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栄吉さんの英単語

 この話で栄吉さんを英語に無知だと笑う人がいたら、現代氾濫するカタカナ語に彼以上にもっと辛辣でしかももっとユーモアを含んだ日本語の適訳を示唆してあげてください。

 

 栄吉さんは代々続いた染色屋の主人である。

 数人の人を使って自宅に隣接させた工場、要するに作業場をフルに動かして必死に働いてきて、今は主な切り盛りは娘夫婦に譲ってどうやら妻と一緒にやっと気ままに時間を使える身になったものの、働き詰めに働いてきた性分で身体を動かさないでいられない。今でも町内の取りまとめはもとより、思いつくと得意先の開拓や資金の調達のため走りまわる。

 先ごろ六十歳半ばを過ぎてやっと事業が安定しかけたと見る最中(さなか)、日本の景気も突然覆って,所謂バブルがはじけて、消費税も3パーセントから5パーセントに上がったとたん、仕事はがたっと減ってあわを食っている。いや、バブルが泡のしゃれじゃ本当にないんだ。

 今日は仙太の家に寄って、頼まれていた商屋号入りの風呂敷の染め上がった一包を婿さんに届けて、近頃とみにボケが見えてきたというこの昔の同級生を見舞い、忙しくて充分相手もしてやれないという家族のためにも、話相手になってやろうかと出かけてきた。

 何時も慣れた道で、入るとすぐやや坂にかかる形になるから、スピードの抑えを幾分加減して、曲がろうとしたとたん、警官が現れた。立て札が目に入らないかというのだ。

『ファミリー・ゾーン 車両通行禁止 00時――00時』とある。来たなと思ったから彼は車から降りた。自分はこれから、しあがった商品をこの住宅内に仕事場のあるお得意さんに届けるんだというと、いかん、ここからは歩けという。何故何時も行けるところにこの時間帯だけいけないんだと聞くと、ファミリーゾーンだからだという。

「ファミリーゾーンって何だね。俺や戦争中、英語は敵国語だからならんといった時代に育ったんだから、英語は使われてもわからん。日本語で言ってくれ」

「ファミリーゾーンだよ。知らんのか」

「知らないから聞いてるんだ。日本語に訳したらどういうこっちゃ」

 もう一人電柱の後ろからでてきた警官が、 

「ファミリーは家族だろ。ゾーンは……」

「要するに夜の静かな住宅街は車で突っ走っちゃいけないんだ」と最初の警官はいらいら言う。

「日本語で表記したらどうなんだい。日本語で何と書くんだ」

 警官はちょっと頭を寄せていて、どうやら何といえばいいかきまらないらしい。

「今の時間いかんちゅうことは、寝っころがってテレビでもみているもんに邪魔だってことだろ。今の時間まで働かなきゃならん職人は別か」

「とにかく規則はこうなってる」

「俺や規則がどうこうってことより、日本人に向かって英語を何故使うんだっていってるんだ。近頃はわからない言葉の氾濫で、戦争中はあんなに英語を排斥しといてよ。英語を使ったら監獄にぶちこまれたんだ。ズボンもいけない。シャツもいけない。ベルトも駄目だ。俺達兵隊はズボンは袴下、シャツは襦袢。それもよ、日本式襦袢とちがうからジュハンとかよ。ベルトは革帯。それが戦争末期に皮がなくなってきたら、鮫の皮や人造皮革帯だろ。縄帯にまで落ちる。まるで罪人,囚人だあ。野球だってストライキって言えなかったんだよ。何っていったんだっけな。『当たり!』じゃなし、そいじゃまるで間が抜けて――アウトが『駄目!』かな。うん、『ダメェ!』ならまあいいかもしれなかったがな。それが戦争が終ると平気で敵国の言葉で、家族といやあ済むのにファミリーだ。地帯といやあ済むのにゾーンだ……」

「あんた、ゾーンだってファミリーだって知ってるくせに」

「調べるんだよ、けしからんから。あんた達自分でしらべもしないで好くわかりもしない言葉をへいへいと使ってる。近頃片仮名がでてきたら先ず眉毛に唾つけるってこと忘れたんか」

「何だね、その眉毛に唾って」

「そうすりゃ狐にだまされてるんかどうか分かるってんだ。俺達戦争に行ってきたもんはいろんな経験したからな。いつまでも騙されていられるか」

「さあ、もうわかったからこの小道へはいるな」

「忌々しいがしかたないな。家族地帯か。したら俺達夜まで働かなけりゃならん職人の家族と違って、ファミリーってのは他人様(ひとさま)のお仕事の都合は排斥して自分達だけぬくぬくと安楽を暫くの間囲い込もうって連中だけのことになるんだな。ファミリー・ランドとかファミリー食堂……か。食事ってもともと家族が揃って茶の間で食うもんだったよ。遊んでるファミリー。俺達夜まで働かざるを得ない職人の家族は違うんだ」

「さあ、通行禁止だ。行った! 行った!」

「なんだい。一軒一軒の前は静かに一瞬で通り過ぎるだけじゃないか。ところで、ついでに英語をよくご存知のおまわりさん方に聞きたいんだが、俺には近頃次々に分からない英語がでてきて、新聞読むのも大変だよ。教えてくれ。あのガイドラインってどういう意味だね」

 警官の表情にさっと緊張が走った。

「あんた,ここはね、政治の話をするとこじゃないんだ」

「えっ、ガイドラインって政治のことか」

 警官は憮然としてもう口をきかず、手先で追いやるようにする。

「手引き、指針としか書いてないよ。何の手引きなんだ。また兵隊の手を引っ掴んで引き摺りまわそうってのか。まさか戦争って火事場泥棒の手引きじゃあるまいな」

「おい!」 

 と、警官の一人が止める暇もなく栄吉は車に飛び乗って走り出してしまった。

 仙太の家に着いてみると、母屋に続いた作業場ではまだ機械の音がしていたが、仙太は珍しく茶の間に出ていて、しかも笑い声が響いている。

「あ、三松さん」と作業場からいそいそ出てきた婿さんは、届け物を受け取ると嬉しそうに母屋の笑い声のほうへしゃくるように目をやった。

「賑やかじゃないか。ご機嫌なんだね,今日は」というと、

「皆さん見えてるんでね。どうぞ,どうぞ」とすぐに渡り廊下の引き戸をあけて招じ入れた。

「皆さん?」 

「田島さんだの、引地さんだの……」

「ああ、小学校の腕白仲間か」

「三松さん達が来てくれるとご機嫌なんですよ。途端に正気みたいで……やっぱり昔の方達がいいんですね」

「いやあ、しかし昔とも思わぬうちに我々人生の旅も、はるばるとよう来にけりってもんでね、全く何年振りだろう、引地なんかと会うのは」

「でも、ちょくちょくいらっしゃるんですよ。お舅さんは顔をおぼえとられますから」

 ちょくちょく逢っている者の顔でないとわからなくなり、現在のことと過去との時間的なずれについては混濁することがあっても、昔のことはよく記憶しているのが仙太のボケの特徴らしい。

 栄吉が顔を出すと五人の歓声があがった。既に皆杯を手にしている。

「何だ、いつもの悪童連かい」

「なんだい、自分ばっかりが長老になったつもりかい、町会長」

「全く,お互いよくよく爺さんになったなあ。それにしても人生本当にあっという間だな。ところで今日はどういう風の吹き回しで引地までがこうガン首を揃えたんだい」

「それがよ……」

 この来客のうち三人が、この日テレビ出演で録画を取りにいった帰りだという。

「テレビ?」  

「うん、終戦記念日に放映になるんだろ」

「ああ、そいで満州をごろついていた奴等を呼んだのか」

「好きでごろついてたんじゃないやね。人生一番貴重な青春の五年も六年も無駄にされてさ。俺達の苦労はどうなる。一体誰のための、何の為の、戦争だったのかね。おまけにその挙句が……」

「胸くそが悪い!」と別な男が吐き棄てるように言って、自分で徳利を持ち上げる。

「どうしたんだい」  

「それがさ・・」

 と今までもここで散々繰り返したのか、こもごも、もう人のいうことには耳もかさず、重ね合わせるように喋ってきた。

「俺達の発言をろくに聞かずに、評論家と称する男たちや女までがだよ。話をべらべら取っちゃってだよ、戦争なんて何も知りもしないくせして若造が勝手に進める」

「結局俺達の言いたいことも、言う(ひま)が無え」

「それどころか、しまいにゃ戦争が終って今がろくでもない時勢になったのは戦争中苦労させられた俺達がばかだ、悪いんだといわんばかり」

「俺、あの評論家が来るってきいたとたんに、もうじゃ帰ろうかなって思ったんだ。いや、皆にもそう言ったんだ」

「俺やそれ聞いても、初め、わかんなかったよ、なんで引地がそういうのか……だけどわかった。ああいうタレントだか何だかしらないが有名人の馬鹿は――」

「『今思っても教育勅語は立派だった』とか何とか言ってよ」

「青少年に賜りたる勅語とか……『汝等国のため、粉骨砕身……』」

「一億玉砕か……」

「それって一人残らず討ち死にってことだろ。それが沢山の兵隊が死んで,言い出した当のお歴々が立派に生き残ったじゃないか」

「もうアッタマにきた。そいで終ってからプロデュ—サーだかキャスターだかに文句言おうと思って待ち構えてたんだが、結局駄目さ」

「耳を貸さないわけか」

「いんや、現れねえ、いつまでたっても」

「馬鹿にすんのも程がある!」

「そいでこうまでばかにされちゃ腹の虫が治まらないから、ついでにここへ来てこの馬鹿の顔を見て、バカどうし飲みなおそうってことになったのよ」

 いわれても仙太は赤くなった額にうっすら汗を浮かべながら嬉しそうに笑っている。

「わかってんのかい、これ」と、後からそっと仙太を指しながら栄吉が言って,自分で酒を注ぎかけていた男に盃を突き出した。

「何しろさんざん馬鹿をやった悪太郎だったからな、俺達も」

「栄ちゃんはそうでもなかったよ」

 とこの時口を挟んだのは、それまで黙っていた、というより喋る隙がなかった、つまりテレビの収録にいかなかった田島だった。

「栄ちゃんは男じゃなかった。おはじきや鞠つきなんかばっかりやっててさ」

「そうそう、そういやお前変ったなあ。戦争から帰ってきた時や見違えちゃったよ」

「六年も行ってりゃ変るよ。俺は女きょうだいばっかりの中だったからな。お袋が一番驚いてたよ、帰った時や……」

「あの頃女言葉なんか使っててさ」

「それが先ず軍隊へ入って苦労したんだな。あん時俺たちは正規のそれまでの徴兵年齢より、一年早かったろう。戦争も末期でめっちゃくちゃさ」

「殴られたろう、あの言葉じゃ」

「いや、それが……俺はそのことで殴られたことはないよ。口を閉ざしてたからな、驚いて。初めは軍隊用語で絶対必要なこと以外口を開かなかった。貝みたいに。だからそのことで……」

 それから栄吉は思い出すようにして、にやっと笑いかけた。

「かえってそのことで俺はなぜか得をしたよ」  

「へええ」

「何しろ出さないように、出さないように緊張してても日常語でちょろっと出ちゃうだろう。俺はそのうちに時々下士官らに呼ばれるようになったんだよ。何故だかわかんない。たいした用もないのに数人いるところでどうでもいいような雑用をちょっとさせられる。それからお茶なぞご馳走してくれたりなんかして……始めはなんだかわかんなかったよ。だけどどうやら俺のちょこっと出る女言葉が聞きたかったんだな。たぶんそうだと思う。俺は身体も小さかったしな。とにかく随分言葉には苦労したな。俺が無口になったのはそれだよ」

「無口かい? 冗談じゃないよ」

「随分弁がたつじゃないか。税務署の奴でもお前のこと『大統領』って言ってるよ。『ああ、おい、下市町の大統領が来たぞ』ってな」

「あれか。ああいう時はどうあっても退()けないから頑張らざるを得ないよ。金がたまるどころか、俺んちへ見にこいってな。ちゃぶ台でも箪笥でも金目のもの使ってるかって。今日びこうしてる間だって仕事を休んで来るんだから、あんた達がそうやって座って、俺達『誉』なんぞ吸う職人には吸えない『ピース』なんぞ(くわ)えて、俺をいびってる時間もちゃんと給料のうちにはいってるが、こっちは減収なんだぞって。うんそうだ、そういや引揚げの時舞鶴に上陸したらくれたのが『誉』の二十本さ。それが黴の生えた、一面青黴の生えた、煙草だよ。俺や吸わないからいいけどもさ。人に遣ることもできない。だから吸わないものにや何もご苦労さんもないわけさ。それが生死の境を辛うじて越えた抑留生活者への感謝の印か、全く! とにかく俺が必要最低限のことしか口をきかないようにする訓練は、あれのお蔭だな」

「必要最低限か! シベリヤ帰りはいうことが違うな」

「何でそう一々シベリヤ帰り、シベリヤ帰りって言うんだ。安達なんかときちゃ、自分が税務署を汚職で首になったような人間が、まるでそれでもシべリヤ帰りより上等で偉いっていうのか。え? 人間、満州帰りだって違ってるか。アメリカだって日本だってロシアだって」

「そのロシアが違うんだよ」

「行ったこともないくせに。俺もテレビじゃないが、似たような経験があるな。何だかの会合だよ。得体の知れない集りだが、役目がらこの町会からも引っ張りだされてな。そのうちに教育勅語は立派なもんだとかなんとかいう話になってよ、ああこれじゃ、と思ってると突然俺にマイク突きつけて『三松さん、ソ連じゃどんな残虐受けましたか』ってんだ。俺や意味がわかんないから『えっ』というと、『ソ連兵からどんな暴行を受けましたか』ってんだ。やっと意味がわかって、俺や言ってやったよ。『冗談じゃない.暴行をさんざんっぱらやったのは日本兵だ。あっちの連中は、日本人なんてそれまで知りやしないから珍しいだけだ』ってね。何しろ俺達がちょんまげ結ってないのを不思議がるぐらいなところでね。捕虜だったってね、俺達を統率することもできない。第一数を数えることもできないで、何遍やっても人数が掴めない。だから二千人からいる収容所の秩序なんて初めは日本軍の組織そのままの温存でね。だから朝から晩まで初年兵を殴る音ばかり聞こえた入隊当時そのまま。ただロシア兵のいる前じゃそれは出来ないが、作業労働に出たら古参や将校の思うがままだ。

 収容所の労働といっても職種によっていろいろ。たとえば床屋なんてのは一日中あったかい部屋にいて将校の髪なんか刈ってりゃ楽なもんだし、捕虜、特に初年兵なんかには乱暴な刈りかたで文句を言わせない。そういう特殊な腕がないのが外の労働に出るんだが、まあ、土方仕事だね。収容所から五キロも六キロもあるところへ歩いていくんだが、初年兵は重いシャベルや鶴嘴やそんなもんを五人分も六人分も往復担がされるんだよ、毎日。そしてそのほかに仕事が終ってから暖房のために木を切り出す。あのシベリヤで燃やせる木なんて中々ないよ。枯れ木があると許可を得て切り出すんだが、それが工具のほかに長い木を担がされて、帰ったら帰ったでそれを切って、割って、ストーブで燃やす。みんな初年兵がやる。そのほかに不寝番も初年兵、数が少ないからすぐに番がまわってくる。

 大体強制の労働量そのものが、これはあとになって分かったんだけど、強制でソ連から割り当てられるのはその三分の一くらい、あとの三倍くらいは賃金が出る。ところが仕事は兵隊にさせて金の方は上官が全部とっちゃう。そういった給与のピン撥ねは将校らと上の者が取る。食べ物だって初めは収容所の二千人分を一括して渡した。するとめぼしいものは全部上官が取っちゃって下のものには栄養価値のない物を食わせる。そしてピンはねした食い物は何に使ったかというと、将校や下士官たちは自分達で白樺の木切れで拵えたマージャン牌で、賭けにつかうんですよ。そしてそれを物物交換とやら何やら……ね。収容所が別になってからは将校連のことはわからない。そん中で自分の言いたいこと言わんけりゃ生きてけない、絶対。俺が初年兵だったくせに生きて帰れたのは,自分のどうしても言わんけりゃならんことは、命がけでも言ったからだ。無口だった俺がよ。とにかくシベリヤの俘虜生活で真っ先に死んでいったのは皆初年兵からだよ。食い物は皆上官が、特に下士官が、取っちゃう。下士官てのは、あれで将校の前に出るとまるで猫みたいだが、こんだ俺達の前になると――そうだ、あれは切り抜きも取ってあるが、新聞に出た。死んだ父親の手帳が返ったのを読んで家族が泣いたっていう――『今日も一日に飯盒の蓋に5、6粒のえんどう豆……』って。あれはそんな筈ないんだ。みんな上で下士官なんかが取っちゃうんだ。俺はいろんな経験があるよ。皆が貰う粉の餅みたいなものが凍ってるだろ、このくらいの大きさだ」と、栄吉は、掌の半分くらいを指す。 

「こいつをストーブにのっけて皆溶けるのを待ってる。自分の目の前に置いて目を皿のようにして。すると下士官が三人ぐらいで組んで人の膝の前へ,ストーブの間へ,割り込む。ちょっと……とかなんとか言ってな。そして奴等が通ったあとはもう餅だかクッキーだかは無いんだ。そうして誰が盗ったと騒ぎたてる。『盗った奴は名乗り出ろ』とな。誰も出ないと兵隊を皆外へだして厳寒の戸外でお仕置きだ。名乗りでる者がなかったらみんな宿所内へ入れないぞってな。そいで俺は『私が盗りました』っていったんだ。すると連中は困って『三松は嘘をついたから棒を食らわすぞ!』ってんだね。だから俺や言ってやった。『だって私がやりましたっていう者が出なけりゃ皆可哀想じゃないか』って。さんざんやり合ったよ。しまいにゃ棒をしごき出したから俺はいったよ。『なぐるんなら殴れ。場合によっちゃ殺してもいい。だけど俺を殺したらただじゃ済まないぞ』ってな。あんな中じゃ、口がきけなけりゃ生きていけなかったよ」

「ロシア人はそんなこと知らなかったのか」

「初めはな、日本人をみんな一緒に収容所に入れといたから。それで秩序が保てるとおもったんだろ。ところが日本の軍隊ってところはね……」

「そりゃわかるさ。さんざ……」

「な、それでやっと気がついて、あとで、将校と兵隊は分けた。将校どんは手足がなくなって自分で自分の糞の始末でも水汲みでも強制労働でもやらなけりゃならなくなって往生したろ。そして捕虜の雀の涙ほどの給与が少しよくなったのもそれからだ。それまでの将校連によるピンはねがばれたからね。だけど将校は少し遠い存在だったからその後はよくわからなかったけど、下士官は兵隊と一緒だったからな。ロシア人には見えないところで随分しごかれて若い兵隊から先にばたばた死んでいったよ」

「労働が辛くて?」

「何しろその労働が、作業所へ行くのに五キロも六キロもの道のりを重い鶴嘴やスコップなんてのを初年兵は五人分も六人分も担いで行かされる。往復だよ。それから帰りには荷物のほかにストーブで炊く薪を集める。枯れ木があると許可を得て切り出すんだが、なかなかない。生木でも引き摺って帰ってそれから切って割って、生木だからなかなか火がつかないのをストーブで炊きつける。みな下っ端の兵隊がやらなけりゃならないんだ。おまけにその強制労働と称するものがだね、俺は反軍闘争のあとで総代というか世話係りになってからやっとよくわかったんだけど、収容所で割り当てる労働がこれくらいあるとすると、ま、これは捕虜には国際的に認められてるんだから強制労働は仕方ないやね」と、栄吉は手ぬぐいを引っ張り出してそれを四つ折にした。

「ところがそれをだね」と、それをこんどはすっかり広げて、「まずその四倍は若い兵隊に割り当てる。あとの四分の三は賃金をくれる仕事だ。それを全部兵隊にやらせる。そして賃金を自分で取っちゃうんだ」

「それぐらいのことは何処でもやったね」

「お前もやったんじゃないか。伍長に昇進して帰ってきたから」

 いわれた男は憤然と反対した。

「ありゃ終戦になったとたんに一斉に一階級昇進としたんだよ。まやかしのお為ごかしだ。こっちや何の得にもなんねえ」

「軍人恩給は?」

「え? 歯くそにもなんねえよ。若い時の青雲の志と引き換えの虚しい五年と紙っぺら一枚の伍長どんかよ」

「それでも生きて帰ってきたお互いは、まだいい」と言ったのは、また栄吉だった。

 

 この時、突然仙太が調子外れで歌いだした。 

 勝ッテクルゾ、トイサマシク・・

 皆一斉に盃をがくっと落とした。そのあと、いつまでもきんきんヒステリックに笑う者もいる。 

「幸せでいいなあ、仙太は」

 栄吉はややあって思い出したように身体を乗り出した。

「俺だってあの頃は先ず教えられたとおりの皇国少年だった。まず俺くらい捕虜になった当初まで日本兵として模範的だったものはいないだろ。ただ、だんだん軍の中で上官から理不尽な扱いがつのるだろ。そして都合のいい時や何かというと『天皇の命令……』が引き合いに出される。『一銭五厘でいくらでも集められるお前達よりも、この……ここでがちっと踵をあわせ直立不動で敬礼をして言い出すのさ……この陛下より賜りたる(でこぼこの)水筒のほうが尊いんだぞ』とかね。するとしまいには天皇がこんなことさせるのかな、とか、だんだんだんだん疑問も湧いてくる。天皇自身がこういうことをするのかな とかね。だが鉄砲の一発も撃たない俺たちが捕虜になってるのに、それで戦争が終っても天皇は戦犯にならなかったり、捕虜収容所に入らないのはなぜだろうって。それでも俺や、はっきり知らなかったよ。何よりも『生きて虜囚の(はずかし)めを受けず』ってな、本当に信じてたから。本当は俺達が出征して釜山に上陸した時も、もう戦争末期でね。新兵だっていうのに服も靴もサイズなんかなく片びっこ、水筒の代わりに竹筒、飯盒(はんごう)の代わりに孟宗竹の皮ってよ、まるで敗残兵そのまま。その時は俺達と反対に本土決戦とかいって逆にどんどん国に帰っていく兵隊がいる。俺はまるで身代わりに捕虜にされるために送りこまれたようなもんだった。尤も彼等の多くは帰りの海に沈んじゃったようだ。とにかく事情も何が何だかわからんうちに俺達武装解除だろう。自刃するも何も道具がない。あとは何時殺されるか、何時首を括られるか、暫くは疑念の毎日だったな。だから一年くらいたってから国へ手紙をだしてもいいって言われたとき、俺は信じなかった。うまいこと言われて恥をさらして、もし国の親たちが捕虜の親としてひどい目にあったらいけないと、手紙書かなかったんだ。そのうちに、半年くらいたつと、ぼつぼつ返事をもらう奴が出てくる。そうして国の様子がわかるとこりゃあ嘘じゃないって、やっと二年くらい過ぎてからだよ、俺がはじめて手紙を書いたのは。

 それにだいたいロシア人なんて日本人をあまり知らないし、悪感情も持ってないんだな、あの辺では。それに捕虜だからって何もしないのにぶっ叩いたりいじめたりなんてするもんじゃない。却って日本の軍人、下士官だよ。収容所内で俺たち初年兵らをいじめたのは。初めは日本兵みんな一緒くたに収容したからな。そうするともう軍の階級なんてなくなったはずだのに、元通り上官は下の者をいじめる。食い物なんて皆奴らが取っちゃう……」

「しかし食い物なんて、ひどいもんを寄越したろう」

「そりゃひどいよ。戦争であっちも物がなくなった上にあの寒い国だろう。なんしろ昆布か何かを『海のキャベツ』なんていうくらい食うもんがないからね。だけど捕虜にだけひどいものを食わしたわけじゃなかったことが、あとになってわかったよ。俺は,ほら、まえにも話したようにあとで収容所内で民主化運動が起きたときに、しまいに世話係りみたいなもんをやらされたろう、嫌だ,嫌だっていうのにね。そしたら時々収容所長なんかに個人的に頼まれて彼の家の留守番を任されたことがある。鍵を俺に預けてだよ、それで食いたいものがあったら出して食っていいっていうんだな。それでわかったよ。彼等も俺達も殆ど変らないもんを食べてるんだなって」

「へえ、ロシア人ってそんなか。ひどい貧乏なんだな。だから終戦の時、満州なんかで略奪なんかして人の時計取ったり……」

「俺や信じないよ。信じられないよ、あいつら見てたら。少なくとも俺の知ってる限り。そりゃ、日本の下士官なんかだろ、やったのは。そしてロシア人のせいにするんだ。それに貧乏だって馬鹿にするもんじゃない。貧乏は本人だけのせいじゃない」

「ほうら、ほうら、シベリヤ帰りの脚が出た」

 栄吉は大きな目をむき出して言った。

「え? お前ら自分達が貧乏なのは自分に甲斐性がないからだとだけ思ってるのか」

「そうに違いないだろ」

「栄ちゃんなんか本当の貧乏の味知らないだろうから――」

「帰ってきたら親も工場も残ってたしさ」

「俺達は三人とも東京空襲ですっからかん、親を死なしたもんもいるし……」

「帰還してゼロからの出発だったよ」

「で、それも自分の才覚のなさだって言うつもりか」と、栄吉は片手で仙太のひざを叩きながら、他の男達に言う。

「そん中でお前達こんにちまで築いてきたは立派じゃないか。こうやって酒ものめるし……テレビに出られるだけ知名度も出たし――」 

 なんでテレビに出られるのが偉いのかねと、こちらは仙太を向いてわらいながら。

 仙太は彼に笑いかけられて嬉しそうに笑顔をひらく。

「本当の貧乏って程度は色々あるだろうけど、お前らだって本当の貧乏の味知らないだろ。朝鮮だの、満州だのってよその国もお互い見てくりゃ――」

「うん、満州でも随分見たね、これが人間の生活かってところも―― そりゃ」

「そのほかにきっと東南のアジアだのアフリカだの……色々知らないがね。それを奴等が愚かなせいだと思ってたとすりゃ……逆に愚かな奴が今のところいい目をしてるのだってしこたま見てるじゃないか……第一貧乏は恥ずかしいことじゃない」

「社会が悪いってか。シべリヤ帰りのお決まり文句」

「そう思わないか」

「そうは言ったって、どう思いようもないじゃないか、俺達に」

 栄吉は俺たち正直だから貧乏してるんだとも言えるんだよ、と、仲間に言った。悪いことする政治家達を見てみろ。

「俺はあすこでロシア人達の生活を見てて本当に感動することあったね。物は物凄く無くて、戦争中の日本での俺達よりも更に物に不自由でも、人は一般にいいし、街のそこらの人間でもだよ。家族関係なんて実に穏やかで和んだもんだ。俺達はソ連国なんて九歳とかそこらから親と切り離して共同生活に放りこんで厳しい訓練で兵隊を作るんだなんだって聞かされていた。全然違うんだ。親が子供とキャッチボールしてたり、第一奴ら夫婦仲がよくてな。老夫婦が連れ立ってゆったり散歩したりしてる。その目がまた……そりゃ感心した。羨ましかった」

「お前が独り者だったからだろう」

「いや、あの頃の日本じゃ見られなかった光景だね、家族の繋がりは」

 へええ、と、その辺までくると仲間も反論する口がない。いや、証明できる資料もないもんだから。

 ややあって一人が、「だけど俺や、いちいち口で『誰よりも愛してるよ』とか、『綺麗だよ、お前』とか繰返さなくちゃならないあっちの人間の生活なんて、厭だね。言わなきゃ信じられないのかね」

「以心伝心が日本のいいところじゃねえか」

「口にだすと却って嘘にならあ。歯が浮くようだ」

 栄吉はにやにや笑って、「歯が浮くようにしか言えないから、だから定年になって利用価値がなくなると突然身におぼえのない離婚を突きつけられたり、そうでなくても『濡れ落ち葉』と陰口をきかれたりする男が増えてるんだよ」と言った。

「もっとも俺が、政治家とかを例に挙げれば人の目に見え易いからいうだけで、本当はそんな似たような根性の者はそこらの何処にでも居るがな。とにかく自分が居心地いいところじゃ、いつも誰かが抑えられて犠牲になってるのがあるんだと、一応は思えよ。これ教訓だ」

「シベリヤ帰りからのか」

「いや、もしかしたら自分らのかみさんからの声もあるかもしんねえぞ。以心伝心なんて、ほんわり居心地よさにのっかっていい気になってると、抑えつけられた者の不満が爆発する時がくる。威勢のよかった連中の魂胆が丸見えになる例は今、目の前にごまんとあるじゃないか。お前、俺達の税金をごっそり咥えこんで破綻から救済された銀行や証券会社のやり口が、俺達の商売にどう影響してるか忘れてんじゃあるまいな。それで全般の景気が回復したなんて思いこんでるとこれから……」

 それからは口ぐちに金策の不満や、昼間のテレビ局の対応の不満の蒸し返しやらで、それからそれへと益々賑やかだ。

「ところでさっきシベリヤの抑留生活での民主化運動って言ったろ。前々から聞きたいと思ってたんだけど、それは捕虜収容所の中で、どうやってどっから始まったんだい」と言い出したのは、田島だった。

 彼はテレビ局に引っ張りだされなかったし、商人の金策とは違う苦労から、今まで中々機敏に不満ごうごうの仲間に口を挟めなかったのである。

「それはロシアの側からの働きかけ……」

「いや、それもあるだろうがね、確かに。だけど兵隊の中から出てくるんだよ。民主化運動というより、さっきも言ったように反軍闘争だね。ほぼ自然発生的にだ。もちろんそれの指導を始める奴もいる。つまりそんな理論的なものを少し前から齧っていたような男もね。だけど俺やそういうようなことは嫌いだからね。時々そういう奴らがそういうような話をしても、始めの二年間くらいは俺は寝台の上のほうで、下から見えないところにねっころがって隠れていた。そういう男の中には自分の保身の要領のいいだけのものもいたしね」

 栄吉の口調にはどことなく批判を続けたい色があったものの、多くは言わなかった。

「とにかく始めはそういうのが総代になる。選挙みたいなことも覚えてきて……ところが二週間か三週間もすると、リコール、リコールってしまいにや、やっとだんだん兵隊時代の階級と関係ないのが推されるようになった……」

「やっと栄吉もそうやって陽の目を見るようになったか……」

「いや、その総代というか、要するに隊長なんかに代わる世話係りなんか陽の目なんてものじゃないよ。誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きだして、食い物だって勿論,風呂も汚れた湯の最後。不平等がおきないよう、怠け者が得しないよう、弱いもんがひどい目にあわんよう、作業日程の調節や……」

「そうするとそれまでの下士官連中はどうした……」と田島は性急に口を入れた。彼は実は兵役の間に無理矢理下士官候補の試験を受けさせられた。陶器の修業を続けたかった彼は、軍人になって一生を台無しにするのではと思ってことわったのだが(戦争が終ればもう一生涯軍人なんてことは、端っぽ下士官になんかあり得なかったろうが、その判断の出来る情勢もわからなかった彼は)わざと出鱈目な答案を書いたのに、それでも士官、下士官の足りなくなっていた軍隊は彼を採用してしまって、これで自分の生涯は閉ざされたと絶望につき落とされた経験がある。尤もその試験に合格して国内に残されたお蔭で、彼の部隊は沖縄へ遣られる途中船を沈められて全員死んでしまったのを、合格した数人だけは免れたということになったのだが。

 すると栄吉はそれにまともに答えるのではなく、

「ああ、そいでもお前は運がいいよ。帰ってきて焼き物は生業(なりわい)になるし、とにかく人間自分の手や身体で覚えた技で生きるのが一番幸せだよ。貧乏したってなんだってさ。俺やそういう世話係りやってて色々見てわかったんだが、まず兵隊下士官になってて悪いこと、こすっからいこと一番すんのは、元警官ね。それもひらの巡査よりも警部とか警視ね。つまり少し上の者ね。そして盗んだものをかくすのも実にうまいんだよ。それから……怠けものでずるいのが、坊主……と。いっとうシラミなんかわかすのが小学校の先生とか……大学でた将校やなんかのほうは俺達縁遠くてわからんかったがね」

「俺達や正月の海で、朝、全員裸で泳がされたんだよ」と突然言い出したのは仙太だ。これは彼の戦争回顧で何遍繰り返し言いだしたか分からない経験で、皆が知っている。

「うんうん、それもあの東北の厳寒の荒海の海岸でな」と、その話を繰り返し聞かされている栄吉は、早くも涙ぐみだした仙太をなだめる。

「つまらんことで一人がしくじると全員をなぐるんだよ」

 興奮した仙太は子供のように下顎を震わせ、表情は泣き出さんばかりだ。子供の頃ガキ大将で兄貴分肌だった彼には、見られなかった姿である。

「うん、だけどもう……」

「戦争は終ったよ、仙太」とすぐ宥める者もいる。「もう大丈夫だ」

「もう大丈夫? うん」

 気が変わるのも早い。栄吉は仙太を安心させるように肩を抑えた。

 しかし「戦争は終ったかねえ」とまた言い出したのは、田島だった。 

「うんうん」仙太が頷く。

 栄吉は来る時の警官との対話を思い出して、いきさつを語り出した。

「そいで俺は、英語わかんないからガイドラインって何かねって聞いてやった。すると警官が『君イ、ここは政治の話するとこじゃないんだ』って言いやがる」

「えっ、ガイドラインって言っただけで?」

 田島をはじめ他の者も乗り出す。

 栄吉は別に言わず「とにかくちかごろ何かまたおかしいだろ」と田島を省みた。

「ナチスが欧州を席捲し始めた時に似てくる」と田島はむしろ一人で呟くように言った。

「誰もがおかしいと思ってるのにあんまり言わないんだな。それがおかしい」

「何故いわないんだろ」 

「何故だ」 

「なぜだ」

「うまくねえなあ、今晩の酒は」

 引地がとうとう盃を置いた。

「俺はな、実は甥っこが就職口を探してるんだが、今どきだから中々ないんだよ。それを自衛隊がしつこく勧誘しだしてる。俺は軍隊の経験があっから、また食い詰めたような奴等が先に入ってて下士官になってると、またぞろ繰り返しでひどい目にあう、止めろ止めろってんだがね。だんだん背に腹は代えられんって情勢になるとなあ、何しろ腹に詰めるもんがなくちゃ人間生きてられなくなるし……」

「こうリストラ、リストラって失業者が街にどんどん溢れ出すと、兵隊にでもなるほかはないって――」

「それがまた実は狙いだろうよ――」

「リストラ……ほい! また、『再編』だなんていって『大量馘首』って何故言わないんだ。俺っちにわからないようにって英語で誤魔化そうって言葉がまた出てきた」

 栄吉は仙太の肩をぽんと叩いて先に立ちあがった。

「こういうのをどう日本語にしたらずばりいいか、とっちめてやる訳語考えなくちゃ。俺や帰る」

 一同もそれをしおに立ちあがった。

 

** それから何年もしないでイラクの戦争が始まると、こっちが攻撃を受けたわけでもないのに、自衛隊を紛争地に出すという話になってきた。

 

――了――

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/11/10

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筒井 雪路

ツツイ ユキジ
つつい ゆきじ 翻訳者・エッセイスト 1921年 東京都に生まれる。

掲載作は、2003(平成15)年10月「ペン電子文藝館」出稿のため書下し。

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