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ゆく雲

  上

 酒折(さかおり)の宮、山梨(やまなし)(おか)塩山(えんざん)裂石(さけいし)、さし()の名も都人(ここびと)の耳に聞きなれぬは、小仏ささ()難処(なんじょ)()して猿橋(さるはし)のながれに(めくる)めき、鶴瀬(つるせ)駒飼(こまかい)見るほどの里もなきに、勝沼(かつぬま)の町とても東京(ここ)にての場末ぞかし、甲府(こうふ)はさすがに大廈(たいか)高楼(こうろう)躑躅(つつじ)(さき)城跡(しろあと)など見る(ところ)のありとは言えど、汽車の便りよき(ころ)にならば知らず、こと(さら)馬車腕車(くるま)に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺(えりんじ)(さくら)見にという人はあるまじ、故郷(ふるさと)なればこそ年々(としどし)の夏休みにも、人は箱根(はこね)伊香保(いかほ)ともよおし立つる中を、我れのみ一人(ひとり)あし(びき)の山の甲斐(かい)(みね)のしら雲あとを消すことさりとは是非もなけれど、今歳(ことし)この(たび)みやこを離れて八王子に足をむける事これまでに覚えなき()らさなり。

 養父清左衛門、去歳(こぞ)よりどこそこからだに申分(もうしぶん)ありて()つ起きつとの(よし)は聞きしが、常日頃すこやかの人なれば、さしての事はあるまじと医者の指図(さしず)などを申しやりて、この身は雲井(くもい)の鳥の羽がい自由なる書生の境界(きょうがい)に今しばしは遊ばるる心なりしを、先きの日故郷(ふるさと)よりの便りに(いわ)く、大旦那(おおだんな)さまことその後の容体(ようたい)さしたる事はござなく(そうら)えども、次第に短気のまさりて我意(わがまま)つよく、これ一つは年の(せい)にはござ侯わんなれど、ずいぶんあたりの者ご機げんの取りにくく、大心配(おおしんぱい)をいたすよし、(わたくし)など古狸(ふるだぬき)の身なればとかくつくろいて一日二日と(すご)し侯えども、筋のなきわからずやを(おお)せいだされ、足もとから鳥の立つようにお()きたてなさるには大閉口(おおへいこう)に侯、この(じゅう)よりしきりにあなた(さま)をお手もとへお呼び寄せなさりたく、一日も早く家督(かとく)相続あそばさせ、楽隠居(らくいんきょ)なされたきおのぞみのよし、これ(しか)るべき事とご親類一同のご決義、私は初手(しょて)からあなた様を東京へお出し申すは気に()わぬほどにて、申しては失礼なれどいささかの学問などどうでもよい事、赤尾(あかお)(ひこ)息子(むすこ)のように気ちがいになって帰ったも見ており候えば、もともと利発のあなた様にその気づかいはあるまじきなれど、放蕩(ほうとう)ものにでもおなりなされては取返しがつき申さず、今の分にて(じょう)さまとご祝言(しゅうげん)、ご家督(かとく)(ひき)つぎもはや早きお(とし)にはあるまじくと大賛成(おおさんせい)に侯、さだめしさだめしその地には(あそば)しかけのご用事もござ侯わんそれらを然るべくお取まとめ、飛鳥(とぶとり)もあとを()ごすなに候えば、大藤(おおふじ)大尽(だいじん)が息子と聞きしに野沢(のざわ)桂次(けいじ)了簡(りょうけん)の清くない(やつ)、どこやらの割前を人に背負(せおわ)せて()げおったなどとこういう(うわさ)があとあとに残らぬよう、郵便(ゆうびん)為替(かわせ)にて証書面(しょうしょめん)のとおりお送り申候(もうしそうら)えども、足りずば上杉(うえすぎ)さまにてお(たて)かえを願い、諸事清潔(きれい)にしてお帰りなさるべく、金故に()じをお()きなされては金庫の番をいたす我等(われら)が申わけなく侯、(ぜん)申せし通り短気の大旦那さましきりに待ちこがれて大じれにござ侯えば、その地のお片つけすみ次第、一日もはやくと申納侯(もうしおさめそうろう)、六蔵という通い番頭の筆にてこのようの(むか)(ぶみ)いやとは言いがたし。

 家に(はえ)()きの我れ実子にてもあらば、かかる迎えのよしや十(たび)十五たび来たらんとも、おもい立ちての修業(しゅぎょう)なればひと(かど)の学問を(みが)かぬほどは不孝の罪ゆるし(たま)えとでもいいやりて、その(わが)ままの(とお)らぬ事もあるまじきなれど、()らきは養子の身分と桂次はつくづく他人の自由を(うらや)みて、これからの行く末をも(くさ)りにつながれたるように考えぬ。

 七つのとしより実家の貧を救われて、生れしままなれば()跣足(はだし)(しり)きり半纏(はんてん)田圃(たんぼ)へ弁当の(もち)はこびなど、(まつ)ひで燈火(ともしび)にかえて草鞋(わらんじ)うちながら馬士(まご)(うた)でもうたうべかりし身を、目鼻だちのどこやらが水子(みずこ)にて()せたる総領によく似たりとて、今はなき人なる地主の内儀(つま)可愛(かわい)がられ、はじめはお大尽の旦那と(たっと)びし人を、父上と呼ぶようになりしはその身の幸福(しあわせ)なれども、幸福ならぬ事おのずからその(うち)にもあり、お作という(むすめ)の桂次よりは六つの年少(としした)にて十七ばかりになる無地(むじ)田舎娘(いなかもの)をば、どうでも妻にもたねば納まらず国を(いず)るまではさまで不運の(えん)とも思わざりしが、今日(きょう)この頃は送りこしたる写真をさえ見るに物うく、これを妻に持ちて山梨の(ひがし)(ごおり)蟄伏(ちつぷく)する身かと思えば人のうらやむ(つくり)酒家(ざかや)大身上(おおしんしょう)は物のかずならず、よしや家督をうけつぎてからが親類縁者の干渉(かんしょう)きびしければ、我が思う事に一銭の融通(ゆうずう)(かな)うまじく、いわば宝の蔵の番人にて終るべき身の、気に入らぬ妻までとはいよいよの重荷なり、うき世に義理という(しがら)みのなくば、蔵を持ぬしに返し長途(ちょうと)の重荷を人にゆずりて、我れはこの東京を十年も二十年も今すこしも(はな)れがたき思い、そはなにゆえと問う人のあらば切りぬけ立派に言いわけの口上もあらんなれど、つくろいなき(しょう)(ところ)ここもとにただ一人すててかえる事のおしくおしく、別れては顔も見がたき(のち)を思えば、今より胸の中もやくやとして(おのずか)ら気もふさぐべき種なり。

 桂次が今おるここもとは養家の縁に引かれて伯父(おじ)伯母(おば)という間がらなり、はじめてこの()へ来たりしは十八の春、田舎(いなか)(じま)の着物に肩縫(かたぬい)あげおかしと笑われ、八つ口をふさぎて大人(おとな)の姿にこしらえられしより二十二の今日までに、下宿屋(げしゅくや)住居(ずまい)を半分と見つもりても出入り三年はたしかに世話をうけ、伯父の勝義(かつよし)が性質の気むずかしいところから、無敵にわけのわからぬ強情の加減、ただただ女房(にょうぼう)にばかり手やわらかなる可笑(おか)しさも呑込(のみこ)めば、伯母なる人が口先ばかりの利口にて()れにつきても根からさっばり親切気(しんせつげ)のなき、我欲の目当てが明らかに見えねば笑いかけた口もとまで結んで見せる現金の様子(ようす)まで、度々の経験に大方は会得(えとく)のつきて、この()にあらんとには金づかい奇麗(きれい)に損をかけず、表むきはどこまでも田舎書生の厄介者(やっかいもの)()いこみてお世話に相成(あいな)るというこしらえでなくては第一に伯母御前(ごぜ)がご機嫌(きげん)むずかし、上杉(うえすぎ)という苗字(みょうじ)をばよいことにして大名(だいみょう)の分家と()かせる見得(みえ)ぼうの上なし、下女には奥様(おくさま)といわせ、着物は(すそ)のながいを引いて、用をすれば肩がはるという、三十円どりの会社員の妻がこの形粧(ぎょうそう)にて繰廻(くりまわ)しゆく家の(うち)おもえばこの女が小利口の才覚ひとつにて、良人(おっと)(はく)の光って見ゆるやら知らねども、失敬なは野沢桂次という見事立派の名前ある男を、かげに廻りては(うち)の書生がと安々こなされて、お玄関(げんかん)(ばん)同様にいわれる事馬鹿(ばか)らしさの頂上なれば、これのみにても寄りつかれぬ価値(ねうち)はたしかなるに、しかもこの()の立はなれにくく、心わるきまま下宿屋あるきと思案をさだめても二週間と訪問(おとずれ)を絶ちがたきはあやし。

 十年ばかり前にうせたる先妻の腹にぬいと呼ばれて、今の奥様には(まま)なる()あり、桂次がはじめて見し時は十四か三か、唐人髷(とうじんまげ)に赤き切れかけて、姿はおさなびたれども母のちがう子はどこやらおとなしく見ゆるものと気の毒に思いしは、我れも他人の手にて育ちし同情を持てばなり、何事も母親に気をかね、父にまで遠慮(えんりょ)がちなれば(おの)ずから(ことば)かずも多からず、一目に見わたしたところでは柔和(おとな)しい温順(すなお)の娘というばかり、格別利発ともはげしいとも人は思うまじ、父母そろいて家の内に(こも)()にても済むべき娘が、人目に立つほど才女など呼ばるるは大方お(きゃん)()びあがりの、(あま)やかされの(わが)ままの、つつしみなき高慢(こうまん)より立つ名なるベく、物にはばかる心ありて(よろず)ひかえ目にと気をつくれば、十が七に見えて三分の損はあるものと桂次は故郷(ふるさと)のお作が上まで思いくらべて、いよいよおぬいが身のいたましく、伯母が高慢がおはつくづくと()やなれども、あの高慢にあの温順(すなお)なる身にて事なく仕えんとする気苦労を思いやれば、せめては(そば)近くに心ぞえをも()し、(なぐさ)めにも為りてやりたしと、人知らば可笑(おかし)かるべき(うぬ)ぼれも手伝いて、おぬいの事といえば我が事のように喜びもし(いか)りもして過ぎ来つるを、見すてて我れ今故郷にかえらば残れる身の心はそさいかばかりなるべき、あわれなるは継子(ままこ)の身分にして、腑甲斐(ふがい)ないものは養子の我れと、今更(いまさら)のように世の中のあじきなきを思いぬ。

  中

 まま母育ちとて()れもいう事なれど、あるが中にも女の子の大方すなおに(おい)たつは(まれ)なり、少し世間並(なみ)()(もの)(ゆる)い子は、底意地はって馬鹿強情など人に(きら)わるる事この上なし、小利口なるは()るき性根(しょうね)をやしのうて面かぶりの大変ものに(なる)もあり、しゃんとせし気性ありて人間の(たち)の正直なるは、すね者の部類にまぎれてその身に取れば生涯(しょうがい)の損おもうべし、上杉のおぬいと言う娘、桂次がのばせるだけ容貌(きりょう)も十人なみ少しあがりて、よみ書き十露(そろ)(ばん)それは小学校にて学びしだけのことは出来て、我が名にちなめる針仕事は(はかま)の仕立までわけなきよし、十歳(とお)ばかりの頃までは相応に悪戯(いたずら)もつよく、女にしてはと()き母親に眉根(まゆね)を寄せさして、ほころびの小言も十分に聞きしものなり、今の母は父親(てておや)が上役なりし人の(かく)し妻とやらお(めかけ)とやら、種々(さまざま)(いわ)くのつきし難物のよしなれども、(もた)ねばならぬ義理ありて引うけしにや、それとも父が好みて(もうし)(うけ)しか、その辺たしかならねど勢力おさおさ女房天下と(もうす)ような景色(けしき)なれば、まま子たる身のおぬいがこの()に立ちて泣くは道理なり、もの言えば(にら)まれ、笑えば(おこ)られ、気を利かせれば小ざかしと()い、ひかえ目にあれば(どん)な子と()かられる、二葉の新芽に雪霜(ゆきしも)のふりかかりて、これでも延びるかと(おさ)えるような仕方に、()えて真直(まっす)ぐに延びたつ事人間わざには(かな)うまじ、泣いて泣いて泣き()くして、(うった)えたいにも父の心は(かね)のように冷えて、ぬる湯一杯(いっぱい)たまわらん(なさけ)もなきに、まして他人の()れにか(かこ)つべき、月の十日に(はは)さまがおん(はか)まいりを谷中(やなか)の寺に楽しみて、しきみ線香(せんこう)それぞれの供え物もまだ終らぬに、(はは)さま母さま(わたし)を引取って下されと石塔(せきとう)(いだ)きつきて遠慮なき熱涙(ねつるい)、苔のしたにて聞かば石もゆるぐべし、井戸(いど)がわに手を(かけ)て水をのぞきし事三四度に(およ)びしが、つくづく思えば無情(つれなし)とても父様(ととさま)真実(まこと)のなるに、我れはかなくなりてよからぬ名を人の耳に伝えれば、残れる(はじ)()が上ならず、もったいなき身の覚悟(かくご)と心の(うち)侘言(わびごと)して、どうでも死なれぬ世に生中(なまなか)目を明きて過ぎんとすれば、人並(ひとなみ)のうい事つらい事、さりとはこの身に堪えがたし、一生五十年めくらになりて終らば事なからんとそれよりは一筋に母様(ははさま)のご機嫌、父が気に入るよう一切の身をないものにして勤むれば家の内なみ風おこらずして、(のき)ばの松に(つる)が来て()をくいはせぬか、これを世間の目に(なに)と見るらん、母御(ははご)世辞(せじ)上手(じょうず)にて人を()らさぬ(あま)さあれば、身をないものにして(やみ)をたどる娘よりも、一枚あがりて、評判わるからぬやら。

 お(ぬい)とてもまだ年わかなる身の桂次が親切はうれしからぬにあらず、親にすら捨てられたらんような我がごときものを、心にかけて可愛(かわい)がりて下さるは(かたじ)けなき事と思えども、桂次が思いやりに比べては(はる)かに(おち)つきて(ひや)やかなるものなり、おぬいさん我れがいよいよ帰国したとなったならば、あなたは(なん)と思うて下さろう、朝夕の手がはぶけて、厄介(やっかい)が減って、楽になったとお喜びなさろうか、それとも折ふしはあの話し好きの饒舌(おしゃべり)のさわがしい人が居なくなったで、少しは(さび)しい位に思い出して下さろうか、まあ何と思うてお(いで)なさるとこんな事を問いかけるに、おっしゃるまでもなく、どんなに家中(うちじゅう)が淋しくなりましょう、東京(ここ)にお(いで)あそばしてさえ、ひと月も下宿に出て()らっしやる(ころ)は日曜が待どおで、朝の戸を明けるとやがてお足おとが聞えはせぬかと存じまするものを、お国へお帰りになっては容易にご出京もあそばすまじければ、またどれほどのお別れになりまするやら、それでも鉄道が通うようになりましたら度々お出あそばして下さりましようか、そうならば(うれ)しけれどと言う、我れとても()きたくてゆく故郷でなければ、ここに居られるものなら帰るではなく、出て来られる都合ならばまた今までのようにお世話になりに来まする、なるべくはちょっとたち帰りにすぐも出京したきものと軽くいえば、それでもあなたは一家のご主人さまになりて采配(さいはい)をおとりなさらずは叶うまじ、今までのようなお楽のご身分ではいらっしゃらぬはずと押えられて、されば誠に大難に()いたる身と(おぼ)しめせ。

 我が養家は大藤村(おおふじむら)中萩原(なかはぎわら)とて、見わたす限りは天目山(てんもくざん)大菩薩峠(だいぼさつとうげ)山々峰々(みねみね)(かき)をつくりて、西南にそびゆる白妙(しろたえ)の富士の()は、おしみて(おも)かげを示めさねども冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ、魚といいては甲府まで五里の道を取りにやりて、ようよう(まぐろ)刺身(さしみ)が口に入る位、あなたはご存じなけれどお親父(とつ)さんに(きい)見給(たま)え、それはずいぶん不便利にて不潔にて、東京より帰りたる夏分などは我まんのなりがたき事もあり、そんな(ところ)に我れは(くく)られて、面白くもない仕事に追われて、逢いたい人には逢われず、見たい土地はふみ(がた)く、兀々(こつこつ)として月日を送らねばならぬかと(おもう)に、気のふさぐも道理とせめてはあなたでもあわれんでくれ給え、可愛(かわい)そうなものではなきかと言うに、あなたはそうおっしゃれど母などはおうらやましきご身分と(もうし)ておりまする。

 何がこんな身分うらやましい事か、ここで我れが幸福(しあわせ)というを考えれば、帰国するに先だちてお作が頓死(とんし)するというようなことにならば、一人娘のことゆえ父親(てておや)おどろいてしばしは家督(かとく)沙汰(ざた)やめになるべく、(しか)るうちに少々なりともやかましき財産などのあれば、みすみす他人なる我れに(ひき)わたす事をしくもなるべく、または縁者(えんじゃ)(うち)なる欲ばりどもただにはあらで運動することたしかなり、その(あかつき)に何かいささか仕損(しそこ)ないでもこしらゆれば我れは首尾(しゅび)よく離縁になりて、一木立の野中の(すぎ)ともならば、それよりは我が自由にその時に幸福(しあわせ)という(ことば)(あた)え給えと笑うに、おぬい(あき)れてあなたはそのようの事正気でおっしゃりますか、平常(つね)はやさしい方と存じましたに、お作様に頓死しろとは(かげ)ながらの(うそ)にしろあんまりでござります、お可愛想なことをと少し涙ぐんでお作をかばうに、それはあなたが当人を見ぬゆえ可愛想とも思うか知らねど、お作よりは我れの方を(あわ)れんでくれていいはず、目に見えぬ(なわ)につながれて引かれてゆくような我れをば、あなたは真のところ何とも思うてくれねば、勝手にしろという風で我れの事とては少しも察してくれる様子(ようす)が見えぬ、今も今居なくなったら淋しかろうとお言いなされたはほんの口先の世辞で、あんな者は早く出てゆけと(ほうき)に塩花が落ちならんも知らず、いい気になってお邪魔(じゃま)になって、長居をしてお世話さまになったは、申訳がありませぬ、いやでならぬ田舎(いなか)へは帰らねばならず、(なさけ)のあろうと思うあなたがそのように見すてて下されば、いよいよ世の中は面白くないの頂上、勝手にやってみましょうとわざとすねて、むっと(がお)をして見せるに、野沢さんは本当にどうか(あそば)していらっしゃる、何がお気に(さわ)りましたのとお縫はうつくしい(まゆ)(しわ)を寄せて心の()しかねる(てい)に、それはもちろん正気の人の目からは気ちがいと見えるはず、自分ながら少し(くる)っていると思う位なれど、気ちがいだとて種なしに()(ちが)うものでもなく、いろいろの事が(たた)まって頭脳(あたま)の中がもつれてしまうから起る事、我れは気違いか熱病か知らねども正気のあなたなどがとてもおもいも寄らぬ事を考えて、人しれず泣きつ笑いつ、どこやらの人が子供の時うつした写真だというあどけないのを(もら)って、それを明けくれに出して見て、面と向っては言われぬ事を並べてみたり、机の引出しへ叮嚀(ていねい)にしまってみたり、うわ言をいったり(ゆめ)を見たり、こんな事で一生を送れば人は定めし(おお)白痴(たわけ)と思うなるべく、そのような馬鹿になってまで思う心が通じず、なき縁ならばせめては優しい(ことば)でもかけて、成仏(じょうぶつ)するようにしてくれたらよさそうの事を、しらぬ顔をして情ない事を言って、お(いで)がなくば淋しかろう位のお言葉は(ひど)いではなきか、正気のあなたは何と思うか知らぬが、狂気(きちがい)の身にしてみるとずいぶん気づよいものと(うら)まれる、女というものはもう少しやさしくても()いはずではないかと立てつづけのひと息に、おぬいは返事もしかねて、(わた)しは何と申してよいやら、不器用なればお返事のしようも分らず、ただただこころぼそくなりますとて身をちぢめて(ひき)退(しりぞ)くに、桂次拍子ぬけのしていよいよ頭の重たくなりぬ。

 上杉の隣家(となり)は何宗かのおん梵刹(てら)さまにて()(ない)広々と(もも)(さくら)いろいろ(うえ)わたしたれば、こなたの二階より見おろすに雲は棚曳(たなび)く天上界に似て、(こし)ごろもの観音さま()れ仏にておわしますおん(かた)のあたり(ひざ)のあたり、はらはらと花散りこばれて前に供えし(しきみ)の枝につもれるもおかしく、下ゆく子守りが鉢巻(はちまき)()え、しばしやどかせ春のゆく()と舞いくるもみゆ、かすむ夕べの朧月(おぼろづき)よに人顔ほのぼのと暗くなりて、風少しそう寺内の花をば去歳(こぞ)一昨年(おととし)もそのまえの年も、桂次ここに大方は宿を定めて、ぶらぶらあるきに(たち)ならしたる(ところ)なれば、今歳この度とりわけて(めず)らしきさまにもあらぬを、今こん春はとても(たち)かえり(ふむ)べき地にあらずと思うに、ここの濡れ仏さまにも中々の名残(なごり)おしまれて、夕げ終りての宵々(よいよい)家を(いで)てはおん(てら)(まい)殊勝(しゅしょう)に、観音さまには合唱を申して、我が恋人(こいびと)のゆく末を守り玉えと、お志しのほどいつまでも消えねばよいが。

  下

 我れのみ一人のぼせて耳鳴りやすべき桂次が熱ははげしけれども、おぬいと言うもの木にて作られたるようの人なれば、まずは上杉の家にやかましき沙汰(さた)もおこらず、大藤村にお作が夢ものどかなるべし、四月の十五日帰国に()まりて土産物(みやげもの)など折柄(おりから)日清の戦争画、大勝利の(ふくろ)もの、ぱちん羽織の(ひも)白粉(おしろい)かんざし桜香(さくらか)の油、縁類広ければとりどりに香水(こうすい)石鹸(しゃぼん)の気取りたるも買うめり、おぬいは桂次が未来の妻にと(おく)りものの中へ薄藤色(うすふじいろ)襦袢(じゅばん)(えり)に白ぬきの牡丹花(ぼたんか)(かた)あるをやりけるに、これを(なが)めし時の桂次が顔、気の毒らしかりしと(あと)にて下女の竹が申しき。

 桂次がもとへ送りこしたる写真はあれども、秘しがくしに取納(とりおさ)めて人には見せぬか、それとも人しらぬ火鉢(ひばち)の灰になり終りしか、桂次ならぬもの知るよしなけれど、さる頃はがきにて処用を(もうし)こしたる文面は男の通りにて名書きも六蔵の分なりしかど、手跡(しゅせき)大分(だいぶ)あがりて見よげになりしと父親の自まんより、(むすめ)に書かせたる事論なしとここの内儀(ないぎ)が人の悪き目にて睨みぬ、手跡によりて人の顔つきを思いやるは、名を聞いて人の善悪を判断するようなもの、当代の能書(のうしょ)業平(なりひら)さまならぬもおわしますぞかし、されども心用い一つにて悪筆なりとも見よげのしたため方はあるべきと、達者めかして筋もなき走り書きに人よみがたき文字ならば(せん)なし、お作の手はいかなりしか知らねど、ここの内儀が目の前にうかびたる形は、横幅(よこはば)ひろく(たけ)つまりし顔に、目鼻だちはまずくもあるまじけれど、(びん)うすくして首筋くっきりとせず、(どう)よりは足の長い女とおぼゆると言う、すて筆ながく引いて見ともなかりしか可笑(おか)し、桂次は東京に見てさえ()るい方ではないに、大藤村の光る君帰郷という事にならば、機場(はたば)の女が白粉(おしろい)のぬりかた思われるとここにての取沙汰(とりざた)容貌(きりょう)のわるい妻を持つぐらい我慢(がまん)もなるはず、水呑(みずの)みの小作が子として一足飛(いっそくとび)のお大尽(だいじん)なればと、やがては実家をさえ洗われて、人の口さがなし伯父伯母一つになって(あざけ)るような口調を、桂次が耳に入らぬこそよけれ、一人(ひとり)気の毒と思うはお縫なり。

 荷物は通運便にて先へたたせたれば残るは身一つに軽々しき桂次、今日(きょう)明日(あす)もと友達(ともだち)のもとを()せめぐりて何やらん用事はあるものなり、(わず)かなる人目の(ひま)を求めてお縫が(たもと)をひかえ、我れは君に(いと)われて別るるなれども夢いささか恨む事をばなすまじ、君はおのずから君の本地(ほんち)ありてその島田をば丸曲(まるまげ)にゆいかえる折のきたるべく、うつくしき()(ぶさ)可愛(かわゆ)き人に(ふく)まする時もあるべし、我れはただ君の身の幸福(しあわせ)なれかし、すこやかなれかしと(いの)りてこの長き世をば(つく)さんにはずいぶんとも親孝行にてあられよ、(はは)御前(ごぜ)の意地わるに(さか)らうようの事は君としてなきに(そう)()なけれどもこれ第一に心がけ給え、言うことは多し、思うことは多し、我れは世を終るまで君のもとへ(ふみ)の便りをたたざるべければ、君よりも十通に一度の返事を与え給え、(ねぶ)りがたき秋の夜は胸に(いだ)いてまぼろしの面影(おもかげ)をも見んと、このようの数々を(なら)べて男なきに(なみだ)のこぼれるに、ふり仰向(あおのい)てはんけちに顔を(ぬぐ)うさま、心よわげなれど()れもこんなものなるべし、今から帰るという故郷(ふるさと)(こと)養家のこと、我身の事お作の事みなから忘れて世はお縫ひとりのように思わるるも(やみ)なり、この時こんな場合にはかなき女心の引入(ひきいれ)られて、一生消えぬかなしき影を胸にきざむ人もあり、岩木のようなるお縫なれば何と思いしかは知らねども、涙ほろほろこばれてひと言もなし。

 春の夜の夢のうき橋、と()えする横ぐもの空に東京を思い立ちて、道よりもあれば新宿までは腕車(くるま)がよしという、八王子までは汽車の中、おりればやがて馬車にゆられて、小仏の峠もほどなく()ゆれば、上野原、つる川、野田(のだ)(じり)犬目(いぬめ)、鳥沢も過ぐれば(さる)はし近くにその夜は宿るべし、巴峡(はきょう)のさけびは聞えぬまでも、笛吹川(ふえふきがわ)(ひび)きに夢むすび()く、これにも(はらわた)はたたるべき声あり、勝沼(かつぬま)よりの()(がき)一度とどきて四日目にぞ七里(ななさと)の消印ある封状(ふうじょう)二つ、一つはお縫へ向けてこれは長かりし、桂次はかくて大藤村の人になりぬ。

 世にたのまれぬを男心という、それよ秋の空の夕日にわかに()きくもりて、(かさ)なき野道に横しぶきの難義さ、出あいしものはみなそのように申せどもこれみな時のはずみぞかし、波こえよとて末の松山(まつやま)ちぎれるもなく、男傾城(おとこけいせい)ならぬ身の(そら)(なみだ)こぼして(なに)になるべきや、昨日(きのう)あわれと見しは昨日のあわれ、今日の我が身に()(わざ)しげければ、忘るるとなしに忘れて一生は夢のごとし、(つゆ)の世といえばほろり

とせしもの、はかないの上なしなり、思えば男は結髪(いいなずけ)の妻ある身、いやとても応とても浮世(うきよ)の義理をおもい断つほどのことこの人この身にして(かな)うべしや、事なく高砂(たかさご)をうたい納むれば、すなわち新らしき一対の夫婦(めおと)出来あがりて、やがては父とも言わるべき身なり、諸縁(しょえん)これより引かれて断ちがたき(ほだし)次第にふゆれば、一人(いちにん)一箇(いっこ)の野沢桂次ならず、運よくは万の身代十万に(のば)して山梨県の多額納税と(めい)うたんも(はか)りがたけれど、(ちぎ)りし(ことば)はあとの(みなと)に残して、舟は流れにしたがい人は世に引かれて、遠ざかりゆくこと千里、二千里、一万里、ここ三十里の(へだ)てなれども心かよわずは八重がすみ外山(とやま)(みね)をかくすに似たり、花ちりて青葉の頃までにお縫が手もとに(ふみ)三通、こと細かなりけるよし、五月雨(さみだれ)(のき)ばに晴れまなく人恋しき折ふし、かなたよりも数々思(おも)(いで)の詞うれしく見つる、それも過ぎては月一二度の便り、はじめは三四度もありけるを(のち)には一度の月あるを恨みしが、秋蚕(あきご)のはきたてとかいえるに(かか)りしより、二月に一度、三月に一度、今の間に半年目、一年目、年始の状と暑中見舞(しょちゅうみまい)交際(つきあい)になりて、文言(もんごん)うるさしとならば端書にても事は足るべし、あわれ可笑(おか)しと軒ばの桜くる年も笑うて、(となり)の寺の観音様おん手を膝に柔和(にゅうわ)のおん(そう)これも()めるがごとく、若いさかりの熱というものにあわれみ給えば、ここなる冷やかのお縫も笑くぼを(ほお)にうかべて世に立つ事はならぬか、相かわらず父様(ととさま)のご機嫌、母の気をはかりて、我身をないものにして上杉家の安穏(あんのん)をはかりぬれど、ほころびが切れてはむずかし。

 

 

台東区立一葉記念館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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樋口 一葉

ヒグチ イチヨウ
ひぐち いちよう 小説家 1872・5・2(旧3.25)~1896・11・23 東京府内幸町に生まれる。抜群の才能で近代に先駆け25歳で逝った閨秀作家。

掲載作は、名作「たけくらべ」と時期重なる1895(明治28)年5月刊の「太陽」第一巻第五号に、掲載された。題名の「ゆく雲」は、心変わり、恋のはかなさを象徴しているようだ。今回は、『ちくま日本文学全集「樋口一葉」』より、収録。

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