和解
一
奥の六畳に、私はM―子と火鉢の間に対坐してゐた。晩飯には少し間があるが、晩飯を済したのでは、夜の部の映画を見るのに時間が遅すぎる――ちやうどさう云つた時刻であつた。陽気が春めいて来てから、私は何となく出癖がついてゐた。日に一度くらゐ洋服を著て靴をはいて街へ出てみないと、何か憂鬱であつた。街へ出て見ても別に変つたことはなかつた。どこの町も人と円タクとネオンサインと、それから食糧品、雑貨、出版物、低俗な音楽の氾濫であつた。その日も私は
「済みませんけれど、一時お宅のアパアトにおいて戴きたいんですが……。
「何うして?」
「それが実に乱暴なんです。壮士が十人も押掛けて来て、お
私も笑つてるより
「アパアトは一杯だぜ。三階の隅に六畳ばかり畳敷のところはあるけれど、あすこに住ふのは違法なんだから。」
「そこで結構です。小島弁護士も、後で行つて話すから、差当り先生のアパアトヘ行くより外ないといふんです。」
「小島君が何うかしてくれさうなもんだね。」
「かうなつては手遅れだといふんです。防禦策は講じてあつたんだけれど、先方の遣口が実に
「ぢや、まあ……為方がないね。」
T―は部屋代に相当する金をポケツトから出した。私は再三拒んだが、T―は押返した。私は彼が遣りかけてゐる仕事に、最初
私はT―の金をM―子に預けた。そしてT―が帰つてから、背広に着かへてM―子と長男の芳夫をつれて外へ出た。
三人で通りの人通を歩いてゐると、或る銀行の前の、老い朽ちた椎の木蔭の鉄柵のところで、赤靴を磨かせてゐるT―を見た。T―は私達の顔を見て近眼鏡の下で微笑みかけた。
「お出かけ?」
「いや、ちよつと。」
その儘私たちは通りすぎた。そして三丁目の十字路を突切つて、とある楽器店の前まで来た。東京社交舞踏教習所と書きつけた電燈が、その横の路次にある其のビルデイングの入口に出てゐた。M―子が自身私のパアトナアになるつもりで、最近そこで四五日ダンスを教はつたのが因縁で、私も時々そこへ顔を出して、ステツプの研究をやつたりした。教養のある其処の若いマダムは、体の軽い私を、よく腋の下から持ちあげるやうにして、気さくにステツプを教へてくれた。いつか其のお父さんとも私は話をするやうになつた。
「渡瀬さんは何うなさいました。」お父さんはその令嬢が小さい時分、よく世話になつた医者で、私のダンス仲間である渡瀬ドクトルのことを私に聞いた。
渡瀬ドクトルは区内の名士であつたが、ダンスの研究にも熱心であつた。
「渡瀬さん困りますよ。肝臓癌になつちまつて。」私は暫く見舞ひを怠つてゐるドクトルのことを思ひ出した。
ドクトルも最近ここの
娘夫婦に道楽半分教習所をやらせてゐる彼は少し口元の筋肉をふるはせて、眼鏡ごしに私の顔を見詰めてゐた。
ちやうどいつも踊つてくれるマダムは風邪をひいたので、出てゐなかつたし、マスタアの顔も見えなかつたので私達は助手の女の人を相手に、一二回踊つてそこを出ると、下の広小路までぶらぶら歩いて、お茶を呑んで帰つて来た。
「T―さん何うしたか知ら。」私は家政をやつてくれてゐるおばさんに聞いた。
「子供さんがアパアトの廊下に遊んでゐましたから、もうお引移りになつたんでせうよ。」
私は建築中も、一度も見に行かなかつたくらゐで、アパアトの方へ行くのも厭だつたので、その晩は彼を訪ねもしなかつた。
二
「何んな風?」私はきいた。
「多分風邪だらうといふんですの。突然九度ばかり熱が出たんださうです。先刻奥さんに伺つたんですけれど。」
五年以来の其の若い細君の噂を、私は子供からも耳にしてゐたし、M―子の仕立物を頼んだりしてゐたので、二三度逢つてゐたおばさんからも、聞いてゐた。二男の友達がダンスを教へたりして、何か恋愛関係でもあつたやうに思はれたが、T―のものになつたのは、それから間もないことらしかつた。兎に角仕立物をしたりして、T―を助けてゐることだけでも、近頃の教養婦人としては、好い傾向だと思つた。
「九度?」私は首をひねつた。
「九度とか四十度とか……ちよつと立話でしたから。」
「医者にかけたか知ら。」
「さあ、そこのところは存じませんけれど。」
「風邪ならいいけれど……。」
私は他の場合を想像しない訳にいかなかつた。チブスとか肺炎とか……。私はアパアトに十人余りの人達がゐるので、最悪の場合のことも気にしないではゐられなかつた。
「細君に、早速医者に診てもらふやうに言つてくれませんか。」
「さう言ひませう。」
「かういふ時、渡瀬さんが丈夫だといいんだがな。」
「さうですね。」
「しかし浦上さんも、医者としては好いんだ。至急あの人を呼ぶやうに言つて下さい。そして診察の様子を見よう。」
「さう申しておきませう。」
私は裏へいつて、三階へ上つてみようかと余程さう思つたけれど、逢つたこともない細君に遠慮もあつたし、差当りT―の生活に触れるのも厭だつた。
切迫した仕事があつたので、その晩はそのままに過ぎた。それにおばさんはル―ズな方ぢやないので、医者に診てもらつたに違ひないと思つてゐた。
明日になつても、私は何か頭脳の底に、不安の影を宿しながらも、その問題にふれる機会もなくて過ぎた。多分感冒だつたので、報告がないのだらうと思つてゐたが、夜、私は外から帰つてくると、急にまた気になりだした。私はおばさんに聞いてみた。
「T―君診てもらつたかしら。」
「ええ、あの時さう申しましたんですが、知らない人に診てもらふのは厭なんですて。それで、牛込の懇意なお医者を呼びにいつたんだけれど、その方も風邪で寝ていらつしやるんで、多分明日あたり診ておもらひになるんでせう。」
「呑気なことを言つてるんだな。何うして浦上さんを呼ばないんだらうな。」
しかし其の晩はもう遅かつた。容態に変化がなささうなので、私は風邪に片着けて、一時のがれに安心してゐようとした。何か自分流儀な潔癖をもつたT―自身と細君の気分に闖入して行くのも憚られた。
三
翌々日の夜、或る会へ出席して、二三氏と銀座でお茶を呑んだりして帰つてくると、T―の病気が大分悪化したことを、おばさんから聞いた。誰かに見せたのかときくと、浦上ドクトルが昼間来て診察したといふのであつた。
私は自身の怠慢に、今度も亦
「失礼ですが、ちよつと私の部屋までおいで願ひたいんですが。」
「よろしうございます。」
幼児のやうな柔軟さをもつた彼は、足を浮かすやうにして私について来た。
私達は取散かつた私の書斎で、火鉢を間にして挨拶し合つた。
「私は少々お門違ひの婦人科でして、昼間病院にゐるものですから。」彼は名刺を出した。
「ぢやT―君が、最近
「さうですよ、は、はい。」
ドクトルはモダアンな少年雑誌の漫画のやうに愛嬌があつた。
「病気はどんなですか。」
「は、は……実は昨日もちよつと来て診ましたが、その時は
「脳膜炎ですか。」
「今夜あたり、もう意識がありませんよ、は。兎に角これは重体です。去年旅先で、井戸へおちて、肋骨を打たれたので、或ひは肺炎ではないかと思つてをりましたが、どうも其れらしい症状は見出せません。」
「窒扶斯でもないんですか。」
「その疑ひもないことはなかつたのですが、断じてさうぢやありませんな。」
ドクトルは術語をつかつて、詳しく病状を説明したが、明朝もう一度来てもらふことにして、私は玄関まで送りだした。
「では……は、は……ごめん、ごめん。」ドクトルは操り人形のやうな身振りで出て行つた。
私は事態の容易でないことを感じた。T―自身にもだが、T―の兄のK―氏に対する責任が考へられた。たとひ其れが不断
ところで、K―と私自身とは、それとは全然違つた意味で、長いあひだ殆んど交渉が絶えてゐた。それは藝術の立場が違つてゐるせゐもあつたが、同じくO―先生の息のかかつた同門同志の
「兄さんこの頃何うしてるのかね。」
「兄ですか。家に引こんで本ばかり読んでゐますよ。もう大分白くなりましたよ。」
「兄さん白くなつたら困るだらう。」
「でも
さう言つて笑つてゐるT―が、一ト頃の私のやうに、髪を染めてゐることに、最近私はやつと気がついた。T―ももう順々にさういふ年頃になつてゐた。
兎に角私はK―へ知らせておかなければならなかつた。私は文士録をくつて番号を調べてから、近くにある自働電話へかかつて行つた。耳覚えのある女の声がした。勿論それは夫人であつた。
「突然ですが、T―さんが私のところで、病気になつたんです。可なり重態らしいのです。」
「T―さんがお宅で。まあ。」
「電話では詳しいお話も出来かねますけれど、誰方か話のわかる方をお寄越しになつて戴きたいんですが……。」
「さうですか。生憎主人が風邪で臥せつてをりますので、今晩といふ訳にもまゐりませんけれど、何とかいたしませう。お宅でも飛んだ御迷惑さまで……。」
「いや、それはいいんですが……では、何うぞ。」
私は自働電話を出た。そして机の前へ来て坐つてみたが、落着かなかつた。ベルを押して、義弟の沢を呼んだ。沢は私の家政をやつてくれてゐるお利加おばさんの夫であつた。
「K―さん見えないんですか。」沢は火鉢の前へ来て坐つた。
「さあ……K―君に来てもらつても困るんだが……。」私は少し
「大分悪いやうだから、病院へ入れなけあいけないと思ふが、浦上さんの診断は何うなんかな。診察がすんだら、こちらへ寄つてもらふやうに言つておいたんだが……」
「さあ、それは聞きませんでしたが……。」
「すまんけれど、浦上さんへ行つてきいてみてくれないか。」
沢は出て行つたが、間もなく帰つて来た。部屋の入口へ現はれた彼は
「あの医者はひどいですね。ベルをいくら押しても起きないんです。
「結局何うしたんだ。」
「あんな病人を、婦人科の医者にかけたりして、長く
「あのお医者正直だからね。」私はくしょうしてゐた。
四
翌朝診察を終つた浦上ドクトルと、私は玄関寄りの部屋で話してゐた。誰か帝大の医者に、もう一度診察してもらつたうへで、家で手当をするか、病室へかつぎこむかしようと思つて、その医者の撰定について相談をしてゐた。
玄関の戸があいた。お利加さんが出た。
「わたし毛利です。K―先生の代理として伺つたんですが。」
毛利といふ声が、何んとなし私に好い感じを与へた。
毛利氏が入つて来た。毛利君と私はつひ最近入院中の渡瀬ドクトルの病室でも、久しぶりで顔を合せたが、渡瀬ドクトルが自宅療養のこの頃、又その二階の病室でも逢つた。K―氏の古い弟子格のフアンの一人であるところの毛利氏は、渡瀬氏ともまた年来の懇親であつた。彼は会社の公用や私用やらで、大連からやつて来て、大阪と東京とのあひだを、往つたり来たりしながら、暫らく滞在してゐた。
毛利氏は入つて来た。
「あんたが来てくれれば。」
「いや、K―先生が来るとこだけど、ちやうど私がお訪ねしたところだつたもんだから。」
「K―君に来てもらつても、方返しがつかないんだ。」
「貴方には飛んだ御迷惑で……T―君何処にゐるんですか。」
私はアパアトの三階にゐることについて、簡単に話した。
「そんなものがあるんですか。私はまた貴方のお宅だと思つて……。」
T―の細君が、そつと庭からやつて来た。
「何んだか変なんです。脈が止つたやうなんですが……。」彼女は泣きさうな顔をしてゐた。
「ちよつと見てあげませう。」浦上ドクトルが、折鞄をもつて起ちあがつた。
「僕も往つてみよう。」毛利氏も庭下駄を突かけて、アパアトの方へいつた。私も続いた。
私は初めてT―の病床を見た。三階の六畳に、彼は氷枕をして仰向きに寝てゐた。大きな火鉢に湯気が立つてゐた。つひ三日程前夕暮れの巷に、
みんなで来て見ると、脈拍は元通りであつたが、硬張つた首や手が、破損した機関のやうに動いて、喘ぐやうな息づかひが、今にも止まりさうであつた。細君はおろおろしながら、その体に取りついてゐた。額に
暫くしてから、私達はそこを出て、
「少し手遅れだつたね。」私は言つた。
「さうだな。去年旅行先きで、怪我をして、肋骨を折つたといふ。」
細君が又庭づたひにやつて来た。
「大変苦しさうで、見てゐられませんの。何んとか出来ないものでせうか。」 私達は医者の顔色を窺ふより外なかつた。
「さあ、どうも……。」ドクトルも当惑した。
「先刻注射したばかりですからね。他の人が来るまで附いてゐて下さい。大丈夫ですから。」
ドクトルはやがて帰つて来た。
「それぢや、僕はちよつと渡瀬さんとこへ行つて、先生にもちよつと相談してみよう。」毛利氏はさう言つて起ちがけに、ポケットヘ手を突込んで、幾枚かの紙幣を掴みだした。
「百円ありますが、差当りこれだけお預けしておきます。先立つものは金ですから、何うぞ適宜に。」
「ぢや、それ此の人に渡しておかう。」私はそこにゐる細君の方を見た。
「いや、あんた預つて下さい。」
「
「え少し戴いておきますわ。」
二十円ばかり細君の手に渡した。
「ぢや、僕は又後に来ます。」
毛利氏はさう言つて出て行つた。
私はずつとの昔し、彼が帝大を出たてくらゐの時代に、電車のなかなどで、口を利いたことがあつたが、渡瀬ドクトルと親密の関係にある毛利氏の人柄に、この頃
その間に、私は義弟を走らせて、浦上ドクトルが指定してくれた医者の一人、島薗内科のF―学士を迎ひにやつたが、折あしく学士は不在であつた。
「……それから自宅へ行つてみたんですが、矢張り居ませんでした。」
「そいつあ困つたな。」
「けど、帰られたら、すぐお出で下さるやうに、頼んでおきましたから。」沢は言ふのであつた。
一時間ほどして毛利氏も帰つて来た。しかし待たれる医者は来なかつた。
「どれ、僕行つてこよう。若しかしたら、他の先生を頼んでみよう。」
毛利氏はまた出て行つたが、予備に紹介状をもらつておいた他の一人にも、生憎
私達は、今幽明の境に彷徨ひつつあるT―に取つて、殆ど危機だと思はれる幾時間かを、何んの施しやうもなく
「今度の細君はよささうだね。」
「あれはね……僕も初めて見たんだが、感心してゐるんだ。」
「兎角女房運のわるい男だつたが、あれなら何うして……。先生幸福だよ。ところで、何うでせうかね。あの病気は?」
「さあね。」
時間は四時をすぎてゐた。そしてF―医学士の来たのは、それから又大分たつてからであつた。彼は浦上ドクトルと一緒に、三階で診察をすましてから、私の部屋へやつて来た。
「重体ですね。」いきなり医学士は言つた。
「病気は何ですか。」
「私の見たところでは、何うも敗血病らしいですね。」
「
「さうぢやありませんね。」
「それで何うなんでせう、病院へ担ぎこんだ方が、無論いいんでせうが、
「さうですね。実は寝台車に載せて連れて行くにしても、途中が何うかとおもはれる位で……。しかし近いですから、手当をしておいたら可いかも知れません。」
「これは細君の気持に
「病院で出来るだけの手当をして頂きたいんですけれど……。」
やがて毛利氏が寝台車を
五
その夜の十時頃、私はM―子と書斎にゐた。M―子は読みかけた「緋文字」に読み耽つてゐたし、私は感動の既に静つた和やかさで、煙草を
それはちやうど三時間ほど前、T―の寝台車が三階から担ぎおろされて行つてから、暫らくたつて、私は私の貧しい部屋に、K―の来訪を受けたからであつた。
「今度はどうもT―の奴が思ひがけないことで、御厄介かけて……。」
「いや別に……。行きがかりで……。」
「何かい、君んとこにアパアトがあるのかい。僕はまた君の家かと思つて。」
「さうなんだよ。T―君家がなくなつたもんだから。」
K―はせかせかと気忙しさうに、
「彼奴もどうも、何か空想じみたことばかり考へてゐて、足元のわからない男なんだ。何でもいいから、こつこつ稼いで……たとひ夜店の古本屋でも、自分で遣るといふ気になるといいんだが、大きい事ばかり
私もそれには異議はなかつた。
「さうさ。」
「またさういふ奴にかぎつて、自分勝手で……。」
「人が好いんだね。」
私は微笑ましくなつた。現実離れのしたK―の芸術! しかし、それは矢張り彼の犀利な目が見通す現実であつた。色々な地点からの客観や懐疑はなかつたにしても、人間の弱点や、人生の滑稽さが、裏の裏まで見通された。怜悧な少年の感覚に、こわい
私は又た過去の懐かしい、彼との友情に関する思出が、眼の前に展開されて来るのを感じた。「高野聖」までの彼の全貌が――幻想のなかに漂つてゐる、一貫した人生観、恋愛観が、レンズに映る草花のやうに浮びだして来た。
少し話してから、彼は腰をうかした。
「山の神をよこさうかと思つたんだがね、あれは病院へ行つてるんだ。僕もこれから行くところなんだ。」
「これから……又僕も行くが、君も来てくれたまへ。」
「ああ、来るとも。」
K―はT―とは、似ても似つかない、
それから二時弱の時を、私は思ひに耽りつかれてゐた。私は心持ち、持病の気管を悪くしてゐたので、寝ようかとも思つたが、洋服を出してもらはうかとも考へてゐた。担ぎこまれてからT―のことが気にかかつた。F―子の声が、あつちの方でしてゐた。そのF―子に言つてゐる芳夫の声もした。
「K一さん、今来てゐたんだよ。」
芳夫自身は、何か常識的、人情的な、有りふれた藝術が嫌ひであつた。
すると
「渡瀬さんからお使ひで、病院から直ぐお出で下さるやうにと、お電話ださうです。」
私は不吉の予感に怯えながら、急いで暖かい背広に身を固めた。そして念ののためにM―子もつれて、円タクを飛ばした。
しかし私達が、真暗な構内の広場で車を乗りすてて、M―子が
しかし私達は、T―が息を引取つてしまつたとは、何うしても思へないのであつた。何故なら、その時まで――それからずつと後になつて、屍室に死骸が運ばれるまで、彼女は彼の顔や頭を両手でかかへて、生きた人に言ふやうに、愛着の様々の言葉を、ヒステリイの発作のやうに間断なく口にしてゐたからであつた。彼女は広いその額を撫でさすり、一文字なりに結んだ唇に接吻した。時とすると、顔がこわれてしまひはしないかと思はれるほど、両手で弄りまはした。
「T―はほんとうに好い人だつたんですわね。」彼女は私に話しかけた。
「悪い人達に苦しめられどほしで、死んだのね。みんなが悪いんです。好い材料が沢山あつたのに、好いものを書かしてやりたうございましたわ。」
彼女は聞えよがしに、さう言つて、又彼の顔に顔をこすりつけた。
私はそつと病室から遁げて、煙草を吸ひに、炊事場へおりて行つた。K―もやつて来た。毛利氏や小山画伯もおりて来た。
「T―君も幸福だよ。」毛利氏は言つた。
「あいつは少年時代に、年上の女に愛されて、そんな事にかけては、腕があつたとみえるね。」K―も
私は又、同じあの病室で、脳膜炎で入院してゐた長女が、脊髄から水を取られるときの悲鳴を聞くのが厭さに、その時もこの炊事場で煙草をふかしてゐた、十年前のことが、
「ところで、先刻ちよつと耳にしたんだけれど、先生お土産をおいて行つたらしんだ。」
私は有るべきことが、有るやうに在るのだと思つた。
「成程ね。」
「よく有ることだがね。」毛利氏も苦笑したが、
「そこで何うするかね、こいつあ能く相談して取決めべきことだけれど、あの細君の身の振方もだが、何よりもサクラさんのことだ。細君は自分で持つていく積りでゐるらしいんだが……」
サクラは此の前の細君の子であつた。
話が後々のことに触れて行つた。
六
三日目に、告別式がお寺で行はれた。寺はK―や私に最も思出の深い、横寺町にあつた。
K―と私とは、むかしこの辺を、朝となく夕となく一緒に歩いたときの気持を取返してゐた。生温るい友情が、或る因縁で繋つてゐて、それから双方の
三日前、火葬場へ行つたときも、二十幾年も前に、
焼けるのを待つあひだ、私たちは
火葬場の帰りに、私は幾年ぶりかで、その近くに住んでゐる画伯と一緒に、K―の家へ寄つてみた。K―は生涯の主要な部分を、殆んど全くこの借家に過したといつてよかつた。硝子ごしに、往来のみえる茶の間で、私は小卓を囲んで、私の好きな菓子を食べ、お茶を呑みながら、話をした。地震のときのこと、環境の移りかはり、この家のひどく暑いことなど。
「夏は山がいいぢやないか。」
「ところが其奴がいけないんだ。例のごろごろさまがね。」
「家を建てた方がいいね。」
「それも何うもね。」
さうやつて、長火鉢を間に向き合つてゐるK―夫婦は、神楽坂の新婚時代と少しも変らなかつた。ただ、それはそれなりに、
K―の流儀で、通知を極度に制限したので、告別式は寂しかつたけれど、惨めではなかつた。順々に引揚げて行く参列者を送り出してから、私達は寺を出た。
「ちよつと行つてみよう。」K―が言ひ出した。
それは勿論O―先生の旧居のことであつた。その家は寺から二町ばかり行つたところの、路次の奥にあつた。周囲は三十年の昔し其儘であつた。井戸の傍らにある馴染の門の柳も芽をふいてゐた。門が締まつて、ちやうど空き家になつてゐた。
「この水が実にひどい悪水でね。」
K―はその井戸に、宿怨でもありさうに言つた。K―はここの玄関に来て間もなく、ひどい脚気に取りつかれて、北国の郷里へ帰つて行つた。O―先生はあんなに若くて胃癌で斃れてしまつた。
「これは牛込の名物として、保存すると可かつた。」
「その当時、その話もあつたんだが、維持が困難だらうといふんで、僕に入れといふんだけれど、何うして先生の書斎なんかにゐられるもんですか
私達は笑ひながら、路次を出た。そして角の墓地をめぐつて、ちやうど先生の庭からおりて行けるやうになつてゐる、裏通りの私達の昔しの塾の迹を尋ねてみた。その頃の
今は私も、憂鬱なその頃の生活を、まるで
私達は神楽坂通りのたはら屋で、軽い食事をしてから、別れた。
数日たつて、若い未亡人が、K―からの少なからぬ手当を受取つて、サクラをつれて田舎へ帰つてから、私達は銀座裏にある、K―達の行きつけの家で、一夕会食をした。そしてそれから又幾日かを過ぎて、K―は或日自身がくさぐさの土産をもつて、更めて私を訪ねた。そして誰よりもK―が先生に愛されてゐたことと、客分として誰よりも優遇されてゐた私自身が一つも不平を言ふところがない筈だことと、それから病的に犬を恐れる彼の恐怖癖を、独得の話術の巧さで一席弁ずると、そこそこに帰つていつた。
私は又た何か軽い当味を喰つたやうな気がした。 (了)
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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