一
私が野寄の町へ入つたのはもう十月の末近い頃であつた。北の国の冬は思つたよりも早く来て、慌たゞしい北風が一夜のうちに落葉松の梢を黄褐色に染めてしまつたかと思ふと、すぐそのあとから凍えたやうな灰色の雲が海の方から断絶なしに流れて来て、夜となく昼となく、寂しい氷雨がぱらぱらと亜鉛葺きの屋根に降り灑ぐやうな日が幾日となく続いた。収穫のすんだ野面や、なだらかな起伏のつゞいた傾斜地には薫りの高い林檎が紅く熟しきつて、忙しげに餌を漁りながら冬に慴えて啼きしきる群鴉の声も悲しく、雲のきれめから時折姿を現はす国境の連山の頂にはもういつしか真白に雪が降り積つてゐた。
私はその町の大通りの端れにある穢るしい旅人宿の二階で、なすこともなく幾日かの取留めもない日を送つた。二箇月に余る長い旅を続けて来た私は、いつしか疲労のあとにつゞいて起る不思議な心持ちに悩まされて、もうすつかり元気と云ふものを喪つてゐた。これから先どういふ路をとつて旅をつゞけて行かうといふ計画もなく、それかと云つて、また自分から進んで急に懐かしい東京の方へ引返さうといふ気もなく、唯その日その日の徐ろに移つてゆく果敢ない変化を頼りに、路銀の残つてゐる間は何時までもこの衰頽してゆく静かな廃市に逗留してゐたいやうな気になつてゐたのであつた。
事実私にとつては此度の旅ほど法外な、変化の多い旅はなかつた。——青い酒や、赤い酒を並べたカッフェーや、毒を含んだやうに唇の紅い女や、瞳を爛らかす眩ゆい燈火の輝き、すべてさうした若い生命を蝕む濃烈な刺戟に充たされた都会の生活がしみじみ厭はしくなつて、真夏の白けた日射しがまだ甍の上に烈々と燃えさかつてゐる頃、至純な自然の抒情詩を懐かしむ心持ちでふと旅へ出たのではあつたが、常陸の沿岸から磐城境の炭坑地方まで来かゝると、例の気紛れな私の好奇心はいやがうへに増長して来て、福島、仙台、と旅程は次第次第に延びてゆくばかりであつた。鉱山の坑夫を誘拐して歩く山のし
と称する悪漢に欺かれて、龕燈返へしの密室を有する怪しげな淫売窟で四日も五日も逗留を強られたり、樺太へ出稼ぎに行く若い酌婦の一団と道連れになつたり、路銀が尽きて、賭博に耽る鉄道工夫の群や薬売りの親爺などと宿場はづれの木賃宿に夜を明かしたり、種々さまざまな、普通の賢い旅人の見も知らぬ危げな出来事に出逢へば出逢ふほど、私は却つて誘なはれるやうな不思議な興味を覚えて兎角するうちに到頭青森まで来てしまつた。そして真紅に燬け爛れた夕雲が陰鬱な青森湾のうへを北へ北へと流れて行く光景をみると、今度は平生から遥かに憧がれてゐた北海道の未開の自然が俄に慕はしくなつて、まるで理性の麻痺した狂人のやうな気持ちで即夜夜航の連絡船に飛び乗つたが、愈々函館の港外へ近づいて、暗い津軽海峡の怒濤が舷側を打つ轟響を聞きながら、ほのぼのと白んでゆく暁方の空に真白な海鳥が幾羽となく群れ飛んでゐる姿をみた時には、さすがに我ながら涙の滲むやうな悲壮な気にうたれて、船尾の冷たい欄干に身を倚せたまゝ遠い遠い海の彼方の内地の空をみつめながら茫然と立ち尽した。あの荒蓼とした駒ケ嶽の高原から、遙かに噴火湾の紺碧を眺めた時も、人住まぬ未開地のやうな知別の谿谷から雪を戴いた崇厳なマツカリヌプリの山容を振り仰いだ時も、また倶知安の新開町で暗澹とした夜の闇の底に黄いろい灯が幾つとなく寂しげに瞬いてゐるさまを望んだ時も、胸に迫る遣る瀬なき哀愁は覚えながら、私にはまだそれでも自然に対する好奇な旅人の鋭い感覚が残つて居た。遠く『カウカサス』の山地の方へ遁れてゆく彼の『コザック』の若い主人公のやうな美しい憧憬も、情感も残つてゐた。そしてまたこの新らしく開拓された地方の奇怪な熊の話にも、純樸なアイヌのメノコの恋語りにも限りない興趣を誘はれるだけの素地を、私は決して失はなかつたのである。
それがどうしたものか僅か一箇月ばかり経つた後、あの殖民地のやうな美しいアカシアの並樹をもつた札幌の町を離れる頃には、もういつの間にかその新らしい歓喜も、憧憬も悉く跡かたもなく消え失せて自分自身が既に生れおちからの漂泊者でゞもあつたやうな寂しい、頼りない気持ちになつてゐた。旅宿で逢ふ人も、汽車の中で逢ふ人も、親切な人も、冷淡な人ももう唯通り一遍の逢遇で、意味もなく身辺を流過ぎてゆく水のやうに思はれ、自分の身が全く孤独であることを痛いほど明らかに知るにつけ、もう美しい自然の魅力さへ私の心には何等の印銘をも残さないやうになつた。そして、この野寄へ来る途すがら、ほそほそと降りしきる雨に濡れながら、索漠とした石狩川の流れを渡つた夜の、滅入るやうな疲れ果てた気持ちは、到底旅愁といふやうな空疎な言葉で云ひ表はすことの出来ない切なさをもつてゐた。一度は後に見捨てゝ来た都会の華麗な生活に対する思慕の情が、その時、忽然と湧き起つて、暗い河面には珠玉を聯ねたやうな妖艶な燈火の幻影が波紋のやうにありありと蕩めいたが、それとともに私は何とも知れぬ不安さへ覚えて、遣り場のない悲しみが潮のやうに胸の底へ波うつて来るのであつた。……
野寄へ落着いてから幾日目かのことであつた。その日もいつものやうに朝からなすこともなく空しい時を過ごして、人気のない部屋の隅へ火鉢を抱へながらしよんぼり坐つてゐると、いつのまにかもう寂しい黄昏の色が障子のうへゝ一面に匐ひかゝつて来た。
『あゝ、今日ももうこの儘暮れてしまふのか。』と思ふと、私は余りの所在なさに堪へ兼ねて、小窓の硝子戸を細目にあけて、そこから蒼茫と暮れてゆく四辺の光景を眺めた。
黄褐色に霜枯れた石狩の原野は際涯もなく小雨に煙つて、みるもの総て生気を失つた冷たい黄昏の底に、ひろびろと溢れた湖のやうな石狩川の河面がほの白く浮き出してみえた。枯葦のそよぐ蕭条とした岸辺には灰色に建ち腐れた製紙工場や、洪水のために半ば倒壊しかゝつた倉庫なぞが今にも河底へ滑り落ちさうに平たく建ち続いて、湿つぽい風が声もなくそのうへに吹き満ちてゐた。眼を移して町の方を顧みると其処にも灰色の衰頽が力なくたち澱んで、軒並の店看板にも、家々の外壁にも、又は路傍の石崖の断面にも、すべての繁栄を呪ふ『時』の浸蝕が怖ろしいまで鮮かに浮きあがつてゐたが、中にも、旅宿のすぐ下を流れてゐる大きな溝渠が、開拓者といふ純潔な理想家の手によつて人工的に井然と掘鑿されたにも拘らず、最早いつしか死相を帯びた蒼黒い水垢に閉ざされて、痩せ細つた水草が底の方から湧きあがつて来る沼気に誘はれながらぬらぬらと蛆のやうに蠢いてゐる有様は、この町の悲惨な推移を最も鋭く暗示してゐるのであつた。
私は身も心も、そのもの悲しい色彩のなかへ引込まれてゆくやうな気持ちで、何時までも、何時までも、遠くたちかさなつた町の家並のうへゝ眼をさまよはせてゐた。と、深い溝渠の底からも、家々の蔭からもまたは、往きゝの途絶えた狭い街路の面からも、いつかしら濃い夜の闇が次第次第に湧きあがつて、その底には、寒気に慴えたやうな灯の光がぼんやり雨に滲みながら遠く近く瞬きはじめた。私は、その黄昏の死色が頭から足の爪先まで沁み徹つてゆくやうな寂しさに犇々と取囲まれながら身動きもせず茫然としてゐたが、そのうちに、果てしもない空虚のなかへ唯ひとりとり残されたやうな心細さが容赦もなくじりじりと心の底に喰入つて来て、しまひには到頭座にゐたたまれない程気が滅入つて来た。で何と云ふつもりもなく立上つて、その儘冷たい糠雨の降り罩めてゐる戸外へぶらりと飛び出してしまつた。
大通りへ出ると、町の人々はもう越年の準備で忙はしかつた。納屋から橇を曳出してきて丸釘をしめなほしたり、冬籠りの間の食用に供する野菜物を囲つたりするので、疲れきつたやうな顔容をしながら静かに立働いてゐた。
案内さへ知らぬ暗い巷路を、寒い風に追はれながら右へ左へさまよひ歩いてゐるうちに、私はふと思ひもかけぬ色街らしい一廓の街へ出た。硝子窓のある西洋風の板羽目を用ゐた廃滅しかゝつたやうな建物ばかり建並んではゐたが、それでも河の漁期で、人が入込んでゐるだけに何処となく景気づいて、賑やかな三味線の音や、艶めいた女の笑ひ声はそこにも濃い酒と、安価な媚びを売る女のあることを思ひ起させた。と、私の心はもう久しい間さういふものに飢ゑてゐたやうに激しく躍つてきて、火の方へ引寄せられてゆく夏虫のやうに前後の弁へもなくふらふらとそのなかでも一番見附きのいゝ酔月亭と云ふ料理店の表階子を登つてしまつた。そして明るい洋燈の下に鮭の刺身や、胎子の酢あへといつたやうな土地の季節に応じた種々の肴と、熱い湯気のたつ酒が置きならべられた時には、云ひ知れぬ嬉しさが喉元まで込みあげて来て、貪るやうな手つきで頻りに盃の数を重ねた。
遮るものもない興趣が静かに胸に溢れてくる頃私は勧められるまゝに内藝者の美登利といふ妓を招んだ。小樽生れの頬の紅い、気の軽さうな女だつた。年は十八だと云つてゐたが、その割りには老けてみえる方で、別に取立てゝいふほど美しくもなければ醜くもなかつた。私はかうした寂しい晩にふさはしい情調の満足を求める外に、この女をどうしようといふ好奇心もなかつたので、旅宿の廊下で行逢つた人のやうな拘はりのない態度であつさり遇らつてゐたが、そのうちに漸次とまはつて来る酒の酔ひと一緒に河の漁猟の話なぞも思はずはづんで、互に少しづゝ隔てがとれて来た頃、彼女は急に思ひ出したやうに浮々した調子をかへて、
「ねえ、貴方、少しお願ひがあるんですけど聞いて下すつて。」と、云つて、顔色をよむやうな眼眸をしながら私をみつめた。
「何だい、遊んでゐる姐さんでも招んで呉れつて云ふのかい?」と、私もつい引込まれて真顔になつて訊いた。
「いゝえ、そんなことぢやありません。」暫らくの間躊躇するやうな気振をみせてゐたが、やがて思ひきつたやうに、
「あの、誠に申兼ねますけど、これから芝居見に連れてつて下さいな。」
「なに、芝居? 此辺のことだから又圓車の浪花節だらう、俺は誰方のお願ひでもあいつばつかしは真平だね。」
「いゝえ、今度のはさうぢやないんですよ。」と、美登利は真気になつて打消しながら、
「今度は中村一座つていふ旧芝居がかゝつてゐるんです。昨夜内の姐さんと一緒に見にいつたんですけど、そりや実によく演りますよ。もう二人してさんざ泣かされちやつて、筋もなにもよく覚えて来なかつた位なんですもの。」
私はさう云はれて初めて思ひ出した。この二三日前から毎日午後になると慵い廻はし太鼓の音が雨に紛れながら町から町へ、どろんどろんと静かに響いてゆくのであつた。平生から旅役者とか、旅藝人とかいふやうな憐れな漂泊者に対して特殊の興味を懐いてゐた私は、旧芝居、中村一座といふ言葉を耳にすると、急に誘はれるやうな懐かしさを覚えて、その儘直ぐに行つてみる気になつた。で、立ちぎはに、「その一座に誰かお前の惚れた役者でもゐると面白いんだがな。」と、心に思つた儘を揶揄ふやうに云ふと、美登利は、
「ゐないこともないわ。」と、云つて蓮葉に笑ひながらいそいそ身支度をしはじめたが、その眼には包みきれぬ嬉しさが輝いてゐた。そして姐さんも見度がつてゐるからといふので、その店の若い女将も取巻きに加はることになつた。
二
野寄座といふ芝居小屋は、その廓を出端れた処にあつた。湿つぽい沼気のひそひそと匐ひあがつてくる暗い溝渠を渡ると、僅かばかりの広場があつて、風雨に吹曝らされたバラックのやうな見すぼらしい小屋の表がゝりがすぐその向ふに立ち現はれて来た。白堊塗りの板壁はところどころ創痕のやうに剥げ落ちて、傾きかゝつた破風の下には役者の藝名のしるした絵看板と小さな紅提灯が薄寒さうに懸けつらねられ、色の褪めた幟がその薄闇のなかで雨に濡れながらはたはたと重々しく鳴つてゐた。そして、大人十二銭、小人六銭と拙い勘亭流で書きあらはした黄いろい懸行燈の影から客を呼ぶ木戸番の声さへ何となくひつそりとしてもの寂しかつた。私は女将のあとについて木戸を潜つた。
「へえ、お三人さあ。」と、下足の老爺が勢よく札を打合はせると、炉傍で股火をしながら居睡りしてゐた表方の男は吃驚したやうに眼を覚まして、きよろきよろ四辺を眴はしたが、すぐ後に女将と美登利が立つてゐるのをみると、急に間のぬけた愛想笑ひを浮べて丁寧に挨拶をした。そしてアセチリン瓦斯の匂ひの漂つた階段を上つて、私達を二階桟敷へ案内した。
小屋のなかは表がゝりの割りに広かつた。それでも、たかだか四百の入りが関の山であらう。じめじめするやうな垢染みた畳を敷きつめた土間には、隅の方に小さな花道がついてゐるきりで、桝もなければ、鶉もなかつた。低い天井には、真黒に煤けた広告絵のやうなものが幾枚となく貼り連ねてあつて、そのうへには雨漏りの痕がぼやけたやうな雲形を一面に描いてゐた。舞台寄りに、僅か四つのアセチリン燈が点つてゐるきりなので、場内の隅々にはいぢけたやうな薄闇が漂よつて、饐ゑ腐ちてゆく果敢ない廃滅の香がそのなかにじつとたち澱んでゐるやうに思はれ、殊にその晩は入りが漸う四分ぐらゐの景気だつたので、がらんとした寂しさはまたひとしほだつた。
その晩の出しものは『中将姫』に『野晒悟助』だつた。もう一番目は既に終つて、丁度中入りの幕間であつたが、私達が座につくとやがて色の褪めた継ぎはぎだらけの引幕を掲げて、直垂のやうな浅黄の着附けの上へ穢い紋付の羽織をひつかけた一人の役者が今鬘をとつたばかりといふやうな顔容をしながらぬつと出て来た。
「東西、東西」と彼は声高に云ひながら舞台の端へ平蜘蛛のやうに平伏して、新潟訛のある鼻声でながながと口上を述べはじめた。
「演藝半には御座りますれど、一寸御免な蒙りまして明晩の外題を御披露致します。またしても扮装を致した儘でこれへ出まして、さぞかしお見苦しうは御座いませうが、今晩も最早時間が迫つて居りますので、お湯に入つてゐる暇がありません。……ええ、御当所開演中は御贔屓をもちまして毎夜々々賑々しく御賢覧下され、楽屋一同大喜びで御座います。さて、又候明晩取り仕組んで御一覧に供しまする狂言の儀は、一番目狂言と致しまして『苅萱道心筑紫苞』二番目『野狐三次』都合あはせて八幕、幕あひなしの大勉強をもつて御覧に入れまする間、何卒明晩もお誘ひあはされまして御来場のほど偏に願ひ上げ奉ります。……扨て茲もと取り仕組んで御一覧に供しまするは、お馴染の『野晒悟助』、先づは愈々、住吉社内の場より始めますれば、幕が開きましたら隅から隅まで御神妙に御賢覧下さる可し。先づはそのため口上東西。」
縁日商人のやうな切り口上で述べたてながら、態と首を左右に振りうごかして、白粉を塗つた美しくもない顔を観客の前へ見て呉れがしにひけらかす容子が虫唾のはしるほど嫌味だつた。東京の華やかな劇場の空気に馴らされた私は、擽られるやうな可笑しさを耐へながら、
「おい、美登利、お前の惚れてゐるのはあの役者だらう。」と、揶揄ふと、さすがに彼女も噴出して、
「厭だわ、あんな厭味な奴ツ。」と、云ひ放つて私の膝を軽くうつた。
「何を云つてるのさ。お前さんにや丁度いゝ似合ひ聟ぢやないか。」と、女将も相槌を打つて面白さうに笑つた。
幕が開いた。住吉神社の松原はまるで櫟林のやうに暗かつた。海の遠見には唯浅黄の幕を垂らしたゞけで、役者の頭の閊へさうな低い鳥居の両袖には玉垣もなければ、鋪石もなかつた。そして妙な処に藪畳があつたり、石塔があつたり、有り合はせの道具を種々にはぎあはせたものと見えて、場面には辻褄の合はぬ処が多かつた。それに舞台へ出て来る提婆組の悪侍どもや町娘の小田井までが兎もすると役々の気をぬいて、女将や美登利の方へ厭な眼遣ひをする容子が可笑しくて、私はしみじみ芝居をみる気にもなれず、丁度その時酔月亭から婢が運んで来てくれた酒肴を開きながら、手酌でちびりちびり酒ばかり飲んでゐた。
そのうちに、ふとした機会で私の眼は思はず土器売の娘に扮した若い役者の方へ惹かれていつた。年はまだ十八九であらう、細そりした眼の大きい、何処か憂ひを含んだやうな美しい顔容で、細く慄へる柔やかな声までそつくり女だつた。私は軽い驚きに打たれて、美登利の肩をそつと突きながら、
「ありや何んて云ふ役者だい。莫迦に綺麗ぢやないか。」と、小声で訊くと、彼女は振顧へりもせず、
「田之助つて云ふんです。」と、うはの空で答へて釘づけにされたやうに一心にその役者の横顔を凝視めてゐた。
私の心はその美しい田之助の顔からいつの間にか自然と演技のなかへ吸ひ込まれて行つた。と、土器売の詫助に扮した扇昇といふ役者の藝がその時になつて初めて眼について来た。娘に対する濃やかな情愛や、場当りの軽い諧謔のうちに、旅藝人にはまるで予期してゐなかつたやうな老熟さが現れてゐるのをみると、私の心からは今までの不愉快な矛盾が悉く消え去つて、熟しきつたやうな興味が漸次と湧きあがつて来た。そして幕が下りてから後、女将に、「東京の芝居で、千両役者ばかり見つけて被居つた眼にや、さぞ可笑しう御座いませうねえ。」と、云はれた時には真実私はもう笑へなくなつてしまつた。
「いや、どうして中々うまいよ。」と、私は自ら確かめるやうに強い声で云つて、
「扇昇と云ふ役者なんざ東京へ出したつて決して恥しかないね。」
「まあ、可成りにや演りますけど、なにしろ田舎のことですから……。」
「それに、今娘になつた女形なんざ男にや惜しい位の容貌ぢやないか。」
「え、全くですね。私もあんな可愛いゝ役者は久し振りで見ますよ。ねえ、美登利さん。お座敷へ招んだらさぞだらうね。」と、若い女将は生娘の昔に帰つたやうな浮々した声で笑ひながら美登利の袖を強くひいた。美登利は意味の分らぬ薄笑ひを浮べながら眼で答へて、思ひ出したやうに、
「はい、お酌。」と、冷たい酒を私の盃へ注いだが、暫らくするとまた何時の間にか舞台の方へ顔を振り向けて、風を孕んでふはりと膨れあがつてゐる幕の面をうつとり凝視めてゐた。
幕数が進むにつれて私は益々深く此の憐れな一座の演ずる不具な技藝に引込まれていつた。一座の役者達の境遇が、孰れも一種の永遠の旅人であることが、私の心に強い強い懐かしみを喚び起して、彼等の過去の生涯に対する空想や、萍のやうな現在の生活に対するさまざまの情感が漸次と細かく縺れてゆくうちに、到頭或不思議な感激が私の胸一杯に漲つて来た。私は突如我を忘れたやうに財布の中から三円ばかりの紙幣を取り出して、それをそつと女将の、手へ握らせながら、「お前の家の名にして、これで纏頭をつけておやり。」と、小声で囁いた。
「まあ。」と、女将はさも吃驚したやうに私の顔をじろじろ眺めてゐたが、やがて、
「こんなに沢山お遣りなさらなくても宜しう御座んすよ。此辺ぢや五十銭が定例なんですから。」
「まあいゝから、それだけ通してお呉れ。」と云つて私はその儘顔を背けてしまつた。女将はそのうへ抗ひも出来ず、笑ひながら立ち上つて廊下の方へ出て行つた。するとやがてさつきの表方の男が揚幕のところからそつと花道へ出て来て、私達の坐つてゐる桟敷の横板へ背のびをしながら、金三十円、中村一座へ、酔月亭御客様と筆太に書いた畳一枚ぐらゐな大きさのビラを貼りつけた。多数の観客は一斉に舞台から眼を移して私達の方を不思議さうに眺めた。しまひには、仁三と刃を合はせてゐる悟助までが時々そつとそのビラの面へ流眸をはしらせた。
幕がおりると間もなく後の板戸がすうつと開いて、そこから二人の老爺が顔を出した。とみると、一人は舞台顔とさして変らぬ扇昇で、もう一人は一座の紋のついた印半纏を着た座頭だつた。
「どうも只今は有難う御座いました。」と、二人はその儘冷たい板敷のうへゝ手をついて、卑下した言葉で纏頭の礼を述べた。
「いや、どうも僅かなことで。まあ此方へ入つて一杯お上り。」と、私は妙に嬉しくなつて盃をさしたが、座頭は舞台の都合でゆつくりしてゐられぬと云つて、幾度か礼を繰返しながら帰つて行つた。扇昇の方だけが、私達と一緒にあとまで桟敷に残つた。
彼はもう五十の坂を余程越してゐるのであらう。世路の艱難が刻みつけた深い皺は額にも頬にも幾条となく暗く陰影を描いて、何処となく生に疲れたやうな弱々しい表情が動いてゐたが、それでも軽く微笑む度に、その円らな剽軽な眼と、色の褪めた唇の辺には、悪気のない心をその儘証拠だてるやうな何とも云へぬ懐かしみが濃く浮きあがつて来た。そして洗ひ晒しの盲縞の布子に、縁の摺り切れた角帯をしめて、少し前屈みに坐つてゐる彼の姿をみると、私は胸をそゝられるやうな感激にうたれて、頻りに彼に盃をさした。
「いや、どうも有難う御座います。手前は至つてこの御酒の方は好物でな。」と、彼はさも嬉しさうに唇をひきゆがめながら、残り少になつた酒を惜しむやうに味はつてゐたが、やがて私の顔をしげしげうち眺めて、
「失礼な事を伺ふやうで御座んすが、貴方様は此方のお方で?」と、怪しむやうに訊いた。
「いや私は東京からやつて来たものさ。」
「さうで御座いませうな。どうもお見懸け申すところ彼地の方としきや思はれませんもの。」と、彼は大きく合点いて、又盃を唇へもつていきながら、人懐い調子で、
「かう申すとお恥かしう御座いますが、実は私も生れは東京で御座んしてな。……」
「東京? へえ、そりや懐かしいねえ。」思ひもかけぬその言葉にひどく驚かされて、私は思はず声を高めながら云ひ放つたが、丁度その時は野晒の後日譚めいた次の幕の愁嘆場があいてゐたので、しんとした土間からは白い顔が幾つとなく私の方を見上げた。連れの女達も涙ぐむだ顔をそつと振向けて薄く笑つたが、私はそんなことは気にもかけず熱心に、「さうしてもう久しく旅へ出てゐるのかね。」「へえ、もう何で御座います。彼此二十年にもなりますよ。」と、扇昇は寂しく笑ひながら嗄れた声で徐かに答へた。
「東京は何処だね?」
「生れは浅草で御座いますけど、彼地でも矢張り子供の時分からこの稼業をして居りましたもんですから……。」
「ほう、何処へ勤めてゐたね?」と、私は益々興味を惹かれて、貪るやうに彼の顔を見詰めながら訊いた。
「今は何うなつて居りますか、もう長いことかうして他処の土地へ出て居りますんで薩張り分りませんが、その時分にや吾妻座といふのが御座んしてな。その座へあれでも五年越し欠かさず出て居りましたよ。」と、彼は深く息をついて、
「自体、私はもと橘屋でしてな。三八さんや、橘藏さんなぞとは随分久しいこと交際つて居りましたが……。」
と、何か長い話しでもしさうにしたが、その時、板戸の隙間から労働者のやうな顔容をした一人の下廻りが首をだして、小声で扇昇の耳へ何事か囁いた。と、彼は急に浮かぬ顔になつて思ひ切り悪さうにもぢもぢしてゐたが、やがて舞台でもするやうにとんと畳のうへへ片手をついて、
「では、楽屋の方が忙しいさうで御座いますから、私はこれで失礼を致します。どうもつい長座を致して。」と、云つて徐に立上つた。私は何だか一旦貰つたものを奪ひ返されるやうな離れ難い気がして、幾度か止めてはみたが、使に立つた下廻りがせきたてるので詮方なく別れの言葉を述べた。
「暇があつたら私の宿へ遊びにおいで。毎日寂しくつて困つてゐるんだから。」と私が感情の籠つた声で云ふと、彼は板戸の外へ出ながら名残惜しさうに振顧つて、
「有難う御座います。是非彼地のお話を伺ひにあがります。貴方様もお暇で御座いましたら、穢い処で御座んすけど、楽屋へもお入りなすつて下さいまし。では姐さん方、どうも種々御馳走様になりました。」と、低く頭をさげて、その儘楽屋の方へ帰つて行つた。
私は、その肩寒げな寂しい後姿をみると急に胸が込みあげて来て、板戸の閉ざされたあとまでもじつとそつちを凝視めてゐた。二十年も昔に都会を逐はれた憐れな藝人の成れの果。その長い長い漂泊の生涯。それを思ふと、酒の酔ひに彩どられた私の心には惨ましい同情の念が息塞まるやうに波うつて来て、冷やかな事実の裏に鉛の如く膠着してゐる暗い人生の姿がまざまざと見透かされるやうな突詰めた気持ちがして来た。
打出しの太鼓が鳴ると私は連れの女達にせきたてられて漸う立上つた。漸次と客の減つてゆく薄暗い土間には、すぐそのあとから陰影のやうな寂蓼が匍ひ寄つて来て、幕の裏で道具をかたづける物音だけが冷たく響き渡つた。狭い階段もうはの空で下りて木戸へ出ると、表方の溜りの薄闇がりには座頭と太夫元が待受けてゐて、「又明晩もおいでを」と、いひながら賑やかに私達を送り出した。その声が私の胸には住み馴れた世界から逐ひたてられるやうに惨たらしく響いた。
芝居を出ると、冷たい風の吹きしきつてゐる広場の角の処に迎ひの婢が酔月とかいた提灯をみせて待つてゐた。私はたつてと云つて勧められるのを断つて、その儘女たちと別れて、唯ひとり寝静まつた真暗な街路をとぼとぼと旅宿の方へ帰つて行つた。そして横しぶきに吹きつける冷たい雨の脚に追はれながら憐れな扇昇や田之助のうへを夢のやうに思ひ続けた。
三
その翌晩も私は魂を引寄せられるやうな気持ちで、降りしきる霙のなかを野寄座へ行つた。
例の小橋の上まで来懸ると、その晩はどうしたものか、軒へかけた懸行燈も、紅提灯もすつかり消えて四辺はまるで空家のやうにしんと静まり返つてゐた。近寄つてみると、木戸の格子戸も堅く閉ざされて、裸の幟棹だけが四本も五本も闇のなかへぬつと突立つてゐるばかりであつた。私はその様をみると胸を押縮められるやうな失望を覚えて、暫らくの間その儘ぼんやり座のまへゝ立ち竦んで真暗な表がかりをうち眺めてゐた。漂泊常ならぬ旅藝人の事ゆゑ、入りが思はしくないのに見切りをつけて、急にまた先の興行地へ移つて行つたのではあるまいかと思ふと、しまひには淡い悲しみさへ犇々と湧き起つて、そのまゝ宿へ帰る気にもなれず、足は自ら酔月亭の方へ向いたが、小半町も来た頃、私はふと楽屋へ来いと云つた扇昇の言葉を思ひ出して、若しやと思ふ気に先立たれながらまた急に後戻りをした。
真暗な座の周囲を幾度か行きつ戻りつした末、私はやつと楽屋口へ通ふ狭い路次を探し当てた。恐る恐るそこから木戸をあけて中へ入つてゆくと、丁度舞台裏と思ふ辺りに荒れはてた小庭のやうな十坪ばかりの空地があつて、張りものゝ壊れたのや、空俵や、薪などが堆く積んであつた。楽屋の小窓からは黄ろい灯の光りがぼんやり末広がりに雨のなかへ滲みだして、呟くやうな人の話声がひそひそと洩れて来た。私はその下へ歩み寄つて案内を乞うたが、降る雨の音に紛れて私の声は容易になかへ通じなかつた。幾度か試みてゐるうちにやつとすぐ上の硝子戸が開いて、そこから印半纏を着た道具方らしい若い男がぬつと顔を出して、迂散臭さうに私の顔をみつめながら、
「何だな。」と、突慳貪に訊ねた。
私は態と言葉を卑くして扇昇に逢ひに来たことを告げた。そして案内を頼むとその男は煩ささうにぶつぶつ口小言を云ひながらそのまゝ顔を引込めたが、それと同時に楽屋のなかでは、
「誰れだ。誰れだ。」と、三四人の声が聞えていろんな顔がかはるがはる窓口ヘ現はれた。私は態と傘で顔を隠した。
少時するとあらぬ方でがらりと板戸を開ける音がして、さつと流れた燈の光のなかに半身外へ出した扇昇の姿がみえた。
「誰ですい?」と、彼は眉を顰めながら私の方をみてゐたが、私だといふことが分ると急に声の調子をかへて、
「おや、貴方様でしたか。こりやどうも失礼を。さあ、どうぞ穢いとこで御座んすけどお入んなすつて下さいまし。」と、いそいそ戸を開け拡げた。
私は俄に溢れて来る懐かしさを抑へて、
「実は今夜も見に来たんだけど……」と暗い足許を探りながら其方へ歩み寄ると、彼は額に人の好さゝうな太い皺をみせて、
「そりやお気の毒さまで。何分入りがありませんので到頭休んでしまひましたが、まあずつとお上んなすつて下さいまし。おい、野郎共。そのお通り路を少しあけてくんな。」と、彼は忙しさうに先へ立つて私を案内した。入口の土間の隣りは道具方や、下廻り達の溜りになつてゐると見えて、賎しい顔容をした男の顔が薄暗い洋燈の光のなかに幾つも並んでゐた。私は怪訝な眼眸をして見返る彼等の間を通りぬけて、冷たい板敷の上へ出たが、わたり七間にも足りない狭い舞台はすつかり道具がかたづけてしまつてあるのでがらんとしてもの寂しく、楽屋の方から流れてくる靄のやうな薄い光が簀の子の上までぼんやり匍ひあがつて、人気のない観客席の暗闇からは湿つぽい匂ひのする風がすうつと包むやうに冷たく吹いて来た。私は導かれるまゝに、扇昇の後についてぎしぎし軋む階子段を上つた。
二階の楽屋は二十五六畳も敷かる細長い大部屋だつた。天井には煤けた梁が肋骨のやうに現はれて、乗込みの時に使ふ各自の藝名を記した絵ビラを結んだ造花の桜が一列に挿つらねてあつた。反古で張つた板壁の際には衣裳の入つてゐるらしい三升や桔梗の紋どころの剥げかゝつた古葛籠が幾つも積み重ねてあつて、その側の棚にはいろいろな男や女の鬘が曝首のやうに置き並べてあつた。そしてまた三つの窓際にはそれぞれ小棚が釣つてあつて、そのうへには白粉入の竹筒や、水銀の斑らに剥げ落ちた凸凹な鏡や、その他の、細々した化粧道具が乱雑に取散らかしてあつた。二箇所に釣るした、暗い釣洋燈の光は、それ等総ての惨ましい物象のうへに深い、深い悲しみの陰影を隈取つてゐた。
部屋の真中に据えた大火鉢の周囲には、田之助や昨夜口上を云つた幸吉をはじめ一座の役者が八九人円座になつて茶話をしてゐたが、私が入つてゆくのをみるとぴたりと話をやめて、急に座を開いた。孰れも好奇心に充ちた眼眸で私の顔を偸み視ながら黙つて挨拶をした。
扇昇は座に就くと大薬缶から濃い番茶を湯呑みに注いで薦めながら改まつて昨夜の礼を云つた。そして長い煙管で煙を吐きながら、
「寒いのによくお出懸でしたなあ。」と云つて嬉しさうに笑つた。
私は口を開かうにも何しろ見知らぬ男ばかりの中なので妙にとり附き場がなくて困つた。それに役者らしくない二三の男の容子をみると博徒の宿へでも連れて来られたやうな淡い恐れさへ手伝つて、猶更舌の力を奪はれてしまつた。
扇昇は頻りに取做す気で、
「だが妙な御縁で、珍らしいお方にお眼にかゝれたもんですよ。私はもう、東京のお方と伺ふと真からお懐かしう御座んしてな。」と、しみじみ懐かしさうに眼を細めながら云つて、「此地には大分長く御逗留で?」
「いゝえ、まだ一週間ばかりですよ。」
「何か御商用でゞも?」
「なあに、唯ぶらぶら見物旁々旅をしてゐるんでさあ」
「そりや何より結構で御座いますなあ。」と、扇昇はつとめて一座の話を促すやうに四辺を見返りながら笑つたが、併しその甲斐もなく却つて重苦しい沈黙が火鉢の周囲にたち帰つてきた。それとゝもに、私の心からはいつかしら初めて小屋へ入つて来た時の疼くやうな歓びが漸次と消え失せて、緊張してゐた情趣はみるみる厭はしい破綻を示してきた。そして楽屋の隅々まで遍満してゐる詩のやうな美しい廃滅の匂が、今にも醜いものゝ為めに裏切られてしまひさうな恐れが胸一杯に込みあげて来て、しまひには到頭我慢がしきれなくなつた。で、私は思ひ切つて扇昇を隅の方へ呼んで、何処か気のおけない家へ行つて一杯飲みながら面白い昔話でも聞かうと云ひ出すと、彼は急に相好を崩して、「有難う御座いますが、それぢや余りお気の毒ですから……」と、心にはない遠慮をした。
「いゝさ。暇なら是非一緒につきあつておくれ。」
「さうで御座んすか。ぢやまあお言葉に甘えまして。」と、云つて暫らくの間、何か思惑ありげにもぢもぢしてゐたが、やがて云ひ難さうに、
「実は誠に申兼ねますが少片お願があるんで。」と、口のなかで呟きながら一座の方を顧みて、田之助をそつと眼で招んだ。
田之助は怪訝な顔容をしながら立つて来た。と、扇昇は笑ひながらその耳へ口を寄せて、まるで我子にでも対するやうな優しい声で、
「今旦那がな、何処かへ連れてつて一杯飲ましてやると仰有るから、お前もお願ひ申して一緒にお伴をさせて戴きなよ。」
それを聞くと田之助は女のやうな柔かい頬に包みきれぬ嬉しさを波たゝせながら黙つて頭をさげた。固よりその願ひを待つ迄もなく、此方から頼んで無理にも来て貰ひ度いくらゐだつたので、私は幾度か大きく合点いて、その儘階段を下りた。そして薄暗い張物の陰に立つて待つてゐると、二階では二人が皆に何か云はれてゐる声が聞えてきた。
「おい、田之公。お前は何処へ行くんだい?」と、頓狂な声がしたが、それに答へる田之助の返事は聞きとれなかつた。と、今度は幸吉の意地張つた声が嫉ましさうに、「旨え穴に喰らひ付あがつたなあ。一体ありや何者でえ。……ふん、銭のある奴にや兎角莫迦が多いや。」
「失礼なことを云ふもんぢやねえ。東京の方はみんな太ツ腹だ。手前みたやうに根性がぎすぎすしちやゐねえんだ。」と、扇昇の太い声が聞えた。私は聞くに耐へないやうな不愉快な気になつて、そつと足音のしないやうに舞台から楽屋口の方へぬけ出した。と、やがて扇昇は鯉口のやうな厚いアツシを引被けて、その後から田之助が銘仙か何かの座敷着に着換へて、帯を結びながらいそいそ下りて来た。
「どうもお待ち遠様でした。」と、扇昇は笑ひながら戸を開けて、暗い路次を先へ立つた。戸外へ出ると、私は今迄の不快な気分がさらりと消え失せて、再び新しく熟しきつたやうな情調になつた。遠い北の国の果てゞ、見も知らぬ旅藝人と夜の霙に濡れながら、燈の疎らな寂しい街を歩いてゐるのが、何か深い因縁ごとのやうにも思はれ、懐かしい東京の空を思ひ起しながらも私の胸には口をきくさへ惜しいやうな嬉しさが一杯に漲つてきた。
「あの幸吉つてのは一座に長くゐる男なのかい?」と、私は長い沈黙の後に、ふと思ひ出してつかぬことを訊いた。
「なあに、渡り者でさあ。」と、扇昇は吐き出すやうに云ひ放つたが、そのあとに続いて田之助は、
「性が悪くてほんとに困るんです。」と、女のやうな約ましやかな声で添け加へた。
ふと気づくと、私達はもういつの間にか酔月亭の前まで来かゝつてゐた。今夜は珍らしく客がないと見えて、明るい二階座敷もひつそりとしてゐる。私が先にたつてつツと店口ヘ上ると、帳場に坐つて子供をあやしてゐた女将は吃驚したやうに飛んで出て来て、口早に昨夜の礼を云ひながら、
「おや、まあ、今夜は面白いお連れさんですね。」と、云つて蓮葉な声を出して笑つた。
「驚いたらう。もうすつかり口説き落して、いゝ仲になつちやつたんだよ。」と、私もつい引込まれて笑談を云ふと、後では扇昇が声をあげて笑つた。そして彼は卑下した言葉で田之助を女将に紹介はせながら、
「どうぞこれから御贔屓に願ひます。」と、叮嚀に頭をさげた。
私達はすぐ奥まつた二階座敷へ案内された。そして一つの餉台を三方から囲んでゆつくり坐つた。見つくろつた肴も通つて、熱い酒が各自の盃に注がれると、扇昇と私との話は期せずして東京の芝居談に落ちて行つた。扇昇は貪るやうな調子で、諸方の座の運命や、役者達の浮沈を細々と聞糺したが、併し二人の間には余りに長い歳月の逕庭があつた為め、同じ事実を話し合つてゐながら互に意味の通じないやうな事が多かつた。殊に私の語る現在の役者の名や、狂言の名は彼にとつて最も解し難いものゝ一つで、それが話題に上る度に、彼は幾度か「先代」といふ言葉を繰返さなければならなかつた。
そのうちに、彼はまだ若かつた時代の思ひ出の方へ漸次と話しを移して行つた。その頃繁栄を極めてゐた芝居町の光景や、当り狂言の荒筋や、今はもう殆んど世人の記憶から拭ひ去られたやうな多くの名優の逸話などがそれからそれへ絶え間なく続いた。私は過ぎ去つた世界の美しい絵巻を繰展げてゆくやうな面白さに引入れられてうつとり耳を傾けたが、そのうちに深い皺の刻まれた扇昇の頬には酒の酔ひとゝもに異様な若々しさが自然と輝いて来て、身振手ぶりをする度にじつと私の顔を瞻める彼の瞳の底には限りない歓びが燃え上つて来た。そして戒を破つた僧の怨念で生きながら手足を地獄の毒気に蝕まれた昔の田之助の上へ話が及ぶと、その妖艶な「時代」の亡霊が巧みに彼の唇から織り出されて、私は全く彼の話上手に魅せられてしまつた。
その時、ひそやかな足音がするすると廊下の面を滑つて来た。と、みると、二人の役者達にはみえない障子の蔭に美登利の白い顔がふうはり浮び出て、暫らくの間そこから私の顔をじつと瞻めてゐたが、何と思つたかにつと艶やかに笑つて、軽く体を揉みながら両手を犇と組み合はせて私を拝んだ。私は物語の腰を折る心許なさに、たゞ黙つてその容子を見てゐたが、到頭我慢しきれなくなつて噴笑しながら、
「何をしてゐるんだな。入つたらいゝぢやないか。」と、呼んだ。
その声に応じて彼女はやつと明るい座敷のなかへ入つて来たが、いつもより厚く化粧したその頬には上気したやうな血の色がぼうつと燃えてゐた。彼女は私の傍へきて座をしめると、妙に取澄ました顔容をして、
「ほんとに酷いわねえ。」と、意味の分らぬことを云ひながら突然有り合ふ銚子を取り上げたが、その手は可笑しいほどぶるぶる慄へてゐた。私はそれをみると可憐な女の心持がすつかり読めて、再び擽られるやうな気持ちになりながら、
「おい、美登利。お前の御贔屓はこの田之助さんだつたつけね。」と、空恍けて正面から揶揄ふと、彼女は俄にさつと耳の附根から真紅になつて、
「知りませんよ、そんなこと。」と、云つて、私の膝をちかツと抓りあげた。
美登利のために話の継穂を奪はれてぼんやりしてゐた扇昇は、その容子をみると直ぐに気の好い笑ひを洩らして、
「いやはや、この田之さんにも困りもんで御座いますよ。方々で悪い罪を作りましてな。はゝゝゝゝゝ。今にあの手足へもきつと怨霊が憑きませうよ。」さう云ふ声はまるで祖父が孫自慢をしてゐるやうだつた。そして笑談らしく真顔になりながら、「ですが、全く情事は若いうちの事ですな。男盛りも二度とないつてことを云ひますが、全く白髪が生えちや意気地がありませんや。」
「だけど、二十年もさうして旅をしてゐる間にや、随分面白いこともあつたらうねえ。」と、私は又話頭を扇昇の方へ移しながらしんみりした調子で云つた。
「そりやないぢや御座んせんけど、今から考へてみりや皆夢でさあ。はゝゝゝゝ。」と、深く息をひくやうに笑つたが、やがて又徐かな調子になつて「私はいつも此奴に云つて聞かせるんですが、修業盛りにやまつたく女は絶ちものでさあ。私どものやうな細い稼業をしてゐるものは、ちよいとした一時の迷ひで出世の梯子を跨ぎそこなつたら、もう一生涯浮ばれやしませんからなあ。」
「さうだらうともさ。併し田之助さんのやうに余り綺麗すぎると、ついこんなのが引懸るんだねえ。はゝゝゝ。」
と、私は、時々田之助の方へ燃えるやうな流眸を送りながらうつとりしてゐる美登利の肩を叩きながら笑談のやうに云つて、「お前も惚れるんなら先の修業の邪魔にならないやうにするがいゝぜ。」と、高く笑つた。
酒の弱い彼女はもう度胸が出来たと見えて間の悪い顔もしずに、浮々した声で、
「大丈夫ですよ。私の方でいくら惚れたつて、先様で相手にして下さらないから。」
それを聞くと、扇昇は急に気が変つたやうに噪ぎ出して、「ふゝ、味を仰有るぜ」と、頓狂な声で叫びながら、舞台でする『茶屋場』の伴内のやうに平手で頤をついと上へ押しあげて、態と猿のやうな滑稽けた顔容をしながら、
「私がもう十年若いてえと、お相手になつて鞘当の一幕も演じるんだが、惜しいことにや年を老りましたよ。はゝゝゝゝ。だが、今だつてなあに相手次第に依つちやまだまだ、昔からこの役者つてえ商売にや思惑違えの役得がありましてね。こんな顔だつて、舞台で精々塗り立てた処を御覧に入れりや満更でも御座んすまい。」
「ほゝゝゝゝ。厭だわねえ。」と、女も、田之助もその容子をみると腹を抱へた。
そこへ階下から余りお賑やかだからと云つて、女将まで笑ひながら上つて来た。扇昇はまたそれに機を得て、一時に酔が発したやうに浮かれ出した。側で見てゐると可笑しい程挙動に油がのつて、軽い地口を云つたり、多愛もない笑談を云つたり、ひとりで騒いでゐたが、そのうちに感興が張ち切れさうに熟して来たとみえて、到頭、さびた中音で語呂のいゝ流行唄をうたひはじめた。それにも飽きてくると、今度はついと立上つて、勿体らしく衣紋をつくろひながら、
「近頃は地がないんで、舞台ぢやさつぱり踊りませんが、……」と云つて、美登利の絃をかりてをどりを踊りだした。
『紀伊の国』や『喜撰』をやつてゐるうちはよかつたが、美登利の知らない古い手になると、彼は笑ひながら、
「えゝ面倒臭え、口三味線で踊つて退けうわい。」と、声色まじりに云ひ放つて、忙はしげに口で絃の音を真似ながら頻りに踊つた。体が固くなつたせゐか、身ぶり手振りに折々調子のはづれた穴はあいて来るが、それでも流石は昔みつちり仕込んだ藝だけに、決して醜くゝはなかつた。そして一生懸命に踊りぬいてゐるうちに、漸次と息づかひがせはしくなつて来て、彼の額には玉のやうな脂汗が自づと惨み出て来たが、やがて苦しげな咳嗽をたて続けにせき込んだかと思ふと、急に眩暈でもして来たのか、畳の上へぐたりと倒れてしまつた。
「どうしたい。」と、私が思はず声をかけると、彼は顔を顰めながら力なく笑つて、
「愚痴を云ふんぢや御座んせんが、全く年にや勝てませんなあ。」と、悲しげに呟いて漸う起上つて座になほつた。私はその恍けたやうな萎えた顔をみると過ぎ去つた憂い辛い苦労がその儘その面に凝結して来たやうに思はれて、思はず眼を逸らした。私は、亜鉛葺の屋根を打つ霙の音にじつと聞き入つてゐると、いつかしらこの年寄つた藝人の悲惨な生涯が暗い陰影のやうになつて私の眼の前にふらふらと揺曳して来たが、それとゝもに私はその行詰めたやうな深い悲しみを心ゆくまで味つてみたい気になつて、噪いでゐる女達や田之助を外にして、新しい盃を扇昇へさしながら、
「一体、お前さんはどうして旅へなんぞ出ることになつたんだね。」と、感情の溢れた声で訊いた。
扇昇はそれを聞くと、暫らくの間まじまじ私の顔をみつめてゐたが、やがて苦しげに笑つて、
「まあ、それも、かう云ふと可笑しう御座いますが、つまり女故ですな。それをお話しすりや随分長いことになりますが、……」と、彼は酒で唇を湿ほしながら、諄々と身の上話をしはじめた。初めは促がされてやつと一句二句づつ途絶れながら云つてゐたのが、暫らくすると漸次興にのつて来て自分から身を入れてしみじみ話しだした。
彼をかうした憐れな旅役者の境涯へ追ひ落したのは、今からはもう二十余年も昔吉原の京町で可成の全盛を誇つてゐた遊女だつた。お互に惚れあつて、夫婦約束の堅い誓紙までとり交はした。そしてもうあと半年で年季もあけると云ふ間際になつてその女はその頃流行つた虎列刺の為めに扇昇を跡に残して死んでしまつた。彼はその女のことについて余り多くを語らなかつたが、その時分は彼もまだ額に皺のない若い役者であつたといふ事実だけで、私はこの相思の二人の間に纏綿してゐた情緒と、それが女の死後彼の胸にどれほど惨ましい創痕を残したかと云ふことを充分想像することが出来た。その恋人の死は、彼にとつて耐へ難い損害ではあつたが、それよりも猶一層彼を苦しめたのは、それ迄につくつた諸方の不義理であつた。その為めに彼はその頃浅草の三筋町で清元の師匠をしてゐたたつた一人の母親まで喪つて、到頭憐れな流浪の身となつてしまつた。
「……その時分にやまだ座の方でも相中どころでしたから、身上と云つたつて別に定つたものがあるぢやなし、年が年中まあ貧乏のし通しだつたんです。ですから一旦捨鉢になつたとなると、肩身の狭めえ土地なんぞにや微塵も未練は残りや致しませんや。銭にさへなりや何処へでも行けつてんで、丁度あれは憲法発布の時でしたよ。十人ばかりの見ず知らずの一座で千葉へ買はれて行つたんです。それがまあこんな旅役者風情に身を落すはじまりで、それからずつと房州路へ廻りましたが、その時分にや何を云つてもまだ年は若いし、女は出来る、金は出来る、全く旅つてものはこんな面白いものかと思ひましてね。先のことなんかまるで考へもしずにぐるぐる方々を廻り歩いてゐるうちに、到頭何時の間にかほんたうの旅役者になつてしまひました。」と、彼は寂しく笑ひながら、又盃をとりあげた。そして冷たくなつた酒を口に含んだまゝ、じつと一処に眼を据ゑてゐたが、やがて嗄れた声で痰をきりながら、
「その間にや幾度かもう一度東京へ帰つて見度いとも思はないぢやありませんでしたけど、その時分にやもう師匠も亡くなってしまふ、他に頼りにする人はなし自分も結句かうして旅へ出てゐる方が気楽のやうな気もするんで、到頭この年になるまでこんなことをして暮してしまひましたよ。……何しろあの中村一座へ入つてからだつて、もう十年近くにもなりますんですからなあ。」
「さうかねえ。」と、私は涙の惨むやうな悲しい心地に浸りながら、「今ぢやもう少しも東京へ帰つてみようと云ふ気はないかね?」
「いゝえ、もうどう致して。私のやうなものが今更帰つてみましたところで仕様が御座んせんや。身寄のものも生きてるか、死んでるかそれさへ分りませんし、たかだか飢ゑて死ぬ位が落ちかも知れません。はゝゝゝ。まあかうして旅を歩いて居りますうちに、せめて内地で骨になれりやそれでもう本望で御座いますよ。」と、彼は汚れた前歯をみせて態と声高に笑つた。
私はそれを聞くと眼の前が急に暗くなつてゆくやうな気がして、心の底では人知れず歔欷した。この一篇の哀史を身に纏つた憐れな藝人に対する同情の念は、その瞬時から不思議な執着に変つて、私の心に深い深い創痕を印した。そして到頭その晩は二人を無理に引留めて、一緒にその料理屋へ泊つた。私は女将や美登利が余りだと云つて留めるのも聞かず、扇昇と臥床を並べて寝ながらまた彼の色褪せた唇から起伏の多い生涯の追憶を貪つた。秋田で機屋の下男にまでなり下つた話や、函館で小料理屋の入夫になつた話や、さうした可笑しいやうな悲しいやうな閲歴を細々と物語つてゐるうちに、彼は宵からの酒疲れが出たと見え、いつの間にかすやすやと深い睡眠に落ちてしまつた。苦もなげな寝息は、滅入るやうなひそやかな雨滴の音に紛れて、暗く息づく行燈の火影は彼の横顔を木彫りの面のやうにぼんやり浮き出させたが、私はそれを瞻めてゐるうちに訳もない悲しさが犇々と胸に込み上げて来て、到頭暁け方までさまざまな妄想にとり囲まれながらまんじりともしなかつた。
四
その翌日も、またその翌日も私は野寄座を訪れた。扇昇は久し振であんな面白い一夜を送つたと云つて、私の顔をみる度に礼を云ふことを欠かさなかつた。田之助もそのうちにすつかり私に馴染んで時々は『大江山頼光館』や、『大鼓わりの仁田』などと云ふ古い台本などを持つて私の宿へ話しに来ることもあつた。そのほか一座の誰れ彼れとも漸次と知り合になつて来たが、深く知れば知るほど私はこの一団の役者のなかに不思議な零落の人がゐるのに驚かされない訳にはいかなかつた。そして扇昇にひかれた執着はいつともなしに漸次と一座の人々の上にまで拡がつて行つた。
座頭は嵐佳久蔵といつて大阪の先代璃玨の弟子であつた。今では舞台へ出ることは多くないが、台本や演技にかけては驚く可き精通家だつた。道具方の豊爺はこれも矢張り大阪もので、以前は梅昇の弟子で、子供の時から舞台の上で苦労をして来た男ではあつたが、今ではもう暗い簀の子の下で、塵に塗れながら道具を組立てることより外に殆んど何の能もない憐れな不具者だつた。鳴物のお吉も生れは東京だつた。
併し此等の人々の中で最も不思議なのは蝠若といふ年老つた役者であつた。生れは何でも栃木辺で、若い頃には東京にもゐたといふが、もう七年も一座にゐながら誰ひとり彼の閲歴を詳らかに知つてゐる者はなかつた。彼は一座でも全く一個の廃人として通つてゐる男で『達磨』といふその仇名が示すやうに、日がな一日口もきかず楽屋の片隅へ孑然と坐つて、ぼんやり空を瞻めてゐるやうな男であつた。宙乗で舞台へ落ちてからさうなつたのだとは云はれてゐたが、それには鉛毒や女の毒が余程手伝つてゐるらしく、口をきく時には必ず唇を激しくひき歪めて、やつと子供のやうな片語を発し得るに過ぎなかつた。そして唯食慾だけが並はづれて激しかつた。三人前の飯を平気で平げる位のことは決して珍らしくなかつた。田之助などは彼が猿のやうな顔をして怒る容子が可笑しいと云つて、よく悪戯したり、揶揄つたりしていゝ玩弄ものにしてはゐたが、而し一座ではこの台詞も碌に云へぬ男を誰も彼も皆不思議な位親切に介抱してやつてゐた。或日、私が扇昇にその訳をきくと、彼は寂しく笑つて、
「彼奴も可哀さうな男ですよ。あれでもこの一座へ来た時分にやケレン師で素晴しい人気をとつたもんですがねえ。私達だつてこんな稼業をしてゐりや何時あゝなるか分らねえんですから義理にも薄情な真似は出来ませんや。」と云つた。
それから又一座にはもう一人妙な老婆がゐた。それはお花婆さんと云つて、以前は郡山辺の有福な生絲商人の後家であつたが去年の夏、網走へ興行にゆく途中、上常呂の谿間の寂しい駅遞で病死した鶴藏といふ役者に惚れて、身上もすつかり入揚てしまつた揚句、何時とはなしに一座のものになつて、もう八年近くも一緒に旅歩きをしてゐるのださうで、気の軽い酒の好きな呑気な女だつた。
私は死んだ鶴藏の名人であつた話も聞いた。旭川で女の手品遣と駆落した梅吉の話も聞いた。それから又田之助が去年の冬小樽の運送問屋の娘に唆かされて、東京の方へ出奔しようとした話も聞いた。雨に降りこめられたうすら寒い楽屋で、一座の人々と膝を並べながら、さうした耳新しい話を聞くことが私にとつてはどんなに楽しかつたらう。日一日に新しい興味と、憧憬がそのなかゝら湧き起つて私は知らず識らずの間に漸次と深く没頭して行つた。そして私の名が誰彼の別ちなく自由に呼び馴らされるやうになつた頃には、もう私はその一座から全く離れ去ることの出来ないものになつてゐたのであつた。
或晩、私は寂しい夕餐を終ると又例のやうに宿をとびだした。
その晩は珍らしく凩の吹き去つた跡で、深海の底を思はせるやうな大空には蒼白い月光が際涯もなく充ち溢れてゐた。触れたら音を立てゝ崩れさうな脆い寒気は万象の面を恐ろしいまで透明に見せて、ひつそりした廃市のうへには柩衣のやうな凄じい色が慄へてゐた。
野寄座の前まで来かゝると、その晩も木戸の灯が落ちて、人影もない広場には月の光が我もの顔にたちはだかつてゐた。私はいつもよりひとしほ堪へ難い寂しさに誘はれて、また扇昇達と面白い話しでもしながら一夜を明かさうと思つて、通ひ馴れた狭い路次を楽屋の方へ入つて行つた。
階下の溜りでは道具方の豊爺や、鳴物のお吉や、下廻の誰彼が暗い洋燈の下へ集まつて頻りに花札をひいてゐた。僅か二厘か、三厘の端銭を賭て勝負を争つてゐるのだが、彼等の顔には張りきつた熱心が動いてゐた。私はその側をすりぬけて二階の楽屋へ上らうとしたが、階子段のところにはお花婆さんが小さな豆洋燈をつけて眼鏡をたよりに衣裳の綻びを縫つてゐて、私が来かゝるのを見ると、さも根が尽きたと云ふやうに、腰をのばしながら黙つて挨拶した。
「どうしたんだい。又今夜も丸札ぢやないか。」と、私は愛想よく笑ひながら訊いた。
「え、つい今しがた札場が上りましたで。」
「困るねえ、毎晩これぢや。二階もいやにひつそりしてゐるぢやないか。皆はどうしたい?」
「今夜はねえ、座頭が割前を出して、皆して酔月亭とかへ飲みに行きやしたよ。散銭でも敷かなきやとても遣りきれねえつて云つてるんです。」と、彼女は眉を顰めて困つたやうな身振をした。それを聞くと私は急に落胆して、
「ぢや誰もゐないのかい。」
「いゝえ、二階にや扇昇さんや、照さんが残つてゐやすよ。扇昇さんは又例の持病でな。今日は一日ひどく鬱ぎ込んでゐやすから、旦那どうにかしておやんなせえな。」と、婆さんは小鼻のわきに一杯小皺を寄せて笑つた。
私はその儘楽屋へ上つた。
火鉢の側には扇昇と、照十郎がしよんぼり対向ひに坐つて、少し離れ窓際には例の蝠若が棚の上へ片肱凭せながら摺えたやうな空洞な瞳を空にさまよはせてゐた。そのほかには三つの大入道のやうな黒影が壁の上へ匍ひかゝつてゐるぎりで広い楽屋はいつになくひつそりと静まり返つてゐた。
側へ寄つてみると、扇昇は『新田館の場』で笹目の兵太を勤めたらしく、鬘をとつただけで布子で作つた色の褪めた鎧の上へ真紅な陣羽織を着込んで、其上から楽屋着の穢い褞袍をはおつてゐた。照十郎も湊御前の派手な着附けに金絲の繍のある裲襠を着た儘大趺坐をかいて徐かに煙草を吸つてゐた。いづれも支度をかへる元気もなさゝうに悄れ返つて、今入つて来たばかりの私にも、彼等がもう長い間一言も言葉を交はさずに坐つてゐたらしいのがはつきり感じられた。
それでも一番先に挨拶したのは照十郎だつた。私はそれに軽く答へながら、
「又今夜も出来ないんだつてねえ。」と云ふと、彼はつくづく情なさうな詞で、
「何うもこれぢや全く遣りきれませんや。なにしろ三幕もあけて入りが十二つて云ふんですから驚くぢやありませんか。それに今夜つから特別大勉強をして、場代木戸銭とも八銭てえ安値にしたんですから、上り銭がしめて九十と六銭さ。これぢや一座二十五人がお飯を戴くことはさて置き一晩の税金にもなりやしませんや。」
「酷いねえ。」私も気の毒になつて思ひやりの深い調子で云つた。
「なにしろ台詞を云つたつて、土間ががらんとしてゐやがるから張合ぬけがして、てんで芝居になつて来やしませんや。」と自棄に煙管を叩きながらくどくどと不入りの愚痴をこぼしだした。……一体この石狩川の下流に沿つた町々は漁期をあてに入りこんでは来たものゝ一座にとつては殆んど初めてと云つてもいゝほど馴染の浅い土地だつたので、初日から三日目頃までは可成りの大入を占めたにも拘らず、もう五日目になるとがらりと客が落ちて、二週間ちかくもうつてゐながら上り銭は一座の米代を支へるにも足りない程だつた。一座は今更どうすることも出来なかった。幾許かの纏まつた金が集まるまでは次の興行地へゆくことはもとより、越年のために小樽の根城へ引上げる事すら出来ず、毎日々々当てにもならぬ客足を頼みにして、何時までもこの野寄へ逗留してゐなければならないのであつた。
扇昇はその晩どうしたものか、いつもとまるで違つてゐた。丸札を出さうが、入りがなからうが、いつもなら真先に飛び出して来て根も葉もない軽口を云ひながらひとりで噪いでまはる人が、どうしたものかその晩ばかりは蒼ざめた顔容をしてまるで口もきかず、前屈みに円く坐つて影の薄いやうにしよんぼりしてゐた。私は心細くなつて、
「おい、扇昇さん、どうしたんだな。馬鹿に悄気てるぢやないか。」と、賑やかに話を促した。
「また例の持病でさあ。鬱ぎの虫が腹んなかへ入つたんですよ。」と、照十郎は側から笑ひながら口を入れた。
「持病つて、何処か悪いのかい?」
「いゝえ、私は時々たゞかう鬱いで来ましてな……」扇昇は声まで低く落して、寂しさうに呟いた。
「ぢやなぜ座頭なんかと一緒に飲みに行かないんだい? 盃のちんと云ふ音を聞きやそんな持病なんざ何処かへとんで行つちまはあね。」と、私は気をひきたてるやうに云つたが、併し彼はたゞ、
「えゝ。」と、煮えきらない返事をするばかりであつた。
私は詮方なしに黙つてその横顔をじつと瞻めてゐた。薄暗い洋燈の光を斜に受けた半面には濃く塗つた白粉がばさばさに乾いて、処々荒れた地膚が黒く透いてみえた。そして蟀谷から頬へかけてたるんだやうな薄い陰影が浮いて、深い皺が幾条となくその上に断れこんでゐる様をみると、私はまた耐らないほど胸が迫つて来て、態と景気よく調子を張りながら、
「どうだい、此れから座頭達の向ふを張つて、何処かへ飲みにいかうぢやないか。」と、云ひ出すと、彼は何時になく気の進まぬ気振をみせて、
「え、有難う御座います。」と、礼だけ云つた。
照十郎もいつかその調子に引込まれて、つまらなさうな顔をしてゐたが、やがて、
「そんな無駄なお銭を使ふより、今夜は楽屋でしんみり飲まうぢやありませんか。さつきから扇さんのおつきあひで私まですつかり気を腐らしちまひましたよ。」
相談はすぐそれに纏まつた。照十郎は引立てるやうに扇昇を促しながら階下へ着換へをしに下りて行つた。私は僅な酒代を彼に渡してそれでいゝやうに取計らつて貰つた。二人が立つて行つた跡には、私と、蝠若とたつた二人ぎり対向ひに面を合はせて残つたが、やがて彼は何と思つたかふらふらと蹌めきながら立上つて、隅の方から引幕の古いので作つた夜具をひき出して来て、窓際へごろり横になつてしまつた。そして痩せた手を延ばして、小棚から駄菓子のやうなものを袋ごと取りおろして、頻りにもりもり囓つてゐたが、その音が聞えなくなつたかと思ふと、彼は、いつの間にかもうぐつすり深い眠りに落ちてゐた。緩やかに寝息を吐く度に、夜着の背なかで、鶴藏さんへ、と書いた大きな紅文字が、生命を得たやうにかすかに蠢いた。
暫くすると、扇昇も照十郎も風呂を使つて平生の楽屋着に着換へて上つて来た。と、すぐにも三升のついた大葛籠が餉台のかはりに火鉢の側へ持ち出されて、小道具のなかゝら撰り分けた徳利や盃がその上へ体よく並べられた。階下から、下廻りの一人が、買つて来た酒をもつて上つて来ると、照十郎はまめまめしく立働いて、それを大薬缶のなかへ注けて燗をした。やがて香ばしい乾物を肴に私達の貧しい饗宴は開かれたのであつた。
扇昇は、私や、照十郎にすゝめられて重い手つきで幾つとなく盃を重ねたが、それでも矢張り浮いて来なかつた。黙つて俯向いて考え込んでゐる間に、光のない瞳は時々私達の方へさまよつて来たが、ふと視線があふと彼は軽くうなづいて寂しく微笑むばかりであつた。それにひきかへて酒の弱い照十郎はすぐに眼の周囲を真紅にしながら、話の調子までひどく若やいで来て、何くれとなく口まめに喋舌りつゞけた。私も余り扇昇が沈んでゐるのでつい照十郎の話の方へ引入れられて、
「どうだい、照さん。ちつと罪つくりな話でも伺はうぢやないか。」と思はず水を向けると、彼は急に相好を崩して、
「はゝゝゝゝ。いゝねえ。だけど、私や妙な性分でね。こんな稼業をしてゐながら、美い女をやらうなんてえ了見を起したことあ一度もねえんですよ。まあ大概の場合が、此奴あ銭になる女だと踏んでからでなきあ手が出ませんや。」
「そりや又酷いねえ。よく絞るとか、貢がせるとかいふ事を聞くが、随分腕がいるもんだらうねえ?」と云ふと、彼は益々図に乗つて、
「なあに、大した腕もいりませんや。だがこの息ばかりや旦那方みてえな銭のある方にや分りませんな。此間も旭川で饂飩屋の娘から七両がとこ巻きあげてやりましたが、こいつが此節ぢや一番面白うがしたね。一体、田之公なんざ年もいかねえ癖に大きな事ばかり云つてやがるけど、渋皮のむけた面ばかりぢや中々さう口ほど器用に行くもんぢやあありませんや。どうして当節の女ときたら皆悧巧になりやがつて、散々人を遊んどいて、いざとなると鐚一文だつて私達の自由にやさせませんからなあ。その饂飩屋の娘なんざあ、名はお菊ちやんてんですが、馬鹿な惚れかたをしやがつたもんでさあ。年は二十七だが、面だつてなに大して踏めねえ方ぢやねえんで……」と、彼は歯の抜けた穢らしい口を開けながら、聞くに耐へないやうな惚話を並べはじめた。
私はいゝ加減な返事をしながら側を向いて、いつか田之助の口から聞いた此の役者の身の上を思ひ起こしてゐた。彼はなんでも函館在の生れで、父親は博徒で、彼がまだ頑是ない子供の頃、入獄したま儘行方不明になつてしまつたのださうである。そして彼はたつた独りの母親に死別れるとすぐ大工になつて、樺太から露領のニコライエウスク辺を散々流浪した揚句、到頭この一座へ入つて役者になつてしまつたが、浪花節と賽ころが一番好きで五十近い年をしてゐながら、過去に大工であつたことが唯一の誇りであるらしく、一生に一度でいゝから舞台らしい舞台で二丁鉋をグッグッとひききるやうな威勢のいゝ役を勤めて見てえと始終口癖に云つてゐるやうな男であつた。
「……つまり私が役者なんかしてるけど、何処か堅気なところがあつて頼もしいと、かう云ひやがるんです。だからお前さんがそんなに苦労してるんなら、私や身の周囲のものをすつかり売り払つてゞもきつとどうにか助けて上げるつてね。へゝゝゝゝ。一寸安くねえ幕ぢやありませんか。」と賎しげな笑ひを洩らしながら飽きもせず管を巻いてゐる。そして私が聞いてゐないのをみると今度は扇昇の方を向いて、「なあ扇さん。おい橘屋。まあ聞きねえつてことよ。さうづばぬけて惚れて来りや、ちつとやそつとの銭を絞つたつて罰も当るめえぢやねえか。なあ。」
扇昇は盃の縁をかみながら私の方を向いて苦笑ひをしたが、急に真顔になつて、
「そんな罪なことをするもんぢやねえ。」と、腹の底から押し出すやうに重々しく云つた。
「へん、畜生めえ、堅さうなことを仰有るぜ。ねえ、あなた。旦那。それからねえ、私も愈々度胸をきめましてね、……」と、又彼は私の肩を叩いて、妙な手つきをしながらその先を話しはじめた。
やつとその一段を話し終ると、彼は急に今迄の女のこともケロリと忘れてしまつたやうに、
「時に橘屋。そんなに鬱がねえで、ちつと騒がうぢやねえか。今夜はやかましやの座頭もゐねえんだから、久振りに三味線でも弾いて景気をつけてやれ。」と、独言を言ひなからふらふら立ち上つて、階子の上り口から下を向いて、「おうい、豊さん。一寸来ねえ。それからお花婆さん。お前も三味線をもつて上つて来なよ。」と、呼んだ。
扇昇は私の顔をみながら腹立たしさうに眉を顰めたが、何とも云はうとはしなかつた。照十郎が座にかへるとやがて階下から豊爺がにやにや薄気味悪く笑ひながら跛をひいて上つて来た。
「さあ、此方へ来て一杯飲みねえ。今夜は旦那の御馳走だぜ。」「はいはい。それはまあ御馳走さまで。えへゝゝゝゝ、」と、彼は苦しさうに坐つて頭の禿げあがつた図ぬけて長い顔に間延びた表情を浮べながら盃を受けた。
そこへ又お花婆さんが三味線を抱へて上つて来た。
貧しい饗宴は期せずして不思議な色彩を帯びて来た。廃滅の壁に囲まれて、『生活』の日のめもみたことのないやうな湿々した楽屋の空気も、いつかしら濃い酒の香に蒸されて、紋どころの剥げ落ちた古葛寵の食卓の周囲にはいづれも四十の坂を通り越した憐れな零落の男女が五人まで寄り集まつて、互に過去の閲歴を押し隠すやうな惨ましい眼眸をしながら、騒々しく盃をあげた。
なかでも照十郎は独りで噪ぎながら、
「おい、お花婆さん。お前も、先の成田屋が死んでから滅切り老けたぜ。ちつと浮気でもしねえな。はゝゝゝゝ。」
「笑談云ひなさるなよ。此年になつて何が出来るもんかね。当節ぢやそれよりもひどく喘息が病めてねえ。」
「喘息か、はゝゝゝゝ。そいつがなきや俺も情婦に持つがなあ。折角乙な話しになつてる時なんぞにひゆうひゆうやり出された日にや全く浮ばれねえよ。」
「酷いことを云ふ人だよ。これだつて一度は文金に結うたこともあるがな。」
「昔ぢやどもならんわ。はゝゝゝゝ。」と豊爺は長い顔を斜にしながら笑つたが、やがて、「それよりや旦那へ御返礼に唄でもうたつてお聞かせや。」
「幾ら呉れるよ。」と、お花婆さんも調子をつけながら笑談らしく云つた。
「あれだもの、色気どころの騒ぎやあらへん。」
やがて彼女は娘盛りに習ひ覚えたと云ふ仙台辺の俗謡を唄ひ出した。その顔面には何の情緒も動いて来ないのに、低く沈んでゆくその嗄れた声には昔を思ひ起させるやうな哀切な調子があつた。私には、湿気で皮の弛んだ三味線の音までが、嗚咽してゐるやうに聞きなされた。
次に照十郎が頓狂な声を振絞つて得意の『国定忠治』を唸つたが、自分でも旨くいかないと思つたと見えて、
「どうも寒のせゐかまるつきり声が潰れちやつた。」と、尤もらしく喉の辺を撫でながら、「ねえ、旦那。豊さんの義太夫をひとつ聞いてやつてお呉んなせえ。さすがは上方だけに本物ですぜ。」
それを聞くと、豊爺は待ち兼ねてゐたやうに微笑んで、勿体らしく居坐ひをなほしながら、
「もう喉が潰れてしまうたんで、さつぱり調子がつきまへんわ。」と、云つて『太十』の佐和利を語りはじめた。偶にはチョボの代りも勤める男だけに、声には艶がなくても節廻しだけはさすがに巧みだつた。そして嗄れた声で綿々とした『操』の情緒を語る時、彼の禿げ上がつた額には汗が薄く滲んで、瞑つた眼の周囲には泣いてゐるやうな表情が浮んだ。
照十郎は時々思ひ出したやうに頓狂な懸声をかけて、体ごとそのもの悲しい佐和利のなかへ引込まれてゆくやうに軽く手足を揺り動かしながら一心に聞き惚れた。お花婆さんも血の気の褪せた唇をきつと結んで、うつとりと眼を据ゑてゐたが、しまひには聞き飽きたと見えて、側をむいて欠伸をしはじめた。
やがて一節を語り終ると、豊爺は汚い手拭で額口の汗を押し拭ひながら、
「これでも昔は随分女子を泣かせた喉だつせ。」と、得意らしく云つた。
私は自分の立入ることを許されない世界に連れて来られたやうな気がして、唯ひとり窓際の柱に背を倚せながら、異邦人のやうな寂しい心持で、漸次と興趣が熟して来る一座の饗宴を打眺めてゐたが、しまひには到頭耐らなくなつて、
「どうだい、扇昇さん。清元でも出さないか。」と、親しいものを求めるやうに促すと、恍けた顔容をして居眠りをしてゐた彼は、薄く眼をあ(=難漢字)いて、
「もう長いことやりませんから……。」と気のぬけた声で答へた。
五
二度買ひ足した酒が残り少になる頃には、豊爺もお花婆さんもすつかり酔ひ疲れて、階下へ降りてしまつた。照十郎は仰向けに寝そべつた儘呂律の廻らぬ口で頻りに『国定忠治』の続きを唸つてゐたが、その間延びた節も、いつの間にか、高い鼾声に変つてしまつた。それと同時に、遠くへ吹き去つてゆく凩の音を思はせるやうな寂寥が再び楽屋の隅々まで拡がつて来た。私は今更のやうに酒の匂ひの残つた四辺をみまは(=難漢字)すと、座に居耐れないやうな寂しさが自然と湧いて来て、燗のつきすぎた酒をそつと扇昇の盃へつぎながら、また彼からの懐かしい昔話を貪らうとした。
初めは気の進まぬやうな顔をして深い思ひに沈んでゐたが、到頭余儀なくされて彼は盃をとりあげながら徐に口を切つた。
「今頃こんな事を云つたつて、誰もほんとにしちや呉れませんけど、私やあの松岸に居たことがあるんです。全くあすこはいゝ処でした。こんな気の鬱ぐ晩には彼処にゐた時分のことが思はれてなりません。」と、云ひながらいつもとまるで違つた途切れ勝ちな悲しい声で、大利根の流れに沿つたあの寂れ果てた松岸遊廓の昔を語り出した。
今でも現存してゐる開新楼と云ふ妓楼は丁度その時分が全盛期で、大漁踊りの唄にまでうたはれた美しい花魁と酒の香が、遊惰な男を諸方から誘き寄せた近郷唯一の歓楽境であつた。銚子からも対岸の常陸からも、亦川上の町々からも数多い嫖客が夕暮とともに舟で送られて来て、朝には岸辺に戦ぐ蘆荻の間から、大厦の欄に倚つて見送る妓達と名残の尽きぬきぬぎぬの別れを惜んだ。
「大漁祝ひの晩なんといつたら、そりや全く豪勢なもんでした。百五十畳も敷かる大広間を明け広げて百目蝋燭を昼間のやうにかんかん点けて、銚子からは女役者の一座がやつて来る、花魁は花魁で揃ひの衣裳で総踊りをやつたもんです。大伝馬を仕立てゝ乗り込んで来る旦那衆や、網主なんてものはその頃の金にして一晩に二百の三百のつて投げだしたもんですからなあ。」と、話し続けてゐるうちに漸次と興が乗つて来て、彼は思はず眼を輝やかした。「おまえさんはあすこで矢張り役者してゐたのかい?」私は燃え上がつて来る彼の感興に薪を添へる気で云つた。
「いゝえ、花魁衆の振付をしてゐましたんです。あれでも彼此三年ばかりゐましたが、私には今まで歩いたうちで一番面白い土地でした。」と、彼はその頃の思ひ出をまざまざと見るやうに大きく眼をみひら(=難漢字)きながらうつとりした。そして暫くすると何か楽しかつた出来事でも思ひ起したのか、軽く微笑みながら、私の方を向いて物語りを続けようとしたが、その時、階子段のところで足音がして、ひよつくら田之助が帰つて来た。それを見ると扇昇は急に気が変つたやうに晴れやかな顔容になつて、
「どうしたんだい、もうお退けかい?」
「いゝえ、私ひとり先へ帰つて来たんだ。」と、田之助はいつにない不機嫌な顔をしてゐる。
「なんだな、気持でも悪くなつたのか?」と、彼は笑ひながら顔をみてゐたが、田之助が返事もしずに着換へをはじめるのを見ると、急に眉を顰めて、
「又幸吉の野郎と女のはりツこでもしたんだらう。」
「うゝん、詰まらないこつたけど、幸さんがあんまりなことを云ふから……。」と、田之助は口籠りながら云つて、火鉢の側の徳利をかたづけて、そこへ坐つた。
「しやうのねえ奴等だなあ。一体あの幸吉つてえ野郎は根性がよくねえんだ。舞台の上ぢや手足の置きやうも碌々知らねえ癖にしやがつて、女を作ることばかり考へてゐやがる。今夜帰つて来たら俺がうんと脂を絞つてやるから、まあ、そんな浮かねえ顔はよしにして、機嫌から直しなよ。」と、扇昇は今しがたとはまるで別人のやうな声で恐ろしく気負つて云つたが、暫らくすると又もとのやうな感傷的な沈んだ調子に返つて、
「だけどお前もちつと気を付けなくちやいけねえぜ。今のうちは女よりも何よりも修業が第一だ。俺みたやうになつちや藝人ももう駄目だからなあ。」としみじみ云つて、私の方を顧みながら、「ねえ、貴方、可笑しなことを云ふやうですが私や此奴あゆくゆく見込のある奴だと思つて居りますんです。田之助てえ藝名も出世の早かつた紀の国屋に因んで私がつけてやりましたんで、茲五年なり十年なり檜舞台でみつちり修業させさへすりや末はきつと一廉の藝人になれる奴なんですが、どうかまあ、いゝ伝手でも御座んしたら、東京へ招んで出世の出来るやうにしてやつて下さいまし。」と、扇昇は沈んでゆく気持を紛らかすやうに笑つたが、彼の胸の底に慄へてゐる総ての感情は自づと瞳のなかにはつきり映つて来た。
田之助の出世。それが時世に疎くなつた扇昇の果敢ない空想であるとしても、私にはそれを笑ふことの出来ない程の同情がその場合十分に充溢れてゐたので、
「何と云つても修業が第一だ。」と、つい引込まれてしんみり云ひながら幾度か合点いたが、その時ふと見ると階子の上り口に白い女の顔がみえた。
「誰だい。女がゐるぢやないか。」と云ふと、田之助は急に狼狽へて立ち上つて、私達の思惑をよむやうな眼眸をしながら、つツと其方へ出て行つた。そしてその儘長いこと小蔭で二人は立話を続けてゐたが、私はちらとみた顔が気になるのでそつと覗くと、その女は酔月亭の美登利だつた。私は吃驚して、
「美登利ぢやないか。何もそんな処で立話をしてゐることはない、さあ此処へお入り。」と、云つてみたが、暫らくの間返事がしないので、何気なく立上つて、そつちへ出て行くと、彼女は柱の陰へ顔を隠して、頻りに泣いてゐた。田之助はその肩へ手をかけて何やらひそひそ慰めてやつてゐる様子だつた。
「何をしてゐるんだな」と、笑ひながら後へ立つと二人は打蹌めされたやうにつツと両方へ飛退いて、逃げるやうな身構へをしたが、美登利は私の顔をみると突如袂で顔を掩つて、
「私が悪いんです、私が悪いんです。」と、胸を絞るやうな泣声で云ひながら其儘階子を降りて楽屋口の方へ逃げて行つた。呼び戻さうと跡を追駆けると、彼女はそこの板戸の口から冷たい月光のなかへすツと消えてしまつた。
私には今宵酔月亭で起つた紛紜がやつとはつきり分つた。で、当惑した顔をして舞台へ下りてゐた田之助を連れて笑ひながら楽屋へ帰つて来ると、扇昇は何と思つたか突如、田之助をきつと見据ゑて頬の肉をふるはせながら、
「おい、田之さん、お前まさかあの女をどうかしたんぢやねえだらうな。」と云つたが、その声には罪を詰るやうな激しい調子があつた。
田之助はおどおどながら俯向いてゐたが、漸く細い声で云ひにくさうに、
「だつて私の方からどうかうつて云つた訳ぢやないんだもの。」
「小生意気な口をきくぜ。大概にしな。お前の方で引緊めてゐりや、女が手出しをする訳はねえんだ。旦那がどんなに気を悪くなさるか、そんな了見ぢや俺や堪忍が出来ねえ。」と叱るやうに鋭く云ひ放つたが、やがてひどく気を兼ねてゐるやうな眼眸で私を見ながら、
「若え者は仕様のねえもんで御座んすなあ。」
相互に何だか気拙い思ひがして三人はその儘口を噤んでしまつた。扇昇は一処をみつめながらじつと考へ込んでゐたが、深い嘆息をつく度に彼の顔には又漸次と暗い陰影が射して来た。到頭しまひには我慢が出来なくなつたと見えて、田之助の方を向いて悲しげな思ひ入をし乍ら、
「今更云ふんぢやねえが、女つてえものは全く恐いもんだ。お前は、当人の成田屋から聞かされてゐるんだからまだ忘れもしめえが……」と、死んだ鶴藏の情事を、愚痴をこぼしてゐるやうな果敢ない声でくどくどと私に話して聞かせた。
それはまだ鶴蔵が大阪役者の一座にゐた時分のことださうである。或年金沢から能登路へかけて巡業して歩いた事があつたが、其途中彼はふと或大きな町の町長の愛娘に思はれた。その頃町長といへば一介の河原乞食とは武家と町人よりもまだ烈しい階級の懸隔があつたので、粋な乳母の取り持で嬉しい首尾は叶つたものゝ互に思ひ詰めれば詰めるほど其土地が狭くなつて、愈々一座が次の興行場へ乗り込まうと云ふ時には、愛着の念に眼の眩んだ娘はもう出奔するより外に道がなかつた。で、その頃の金で二百円といふ大金を盗み出して、鶴蔵と一緒に舞台でする梅川忠兵衛のやうな美しい旅路へ出たが、まだ故郷から十里も逃げのびないうちに警吏の手に抑へられて彼は誘拐の罪で獄に繋がれる、娘は母親の膝元に厳しい監禁の身となつて、到頭彼が入牢してから三月目に惨ましい狂死を遂げてしまつた。
「そのために成田屋は牢から出て来ても一座へ帰参することは出来ず、あの名人が長年の間苦労のしづくめで、到頭こんな旅先で死ぬやうなことになつてしまひました。……当人の話しぢや生涯に一番綺麗で一番執着の深かつた女だてえますが、よくよく忘れられなかつたものと見えまして、死ぬ二三日前にも其ことを云ひ出して、『俺あ近えうちに又逢へるかも知れねえなあ。』なんて云つてましたつけが、あの気の剛い成田屋がその時ばかりは涙を零しましたよ。」と扇昇は急に声を曇らせながら嘆息を吐いて、少時の間きつと唇を噛みしめてゐたが、やがてまた失はれた緒を探るやうに、「梅公なんぞも今ごろはどうしてゐやがるかしら。彼奴も舞台へかけちや技量は確かだつたがなあ。……」と誰れに云ふともなく歔欷するやうな声で呟いた。
窪んだ扇昇の眼はいつしか涙に湿んでゐた。それを紛らかさうとするのか、彼は皺ばむだ頬に寂しい笑ひを浮べながら空になつた徳利を倒さまにして、未練らしく酒の余滴をきつたが、その手は云ひ甲斐もなく小刻みに慄へて盃の縁はかちかちと冷たい音をたてた。私はそのさまをじつと見てゐるうちに、詩のやうな惨ましい零落の姿をその儘凝視してゐるやうな心持になつて思はず苦がい涙を呑んだ。
ひつそりとした楽屋には『時』の滴る音さへはつきり聞き分けられるやうな静けさがたち帰つて来て、時々田之助が思ひ入つたやうに吐く嘆息が疼くほど明かに響き渡るばかりであつた。硝子窓から戸外をみると家々の屋根にはもう真白に霜が置いて、その家並の彼方に荒寥とした石狩川の流れがひろびろと彎曲しながら遠白く眺められた。灯影さへ見えぬ原野の面は無限の寂寥に掩はれ、その果てに聳えた国境の連山には雪が幻の如くに明るく輝いて、見渡すかぎり天にも地にも、蒼ざめた月光が音もなく降り灑いでゐた。私はその廓落とした大自然に面を合せてゐるうちに、いつかしら、冷たい真実の底からひそひそ湧き上つてくる声なき慟哭が胸一杯に充ち溢れて、今、遠く都会から離れたこの石狩河畔の寂しい廃市で、『笹目の兵太』や『土器売りの詫助』に扮しながら衰残の藝を売つてゐるこの憐れな俳優の末路に藝術的感激の極致を見出さない訳にはいかなかつたのである。
それから二週間ばかり経つて後のことであつた。私は、寂しい河沿ひの街道を、道具や、衣裳や、鍋釜の類まで車に積んで、次の興行地へ移つてゆく旅役者の群のなかにうち交つてゐた。造花の飾りをつけた駄馬は真昼の明るい空気のなかに爽やかな鈴の音を響かせながら、その群を導いてゆくやうに先に立つた。私は晴れやかな顔色をした扇昇と肩を並べて歩きながら、今夜石狩の町で一座の演ずる『忠臣藏』の定九郎に扮するため彼から仔細にその役の型を教はつてゐた。私達のすぐ後には酔月亭の美登利が涙を封じて贈つた守袋をしかと肌に押当て、しよんぼり俛首れながら歩いて来る田之助がゐた。その後にはまた照十郎や豊爺や一座の誰彼が苦もなさゝうに笑ひ興じながら続いた。そして、冷たい風が河面から吹きあげて来る度に、霜で浮きあがつた街道の黄い砂塵は車の轍から道を遮るやうに濛々と舞ひ騰つた。
(明治四十五年)