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大日本主義の幻想

    一

 朝鮮台湾樺太も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリヤに対する干渉は、勿論やめろ。之実に対太平洋会議策の根本なりと云う、吾輩の議論 (前号に述べた如き) に反対する者は、多分次ぎの二点を挙げて来るだろうと思う。

(一)我国は此等の場所を、しっかりと抑えて置かねば、経済的に、又国防的に自立することが出来ない。少なくも、そを脅さるる(おそ)れがある。

(二)列強は何れも海外に広大な殖民地を有しておる。然らざれば米国の如く其国自らが広大である。而して彼等は其広大にして天産豊なる土地に障壁を設けて、他国民の入るを許さない。此事実の前に立って、日本に独り、海外の領土又は勢力範囲を棄てよと云うは不公平である。

 吾輩は、此二つの駁論(ばくろん)に対しては、次ぎの如く答える。第一点は、幻想である、第二点は小欲に囚えられ、大欲を遂ぐるの途を知らざるものであると。

 第一点より論ぜん。朝鮮台湾樺太乃至満州を抑えて置くこと、又支那シベリヤに干渉することは、果して()かく我国に利益であるか。利益の意味は、経済上と軍事上との二つに分れる。先ず経済上より見るに、(けだ)し此等の土地が、我国に幾許(いくばく)の経済的利益を与えておるかは、貿易の数字で調べるが、一番の早道である。今試みに大正九年の貿易を見るに、我内地及樺太に対して

       移出         移入         計

朝 鮮 一六九、三八一千円  一四三、一一二千円  三一二、四九三千円

台 湾 一八〇、八一六    一一二、〇四一    二九二、八五七

関東州 一九六、八六三    一一三、六八六    三一〇、五四九

  計 五四七、〇六〇    三六八、八三九    九一五、八九九

  (備考)朝鮮及台湾の分は各同地の総督府の調査、関東州の分は本邦貿易月表に依る。

であって、此三地を合せて、昨年、我国は僅かに九億余円の商売をしたに過ぎない。同年、米国に対しては輸出入合計十四億三千八百万円、印度に対しては五億八千七百万円、又英国に対してさえ三億三千万円の商売をした。朝鮮、台湾、関東州の何れの一地を取って見ても、我之に対する商売は、英国に対する商売にさえ及ばぬのである。米国に対する商売に至っては、朝鮮、台湾、関東州の三地に対する商売を合せたよりも尚お五億二千余万円多いのである。即ち貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮台湾関東州を合せたよりも、我れに対して、一層大なる経済的利益関係を有し、印度、英国は、夫々(それぞれ)、朝鮮台湾関東州の一地乃至二地に匹敵し若しくはそれに勝る経済的利益関係を、我れと結んでおるのである。若し経済的自立と云うことを云うならば、米国こそ、印度こそ、英国こそ、我経済的自立に欠くべからざる国と云わねばならない。

 (もっと)も貿易の総額は少ないが、其土地にて産する品物が特に我工業に、若しくは国民生活上に欠くべからざる肝要の物であり、此点に於て特殊の経済的利益があると云う事もある。併し幸か、不幸か、朝鮮、台湾、関東州には、斯くの如き物は無い。我工業上、最も重要なる原料は棉花であるが、そは専ら印度、米国とから来る。又我食物に於て、最も重要なるは米であるが、そは専ら仏領印度、暹羅(シャム)等から来る。其他石炭にせよ、石油にせよ、鉄にせよ、羊毛にせよ、重要と云う程の物で、朝鮮、台湾、関東州に、其供給を専ら仰ぎ得るものは一もない。例えば鉄の如き、昨年関東州から約五千七百万斤の輸入があった。併し同年の我鉄の輸入は、総額二十億五千万斤を超えた。之に対する五千七百万斤は九牛の一毛だ。又米にしても、朝鮮及台湾を合せて、我国に移入し得るは漸く二、三百万石だ。此位いの物の為めに、何故我国民は、朝鮮台湾関東州に執着するのであろう。吾輩をして極論せしむるならば、我国が此等の地を領有し、若しくは勢力範囲とした結果、最も明白に受けた経済的影響は唯だ砂糖が高くなったことだけである。

 以上は朝鮮、台湾、関東州に就てである。樺太に就ては、領有以後既に十余年、遂に何の経済的利益も(もたら)し得ぬは、遍く(あまね)く人の知る処、絮説(じょせつ)する迄もない。此頃更に、北樺太の方は大いに有望だとか云うて、尼港(ニコライエフスク)の変を理由として占領しておるが、恐らくは十余年前、南樺太を大いに有望なりと吹聴したと同じ筆鋒であろう。然らば残るは支那とシベリヤの問題である。

 支那及シベリヤに対する干渉政策が経済上から見て、非常な不利益を我れに与えておることは、疑うの余地が無い。支那国民及露国民の我国に対する反感、之は此等の土地に対する我経済的発展を妨ぐる大障碍である。而して此反感は、我国が、此等の土地に対する干渉政策をやめない限り、除くを得ない。干渉政策の結果は、或は部分的には利益があろう。例えば支那が綿糸の輸入税を引上げることを妨げる。然れば我綿糸は、其限りに於て、支那に輸出することが楽である。併し斯くて種々の干渉をした結果、全体として我支那に対する貿易は、何れ程の発展を遂げたかと云えば、過去十年間に於て、其増加は、同年間に於ける米国に対する我貿易の増加の約三分の一にしか当らない。即ち明治四十三年の我支那に対する貿易は、輸出入合計一億五千九百万円であったが、之が大正九年には六億二千八百万円になった。即ち此間約四億七千万円を増加した。然るに我米国に対する貿易は、同じく輸出入合計で、明治四十三年には、殆ど支那に対せると同額の一億九千八百万円であったが、大正九年には十四億三千八百万円に増加した。即ち此間の増加額約十二億四千万円である。支那に対する干渉政策なるものが、如何に経済上無力であったかが、之で知れる。実に此間に於ける支那に対する貿易の増加額だけは、印度に対してさえも増加しておるのである。更に又、前に朝鮮等に就て述べた如く、貿易の総額に関しては此様であるとしても、何か特殊の工業原料にても、干渉政策の結果、支那から得ておるかと云うに、之も亦殆んど説くに足りない。例えば世人は屡々(しばしば)支那の鉄、支那の石炭と、大騒ぎするが、昨年に於いて、其鉄は漸く二億五千三百万斤、石炭は五十五万八千(トン)を、輸入しておるに過ぎない。之ばかりの物に、何の利権騒ぎをする要があろう。普通の商売として、昨年米国からは十二億五千五百万斤、英国からは三億三千二百万斤の鉄の輸入があったのである。シベリヤに対する干渉が、経済上何んな結果を(もたら)すかは、之からの問題であるが、思うに支那に見た先例より悪ければとて、善くないことは明白である。

 さて朝鮮、台湾、樺太を領有し、関東州を租借し、支那、シベリヤに干渉することが、我経済的自立に欠くべからざる要件だなど云う説が、全く取るに足らざるは、以上に述べた如くである。我国に対する、此等の土地の経済的関係は、量に於て、質に於て、(むし)ろ米国や、英国に対する経済関係以下である。此等の土地を抑えて置く為めに、えらい利益を得ておる如く考うるは、事実を明白に見ぬ為めに起った幻想に過ぎない。果して然らば此等の土地が、軍事的に我国に必要なりと云う点は何うか。

 軍備に就ては、此頃、いろいろの説が流行する。けれども畢竟(ひっきょう)、之を整うる必要は、(一)他国を侵略するか、或は(二)他国に侵略せらるる虞れあるかの二つの場合の外にはない。他国を侵略する意図も無し、又他国から侵略せらるる虞れもないならば、警察以上の兵力は、海陸ともに、絶対に用は無い。さて然らば我国は、何れの場合を予想して軍備を整えておるのであるか。政治家も、軍人も、新聞記者も異口同音に、我軍備は決して他国を侵略する目的ではないと云う。勿論そうあらねばならぬ筈である。吾輩も亦まさに、我軍備は他国を侵略する目的で蓄えられておろうとは思わない。併し乍ら吾輩の常に此点に於て疑問とするのは、既に他国を侵略する目的でないとすれば、他国から侵略せらるる虞れのない限り、我国は軍備を整うる必要のない筈だが、一体何国から我国は侵略せらるる虞れがあるのかと云うことである。前には之を露国だと云うた。今は之を米国にしておるらしい。果して然らば、吾輩は更に尋ねたい。米国にせよ、他の国にせよ、若し我国を侵略するとせば、何処を取ろうとするのかと。思うに之に対して何人も、彼等が我日本の本土を奪いに来ると答えはしまい。日本の本土の如きは、只()ると云うても、誰れも貰い手は無いであろう。されば若し米国なり、或は其他の国なりが、我国を侵略する虞れがあるとすれば、そは蓋し我海外領土に対してであろう。否、此等の土地さえも、実は、余り問題にはならぬのであって、戦争勃発の危険の最も多いのは、寧ろ支那又はシベリヤである。我国が支那又はシベリヤを自由にしようとする、米国が之を妨げようとする。或は米国が支那又はシベリヤに勢力を張ろうとする、我国が之を()うさせまいとする。(ここ)繭に戦争が起れば、起る。而して其結果、我海外領土や本土も、敵軍に襲わるる危険が起る。されば若し我国にして支那又はシベリヤを我縄張りとしようとする野心を棄つるならば、満州、台湾、朝鮮、樺太等も入用でないと云う態度に出づるならば、戦争は絶対に起らない、従って我国が他国から侵さるると云うことも決してない。論者は、此等の土地を我領土とし、若しくは我勢力範囲として置くことが、国防上必要だと云うが、実は此等の土地を斯くして置き、若しくは斯くせんとすればこそ、国防の必要が起るのである。其等は軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない。

 然るに世人は、此原因と結果とを取違えておる。(おも)えらく、台湾、支那、朝鮮、シベリヤ、樺太は、我国防の垣であると。 (いずくん)ぞ知らん、其垣こそ最も危険な燃草であるのである。而して我国民は此垣を守るが為めに、せっせと所謂消極的国防を整えつつあるのである。吾輩の説く如く、其垣を棄つるならば、国防も用はない。或は曰く、我国之を棄つれば、他国が代って是を取ろうと。然り或は左様の事が起らぬとも限らぬ。併し経済的に、既に我国の()かく執着する必要のない土地ならば、如何なる国が之を取ろうとも、宜いではないか。併し事実に於ては、如何なる国と(いえど)も、支那人から支那を、露国人からシベリヤを、奪うことは、断じて出来ない。若し朝鮮、台湾を日本が棄つるとすれば、日本に代って、此等の国を、朝鮮人から、若しくは台湾人から奪い得る国は、決して無い。日本に武力があったればこそ、支那は列強の分割を免れ、極東は平和を維持したのであると人は云う。過去に於ては、或は左様の関係もあったか知れぬ。併し今は却って之に反する。日本に武力あり、極東を我物顔に振舞い、支那に対して野心を包蔵するらしく見ゆるので、列強も負けてはいられずと、(しき)りに支那乃至極東を(うかが)うのである。

    二

 大日本主義、即ち日本本土以外に、領土若くは勢力範囲を拡張せんとする政策が、経済上、軍事上、価値無きことは、前号に略ぼ之を述べた。併し前号の吾輩の議論では、なお其証明足らずと云う人があるかも知れぬ。例えば内地との貿易額は、なるほど比較的僅少であるかも知れぬが、其外に、なお其等の地方に、内地人が移住して生活しておる者もある、それが多いならば、仮令(たとい)内地との貿易額は少なくとも、(もっ)て其等の地方を経済的に価値無しとは云えぬであろうと。我国民の神経を(とが)らしつつある所謂人口問題の解決に関係があるだけに、此論点は、相当主張する人が多いかと思う。併し之亦吾輩を以て論ずるに、事実を明白に見ぬ幻想である。試みに数字を示そう。最近の調査に依るに、内地人にして台湾に住せる者は十四万九千人、朝鮮に住せる者三十三万七千人、樺太に住せる者七万八千人 (以上大正七年末調査)、関東州を含める全満州に住せる者十八万一千人、露領亜細亜(アジア)に住せる者八千人、支那本部に住せる者三万二千人 (以上大正八年六月末調査) 、即ち総計で八十万人には満たぬ。之に対して我人口は、明治三十八年即ち日露戦当時から大正七年末までに九百四十五万の増加だ。仮りに先きに挙げたる諸地の内地人が、全部明治三十八年以来移り住んだものとするも、九百四十五万人に対する八十万人足らずでは、(ようや)く八分六厘弱に過ぎぬ。一人でも海外へ送り出せば、それだけ人口問題が解決したわけと云えば、云えないことはないが、併し其為め他方で、有形無形の犠牲を何れ程払っておるかを考うるならば、他にまだ選むべき道はあろう。畢竟(ひっきょう)先方に住える者は、八十万人だ、内地に住む者は六千万人だ。八十万人の者の為めに、六千万人の者の幸福を忘れないが肝要である。

 一体、海外へ、単に人間を多数に送り、それで日本の経済問題、人口問題を解決しようなど云うことは、間違いである。人間を多数に送るとすれば、いずれ労働者を送ることになる。併し今日の企業組織では、何れの国へ行こうとも、労働者が受くる所得なるものは知れたものである。大きな儲けを母国の為めにするなど云うことは、とても出来ぬ。大体に於て、行っておる者が辛うじて食って行くと云うだけのことである。されば外国にせよ、或は我領土にせよ、海外の土地を我経済上に利用するには、斯くの如き方法に依るは愚である。人口稀少にして、先方に利用すべき労力が無い場合は別であるが、然らざる限り、労働者は先方の者を使い、資本と技術と企業脳力とだけを持って行く。其の上に労働者も持って行くなら、持って行っても、勿論差支えないが、それは必ず持って行かねばならぬものではない。悪く云うなら、資本と技術と企業脳力とを持って行って、先方の労働を搾取(エキスプロイット)する。若し海外領土を有することに、大いなる経済的利益があるとするなら、其利益の来る所以(ゆえん)は、唯だ茲にある。されば例えば印度を見ても、英国人は幾許(いくばく)も行ってはいない。一九一一年の調査に見るに、総人口三億一千余万の中、欧州人及其同族なるものは二十万人足らずしかいない。英人は、又其一部であるのである。之で、英国が印度を領有する意味は、十分達せらるるのだ。

 既に人間を沢山に送り出すことが、つまらぬ事であるとするならば、海外領土又は勢力範囲が、我れに与うる経済的利益は、大体に於て貿易の高及性質で計量することが出来ると云える。何とならば、資本の技術と企業脳力とを持って行って、如何なる事業を先方で営もうとも、其結果は直接間接必ず貿易の上に表れて来ねばならぬ筈だからである。之、吾輩が、貿易の数字に依り、大体を抑えて、我大日本主義には執着するの価値無しと、前号に述べた所以である。尤も更に正確に論ずるならば、其貿易なるものは、単に内地との貿易のみでなく、又外国との間の貿易をも見ねばならぬ。内地との貿易は小であっても、外国への輸出超過が大であり、其勘定が、外国から内地の輸入する品物代として支払われておると云うこともあろうからである。併し少なくも我海外領土及勢力範囲には、左様の働きをしておるのはないらしい。台湾や朝鮮の外国貿易は年々少なからぬ輸入超過である。未だ曾つて輸出超過を示したことがないと云うて宜い。関東州に就ては、不幸にして此関係を明白にし得ない。併し仮りに此働きがあったにしても、大したものでないことは想像出来る。樺太は勿論問題でない。関東州の貿易に現るる以外の支那に於ける我事業又はシベリヤに於ける我事業が此働きをなしていないことも亦明白だ。敢て此関係を精しく調ぶる必要はないと思う。或は又、汝の議論は総て現在の状況を基礎にしておる、台湾にせよ、朝鮮にせよ、関東州にせよ、将来大に発展するかも知れぬではないかと云う人があるかも知れぬ。斯んな疑いは、吾輩が前号から提出した諸材料を、若し真面目に研究したならば、決して起らない筈である。

 併し吾輩は簡単に次ぎの如く云おう。台湾を領有して二十五年、朝鮮関東州を我勢力下に入れて十五年、此間我国民は、随分の大努力を此等の地方に対してした。而して其成績が以上の如くだ。又試みに最近十年の我貿易の状況を見よ。米国との貿易は十二億四千万円殖えた、印度との貿易も四億六千万円殖えた、支那へは多少の努力をしたからと云えぬこともないか知れぬが四億七千万円殖えた (実は其所謂努力の結果、却って対支那貿易の発展を阻碍したろう)。英国との貿易さえも二億一千万円殖えた。而して此間朝鮮との貿易は二億七千万円、台湾との貿易は二億一千万円、関東州との貿易は二億八千万円を増したに過ぎぬ。あれだけの大努力をして、何れもの貿易が印度との貿易だけにさえ進まぬとすれば、前途の予測も大概着きそうのものではないか。

 さて以上は、吾輩の、所謂大日本主義無価値論の大体である。併し世の中には、以上の議論を以てしても、なお吾輩の説に承服せぬ者があるであろう。彼等は蓋し明白な理屈もなく、打算もなく、唯だ何となしに国土の膨張に憧るる者である。故に吾輩も茲で暫く議論を一転し、以上述べたる処は総て吾輩の誤りであったと仮定しよう。即ち大日本主義は、我為め非常な利益ありと想像しよう。而してもう一度、かの国土の膨張に憧るる人々の為めに、彼等の誤れることを説いて見よう。それは仮りに彼等の妄信する如く、大日本主義が、我れに有利の政策なりとするも、そは今後久しきに亙って、到底遂行し難き事情の下にあるものなること、之である。昔、英国等が、頻りに海外に領土を拡張した頃は、其被侵略地の住民に、まだ国民的独立心が()めていなかった。だから比較的容易に、其等の土地を勝手にすることが出来たが、之からは、なかなかそうは行かぬ。世界の交通及通信機関が発達すると共に、如何なる僻遠の地へも文明の空気は侵入し、其住民に主張すべき権利を教ゆる。之、印度や、愛蘭(アイルランド)やの民情が、此頃むずかしくなって来た所以である。思うに今後は、如何なる国と(いえど)も、新たに異民族又は異国民を併合し支配するが如きことは、到底出来ない相談なるは勿論、過去に於て併合したものも、漸次之を解放し、独立又は自治を与うる外ないことになるであろう。愛蘭は既に其時期に達した。印度が、いつまで、英国に対して今日の状況を続くるかは疑問である。此時に当り、何うして、独り我国が、朝鮮及台湾を、今日の儘に永遠に保持し、又支那や露国に対して、其自主権を妨ぐるが如きことをなし得よう。朝鮮の独立運動、台湾の議会開設運動、支那及シベリヤの排日は、既に其前途の何なるかを語っておる。吾輩は断言する、此等の運動は、決して警察や、軍隊の干渉圧迫で抑えつけられるものではない。そは資本家に対する労働者の団結運動を、干渉圧迫で抑えつけ得ないと同様であると。

 彼等は結局、何等かの形で、自主の満足を得るまでは、其運動をやめはしない。而して彼等は必ず其満足を得るの日を与えらるるであろう。従って之を圧迫する方から云えば、唯だ今日彼等の自主を、我れから寧ろ進んで許すか、或は明日彼等に依って之を()ぎ取らるるかと云う相違に過ぎぬ。即ち大日本主義は、如何に利益があるにしても、永く維持し得ぬのである。果して然りとせば、徒らに執着し、国帑(こくど)を費し四隣の異民族異国民に仇敵視せらるることは、まことに目先の見えぬ話しと云わねばならぬ。何うせ棄てねばならぬ運命にあるものならば、早く之を棄てるが賢明である。吾輩は思う、台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、早く日本が自由解放の政策に出づるならば、其等の国民は決して日本から離るるものではない。彼等は必ず仰いで、日本を盟主とし、政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき親密を続くるであろう。支那人、台湾人、朝鮮人の感情は、正に然りである。彼等は、唯だ日本人が、白人と一所になり、白人の真似をし、彼等を圧迫し、食物にせんとしつつあることに憤慨しておるのである。彼等は、日本人が何うか此態度を改め、同胞として、友として、彼等を遇せんことを望んでおる。然らば彼等は喜んで、日本の命を奉ずるものである。「汝等のうち大ならんと(ねが)う者は、汝等に使わるる者となるべし、また汝等のうち頭たらんと欲う者は、汝等の僕となるべし」とは、まさに今日、日本が、四隣の異民族異国民に対して取るべき態度でなければならぬ。然らずして若し我国が、いつまでも従来の態度を固執せんか四隣の諸民族諸国民の心を全く喪うも、()う遠いことでないかも知れぬ。其時になって後悔するとも及ばない。賢明なる策は唯だ、何等かの形で速かに朝鮮台湾を解放し、支那露国に対して平和主義を取るにある、而して彼等の道徳的後援を得るにある。斯くて初めて、我国の経済は東洋の原料と市場とを十二分に利用し得べく、斯くて初めて我国の国防は泰山の(やすき)を得るであろう。大日本主義に価値ありとするも、即ち又、結論は是に落つるのである。

 之を要するに吾輩の見る処に依れば、経済的利益の為めには、我大日本主義は失敗であった、将来に向っても望みがない。之に執着して、為めに当然得らるべき偉大なる位地と利益とを棄て、或は更に一層大なる犠牲を払うが如きは、断じて我国民の取るべき処置ではない。又軍事的に云うならば、大日本主義を固執すればこそ、軍備を要するのであって、之を棄つれば軍備はいらない。国防の為め、朝鮮又は満州を要すと云うが如きは、全く原因結果を顛倒せるものである。吾輩は次ぎに、前号所掲の論者の第二点に答うるであろう。

    三

 吾輩の主張に対する反対論の第二点は、列強が広大なる殖民地又は領土を有するに、日本に独り狭小なる国土に跼蹐(きょくせき)せよと云うは不公平であると云う論である。既に吾輩の述べ来れる処で読者は推測せられたことと信ずるが、吾輩が我国に、大日本主義を棄てよと勧むるは決して小日本の国土に跼蹐せよとの意味ではない。之に反して我国民が、世界を我国土として活躍する為めには、即ち大日本主義を棄てねばならぬと云うのである。そは決して国土を小にするの主張ではなくして、却って之を世界大に拡ぐるの策である。併し乍ら世界には現前の事実として、大なる領土を国の内外に所有し、而して他国民の茲に入るを許さぬ強国がある。されば日本も亦彼等と競争して行くが為めには、何処かに領土を拡げねばならぬではないかと云う論の起るのも、一応尤もでないではない。

 之に対しては、吾輩は三つの点から答える。第一は前既に説ける如く今になっては最早我国は、領土を拡げたいにも拡げられない、之を拡ぐることは却って四隣の諸民族諸国民を敵とするに過ぎず、実際に於て何等利する処なしと云うこと之である。第二は、之亦前に述べた如く、列強の過去に於て得たる海外領土なるものは、漸次独立すべき運命にある、彼等が、そを気儘になし得る時期は、左迄久しからずして終るだろうと云うこと、之である。第三は既に第一の如く、幾ら他国の領土の広いことが羨しいとも、今更其真似をすることが出来ぬとすれば、我国は宜しく逆に出て、列強に其領土を解放させる策を取るのが、最も賢明の策である、それには先ず我国から解放政策を取って見せねばならぬと云うこと之である。前々号にも説いた如く、例えば我国が朝鮮、台湾に自治を許し、或は独立を許したりとせよ。英国は果して印度や、埃及(エジプト)を、今日の儘に維持し行けようか、米国は比律賓(フィリピン)を今日の儘にして置けようか。されば若し英国や米国が、海外に領土を有するが故に我国は彼等に比し不利の地位にあると云うならば、我国は人道の為めなど云うえらい事でなく、単に利己の為めにも列強の海外領土は総て解放し、其諸民族に自由を与うる急先鋒となるが善い。列強の真似をして、能くそれに対抗し得るだけの有利なる海外領土が得られるならば、大日本主義も、まだ多少の意味はあろう、併し朝鮮、台湾、樺太または満州と云う如き、之ぞと云う天産も無く、其収入は統治の費用を償うにも足らぬが如き場所を取って、而して列強に其広大にして豊饒なる領土を保持する口実を与うるは、実に引合わぬ話である。されば吾輩は云う、我国は宜しく列強をして其海外領土を解放せしむる如くせねばならぬと。それには武力を以って此解放を強制するか、或は道徳を以て之を余儀なくせしむるかの外に道はない。併し武力を以て、之を強制することは、到底我一国の能くする処ではない。然らば残るは唯だ道徳の力である。而して其道徳の力は我国先ず我四隣に対して解放政策を取ることに依ってのみ得らるる。道徳は唯だ口で説いた()けでは駄目だ、又お前が斯うするなら、おれも斯うすると云う如き弱きことでは駄目だ。他人には構わず、(おのれ)が先ず実行する、茲に初めて道徳の威力は現るる。ヴェルサイユ会議に於て、我大使が提案した人種平等待遇問題の如き、わけもなく葬り去られた所以は是にある。我国は、自ら実行していぬことを主張し、他にだけ実行を迫ったのである。だから当の米国英国が反対しただけではない、支那からも、何処からも、真面目な後援を得なかった。若し此等の国から心からの後援を得たならば、彼の問題は、ああ無残に破れはしなかったであろうと信ずる。

 斯く云わば、或は云うであろう。仮りに列強何れも、其海外領土は解放するとするも、なお米国の如き自国の広大なる処がある。又解放せられたる夫々の国も、或は皆其国境を閉して、他国の者を入れぬかも知れぬ。此等に対しては何うすると。之に就ては吾輩は次ぎの如く答うる。例えば米国が、其広大なる国内に、日本人を入れぬ、支那人を入れぬと云うが、それは移民に就ての話しである。商人が、米国内で商業を営むに、何の妨げもない。前号にも述べたる如く、米国からは年々八、九億円に及ぶ商品が我国に来、又之に匹敵する商品が我国から行く。我国の貿易表上、米国は実に第一の取引国である。何うして米国は、我国民を排斥しつつありと云うのであろう。普通の経済関係から見る限り、そは全く根拠無き説である。唯だ移民に就ては、いろいろの苦情を云えるは事実であるが、之は、かの国民の立場から云えば無理もない点がある。我国にしても、風俗習慣言語を異にし、而かも余り教養の無き外国の労働者が、多数に部落をなして国内に住むとすれば、随分迷惑を感ずるであろう。併し此議論は暫く()きて、我国は、唯だ我国の立場から考うるに、労働者を移民として外国に送り出し、而かも其生活程度の低きことを唯一の武器として、外国労働者と競争させるなど云うことは、前号にも述べたる如く決して利益でもなければ、名誉でもない。我国が米国を経済的に利用するには、斯くの如き方法に依らずとも、立派に商売の道に依れるのである。一人の労働者を米国に送る代りに、其労働者が生産する生糸を又は其他の品を米国に売る方が善い。又或は米国から棉花を輸入して、その労働者に綿糸を紡がせた方が善い。米国は普通の商売の道に依って、其原料を我国に供給することに、決して(やぶさか)でなく、又良好にして廉価なる我品を買うに、決して躊躇(ちゅうちょ)しない。而してこは独り米国ばかりでない。広大なる国土を有する国が、其国境を閉すであろうと云う心配は無用である。如何なる国と雖も、其国内で消費し切れぬ品物は外国に売らざるを得ず、国内で生産するよりも有利に輸入し得る品は輸入せざるを得ぬからである。斯く考えれば、列強が大なる海外領土を有すると云うことも、実は問題とするに足らぬのである。或は云うかも知れぬ、自国の領土でなければ、そこで或種の産業は営むことが出来ぬ、例えば何れの国でも鉱業の如きは、外国人の経営するを許さない、或は仮りに経営し得たりとするも、少しくそれが盛んになれば、何の彼のと云うて妨げられる、(あた)かも米国に於ける日本人の農業の如き、それであると。之は、如何にも尤もの苦情である。吾輩は、我国からが率先して、此種の制限を、外国人の企業に加えておることを、宜しくないことに思っておる。之も是非各国に撤廃させねばならぬ。併し吾輩の見る処に依れば、仮令(たとい)斯くの如き制限は、各国に行われておると雖も、なお外国人が、経済的に、そこに活動する範囲は相当に大きく開かれておる。欧州戦争の数年前、米国政府の調査した処に依れば、同国は、鉄道其他に対し、英国から三十五億(ドル)、其他の欧州諸国から二十五億弗の固定放資(一時の金融を除いた以外の放資)を得ておると云うことだった。即ちそれだけの企業は、米国内に於て、少なくも間接に外国人に依って営まれていたのである。斯くの如く、仮令種々の制限はあるにしても、資本さえあるならば、之を外国の生産業に投じ、間接にそれを経営する道は、決して乏しくないのである。而して投資さえすれば、それに応じただけの生産利益は受けられる。必ずしも外国へ自ら出かけて行って、直接事業を営まねばならぬことはない。要は我れに其資本ありや否やである。而して若し其資本が無いならば、如何に世界が経済的に自由であっても、また如何に広大なる領土を我れが有しても、我れは、そこに事業は起せない。殆ど何の役にも立たぬのである。然らば則ち我国は、(いず)れにしても先ず其資本を豊富にすることが急務である。資本は牡丹餅(ぼたもち)で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅が無くて、重箱だけを集むるは愚であろう。牡丹餅さえ沢山に出来れば、重箱は、隣家から、喜んで貸して呉れよう。而して其資本を豊富にするの道は、唯だ平和主義に依り、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある。兵営の代りに学校を建て、軍艦の代りに工場を設くるにある。陸海軍経費約八億円、仮りに其半分を年々平和的事業に投ずるとせよ。日本の産業は、幾年ならずして、全く其面目を一変するであろう。

 以上の諸理由に依り吾輩は、我国が大日本主義を棄つることは、何等の不利を我国に(かも)さない、否(ただ)に不利を醸さないのみならず、却って大なる利益を、我れに与うるものなるを断言する。朝鮮、台湾、樺太、満州と云う如き、僅かばかりの土地を棄つることに依り広大なる支那の全土を我友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国全体を我道徳的支持者とすることは、如何ばかりの利益であるか計り知れない。若し其時に於て尚お、米国が横暴であり、或は英国が驕慢(きょうまん)であって、東洋の諸民族乃至は世界の弱小国民を(しいた)ぐるが如きことあらば、我国は宜しく其虐げらるる者の盟主となって、英米を膺懲(ようちょう)すべし。此場合に於ては、区々たる平常の軍備の如きは問題でない。戦法の極意は人の和にある。驕慢なる一、二の国が、如何に大なる軍備を擁するとも、自由解放の世界的盟主として、背後に東洋乃至全世界の心からの支持を有する我国は、断じて其戦に破るることはない。若し我国にして、今後戦争をする機会が事あるとすれば、其戦争は(まさ)に斯くの如きものでなければならぬ。而かも我国にして此覚悟で、一切の小欲を棄てて進むならば、恐らくは此戦争に至らずして、驕慢(きょうまん)なる国は亡ぶるであろう。今回の太平洋会議は、実に我国が、此大政策を試むべき、第一の舞台である。

大正十年七月三〇日・八月六日・一三日号「社説」

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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石橋 湛山

イシバシ タンザン
いしばし たんざん 経済ジャーナリスト・内閣総理大臣・立正大学長 1884・9・25~1973・4・24 山梨県生まれ 早稲田大学(1908)哲学科卒 東京毎日新聞社を経て明治44年東洋経済新報社に移り編集長、主幹、社長を歴任。一般紙が翼賛的になる中、正統派理論経済学説の立場から同誌で、終止一貫して陸・海軍の施策を厳しく指弾した。戦後は、蔵相、通産相、首相を務めた。

掲載作は、石橋湛山全集(東洋経済新報社)から収載した。

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