破れ旗
序にかえて
九十九里浜で
海は目の高さにある
押し寄せる厚い胸板よ
だからむきになって
客の引き上げた片貝の海は
旗めいてさびしい
「破れ旗」
旗 1
いななく馬の蹴り上げるひずめのように
威勢よく空に翻りたい
旗は馬になりたいと思うときがある
あの気炎を吐く鼻柱が振り返るときのように
ダイナミックに反転したい
自分だけでは満足できない
もやもやを振り切ってめくるめきたい
(やっぱり無理かな)
頭にのって舞い上がるだけでは
段々満足できなくなってきた
首を振ってみる
靡かせてはいるが
靡いているのではない
謡をうなるときのように
自己を確認しているだけだ
(やっぱり駄目かな)
旗はぐーんとのびてイメージを作りあげる
まず たてがみのように燃え盛り
空に炎の輪を描くことを
破れ旗 1
憩いなど求めはしない
慰めなど役に立たない
怒りがなくて詩が書けるものか
旗は舞踊家のように身体をひねり曲げ
自分を痛め付けては身を翻す
ねじ伏せられた首を持ち上げそり返り
あらぬ方向に反転し反逆する
身を躍らせる者よ
夏を過ぎた用なしの破れ旗よ
靡くな
日常の矜持を忘れるな
○
風がない
旗は哀れにも消沈して
脚下を眺めている
手もない足もない顔だけの彼が
その顔も無くしている
それでも 日時計のような一本の影が
律儀にも
彼の周りを少しずつ長くなりながら
恨みのように動いていく
長い一日
旗は垂れ下がっていても旗だ
旗は嗤う
―遅れてきた者は、そっと、破れ旗をかざしてみる。
旗はカラカラと声を上げて嗤っている
そのとき初めて嗤えるようになったのだ
旗は 破れているのだと気付いたときから
旗になった
何のてらいもなく空に向かって 大口開けて
転げ廻り 髪振り乱し じたんだ踏み かしいで
しょうのない奴だなどと自分をののしりながら
声を上げて嗤っている旗
一枚の布であった以前の彼は
おのれに巻きついて何もできなかった
くしゃくしゃになりながら自分で自分を結わいて
それでも何かになりたくて
広がること 翻ること 海に向かって靡くことを
夢みていた
―自己認識が全く足りない奴だな
ちゃんと 破れていると認識しなくちゃいけない
所詮 役に立たないボロ布なんだから 破れているんだから
自分のみすぼらしさにはまるで気付かないで
自分で自分を叩きながら
すり抜けていく風に カラカラと声を上げて嗤っている旗
旗は何が可笑しいのか 分かっていない
旗はただ 破れ旗であると思っている
旗の祭り
祭りの終わった朝の浜辺は淋しい
いつしか身に沁みる風が納屋のトタンをめくり始め
忘れられた旗は いつまでも自分で自分を打ち鳴らしている
誰に呼ばれた訳でもないが
その日 私は一人早朝の浜辺にいた
縦横に走り抜けた轍の跡だけが
一直線に九十九里浜を貫いて遠く岬の方まで続き
浜辺を妙に人間臭いものにしていた
片貝
それが浜の名
その悲しい響きが繰返し寄せ返してくる波の傍らで
砂に埋もれた紺色の布を見つけた
引き出してみると
それは祭りの旗だった
踏みにじられ 細い竿も折れてはいたが
意外にもくっきりと色を保ち
手のひらから落ちかかる砂を払って
秋の冷風に舞い上がった
○
旗の中に祭りがあった
金色に輝く大きな神輿を 山車をあおった
誰よりもうかれて 誰よりも滅茶苦茶顔になって
わっしょ わっしょ さあさあーさあさあー
たてがみをゆすり くるりと回り
ときにはしかめっつらして笑いこけた
しかし 祭りの中心ではなかった
祭りは熱狂する群集にかつがれ 渦を巻いて行ってしまった
祭りが終わると旗は捨てられた
それでも良かった
祭りが誰よりも好きだったから
○
祭りの終わった朝の浜辺の 身に沁みる風の中から
笛の音色が聞こえてくる
足音が乱れ騒ぎ 三味線の撥がせりあがる
旗はそれが 淋しい旗の胸の中で鳴っているのを知っている
旗がアクロバットに身をくねらせてみるのは そんな時だ
旗だけの祭りが始まる
祭りが トンと足拍子を踏むと
旗は祭りのあとに漂う哀愁の 背渡りの風を巻き上げ
頬を染めて
青白い海の祭りを打ち鳴らしはじめる
旗 2
胸の中でハタハタと鳴るもの
聞こえぬほどに響き合う
そのあるかなきかの かすかな思いの
めくるめく小さな旋律が
空から呼ぶ声のように ふと よみがえる
そんな時だ
布の小さなこと
竿の短いこと
色あせたこと
破れていることも忘れて
駆け出したくなるのは…
○
せわしく せわしく一心不乱に首を振る三角旗
金の蜜蜂よ
その短い羽根を振れ 空中に止まって振れ
破れかぶれに振れ 8の字に振り続けろ
金粉が空を舞うまで
○
胸の中でハタハタと鳴るもの
遠い実在への羽ばたきにも似た
狂おしくも せつない 憧れへの旋律よ
晴れた日には蒼く澄んだ空のように悲しく
この胸の乾いた響き うずきにも似た
雲に覆われれば 途端に見失ってしまうような
かすかな…
包 む
一枚の布が
包む
重箱 一升瓶
すいか ばなな パイナップル
よく切れる包丁
首!
そして 女性の複雑な曲面も
一枚の布はもたれかかり
撫で さすり そっと目隠しする
からみとり なよやかにくるみ
ゆるやかに流れ きつく巻きつく
なで肩に むっちり胸に やなぎ腰に
たった一枚の布が
日本の女性を表現する
一枚の布に包まれて届けられる品々
贈る人 受けとる人
その包み方のわずかな形式が
品々を
優雅にも高貴にもした
そんな微妙な思いを分かり合える人々が
いたから
たった一枚の布に託される多くの心
柔軟な生き方 あいまいの美徳 一途な気持ち
そして ささやかでも足るを知る心
布は恥ずかしさを知る日本人の
潔さを知る日本人の 生き方そのもの
心をこめる
布はその心を包む
しなやかな心は
しなやかな心は
包容力があってどんなものでも包み込める
ひらひら揺れて軽やかに舞える
身を反らして旗にもなれる
敷いてお店が開けるし
大事なものをくるんで 縛ってのがさない
可塑性があって瞬く間に元どおりになる
そして
しなやかな心は しなやかな心と繋がることができる
しなやかな心は しなやかな心を届けることもできる
しなやかな心は もみくちゃになっても泣かない
しなやかな心は 四角くたたんで箪笥の中に大事に仕舞って置くものではない
しなやかな心は 第一 疲れたりしない
しなやかな心は でも すりきれるくたびれる
しなやかな心は…
ねえ なでなでして!
軋 む
生成の痕は鋭く穿たれたままでなければならない
なのに
海はのんきな平面に見える
それが悲しい
傷痕は自分で埋めるしかない
だから海は永遠に悲しいと 旗は思うのだ
旗はぐらあり ぐらありと 軋んでいる
旗が揺れるのではなく
悲しみが軋む
平行四辺形のかたちは悲しみのかたち
九十九里浜が平行四辺形に揺れている
片貝の海はいつも青葉の光
きららめきつつ ララどこまでも明るいのだ
傷痕は破片となって平面を滑り落ちる
平面に閉ざされる顔
それが悲しい
旗は鎌首を持ち上げる
生成の行方を見通そうとするかのように
波よ お前は見たことがあるのか
途方もない虚しさの行方を
生成は繰り返してもあの人は帰らない
旗は平面を捨てた
可笑しな百面相で世間を睥睨し
くしゃくしゃになりながら
自分を嗤う
彼はいつから悲しみを
嗤い描くようになったのだったか
平行四辺形のかたちは悲しみのかたち
夏を過ぎた旗の影は 砂の上にくっきりと
平行四辺形を描きつづける
春と旗
春の夕暮れは足がない手がない薄墨色
あの白い日から 旗は立ち直った覚えがない
春は辛い
きらめけばきらめくほど 辛い
春は胴体をなくした
そのときから首のない胴体だけが寄せてくる
春の音がする九十九里浜で骨を拾う
春の音になだめられた白い骨を
海は千万の平手打ちと黒薔薇の棘
海よ
どのようにおのれを嗤ってみても
このようにしか生きられないのだよ
春は薄墨色の春に行きなずみ
旗は 首だけになって白んでいる
破れ旗 3
はた はた はた はた
夏の過ぎた浜辺で 色褪せた旗は
一人嗤う
まだもう少しやれるような気もするし
もう限界であるような気もする
そう感じると余計に旗は嗤いたくなる
旗は嗤う
歯抜けのようにまぬけに漏れ出た息で嗤う
旗は翻り 裏返る
背負うことなどさらさらなかった
これからも何の役にも立たず
でくのぼうで
立たされる存在から立っている存在へと
突き刺さることを夢み
苛立ちに自らを叩き ちぎれた肉体
空が澄み渡れば渡るほど旗の影が細くなる
ぐるりと一点で回転し傾いたまま
色あせたアルルカンのポーズ
砂の上に刻印された 蝶の黒い影法師
生身から遠く炎天をふわりふわりと
揺れ動く生
はた はた はた はた
旗は嗤い続ける
かしいだまま睨む空
忘れられた案山子の一本足
軸が傾けば傾くほど
旗は嗤う
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/03/31
背景色の色
フォントの変更
- 目に優しいモード
- 標準モード