうか
草木いや生う春の中で
今日も私はこんなことを考えてしまうのです
愛は時を越えて
理想的な幸福像がある
その理想像を
その人の人生は不満だらけになる
人間は万能でなく限界だらけの存在であるから
自分はこの
すなわち
諦めることも生きていくうえで必要な選択肢
自分の弱さを認めた時に
他者の価値観をも認めることが出来るようになる
過ぎし日
そう思って諦めた人がいる
幾日か
生にも存さず
死にも存さず
時の中で
見るでもなく
見ないでもなく
ただひとつを
じっとみていた時の流れが私にはある
許される年になった今
届かぬ思いをあの人に届けたい
黙っていた愛も
いつかきっとあの人に届く
言の葉
あなたの優しい言の葉が
あとからあとからはらはらと
私の心に舞い降ちる
悩み通した陰鬱も
禍禍しい往時の追憶さえも
すべてを忘れさせる
浄め浄められた輝く言葉
降り注ぐあなたの言の葉で
いつしか
大切にしたい優しさと
忘れられない言の葉で
私の心は
澄みわたるあの青空の中へ
たまゆらの光となってかけのぼる
生きていくということ
そのことが人の道にはずれていてもなを
今しか出来ないことだから
誰れにも迷惑をかけていないから
私には私の人生があるなどと
自分本位な生活観や人生観の中で
己れの行動や思想を正統化させ
快楽をむさぼる人がいる
情熱をたっぷりと注ぎ込んで充実感を得られる
そんな楽しみももたず
ただひとときの破倫の羅列を続ける果てに
見えてくるものは空しさであり
世のはかなさである
生きている
向上心をもつこと
生命の輝きはただひたすらに
向上心の中からしか生れてこない
生きているということ
生きていくということは
つまりそういうことなのである
勇気と決断
もういいと なにもかも投げ出したい時がある
投げ出せば この苦しみから
逃れられるかもしれないと思うことがある
でも なかなか投げ出せないで
悶悶とした日々の中で
我が身を嘆くのは何故だろう
それは投げ出したあとの虚脱感や喪失感
名状しがたい悔恨の念
現状を失う恐怖と
それらをすべて時間の中にとじこめて
過去という記憶の中に埋没させるには
かなりの勇気と かなりの決断が必要
だからなかなか投げ出せないで
同じところをぐるぐる廻って
こんな時
物事は諦めることで寂滅することだってある
この世には
何かを捨てることで手に入れることが沢山ある
捨てることで得るものを 心の安穏とした時
人はどんなものでも捨てられる
澄みわたる
生きている喜びを重ね合わせて時を刻んでゆきたい
人はみな諦めをくりかえしながら
幾星霜を重ねて 他生へと
生きてゆくということはそういうことなのである
子供達の帰郷
“父さん、盆には帰るよ”と長男から電話
しばらくすると
“母さん十三日には帰れるから”と次男の声が
子供達が帰ってくる
二人揃って帰ってくる
その昔
彼等が生まれた それぞれの震えるような感動と
泪の出るほどの感動を 今もはっきりと覚えている
並んだ幼子二人
讃嘆の眼差しでみつめながら
可愛い 可愛いと
何をしても 何を言っても
ただひたすらに
悪戯をし 近所の人々に詫びて廻った懐かしき日々
時が流れ 季節が移り
旅立ちの あの日のあの朝
私よりはるかに大きくなった子供達の姿に
喜びと虚脱感が心の中でせめぎ合った
そして今
あんなに小さくて弱々しかった子供達が
“変わりはないか”“病気をするな、気をつけて”と
老いに向かう私達を
さわやなか笑顔とともに 優しく包み込む
妻と私
さっきまで
二人の心は瞬時 夢色に染まる
腰が痛い 頭が痛いと言っていた妻は
パンと小さく手を叩き
背筋をのばして掃除をはじめた
階下から“怠けていないでこの花どけて”と
ずっと昔の若き日の妻の声がした
妻は元気になった
余暑いまだ衰えぬ日々の続く中
どこからか盆踊りの歌声が聞こえてくる
木々の葉もそれぞれに葉を落とし
近づく秋の到来を告げる
季節はあと少しで秋の海へ
子供達が帰ってくる
二人揃って帰ってくる
今夜は久し振りに
子供達の幼きころの懐かい 旧きゅうをテーブルにのせて
夫婦二人の静かな晩餐会を開こう
今夜は名月
きっと名月
秋色に染められて
野分の風が通り過ぎ
花野がゆれる秋の海
見上げれば
萩 尾花
秋の七草が咲きほこり
季節の到来を告げる
すすきが風にゆれ
木々の葉も酷暑を耐えて色どりを変えていく
秋がきた
私の心を染めあげる秋がきた
季秋の夕暮れ 夕あかり
ふと誰かに呼びとめられたようで
振り向けば肩に小さな桐一葉
はらい落とすも
家路を急ぐ
落とさぬようにそっと歩いた
なんでもない日の一日の終り
悲しいわけでもないのに
ただわけもなくひととき心が現実と遊離する
こうやって こうやって
私の心は人恋しい秋へと向うのです
夜毎 虫の音もしげくなった
夢の中
過ぎた夢
夢の中・・・
また会えますか
もう会えないなんて言わないで
もう会わないなんて言わないで
会っても共有するものが何もないことは
わかり過ぎるほどわかっているけれど
それでもやっぱり あなたに会いたい
あなたの香りが好き
あなたの
私をつつみ込む
穏やかなその声が好き
物柔らかな笑顔も
憂愁に閉ざされた悲しそうな顔も
そしてあなたの仕種のそれぞれが
現実と仮想の中で
さまよう私の心を
時移り
若き日の至純な日々を越えた今
互いの背景も 背負った荷物も めざす道程も
せつないほどに変わったけれど
やっぱり今でも あなたが好き
泣きたいくらい あなたが好き
だから嘘でもいいから 会えると言って
嘘だとわからないように 会うよと言って・・・
消えていく夢
夢の中・・・
伝えたいこと
人生を経験すると
沢山の言葉がたまってくる
美しい言葉
優しい言葉
人を
良い言葉は一生の宝
良い言葉を使いたいと思う
人は言葉によって行動がかわり
言葉によって人生がかわる
自分の思いや考え方は
言葉でしか伝えられない
その言葉を磨く事は
人生の質を磨くことと等しい
そんな言葉のその先に見えてくるものは
空しさであり 世のはかなさである
日々の暮らしの中の 何でもない事象を
至純な優しさで包みたいと思う
木々の葉に降りた霜が
晩秋の朝の日差しにきらきら輝やき
やがて訪れる冬の中に
ゆっくりと染まっていく
この美しさを
私はどんな言葉で飾ろうか
心の道標
人は悲しい時や辛い時
泣きたくなる
うれしい時や感動した時も
泣きたくなる
人はいろんな時に泣きたくなる
でも本当に泣きたくなるのは
わかち合う人が誰れも居ない時
自分の感動を称えてくれる人もなく
悲しみとても共に戦う人もなく
ただ漫然と年輪を重ねる寂しさは
歩みし人生を否定し
生への意欲や意義までもなくし
他人への優しさまでもなくしてしまう
わかち合う人が欲しいと思う
そういう価値観の中で
人は日々を重ねてゆきたいと
そういうふうに私は人生を確信している
私には
稀代の言葉や深遠な情を言葉として表現出来た時
手をたたいて喜んでくれる家族がいる
ただこれだけで私は人生の成功者なのだと
重ねて強く確信している
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/03/11
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