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勝利の悲哀

   

 

 本年七月初旬、(せい)(自分)は聖彼得堡(せんとぴーたーすぶるぐ)亜歴山(あれきさんどる)三世博物館に於て、露国の画家ヹレスチヤギンの油絵数多(あまた)見るの機会を得たり。エ゛レスチヤギンは生涯非戦的絵画を描き、一昨年露艦ぺトロパウロスクの我敷設(がふせつ)水雷にかゝり轟沈(ぐわうちん)せられし時、提督(ていとく)マカロフと共に乗組み居て海底の水屑(みくず)と消えしは皆人(みなひと)の知る所。其数ある油絵の中に就て、一つ殊に生の忘れ得ざる(ぐわ)あり。

 ()奈翁(なぽれおん)が雀が丘に立ちて莫斯科(もすくわ)を眼下に眺むるの画也。佛蘭西兵士は銃剣の(さき)に帽を振廻はして万歳(ばんざい)を叫び、奈翁(なぽれおん)は例のナポレオン帽に大外套(おほぐわいたう)眼鏡(めがね)持ちし手を背後に組み、黙然(もくねん)と莫斯科を眺む。莫斯科は夢の如く眼下に隠見(いんけん)し、(しか)して何の煙にやあらん一団の蓬々(ぼうぼう)たる者斜に奈翁を掠めて、全体の画に「夢」の感を与ふ。ヹレスチヤギンの命意如何(いかん)を知らざれど、生は髣髴(はうふつ)として(ここ)(かつ)(かなしみ)、即ち勝利の悲哀を認めぬ。数日の後莫斯科(もすくわ)に到り、雀が丘に遊ぶ。莫斯科より約一里、莫斯科川其下(そのした)を流れ、旧都は一目(いちもく)の下にあり。こゝに立ちて、ヹレスチヤギンの画を(おも)ひ起し、百年前此処に立ちし奈翁(なおう)の胸中を想ふに、其心臓の鼓動百年を隔てゝ吾耳(わがみみ)に何ものをか(ささ)やく。何ものとは何ものぞ。勝利の悲哀也。彼れ欧州を脚下に蹂躙(じうりん)し、思ふ所殆んど意の如くならざるなく、(ただ)英国の海に拠りて吾に抗し、而してこれと結べる露国の北に(ぐう)()ふあるのみ。(それ)(これ)(ぎよ)するは即ち彼を(くじ)所以(ゆゑん)。こゝに於て軍を興す四十万、(うしほ)の如く露国に浸入し、ボロデノはやゝ苦戦なりしも、(つい)に露軍を追退(おひしりぞ)けて、眼ざす莫斯科(もすくわ)を早や眼下に望む。意気正に天を()くべき筈也。されど雀が丘の奈翁は勝ち誇りたる奈翁にはあらざりき。彼は(たしか)に心中の欠陥を感じぬ。其目的は成るに(なんな)んとして、甚だつまらなき感を覚えしに相違なし。ほつとつきし息は安心の吐息のみにあらざりき。彼は千辛万苦、懸軍長駆の結果、こゝに止まる()一瞬時(いちしゆんじ)の悲哀を感ぜしなり。

 彼は(たしか)に勝利の悲哀を感じ、満足の不満を感じ、夢の如き果敢(はか)なさを感じたりき。(しか)れども()は瞬時に消えて、再び()強き彼に()へれり。彼は莫斯科に入りぬ。而して(のち)雪中の退軍、而して総崩れ、而してエルバの島流し、而してヲートルロー、而してセント・ヘレナ、而して死。死して彼は終に悟らざかりき。雀が丘の一瞬時は彼が生涯の大転換期なりしを見す見す逸して彼は終に「肉我」の餌食(ゑじき)と身をなして、其生涯は華麗なる而して果敢(はか)なき夢に終りぬ。

 

   

 

 生は思ふ、児玉源太郎将軍が奉天戦後の心機まさに雀が丘の奈翁(ナポレオン)に類するものありしにはあらざる()。事実は知らざれど、世は将軍に遁世(とんせい)の志ありしと伝へぬ。彼は確に胸中或煩悶(はんもん)を覚えしなり。()は彼が大悟の機なりき。然れども世は彼に迫るに参謀総長の職務を以てし、彼は行きがかりを捨つる(あた)はず、さりとて胸中の或煩悶を忘るゝ能はず、もとより好める紅燈緑酒(こうとうりよくしゆ)の場は其悶々を紛ぎらす()く彼のしばしば出入る所となりて彼は突然死の手に(らつ)し去られぬ。生は露国の帰途、浦塩斯徳(うらじおすとつく)に於て、其死を耳にせし時、可惜(あたら)好男児、彼は日露戦争に殉死(じゆんし)せり。彼は悟らんとして悟り得ざりき、と嘆息するを禁じ得ざりき。あゝ彼は其脳中の煩悶を国民への遺物として()けり。

 

   

 

 (あに)たゞ児玉源太郎のみならんや。日露戦争の終局に当りて、一種の悲哀、煩悶、不満、失望を感ぜざりし者幾人かある。

 我等をして自白せしめよ。我等は北方の巨人を恐れたり。彼を(にく)めり。遼東還附(れうとうくわんぷ)以来は彼を倶不戴天(ぐふたいてん)(あだ)()めり。機会もあらば一太刀(ひとたち)怨みんと歯を喰ひしばれり。日露戦争の発端(ほつたん)(いづ)れにあるを問ふをやめよ。当初より彼は割合に呑気にて、我は必死の覚悟なりき。(わが)憤怨(ふんゑん)は強く、我頭脳の回転は彼よりも素早し。(いくさ)は始まれり。旅順も(つい)に陥りぬ。奉天は大勝なりき。日本海の全勝は東郷大将をして英雄ネルソン提督と争はしむるに到れり。日本の武名は揚れり。(うらみ)は血を以て報いられたり。勝利、勝利、大勝利、而して(のち)()の媾和談判。

 今日に於て旧創(きうさう)(あば)くは烏滸(をこ)のわざ也。然れども()の媾和当時に於ける日本国民の心的情態は(むし)ろ研究に(あたひ)せざらんや。彼の媾和に関する騒擾(さうぜう)を以て、単に失業者の乱暴、弥次馬の馬鹿騒ぎと看做(みな)し去るはあまりに浅薄(あさはか)也。日本は(これ)怨恨(ゑんこん)力味(りきみ)たり。而して(その)怨恨や、()れて見れば、甚だ呆気(あつけ)なく感ぜしなり。日本は勝利、勝利に酔ひぬ。而して其勝利も実は当の露西亜を平身低頭せしむる(あた)はず、却て我は(すで)に力の(をはり)に近づかんとし、彼はこれより力を(いだ)さんとするの気はひを感じては、其勝利なるものの案外果敢(はか)なく不慥(ふたしか)にして、戦争の結果は心地よく割り切れず、所詮上帝の帳簿(ちやうぼ)に心残らぬ清算の記入をなし得ざる其悶々(そのもんもん)が破裂せしのみ。而して此悶々は株式の繁盛に関せず、強国伍入(ごにふ)奥印済(おくいんずみ)に関せず、(なほ)国民の胸に残れり。此残れる悶々は即ち日本の前途を支配するの力なるを知らずや。

 

   

 

 人は無限を恋ふ。無限を恋ふ人間の有限に撞見(たうけん)する時、こゝに悲哀あり。敗北も悲哀なり。勝利も亦悲哀なり。全き勝利も悲哀也。全からざる勝利も亦悲哀也。歓楽(きはまつ)哀情(あいじやう)多きも其限界に達すれば也。怨を(はら)して意気索然(さくぜん)とせるも、「我」が其限界に達すれば也。有限の悲哀は即ち無限の追求を意味す。

「神は永遠を思ふの念を人に授け玉へり」。吾力(わがちから)(かぎり)に達する時、吾線(わがせん)(はし)に立つ時、吾が追ひしもののたゞ影なるを悟る時、吾事業の畢竟(ひつきやう)水の泡に(ひと)しきを認むる時、身の夢なるを悟る時、こゝに金牀玉几(きんしやうぎよくき)も人を眠らしむる能はず、妻子珍賓(ちんぱう)も吾を慰むる能はず、全世界をあげて方寸の空所を満たす能はず。斯時(このとき)の悲哀、何ものか測るを得む。而して斯れ「真義」が「仮我」に眼を開けと促すの声なるを知れ。

 奈翁(ナポレオン)は雀が丘に其声を聞いて聴かざりき。児玉将軍も其囁(さゝやき)に腸をかきむしられて、悟らで()きぬ。此声(このこゑ)今、日本国民の耳に猶囁きつゝあり。あゝ()めよ。(わが)愛する日本、(わが)故国日本、眼を開いて真の(おのれ)を知れよや。

 

   

 

 戦後の経営、世界的日本の発展、是れ耳やかましく唱道せらるゝ語也。(日清日露)戦後の日本は成程大いに発展しつゝあるものゝ如し。陸軍は師団を増設せんとし、海軍は続々大艦を造る。南満(洲)の経営は大仕掛に始まらんとす。彼我(ひが)の使臣は多く(かく)を大使に(のぼ)しぬ。(かつ)て治外法権に憤涙(ふんるゐ)を抑へかねし日本は、前後三年の征戦(せいせん)を経て、其貪り求めし一等国の伍伴(ごはん)()れり。

 あゝ日本よ、(なんぢ)は成人せり。果して成長せる()否々(いないな)(なんぢ)は人の妬辞諛辞(とじゆじ)に耳傾くる前に、先づ退(しりぞ)いて静かに神の前に「(おのれ)」を観ざる可からず。

 (なんぢ)の独立()し十何師団の陸軍と幾十万(トン)の海軍と云々(うんぬん)の同盟とによつて維持せらるゝとせば、爾の独立は実に(あは)れなる独立也。爾の(とみ)()し何千万円の生糸(きいと)と茶と、撫順(ぶじゆん)の石炭と、台湾の樟脳(しやうなう)砂糖にあらば、爾の富は貧しきもの也。爾が所謂(いはゆる)戦勝の結果は爾を如何(いか)なる位置に置きしかを覚悟せりや。一方に於ては、白皙人(はくせきじん)の嫉妬、猜疑、少なくも不安は、黒雲の如く爾を目がけて湧き起り、また起らんとしつゝあるにあらずや。一方に於ては、他の有色人種は爾が凱旋喇叭(がいせんらつぱ)の声に(あだか)も電気をかけられたるが如く勃々(ぼつぼつ)と頭を(もた)げ起し(きた)れるにあらずや。此両間に立つて、爾は如何にして何をなさんと欲する()。一歩を誤まらば、爾が戦勝は即ち亡国の始とならん、而して世界未曾有(みぞう)の人種的大戦乱の(もと)とならん。是れ(あに)(なんぢ)が発展々々と足を空に心を浮かしてから騒ぎに盲動すべき時ならんや。

 ()めよ、日本。眼を開け、日本。皇天の(なんぢ)に期待し玉ふ所は、屑々(せつせつ)たるものにあらず。夢の如く、水の(あわ)の如きものにあらず。大義を四海に()くは(なんぢ)の使命也。平和の光を日の如く輝かすは爾の任也。爾の武力を(たの)まずして爾の神を恃め。爾の罪を(くひ)改めて爾が武を(けが)したるの罪を世界に謝せよ。爾の大誠意を腹の底より振起(ふるひおこ)して、之を世界の同胞の心腹に置けよ。爾はしばしば天佑を呼べり。然も爾は未だ神を識らず。爾は勝利の悲哀を感ぜり。然も未だ其求むる所のものを知らず。(なんぢ)父なる神の前に(ひざまづ)いて、平伏して、(その)指導を仰がざる可からす。

 日本国民、(くひ)改めよ。

 

   (明治三十九年十二月二十五日発行黒潮第一号)

 

 

徳富蘆花記念文学館

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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徳冨 蘆花

トクトミ ロカ
とくとみ ろか 作家 1868・10・25~1927・9・18 熊本県水俣に生まれる。徳富蘇峰の弟。真率に自己を露呈した作品や行動により、時代の良心や知性に豊かに働きかけた優れた文学的存在として、時代を経るにつれ声価を不動のものにした。

掲載作は1906(明治39)年12月10日、第一高等学校に招かれて試みた一場の演説。語り終えて満場寂として声なく異常な感動を与えた。日露戦争勝利後の媾和に不満不穏を極めていた日本国民に、痛烈に急所を説いて余さず、後の大逆事件に触れて本館掲載の「謀叛論」と並び、蘆花の精神の最も発露した言説は、自ずから戦争の悲哀に言い及んで過たない。

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