猫が見に来る
七十年経たる桜の枝に重く花咲き満てり
昼の池亀のめぐりは花筏 亀は悟らずに千年眠る
桜ばなのみ満ちあふれ人絶えし千鳥ヶ渕は怖ろしき闇
花散らしの雨降りそめつ 輝きゐし千鳥ヶ淵の花も散らむか
お隣りのおばあちやんは耳遠ければ昼の畑で大声に話す
わが家の垣根の裾をくぐらせて畑もののブロッコリーを寄越せり
柿若葉ちぎらむほどの春嵐からだの奥にひびきて痛き
ひとり病める友を気づかひ電話すれば孤りは孤りの
楽天的なわたしとなりて春の日の路地ゆけば盛大にみどり児が泣く
穏かな口調でみづからの癌を告げしきみの電話の声音忘れず 春蘭
きみの癌を知りたる春のかの夜より一年を経てきみは亡きなり
指触るれば冷たく固ききみの頬死の感触がまた甦へる
人びとは
春蘭が咲いたよと娘に告げてをりたつたそれだけのことにこの朝
〈風知草〉名はやさしけれど
球投ぐる選手躍動するときに春の大気は孤独の匂ひ
上半身のみにて投ぐるピッチャーの球は軽しとふ歌も同じい
桜・欅 若葉翳れる小金井の公園樹下は霊棲むやうで 猫のスケッチ
〈江戸東京たてもの園〉になつかしき銭湯。
飼猫に手を嘗められてほほゑめば遥かに光る夜の稲妻
小さき頭撫でて嘆きぬしなやかな猫とふものと棲みて十年
日によりて嘗め猫・噛む猫などと呼び片眼のアランの
わが猫は「アラン」されども背の毛色出たらめなれば「あさり」とも呼ぶ
ひとつ猫藤棚の上に遊びをり五月の光そそぐ藤棚
亡きひとよ君が見てゐし藤棚の藤の薫りを告ぐる由なし
夜を降る雨おと激し
薔薇の蕾みな天を指し人よりも鋭し初夏の植物園に
咲き競ふばらに
生垣の根もとに伸びし草むしるわれの手もとを猫が見に来る
暗闇はふたりの原始 大国魂神社のよるの祭りの伝承
味噌蔵に母が仕込みしかの味噌は旨かりきいまもわれに匂へる
早朝のつゆけき桑を背負ひ来し蚕のころの母の日常
木々の緑くろずみそめて夏近し夏は昏しと仰ぐ
垣に咲くクレマチスこの濃き紫紺に立ち添ひがたしと嘆きし哲久
梅雨空の動かぬ雲と樹の
明けゆきて栗の花匂ふひとときはにつぽん若しとふ錯覚にゐる
紫陽花の
鶉鳴き犬鳴きてけさも明けゆくと目醒めのときをほのかに楽し
そんなに沢山生まれて来ずともよいものを鈴虫の仔よ甕に百匹
暑き陽差し傘でしのいで何とせう昨年もおととしも歩みしこの道
わが恋ふる人は死ぬるを
野牡丹の紫咲けり暑き陽にその混りなきむらさき匂ふ
黒ぐろと
夏の夜を爪磨きをりつくづくと輝くほどの恋もせざりき
新聞を取ると出づれば台風の前兆の風奈落より吹く
熱帯雨林より来しやうな男ゐて涼しげに夏の庭掃きはじむ
あぶら蝉・みんみん・法師啼きかたの
朝あけをみんみん蝉は懸命に啼きをり神さまの
油蝉・みんみんそれに
蝉はなぜあんなに啼くと思ひゐて〈なぜ〉などなきと思ひ到りぬ
また一つ落ちる音して庭土にいのち死にゆきし蝉は仰向け
どくだみの単為生殖の白にほふ鬱々とせる日日の樹闇に
お盆とて身内集へば談笑のなか亡き
亡き夫の帰りゆく盆十六日甕の鈴虫稚なく啼けり
夜を啼く鈴虫の
晩夏の夜鈴虫声を張りて啼けばいのちの雫輝くばかり
甕のなかでつね登りたる小さき岩に
佳き音にて啼きし鈴虫死に絶えて庭に出づれば夜の金木犀
いのちあるものは死ぬかな死の際まで啼きし鈴虫 秋の雲ゆく
仕事終へし
曼珠沙華地の悲しみを噴くまでに咲きてことしの紅ぞ濃き 地蔵の首
いつか蝉の聞こえずなりし庭の
花屋にておまけに貰ひし向日葵の今日で五日を活きいきとゐる
丁寧に生きることのみ思ひゐしわれにディスカバリーの野口さん微笑む
風邪ひきしゆゑに今宵は逢はぬとぞひとは優しきことをいふかな
うたがひもなく歩む道人に逢ひ犬にあひ
ひと抱へ小菊持ち来し隣り家のおばあちやん言ふ「菊もおしまひ」
娘が剥きて干せる渋柿日を経しを竿よりおろす、うれしさうなり
台風に飛ばされし首拾ひ据ゑ道の地蔵を陽にたたずます
遥かな日
東山その眠たげな稜線を愛したりき古きホテルもともに
「もうぢきに冬」と言ひつつ人とゆく新宿の舗道欅散るなり
ある日はたとわれの姿が見えずなるその日のことは思はずにゐむ
大晦日天よりの雪尽きぬなり一年のわれらが深き
夜祭りや秩父音頭のなつかしき君のうた声遠く聞こえ
机並べ事務執りし日も遠きかな右肩上りの君の太字も
奥秩父冬はやき地は
忍び寄る者のけはひと耳澄ませば落葉捲きゆく風のいたづら
幼なきわが肩揚げに手をかけて立つ写真の若き父も暮れゆく
新春を過ぎても電飾されしままの樹々は不満も言はずかなしむ 営々と
新宿の高層ビルの
薄き陽に石蕗の黄が泣いてゐるさういふこともあるのだ猫よ
自らのとしを忘れて起き臥ししふと気付くたび愕然とする
営々と誰も読まない歌を書く雨あたたかき春のゆふぐれ
梅咲きて満開に咲きて〈日を消す〉とふことばさみしき夕まぐれなり
後楽園会場を蘭の花で埋め人は華やかな
花々の房渦巻きて立つ〈気〉あり蘭展会場の苦しき異常
堂に満つる蘭の花々その生くる力に暫し
小名木綱夫が詠ひし白き富士はるか 車中に多摩川渡りゆくとき
〈多摩の横山〉とふ山並に沈む陽を見をれば古代と現在混じる
今朝も庭に春蘭の蕾覗き見つ ゐるゐる、少し大きくなりて
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/11/22
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