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自然私観

哲学は幾度かその系統を改め、宗教と云ふものゝ改めらるゝ事(しばしば)なりと(いへど)も、(いま)だ一と(たび)も人生と云ふ問題の明らかにせられたるを聞かず、限りある人間と云ふものは限りなく人間と云ふものを捕へてさまよふべきか、恐らくはさまよふものなるべし、なまじいに理性の与へられたる動物なれば、解けぬ謎を解かんともがくも是非なからずや。人間と云ふものゝ内には自然と云ふ女神の性あり、人は此の女神より生れ来しものなるべし、必らずや人は自然の内に列せらるべき一ツの受造物なり、只此の女神をして此の人間を生ましめし神は如何なるいたづらものなるか、その隠れ給ふ処は何処ならん、此れは即ち永く人世に謎として与へられたる疑問なりと、或る人は云へり、()にや人間に動物性のあると共に理性と云ふ貴きものあるに依りても、恐らくは只一人(いちにん)の自然と云ふ女神より偶然に生れ出でしものにはあらざるべし、此の女神に配せし神を求めんがためには、様々の哲学(あらは)れ、色々の宗教生れ、経営惨憺(つと)むる処あれども、未だ露程もそれと云ふもの見出されず。自然に超自然と云ふ一神を配したるはヘブライの宗教なり、運命を基とせし多神を配したるはギリシヤの宗教なり、其他印度の凡神(はんしん)教あり、ペルシヤの拝火教あり、マホメットあり、オヂンあり、(いづ)れも人間と云ふ怪しきものを解かんとして顕れしものなり、此れ等の教が人間と云ふ問題に付て如何なる説明を与ふるか、(けだし)()ぼ世の人の知れる処にして、(あらた)めて茲処(ここ)に云ふ事も(あた)はざるなり、只こゝには暫らく自然に対して人の考へたりし跡を尋ね、ことに東の国の人と西の国の人とが此女神に対し如何に異なれる考を抱きしかを(うかが)はんとす、(もと)より西の国と云ひ東の国と云ふも、その最も狭き一局部に付て言ふに過ぎず、且つや東の想と西の想とは根本に於て相異する処あれば、之を見んには先づ根本の思想に(くは)しく立ち入るを要すと云へば、此の両想の比較は容易の業にあらず、()れば余がこゝに此の自然に対する人の心を観んと云ふも畢竟はかいなでの業ならむ、()むなくんば暫らく東西詩人の詠中に逍遙するを得んか。

さて自然とは何ぞとは人の常に問ふ処にして、(あらかじ)め定めざるを得ざる疑問なれども、こゝに(これ)が解を与ふる(あた)はず、只常識にて自然と云ふ所謂(いはゆる)天地山川の意となし置かん、()し強いて明らかなる答を要すとならば、自己の心念以外の萬物を指すと云はんか、かく云はゞ所謂自然ならざるものも其の範囲に容れらるゝならんも、夫は差閊(さしつかへ)なかるべし、(けだ)し自然とは何ぞやとの問の大なるは我とは何ぞやとの問と同じく、此れのみにて一大問題をなし別に研究を要すべきものなり、自然の定義に付て多く云ふ能はざるを咎むる(なか)れ。

一般に東洋の思想は自然に屈従し、西洋の思想は自然を征服したるものなりと聞きぬ、広く東洋と云ひては(あま)ねく知る処にあらずと雖も、日本支那の思想に付て云へば此の言当を得たるかと思はる、日本の思想も支那の思想も、極めて自然に恋着し、之を愛すれども之を用ゆる事を知らず、露霜には歌を詠じ、星くずを眺めては銀河の乙女を思ふといへども、西洋の思想の如く、雷鳴を聞て之を通信の料に用ゐ、蒸気の立つに運搬の器を発明する事を知らず、何となく自然に左右せられつゝあるが如き感あり、西洋にて斯く自然を用ふるの事実より考へて、(しき)りに実用々々と叫ぶものあり、此れは誤りたる考なるべし、西洋の器械発明の如きは、敢へて実用と云ふ想より来りしにあらず、自然を支配したる大なる思想より来りしものならん、(いづ)れにしても今日云ふ処の文明なるものは、此の根本の想より来りしものに相違なきが如し、此の辺又西洋道徳とわが日本の道徳等との差を(きた)せる事に関係あるべし、通信運搬など云はゞ極めて風雅の趣に(そむ)けるが如し、まことに風流ならぬに相違なし、(しか)れども此の不風流却つて或は大なる風流を(いだ)したるにはあらざるか、人間が自然を征服したる結果は、シエークスピアの如きゲーテの如き、大詩仙を生みしにはあらざるか。

日本及び支那に天地人と云ふ事あり、此の三者は(けだ)し如何なる時代にも如何なる国民にも、貫通して懐抱されたる思想なるが如し、天と云ふ考は凡て神に関はりたるものを概したる名なるべく、地と云ふは即ち自然の称、人とは凡て人事に関したるものを云ふなるべし、さてわが国の思想上に顕れたる処を以てすれば、此の内の地と云ふ事に重きを置きしが如し、若し古来の歌集を取りて見ば如何に地と云ふ自然の重んぜられたるかを知るべし。之に反して天と云ふ事に重きを置きし国民あり、ヘブライ人種の如きは之れなり、此の人種は殆んど自然と人間とを(なみ)して、之をエホバと云ふ神の内に埋没せしめたり、泣いても神、笑つても神、風の吹く時も神、木の葉の散るにも神なり、其の例を挙ぐれば斯くの如し「エホバは()べ治めたまふ全地はたのしみ、多くの島々は喜ぶべし、雲とくらきは其の周環にあり義と公平とはその宝座の基なり」と概ね此の(たぐひ)なり、旧約書を取り、予言の書を見、又其の最高の思潮を顕せる詩篇を読まば、如何(いか)ばかり神と云ふ考が彼等の思想に印せられて、凡て自然と人事とを其のうちに没し去れるかを見るべし、此の思想はたゞにイスラエル一国に止まらず、後に来りし基督教にも其の勢力を及ぼし、中世紀より今日に亘りて綿々絶えず、人事を説くに神の摂理と云ふ事を以てせんとし、今猶ほ目に見るべからざる、手に触るべからざる、而かも実在者なりと云ふ、神を論ずる神学なるものを見る、蓋し分外の重きを天に置きしものにして、有名なるポープの言を転じて「人間が尤も(つと)めて研究すべきものは神なり」と云ふの精神より来しものなり、或る人は誤ツて此の神と云ふ思想こそ、欧洲今日の文化を為したるものなれと云ふ、一見尤もなれども、欧洲今日の文化は一神の想を除き去るも猶何者かを残すべし、其の主座を占むるの栄は決してヘブライ想に帰せしむべからず、植村正久先生なりしか、此の天地人なる題にて、日本には地の思想多くして天の思想甚だ乏しきを論ぜられたり、内村鑑三氏も近頃同じ様なる事を歎かれたりと聞けり、素より此の天に関するわが思想の乏しきは、全く缺けたる処にして悲むべき事には相違なし、然れどもわが之を悲むは、天其のものに(おもき)を置くが故にあらず、わが思ふ処は別に他に存すればなり。

西洋の何処(いづく)にか人間と云ふものに重きを置きし思想あるが如し、此は欧洲人種全体の特質なるか、()ればギリシヤの如きは其の主なるものか、哲学此の国に起り、科学此の国に起りを為して、欧洲全体に影響を及ぼし、永く不滅の国民たるに至れり、余は久しく思へり、道徳と云ふ事は左る事ながら基督教を欧洲より取り去りたらんより、此のギリシヤの思想をして袖を連ねて、欧洲の想界より退かしめば更に偉大なる変化起るべしと、斯くの如くなれば、恐らくは欧洲の文化は殆んど無に帰して、荒涼たる原野となり終はらんと、而して其の根底は何処にありやと言はゞ、(けだ)し人間と云ふ事に重きを置きしに在り、此の人間に重きを置きし思想は、能く自然を征服して、実用の上と思想の上とに之を用ゐ、此の思想又た能く天と云ふ神の思想を生み出して、人間の事をして平凡ならざらしめたり、能く考ふるに人は此の宇宙間の主位にあるものなり、(あらた)めて唯我独尊を云ふにあらずと雖も、人ありての世界なり、人ありての神なり、何事も人間に帰せざるべからず、故に人は其の周囲にある自然を征服して、之を支配すべきものなり、斯くの如くして始めて、人間百般の物質的需用は満足せらるべし、而して只自然征服を以て終はるべからず、次で天と云ふ神なる考を生み出さゞるべからず。凡そ人には霊妙なる理性あり、此の霊妙なるもの即ち自然を征服するを得しなり、人は必らず自から此の理性、即ち人の心霊的の側面を観察すべきものなり、此に於てか始めて天と云ひ神と云ふ思想を出す、(おのれ)に反省し此の思想を得て以て心霊を説明せんとす、凡そ人間若し心霊に重きを置き、己に省みる処深ければ、自から此の思想を起こす、左れば此の思想は己に省みる処深きを示すものなり、故に又神と云ふものゝ別に貴きにあらずして、人間の貴きなり、見よ、人間を外にして神と云ふものに重きを置くの結果は如何なるべき、此の思想の最高の点まで進みたりしと云ふ、ヘブライの思想は能く優に其の民族をして、世界一の国民たるを得せしめしか、多く神学を究めたるの結果は、幾何(いくばく)の力を人間に及ぼせしや神学なるものは其の尤も得意とする道徳に於てすら成功する処少なきにあらずや、(みだ)りに神と云ひ天と叫ぶは、自然に屈従すると更に異なる処なし、神学の如き人間を離れて考へられたる神は、空漠々として殆んど意味なきものなり、今の基督教の如きはまことに此の弊の甚しきものにして、人間の力めて研究すべきものは神なりと云ふ、果して然るや疑なき(あた)はず、余は日本の思想が自然に屈従したるやの跡あるを惜しみ、(あは)せて一切天或は神と云ふ事に思ひ付かざりし事を悲む、たゞ或る論者の如く、神に重きを置かず、人間に重きを置て云ふ、わが学ぶ処少く日本の思想が如何(いかが)の発達を為せしやを(つまび)らかにせずと雖ども、一見するに、其の人事に亘れる事の少なく、(なら)びに人間を思ふ事の深からざるにはあらずやと、感ずるもの少なからず、()はわが眼の(ひが)めるためか。

今暫らくわが詩界に逍遙せしめよ、わが文学史の開巻にある萬葉集には一定の評もあり、其の自然に対する力ある声は、赤人の富士の歌を取り出さんも愚かなり、古今集の時に至りても、其の序の(ひと)へに自然に懸恋するは、読む人の容易に認め得べき処にして、人生の半面は必らず示されたれど、未だ少しく足らぬ感のせらるゝ事多し、当時よりすれば(もと)より今日に至るまで、人の情を写したるものとして、名声の嘖々(さくさく)たる源氏物語に於てさへ、其の自然の力の多く顕れたるを見るべし、まことに何れの歌人の(えい)を見るも、散文と云ふを見るも、其の筆一旦自然を写すの節に至れば、殆んど趣を殊にするが如きあり、源氏の如きは、素より能く人間を観察したるに相違なきも、猶自然の眼を以て人間を観しかと感ぜらるゝ(ふし)なきにあらず、

 岩がくれの苔の上になみゐて、かはらけまゐる、おちくる水のさまなど故ある瀧のもとなり、(とうの)中将、ふところなりける笛とり出てふきすましたり、弁の君扇はかなううちならして、とよらの寺のにしなるやとうたふ、人よりはことなる(きむ)だちなるを、源氏の君いたくうちなやみて、岩によりゐたまへるは、たぐひなくゆゝしき御ありさまにてぞ、なにごとにも目うつるまじかりける。

人の心の様々なるを(ゑが)きたるは全篇に亘りて見ゆれども、凡そかゝる(ふし)数多(あまた)見ゆ、須磨の浦にて雨風恐ろしき夜、浪たゞこゝもとに吹く心地し給ひ、琴を取りてかきならし給ふ、名高き段の如きは、尤も好き例ならん、あはれ自然のうちより生れ出でたる人かと思はるゝ処多し。

人間を自然の間に立たしめて見れば、まことに愛すべくして亦美しく、而かも人間を説くに易きものなり、(しか)れども自然のみにては何処(どこ)となく足らぬ心地のせらる。ウオールズウオルスは能く宗教家に愛せらるゝ詩人にして、深く自然を観し田園詩人とまで呼ばれし人なり、故に其の人を見るや又自然の間に於て見しが如し、

 Three years she grew in sun and shower.

 Then nature said, A lovelier flower

 On earth was never sown;

 This child I to myself will take;

 She shall be mine, and I will make

 A lady of mine.

此れ明らかにウォールズウォースの自然と人とを観らるべし、更らに同じ人のベッガーの篇、ソリタリー、リーパーの篇、ナッチングの篇など、(いづ)れも自然のうちに()け込みて、彼処(かしこ)より人間を観たるものゝ如く、其の人間は人間らしからず、何か幽玄界のものゝ如くに感ず、(けだ)しウ氏は初めより人間を観たる人にあらざれば是非なけれど、亦以て自然より観たる人の人らしき完き人にあらざるを観るに足らん。独逸(ドイツ)のシルレルの如き、(つまび)らかに知るにはあらずと(いへど)も、亦自然を慕ひし一人なるが如きは、其の逍遙篇(スパチールガング)技術者(キユンストレル)の篇等に依りて僅かに知らるべし、左れば其の戯曲ウヰルヘルム、テルの如き、好くわが日本の想に適し、全篇巧に自然と契合せるが如き(おほい)にわが国風に合ふが如し、而して其の人間の活動に至りては、ウオールズウォースの人間の如く、枯寂にはあらずと雖も、余り単調にしてテルの如きも、まことの人と思はれざるが如き感なくはあらず。

足利(あしかが)の末葉より徳川時代に及び、著しき発達をなして当時の美術想を発揮せしものは、生花、茶の湯、俳諧、謡曲等なり此れ等は皆な自然崇拝の結果にして、此の国民の気風を顕はすものなり、余は或る一種の論者の如く、之を末技として全然棄て去るの勇気を持たず、此れ等の根底には到底凡骨の人或は西洋趣味の人の解す能はざる美感の埋もれてあるなり、只余は其の自然崇拝の結果なりと思ふが故に、甚しく格外の重きを之に置く事は為さゞるべし。此の一流のアートは盛大を極めて其の後は往々末技に流れ、ために自から之が反動を()ねき、有為の人士と謂はるゝものをして、誤つて之を排斥せしむるに至れり、而して此の時に当りては、美術家も又之を排斥するものも共に、其の精神を忘れ、此の間別に愛すべきものあるを悟らざりき、蓋し斯くの如き排斥者は、夫の厭ふべき乾燥したる儒学派より起こりしものならむ。

(そもそ)も自然とは天地山川の(いひ)と解せられたり、()に自然を口にするもの(やや)もすれば、青山に対して悲歌を賦すと云ひ、疾風雷雨のうちに上帝を見ると云ふが如き、大言壮語をなす、大言壮語(もと)より好し、バイロンがウオールズウオルスを罵倒したりと云ふ事、素より()はれなき事にはあらず、然れども自然とは、(ただ)に高山大川のみを云ふにあらず、疾風雷雨のみを云ふにあらず、要は此の自然に対する人の心にあり、()きに云ふ処の人間を根底に於て見るにあり、人間だに根底にあらば、自然の量の大小は必ずしも問ふ処にあらざるなり、実にキリストは野の百合を見よと教へたり(ボサンケー氏なりしか之を以て基督教創設者の自然に対する見解とすべしとか)人の思想の如何に依りては、木葉の黄落するも、幽花の谿谷に咲くも、()れか大なる声ならずとせん、更らに云はゞ日常の行為も取て詩料となすに足るべし、特更(ことさら)に広き天地を徘徊するには及ばざるなり、此の意義に於て余は生花茶の湯の如きものを棄つるの勇なく、併せて甚しき価値をも之に置かざるなり、之を以て末技の如くに為せしはもとより罪、人にあり。近来キリスト教の入り来れるありて、更らに斯くの如き細微なるものを観るの眼を(ふさ)げり、今の此の教は教相の野の百合に向ひて、述べられたる言とは甚しき相違をなせり、試みに其人等の言を聞けば大言壮語尽さゞる処なく、己れ一人天下の運命を握れるが如し、而して自然に対する考も(いたづら)に大なれども、猶古人の称へし自然と異なる処更らになし、蓋し只基督教の皮を被れる儒教なればにやあらん、云ふ処徒(いたづら)に大にして之に思想の通ずるなくば、只碌々たる巨石のみ、誰れか小なりと雖も金剛石の光輝燦爛たるを撰ばざらん、小事をさへ真に見る能はず、如何(いか)で大なるものを歌ふを得ん、

 Wee, sleekit, cow'rin', tim'rous beastie,

 O, what a panic's in thy breastie!

 Thou need na start awa sae hasty,

         Wi'bickering brattle!

 I wad be laith to rin an'chase thee,

         Wi'murdering pattle!

    * * *

 Still thou a rtblest, compar'd wi'me!

 The present only toucheth thee:

 But, Och! I back ward cast my e'e

         On prospects drear;

 An'forward, tho' I canna see,

         I guess an'fear.

此はバルンスが鼠の歌の前後なり、其の題目の小にして又(きたな)き、自然界中また他に見るべからざるものならずや、而も亦優に文學史上の華たるを失はざるにあらずや、近く透谷子が「龍丘子」の歌なども、亦此の列に置くを得んか。

日本に於ける族制々度は徳川時代に至りて其の極に達し、士族と平民との区画判然として立ち、美術さへ其の各部に於て個々の発達を為せり、画には在來のものに対して浮世画なるものを生じ、音楽には琴と三味線の如きふさはしき代表者を出し、文学に至りても一種の平民文学とも云ふ様なるものを出して、上流社会の文学と正反対に立ちて相ひ並びて発達をなせり、この平民より出でたる文学はわが文学史上の華として見るべきものにはあらざるか、此は徳川時代を現せし所謂(いはゆる)鹿爪らしき儒教主義、ことに其の縄墨(じょうぼく)主義の感染を免れしため、高遠なる想を缺きしと云ふ(きづ)はあれど、当時平民の間に鬱勃(うつぼつ)たりし、奔放不羈(ほんぽうふき)瀟洒艶麗(しょうしゃえんれい)(しょう)を顕はし、まことに能く人間の自由なる精神を発揮し、多く人間と云ふものを其の題目とするに至りしは、喜び賀して可なるものにはあらざるか、此の自由の精神は遠く王朝の萬葉時代にありしもの同種と見て可なるべし、蓋し王朝平安朝に於ては「大和国は丈夫(ますらを)国にして山背国はたをやめ国」と云はれたるが如く、多少の差はあれど、其の周囲の優雅繊麗なる自然の内に養はれ、吉野の花須磨明石の眺めは、自づから人の心に印せられて、当時の詩人を造りしに(あづか)りて力ありしならん、即ち大に自然の力に懸恋して之に左右せらるゝに至れり、今や徳川氏の時に至りては人事やうやく繁くなりて、自然を観るの時少なく、江戸の如きに至りては、殆んど自然の愛すべきものを見る事さへならぬ位置にありしかば、勢ひ人の心は人事に傾くに及びき、左れば三味線は琴に比して、更らに人間らしき声を出だし、どもの又平の画に至りて大に人物の画の上に活きたるを見るに至り、文学上には西鶴近松を首座に置きて無数の文士を出せり、更めて言はずとも、西鶴近松等の如何に能く人間を観じて画きたるかは、其の著作を一読したるものゝ容易に認め得る処なり、芭蕉の如きも自から(いにし)への歌人と異なりて、其の詠ずる処の、幽に人の心裡に入れるが如きものあり、もと芭蕉は自然詩人たるを免れずと雖も、猶(かく)の如きは時勢に関しての故なるべし、余は徳川文学が一面人間を題目としたるを喜び、更に他面には深刻に人間の霊性問題に立ち入らざりしを惜む。

顧みて欧洲の詩歌を読むに、(もと)より(くは)しく知る処にあらずと雖も、其の詠ぜし処は人事に関するもの多く、シエークスピア、ゲーテは言はずも、其の自然を詠ぜしものさへ(おのづ)から人間に帰着するにはあらずやと思はるゝ節(はなはだ)多し、もとより抒情歌と云ふは自家の胸中を吐露するものなれば、自然を歌ふにも自から自己を顕はし、從て人間を顕すと云ふ事多きは勿論なり、今は之に付て細かに(わた)るを得ず、同じく抒情と云へども、わが国の歌は人間に重きを置く事少なく、西洋の深きに及ばざるやの感あり。今人間と云ふ問題を言語の上に見るに、欧洲の語には(セックス)なるもの甚多し、太陽を男性とし月を女性とするは日本支那にもありがちの事なれども、独逸の如きは山河草木一々性を有し、殆んど凡ての名詞に男女の性を付したるは、此れ即ち自然界を人間視したるにはあらずや。又欧洲には擬人法と云ふ事甚だ多し、日本に於ても時に之れなきにはあらずと雖も、欧洲の如く甚しきを視ず、此は言語の成立に由來する処あらんも、又自然を活物として視る事より起りしにあらずともすべけんや、殊にギリシヤに於ては自然の各処に神ありて、(すべ)て男女の性を備へ、甚だ人間に近きに似たり、(およ)そ斯くの如き證跡は、概ね欧洲思想の人間に重きを置けるを示すにあらざるなきや、ギリシヤ語とヘブライ語とを比較して、名詞の性を顕はすの明なると否とに付き観察を下すが如きは面白き題目ならむ。

シエークスピアには(おのづ)からシエークスピアの自然あるべし、然れども其の自然に関する点のみを取りて、此の人を評せんは嗚呼(をこ)の極なり、(おな)じくゲーテにはゲーテの理想あるべし、されど此の人を論ずるに神に関する思想のみを以てする、恐らくは野暮(やぼ)なるべし、此の二詩仙の良く人間を観察したるは特更に云ふには及ばざれど、ゲーテの自然は別に特殊の趣を備へたる処あるべし、其の小河の歌、月の歌、すみれの歌、などを挙げんには限りもなかるべし、今こゝに手近なるもの一つを挙げん、「良夜」と題するものなり、

 Nun verlass' ich diese Hütte,

 Meiner Liebsten Aufenthalt,   

 Wandle mit verhülltem Schritte

 Dürch den Öden finstern Wald:

 Luna bricht durch Busch und Eichen,

 Zephyr meldet ihren Lauf,

 Und die Birken streun mit Neigen

 Ihr den süszten Weihrauch auf

 Wie ergÖtz' ich im Kühlen,

 Dieser schÖnen Sommernacht!

 O wie still ist hier zu fühlen,

 Was die Seele glÜcklich macht!

 Läszt sich kaum die Wonne fassen;

 Und doch wollt' ich, Himmel, dir

 Jausend solcher Nächte lassen,

 Gäb'mein, Mädchen Eine mir.

大抵斯くの如く、前のウオールズウオルスと正反対に立てるが如く、自然に魂を入れたらんが如し。

わが文学史に於て内観の深くして、心裡の苦悶を経たるもの西行の如きは少なかるべし、從て其の自然も大に他と異なる処あるが如しと感ぜらる。

 もの思ふ袖にも月は宿りけり濁らですめる水ならねども

 雲もかゝれ花とて春に見て過ん何れの山もあだに思はで

 こゝを又我すみうくてうかれなば松は独にならんとすらん

 知らざりし雲井のよそに見し月の影を袂にやどすべしとは

自然と彼れの心と相ひ争ふが如きものあり、然れども畢竟するに I love not man the less but nature more と絶叫するバイロンの深刻なるに()かず、蓋しバイロンは自から自然を慕ふと雖も、彼れ決して自然詩人にあらずして、心裡の苦痛に悶絶せし結果、彼れをして自然に向はしめたるものにして此の語たまたま、彼が人心に於ける感の深きを見るに足らんか、此れより英吉利(イギリス)の文学に於て多くギリシヤ的の影響を(かうむ)れる、スペンサル、ミルトンより下りてキーツに至る、自然并びに、一種の世界観を抱けるシエレー等の自然を観るは、こゝに必要にして興味あるべけれども、冗長に亘るの恐れもあり、又不才の能く為す能はざる処なれば()ぶく、()しキーツの杜鵑(ナイチンゲール)の歌、シエレーの「センシチーブ、プラント」の篇等を見ば、自然が活動踴躍せるを見るべし、之に反してわが詩人にありては、屡々人間が自然の如くに静かにして美くしきを見る、此れ等即ち東西の相異なる処か。

かくの如くなれば余は思ふ、凡ての問題は先づ人自から深く思ひ広く考へて、起りしものならざるべからず、かくて高き神と云ふ考も出づべく、まことに自然をも知らるべし、宜しく皮相の見をはなれて、遠く人心の奥義を見るべし、此れをまことの現実と云ふ、かゝる観察を下して始めて、まことの哲学顕れ、まことの宗教起り、まことの科学発達し、従つて様々の発明所謂実用に供せらるゝものも、出で来りて発達をなすべし、之を思はずして猥りに神の名を称へ、(しき)りに高遠ならん事を求むるは、其の基を誤れるにはあらずや、また盛んに実用を称して念想を退くるものあるも、同じく誤解せる処あるにあらずや。また近き頃に至りては科学的と云ふ事、(あたか)も流行の姿をなし、哲学も科学的なるべしとか云ふ、而して欧洲の今日も大に科学に重きを置けりと、まことに然るべし、左れど科学のみにては此の宇宙の問題に対して満足なる答を与ふる事は(かた)からん、科学の根本の思想も其の基を、人間とは何ぞやとの人生問題に置かざるべからず、(そもそ)も人は此の問題に遭遇して、やがて之を解かんために、科学に依るに至る、此の秩序に依らずして、たゞ科学のみを喋々す、恐らくは(つひ)に科学も其の完き発達を為し難からん、科学の根底此の人生問題にありて、始めて人生実用の発見発明をも為すに至るべし、始めより科学に依るもの、はた実用のみを主とするもの、其の可なるを見ず。

近頃は又世間的と云ふ語を聞く事多し、出世間など云ふに対する、佛教より出でたる語なるが、其の意義は如何なるものか、恐らくは人事に亘ると云ふの意ならむ、左れど若し之を以て単に人事に関するものと云はゞ、予は(かく)の如き語の流行せざらん事を願ふ、余が望む処は、文学に関する事は素より凡ての思想は人間的にして、凡て人の霊性を以て始めとなさん事にあり、世間的と云ふ語も此の意味に於て用ゐられん事を願ふ、大文士のうつし画きたる多くの著作にして、人間の千態萬状を顕したるものは、もとよりたゞ其の表面の事実のみを見たるものにあらずして、人の性情の奥深き処を見たるものなり、大文士著の不朽なるこゝにあり。

知らず此れ等の事はみなわが独断か。人生の事漠として知るべからず、知るべからざるものを知らんとするは人間なり、(こひねがは)くは永く人間をして人間の研究物たらしめよ。

 

(明治二十八年一月「文學界」第二十五号)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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戸川 秋骨

トガワ シュウコツ
とがわ しゅうこつ 英文学者 1870・12・18~1939・7・9 熊本県玉名郡に生まれる。島崎藤村、夏目漱石等と交わる。1月「文學界」第25号に初出。

掲載の文明論は、1895(明治28)年。

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