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判任官の子

     一

 

 父は八の字ひげを()やしてゐるくせに腰弁だから、子供のくせして洋服が着たくても仲々買つてもらへない。

「中学へ行くやうになつたら買つて下さる」

 母は言つてなだめてくれるが、中学生が洋服着るのは当り前のことだし、それまでには未だ随分年間がある。第一中学生の着る洋服はあれは羅紗(らしや)でない、あんなだぶだぶのはつぴのやうな木綿の制服なんぞ御免だ。子供が洋服を着たがるのは官員さんや紳士や大きな学生の真似をしたいからではない。小さいくせに体によく似合つた羅紗の洋服を着ればハイカラで名誉に思ふからだ。県庁の技師の子で眼痴(がんち)三木義秋と県病院長の子のくせに青しん坊の背のひよろ高いその上ドモリの花村隆は小学校のくせに毎日朝から夜まで洋服ばかり着てゐる。どうしても中学校へ入るまでに羅紗の洋服が欲しくてならない。

 三木たちのやうな洋服は八間道(はちけんみち)の蔦屋洋物店の硝子窓の中に売つてゐる。局へ父の弁当を持つて行く時一日おきに見て来るから知つてゐる。それを母は三木や花村は東京の親類から送つてもらつたので、こんな小さな市には買はうと思つても売つてゐるところがないから仕方がないと言つて嘘をついてだましてゐる。そこへゆくと父の方は何んでもはつきりしたことを言ふ。

「子供の洋服なんぞは大人が子供に着せたりぬがしたりして遊ぶ玩具(おもちや)だ、おれにはそんな玩具が欲しくもなし、必要もなし、買ふだけの資力もない」

 父は子供に向つてものを言ひきかせるに子供によく解らない言葉を平気でつかふ。それでも何遍かきくから意味だけはだんだん解つて来る。けれども子供が必要がつてゐるものを大人の玩具だと言つておれは欲しくも必要もないといふ父の理窟は解らない。どうせ買つてくれないなら資力が無いといふだけきけば沢山だ。資力がないくせしてひげなど生やしてなけりやいい。けれども父は三木や花村の家の父が持つてゐるやうな懐中時計や鎖は持つてゐないがひげだけは二人の父よりはるかに立派だ。母は()つとこのひげが父の資力だと思つてゐるのかも知れない。

 よく寝小便をして叱られる。父は叱らない。叱りも又母のやうに一日中ぐづりもしない。真夜中にそれが判ると父はそつと起きて寝衣(ねまき)をとりかへてくれて自分の寝床へ入れてくれたり、ぬれてしまつた蒲団と体の間へ座蒲団を挟んでくれたりしてこれには一言もない。母は朝になるとケンケンおこる。がケンケンおこり出すと本当に無教育のやうな顔つきになる。お灸をすゑてやると言つて仏様の線香に火をつけて、前をまくりにねじ伏せに来る。あんなやはらかいところに、いかにも熱さうな気がするから逃げ廻る。母は毎日仏壇を大切にするくせに、寝小便のこととなると仏様の線香を人のお尻に向けたりして罰のあたりさうなことにも気がつかなくなる。

「どうしてこいつは、いつまでも寝小便がなほらんのぢやろ、今夜から便所の中で寝させるんぢや」

 すると父がにはかに怒鳴るのでびつくりする。

「うるさーい」

「わたしが子供の前であんたに叱られるんぢや、子供の寝小便なんぞ大人になるまでなほらせん……」

 その後の言葉は蒲団かむつて何かを言つてゐるやうに母の声が()れて落ちて行く。

「……毎日毎日ぬれ蒲団の始末をする身になつてみなさい、あんたもこの位の子供の折に寝小便してなさつたのやらうかしらんが……」

 いくら叱られてもいいけれども母が寝小便のことで叱る時の言葉は口ぎたなくて、早田河原の乞食(こじき)長屋のおつ()あのやうな言葉つきになるから心が暗くなる。どうかして寝小便が出なくなるやうになりたい。道を歩いてゐてウンコがしたくなつたら小石を三つ拾つてふところへ入れてゐるとなほるから、その応用で寝る時石を三つふところへ入れて寝てみたが寝小便おさへには利目(きゝめ)がなかつた。

 寝小便は大てい夢を見ると出るものだ。夢を見ながらしてしまふ。あとで考へてみると、この夢の中に()つと小便をするところがある。そのくせ夢の中で小便をしながら、又、小便場へかけつけてゐる時にこれは寝小便なのではないかしらんと夢見ながらそんなことまで思ふ。そして小便の音がしだすと段々その夢の中でみる音が大きくなつてその音で目をさます。するともう蒲団や寝衣がずぶぬれになつてゐる。

 寝小便の出なかつた夜は()つと小便と関係のない夢さへ見てゐない。母にケンケン言はれないやうにするには、どうしても夢を見ない方法をとるより外には途がない。

 第一、水に関係のある遊びをしたり、話をきかないこと。

 寝床へ入つてから父が支那の司馬温公といふ人の少年時代の話をしてくれたが、それをききながらいつの間にか睡つてしまふとこんな夢を見て寝小便をした。

 なんでも県病院長の家の広い庭で皆と遊んでゐると子供の丈の五倍ぐらいもある大きな水甕(みずがめ)があつて、眼痴の三木が洋服を着て編上げ靴をはいたままその甕の上へあがつて、縁のところを伝つてひよこひよこ歩き廻つてゐる。加代ちやんといふ女の子があぶないあぶないと心配して下をかけまはつてゐる。他の町内から遊びに来てゐる(わたり)浜太郎が下から三木に小石を拾つてあてようとしてゐる。それを三木は気付かないで、潰れてゐない方の目で中心をとりながら歩き廻つてゐる。渡はあぶないあぶないと一人で騒ぎ廻つてゐる加代ちやんを後から抱きすくめて手を廻して加代ちやんの口をふさがうとしだしたので加代ちやんを助けに行かうとして、一寸三木の姿を見上げると、三木の体が甕の上から消えてしまつてゐる。

「あつ、三木が甕の中へおこつたあ––」

 と院長の花村がお勝手の方へ通じてゐる裏の方へ駈け出して行つた。渡はそれを見て自分が悪いことをしたやうに思つて加代ちやんの手をひつぱつて逃げて行かうとする。私は一人になつてしまつて、自分が三木を突き落としたやうに思はれやしないかと心臓がどきどきつき出して足がすくんで動けなくなつてしまつた。それでも、ひよつとすると三木が甕の後ろからひよいと姿を現はしはしないかといふ気がしだして心が少し落着いて来たので、そうつと甕の後へ廻つて行つて見ると三木なんぞ居ない。甕の下に一寸大きな石がある。やつとでも持ち上げられなささうにもないと思はれたが抱きついて()たうとしたら、ひよいと軽く持ち上つたので、楽々とその石を頭の上まで差し上げて甕の胴腹に向つて投げつけようと身構へしたら急に下腹の中のところがむずむずして来て小便がしたくなつて来た。けれども我慢して、その石を投げつけた。石がはずんで大マリのやうにはね返つて来たから、びつくりして、さつと身をひるがへして甕から大分離れたところまで逃げて来てふりかへつてみると、ちつとも音がしないで、甕の胴腹が門の扉のやうに開いて甕の中の水が滝のやうに流れ出してゐる。見てゐるとやがてその滝と一緒にふはりと三木の体が腹匍(はらば)ひの形をして、口から小さな滝を吐いて泳ぐときの様に手を前へのばして、外へ流れ出して来た。そして魚のやうにぴちぴちはねてゐる。そこへ裏の方から大人が五六人来て三木を抱き取つて家の中へ入つて行つた。それにも拘らず水はどんどと止まらずに流れ出てゐる。それを見てゐるといつの間にか、加代ちやんも、渡も、院長の花村も一緒に立つて見てゐる。そこへ三木の母と花村の母が姿を現したので、びつくりして私は逃げだした。二人の母は、どんどん追つかけて来る。どんどん逃げて自分の家へ飛込んで胸をどきつかせながら、それでもやれやれと思つて見渡したら家の中には父も母も誰れも居ない。小便がさつきからもり出すやうにしたかつたのだといふことを思ひ出した。そしたら目がさめてお尻の廻りが湯につかつてゐるやうに、ずぶずぶになつてゐた。あの石を持ち上げた時もよほした小便が、もう水の流れ出す時一緒に出たのにちがひない。あの滝が小便だつた。甕にぶつかつた石の音が若し夢の中できこえてゐたら、その音で目がさめて失敗せずにすんだかも知れない。

 その次に、洋服が欲しい欲しいと始終思つてゐることが夢を見るもとになるのだと思ふ。洋服を買つてくれさへすれば夢は消えてしまふであらう。たとへば、はじめて洋服を着て小便をするときにボタンが仲々早く外せないので、もらしてしまつた夢などはもう見なくてもよいやうになる。さうすれば寝小便をするひつかかりはだんだんそれだけ少くなつて行く。

 しかしそれも父に資力がなければ仕方がない。あゝ、洋服が欲しい。三木の母にこの話をしておけば()つとクリスマスかなんかの時その洋服ぐらゐお祝ひだと言つてそのわけを言つて一着くれるかも知れない。三木の母は決して人にものをやる時恵むといふやうな顔をしない。けれども父はひげをはやしてゐるくらゐだからそんなものは子供がいくら欲しがつてゐても受け取らないにちがひない。

 父に資力のない家の子は夢ばかり沢山持つてゐる。そしてこの夢は朝になると悪いことや叱られることばかりを産んでゐる。悪いことや叱られることばかり産むやうな夢はいくら沢山持つてゐたつて、黴菌のやうなものだ。父はシバオンコーは人の命の方がどんな高価な水甕よりも大切なものだといふことをすぐに考へて石で甕を割つてしまつてその中から子供を流し出して助けたのは知慧も立派だし心も正しい子供だと言つたが、子供の心は自分のひげよりも大切なものだといふことも気がつかなければ、子供に洋服を買つてくれて、それを以つて悪いことを産む子供の夢を打ち破らうといふ知慧もない。もしさういふ知慧が出て、その気になりさへすれば、高が子供の洋服ぐらゐ買ひ取つてくるぐらゐの資力は自然に出て来るものだ、恰度(ちやうど)私が夢の中で持ち上がりさうもない石を頭の高さまで差し上げたやうに。大人の玩具なぞ自分は欲しくないとか、必要がないなど言つてばかり居て子供に洋服を買つてやらないのは金持の家の高価な大甕を見て、これを割るとどんなに叱られるだらうとか、弁償するに大変なお金がかかるだらうとか思つてばかり居て、甕の中で死にかけてゐる子供を見殺しにしてしまふと同じことだ。

 寝小便をしたら、どんなに父がひどく叱つてくれてもいいから洋服が買つてもらひたい。叱りもせず洋服も買つてくれなければ年中母がケンケンおこつてゐるばかりだ。

 王子様がいくら立派な洋服を着ておいでになつたつてかまやしない。けれど毎日一緒に遊んでゐる友達が着てゐるのは第一に洋服が欲しくてならなくなるもとだ。一そのこと、洋服を持つてない子供達ばかりの町へ引越してくれてもいい。

 

     二

 

 学校から帰つて家の方で遊ぶ仲間のうちで洋服を持つてゐないのは私の外には渡浜太郎が居る。まだ加代子といふ女の子が居るが、女は別だ。だから四人のうちで渡が一番好きだ。渡は八間道の大きな石門のある眼医者の子だが、この町内から一寸(はな)れてゐるから皆で一緒になつて遊ぶ時には時々加つてゐないことがあるからつまらない。その代り洋服のないもの同士二人だけは別になつてよく遊ぶからいい。

 渡は私には本当に思ひやりの深い友達だ。実は渡は洋服はないが外套(ガイトン)を持つてゐる。去年の冬冷い風の吹く夕方父の弁当を局へ持つて行つた帰りに八間道の芝居小屋へパテー商会の活動写真が来てゐたので立寄つて看板の絵を仰向いて見てゐた。活動写真や芝居なんか中へ入つて見なくても看板の絵を見れば何をやつてゐるか想像がつく。これも父が言つたことだが、だから未だ中へ入つたことはない。すると外套を着た渡が水々した母親に手を引かれて活動見に木戸口へ這入るところの後姿を見付けた。

「わたりい」

 母親がついてゐるから遠慮して「わたりさん」と言つて呼ぼうと思つたが、変てこだから、その代りに小さい声で呼ばつてみたが、音楽隊の音で、そんな小さな声はかき消されてしまつたのだらう。渡は楽隊にあふられて跳ね上るやうな足踏みをして活動の中へ鉋屑(かんなくず)のやうに吹き込まれて行つてしまつたことがあつた。––その時から渡の外套を持つてゐることを知つてゐる。けれども、渡は一口もそんなことを言はない。私と遊ぶ時は勿論、私の目に見えるやうなところでは雪のふる中を走り廻つて遊んでゐても、決して外套を着たことがない。自分で外套を着ることが嫌ひではないかと思ふくらゐだが、やはり渡は私が持つてゐないことを知つてゐてわざと着て来ないのだと思ふと渡といふ友達は益々好きになれる。

 渡は五つの時から本当のお母さんが無いと言つてゐる。今のお母さんは元藝者だつたさうだが、渡にそつくりな顔付きをしてゐるから不思議でならない。()しかすると渡を産んだお母さんかも知れない。渡は時々嘘をつくから判らないが、藝者だつたといふことは本当らしい。家へ遊びに行くと、渡の母は長い火鉢のある部屋の火鉢のそばに坐つて片膝を立てて長い煙管(きせる)で煙草をすつてゐる。そして水々した大きな髷を乗せた青いくらゐに白くて、一寸尖つた細い顔を一寸笑つて私の顔を見る。笑ふ時、歯が黒いから一寸おばあさんに見えるが、すぐ、口の中へかくれてしまふから一寸意地悪顔に見えて、いかにも継子(ままこ)いぢめをするやうになる。そしてその後ろの壁にいつも三味線が二つ袋に入つてぶら下つてゐるから、藝者だつたことは本当かも知れない。渡を大変可愛がると人が言つてゐた。親が子を可愛がるのを、わざわざさういふことを関係のない人が言ふのは、どこでも()つと親が継母(ままはは)の証拠だ。けれども渡は大変きれいな男の子だから継子(ままこ)でも藝者のお母さんが可愛がるのだと思ふ。渡の目は少し狐のやうに釣り上つてゐるが、目の玉が兎のやうにくるくる動いて、動かさないでじつと見詰める時は兎の目よりきれいに澄んでゐる。眉毛は太くて黒々してゐるし、顔の色がお白粉(しろい)をつけてゐるやうに白い。鼻は(たか)く寸法が長い。髪の毛は茶色ぢやないけれども、西洋人の役者の子は渡のやうな顔をしてゐるかも知れない。

 

     三

 

 約束で外に待つてゐると、渡がその母から二銭金(にせんがね)を一つ貰つて飛出して来たので、すぐ二人は肩を組んで、「なんやい」と嬉しがつて町外れの汽車場のそばの竹屋へ竹馬(タカシ)の竹を買ひに行つた。二人は言葉で言ひ表はせないやうな楽しいことや、言つてみたつて仕方がないやうな嬉しいことがいよいよ始まるといふ時になると、いつもお互ひの体にさはり合つたり、楽しみの大きさによつて突き(とば)し合つたりして、この「なんやい」といふことを言ふ。その証拠に片一方だけが「なんやい」と言ふ時がある、その時は体にさはられた方が「なんぞ嬉しいことがあるんきやい」と訊く。

 渡は途々、夜寝る時お母さんが一緒の寝床で寝てくれるといふ話や、風呂も一緒に入るといふやうな話ばかりして助平だが、渡の話をきいてゐると渡は話が上手だから知らぬ間に長い道を歩けてしまふからいい。渡の母は渡がまま子だからそんな××なことをしてやることが出来るのだ。本当の母だつたらそんな馬鹿なことを子に向つてしないと思ふし、そんな可愛がり方をしてもらへばかへつて変にしか思はれない。けれども三木のとこのやうに、ああいふやうにきれいで教育のある顔つきをしてゐる本当の母にしてもらふのだつたら変に思はれないかも知れない。どちらにしても家の母はうつくしくないから駄目だ。三木なんかいくら可愛がられても三木は何んとも思はない子供だし、片一方眼が潰れてゐるのだから、羨しくも思はないけれど、渡は母も子も実際は他人同士の集りで両方とも美しく、渡も可愛がつてもらふことをあんなに自慢してゐるくらゐだから、それをきいてゐると羨しくなつて来て、自分にも母がきれいなまま母だつたらよかつたと心が迷はされてしまふ。もう子供のうちは駄目だ、早く大人になつてしまひたい。そして、普通には父が母にしないやうなことを、お嫁さんをもらつたら、そつとしてやらうと思ふ。

 こんなことを思ひながら歩いてゐると、おしまひに足がふるへ出して、歩きにくくなつて来る。私は下を向いてきいたり考へたりして行くが、渡は空を見上げては一人で話しつづけて行く。そして時々私の肩をぐつぐつとつかむ。

 

 竹屋の裏の空地には恰度(ちやうど)竹馬をこしらへるために切つてあるやうな裏つぽ竹が千本ぐらゐもある。竹馬にするために切つたのではないかも知れないが、はじめ大きな竹を傘や扇や提灯などの骨にするに要るところだけを切り取つたその余りの先きつぽを置き溜めてあるのだ。竹屋の小母さんはいつも()つぽけな玩具のやうな丸髷を頭のてつぺんに乗せてすました顔付きをしてゐる。二人はめいめいに帯の間に巻き込んで来た二銭金を突き出して小母さんに黙つて渡すと、暖簾(のれん)の下を一寸かがんで通つて、大きな鼠棚や下駄箱やお(くど)さんや小便場や流しや風呂場の前などの小暗い湿りつ臭いところをずんずん通り抜け裏へ出ると土蔵の壁に竹が横にして押しつけて積んである。その山の上へはだしになつてガラガラ駈け上つて竹と一緒にすべつて山を崩したりしながら()りはじめる。

 竹は二本の太さと節と青さの色合がぴつたりと揃はないといけない。太さは細身の方がよく、色は門松の竹のやうに真青(まつさを)で節と節との間はうんと長いといふ、さういふ竹はなかなかさうも揃はないから、これでいいと二人の心が定るまでは見つけ出すになかなか時間を食ふ。

「なん、おい、洋服を一つ買つてもらふ方がええか竹馬(タカシ)の竹百本がええか」

 渡はさがしながら訊き出す。

 渡はかういふ訊き合ひをし出すのが癖だ。

「そらあ、おれは竹馬(タカシ)の竹百本がええさ、てまいは」

 洋服の方がいいのをわざと反対のことを返事してやる。

「ふーん、おらあ洋服の方がええなあ。ふんなら、洋服二つと竹馬の竹五十本と、どつちがええ」

「さうぢやなあー、そんなら洋服の方がええなあ」

「そんならなあー、加代ちやんと×××するがええか洋服がええか」

 と言つて渡は細長くて真赤な舌を出して鼻の柱に皺をよせて白狐が腐つた油揚げを()いだやうな顔して笑ふ。

「たあけい」

「なんで、たあけぢや。ふんなこと言ふくらゐなら加代ちやんを嫁さんにもらふ方がええか、洋服二つがええか、竹馬の竹二百本がええか」

「てまいはどうぢや」

「てまい、どうぢや」

「てまいの方が先にどうぢや」

「そら、あたりまへさ」

「なにが」

「加代ちやんさ」

 と言ひ放して渡は横を向いて唾をはき前をひんまくつて指を添へて上向け、竹の上から噴水をやりはじめた。渡の×××の先は尖つてゐないでなんだか円く見える。

 夕方街に燈がつくころ帰つた。

 

  のんの

  ねえさんのんの

  どんぶりばち

  いいつわあれたんた

  たんた

  さんさくねんの

  さんさんがあつに

  わあれたんた

 

 かういふ歌を途々(みちみち)渡に教はりながら唄つて帰つた。

 

     四

 

 加代ちやんは日露戦争で名誉の戦死を遂げた軍人の子だ。その父は聯隊長の次ぎ位の偉い軍人だつたと三木が言つてゐる。皆と同い年のくせに一年上級だし、女だから学校ではわざと遊ばないが、同じ町に住んでゐるから家の方へ帰つてからは皆で一緒に遊ぶ。

 顔やくびや手や足のキメがこまかくて西洋蝋燭のやうにツヤがある。そばに居ると牛乳とゴムマリと毛糸と猫の毛と川の水と汗とシャボンと犬の背中と草の葉とバラの花と砂糖との皆んなの匂ひがする。こまかいことに気がついて、いつもニコニコしてゐるが、時々つんとして生意気で、しけしけと意地悪で、さうかと思ふと大人のやうに親切で、静かにしやべつて、気が弱くてやさしくても気が強いやうに気短で、時々ピーピーメソメソ泣くくせに、眉のところを寄せて何か考へてゐる風な顔付をこしらへて、三木の母を小さくしたやうに大人くさくて、女だと思つて馬鹿に出来ないから皆は知らぬうちに加代ちやんの言ふことをきいてしまふ。

 加代ちやんは渡が来て五人になると子買ひ屋遊びをしようと言ひ出す。渡が居ないと、しようと言はない。こちらでしようと言つてもしない。加代ちやんは渡が本当は一番心の中では好きらしい。

 場所はたいてい院長の子の家の中庭で、蘇鐵(そてつ)がかくしてゐるので玄関を見ないで黒く塗つた四角い柱の組合せた門を入つてからすぐ左の方にあるもう一つの小さい黒塀の中へ入ると朝鮮芝がつぎめの無い青筵(あおむしろ)を敷いたやうにひろがつてゐる。その真中が一寸高くなつて五月頃になると紅い花を着ける猿すべりといふ樹があるその下だ。

 院長は一番意地悪で蔭弁慶だから、自分が靴ばきのままで芝生の上は平気でふんづけて歩くくせに、下駄のものははだしで上らないと母様に言ひつけると言ふ。院長の母は未だ顔を見たことがないから、言ひつけられると何んだかこはいやうな気がするから、だまつて下駄をぬいで芝生の上に上る。三木は靴だから脱がなくてもそのままでいいものだから嬉しがつてゐる。加代ちやんは麻裏の草履ばかし履いてゐるから脱がなくてもよいのださうだ。下駄を脱ぐのは外には渡だけになる。そんな小意地の悪いことは言はなくても、はだしになり度いほど気持のよい芝生なのに、院長に言はれてから下駄を脱ぐくらゐなら、畳のお座敷へ上らせてもらふやうなものだ。未だ院長の家の畳の上へは誰も上つたことはない。

 渡はすぐ癪に()はる(たち)だから、こんなところではだしになるくらゐなら誰が遊んでやるもんかーいと、

「一でおーいたい」

 と言つて私を手招きして帰りかける。それで私も、小さい声で、

「二でおーいたい」

 と言つて渡の後から走りついて院長の家の門を出て行かうとすると、加代ちやんは私の方へは関係なく渡のそばへ走り寄つて、

「堪忍ね、あたいもはだしになつたげればいいでせう」

 と甘えたやうな口の形をして首をかしげたりしてたうとう渡を引止めてしまふ。

 そのくせ、加代ちやんは渡を親にしないで院長のドモリを親にして、自分が子買ひ屋になる。渡は子にされて眼痴(がんち)の三木の次に並ばせられ、残つた私には加代ちやんは何とも指図しないから私は自分で勝手に一番ビリケツにつく。院長の庭で遊ぶのだから院長が親を命ぜられ、加代ちやんのお母さんと三木のお母さんとは仲好しで、いつも琴を一緒におさらへしてゐるから三木が子の先頭で、渡はちがふ町から遊びに来たお客さんで(すね)て帰りかけたりしたから子の二番目がよいところだし、私なぞは居ても居なくてもどうでもいい人間だと思はれてゐるのだから何だつて構はない。体が大夫で片輪でなくても洋服を持つてゐないからどうでもいいと思はれるのに定つてゐる。渡は洋服を持つてゐなくても一番好い顔付をしてゐるし、自分が癪にさはると誰に向つてもどんどんと文句を言ふ性だから割合に徳だ。青しん坊のドモリでも、眼痴でもシャレた恰好をさへしてゐれば親にもなれるし子の先頭にもなれる。もう(せん)に皆の出来ないことをして見せてやれば加代ちやんが私を親にするだらうと思つて逆立(さかだち)をしたり猿すべりの枝に逆さにぶら下つたりしたけれども、やつぱり並ぶ時にはビリケツにされた。見る時だけ笑つて見ておいて、ど加代は、いつも、

「さあ今度は子買ひ屋しませう、早くやめないとあんただけ一緒に入れてあげないよ」

 と言ひやがる。

 

子買ふよう(コカヨー)、子かよー」

 加代ちやんが猿すべりの樹にもたれて声をあげる。加代ちやんはいくら大きい声をはりあげても少しも顔を動かさない性だ。鼻に声がかかつてこれを色で表すと紫のやうな声で好い声だ。遠いところでリンリン、耳の底でリンリンと言つてゐるやうに聞える。

「コカヨー、コカヨー」の節廻しは鶯が「ホーホケキョ」となく時のと同じ調子だ。

「どの子が欲しよ」

 と、院長が(たづ)ねる。

 院長は読本(とくほん)を読む時や、話をする時は重い釣瓶(つるべ)で深い井戸から水を汲み上げる時のやうに、腰も屈めなければならぬ程ひどく(ども)るが、唱歌の時やその他節をつけてものを言ふ時はちつとも吃らないから不思議だ。

 子はきちんと親の後ろに縦隊で並んでゐなくてはならないのに、渡だけは列中から脱線して芝生の上に尻を下して上体を後手で支へて足を前に投げ出し、加代ちやんが誰れにしようかと藪睨みの癖を出して考へてゐる風をしてゐるのに向つて、渡は人差指で自分の鼻の(さき)をつついて、

「子かよー、お加代」

 とふざけながら、自分が当てられたがつてゐる。

 いくら加代ちやんが考へてゐるやうに見えたつて、女はさういふことをして見せるのが生れつきだから何んにもならない。

「よつちやんてツ子が欲しよ」と答へ、三木が当つた。

「何食はせておきやる」と院長、

「赤い(まんま)(とと)そへて」は加代ちやん。

「骨がたつていーやいや」

「噛んで噛んで食はせるよ」

「噛みくさくていーやいや」

「鯛の骨無し烏賊(いか)捕つて食うはしよ」

「名は何んとつける」

(からす)とつける」

 本当は皆が下駄でも草履でも履いてゐるとそれを片方脱ぎ置いて、チンチンガイコして子買ひ屋の方へ跳んで行くのだが、三木は編み上げの靴をはいてゐて脱ぐに手間がかかるから、気を利かせたつもりで帽子を脱ぎ捨てて自分がガンチのことも忘れてゐるやうに自分だけゲラゲラ一人で喜んで片足を上げ「カアカアカア」と跳んで行つて加代ちやんの着てゐる緋裏(ひうら)のついた羽織をまくつてその下へ蛙のやうに頭を突込む。

 さうするのが定めだから加代ちやんはされるままに体をくねらせ、

「嫁入りの道具はいつ来るよんよい」

 と呼ぶ。

「今行くよーんよい」

 院長答へて三木の帽子を拾ひ上げ加代ちやんの方へ放つてやる。

 一人片づいて其次、

「コカヨー、コカヨー」

「どの子が欲しよ」

「浜ちやんツて子が欲しよ」

 加代ちやんはいつも渡さんと呼んでゐるが、それをこの時だけ浜ちやんと言ふ。

「何食はせ。。。。。」

「赤い。。。。。」

「骨が。。。。。」

「噛んで噛んで。。。。」

「噛み臭くて。。。。。」

「鯛の骨。。。。。」

「名は何ん。。。。。」

(トンビ)。。。。。」

 渡は先のままの姿勢でわざと欠伸(あくび)をしてゐたが、はだしで帽子を冠つてゐないから、羽織でも脱ぐかと思ふと片眼をつむつて三木の顔を真似して、

「ピーヒョロロー、ピー、ヒョロヒョロー」

 鳶の啼き声かと思つたら、按摩の笛吹く真似で、二三歩ゆつくり歩いて急に四つん()ひになり、

「ニャーゴー」猫の真似して加代ちやんの足元へ匍つて行きお尻をまくる真似して、キャーッ、キャーッと言はせ、ふざけからかして、三木の後へしやがんでかくれる順番を三木をこぜ()けてやはり加代ちやんの下へもぐり込んでしまつた。

「をかしな人」

 加代ちやんはつぶやいて、腰の辺りを少しよぢらせて曇つた紅い顔したが、またもとの顔に戻して、

「嫁入りの道具はいつ来るよんよい」

「いま行くよーんよい」

 院長は答へるには答へたが、拾ひ上げて放る渡の道具がないので、まごまごしてゐるのを構はず、

「コカヨー、コカヨ」「どの子が欲しよ」

 と始まる。

 最後のものはもう自分に定つてゐるから(たのし)み薄く、()ねた気持でしよんぼり何を見るとなく見詰めてゐると、

「永田ツて子が欲しよ」

 と聞えた。

 三木はよつちんで、渡が浜ちやん、おれだけ永田。

 何、赤、骨、噛む、噛み、鯛、名、食べものもやつぱり同じで、名は雀と付けられた。

 一番尻に呼ばれるのでなかつたら、三木や渡のやうな下手な啼き真似ではなくて、もつと本当の雀のやうに啼いてやるのだが、もう啼けるものかい。上手にでも啼いてみようものなら、本当の人間の泣き声がつながつて出て来さうだ。羽織を脱げば、嫌ひな柄の貧乏くさい裏地を見せびらかすやうだし、黙つてただ歩いて行けば加代ちやんが、渡には何んにも言はないくせに自分にだけは何んとか訊ねるだらうし、気が進まないのに片足なんぞ上げて跳んで行けるものかい、えーえ、

「永田、永田、永田、ナガターアイ」

 泣き声みたやうな声が混らうとするのをやつと()り分けて喉の下へ押し込みして歩いて行くと皆がケラケラと笑ふ。それで渡の羽織の中へ頭を突込む時は涙を拭くに都合がよかつた。加代ちやんは私のだけ嫁入りの道具のことを省いてしまつて、

「親まで来やれ、山越え、川越え、お山のこんさはえ」

 と呼び出すと院長が一歩前へ出て、

「こ、こ、こーこに、おツおツ大きな、か、か、か––川がある」

 と言ふ。これから院長は吃るから退屈だ。

「船に乗つておいで」と加代ちやんの言ふ番。

「ふ、ふ、ふーねが、なア、ない」

「見渡して橋をさがしておいで」

「は、は、橋もない」

「船か橋か造つておいで」

「手、手、てー間が、手間が、とツ、とツ、とーれてひ、ひ、ひ、ひひひひ日がくれる」––しやべるにも手間がとれる。

「川を(わた)つておいで」

「深くて、深くて」––ドモが言ふといかにも深いやうだ。

「川の水を飲み干して」

「ガブ、ガブ、ガブ、ガブ」––ドモは本当に飲むやうだ。

 院長は飲む真似をして又一歩前進。

「ここに大きな山がある」––本当に大きな山があつて行く手の前にそびえて居て、面喰つて口が利けないやうに言ふ。

「山越えておいで」

「エンチラ、エンチラ」院長の息が切れさうで大変えらさうだ。

「ここに大きな岩がある」––岩はぶるぶるふるへてゐる怪しい岩だ。

「まはつておいで」

 一廻り廻つて院長は子買ひ屋の前へ来て止り、加代ちやんにハンケチで額の汗をふいてもらつて、そのハンケチで目かくしをしてもらふ。

「うーちの、こつこ、こつこ子供は、どつどつどつちらに、をつをつをーりますか」

 院長は固い(びん)の栓でもはめたり抜いたりするやうに吃りはじめると、皆まで聞かないうちに加代ちやんは裏の井戸の中に居るとか、天井の裏にかくれてゐるとか言つて院長にいちいち捜す真似をさせておいて不意に、

「ウワー狐ね––」

 と叫びをあげて子等と一緒に逃げると院長は目かくしのままで追つて捕へようとする。

 捕つたものは鬼だが、この鬼は次回の親になれるから皆が親になりたくて、我れ先きにと逃げながらわざと捕へられようとするから、狐はかへつて楽で、しかも次回の親にしてやり度いと思ふものを捕へることも出来る。子は折角捕つても狐が名前を言ひ当ててくれなければ無効になるから、捕まると、わざと「しまつた」と大きな声をあげて自分の声を狐に知らせようとする。狐の方では親にしたいと思ふものを捕へるまではわざと名を間違へて言へばよいわけになる。

 それも渡のやうな子が交つてゐては駄目になる。

 院長は加代ちやんを親にし度いと思つてゐるらしいが、渡は何辺でもうまく院長に捕へられる。

野暮(やぼ)よ、野暮よ」

 加代ちやんが言ふ。

 わざと捕つたものは名前を当てられても他から苦情が出ると無効になるのだが、院長も意地悪で依怙地(えこぢ)になつてゐるから何辺でも渡だとは言はない。

 但し名前を間違へると、間違へられたものからその都度、お尻に限り打たれる規約になつてゐるから、渡は院長のお尻を盛んにぶつ。おしまひには規約の制限を超えて、耳を引張り、鼻をつまみ上げ、たうとう横面をはり飛ばしたので、院長はもう我慢出来ず渡に飛びかからうとして目かくしをとらうとするが、仲々とれない。その間に渡は足をあげて院長の後からお尻を蹴り上げたので、院長はどたりと前へのめり倒れて泣いてしまひ、

「渡が蹴つたあー」

 と泣きながら、たうとう渡の名を言ひ当てた勘定になつてしまつた。

 吃りは泣く時も亦吃らないものだ。

 

     五

 

 三木はいつも洋服ばかり着てゐる代りに可哀さうに片眼が潰れてゐるから入れ眼をしてゐる。入れ眼といふものは初めは見えないが、入れておくうちに段々見えるやうになるものらしいが、何で造つたものか判らないので、眼医者だから渡にきいた。

「生きた猿の眼玉をくり抜いて薬で腐らんやうにしてはめたるんぢやぎやい」

 と渡は話す。

 そんなことなら自分だつて一ぺん想像してみたことがあるから、

「ふんな一寸したこつて見えるやうになるんか」

 とたづねると渡は吹き出した。

「てまい、よつぽど馬鹿ぢやな、たあけい、あんなもん見えるやうになると思つちよるか、入れ眼が見えるくらゐぢやつたら、按摩も()らんやうになるし、盲学校もいらせんぎやい。あんなもんダテぢやぞよ、ガンチのくせにオシャレこいちよるんぢやぎやい」

「ふんでもなあ、三木は学校へ行く時だけ入れ眼を入れて家の方で遊ぶ時は取り外しちよるぜ、第一見えんもんなら、あんな三ツ目小僧のひたひについとるやうな動きも()たたきもせずに一と所ばつか見詰めとる気味の悪い眼の玉を入れとく筈がないぢらうぎやい。あんなもんがなんぜダテぢや。見えるから気味が悪うても入れ眼をしとるんぢやないぢやらうかや」

「てまい、まんだ、たあけぢやなあ、ふんなら、てまい三木に見えるか見えんかなんぜきいてこん」

「そんなこときくと三木がお母さんに永田がこんなことをきいたと言つて告げに行くからおらいやぢからきかんとをる」

「なんにしよう、そんなもん見えんてこと」

「見えんくらゐなら折角生きとる猿の眼玉なんぞ可哀さうなことしてなんぜ抜き取るんぢやい。ふんなもん硝子玉でもええぢやらうぎやい」

「あは、あは、あはぢや、てまいまんだ本当に猿の目の玉ぢやと思つとつたんか、たあけぢやなあ、あれは本当のことを云ふと硝子玉ぢやぞよ。三木はなあ馬鹿ぢやでなあ、洋服着せてもらつて、入れ眼してもらつて威張つちよりやがる。ガンチのことも忘れて加代ちやんばつかにくつついちよりやがる。ガンチのおつ()あも自分の子に入れ眼させて見える風させて人をだましたつておれはな、ちやんとだまされんぜよ」

「見えるわーい」

「馬鹿、見えるきやあい」

「見える、見える」

「見えん、見えん、見えたら眼玉が動きまーす、チンチン」

 渡は電車の真似をしてごまかす。

「おい、」と私の御機嫌をとるやうな声で「てまいガンチになつて洋服買つて貰ふがええか、加代ちやんをお嫁さんに貰つてガンチになるがええか」

 渡はおしまひに、ちやんとかういふことを言ふ。

 

     六

 

 加代ちやんのお母さんと三木のお母さんとは東京で同じ女学校を卒業したさうで仲好しだつたからその子同士も仲好しだ。それで二人は学校へ行く時も帰る時も一緒に連れ立つてゐたり、両方の家で二人だけが遊んでゐるのを渡はやきもちをやいてゐる。それで三木は渡に出遇ひさへすればひどくいぢめられる。三木は泣いて騒ぐからひどくいぢめられるやうに見える。

 

  お加代はガンチの嫁さんで

  ガンチはお加代の婿さんで

  ガーンチ、ガンチ、片眼が大事

 

 と渡は唄つていぢめた。

 だから渡は三木のお母さんから大変嫌はれてゐる。嫌はれてゐるわけはそればかりではない。

 三木は赤ん坊の時親の不注意から鋏を持つて遊んでゐたら転んで目を突いたので親が仰天して渡の眼医者へ抱へ込んで行つたが、たうとう駄目だつた。実際はその眼は見えなくなるのは仕方がなかつたのに、親の慾目で眼医者の応急手当がまづかつたためだと思ひ込んでゐるが、可哀さうに罪もない子の渡までに憎しみが自然とかけられて、渡ははじめから三木のお母さんに嫌はれてゐる。三木のお母さんは子の渡が三木のもう一つの明いてる方の眼を潰しはしないかといつも警戒してゐるやうだ。それで渡がこの町内へちよいちよい遊びに来るやうになつてからは自分の子を皆と一緒に遊ばせることまで避けて家の中へ加代ちやんだけを引つぱり込んで遊ばせてゐる。加代ちやんが居ない時は代りに私が呼び込まれ、三木が女中に送られて私の家へ来ることもある。三木が外で子買ひ屋遊びなどに加はる時は、三木のお母さんの警戒手薄の隙だつたけれども、加代ちやんは呑み込んでゐるから三木を保護する。三木のお母さんが加代ちやんは別として、私を何故お宝の三木の相手にするかと言ふと、三木の家と私の家とは町内で一番近よつてゐて、三木が眼を潰した時の騒ぎは覚えてゐないが、二人が遊び出したのはずつと前からで、生れてはじめてなつた友達のやうなものだから三木の顔に片眼が潰れてゐることも当り前に見えて気づかず、むしろ自分の目も三木と同じやうになつてゐると考へてゐたかも知れない程の慣れ合ひだから喧嘩してもガンチといふにくたれ口を吐いたことも一度もないから、三木のお母さんも一番私を安心して遊ばせるのかも知れない。

 だが三木はちつとも面白い友達ではない。三木は無藝だからすぐこちらで飽きてしまふし、三木は残つてゐる片眼のやうに大事な子だからお母さんがいつも二人で遊ぶところを側についてゐて、いろいろな指図をする。心が窮屈でいけない。遊び飽きると上等な紙に包んで上等なお菓子を二人に同じやうにしてくれる。貰ふのはいいが、両手を重ねて有難うございますと御礼をおつしやいと三木のお母さんは教へる。遊んでやつてお礼を貰ふやうでいやな上に、お礼をおつしやいなどと他人の母から教へられるくらゐなら、そんなお菓子なぞなさけなくて食べたくないからその場で食べないで、家へ持つて帰つて親に見せてから食べるやうな顔をして帰りに三木の家の前のドブの中へ包みぐるみたたき込む。

 三木が私の家へ来て遊ぶ時は母が三木を坊ちやんと呼ぶ。そして母はこそこそ外へ出て行つて変な数の多い駄菓子を買つてそれを前掛の下へかくして帰つて来る。それを私の目の前で皆んな三木にだけやつて自分の子にはくれないやうなケチなことをする。私の母はザイゴから来た人だからその(なら)はし通りにするのであらうし、たつて菓子が欲しいわけではないが、なんだか三木のお母さんのやり方に較べると、家の母はあか抜けがしなくて、むさくるしくて、心持ちがいらいらして、そんな時は押入れの中へかくれてゐる。

 やつぱり、渡と二人で遊んでゐる時のことを思ふと世界が広々として空も高いし、心の中が野原のやうに青々として気持がいい。

「小母さん左様なら」

 と言ふと、

「もう、よつちやんと遊ぶのいやになつたの」

 ときまつてお母さんは変なことを()き出して自分の方から今日は帰りなさいと言ふまで帰してくれない。

「いゝえ、さうぢやありません」

「ぢやもつと遊ばない」

「そんでも、局へお父さんのお弁当持つて行かんならん時間ですから」

「それは小母さんがお母さんにお話してうちのねーやが代りに持つてつたげるのよ」

「ふんでも……」

「一寸いいこと話したげるから一寸ここへいらつしやい」

「何ですか」と言つてそばへ行くと、三木のお母さんは手速く私の体をつかまへて、自分の子でもないのに膝の上へ抱きかかへて両手でぎゆつと締めつけて

「これでも帰る方がいいの」

 と言つてくすぐつたりする。教育のあるお母さんがすることではないやうに思ふ。もがいてすり抜けると、

「あら、やつぱりいやなの、渡と遊びたくなつたのでせう、いいわ、この頃ゆたかさんはいけなくなつたのね、あんな悪い子供と仲好しになつていけないわ、渡なんかと遊ぶなら小母さんもうなんにも知らなくつてよ」

 さうすると三木は自分のお母さんを私にとられたのだと思ふのかお母さんを無茶苦茶にたたいて泣き出す。その騒ぎの間に逃げて帰ればいいのに、足がすくんでしまつて、心臓のあるところがガックリガックリとしてどうしても治らなくて動けなくなつてしまふ。

 

     七

 

 日曜に渡が目薬差しの変り型の空瓶を持つて来てくれる約束だから家に待つてゐると、渡は未だ来ない代りに三木の家のねーやが来て、二宮様のお嬢様もお母様とおいでになつていらつしやいますから奥様が坊ちやまをお呼び申して来いでございますと言ふ。私を坊ちやまと言ふのはこのねーやばかりだ。行けないとさう言つてくれるやうにねーやに返事をすると、母が、一寸行つといでときかぬから、渡のことが気にかかるが行つてすぐ帰るつもりで、ねーやについて行くと、三木のお母さんが私の顔を見るなり睨むやうな眼で笑つて、

「いいでしよ」と言つた。

 何がいいのか判らないが、

「はい」と返事をする。ねーやが竹を買ひにやられた上、こしらへたのかも知れない。節も太さもよく揃はない竹馬が縁側にもたせかけてある。

「ゆたかさん、よつちやんはまだ竹馬に乗られないのよ、だから今日はゆたかさんが先生になつてくれるのよ、よくつて」

 三木のお母さんが言ふ。

「いゝえ、私下手です」と答へると、二宮のお嬢様とねーやの言ふ加代ちやんが、

「片足で歩いて片一方の竹馬を肩にかつぐのしてみせない」

 と言ふ。よつぽど乗つてみようと思つたが、加代ちやんの人にものを頼む時の言ひ方が、軍人の子だかは知らないが女のくせに生意気だから癪に障る。そしてそれはいいとして折角見せてやつても、加代ちやんは見世物かなんかを見る気でおもしろがつて見るだけのことで、藝は藝、人は人といふやうな考へを持つてゐるのか知らないが、藝を見せてやつた効果がない。少しも自分を大事にしないし、尊敬もしない。それから第一加代ちやんの母といふ女は嫌ひだ。虫が好かないのかも知れない。渡の母はつんとしてる方が多いけれども、虫が好くし、三木の母は自分の子のことは夢中だし、渡をはいせきするけれども人の子にも親切だし、教育があつてもそんな顔をしないで家の母などと同じやうに母とも話しするから好きだが、この加代ちやんの母になると、一目見ただけで虫が好かない。名誉の戦死を遂げた軍人の妻のくせに、眼鏡をかけてゐて、頭の髪を切りもしないで、三木の母より年も少し上らしいくせに髪の二百三高地は三木の母よりもひさしが長い。一週間に半分以上も学校へ参観に来て、教場の後方の隅に紋付やいろんな着物を着て来て授業を見て居る。自分の子の居る教場だけなら構はないが、授業中にふらふら廊下ばかり歩いてゐて、私等の教場にまで入つて来る。受持の齋木先生は、それをいいことにして加代ちやんの母が入つて来ると、急に生徒に向つて丁寧な言葉をつかひ出す。それだけならいいけれど、いつか雨降りで体操の時間がお話し会の時間に変つた時、加代ちやんの母が入つて来たら、教員室からヴァイオリンを持つて来て、先生がこれからヴァイオリンで歌をひくから、皆は目をつむつて机の上に伏つてをれ、そしておしまひまで聴いたら、先生は何の歌をひいたか当ててみなさい、––かう言つてギーギーひく。さうする皆が一度に、先生、先生、先生、先生とやかましく言つて手をあげる。自分はそんな時に一人だけ手をあげてやらないけれども、先生は一寸加代ちやんの母の方へ目をやつて、誰れかにヴァイオリンの弓で当て、歌の題を言はせて喜んでゐる。いくら目をつむつてゐても歌は耳できくものだから歌さへ知つてゐれば誰れでも当てるに定つてゐることをして子供の教育だといふ風をしてゐる。渡はそんな時には、手は皆と一緒にあげるけれども、先生が名を()さないうちに、その歌の名を大きな声で言つてしまふから面白い。私は何遍やつても手をあげないものだから、おしまひには先生が気付いて「永田はなんぜ手をあげないのぢや、知らんのか歌を」といやらしいことを言つては加代ちやんの母の方へ又目をやる。齋木先生は嫌ひだ。二年の時の片田先生は唱歌は下手だつたが今度の受持に比べればうんと好い先生だつた。豆腐を「とふ」が本当か「とうふ」が本当かと言つて豆腐屋の子と言ひ合をして、この先生に授業の時訊いたことがあつた。「豆腐屋の子のくせに豆腐を『とふ』だと言つてききませんが、その方が本当ですか」とさう言つたら、片田先生は黙つて黒板に「とふ」と「とうふ」と二つ並べて書いて、こちらを向き、ニコニコ笑ひながら、「とふ」だと思ふものは手をあげてと言ふ。今度は「とうふ」と思ふものと言つて又手をあげさせた。さうしておいて、又ニコニコ笑ひながら黒板の方を向いて、すつと「とふ」の方が消してしまつた。あんまり口を利かない先生だつたけれども大好きだつた。

 加代ちやんの母なんぞ学校へそんなに足繁く来なければいいのだ。来るものだから齋木先生の嫌ひなところが殖えて来る。

 それよりももつと乗りたくないのは、渡との或る約束を思ひ出したからで、黙つて縁に腰掛けてゐた。

 渡と二人でおそろひの竹馬に乗つて遊んでゐるのは、院長や三木の洋服に対抗するためだ。洋服を着て靴はいてゐる奴には竹馬には乗れないからだ。それを()し自分が三木の家で乗つて遊んだり、加代ちやんにそれを見せて一人で得意になつたり、三木に教へたりしたら、自分は蝙蝠(かうもり)二股膏薬(ふたまたかうやく)になつてしまひ渡もおこつてしまふだらう。

 どうしても皆してきかないから仕方がなかつた。しぶしぶ竹馬に乗つて庭中を乗り廻つて見せることにした。歩きながら竹の節と節とをすり合せてカリカリ音させる鰹節(かつぶし)削り乗りや、加代ちやんの註文の兵隊乗りなどして知らぬ間に得意になつてゐると、竹馬は足台をしばつた縄がゆるかつたのでクサンと音して下へすべり落ちて尻餅ついて庭の真ん中に横倒しになつてしまつた。

「アー」加代ちやんが笑へば、三木のお母さんも加代ちやんとこのもシクシクと竹の葉つぱでこしらへた笛のやうな声して笑ふ。三木は皆の顔を見較べて貰ひ笑ひをしてゐる。ねーやは自分が足台をいー加減なしばり方したくせに、皆が笑ひ止んでも未だ高足駄はいて石畳の道で駈けつくらしてゐるやうな声して笑つてゐる。

 竹馬は鳶口(とびぐち)のやうな恰好になつたから、もう片足の方も同じやうに鳶口のやうにしてしまつてから土の上に坐つたままでかう言つてやる。

竹馬(タカシ)にはじめて乗る時はかういふ風にして乗るんです、これは草履竹馬(ジヨリタカシ)と言ふんです」

 すると塀の外側で、

「ながたあ」と呼ぶ微かな声が聞えた。

 渡だ。はつと思つた。

「早くこいよ」––つづけて又呼ぶ。

 渡はもう大分前からこの内側の有様を、塀の穴からのぞいてゐたにちがひない。

「しまつた」と思つた。直ぐ飛出して行つて渡に会つて話さうと思ふが陽当りのよくなつた縁の上で皆が見張つてゐるやうだ。

「ゆたかさん、そのゾーリタカシでいいから、よつちやんを乗せてちやうだいな」

 三木は大きな子供のくせにちつとも自分で自分のことを言はないでお母さんばかりに言はせてゐる。

 外では渡がのぞきながら雨だれのやうに呼びつづけてゐるから心はあせつてばかりゐる。

「カーン」と塀に石が当つてすぐ目藥壜の硝子の割れる小さな音がした。

「チャリーン」

「ガーンチ、ガンチ、片眼が大事、ウワーイ」

 渡はそれでも私に言ふ悪口がすぐに考へつかなかつたのか私のことは何も言はないで、ただ三木の家の塀をドドドドン、タラタラタターンとたたいて帰つてしまつた。

 

     八

 

 それから渡とはもうずゐ分遊ばないでゐる。遇つても知らん顔して通る。私の方では遊び度いのだが渡の方では()つとおこつてゐる。大人になるまでもう話し合はないかも知れない。

 冬になつた。渡は洋服は持つてゐなかつたがいい外套を持つてゐる。それを渡は此頃毎日学校へ着て来る。雪が降らなくても、春のやうな暖い陽が差す日でも着て来た。洋服も外套も無いのは私一人になつてしまつた。しかし今年は外套だけは買つてもらへさうである。

 夕方家へ帰つて来ると、父母が私の顔をしげしげ見詰めながら笑つてゐる。さういふことは滅多になかつたから変に思つて辺りを見廻すと一着の外套が柱の釘に掛かつてゐた。

「あれは誰の」

「三木の義君が忘れて行つたんぢや」

 無口の父の方がさう言ふ。

 そんな馬鹿なことはない。買つてくれたくせに嘘をついてだまかしてゐると思つたら涙が出さうになつて来たので、

「そんなら仕方がない」と、わざとやつと言ひ捨てて父母の顔の見えないところへあわてて隠れに行くと母が呼び止める。

「これさ、ゆたか、ちよつとお前着てみんか」

 出さうだつた涙が出てしまつてからだからもう戻るわけにはゆかない。

 するとお母さんが外套を提げてついて来た。

「お父さんが前から註文しといてくれたのが今日出来て来たのやで、早よう喜んで着てみな、ぐづぐつしとると子供らしうないと言つてお父さんが今におこつて返へしてしまひなさるもしれんで」

 外套提げたままの手の甲で涙拭いてくれて外套着せられた。大きくすつぽり、西洋人がそばを通つたやうな香がして、ぽツと体が温いが、嬉しくはない。

 手も足もかくれてしまひ土管の中へしやがんでゐるやうで、渡や三木や院長のより羅紗のキメが(あら)くて毛ば立つてゐる上に三木ののやうに黒い色がたばこの煙のやうな色を吹いてゐないで、赤熊のやうに赤味がかつてゐる。おまけに三角の袋帽子が仰向いて嘘付の舌のやうに赤いネルの裏の口あけて襟のまはりから後へたれてゐる。三角はボタンで止めてあるから世話なく外してみたら襟が伏せた茶碗の糸尻のやうに短く切れつ放しで寒さうにつん立つて巡査か看守の外套くびのやうだ。

「ふゝむふ」と父が知らぬ間にそばに居て笑つてゐて、

「ちよつと大き過ぎたかな、が、まあええやろ、中学へ行く頃にやええかげんになるで、まあそれ位ぢやろ」と言つた。うちの人は何でも中学まで中学までといふことを言つてものを買つてくれる。

「縫上げしときませうか」

 母は着物のやうに外套に肩上げや腰上げをするつもりらしいが、父は、

「外套に縫上げはちとをかしいな、着物や羽織ならどうせ縫上げを下すまで着られんもんでも、ありやあ子供の印にわざわざ縫ひ上げしとくもんぢやでな、一そ内側へ折り込んどけ、その曲げ込んどけ」

 と言ふ。

 渡や三木たちの外套には三角袋はなくて襟が折襟で、折目から好い恰好の二重になつた黒い紐が五箇所ばかりから垂れてゐて真鍮(しんちゆう)のおつとり光る桜の金ボタンが五つづつ肩先から二列に下へ行く程すぼまつて、腰の廻りのところが細くくびれてゐて将校の外套のやうだが、この方はまるでロシヤの捕虜のみたいだ。

 折り曲げて短くされたのを見るとボタンとボタンとの間が尚ひどく拡つたやうに見える。びつくりしたがその顔がいつまでもびつくりし放しでもとへ戻らなかつた阿呆の顔のやうで(すそ)の折り曲げた角がまだぼつこりふくらんでゐて、下から蛙がはひ出して来たり鶏が出て来たり、外から河童がのぞき込みさうだ。手の出る口は何かものを喋つて見たさうにしてゐる。

 寝て起きたら朝で雪が降つてゐて、

「ほれ外套があつらへ向きだ」

 と父親が言ふ。

 学校へ行く時間になつたから、そつと外套着ないで出て行かうとすると、

「ほれ忘れもん忘れもん、大事なもん」

 と言つて母親が外套を提げて来て着せてくれた。

「こんな雪降りに着て行くと新しいから汚すとあかんで、今日は着んと行きます」

 とうそついて答へてボタンをかけないで高足駄をはいてゐたら、

「汚してもかまはんに着て行け、ロシヤのステッセル将軍のやうで立派だ」

 父親が奥で坐つてゐて叫んだ。

 しかたがないから帽子かむつてその上へ三角かむせて外套の上にカバンかけて高足駄はいて出て行つた。靴もないのに変てこな恰好だ。

 

  旅順開城約成りて

  敵の将軍ステッセル

  乃木大将と会見の

 

     九

 

 そのあくる日、授業がすんで帰ることになつたら齋木先生が、ちよつと永田は残つてをれと言つて、宿直室へつれて行つた。

「お前はきのふ学校の帰り途で何か大変悪いと思ふことをせなんだか、正直に言つてみよ」

 と恐しい眼付をして先生は訊く。

「いゝ、なんにもしませなんだ」と平気で答へた。

「なぜ、嘘をつくか、二宮加代子さんを雪の中へ押し倒して口の中へ雪を詰め込んだのはお前だろ、なぜさういふ悪いことをした。見よ、それがため加代子さんは息が止りさうになつて虫の息で雪の上に倒れてゐたんだぞ」

「先生知りません、私ではありませんです」

「嘘を言ふか、馬鹿」––ピシャンと先生は平手で横びんたんを殴つた。

「お前きのふ外套を着て来たろ、学校へ」

「はい」

「それ見よ、それが何よりの証拠だ」

「外套を学校へ着て来るのは私ばかりではありません」

「理屈を言ふな、外套のことなどは一寸したことだ、加代子さんが()しあのまま死んだらどうするつもりだ、何日(いづれ)はお前のお父さんに学校へ来てもらふことになつてゐる」

 涙がギョーと湧き上つて来てもう声が出せない。

「今朝早く加代子さんのお母さんが学校へ来られてさう言つて行かれた、加代子さんはどうしてそんなことになつたか今朝まで判らなかつた、今朝やつと少しものが言へるやうになつて、お前だと言ふことがはじめて加代子さんの口から判つたんぢやぞ」

 歯を喰ひしばらうと思つたらワーと一ぺんに涙が出てしまつて口がひきつるやうで歯を喰ひしばることが出来ない。

「こら、なぜ黙つとるか、やつたらやつたと正直に言へ、校長先生ももう知つとりなさるぞ」

 

  我より人をうやまへば

  人亦我をうやまはん

  仰ぎし空の月影は

  己が姿を照らすなり

 

 唱歌室の方で五年生が何辺も何辺も同じ唱歌を歌ひ直しさせられてゐたがいつの間にか止んでしまつて、もう生徒も先生も皆帰つてしまつたやうに静かだ。小使が火を持つて入つて来て火鉢の真ん中へ手をふるはせながら一つ一つ挾んで入れてゐるのを見ると、小使の家には何んにも不幸も心配も叱られることも無いやうな顔をしてゐる。ガラスの窓に陽が弱くなつて下の方だけ一寸当つてゐる。その僅かな影の中を、燕くらゐの大きさの雀の影が飛んで別なところでチュンチュンと啼き声が聞えてゐる。雀はいいなあとつくづく思ふ。涙がちつとも乾かない。後から後からお湯のやうな熱いやつが押し出して来るから涙は乾くひまがない。

「しんせい」

 今出て行つたばかりの小使が宿直室の障子の外から呼んだ。

「おいでんなつとりますぞな、えー父兄の奥さんの方が」

 と言つてゐる。

 それを聞いて先生の顔が、尖つた口元がにはかに開いて、

「はつ、どうぞ」

 と言ふと、私の母が来たのかと思つたら三木のお母さんだつたから、私は着物であわてて涙をふいた。三木のお母さんはいつもよりもぐつときれいな恰好をしてゐる。お母さんは膝ですべるやうに畳の上へ上つて畳くさい畳の目にひさしの髪がつくまでおじぎをした。

「さし出がましうございますけれど––」

 なんとかゆつくりと東京弁のいい言葉で話し出したが、はつきり聴き取れない。その話の最中、先生はゴミのやうに私の方を見て、小使室へ行つて待つてをれと破れた草履でも捨てるやうな言葉つきで言ふから私はおじぎして出て行つて三木のお母さんのぬいである下駄を見つめながら、そつと中を立ち聞きする。立ち聞きしながらそつとしやがんで、お母さんの下駄を帰る時すぐはけるやうに向きをかへておいた。

 先生は中で「はい」でもなく、「へい」でもなく「フイフイ、ヘンヘン」といふやうな返事ばかりしてゐるのだけがはつきり聞きとれる。

「。。。。。二宮さんの。。。。。。。。奥様が。。。。お嬢様で。。。。永田さんでは。。。。。。渡さんとこの。。。。。なさつた。。。。。申して。。。。お話になり。。。。。おいでになりまして。。。。。外套が。。。。。本当にどういたしましたら。。。。。。。間違ひ。。。。。もう。。。。。。。。。……」

 三木のお母さんの話がと切れてしまふと、先生が小使室の方の見える窓をあけて、大きな声で小使を呼んだので、あわてて立ち聞きをやめて小使室の方へ忍び足で走つた。お茶を持つて出て来た小使にもう少しでぶつかるところだつた。

 

     十

 

 三木のお母さんと一緒の人力車に乗せてもらつて家に帰つた。外は薄暮れてゐた。人力に乗つたのは生れて初めてだから嬉しかつた。いつも通る道が低いところにあつて景色がちがつて見えた。

 はじめ三木のお母さんが帰つてから先生が小使室へ来て、今日は帰つてよし、あした話をしてやると言ふので喜んで学校の裏門の方の道から急いで帰らうとして門の外まで出て来ると、角に人力車が一台あつて、そのそばにもう先へ帰つてしまつた筈の三木のお母さんが不意に立つてゐた。微笑んでこちらを向いてゐる。

「待つてたげたのよ、いいでしよ」

 と言ふ。

 三木のお母さんが微笑むといつでも大きい眼の中が目の玉の白いところがほんの少しになつてしまふまで黒味ばかりになつてくる。そして顔が少し傾いていやいや人形のやうに軽く気のつかないくらゐにゆれ出す。その次にきめの細かい白い顔の両頬に一つづつ笑窪(えくぼ)が浮くやうに附く。唇は動くけれども口は開かない。

「小母さんと一緒にこの(くるま)に乗つて行きませうね」

 三木の母が先に乗つた。どういふ風にして、どこへ足をおいて腰をどこへ掛けたらいいかと迷つてゐると、俥夫がひよいと抱いて乗せてくれる。そして小母さんと一緒に腰から下を(けつ)とんくるんでしまつて、自分の体がどういふ風にひつかかつてゐるのか分らないうちに、浮き上るやうに俥が上つた。俥がゆれながら三木の母の顔が横からのぞき込んだ。匂ひがした。

「いいでしよ」

 何がいいのか判らないが、

「はい」

 と返事だけした。

「そら御覧なさい。渡だつたのよ、加代ちやんはね、渡が又あとでおつかないものだから、お母さんに訊ねられた時、ゆたかさんの名を言つちやつたのよ、でも加代ちやんだけは堪忍してあげるのよ、あげるでしよ」

「はい」と言はうとしたら涙の方が先きに出て来て、目が熱かつた。けれども三木の母と同じやうに前を向いてゐたからよかつた。

 唾ばかり呑み込んでゐたら、土橋を曲るところで、くらつと俥がゆれて、三木の母は又言つた。

「いいでしよ」

 何がいいのか判らなかつたが、三木の母の匂ひが、耳の後から鼻の中を刺すやうにして来る。

「あぶないわ、もつと小母さんにしつかりくつつていらつしやい」

 腰骨が急にだるくなつた。

 もう一つ曲り角のところへ来て俥がゆれた。そのはずみに思ひ切つて浮かせてゐた腰を膝へどしんと下してしまつた。

 三木は病気の時いつもかうしてお母さんとお医者へ行く。そしてその時だけは着物を着てゐる。

(昭和十一年七月「文學生活」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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十和田 操

トワダ ミサオ
とわだ みさお 作家 1900・3・8~1978・1・15 岐阜県郡上郡に生まれる。時事新報や朝日新聞社等で定年まで勤め上げている。同人誌「葡萄園」で1929(昭和4)年に「饒舌家ズボン氏の話」を書き泉鏡花に認められた。

掲載作は、第4回芥川賞候補作で生涯の代表作。一読して、異色で孤立して面白く懐かしい作柄に魅せられ惹き入れられ、「文学」の懐深さに自ずから思い至る。稀に見る秀作。1936(昭和11)年、同人誌「文學生活」7月号に初出。

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