言の葉
私の幸福論
生きていくうえでもっとも大切なものは
生きている間、自分が使える時間です
あなたがその時間を
どのように使おうとあなたの勝手ですが
そのために生じる結果と責任は
すべてあなた自身に帰属します
どのように生きたらいいなどと
生意気を言う気はさらさらありませんが
自分が納得する生き方を探し求めて暮らしていかないと
生きることに逞しさがなくなり
社会の中で自分を表現する力が欠落してくる
自分を表現しないで日々を過ごすということは
生きている存在理由がないということに等しいことです
自分の生き方を決めてそれを貫くことが出来る
そんな人生を抱きしめて生きていきたいと思います
人から影響を受け
他によって与えられた幸福や時の経過には
感動がともなわない
感動を積み重ねたその先に
生きている証しがみえてくるのです
過ぎゆく日々の中で
安心して眠れる家があります
将来を託す子供がいます
夢を共有する友もいます
詩情にゆれる心があります
ときめきに心が染る瞬間があります
時を超え郷愁を誘う故里があります
碧い空 白い雲
そして
四季に彩りを変える木々に包まれています
肅然として心自然に入れば
廻りの環境がすべて優しく映ります
長じるにしたがって
社会に役立つ仕事をしているという自覚があります
時の中で自分の存在感を感じることが出来ます
そして今、
死を享受する死生観をも手に入れようとしています
称賛されるべき地位も名誉も肩書きもありませんが
静謐な日々のいとなみの中で
今わたしは幸せなのです
はじめての留守番
久し振りに妻が帰ってくる
夜九時ごろの帰宅というのに夕刻から何回も時計をみる
汚した部屋を片付けて
家の内など暖かくして
コーヒーも点てよう
我が家に近づく車の音に期待をこめて耳を澄す
悠悠とした時の経過を待ちきれず目を凝して窓外をみると
我が家に続く道程に車のライトがうかぶ
坂を登れ 右に曲がれ そのまままっすぐ もっと来い
停れ 停った 妻が帰った
車のドアの閉まる音のあとに 麗らかな心ゆかしき風が吹く
五日間まるで精気のなかった犬が 喜びの声をあげて庭中を走り廻る
茫茫として
寝てばかりいた猫がとび起きて 妻を迎えに玄関に
私はというと
急いで書斎に入り 居住いを正して
書きかけの原稿のうえに 筆を重ねる仕種をする
妻の帰宅と同時に我が家は覚醒し
部屋は たちどころに光彩をはなつ
暫くすると東京の息子から
“母さんは無事に帰ったか”との電話
私の家は間違いなく 妻を中心に 日々が刻まれている
そのことに私は なんのためらいもなく満足している
そして 私は幸せなんだと心の中で開陳する
「ただいま」と
書斎に入ってきた妻から 異郷の香りが漂った
東京に住む息子の香りと一緒に 妻が帰ってきた
そして私の五日間は
暗澹から愉悦に変貌した
心もよう
故里は何故こんなにも懐かしいのでしょうか
それはあなたがいつも
無垢な気持ちにもどりたいという 素直な気持ちがあるからです
山は何故こんなにも美しいのでしょうか
それは あなたが 山を美しいと思う心があるからです
空は何故こんなにも碧いのでしょうか
それは あなたの心に 曇りがないからです
何故孤独に耐えられなくなったのでしょうか
それは あなたが
少しだけ老いて 悟りの入口に到達したからだと思います
人も景色も音楽も
そして私を包む空気さえも
みな私に優しく映るのは何故でしょう
それは あなたが今、たまゆらの 幸せの中にいるからです
そして、このまま そのまま あるがままに
時を重ねていったら
あなたはきっと 静かに 静かに消えていくことが出来るでしょう
終の命は美しく崇高でありたい
雅やかな生命の輝きをもとめたければ
人を信じることです
ただひたすら信じ抜くことです
信じることで 自分の心も豊かになれる
人は自分を信じてくれる人を裏切れない
今日の日まで
私はそう思って生きてきたけれど
あの人は世の中の一切の愛を無視して
限りない荒涼の世界を彷徨していた
人は誰も自己の存在と
他者との係りについて 悩み苦悩する
しかし
そういう社会の流れの中を生きぬくことで
人生の残酷さを知り
みごとなまでの美しさを知るものなのです
だから私は 踏みにじられた現実を 所与のものとして享受し
無垢な心で 彼我の価値観の落差を 受け入れようと思う
育ちそびれたあの人の心が
もつれ合う心の迷夢を押しひらき
いつの日か 静心の中に着地してくれんことを祈りながら
もう一度 もう一度 信じてみようと思うのです
人情の機微
情けないと思うことがあります
それは
我が意が伝わらず つい いらいらして 怒ってしまった時です
空しいと思うことがあります
それは
本当の自分を偽って 見栄を張って 嘘をついてしまった時です
焦ってしまうことがあります
それは
目標設定が定まらず
達成への追求心が 減少してきたと感じた時です
侘びしいと思うことがあります
それは
卑小で弱い自分なのに
精一杯強がって 振舞っている時です
悲しいと思うことがあります
それは
心迷うその時に すがるべき、何ものもないことを 自覚した時です
切ないと思うことがあります
それは
あなたと目線が合わなくなったことです
淋しいと思うことがあります
それは
あなたが、居なくなったことを 淋しいと思わなくなったことです
人は皆
こうやって こうやって 人情の機微を悟っていくのでしょうか
四季の移ろいに 我が命を託し
季節 簫々と流れる中で
思い出を、目や心に遊ばせながら
過ぎゆく日々を重ねたいと思う
私のひとつの青春です
つよがり
ありもしないのに あるように振舞い
虚無的な日々でありながら 優雅さを装い
遊惰な生活をしながら 研磨な日々のごとく虚行し
我ひとり我一番とする 醜い心情さを 口先だけの慈悲の心で糊塗し
自分勝手な生活観で 廻りの人々の自由と人間性を軽視する
幾星霜を重ねてもなを 耽美のみが価値観の中心となり
現実と仮想の区別が未だ 截然とせず 心はいつも現実と遊離する
世の中は こんな人が確かに存在する
こういう虚為にみちた日々を続ける果てに
見えてくるものは 空しさであり 世のはかなさである
人に愛され 幸せになりたいという願望は 人として当たり前のこと
ただその根っこのところが錯綜しているか
生き生きと輝いているかによって 表われる結果が劇的に違う
人はみな そのまま そのまま あるがままに暮していけば
いつか幸せに辿りつける
私はそういうふうに人生を考えている
季節は移ろい これからは淋しい冬がくる
人を恋しく思うこと
恋するということは
相手に心を奪われるということだけでなく
その瞬間から自分をとりまく世界が
変わって見えてくるということでもある
たとえば空の青さ
たとえば風の音
たとえば行き過ぎる人々の表情
これらすべてが恋する前と違って見えてくる
そして物事に寛容になり
許せないことが許せるようになり
なんでもない一日の なんでもない事象が なんだか雅やかに映り
哀調を帯びたメロディーに 心は瞬時せつなくなってくる
過ぎた日の秋の終わりの あの日のまちぼうけ
あの人は来なかった
待ちつかれて あきらめて 虚脱して抜け殻になりながら歩いた
悲しいはずなのに 夜なのに
道は輝き 風が心地よかった
街の灯りが優雅な光芒を放ちながら
現実と仮想の中を彷徨する若き至純な想念を 優しく包み込んでくれた
往時の懐旧はいつしか一切を無視して 心を揺さぶる大人への愛と変わっていく
時移り 今
秋寒身に染む晩秋の夕暮れ
歩道を散りつくした枯葉が 風に追われて逃げ惑うその姿に
過ぎし日の
かなりのときめきと
かなりの夢と
かなりの希望が
慕う心と重なりながら
あなたへと向かう時を秋色に染め上げる
振り向けば 山々はもう声をかけあい冬支度
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/12/24
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