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女のなか

「ねえ、ねえ。」

 二階で調べ物をしてゐた矢崎一郎はさう呼ばれて振向いた。梯子段の上り口には妻が物を嘲笑ふやうな円い顔を見せてゐた。

「何だい?」と彼は邪魔をされたのですこし腹を立てて問ひ返した。

(わたし)が来ると()きそんな顔をするんですね。富美子さんの手紙を見せて貰ひに来たのぢやありませんよ……階下へ降りてお仙ちやんをすこし慰さめてやつてお呉んなさいな。何が気に入らないか、人が物を言つても怖い顔をして火鉢の側につうんと坐つたきりですよ。」

 妻は一郎の側へ寄つて、一層声を低くしてさう言つた。一郎は暫く黙つて、やはり嘲笑ふやうな顔をし続けてをる妻を(にら)んでゐた。

「妾は昼間に懲りたから、貴郎(あなた)の仰しやる通り気に気を付けてゐるのですがねえ、」と妻は真顔になつて言つた。

「昼間の事を根に持つてゐるわけはなからう、(おれ)がお前たち二人を前に置いてあれ程言ひ聞かせたのだから。……何かお前がまたあれの気に喰はない事を言ふか()るかしたに相違ない。」

「いゝえ、決してそんな事はありませんよ。」

「お前は自分の言ふ事()す事が他人に()う取られるかつて事をすこしも考へない人間だから、自分一人で保証したつて何もならないよ。そこへあれがまたあゝ人並外れて気に掛けツぽいのだからね。」

「どうしたら好いでせう?」

「どうしたらつて、それはお前が気を付けてさへゐれば好い事ぢやないか? 一々そんな下らない感情の行き違ひまで己に持つて来る奴がある者か!」

 うるさい! といふ心持を角立つた眼にまで浮べて一郎は妻をさう叱つたが、妻が取着き()も無いやうに降りて行つた後では、直ぐに仕事を続ける気にもなれずに、自棄(やけ)に煙草を()かしながら、机に倚り懸つて考へてゐた。

 昼間の事に就いては、彼は妻を(にく)んでゐた。妻は決して悪意で言つたのではないと弁解したに(かゝは)らず。

 ――事の起りは、妻が子供の泣くのを(なだ)める時「叔母さんが新ちやんにはお蜜柑(みかん)をお土産(みやげ)に下すつたぢやないの。あんな好いお土産を頂いたのに、泣くと叔母さんが遣らないと仰しやるよ」とかいつた為めらしい。それを一郎の妹は、偶々(たまたま)東京へ出て来ながら子供に碌な土産一つ持つて来ないと言ふ諷刺(あてこすり)と取つて、「決して土産を惜んだのではない、病後で何をするのも厭で、郷里を発つにも着のみ着の儘で、何の支度もして来なかつた、東京へ来てから適当の物を買ふ積りであつたのに。」と口惜しがつた。妻は妻で、「なんぼ(わたし)だつてそんなつまらない諷刺なんか言ふものですか! 子供をだまさうとして何の気なしに言つただけぢやありませんか!」と言ひ張つた。さうでなくても憂鬱な妹が一層神経質になつてをる事を、一郎は青白い顔色や大きな眼を一と目見た時から察してゐた。気にせずとも好い土産の事などを気にしてをるのを無理でないと思つた。妻の方は、随分人の心を(ゑぐ)るやうな皮肉を言つて置いて「妾は思つた事を言つただけです。正直に物を言ふのがなぜ悪いのでせう。」などと平気でをる女である。まさかさもしい土産の諷刺などは言ふまいとは考へても、直ぐに「いや、しかし諷刺ぐらゐ言ひ兼ねない女だ!」と一郎は妻を非難せずにはゐられなかつた。

「お仙は金持だから東京へ来ても損は掛けないぞよ。」此の前一郎の母親が東京から帰る折に妻に言ひ置いた言葉を、妻はその儘一郎に繰返して聞かせた。妻が真に土産の諷刺など言つたとすれば、まさしく、その母親の言葉に対する反抗である。「金持のお仙さんが()れだけの土産を持つて來た?」それが妻の心に在つたであらう。それに妻は今妊娠中である。神経の(たかぶ)つてをる点ではお仙と変りは無い。病人と病人とだ。そんな事を言つて喧嘩の種を蒔いて行つた母が悪い! しかし母だつて斯うならせようとして言つたのではなかつたらう。彼はそんな事まで考へた。

 やがて彼の眼前には、試験休で帰郷してゐた弟と一緒にお仙が上京した晩の楽しい穏かな光景が浮んだ。病後の体を長い間馴れない汽車に載せてゐた為めに脚を痛めたといふお仙が、門先で(くるま)を降りて、跛足(びつこ)を曳き曳き入つて来るのを彼は何んなに優しい、抱きいたはつても遣りたい心持で迎へた事であらう!

 お仙の上京を色々な意味で、病気の保養をさせてやらうといふ親切や裁縫の手伝をして貰はうといふ手前勝手やで待構へてゐた妻も、何んなに愛嬌深い顔付でそれを迎へたであらう! 座敷へ入ると直ぐ、お仙は兄の子を抱きあげて「新ちやん、新ちやん、まあ大きくなつたぢやありませんか!」と、赤児の時に見たきりのその児の変つたのに驚いたやうに言つた。妻は妻で、お仙の子供の大人しくなつたのを褒めた。昼間から支度(したく)してあつた食物が大きな食卓も狭い程並べられたのを、急に殖えた大人数で取囲んで、皆はさも嬉しさうに箸を取つた。一郎夫婦に、その一人の子に、お仙に、お仙の弟に、お仙の子に、お仙が今度兄の子の為めに郷里から連れて来てくれた子守女――それ等を電灯が明るく照した。

「太一はほんとに大人になつた。しかし足が痛からうから胡坐(あぐら)を掻いて好いよ。」と一郎は七歳になるお仙の子のちやんとかしこまつて坐つたのを見て言つた。それでもその子は膝を崩さなかつた。

「東京へ行つたらば大人しくしなくては()けないよ。」とお仙が昔の烈婦のやうな顔付をして吩附(いひつ)けたであらう事が、その時、一郎の胸に浮んだのであつた。

 その翌日、一郎ひとりが留守居をして、皆で花見に行く事になつた。大騒ぎをして支度をして、一郎の妻は派手な模様の付いた空気草履(ざうり)や琥珀織の日傘などを沓脱(くつぬぎ)に出してから、また部屋へ飛び戻つて箪笥をガチガチさせてゐた。その時、玄関に出てゐた一郎の側へお仙がついと寄つて来て、「(わし)あ兄さんすこし長く置いて貰つて、奉公人代りに使つて貰はうと思つて来たけれど、直きに帰りませうよ。」と言つた。「何故?」と彼が彼女の顔色を見ながら訊くと、彼女「嫂さんがまだなかなか気が若くて、新ちゃんの学資でも(ため)る気はなくつて着物や穿物(はきもの)の気にばかりなつてゐる様で、兄さんが苦労だらうと思つてね。」と言つた。妹にさう言はれると全くさうの様な気がして、彼は「あいつは御苦労なしさ、ほんとに! しかしお前はそんな事を気にするには当らないよ。体をすつかり治すまでゆつくりして行くさ。」と慰めた。やがてお仙が唐桟(たうざん)着物で一と足さきに出ると、一郎の妻は絹ショールに襟留を着けながら出て来て「お仙さんは何うしたといふのでせう? 縮緬(ちりめん)の着物を持つて来てゐながら、わざとあんな扮装(みなり)で行くつてますよ。嫂さんと一緒の時には女中の積りだからこれで好いつて。あんまり見ツともないぢやありませんか?」と言つた。「いゝや、あれにはあれの考へがあるのだよ。黙つてしたいやうにさせてお置き。お前が見つともないとか、見よいとか言ふのは世間といふ物を標準だらう。あれにはあれの考へがあるのだよ。」と彼は言つた。

 帯や頭を撫で回すばかりが能で、心の空ツぽな妻を、彼はこの時程不満足に思つた事はなかつた。

 それでも間もなく妻が途中で腹痛を覚えたと言つて子守を連れて帰つて来て、江戸川畔を苦しさの余りに(あへ)ぎ喘ぎ遅く歩いて、お仙と離れ勝ちになると、お仙が「嫂さんは妾がこんな扮装(なり)をして来たから一緒に歩くが厭でせう。」と言つたり、腹が痛むから自分は帰るがお仙さんたちだけ上野へ回つてくれと言ふと、「嫂さんが行かなければ妾も止めませう。」と言つたり、ぢや妾は電車は嫌ひでとても駄目だから俥でそつと行くからと言ふと、「無理をして一緒に行つて貰つて、もしもの事があると、あんなにたゞの体でないから気を付けろと言つた兄さんに済まない。」と言つたりして、やつとの事で電車へ乗つて行つた次第を話すと、彼は今度は妹を「ひがみ女!」とも、「田舎者!」とも、嘲りたいやうな気がした。

 それまでは、しかし妻と妹との関係を、離れてをるうちは非常に美しかつた物を、一緒に暮すやうにした為めに急に世間にあり触れた嫂小姑(あによめこじうと)の関係にさせたのを惜しいやうな気がしただけであるが、今日のいがみ合ひを見ると、彼は実際浅ましさに堪へなかつた。どちらも病人だ! と思つただけでは済まされなかつた。どちらも馬鹿だ! と罵りたかつた。誤解されるやうな事を言つた者が悪い! いや、誤解した者が悪い! いや、わざわざ諷刺(あてこすり)を言つたのだ! いや、まさか! たとへ諷刺を言はれても(おれ)ならば直ぐに眼顔に出しはしない。やつぱり病人同士だ! あれだけ昼間言つて聞かせたのにまだ解らないのか! 

 しかし、彼は暫く考へてをるうちに、こんな事は世間に有りがちな事だ、今までは妻より外に女儔(をんなたぐひ)の無かつた家庭だけに、急にこんな事が際立つたのだと思ひ返して、また静かに仕事に懸かつた。十時頃、寝ようと思つて階下(した)へ降りて行つて驚いた。

 子供等も、子守女も、弟ももう皆寝てしまつたのに、お仙ひとりが茶の間の電灯の下で、長火鉢に向つて根が生えたやうに坐つてゐた。その平常衣(ふだんぎ)に細紐を締めただけの後姿を、妻は子供を夜具の上から軽く叩き着けながら、座敷から見詰めてゐたらしかつたが、「あれです」と言ふ風に一郎を振返つた。

 原因は何であつても、そんなに限りなくふて腐れてをる妹を、彼は一図に悪いと思つた。離れてゐては好い所やいぢらしい所ばかりが残つて来た彼の持つ妹の記憶の中から、疳癖(かんぺき)の強い、よく母親と言ひ争つては一日も二日もふててゐた、彼女の娘時代の面影が急に浮びあがつた。けれども彼はつとめて何知らぬ風に言つた。

「さあ、もう遅くなつた。お仙お(やす)みよ。お前は体が悪いのだから、なるべく宵張(よいっぱ)りはしないやうに自分で気を付けなくちや可けない。」

「へえ。」とお仙は答へた。そしてすこし体を動かした。

「家ぢや学校へ行く者があるから、早起きをしなくちやならないから……」と言つて、彼は妻の方へ向いて「お前もほんとに寝たら好いぢやないか?」

「へえ。」と妻も答へた。「さあ、お仙さんどうかお寝みなすって、妾も御免蒙りますから。」

「へえ。」

 一郎はやゝ暫し座敷と茶の間との(しきゐ)に立つて黙つてゐた。お仙は挨拶をして素直に茶の間の寝床へ入つた。一人の子の側へ丸くなつて寝る妹を見てをると、彼の一時の怒は消えて行つた。

 一郎は手づから茶の間の電灯を消した。茶の間と一郎夫婦の寝間になつてをる座敷との間の襖は、お仙が来てから閉めないのが例になつた。それは妻の女としての心遣ひだと察して彼も閉めようとはしなかつた。

 

 ふつと一郎が眼を覚ました時、茶の間には電灯がカンカンして、宵の有様とちやうど同じにお仙が火鉢の前に起きてゐた。一郎が起こされたのは妻のけたゝましい声でであつた。

「まあ、お仙さんは何うしたと言ふのでせう……」

 お仙は黙つて、やはりむかうを向いて、鉄瓶の下を火箸で(いぢ)つてゐるらしい。

 壁際の鼠()らずの上では、丸型の眼覚しの小針がまだ三時前である事を示してゐた。台所では瓦斯(ガス)の烈しく燃える音がしてゐた。

 ――宵の引続きだな、と思ふと一郎はまづ呆れて、暫くは()た儘頭だけ枕から離して、妹の後姿を、といふよりは火のはぜたやうな茶の間ぢゆうを眺めてゐた。瓦斯の燃える音はますますハッキリ聞えて来た。それほどに眼覚めた三人は黙り合つてゐた。

 ――飯を炊いてゐるのか? と彼は思つた。一番で国へ帰る気にでもなつたのか? いや、己が宵に「家には学校へ行く者があるから、」と言つたのを気に懸けたのか? とも思つた。

 やがて起つたかすかな怒りと、強い気味悪さとは、長く彼を臥させては置かなかつた。彼はぐいと夜具を揚げると、畳を踏んだとも覚えずに、急に妹の背後(うしろ)に立つた。

 ――たうとう気が違つたな! と思つただけで、彼はもう口が軽くは動かなかつた。

「お仙……お前は……」と彼は切れ切れに叫ぶ様に言つた。

「まあ、(わし)あ困つた!」とお仙はちよつと彼の方を見て、直ぐ首垂(うなだ)れてしまつた。その声は自分を意識し、自分を後悔してをるらしい(うる)んだ声であつた。

「お前は何うしたと言ふのだ?」と一郎はわづかに落着いて言つた。「こんな夜中に灯をカンカン点けたりして、皆の安眠の邪魔にもなるではないか? すこし考へて貰はなくちや困るねえ。」

「まあ(わし)あ困つた! 来てまだ幾日も経たないうちにこんな事を仕出来(しでか)してしまつて、」と言つてお仙は俄かに泣き出した。

「さ、馬鹿な事を言つてずにお(やす)み、さあ。……む、時間を取違へた? ……さうと気が付いたらなほの事、さあさあお寝み、まだ一と眠りも二た眠りもする時間は十分ある。」

 さう言つて一郎は台所へ行つて、(かまど)の下の瓦斯(ガス)を消した。彼が茶の間へ戻ると、お仙は子の寝てをる布団(ふとん)の上まで行つたが、そこに障子の方を向いて坐つて居た。

「お仙さん何うか堪忍して(やす)んでお呉んなすつて。貴女が寝まなければ(わたし)も、寝むわけに行かないぢやありませんか?」と言つて、一郎の妻は妻で、座敷の布団の上に坐つてゐた。

 一郎は妹の側に寄つて、突膝しながらその痩せた肩へ手を掛けると、(さうするのが荒立つた妹の感情を和げる最善の方法だと咄嗟に考へてではあつたが)その肩へ手を掛けたといふ小さな(しぐさ)が彼自身の内に永く眠つてゐた肉親の情を眼覚めさせたらしかつた。

「お前は(おれ)(ところ)へ来て、まだ五日と経たないぢやないか? 己とも、」と言ひ懸けた時には、彼は思はず涙のこみ上げて来るのを感じた、「己ともまだしみじみ話をする折さへなかつたぢやないか?」

 たゞそれだけの事を言ふのに、彼はほんとに泣いてしまつた。涙ポタポタと妹の肩へ落ちた。

「兄さん、(わし)種々(いろいろ)聞いて貰ひたくてそればつかりを楽みに東京へは出て来たで御座んす。」と妹の方も泣きながら言つた。「俺あ花見や遊山(ゆさん)がしたくて来たぢや御座んしない。他人(ひと)には話せない種々の事情を兄さんや嫂さんに包まず話して、同情して貰ひたくて来たで御座んす。……死なうと思つた事も一度や二度ぢやなかつたけれど、子に引かされたりどうしたりして……」

 妹はしまひには声を立てて泣いた。

「うむ、よし、よし、己もお袋からちよつとは聞いてをる。そして己が一番お前に同情してゐるつて事はお前も知つてゐるだらう。かつだつて」と一郎は貰ひ泣きをし始めてゐる妻の方を見た、「かつだつて言ひたい事をパッパッと言ふだけでさう意地の悪い人間ではない。己たち二人で何処までもお前の力になつてやるから、あとでゆつくり種々と話すが好い。な。さあ、機嫌を直して早く寝て呉れ。」

「昼間の事はほんとに妾が悪かつたから、どうか堪忍して下すつて」

 一郎の妻は貰ひ泣きを続けながら無邪気にさう詫びを言つた。お仙はそれには答へなかつた。

(わし)あ今夜は寝ても寝入れなかつたから、種々考へてゐると、頭のなかが斯うシーンとして……頭の中ばかりでなく世界ぢゆうが空になつたやうな気がして。」と彼女は続けた。

「うむ、さうか、さうか……ぢや時間を取違へたのではあるまい。淋しくて堪らなかつたから灯を点けたのだらう。」と一郎はつとめて善意に解して言つた。「で今は気分は何うだ?」

「…………」

「眠れさうか?」

「へえ。」

「眠るべき時に眠れないのは、まだお前の病気が十分好くない証拠だよ。口惜しいとか悲しいとかいふ事を自分で抑へさへすればきつと眠れる。さあさあお(やす)み。」

「へえ。飛んだ騒ぎをさせて、どうも申訳なしで御座んした。」とお仙は始めて詫びを言つた。

 斯うして妹を床に就かせてから一郎も自分の床へ戻つた。

 お仙が彼に話したいと言つた「種々な事情」の大方を彼は前から察してもゐたし、母親の話で聞いてもゐたが、その中にはまるで彼の想像する事の出来ないのが一つ二つあつた。それ等はしかし、いくら兄でも、こちらから問ひ懸くべき種類の物ではなかつた。そんなら向うから知らせるのを彼は待つてゐたのか? さうでもなかつた。彼はこの時まで、たゞお仙を病後の妹として、それを健康の回復するまで遊ばせてやらうと軽い心で迎へてゐただけであつた。

 昼間になつて、もうずつと落着いてゐるらしい妹の様子を見ると、一郎は安心して二階へのぼつた。そして昨夜の調べ物の続きを調べながら、飽きると、障子の箝玻璃(はめガラス)から静かな雨の中を桜の花の散つてをる隣の庭を眺めたり、ある女から来た手紙の文句を繰返してまだ見ないその女の面影を(しの)んだり、夜明け前のあの折に自分が泣いたのを、近頃めづらしい事にも、美しい事にも考へたりしてゐた。

 そこへそつと梯子段をのぼつて来る人のけはひがした。妻がまた何か下らん事を言ひに来たのではないかと思つて彼が振返ると、それはお仙であつた。

 彼は黙つて静かに彼女を迎へた。

「兄さんお忙がしいですか?」と彼女は言った。

「いゝや。別に急ぐ仕事ではない。」

「ぢやあ(わし)の愚痴を聞いておくんなすつて。」

「あゝ聞くよ。どんな話でも遠慮なく話して御覧。」

 彼はあの時のやうな、妹の肩へ手を掛けた時のやうな心持で彼女の青白い細面(ほそおもて)を見詰めてゐた。そこには(うる)んだ一双の大きな眼があつた。

 ――かつが肉ばかりで出来てる女ならば、これは、お仙は神経ばかりで出来てる女だ!

 と彼は思つた。

 いろんな思想が頭の中で渦を巻いてゐるらしく、彼女は容易に話し出さなかつた。

種々(いろいろ)話したい事もあるだらうが。」と彼から口を切つて、「己の見てゐる所ではお前はまだ体が十分でないやうだ。何より先づ医者に懸るなり、喰べたい物を喰べるなりして、健康な体にならなくちやならないと思ふよ。」

「いゝえ。」と彼女は兄の言葉を()退()けるやうに言つた。「体はもうすつかり好いです。医者も一時は大学病院へ行かなくちや駄目だつて言つたさうですが、今はもう此の通り何とも無いです。」

「さうか。」と彼はつとめて逆らふまいとした。「お袋の話でも死ぬかと思つた程だつたと聞いたが、つまり今度亡くなつた児の産後が好くなかつたのかねえ? 死んだ児なんか何時まで惜しんでゐたつて仕方がないのに、お前の性分だから大方さうだらうつて、かつとも言ひ暮してゐた。」

「いゝえ、兄さん、(わし)が体を悪くしたのは、今度が始めてぢや御座んしない。俺あ二度目の児を流産してしまつたが、体を悪くしたのはそれからで御座んす。太一の次ぎが腹へはじまつた時、あの婆さんが、『そんなに早くちや困る、困る、』つて大騒ぎをするものだから、恥かしくもあり、口惜しくも思つて」と言ひかけた時にはその恥かしさ口惜しさが甦つたらしく、お仙の眼からは涙が走つた、その濡れた顔を挙げて彼女はぢつと彼を見た。「兄さん(わし)あ、わざと重い物を背負ひ歩いたり庭で転んだりしたけれど、どうしても()りないから、しまひには夜、裏の柿の木へのして高い枝から地平(ぢびた)へ眼を(つぶ)つて幾度も幾度も飛び降りがした。……さうして無理に堕ろしたで、その後が好くなくてね。それからと言ふものは、一日だつて気分の好い日は無かつたで御座んす。」

 一郎は驚いて妹を見詰めてゐた。彼は姑のそれ位な言葉を気に懸けた彼女を憐れむと同時に、身籠つた子の始末に苦しむ人間が、獣か何かのやうに木の枝から地上へ飛び降り飛び降りする有様を想像した。

「思ひ切つた事をするではないか! けれど余り考へがなかつたな。それをお前は亭主に相談しなかつたのか?」

「へえ、ちよつと相談はしたですけれど、あゝいふ人だから『馬鹿、たはけ!』と叱つただけで何とも言つては呉れなかつたで御座んす。何か薬もある様には聞いてゐたけれど、他人に聞かせるも恥かしいから、独りでいろいろ考へて……」

「ふうむ、そんな苦しみまでもして来たのかい?」

「こりや、余り恥かしい話だから、今まで阿母さんにも誰にも話した事は御座んしない。……兄さんが反対した時に、(わし)は断つて貰へばよかつたと思ひがす」

 お仙は結婚当時の事から、むづかしい姑との関係などを詳しく話しはじめた。それ等は一郎が聞き飽きる程聞いた事であつた。それ等に対して、彼は一々冷かな判断を加へて妹を戒めた。

「むかうが、人間並でないつて事は(おれ)もよく知つてゐる。けれどもさういふ人間に対して、怨んだりひがんだりしてゐるのはお前が足りないのだ。一度物を頼んで返辞をしない場合には二度頼んで御覧、二度でだめなら三度……それをお前は一度でむかうが聞かなければ直きに怒つて了ふのだらう。」と彼はさうも言つた。

「さうだけれど年中さういふ人の側にゐるとそんなに人を善くばかりはしてゐられないで。」

「厄介には厄介な姑さな。それでお前が出て来ると相変らず人を寄越したり、自分で頭を下げて来たりするのだらう。」

「さうだけれど、余り辛いから近頃は大抵生家(うち)へばか降つてゐがした。さうすると今度の児が生れた時、あれは『間男の子だ』ツて言つて、親子で大喧嘩をしてゐる所へ(わし)がちやうど登つて行つて、外から聞いたで御座んす。……余り人を馬鹿にした事を言ふと思つて、爺さんをも婆さんをも前に据ゑて、『そんな事では後指をさされる覚えは毛程もない。さあ亭主の児でないなら誰の児だ? 誰がそんな事を言ひ出したか言ひ人を出せ!』ツて……」

 さう話し続けるお仙の顔は、憤怒の記憶の為めであらう、ポッと上気して、大きな眼が光つて来た。一郎は母が来た折にチラと遠回しに聞いただけで今まで十分に知る事を得なかつた其の話を、一種の懸念(けねん)と一種の好奇心とを以て聞いてゐたが、それもありふれた誤解、ひがみ合ひに過ぎなかつた事を知つた。

 けれども妹はそのやうな汚名を拭ふ事の出来ない恥辱、(いや)す事の出来ない苦痛のやうに思つてゐるらしかつた。

「兄さん、(わし)が今度出て来たのは、兄さんにあの目黒の坊さんへ頼んで貰つて、尼にならうと思つて来たで御座んす。」とお仙が思ひ詰めたやうな顔付で言つた時には彼はまた驚かされた。

「冗談言つちや可けない。何で尼なんかになるんだい?」

「兄さん、(わし)あ世間が余り恐くなつたからで。……一人で死なうと思つたけれど太一があるから死ね()もせず、兄さんの心安い目黒の和尚さんに頼んでお弟子にして貰つたら、太一一人位は育てて行けるかと思つてで御座んす。」

 一郎は黙つてしまつた。

「目黒の和尚さんも、遠くへ行つてるツて聞いてゐがしたから、和尚さんの帰つて来るまで、兄さんの(もと)に厄介になつてゐようと思つて、嫁入る前から、手ツ屑を売つた銭を溜めたのや、時々太一の阿爺から渡された小使銭の残りやが、積り積つて百円ばかりあつたのを持つて出て来がした。」

 ほんとにそんな決心をしてたかと思ふと、妙に涙脆(もろ)くなつてゐる一郎はまた暫く泣かされた。

「けれども、」と意識が回復すると彼は言つた。「下山からお前が離縁しても、太一は何うする事も出来ないわけだよ、むかうで寄越さないと言へば、法律上何うする事も出来ない。よし、むかうでお前があの児を連れて行く事を許すにしても、仏門に入る者にそんな親子の執着なんかが有つては到底駄目だ。お前がほんとに尼になる積りなら、子供の事を思ひ切らなくてはならない、それはお前に出来るか?」

「いゝえ、太一を手離す事は出来がしない。」とお仙は躊躇(ちうちよ)なく言つた。「さうですかねえ、子供を連れて尼にはなれないで御座んすか?」

 彼女の(かほ)にはありあり失望の色が見えた。

「それに、目黒の坊さんだつて、徳の高い人ではあらうけれど、留守中に奥さんに何か(あやまち)があつたとかつて奥さんを離縁して、また新しい奥さんを、此頃迎へたとか、迎へるとかいふ話だよ。」と彼は続けた。

「へえ。」と彼女は呆れたらしかつた。「それぢや世間にあるツマラない男と同じで御座んすね。そんなんぢや……」

「そりやお前あの人だつて普通の人間さ、人間以上に考へてゐたお前が浅はかなのさ。……」さうは言つたが、彼は妹がまた余りに失望するのを恐れた。「どうだらう目黒のお寺へ行つた積りで己の(ところ)にゐないか、半年でも、一年でも、お前のゐたい程置いてやる、そしてお前の解らない事で己に判断の付く限りは、己がひとつ説教でも何でもしてやるけれど。」

「……さうで御座んすかねえ? 俺あ目黒の和尚さんに頼んで尼になるといふ事を考へ着いた時にやあ、鬼の首でも取つたやうに思つてゐがしたが……」

 さう言つて彼女は始めて笑つた。それは然し自分をも他人をも嘲けるやうな笑ひであつた。

「第一、お前見たやうな執念深い、子煩悩(こぼんなう)の者が尼になるつて事が間違つてるさ。」と彼も笑つた。「お前は死ぬ事を考へたつてが――そこに行くまでの苦しみを己は尊敬こそすれ軽蔑してゐるのではないよ――死ぬ事を考へた時には、自分と言ふ者は有つても無くつても好いやうに思つたからだらう、生き甲斐が無い不運の者のやうに考へたのだらう? さうまで考へてもやつぱり死ねない。死に切れないのは何の為めだい? 亭主に未練がある為めでもあるまい、親兄弟に名残惜い為めでもあるまい、お前の心持を己が察して言ふと、やつぱり子の為めだらう、太一があるばつかりだらう? さうぢやないか? 人間は何か目的が無ければ生活の辛さを(こら)へて行き得ないものに()まつてる。その反対に目当がちやんと着きさへすれば、どんなに辛い中でも生きて行ける筈だ。前にも言つた通り、仏門に入るといふ事は一切の執着から離れて、別の言葉でいふと、怨みとかひがみとかいふ人間の邪念から離れて大きな愛の道に入る事だ。さうする事は普通の人間には到底出来ない。ほんとに尼になるといふ事はさういふ事だよ。それ程むづかしい尼の修業をしようとしたお前だから、この娑婆(しやば)にゐて、お前の一番可愛い太一の為に何事でも忍ばうとは思はないか?」

「今までは、太一を手離せない――とたゞさう思つてゐただけで。口惜しい事はやつぱり口惜しくつて。」

「口惜しい事が口惜しいのは、この世の中にお前一人ではなからう?」

「それでも(わし)程不幸な者は無いと思ひがす。」

「さうかな? お前は自分の事ばかりを考へてゐるのぢやないかな?」

「……これからちつと考へを大きく持つて見がせう。」

 一郎の熱心に説く所をお仙はやゝ納得したらしかつた。やがて彼女は帯の間から紙包を出した。

「下手に気にかけて、あんな騒ぎをしてしまつたけれど、兄さん是非これを取つておくんなすつて。(わし)あまつたく、生れつ児の時から新ちやんが可愛くつて可愛くつて、東京へ行つたら何か買つてやらうと思つてて……」

「何だ、金か?」と一郎は言つたが、急に不快な気持がした。妹がまだ土産物の事を気にしてゐるのを知つたからである。現金を目上に贈る事は香奠(かうでん)の場合を外にしては殆ど無い。これは母の指図かさもなければ母に似た考へを妹が持つてゐるのだと彼は思つた。彼が書生時代に品川の親戚に食客をしてゐた時、親戚の子供へ「土産」として持つて行くのは定つていくらかの現金であつた。「品物では目立たないが、それだけ遣ればお前の半年分の米代位に当るから。」母はいつもさう言つた。たゞ厄介になつてゐるのを辛がつた彼は、母のその考へを嬉しく思つた。今は同じ意味の金を彼自身が妹から受ける場合になつた。

「そんな他人行儀をするものぢやない。」

「いゝえ、他人行儀といふわけでは御座んしない。何を買つて好いか解らないから、恥を掻かせないで是非取つて置いておくんなすつて。」

「いゝや、(おれ)はとらないよ。子供に土産を呉れなければ気が済まないなら、お前出たついでに何でも買つて呉れるが好い。」

 妹が何うしても聞かなかつたので、一郎は「では当分預かつて置かう。」と言つた。それで気が済んだらしく妹が降りて行つた後で、彼は紙包を広げてみた。五円紙幣が六枚出た。彼は白紙に「お仙と太一の食扶持」と大きく書いてあるやうな気がした。

 

 ある日、一郎は露西亜(ロシア)のある新しい作家の小説集の中の「姉」といふ短編を思ひ浮べた。それには、もう可なり年取つて生活に疲れてしまつた姉と弟とが、静かな夏の夜に邂逅(めぐりあ)つて、種々の思出話をする事が書いてあつた。彼は其の作のしつとりした気分を愛する余りに、或部分をば暗記してゐた。

「七月の夜である。遠くには裸麦の束、近くには苜蓿(うまやごやし)の束が平行に連つて、それ等の甘い、疲れたやうな香ひが流れて来る。」

 ――作者は「暑い暑い七月の夜」と断つてゐたけれど、何といふ落ち着いた夜であらう! そして何といふ懐しい野の香であらう! 日本の野には香を立てるやうな穀物も無ければ草もない。都会はなほ更さうである。田舎ならば腐つた肥料の臭ひか、都会ならば魚屋のわた

の臭ひかだ。彼はおぼろげな記憶をたしかめる為めに、書棚からその書物を探し出した。そして所々をはぐつて読んだ。

「私、何を話しませうね。私達が学校へ行つてゐた時の事をお前さん覚えてゐて? あの頃は私達も生甲斐がありましたね。だけど、何も()も皆昔の夢よ。私達はよく中学生や女学生と氷滑(こほりすべり)をしましたね……、私は或人から想はれたこともあつてよ。ホラ中学校に失恋の自転車乗の居たのを覚えてゐるでせう。お前さんもひと頃或女優に夢中になつてゐましたつけね。それも片恋だつたのね。」

 小説の中の女はさう言つてゐた。

 ――それはまあ何といふ美しい青年時代だつたらう! 「己たち兄妹に比べて」と彼は考へずにはゐられなかつた。

 ――貧しい農家に生れて、妹は嫁入る十八まで、糸取り仕事と百姓の手伝の外には娘らしい楽み一つしなかつた。嫁入つてからは言ふまでもない。兄は好んだ学問の道に入つたが、他人の食客にでもならなければ学校を卒業する事も出来なかつた。雪国に生ひたつて冬の寒さは知つてゐても、氷滑の楽みは知らなかつた。人を恋したり恋されたりした事はあつても、罪か何んぞのやうに口に出すを恐れた。何処に生甲斐のある生活がある? すくなくとも、何処に少年らしい少女らしい面影が残つてゐる? 若くて早く生活に疲れながら、久し振に逢つた兄妹の間で、てんでの疲れの隠しつこをしてをるではないか?

「家のあたりに来ると、もうポツポツ雨が落ちはじめた。あたりが静まると、やつと薄明るくなつて室は明方の霧に濁つてゐる。我々が翼家(はなれ)に近よつた時、樺の上に玉の様な雨滴がきらめいた。雨は間もなく()んだ。あらたにしかも前とは違つて裸麦の湿つぽい、やはらかな香が流れた。空気も余程稀薄になつて、物の音も冴るやうになつた。試みに『オー』と呼べば、屋敷裏の小川の向うから、誰か生きた者のやうに『オー』と応へる……笛の音でも長く引張つてゐる様に。

 まだ眠くない。姉は翼家(はなれ)に入つてしまつた。最後に眼に留つたのは朝の薄明の中に蒼ざめた姉の冷たい顔と薄黒い唇とであつた。――私は翼家の窓の下にある腰掛の上になほ暫く坐つてゐた。すると、褐色の熊のやうな大きな老ポルカン(犬)が近寄つて来て、私と並んで坐つた。我々は此翼家と屋敷と朝とを護る二人の夜番のやうにぽつねんとしてゐた。大方、我々は皆な死んでしまふだらう。ポルカンも、私も、姉のマーシャも、年取つた伯母のアグニィヤも。――それが此静かな朝、はつきり分るやうな気がする。殊に静かに、明瞭に分るやうな気がする。きつとさうなるだらう。我々は煩悶と悲痛の中に生きなければならぬ運命を荷つてゐる。けれども、此の娑婆を清く、勇ましく渡るには剛健でなければならぬ。また静かな悲哀のうちに死んで、静かな浄土に移るには消えざる焔でなければならぬ。これが必然の運命である。此の運命は心に言ひ知れぬ平和と堅忍とを与へる。今の安静は我々を待つてゐる永久の安静の反映ではあるまいか。……」

 ――兄に「姉」の中の男のやうな哲学も無ければ、妹に「姉」の中の女のやうな諦めも無い。

 一郎はさう考へて、妹の過去を憐れむと同時にその身の過去を憐れんだ。妹の現在の心持を不満足に思ふと同時にその身の現在の心持をも不満足に思つた。そしてまた彼は、深刻で陰惨だと言はれる露西亜人が案外に聰明で幸福でまことの生活の道を知つてゐて、小利口で上滑りがすると見られてをる日本人が、案外にひねくれた暗い無自覚な生活を送つてをることを考へた。

「いや、けれども、これは己たち兄妹だけかも知れない。」

 彼は可なり富裕な家に生れて楽しむ事ばかりを考へてゐるらしい妻や、妹が来るすこし前から彼に妻子のある事を知つてゐながら手紙を寄越す女の事などを考へ合はせた。

「妹を生かすと同時に(おれ)もほんとに生きなければならない! さもなければ妹は気狂ひになる、己は、気の弱い己はなし崩しに崩れて行く!」

 忙がしげに二階にばかり登つてゐて、妹から「兄さん、(わし)等が来たからつて、無理の仕事をしないでおくんなすつてよ。」と厭味らしい事を言はれる程であつた彼は、急に仕事を投出した。仕事といふよりは仕事にかこつけて煙草を吸つてをる時間の方が多い。懶惰(らんだ)な二階籠りに自ら気が付いたからでもある。

「さあ、一と片付き片付いたから、今日は己がお仙と太一を連れて日比谷へでも行かう。」階下へ降りてさう言つた時には、彼は自分の体中に生命が満ちあふれてゐるやうな気がした、嫂と衝突してからは弟とばかり出歩いたお仙も、弟の学校がはじまると、もう誰も連れて歩き手がないので、一日家に居ずくまつては、お仙は裁縫や台所の手伝ひをし、太一は新作と追ひかけつこなどをしてゐた。

 一郎が案内しようと言つた時には、お仙はまた気が(ふさ)ぐと言つて、火鉢の側に坐り込んでゐたが、一郎の妻も「(うち)で御案内するつてますから是非行つてらしつて」と勧めて、やうやう承知させた。

 お仙は羽織を持つて来なかつたので、一郎の妻がその白ぽい小紋の羽織を出してやつた。袖たけが着物とは合はなかつた。それをお仙は無理に合はせようとするらしく度々袂を前に返した。

 ――小豆色の縮緬のがあつたがな、と一郎は思つたが、それは妻が貸しじがるであらうと思ひ返して、口には出さなかつた。

 出がけにお仙は、一郎が巻煙草入を取りに二階に登つた後を追つて来た。

「兄さん、此間お預けしたのを持つて行つておくんなすつて。(わし)は残りを畳の下へ入れて置いたが、嫂さんの前で畳なんか上げるのは気が退けるから、……さうして新ちやんにはやつぱり品物でやつた方が()えやうで御座んす。嫂さんがどうも……」と彼女は言葉を濁らせた。

「む? かつがまだそんな素振でも見せるのかい?」と一郎は言はうとしたが、直ぐ彼自身が悪かつたと気付いた。彼は妻に、妹が金を寄越した事だけは知らせたが、勿論妹の気が済むやうにたゞ預つてる積りであるから「礼を言へ、」とは指図しなかつた。

「さうか? それでは今日ついでに何か買ふが好い。」と彼は言つて、机の抽斗(ひきだし)にあの儘投込んで置いた紙包を取出した。

 一郎とお仙と太一とは一緒に電車に乗つた。日比谷へ行く途中をお仙親子はさすがに珍らしさうに、あちこちの建物や春景色やを(のぞ)いてゐた。「縹緻(きりやう)貴郎(あなた)の兄弟中ではお仙さんがやつぱり一番ですよ、眼が大きくて、色が白くて。」と羨ましさうに妻が言つたのを一郎は思出しながら、人混みと外の陽気の加減とでいくらか上気してをる妹の横顔を見、それに倚掛(よりかゝ)るやうにしてポカンと口を開けてをる太一を見た時、彼はふと全身に強いショックを感じた。それは妻が弟から聞いたといふ、この妹の苦悶の絶頂の頃の事が、チラと彼の眼に見えたからであつた。

 ――今夜こそ、今夜こそと思つてお仙は毎晩剃刀(かみそり)を床の下に入れて寝た。太一を先に(くび)り殺して置いて、と手拭をその細首に一と巻き巻いては、手拭の両端を握つたまゝ太一の寝顔を覘き込む。するともう腕が鈍つてしまふ……

 昨日の夕方お仙がちよつと外へ出た時、彼の妻はまた聞きの其の話を笑ひながら話した。彼も其時は「まるで芝居のやうだ」と軽く聞き流したが、今、真昼間に何の物思ふ所もないやうな母子の顔が、電車の震動でブルブルブルと揺り立てられるのを見てをると、却つて底知れぬ怖しさを感ずるのであつた。

 太一の頸首(えりくび)は黒く細かつた。お仙の洋傘を杖突いてゐる手には静脈が青く浮き出てゐた。

 ――たしかにヒステリイになつてゐる。早く癒してやりたい。さう思つて、彼は心当りの婦人科医者をあれこれと数へ立てた。日比谷で電車を降りて公園へ入ると、子供は元気で駆け歩いた。丘へ上つて公園の全景を眺めたり、人混みの中を音楽堂の前の広場から鶴の噴水の側へ出たりする間に、お仙は二度(ばか)り溜息をした。その都度一郎は彼女をベンチヘ休ませた。「疲れたらう?」と彼が言ふと「いゝえ、」と彼女は答へた。「面白くないかい?」と彼が言ふと「面白う御座んす」と彼女は面白くもなささうに答へた。

「己がまだ結婚しない前に、お前が東京へ出て来て、一緒に此公園を散歩したね。」と彼は遊動円木の側へ出た時さう言つた。

「へえ、あの時の事はハッキリ覚えてゐないけれど、何でも寒い時節で御座んしたね。」とお仙が言つた。

 そんな事から二人は種々話し続けた。

「あの傾、ソラ(おれ)(もと)へ四国から手紙を寄越す女があつたらう? かつとの話が(きま)つた折だつたから、己が返事は出さないつて言つたのを、お前が強ひて返事をやらせた……」

「えゝ、その人で御座んすね、此頃東京へ出て来て、つい近所にゐて、また手紙を寄越しはじめたつて、嫂さんがひどく心配してゐるのは。」

かつはもうお前にそんな話をしたのか?」

「えゝ、今朝も手紙が来たやうだつて、兄さんが何しにか降りた隙に、『貴女なら見つかつてもきつと叱らないから。』つて(わし)を二階へ探しにやりがしたよ。」

 さう言つてお仙はめづらしく笑つた。

 一郎は裏切られたやうな気がした。女からの手紙を見られたのを怒つたのではなく、仲の悪いと思つてゐた妻と妹とが、そんな事では共謀(ぐる)になり得るのに驚いたのである。

「をかしな事をするぢやないか? あの女の手紙をかつが見たいといふ時には、(おれ)何時(いつ)でも見せてるんだ。……己には別に()うといふ考へがあるんぢやないが、向うで是非一度逢ひたいと言ふから何時か機会を作つて逢ふ積りでゐるだけなのさ。今となつては向うはたゞ好奇心からかも知れない。けれど己の方から言ふとこんな折に逢つて置かないと、あの女は永久に逢へない人のやうな気がする。逢はうとすれば逢へる人を眼を(つむ)つてやりすごして来たのは此頃までの己だつた。しかし今の己はそれでは満足が出来なくなつた。……そんな気持を起こさせたのは、或ひはあの女の四年ぶりでの手紙だつたかも知れない、或ひはお前の今度の上京だつたかも知れない、不思議にお前の上京もやはり四年ぶりだ。――お前は変な眼つきをするね、けれども悪い意味で言つたのではないよ――または……いや、動機は何であつても、つまり己の心が自然さうなるやうになつて来たのだね。」

「何だか(わし)等にや解らない事だけれど、嫂さんは大変馬鹿にされたやうに考へてゐるですよ。」

「己があの女と手紙のやり取りをするからかい?」

「へえ。けれど兄さんは決してそんな人ぢやないツて、ようく言つてやりがした」

「己は他人(ひと)に動かされてやつと動く人間だつた。手紙を貰つてその返事をやつと書いてゐた人間だつた。情けないぢやないか? 自分から付文(つけぶみ)でもして、自分から女でも拵へ得るやうな人間になつたら、かつ

などは己の妻として祝つて呉れても好いのだ! 己はかつ

には此頃実際さう言つてゐるよ、なあ、自分勝手の言ひぐさだらうか? ……己は自分勝手な人間になりたい!」

 何とかいふ西洋花が真赤に咲いてをる花圃(はなばたけ)の側の、とあるベンチに腰掛けて、午後の柔かい日かげを浴びながら、二人でそんな話を続けてをる時、人々は彼等をジロジロと見て通つた。太一がひとりで小山へのぼりかゝる後姿を見ると、お仙は急に腰をあげて「坊!坊!」と呼んだ。

 

 日比谷から三越へ回つて、一郎はお仙の頼みの土産を買つた。お仙は「思ひ切り立派な洋服でも。」と言つたが、一郎は玉虫色の光のあるリボンの着いた麦稈帽(むぎわらばう)にさせた。彼は彼女が「思ひ切り立派な……」と言つた折の言葉の調子や顔色のなかに彼女がまだ妻に対し敵意を持つてをる事を見た。

 しかし其の半日は、彼に取つては可なり意味のある半日であつた。夜、彼の妻が彼に「お仙さんは驚いてゐましたよ。兄さんは三四年前から見ると恐ろしく元気になつたツて。」と言つた程であつた。

 ()に角土産の事も済んだと思つてか、お仙も余程機嫌が直つたらしかつた。すると今度は、子供同士の敵対が目立つて来た。はじめは仲好く遊んでゐたのが、馴れると新作は物尺や何かで太一を追ひ回した。太一が新作を叩き返したりすると、「坊お前は兄さんぢやないか? 負けてゐなくちや()けないぢやないか?」とお仙が言つた。機嫌は直つたらしいとはいへ、お仙は子供を叱るにも眼色を変へた。

 一郎は折を見ては医者の診察を受ける事を彼女に勧めたが、彼女は「体はもうなんともないです。」と言つて聞かなかつた。

 ――さうだ、体よりは精神が疲れてゐる、と思つて彼は妻に吩咐(いひつ)けては強ひて妹を連れ出させた。夜は弟と一緒に活動写真などへやつた。

(ねえ)の感情家にも呆れてふ、活動の芝居を見てゐてもボロボロ涙を(こぼ)すんだもの。」

 弟はよくさう言つた。

 さうかうして半月ばかり経つうちに、お仙はまた元の(ふさ)ぎ勝ちになつてしまつた。部屋の隅や火鉢の前で首垂(うなだ)れてをる彼女を見出す時、一郎はまた妻と何か衝突したのかと思つて氣遣つたが、今では妻の方が気の毒な程下から出てゐた。お仙の気分は雨が降り、風が吹くといふやうなちよつとした天気工合に依つてでさへも変る事を知つた。

 彼女は、自分の生命にも換へられないやうな太一をも、すこし気に入らない事があると殺す程叩いた。さうかと思ふと、頑是(ぐわんぜ)ない新作に残酷な復讐をする彼を、見て見ない振をしてゐる事もあつた。機嫌好く自ら進んで嫂の料理の手伝をしてをりながら、ダシがらを取らなかつたのを嫂に注意されて「(かす)を取るなら取るやうに言つて置けば好いぢやないか? 苦情まんだらばかり言やがつて!」と急に怒鳴り出すこともあつた。

 妹をたゞ妹として、妻をたゞ妻として見てをる時には、お仙もかつ子も一郎に取つてさして大きな負担ではなかつた。然し彼女等の最初の衝突の折のやうな、神経の女と肉の女との中間にその身が立つてをると彼の感ずる時には、あらゆる物が二倍の重味を以て彼を圧した。一方からかつ子が「お仙さんは……」と言つて来る時には、お仙はまるで狂人か何ぞのやうに思はれた。一方からお仙が「嫂さんは……」と言つて来る時には、かつ子は馬か豚かのやうに思はれた。彼女等が明かに衝突しない時でも、彼は妻を愛す時には妹を(うと)んじた。妹を憐む時にはきつと妻を()くがつた。富美子といふ女学生から来る手紙に就いても、彼女等二人が見たがるのを彼はすこしも非難しないのに「嫂さんが(わし)に言ひ付けたです。」と妹は言ひ、「お仙さんが見たがるから。」と妻は言つた。

 明るい方へ、明るい方へと、彼がつとめて心を向け出してからは、太一の行儀の悪くなつたのを見ても、お仙の細帯一つで、汚い着物を前も合さうないやうにだらしなく着てをるのを見ても彼はイライラした。

「家にずくんでゐるにしても、帯位はちやんと締めてゐたら好い。」と彼は強く妹に言ふやうになつた。

 ある晩お仙が二階へ話しに来た時、彼は、「自分達兄妹は、皆陰鬱でひねくれ者で、不正直である。お互ひに気を付けなければならない。」と言ひ出した。それは彼女も承認したらしかつたが、次の事を言ふ時には、もう眼色を変へてゐた。

「親は大抵、子供を生まうとして生んだのではないから、子供は是非親を養はなければならない義務はないつて、兄さんは言ふさうですね。」

「さうさ、己はさういふ考へだ。」と彼は答へた。

「それぢやあ、阿父さんや阿母さんがあんなに苦労をして学校にまでやつて呉れた恩を兄さんは返さないといふ積りかね? 阿父(おと)つあんや阿母(おつか)さんばかりぢやない、(わし)等まで、兄さんを人にするにやあ()んなに苦労したか知れやしない。」

「何かお前は誤解してゐる。」

「誤解してはゐない。『己は貧棒の、家へ生れたお蔭で意気地なしになつた。』つて此間から二三度言ふぢや御座んしないか?」と彼女は叱るやうに言つた。

「それは事実さ。けれども境遇や遺伝では己などよりもつと悪い者でも、ぐいぐい境遇から抜けて行く人もある。境遇に圧伏せられたのは己が意気地が無かつたのだ、といふ意味で言つてるんだよ。親子の関係に就いても、子として親をうるさく思つたのではない、あれは新作が生れた時、『己は親としては子供に恩を強ひない積りだ。』と言つたのだ。子として親に尽す点では誰にも劣らない積りだが、自分が親としては子の厄介にならうなどとは思つてゐないからだ。」

「そんならさうと阿母さんなんかにや優しく言つてやればよかつた。」

 一郎は、その身の親子関係に対する意見を、母が(おこ)つてをる事を初めて知つた。

「優しくと言つたつて、そんな事は(ほか)に言ひやうもないぢやないか?」

「だつて阿母さん等から言へば、親へ当て付けてゐるとしか取れないぢや御座んしないか?」

「当て付ける積りで言つたのでないのを、そんなに取る奴は、取る奴が馬鹿だ!」

「馬鹿といふ事はない。さう取れる。(わし)にだつてさう取れる! ……」 其の晩はお仙も兄に対する尊敬を忘れてゐたが、一郎も興奮して思ふ所をぐんぐん主張した。手加減をしいしい物を言ふよりも、この方が、彼には快かつた。

 それから色々の事があつた。新作が麻疹(はしか)をわづらつたり、お仙の夫が出て来て太一を連れ帰つたり、一郎が初めて訪ねて来た手紙の女と逢つたりした。

 太一に麻疹を移すまいとは、側でも非常に注意したが、お仙の心配は殊に烈しいらしかつた。彼女は太一が新作の寝てをる座敷の襖に触つても、直ぐに叱つた。そこへ、余り長くなるからと言つて、お仙の夫が二人を連れに来たのであつた。着いた晩、夫は子と共に二階に寝た。お仙はずつと()けるまで茶の間にゐて、嫂に勧められても容易に二階へ登らなかつた。二日程経つと太一は父親に連れられて帰り、お仙一人が残つた。お仙が太一を手放し得たのを、一郎は不思議がつたが、直ぐに、何よりも彼女は太一が麻疹に(かゝ)る事を恐れたのであらうと察した。お仙一人が留まるに就いても、彼女は「そろそろお養蚕期(かひこどき)になるから一緒に帰れつて言ひがすが、もう少し置いて呉れるかね?」と兄の心持を訊ねた。「無論、お前はまだ体が十分でない、従つて心も疲れてゐる。そんな風で帰つて行つたつて、誰とも折合が付きやうない。すつかり好くなる迄何時まででもゐるが好い。」と一郎は言つた。

 太一がまだゐるうちから、お仙はかつ子と語らつては頻りに新しい反物(たんもの)を買ひ込んで、夏帯を造つたり、被布(ひふ)を造つたりした。「嫂さんが買ふが好いと言ふから買ひがした。」とお仙は兄に言ひわけを言つた。「嘘ばかり、言つてる、自分で買ひたがつて買つてて。」とかつ子はかつ子で言ひわけを言つた。一郎は、たとへそれが美くし物(ずき)かつ子の感化であるにしても、衣裳持ちのかつ子に対する反抗であるにしても、または時節に適応する必要からであるにしても、お仙の尼にならうとした支度金が、大事さうにまた危険さうに畳の下に蔵はれてをる金が、さういふ事に使はれるのを面白い事に考へた。

 弟の友達が近所の下宿にゐて、それがよく来て歌などうたつた。お仙はそれを喜んで聞いた。太一がゐなくなつて淋しい時には、嫂と相談してこちらからその男を呼びに行つたりした。散歩や活動写真にその男の方から誘ひに来る事もあつた。さうかと思ふと、やはり彼女は時々火鉢の側に坐り込んで動かなかつた。

 一郎と手紙のやり取りをしてゐた女は、ちやうどお仙の夫が滞溜してゐた折初めて一郎を訪ねて来たのであつた。階下には病気の子供が寝てゐたし、二階には客が来てゐたししたので、二人は門口でちよつと挨拶を交はしただけであつた。あわたゞしく別れて了つたので、一郎はその女の顔をも姿をもハッキリとは見覚えない程であつた。けれども彼はその女が妻よりも妹よりもずつと若くてずつと落着(おちつき)のある事を知つた。

「オヽ気の毒な我が心よ!」

 手紙によくさう書いてよこす通り、自らいたはる事を知つてをるその女と、是非ゆつくり逢ひたいと思つて、彼はまた屡々(しばしば)手紙を書いた。むかうから来ないならば今度は此方から出懸けて行かうと思つた。

 

     (大正三年)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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中村 星湖

ナカムラ セイコ
なかむら せいこ 小説家 1884・2・11~1974 山梨県南都留郡に生まれる。1907(明治40)年9月「早稲田文學」長編小説募集に作品「少年行」が一等となり、島村抱月主宰「早稲田文學」の記者また抱月らの「藝術座」にも参加したが、抱月死後の1926(大正15)年に農民文藝会を起こし、またフランスにも渡ったが、太平洋戦争後は郷里に帰り晴耕雨読して没した。

掲載作は1914(大正3)年1月「太陽」初出、終生自愛の作であった。

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