討入
浪 居
元禄十五年十月七日、
鎌倉雪ノ下の旅館に留まる事三日、吉田忠左衛門に江戸の模様いかんと聞き、武運を
ここに本部を置いて同志は吉良邸の近くに
同じく本所徳右衛門町一丁目には杉野十兵次、勝田新左衛門、武林唯七、矢ノ倉に堀部弥兵衛、林町五丁目に堀部安兵衛、毛利小平太、木村岡右衛門、横川勘平、鈴田重八、小山田庄左衛門、中村清右衛門、南八丁堀湊町には片岡源五右衛門、貝賀弥左衛門、大高源吾、
同四丁目には中村勘助に間瀬久太夫父子、岡島八十右衛門、吉田沢右衛門、村松喜兵衛、小野寺幸右衛門が匿名しその下僕として世を忍んでいる。同じ町に同じ家業で千馬三郎兵衛、
中にも前原伊助の所は一番吉良に近いから同志の内で目立たぬよう手伝いにくる人々もある。火事だと云うと屋根へ登って邸の内を窺う。買物にくると価を引いて歓心を求める。とうとう子守と関係をしてその口からいろいろ聞出した人さえあったという。その内に堀部安兵衛が吉良邸の
探 査
吉良
内蔵之助はそれに対して昼夜四人ずつの人を置いて見張とした。風の日、雨の夜、雪の日、嵐の夜、二人ずつ交代で本所と芝の途上に眼を配る。その内に老中小笠原佐渡守の出入り
「こんどは六日に参ります」
というと宗
「さ、六日は吉良殿の朝会で、七日なら」
と云ったので、源吾喜んで此日は上野必ず在邸のよし、大石の所へ知らしてきた。
「六日の朝が会だと五日の夜はいるにちがいない。さらば五日夜に討入ろう」
と定めて同志に伝える、討入の道具は吉良邸の近く、安兵衛の所へ全部運んである。槍、
神崎与五郎、かくきまる上はいよいよ出入の監視が厳重であると、店先で見張っていると五日の朝、
人々の気は張つめている。長引いて内蔵之助上京の事が判ると又面倒である。それに年の暮となっては世間が騒がしくなり町の取締も厳しくなる。十五日の節分、この日なら必ず在邸するだろうから、その日に討入ろうと専ら
心 得
兵学に
一、日が定まったなら前日中に三ヵ所へ集る事
一、その日は定めある刻限に打立つ事
一、敵の印を揚げたる時は引取るべき場所へ持参の事、首はとり次第上着を剥いで包む事
一、途中で見分に逢わば、亡君の墓へ持参したいと云う事、もし許さなければ、その人の指図を受ける事
一、
一、味方の
一、上野介を討取らば小笛を吹く事
一、
一、引取場は回向院の事、もし回向院が入れなかったなら両国橋の広場へ
一、引取途中咎められたら、実を告げ回向院へ引取ると云う事
一、吉良の追手がきたら踏止まる事首を奪われぬように
一、討入中に検使参らば門を開かず、
一、
一、
というのである。
十二月十一日は午後から雪になった。夜に入って止まず十二日も降りつづき、十三日の朝もさらさらと降っている。
「延期しやしないかな」
という思いが皆の胸に往来した。源吾は急いで宗
「十四日に御別れの一椀を頂戴しとう御座ります。実は
と云うと、宗
「これはこれは
と云う。いよいよまちがいではない。十四日の夕方になった。
「御使で参りました。宗匠御内でしたらこれを御目にかけて下さい」というと、「只今生憎不在で」
「それは——で
「はい、吉良様の御茶会へ」
「この雪に」
「はい是非にと申す事で」という。もうまちがいはない。
集る場所は矢ノ倉米沢町、堀部弥兵衛の家である。どんよりと暗い雪空、大川の風が寒く粉雪を吹きつける。遥かに霞んで両国橋が見える。弥兵衛の二階には勝栗、昆布、
勝栗と吸物で酒を廻し、餅、焼飯を包み、料紙に和歌をかく者、俳句を記す者、中にも弥兵衛は得物を調べながら、
「石突が少し長い、切り縮めよう」
と
火鉢に香をくべて髪と兜にたきしめる。富森助右衛門が、
とび込んで手にもとまらぬ
を槍に結び付けたのはこの時である。
出立の時刻は七つ刻——八時。——今の八時とは時代がちがう。まして雪の夜のもう大川端は人が通らない、夜の
雪 明
表門に廻るは二十三人、指揮は大石内蔵之助。裏門には二十四人、
表へ向う二十三人の内大石、原、堀部(弥)、間瀬、村松は表門を固める。老人で安全な場所を選んだのである。ここへ斬込んでくる迄に玄関を固めた者、
裏門へ廻る二十四人の内、
二行になって進んで行く。槍は一纏めにして籠の中に立て、刀は隠して火消の如く見せかけて人目を避ける。この中で、堀部父子、赤埴、奥田父子、小野寺、大高の七人は、麹町の堀内源太左衛門正春の門人である。
降りに降った雪も宵になって止んで、八つをすぎる頃には月さえ出た。丁度十四日という明るい月夜である。四五寸にもつもった雪明りに冴えて、昼の如く明るい、両国橋を渡って松阪町の東へ行った時、定めの如く、二つに分れる。町家の軒に籠を降して、掛矢、
西は回向院、その丁度前に裏門がある。右角に辻番があって右通りが町家、前原伊助のいた所である。東は前が牧野長門守の邸。北側が土屋主税と本多孫太郎の邸、表門を入ると、左よりに土蔵、その左に玄関、南向きに式台があって四五間を距てて上野介の居間に行ける。居間は丁度邸の真中である。
「さらば手抜かりの無いよう」
と挨拶をして二つに分れた。四十七人が雪を踏んで門下へ寄った。改めて帯を締直し、
表 門
表門は堅固に檜材分厚の扉、掛矢で叩破ろうとすれば凄まじい音がする。その音に起出されて防がれては事面倒である。二挺の梯子が門の右側の塀へ立てかけられる。大高源吾、間十次郎の二人が登って行く、誰も黙して語らない。月は真上に
「危いッ」
と云ううちに神崎与五郎、足を滑らしてどっと屋根から落ちる。
「滑るから気をつけて」
と下から低い声で注意する。次の人には下の人が肩をかし手を貸して助けおろす。矢頭右衛門七は年少の武士、屋根から降りんとするのを原惣右衛門、
「矢頭、抱いてやろう、飛つくがいい」
「いいえ、大丈夫で御座います」
「いいから飛つけ」
と
「これは失礼を」
と詫びるのを、
「何、これしき」
と答えてびっこ引きつつ玄関へ行く。
内蔵之助人数を調べて二十二人、寺阪が見えなかった。(これは逃亡したのである)さらばと迫ろうとすると、屋根の上に覆面にて
「佐藤で御座る。今宵の壮挙に義の為め及ばずながら御助力申したく」
「おお」
と内蔵之助が云ったが、この三人は佐藤城左衛門、大石三平、堀部五十郎と、藩はちがうが縁つづきで、上野介の所在を調べるに、いろいろ骨を折った人。
「御厚志によって只今本懐をとげようと存じます。これまでの事と云い今宵といい言葉にては尽せぬ事、さりながらかくなる上は後々に人手を借りたと云わるるも
「
と、名残を惜しんで再び外へ出る。
「口上書を玄関前へ立てて」
と云う折に表門脇の番人三人、門部屋から、そろそろと出てきて逃去ろうとする。
「待て」
と追う、潜門へ逃出した二人を追って捕える、一人が裏手へ逃げ出すのに、奥田孫太夫、追すがりざま二尺七寸の大太刀、抜討に斬ってすてる。原惣右衛門、
浅野内匠家来口上書
去年三月、
元禄十五年
浅野内匠家来四十七人連名
「それ」
と云う内蔵之助の指図に、
「浅野内匠頭の家来、仇を報ぜんがため推参、尋常に勝負せられい」
と叫ぶ。途端、大高源吾の弟小野寺幸右衛門、玄関の戸を二蹴り、三蹴り、蹴るとともにどんと当てたる身体の勢に、鴨居を外れて内へ倒れる板戸、薄暗の
「狼籍者」
「何をっ」
と踏込むなり一薙ぎ、敵の股へ手答えあると共に、鼠の如く姿を隠す。
「卑怯者」
と叫びながら進入ろうとする正面の壁に幾張かの弓が立懸けてある。やり場の無くなった太刀でばらりと切払うと快よく切れて落ちる。内蔵之助表門を守りつつ大音に、
「三十人組東へ廻れ、五十人組西へ廻れ」
と指図の声に敵を脅かす。
矢田五郎右衛門助武、当年二十九、人々の
裏 門
裏門は表よりも粗末である。越えるよりは破るが早い。三村次郎左衛門、掛矢をとって、
「よいしょ」
と掛声しながら扉と扉の間を打つ。凄まじい音を立てると見る間に、
「手向いすると斬捨てるぞ」
と大喝、人数の多いのに驚いて、踵を返して逃げるのを不破数右衛門走り寄りざま、一人を斬倒す。
「火事だ火事だ」
と口々に叫ぶ。途端、玄関左側の長屋の屋根へ登ってくる一人の男、見るより
「浅野内匠頭の家来不破数右衛門、
と叫びざま斬ってかかる。横から磯貝十郎左衛門、八尺ばかりなるを引しごいて、突かかるに
三村次郎左衛門、玄関正面の杉戸ただ一打に打砕いて掛矢を捨て刀を引抜いて走入る。その一歩先へ村松三太夫。
「一番槍」
と叫んで、槍を頭上にしごきつつ暗闇な玄関の中で一突する。最初の物音に眼覚めて立出てきた吉良家の面々、あちこちに掻立てる
「狼籍者、何者だ」
と云うのを、
「この馬鹿」
と
「一本」
と叫んでぐさっと突く。行止まりに杉戸、押しても引いても開かない。
「杉野、この戸を
という声に杉野十平次掛矢を
「手向いすると打殺すぞ。手出しをしないと助けおく。浅野内匠頭の家来、仇を討たんがための夜討じゃ。間違って斬られるな」
と大音にあちこちと走りながら触れて廻る。そうした後で威嚇の矢の手につがえて切って放つ。勢い鋭く戸へ突立つに、開ける者さえない。家老の一人斎藤
隣り屋敷の土屋
と声をかける。塀の上の武士何か内へ云うと共に、ただ高張のみかかげられて人影は見えずになった。
附 人
上杉家では、もし吉良を討たしては面目がないからと
「
こういう意見で
「恐らく内匠の家来共は乱入するにちがいない。しかし決して
と云った。
堀内正春門下の高弟、奥田孫右衛門、二尺七寸五分の大太刀を右に、障子越に一突してから蹴破って入る一間、中に一人の武士が坐って居るから、上段につけて、
「
と云う声の下、枕に手がかかるよとみる、発止と目つぶしにくるのを右へ
「うぬ」
と一喝、斬つける途端、蒲団で受けて、すっくと突っ立つや二度目の太刀へ、どっと投つけ脱兎の如く
鳥居利右衛門、暫く様子を伺っていたが、手早く寝間着へ稽古着をつけ袴を裾短かに、刀をとって鞘を捨て、廊下へ出ると庭に当って剣戟の撃つ音、廊下の戸を開いて庭をみると、雪の中に倒れている二人、倒した男は、今開けた廊下の戸へ気がつくと共に走寄るのを、
「痩浪人、鳥居利右衛門じゃ、一度にかかれ」と声をかける。
「うん、いい敵じゃ、不破数右衛門、いざ」
と寄るに、木村岡右衛門、前原伊助、槍と刀で左右から迫る。
「一人でよい。これしきの男に……さあでくの棒参れ」
中段につける三尺二寸の大太刀、
「糞っ」
と、大喝数右衛門、猛然と踏込んで打込む、ひらりと後へ半間余り、刀を引こうとする数右衛門の
「参れ、素浪人。どうじゃ」
と声かけながらじりじりと刻み寄る。数右衛門退きながら、カチリと当てる鉾子尖、この大胆な隙付入る利右衛門、袈裟掛けに斬込んでくるのを受けもせずに、身を躱しざま片手打に真向へ。不破得意の捨身の戦法。躱したが胸から帯へかけて衣類が斬裂かれる。と共に三尺という刀の長さ、利右衛門の頬先から唇へかけて三寸余り斬つける。
「どうじゃ、どうじゃ」
と声をかけつつ、続いて真向へ、カチリと刃が合う。畳掛けてから、かち、斬つけながらさっと飛退く。それを追って流星の如く打込む利右衛門、払って身を沈めながら脚を薙ぐ、飛さがる。もう二人とも呼吸が乱れてくる。口が利けない。
「助太刀いかが」
と声をかける。二人の居た事に気がつく。不破、鳥居、こうなると味方のいるのと居ないのと大したちがいになってくる。
「無用」
と云っておいて気力を集め、この一打にと気を静める。据物斬では家中で右に出る者の無い数右衛門、青眼が上段に変る、と、
「エヤッ」
と、大喝、岩も両断と打込め、初めの如く身軽に退けないから受とめる。「
「御見事」と
「ああ、えらいぞえらいぞ」
と云いつつ雪を掴んで口に、暫く突立っていたが、左手に刀を持更え、右手の指を強く延しつつ進んで行く。
出ようとすると矢が戸へ当る。暫く様子を窺っている内に、
「逃げるものは斬るな」
と云う声がする。つづいて、
「塀を越して逃げる者は容赦すな。射落せ射落せ」
と叫ぶ者がある。
「待て」
という声と共に、冠つた羽織を引戻す者。ぷっつり切った鯉口、柄に手がかかると抜打の横薙、背後へさっと薙いだが、余り敵が近すぎていた。
「己れ」
と云いざま、刀を捨ててむずと組付く。雪を踏んで、
「曲者」
と云いざま、八尺柄の
「早く突け」
と下から叫ぶ。起きんとする平八郎、突かかる槍と二三合、下から合わす。途端、
「御免」
と声かけて杉野十平次、脇腹から突刺して一えぐり、平八郎
「うぬ、無念」
「どうだ」
と、弱り行く平八郎の右手をしっかと膝の下に敷いて手を延して拾い上げる己の刀、一刺して立上る。
乱 闘
裏口を守る十内の前へ、刀片手に走りくる二人、六尺の手槍閃くとみると、一人を突倒す。
「十内、うまいぞ」
と声をかける源吾右衛門、十内、槍を繰引くが早いか、逃げんとする敵の背後から田楽刺に、
「南無阿弥陀仏」
と叫んだその男、よろめきながら二足三足行ってどっと倒れ伏す。
裏から討入った一人の武林唯七。磯貝十郎左衛門が点じた蝋燭のあかりをたよりに、
「この辺が
と
「誰だ」
と、声をかけてさっと槍を合せるや、眉間をつく、辛くも躱したから
跡を追って進む前へ、
「素浪人共、須藤与一右衛門じゃ、よっく味わえ」
と、
「待った、堀部安兵衛
と、名乗りをあげて人々を分けながら、
「いざ」
「やっ」
と、構える。とみる、二尺八寸の大太刀、斬込む、流す、斬る、受ける。一足踏込む、一歩退く三度目の続け打ち、その太刀先の鋭さ。三度び
「やっと一人」
大須賀治郎左衛門。台所へくる戸口に突立って
「入ってみろ。痩浪人、堀江勘左衛門控えたり、さあ参れ」
「勘左衛門か、勘六じゃ、近松勘六——一人でいい、何、これしきの奴」
じりじりと迫りつつ斬込む、受流して早くも右へ廻るのは大した敵でない。
「助太刀無用」
と叫んで、一喝斬込む。敵の鉢巻へ当って一寸ばかり傷つける。と、欄干に脚がかかるや、庭へ飛降りて素早くも逃げ出すに、
「卑怯者、己れ」と勘六がつづいて追う。泉水の石橋、凍りついた上へ走りきて滑る。三尺たらずの橋、踏とまる場はない。横倒しにざんぶと落ちたが、池は浅い。
家老小林平八郎を初めとして用人、鳥居利右衛門、同須藤与一右衛門、中小姓大須賀治郎左衛門、清水一学、左右田源八郎、新貝弥七郎、小塚源次郎、斎藤清左衛門、祐筆の鈴木六右衛門、坊主、足軽など合せて都合十九人が、長屋前の雪の中、台所、小玄関などに横たわる。
重い手傷が十一人、軽い者が八人。
大石瀬左衛門、もう邸の中に太刀音のしないのは、手向うものの無くなった様子、これからは
「上野の居間へ案内せい、命は救けてとらす」
「
と顫えながら起上る。双刀を奪いすてて、後に従う。
「ここで御座ります」
「開けろ」
太刀を振冠って切って出る者あらば一討と構える。ごとごとやっていたが、
「錠が下りております。御覧下さいませ」
「よし、のけ」
戸を蹴って中へ入る。八畳、絹行灯の灯
「此処にちがいないか」
「毛頭ちがい御座りませぬ」
瀬左衛門、左手に敵の右手を持ちながら、刀のままの右手を蒲団の中に挿しこむと、ほの暖い。
「居間はここにちがいないが、居ない。暖味の残っているのは逃げて間のない証拠じゃ」
と、後から入った
「如何にも」
と主税も手をさし入れる。
「さらば屋敷中を探し申そう。門を固める方々へこの由申入れて
追々に集る人々、手に手に蝋燭を
「
「いない。
「もう一度居間へ」
引戻って、掛物の背後をさぐり畳をはぐ。
「床下へ入って探そう」
「よし、
と、主税十五歳、五尺七寸の大男、刀を抜いて
「異状は御座らぬ」
と、上ってきた。外を固むる人々に聞くと一人として洩らさないという。さらばもう一度と取って返す。同じ所を同じように、矢張り何者も居ない。
「駄目じゃ」
と、不破数右衛門、どっかと坐して刀を
本 懐
「残念じゃ」そう云われると人々、黙念としたまま言葉を出すものも無い、槍を突いたまま、刀を提げたまま暫く沈黙していると台所に、コトリと音がした。上野の居間と台所とは近い、聞くと等しく耳を澄ます。
「台所じゃ」それと走出す。
「確かに此処じゃ」
「その戸は開いたか」
「ここか……錠が下りている……、中からじゃ、怪しいぞ集まれ集まれ」
とどっと蹴破る物置小屋、中はまっ暗でどうなって居るか判らぬ。
「矢を射込んでみよう」
と云った茅野和助、神崎与五郎。一ノ矢、二ノ矢、今三ノ矢を放たんとすると、騒がしく物音立てて躍出す男。
「それッ」
三四本の刀の閃き、忽ち斬倒す。又一人。仰向けざまに頭を小屋の中へ入れたまま、一歩踏出しただけで突留められる。
「奥へ入ろう。ここにちがいない」
と口々に云ったが、用意して不覚をとるまいと、槍先に蝋燭をつけて室の中へ突出す。炭俵、桶の類、薪などが積んである。間十次郎、槍を構えつつ、桶を撥ねのけ、炭俵を突くずして二三歩入ると、薪が飛んでくる、躱して目をやると、大きい味噌桶の陰に潜む一人。
「出ろ」
と云ったが、ばらばらと投つける。取直す槍、繰出すと桶を掠めてぐさっと股をつく。尻居へ倒れたらしいのを、走寄って
「
という内、隙をみて逃げんとする。
「この馬鹿」
と大喝した唯七、突とばすと、がっくり膝をついたまま起上らない。蝋燭をつきつけると、総髪の老人である。
「灯をもっと、……顔を上げい」
と、髪をつかんで引上げる。
「綾小袖をきているぞ」
「貴様誰だ。名を名乗れ」
「吉良上野でないか」
と云うが黙して答えない。顔を見たが、血で判らない。
「肩をみろ」
と云う声に、片肩をぬがすと、痩せた肌に残る二分余りの刀傷、肩先から一寸余り下った所から斜に
「
と、思わず叫ぶ。
「いいか鳴らすぞ」
「肌着と云い、
と吉田忠左衛門が云う。嚠々と吹鳴す、かねての合図。門を固むる者、屋外を見張る者、
「此処じゃ、台所じゃ」
と大音に知らせる人々。内蔵之助、とくと見終って、
「まさしく
と云ったが、失神したらしく、うつむいて言葉も無い。内蔵之助、短刀を抜いて、髪をつかんで引あげる上野の耳の下、ぐっさと突刺す止め。
「
「はっ、かしこまりました」
槍を人に渡して、抜く刀。
「方々御免」
と挨拶をして打落す。小袖をとって引裂き首をつつむ。次の室の柱に
「これは
と聞くと、
「左様で御座ります」
と云って、
「本望を達したの」
と、
「引揚げの
銅鑼を鳴らしつつ、台所へ出る。裏門へ集ると、
「手負の者は手当をして、討死した者は無いか」
点検すると、四十六人。寺阪吉右衛門は逐電してしまった。
「天の加護じゃ」
と喜ぶ。
「土屋殿へ挨拶せねばなるまい」
「いかにも、
土屋主税口上書。
昨夜七つ前、隣家吉良上野介屋敷、
早水藤左衛門、只一人、長屋々々の前を、
「上野殿を討取ったぞ、吾と思わん人々は出会え出会え。かく申すは浅野内匠頭家来、早水藤左衛門出会い召され」
と、大音を揚げたが、物音一つしない。藤左衛門弓を取って裏門の右側、松原左仲の家へ矢を射込んで門を出る。
引 揚
飢と疲労と寒さに、すっかり弱り切った人々がある。間新六など足どりもたどたどしい。気は丈夫でも老人達の目に見えた疲労。傷ついた人々の痛々しさ。
「酒屋がある」
と云った源吾、列を離れて走って行く、もう薄っすらと白み初めた東の空。早起きの商人は起出る。酒屋の十兵衛、奉公人の手もからずに自分で戸を押上げて、店を開けていると異様の姿に
「湯があれば一杯振舞ってくれぬか。怪しい者で無い。心配するな」
「はい。御覧のとおり唯今起きましたばかりで、まだ湯とて……」
「では酒でいい」
「酒は御座りますが、居酒は
「何にどうせ御法度の破りついでだ。酒代くれるぞ」
と投出す紙包。
「何か暖いものは」と、寄ってきた人々に、
「酒々」
と、引出した
「亭主、硯は無いか」
と店の酒樽に腰かけながら、鼻紙へ
山を裂く力も折れて松の雪
「春帆宗匠どうじゃ」と、富森助右衛門に示す。
「ふむ、拙者も一句つき合おうか」と源吾に示す。
寒鳥の身はむしらるる行方哉
「休憩したい」と伝えると、色を変えて住職に告げる、栄誉いう当時の住職は触らぬにしかずと体よく断る。酒で元気のつく人はいいが、酒を飲むのも手の出ない位疲れている人は暫く
「もう一息じゃ。
誰も答える者が無い。
「もし失火でもあっては一大事。御足労ながら
声に応じて矢田五郎右衛門、赤埴源蔵、二人切りで引返して火鉢、
「邸の模様はいかが」
「何も
「さらば泉岳寺へ」
と、一ツ目から大川に沿うて南へ下る。
すっかり明放れた十五日の朝。見物は両側に走出てくるし、次第に跡を
十五日の朝八時すぎである。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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