歳月短きに非ず
唯だ去歳の一と年の夢の間に過ぎつるのみにあらず、従来の歳月皆風の如くに行きぬ。今年二十の男女は二十年を何の為めに送り、今年三十の人は、三十年を何の為に消せる。静かに思ひ運らすときは前生は、猶ほ夢の如し、後生亦た何如ん、雲より出でゝ雲に隠る、天上の星高く遠く小さく暫らく燦めきて則はち直ちに消ゆるの心地す。
人世寧しろ長しと云はず、日月の過行くは数ふるよりも尚速やかなり。左れど、人もし此の間に善を為さんことを欲せば、善を為すの余裕綽々として存す。ゼレミー、テーロルの云く、暴君強賊の思ひを満さんが為には、人の生涯は甚はだ短きものなるべし、大ひなる富を貪ぼり、痴然たる愚を満足し、敵を悉とく服せんと欲するには、世は寧ろ短かゝるべし、左れど、徳を養なひ、温柔謹厳の性を造らんと欲するには、神は十分の余暇を与へ玉へり、もし朝たに夕べに之を思ふ時は、日月久しく光を垂れて人に其時間あらずと云ふことなしと。願くは人、俗世の事の為に歳の徒らに過行くを歎ぜず、徳の立たざるが為に深く年月の消行くことを憂ひとすべし。
新年の幼稚園
ソロモン云はく、働らきの時あり、遊びの時ありと。今は即はち遊びの時なるべし。夫れ、歳末は猶ほ晩年の如く、春は猶ほ幼時の暁の如し。
人は元来議論せずして信ぜんことを欲す、只だ疑ひの雲胸間に充ち満ち、天上の光明其影を隠さんとするによりて初めて議論せざるを得ず、其論ずるや口を角にし、眉を逆立て、激して怒らずと云ふことなし。左れど此は只だ信に達せんことを欲するが為めのみ。信を得ざる者は、駅路にさまよへる旅人の如し、心安着せざるなり、其の信を揣り求るや、乳のみ子の乳を探るが如し、之を得ずんば叫ぶ。
人の人に対するや初めより和らがんことを欲す、未だ曽て相反むき、相競はんことを欲せざるなり、帝者四方を征服し、卓超として一人衆に秀づると云へども、友なくんば無聊を消すこと能はず、風に乗じて宙天に独りひらめくが如く、高き人の慰さめ手なきは、天上の沙漠に独孤の生涯を為すに均し。左れば人は唯富を得んことを欲するにあらず、富んで人と共に楽しまんことを欲する也、唯権威を貪ぼらんとするにあらず、権威ありて自由に人の愛を得んことを欲する也。人の本性は快ちよく人と楽しまんことを欲す。
此を以て、幼な子は未だ人と成らずと云ふと雖ども、実は人の中の真の人なり、其邪気無くして人を信ずる所ろ、真の人也、其の疑がわずして楽しむ所ろ、真の人也、其の貴賎貧富を忘るゝ所ろ、真の人也、幼な子の交わりは真の人の交わりを表す、幼な子の戯むれは真の人の戯むれを表す、語に云く、大賢は児の如しと、幼な子は即ち真の大人也。
人長じていよいよ邪気に長じ、日に日に真性を磨消す、朝たに夜半に名利に狂奔して安き心なく、美なる天地に住すと雖ども、宛がら、牢獄に囚わるゝものゝ如し、何ものか夫れ彼等を導びきて其幼なき時に引返すものぞ。
春は実に幼時の暁の如し、新年の楽しみは人をして俄然幼な児とならしむ、今は遊びの時なり。
子女学校より帰り、父は業務を休み、母は料理の為めに笑つて忙がわしく、老父老母は孫と戯むるゝによりて世話し。此時に於ては、室中、議論する声を聞かず、算盤を弾く音を聞かず、満堂怡々として幼稚園に似たり。春は人をして幼な児とならしむ、幼な児は即はち真の大人也、春は人をして暫く真の人に反らしむ、今は遊びの時也、諸君宜しく無邪気清浄の境に遊悠すべし。
歳暮悲しからず新年更に楽し 中島とし子
開花原是落花の風、毎歳雀鴉声欣こばしく、梅柳色麗はしく、旭旗門松共に厳めしく、将来多望の年少が弄ぶ紙鳶の空にうなる、紅緑彩ある手球の室に響く、一として欣ばしげならざるはなし。然かれどもこのよろこばしげなる現象は、葉落ち、霜降り、山痩せ、水枯れ、乾坤何となく粛殺惨憺たるの現象を呈する后の原因なるらめと想ふ時は、春来るとて喜ばしきものに非る如くなれど、悲歓は時々の感情なるを以て、人間生るれば死するの故を以て生るゝをよろこばざる者はあらず、終には悲みに帰するを知るの故を以て、喜ぶべきに喜ばざるは人の常を失するものなり。されば、山痩せ水枯れ寒風凛烈たるの時節来るの故を以て、花笑ひ鳥歌ひ軽暖人に可なるの新春をよろこばざるものもまた人の常を失するものなるか、只奈何せん、この一悲一歓の中、緑鬟霜を生ぜしめ、花顔皺を添へしめんとす、徒らに霜を生じ徒らに皺を添ふるのみにして毫も世に対して功益のなかりせば、其最終の日に於て、最も憾多きものあらん。而して今日我が婦人社会を観れば、日一日より、年一年より、進化しつゝあるを覚ふを以て、一年の最終に逢ふとも聊か憾むところなく、却て新春更に新進化を添へん事のたのしみを有せり。是に於て、婦人の注意せざるべからざるものは、婦人が往時に比して、人物の進み、地位の高まるに随つて、婦人の非難せらるゝ事亦多く来るを覚悟せざるべからず、其の智識の未だ進まざる、地位の未だ高からざる日に於ては、非難すべき事をも非難せざりしは、男姓が婦人を子児視して容赦すればなり。以後は必ず然からず、而して其注意すべきものは、孰れにあるか。必ず種々あるべけれども、妹(私)の希望する処は、女学校の女学生に対して尤も深く注意を乞ひたきものなり。妹は深く女学校の女学生を敬愛するものなり。女学生の誉れを、吾が身の誉れと斉しく感ずるものなり。女学生の毀りを、吾が身の毀りと斉しく感ずるものなり。女学生自身は、魂潔きを以て、行ひ正しきを以て極安心に、極平気に挙動ひ玉ふ事に向て、非難を蒙り玉ふ事なきを保すべからざれば、春宵月に歩する如きも、良晨花を探ぐるが如きも、病に臥するの友を訪ふ如きも、愁に沈むの客を慰むる如きも、猶注意せざるべからず。是を以て、其他注意すべき事の多きを知り玉ふならん。妹は挙げて言はず、筆及ばざればなり。之を略言すれば、今日迄は、婦人が誉らるゝの時代にして、今日以後は暫く非難を受くるの時代たるべし。其誉られし真に誉められしに非ず、曽て久しく、婦人に学問さすも無効ならん教育するも無駄ならめと想像せし軽侮心より迸り出たる誉言なればなり。最早此誉言の時代も過ぎ去りたれば、必ず非難の時代に遭遇せざるべからずと想ふ、而して、この非難の衝に当るものは、蓋し夫れ女学生にある乎。宜矣、女学生最も注意を要すること。妹は女学生を愛する事の深くして、望を属する事の重きを以て、新年早々此の如き無体なる注意を乞ふに至れり。女学生が幾分の日月を経過して、遂には光輝ある時代を来らしむると思へば、梭の如く飛び去る歳月何の憾みかある。歳暮悲しからず、新年更に楽し。