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純情小曲集

  自 序

 

 やさしい純情にみちた過去の日を記念するために、このうすい葉つぱのやうな詩集を出すことにした。「愛憐詩篇」の中の詩は、すべて私の少年時代の作であつて、始めて詩といふものをかいたころのなつかしい思ひ出である。この頃の詩風はふしぎに典雅であつて、何となくあやめ香水の匂ひがする。いまの詩壇からみればよほど古風のものであらうが、その頃としては相当に珍らしいすたいるでもあつた。

 ともあれこの詩集を世に出すのは、改めてその鑑賞的評価を問ふためではなく、まつたく私自身への過去を追憶したいためである。あるひとの来歴に対するのすたるぢやとも言へるだらう。

 

「郷土望景詩」十篇は、比較的に最近の作である。私のながく住んでゐる田舎の小都邑と、その附近の風物を咏じ、あはせて私自身の主観をうたひこんだ。この詩風に文語体を試みたのは、いささか心に激するところがあつて、語調の烈しきを欲したのと、一にはそれが、咏嘆的の純情詩であつたからである。ともあれこの詩篇の内容とスタイルとは、私にしては分離できない事情である。

「愛憐詩篇」と「郷土望景詩」とは、創作の年代が甚だしく隔たるために、詩の情操が根本的にちがつてゐる。[したがつてまたその音律もちがつてゐる。]しかしながら共に純情風のものであり、咏嘆的文語調の詩である故に、あはせて一冊の本にまとめた。私の一般的な詩風からみれば、むしろ変り種の詩集であらう。

 

 私の藝術を、とにかくにも理解してゐる人は可成多い。私の人物と生活とを、常に知つてゐる人も多少は居る。けれども藝術と生活とを、両方から見てゐる知己は殆んど居ない。ただ二人の友人だけが、詩と生活の両方から、私に親しく往来してゐた。一人は東京の詩友室生犀星君であり、一人は郷土の詩人萩原恭次郎君である。

 この詩集は、詩集である以外に、私の過去の生活記念でもある故に、特に書物の序と跋とを、二人の知友に頼んだのである。

 

  西暦一九二四年春

    利根川に近き田舎の小都市にて   著者

 

   出版に際して

 

 昨年の春、この詩集の稿をまとめてから、まる一年たつた今日、漸く出版する運びになつた。この一年の間に、私は住み慣れた郷土を去つて、東京に移つてきたのである。そこで偶然にもこの詩集が、私の出郷の記念として、意味深く出版されることになつた。

 郷土! いま遠く郷土を望景すれば、万感胸に迫つてくる。かなしき郷土よ。人々は私に(つれ)なくして、いつも白い眼でにらんでゐた。単に私が無職であり、もしくは変人であるといふ理由をもつて、あはれな詩人を嘲辱し、私の背後(うしろ)から(つばき)をかけた。「あすこに白痴(ばか)が歩いて行く。」さう言つて人々が舌を出した。

 少年の時から、この長い時日の間、私は環境の中に忍んでゐた。さうして世と人と自然を憎み、いつさいに叛いて行かうとする、卓抜なる超俗思想と、叛逆を好む烈しい思惟とが、いつしか私の心の隅に、鼠のやうに巣を食つていつた。

 

 いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん

 

 人の怒のさびしさを、今こそ私は知るのである。さうして故郷の家をのがれ、ひとり都会の陸橋を渡つて行くとき、涙がゆゑ知らず流れてきた。えんえんたる鉄路の涯へ、汽車が走つて行くのである。

 郷土! 私のなつかしい山河へ、この貧しい望景詩集を贈りたい。

 

  西暦一九二五年夏

   東京の郊外にて   著者

 

 

  愛憐詩篇

 

   夜汽車

 

有明のうすらあかりは

硝子戸に指のあとつめたく

ほの白みゆく山の()

みづがねのごとくにしめやかなれども

まだ旅びとのねむりさめやらねば

つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。

あまたるきにすのにほひも

そこはかとなきはまきたばこの烟さへ

夜汽車にてあれたる舌には侘しきを

いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。

まだ山科(やましな)は過ぎずや

空気まくらの口金(くちがね)をゆるめて

そつと息をぬいてみる女ごころ

ふと二人かなしさに身をすりよせ

しののめちかき汽車の窓より(そと)をながむれば

ところもしらぬ山里に

さも白く咲きてゐたるをだまきの花。

 

    こころ

 

こころをばなににたとへん

こころはあぢさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生(そのふ)のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

    女 よ

 

うすくれなゐにくちびるはいろどられ

粉おしろいのにほひは襟脚に白くつめたし。

女よ

そのごむのごとき乳房をもて

あまりに強くわが胸を圧するなかれ

また魚のごときゆびさきもて

あまりに狡猾にわが背中をばくすぐるなかれ

女よ

ああそのかぐはしき吐息もて

あまりにちかくわが顔をみつむるなかれ

女よ

そのたはむれをやめよ

いつもかくするゆゑに

女よ 汝はかなし。

 

    

 

桜のしたに人あまたつどひ居ぬ

なにをして遊ぶならむ。

われも桜の木の下に立ちてみたれども

わがこころはつめたくして

花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。

いとほしや

いま春の日のまひるどき

あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

 

    旅 上

 

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

 

    金 魚

 

金魚のうろこは赤けれども

その目のいろのさびしさ。

さくらの花はさきてほころべども

かくばかり

なげきの(ふち)に身をなげすてたる我の悲しさ。

 

    静 物

 

静物のこころは怒り

そのうはべは哀しむ

この器物(うつは)の白き()にうつる

窓ぎはのみどりはつめたし。

 

    

 

ああはや心をもつぱらにし

われならぬ人をしたひし時は過ぎゆけり

さはさりながらこの日また心悲しく

わが涙せきあへぬはいかなる恋にかあるらむ

つゆばかり人を憂しと思ふにあらねども

かくありてしきものの上に涙こぼれしをいかにすべき

ああげに今こそわが身を思ふなれ

涙は人のためならで

我のみをいとほしと思ふばかりに嘆くなり。

 

    蟻地獄

 

ありぢごくは蟻をとらへんとて

おとし穴の底にひそみかくれぬ

ありぢごくの貪婪(たんらん)(ひとみ)

かげろふはちらりちらりと燃えてあさましや。

ほろほろと砂のくづれ落つるひびきに

ありぢごくはおどろきて隠れ家をはしりいづれば

なにかしらねどうす紅く長きものが走りて居たりき。

ありぢごくの黒い手脚に

かんかんと日の照りつける夏の日のまつぴるま

あるかなきかの虫けらの落す涙は

草の葉のうへに光りて消えゆけり。

あとかたもなく消えゆけり。

 

    利根川のほとり

 

きのふまた身を投げんと思ひて

利根川のほとりをさまよひしが

水の流れはやくして

わがなげきせきとむるすべもなければ

おめおめと生きながらへて

今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。

きのふけふ

ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ

たれかは殺すとするものぞ

抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

 

    浜 辺

 

若ければその(ひとみ)も悲しげに

ひとりはなれて砂丘を降りてゆく

傾斜をすべるわが足の指に

くづれし砂はしんしんと落ちきたる。

なにゆゑの若さぞや

この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ

若き日の嘆きは貝殻もてすくふよしもなし。

ひるすぎて空はさあをにすみわたり

海はなみだにしめりたり

しめりたる浪のうちかへす

かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。

若ければひとり浜辺にうち出でて

()もたてず洋紙を切りてもてあそぶ

このやるせなき日のたはむれに

かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。

 

    緑 蔭

 

朝の冷し肉は皿につめたく

せりい

はさかづきのふちにちちと鳴けり

夏ふかきえにしだの葉影にかくれ

あづまやの籐椅子(といす)によりて二人なにをかたらむ。

さんさんとふきあげの水はこぼれちり

さふらんは追風(つゐふう)にしてにほひなじみぬ。

よきひとの(かた)へにありてなにをかたらむ

すずろにもわれは思ふゑねちやかあにばる

かくもやさしき君がひとみに

海こえて燕雀のかげもうつらでやは。

もとより我等のかたらひは

いとうすきびいどろの玉をなづるがごとし

この白き鋪石(しきいし)をぬらしつつ

みどり葉のそよげる影をみつめゐれば

君やわれや

さびしくもふたりの涙はながれ出でにけり。

 

    再 会

 

皿にはをどる肉さかな

春夏すぎて

きみが手に銀のふおうくはおもからむ。

ああ秋ふかみ

なめいしにこほろぎ鳴き

ええてるは玻璃(はり)をやぶれど

再会のくちづけかたく凍りて

ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。

みよあめつちにみづがねながれ

しめやかに皿はすべりて

み手にやさしく腕輪はづされしが

真珠ちりこぼれ

ともしび風にぬれて

このにほふ鋪石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ。

 

    地 上

 

地上にありて

愛するものの伸長する日なり。

かの深空にあるも

しづかに解けてなごみ

燐光は樹上にかすかなり。

いま遙かなる傾斜にもたれ

愛物どもの上にしも

わが輝やく手を伸べなんとす

うち見れば低き地上につらなり

はてしなく耕地ぞひるがへる。

そこはかと愛するものは伸長し

ばんぶつは一所(いつしよ)にあつまりて

わが指さすところを凝視せり。

あはれかかる日のありさまをも

太陽は高き真空(まそら)にありておだやかに観望す。

 

    花 鳥

 

花鳥(はなとり)の日はきたり

日はめぐりゆき

都に木の芽ついばめり。

わが心のみ光りいで

しづかに水脈(みを)をかきわけて

いまぞ岸辺に魚を釣る。

川浪にふかく手をひたし

そのうるほひをもてしたしめば

かくもやさしくいだかれて

少女子(をとめご)どもはあるものか。

ああうらうらともえいでて

都にわれのかしまだつ

遠見にうかぶ花鳥(はなとり)のけしきさへ。

 

    初夏の印象

 

昆虫の血のながれしみ

ものみな精液をつくすにより

この地上はあかるくして

女の白き指よりして

金貨はわが手にすべり落つ。

時しも五月のはじめつかた。

幼樹は街路に泳ぎいで

ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。

みよ風景はいみじくながれきたり

青空にくつきりと浮びあがりて

ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。

 

    洋銀の皿

 

しげる草むらをたづねつつ

なにをほしさに呼ばへるわれぞ

ゆくゆく葉うらにささくれて

指も真紅にぬれぬれぬ。

なほもひねもすはしりゆく

草むらふかく忘れつる

洋銀の皿をたづね行く。

わが哀しみにくるめける

ももいろうすき日のしたに

白く光りて涙ぐむ

洋銀の皿をたづねゆく

草むら深く忘れつる

洋銀の皿はいづこにありや。

 

    月光と海月

 

月光の中を泳ぎいで

むらがるくらげを捉へんとす

手はからだをはなれてのびゆき

しきりに遠きにさしのべらる

もぐさにまつはり

月光の水にひたりて

わが身は玻璃(はり)のたぐひとなりはてしか

つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに

たましひは(こご)えんとし

ふかみにしづみ

溺るるごとくなりて祈りあぐ。

 

かしこにここにむらがり

さ青にふるへつつ

くらげは月光のなかを泳ぎいづ。

 

 

  郷土望景詩

 

    中学の校庭

 

われの中学にありたる日は

(なま)めく情熱になやみたり

いかりて書物をなげすて

ひとり校庭の草に寝ころび居しが

なにものの哀傷ぞ

はるかに青きを飛びさり

天日(てんじつ)直射して熱く帽子に照りぬ。

 

    波宜亭

 

少年の日は物に感ぜしや

われは波宜亭(はぎてい)の二階によりて

かなしき情歓の思ひにしづめり。

その亭の庭にも草木(さうもく)茂み

風ふき渡りてばうばうたれども

かのふるき待たれびとありやなしや。

いにしへの日には鉛筆もて

欄干(おばしま)にさへ記せし名なり。

 

    二子山附近

 

われの悔恨は酢えたり

さびしく蒲公英(たんぽぽ)の茎を噛まんや。

ひとり畝道(あぜみち)をあるき

つかれて野中の丘に坐すれば

なにごとの眺望かゆいて消えざるなし。

たちまち遠景を汽車のはしりて

われの心境は動擾せり。

 

    才川町

           ――十二月下旬――

空に光つた山脈(やまなみ)

それに白く雪風

このごろは道も悪く

道も雪解けにぬかつてゐる。

わたしの暗い故郷の都会

ならべる町家の家並のうへに

かの火見櫓をのぞめるごとく

はや松飾りせる軒をこえて

才川町こえて赤城をみる。

この北に向へる場末の窓々

そは黒く煤にとざせよ

日はや霜にくれて

荷車巷路に多く通る。

 

    小出新道

 

ここに道路の新開せるは

(ちよく)として市街に通ずるならん。

われこの新道の交路に立てど

さびしき四方(よも)の地平をきはめず

暗欝なる日かな

天日家並の軒に低くして

林の雑木まばらに伐られたり。

いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん

われの叛きて行かざる道に

新しき樹木みな伐られたり。

 

    新前橋駅

 

野に新しき停車場は建てられたり

便所の(とびら)風にふかれ

ペンキの匂ひ草いきれの中に強しや。

烈々たる日かな

われこの停車場に来りて口の渇きにたへず

いづこに氷を()まむとして売る店を見ず

ばうばうたる麦の遠きに連なりながれたり。

いかなればわれの望めるものはあらざるか

憂愁の暦は()

心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。

ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども

われは瘠犬(やせいぬ)のごとくして(あは)れむ人もあらじや。

いま日は構外の野景に高く

農夫らの鋤に蒲公英(たんぽぽ)の茎は刈られ倒されたり。

われひとり寂しき歩廊(ほうむ)の上に立てば

ああはるかなる所よりして

かの海のごとく轟ろき 感情の(きし)りつつ来るを知れり。

 

    大渡橋

 

ここに長き橋の架したるは

かのさびしき惣社の村より (ちよく)として前橋の町に通ずるならん。

われここを渡りて荒蓼たる情緒の過ぐるを知れり

往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり

あわただしき自転車かな

われこの長き橋を渡るときに

薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。

 

ああ故郷にありてゆかず

塩のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり

すでに孤独の中に老いんとす

いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん

いまわがまづしき書物を破り

過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。

われは狼のごとく飢ゑたり

しきりに欄干(らんかん)にすがりて歯を噛めども

せんかたなしや、涙のごときもの溢れ出で

()につたひ流れてやまず

ああ我れはもと卑陋(ひろう)なり。

()くものは荷物を積みて馬を曳き

このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。

 

    広瀬川

 

広瀬川白く流れたり

時さればみな幻想は消えゆかん。

われの生涯(らいふ)を釣らんとして

過去の日川辺に糸をたれしが

ああかの幸福は遠きにすぎさり

ちひさき魚は()にもとまらず。

 

    利根の松原

 

日曜日の昼

わが愉快なる諧謔(かいぎやく)は草にあふれたり。

芽はまだ萌えざれども

少年の情緒は赤く木の間を()

友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。

ああこの追憶の古き林にきて

ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす

いづこぞ憂愁ににたるものきて

ひそかにわれの背中を触れゆく日かな。

いま風景は秋晩(おそ)くすでに枯れたり

われは焼石を口にあてて

しきりにこの熱する (つばき)のごときものをのまんとす。

 

    公園の椅子

 

人気なき公園の椅子にもたれて

われの思ふことはけふもまた烈しきなり。

いかなれば故郷(こきやう)のひとのわれに(つら)

かなしきすもも(たね)を噛まむとするぞ。

遠き越後の山に雪の光りて

麦もまたひとの怒りにふるへをののくか。

われを嘲けりわらふ声は野山にみち

苦しみの叫びは心臓を破裂せり。

かくばかり

つれなきものへの執着をされ。

ああ生れたる故郷の(つち)を踏み去れよ。

われは指にするどく()げるナイフをもち

葉桜のころ

さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。

 

  郷土望景詩の後に

 

   Ⅰ 前橋公園

 

 前橋公園は、早く室生犀星の詩によりて世に知らる。利根川の河原に望みて、堤防に桜を多く植ゑたり。常には散策する人もなく、さびしき芝生の日だまりに、紙屑など散らばり居るのみ。所々に悲しげなるベンチを据ゑたり。我れ故郷にある時、ふところ手して此所に来り、いつも人気なき椅子にもたれて、鴉の如く坐り居るを常とせり。

 

   Ⅱ 大渡橋

 

 大渡橋(おほわたりばし)は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鉄橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその尽くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。

 

   Ⅲ 新前橋駅

 

 朝、東京を出でて渋川に行く人は、昼の十二時頃、新前橋の駅を過ぐべし。畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舎の小駅なり。

 

   Ⅳ 小出松林

 

 小出の林は前橋の北部、赤城山の遠き麓にあり。我れ少年の時より、学校を厭ひて林を好み、常に一人行きて瞑想に耽りたる所なりしが、今その林皆伐られ、楢、樫、橅の類、むざんに白日の下に倒されたり。新しき道路ここに敷かれ、直として利根川の岸に通ずる如きも、我れその遠き行方を知らず。

 

   Ⅴ 波宜亭

 

 波宜亭、萩亭ともいふ。先年まで前橋公園前にありき。庭に秋草茂り、軒傾きて古雅に床しき旗亭なりしが、今はいづこへ行きしか、跡方さへもなし。

 

   Ⅵ 前橋中学

 

 利根川の岸辺に建ちて、その教室の窓々より、浅間の遠き噴煙を望むべし。昔は校庭に夏草茂り、四つ葉(くろばあ)のいちめんに生えたれども、今は野球の練習はげしく、庭みな白く固みて炎天に輝やけり。われの如き怠惰の生徒ら、今も猶そこにありやなしや。

 

 

前橋文学館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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萩原 朔太郎

ハギワラ サクタロウ
はぎわら さくたろう 詩人 1886・11・1~1942・5・11 群馬県前橋に生まれる。1917(大正6)年の詩集『月に吠える』以降、西欧詩体験と日本への回帰という詩的不条理を憂鬱かつ不屈に止揚して日本近代詩の絶頂・深淵を成したと言われる。

北原白秋に捧げられた掲載詩集は、1925(大正14)年8月刊行、初期作を編んだ前半の「愛憐詩編」および、後半の「郷土望景詩」から成っている。室生犀星の序、萩原恭次郎の跋は著作権を考慮し割愛した。