青杉
伊豆大島にて詠める
櫻葉の散る日となればさわやかに海の向山見えわたるなり
岡のべの草に
一面の陸稲畑は色づけり日影あかるく萱の穂そよぐ
日にけに野分つのりて空明し三原の煙立たずなりしか
吹きとよむ野分榛原ひよどりの飛びたつ聲はなほ悲しけれ
芋の葉の
裏戸出でてもとほり聞けば虫繁し納屋の中にも一つ鳴きたり
こほろぎの鳴く聲とみにひそまりて庭の茂みに雨か降るらし
さむざむと暮れて来にけりわが宿の垣根にそそぐ秋雨の音
草まくら時雨ぞ寒きわが友のなさけの羽織いただきて着む
しめじめと掘割道の櫻落葉朽ちたまりたり牛の足跡
夕渚人こそ見えね間遠くの岩にほのかに寄する白波
日の下になびく萱の穂つばらかにわが故里の丘おもひ
かぎりなく
砂山に夕日かげればしみじみと潮風吹き
夕早く潮満ちぬらし磯かげの泊り小舟に灯がともりたり
ゆふぐれて時雨のあめの降るなべに
榛原に鴉群れ啼く朝曇り故里さむくなりにけむかも
あかあかと囲炉裡火燃ゆれこもり居の今日も日暮れて
海越えて冨士の
冬枯の
木枯の風吹きすさぶ夕なり机の上に
こがらしの風静まれば大海の
目にとめて信濃とおもふ山遠し雪か積れる幽けき光
草まくら旅にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り 十二月十七日
こぞの春とめ来し森の
牛通ふ掘割道の夕かげに山ざくら白く散りたまりたり
さくら散る山裾道の夕ぐれを牛曳きて来る
おしなべて光る若葉となりにけり島山かげに居啼く鶯
渚原かぎろひ高し見はるかす海のおもての春日かがよふ
住みなれて心寂しも磯木立青葉する頃はわれ痩せにけり
青葉山島山さやに啼く鳥の聲のさかりは今か過ぎなむ
山の根におのづからなる靄の凝りあはれと思ふ春は暮れにし
春深き曇りとなりぬ今日
磯こえて
さみだれの雨間
梅雨ふけの草にうつろふ日の光虫ややに鳴く聲ぞ聞ゆる
しめじめと梅雨のなごりの風吹けり片山道に揺るる紫陽花
深青葉雨をふくめる下かげにひとむら白しあぢさゐの花
雨ながら今日も暮れたりわが宿の裏道通ふ牛の足音
つくづくと炉ばたに坐る朝ひとり膝のよごれに心とまりぬ
蛙鳴かぬ島にし住めばこの頃のそぼ降る雨夜ふるさとを思ふ
月今宵まどかに照れり旅の身のけながくしあれば
たそがれて久しとおもふ砂の上に日のほとぼりのなほ残りたる
わが植ゑし庭の草花咲き出でて朝な夕なの眺めうれしも
宵々に木の間洩れ来る隣屋の灯影も馴れて夏ふけにけり
行きかひの雲脚早き九月空をりをりにして雨を落しつ
残暑なほ
この山は皆水木なり竝みそろふ幹のすぐ
たまさかに木立の上をかすめ飛ぶ煙は白し天雲に似つ 三原山湯場
山は暮れて海のおもてに暫らくのうす明りあり遠き
慌しく蜩鳴けり目のもとに暮れ沈みゆく山の谷あひ 同じく
たちこむる山のさ霧は深くして杉のしづくのしとしとに落つ
霧深き山の道べに逢見たる炭焼の子のみめよきかなし
山かげのものしづけさや今日すでに蝉聲絶えしことに気付けり
秋しぐれ降りての後に咲きつぐやダアリヤの花小さかりけり 小園
今われは人おもひ居つ飯鍋の泡ふく音におどろきにけり
さびしさをいづべにやらむ夕波の
熱ややに高きにたへて夕ひとり飯
ひややかに洋燈のもとの
あらし過ぎて日はあたりたり地響の大きくするは磯波の音
雨晴れの土に沁み入る日の光うつらかに聞くこほろぎの聲
空高く月は晴れたり荒あとの寂しき土に人の聲すも
さながらにあらしの後の島原を月影さやに照しつるかも
落ちしきる木の葉のにほひいたいたしきぞの嵐に揉まれたるなり
女らにおくれてかへる畠道萱の穂白く夕さりにけり
やや暫し雲影落ちて暗くなる火口の原を飛ぶ鴉あり 三原山上
冬の日の低くし照れる焼原にやや砂けぶり吹き立ちにけり 同じく
かそけくも落葉吹きまろぶ音すなり焼砂原の一すみにして 三原山上
焼原のむかうに青く島裏の海見えわたる心こほしく 同じく
耳とめてわれ聞きにけり遥かなる山下磯に寄する波音 同じく
久方の天のそぎへに真壁なす信濃の
草の戸に時雨るる日なりききとして
寂しさに耐へてもの焚く日ぐれ時板戸の外にしぐるる音す
仰ぎ見る空の色さへ澄みはてて木枯の風吹きにけるかも
木枯の吹く音寂し夜ごもりに火鉢ひとつをかい抱き居り
木枯の風吹きすさぶ夜更けて月の光は照りわたりたり
乳ケ
國山は雪降りつもるしかすがに島の椿は今さかりなり
冬深き
そこはかともの恋しさに出で歩む
この岡の日向ぼこりに来慣れつつ冬暖かきことをうれしむ
目をとぢて暫らくむなし天つ日はわが
うちわたす木末に低き山かげは海のかなたの相模なるべし 眺望
父母をならび思へばとく逝きし父の面影はうすきが如し 述懐
あからひく日の入り方の潮曇り千重に百重に
暮れ暮れの赤き日包む潮曇りはるけき國を偲ばせにけり
咲きそめて幾日も経ぬに
雲晴れて見れば寂しき山の峯ほのぼのとして雪降りにけり
焚きすてし落葉の煙あはあはと杉の木枝にまつはりにけり
暖かき日影をとめて来りつる
春さらば菫を摘みておくらむと思ひしものを人はむなしき
春の日はうなじに暑しとぼとぼに山原道を歩みつづくる
春雨の晴れゆく方の沖つ空はつかに光る富士の雪かも
伊豆山は霞みつつありうちわたす
との曇り暮れゆく沖にいさり火の影かと見しは伊豆焼くるなり
きのふの雨にしめれる木の間道若葉うつくしく照り映えにけり
咳き入りし聲もとだえぬ行く春の垣しもと葉を隔てつるかも 隣人の死
灯をさげて磯のほとりに来りけり夜潮のにほひしみじみとする
澄む月をそがひにしつつ立ち戻る渚の砂にひとつわが影
松蝉の聲しきりなり吹きわたる青葉の風をすがしと思ふ
寝入りたる姿を見ればおのづから病み細りけむその
病友と共に臥す
枕べのあま戸に早くあかつきの影さしそめぬ眠られぬ夜は
日の暮の海のおもては静けくてわが目にかかる舟一つあり
木下道すでにかげりて
磯波の音もとだえし夜のしづみ洋燈の笠にとまる虫あり
ひやびやと夜ふけにけりわが宿の障子に居鳴くはたをりの聲
わが行手鴉群れつつ荒磯の岩黒き上にあるひは飛べり 長根
磯の上の松山こえてなびかふは
見渡しの海のかなたはかきくれて雨か降るらし
夕凪ぎて一平らなる海の上に帰り帆のかげつぎつぎと見ゆ
目にとめて磯のかたへの流木に鳥糞白し海曇る日を
月きよき夜頃となりぬわが宿の芋畑に来て唄うたふ子ら
今日一日こもり暮しぬ外の
朝戸出のわが眼に見えて富士の山白雪照れり海のかなたに
伊豆の岬雲ふくらめりしかすがに冬の日脚の早く傾く
三原山裾の榛原うら枯れて
一色に冬枯れにけりこの山の若葉せし日に来しを思へば
こほろぎの聲もとだえしこの夜頃時計のきざみ心にし沁む
湯あがりの肌あたたかし家の間の草枯道をのどに歩み
天つ星満ちかがやけり夜ふけて海よりあぐる風の冷たさ
かりそめの風邪長びきぬ冬の雨今日しとしとと降り出でにけり
枕べの障子にひびく波の音おもへば遠き旅の宿なり
きぞの夜は雨さむかりき吹く風の今日はた激し障子戸を揺る
しぐれ来る音まばらなり目をとぢてすなはち憶ふ故里の山
病みあとの弱りを持ちて家ごもる今日も日暮れて寂しかりけり
冬枯の山の木原をとよもしてただ吹きわたる風のさびしさ
この宿にかくて三度の年暮れぬ机の上の御ほとけの像 歳暮の感
踊り場の若衆ら見にと
踊り場の太鼓にぎはし
わが心何かしきりに哀しくて昼床のへに目をつぶり居り 其三
寝てきけば笛や太鼓の音すなりわが父母の國し恋しも 其四
めづらしく降れる雪かも日の照りの眩しき家に
雪のあと暖かくして夜もすがら屋根の雫の落つる音すも
杉の穂の高きを見れば月澄める空をわたりてゆく風のあり
山の樹はいまだ芽ぐまずおし照れる今宵の月夜寒けかりけり
春いまだ浅しとおもふ山の原月照りわたりものの香もなし
み空ゆく月の光は澄みながら山の枯原かすみたるらし
にはたづみ溢るる見ればこの朝の雨暖かくなりにけるかも
みんなみの弘法濱にいくそ
日がさせば野べの落葉も乾きつつ蜥蜴さ走る音のかすけさ
榛の木の花は咲けれど春いまだ寒しと思ふ土の日あたり
山の雲うごくを見れば春早くみんなみの風吹き来るらし
海原を吹き来る風は暖かしたちまちにして木の芽ひらくも
束の間に冬をすごして島原や榛の木立は芽ふきそろひつ
足あとも残りてあらむこのあたり土にあまねく草はびこりぬ 亡友の跡
病みあとの
山原や杉の
一面の穂麦畠にあかあかと風波わたる見れど飽かなく
虫の聲まだいとけなし梅雨晴れの今宵月かげ草を照せり
降る雨に濡れつつ咲けるすひかづら黄色乏しくうつろひにけり
故里は苗代小田に
ものうき梅雨にこもりて幾日経し今朝はからずも百合をもらひぬ
おもおもと梅雨のなごりの風吹けり夜目には凄き
日ならべて風みなみ吹く梅雨のあけ蜀黍の葉はいたくそよぎつ
障子あけて風まともなる涼しさよ遠くまた近く松蝉の聲
天雲はいまだも深し梅雨晴れの光ひととき海を照せり
雨あらく庭の草葉に降りそそぎ降りそそぎつつ今日の日暮れぬ
月させば大きく光る芋の葉に
月影は畳の上に照りにけり足さしのびて独り安けさ
虫の聲一夜々々と繁くなれり人もとひ来ぬ草のとぼそに
生けるものつひに
ほそぼそと命たもてり藪かげの家居日暮れて蚊の聲ぞする
遠空に稻妻あれやわが立てる磯の平は暮れわたりたり
素足もて歩むによろし濱いさごひやひやとして宵湿りせり
渚道行くさきざきの草むらにかぼそくこもる虫の聲はも
帰り来てひとりし悲し灯のもとに着物をとけば砂こぼれけり
夜に入りて
しづかなる夜とおもふに
南向くこの
うら
浅山のこの山かげに散りしける
落葉する島の木原はしづけくて
手をひたす岩間の潮はあたたかし何か藻草のなびきつつ見ゆ
家垣に目白寄り来るあさゆふべ
われひとり離れ住む日の長かりし
大正九年三月上京、麹町の宿に久保田先生及び藤澤實氏と會す
雨さむみ置炬燵してこもり居りうす茶の碗をいただく我は 其二
室ぬちに煙草のにほひこもりたり雨ふる音はしづかに聞ゆ 其三
この宿に置炬燵して一日居りまた島住みの身にかへるべし 其四
青き海おほにめぐらして真木茂れる島住みの
いつしかも櫻の花は散りすぎて
木がくれに小鳥啼きやむ長き日を麦の穂はらら染め出づるなり
森かげの道はをぐらし白々といぼたの花の散りしけるらし
仰ぎ見る月のおもてをやや暫し夜雲のちぎれ移ろひにけり
軒近くほととぎす啼く聲に馴れてこの梅雨頃をこもり暮しぬ
さみだれの
梅雨こめて
つゆ時の何か含めるさび持ちてほととぎす啼く森のおくがに
ひとたまり磯波落ちてひろがれば白泡立ちの限り知られず
まがなしきものをぞ見つる繁山のこの山かげに人ふたり居し 林間にて
小鳥二つ逢ひつつ啼けりわがかつて知らぬさきはひをそこに見にけり 其二
目見あげて山のすがたに向ふ
外海のながめ果てなしとぼとぼに笹屋根並ぶ島の端かも 差木地村
迫り立つ岩肌は
ひたひたに潮湛へたりさし透る光に見えて深き底岩
霧晴れて
見めぐらす新島利島伊豆相模安房の岬はいや遙かなり 同じく
きのふまで常にわが見しうつくしき黒髪の子はいづち去りけむ 哀しみ歌
菜摘み籠腰にさげもて行きし子をすこやかなりと我思ひにし 同じく
うつせみの命短かし夜ふけて
露そぼつ朝の御墓に燃えさしの香かすかなり
墓のべに心あやしく立ち添ひぬ少女のすがた保てりや
もみぢ葉のすぎにし子らが墓どころ心にしめて佇む我は 同じく
寄る波の八重しくしくにうち白む沖つ島根の曇りさびしも
目にたちて木草の緑ふけにけり今日初あらしとよもして吹く
蝉の聲にはかに乏しこの朝のあらしになびく青笹の群
夏すぎて心さびしも庭のへに稀に寒蝉鳴くばかりなり
秋の日となりしこの頃寒蝉の鳴く聲きくもいつまでならむ
ややにしてまた鳴きそめつ寒蝉のただ一つなる
寒蝉は長くは鳴かず真日なかにただひときはの聲透るなり
出でて見る今宵月あり遥かなる海のおもては照り白みつつ
ひややかに月夜ふけたりわが庭の草村に鳴く虫聲いくつ
仰ぎ見る夜空しづけししみじみと月の面より光流れ来
ぬば玉の夜は更けぬらし庭のへに月傾きて木影横たふ
戸を出でて暫しがほどをうち歩む何か穂萱の目にわづらはし
道のべに立てる萱の穂ひとしきり動くと見えぬはた静まりぬ
山べには鳥むらがりて啼く聲すむかうの梢こちの
みんなみの濱北の濱こもごもに潮とよむなり明日も
目にとめて安房はるかなる燈臺のありか知られつ夕となれば 風早崎燈臺にて
置火もてただに焼き食む栗の實の甘さは何と故里のもの 人より栗を送られしに
さす竹の君が賜ひし栗の實をむきつつもとな國おもひ涌く 其二
故里の和田峠路を越えゆきて君が里べに栗拾はましを 其三
君が家は片山つづき朝ごとにほたりほたりと栗落つる音 其四
夜はいまだしらしら明けの小林に入りて拾はく落栗の實を 其五
小林の下べに来ればさはにある落栗の實を籠もて拾ふ 其六
一度さへ拾ひしあとにまた拾ふ栗の實いくら袂重たし 其七
ねむごろに拾ひし栗を君食はず國遠く住む友にわかつも 其八
山かげは今枯れ色のうつくしさ草根に残るいささ
冬の日は砂地の上にあたたかし
風しげく椿の藪を吹き揺する葉がくれの花葉おもての花
島山に降りし白雪いく時を保つとすらむ見つつ
庭土の上に落ちつつたまりたる椿の花のくれなゐ褪せぬ
冬空の曇りは高しきはやかに雪をいただける伊豆の國山
たむの實をはじく小鳥の音ならしわが軒屋根の上にあたりて
ただ一つ見えて悲しき朝船は
ひとしきり耳にまぢかしとどとどと磯波よする音なだれたり
春ははや木の芽ゆるむにさきだちて榛の木の花青みたるらし
渚原ひととき波のしづまれば遠き渚の波音きこゆ
春の夜の月はすがしく照りにけり木の芽ひらきてやや影に立つ
島山の裾ひくところ幾重にも榛若葉せり見るに
すでにして
鶯は始めて啼けりほうほけきよほうほけきよとぞ二聲啼きし
ゆくりなくわれ来にけらし山の上の道なだらにて椿落ちゐる
昼の間は若葉に
をさな杉伸びしを見ればこの島にすみ遊ぶ身の久しくなりぬ
うつせみに逢見し子らや
島山を見ればいつくし立ち別れふたたびと来むわれならなくに
耳につくうつつの聲は
かりそめに
巻末に
明治四十五年(1912)五月、久保田先生の選を経て、自分の歌が初めてアララギに載つてから、殆んど十年になる。この度自選歌集「青杉」を編むに就て、今までの作全部に目をとほしたが、初期の作には、採れるべきものが極めて少ない、そこで大正五年(1916)九月以前の作は全部棄てて、それ以後のものから選出することにした。然し最近の作になると、どうしても取捨選択に迷ひが生ずる。依て大正十年(1921)四月以来のものは次回の歌集に収めることとして、この度は手をつけずに置いた。
それ故「青杉」一巻は大正五年秋から大正十年春まで、自分の年齢を云へば二十二歳から二十七歳まで、この間の作から成り立つてゐる。そして作の内容は、殆どすべてが伊豆大島の自然である。右の年間自分は大島に居住してゐたからである。(大正五年秋といへば渡島後すでに満一年を経てゐる。}この集はもともと大島の作だけを集めるつもりではなかつたが取捨選択の結果、自然にさうなつてしまつた。歌は
歌の数はすべて二百五十八首、制作の年次に従つて配列した。装幀及び口繪は平福百穂画伯にお願ひした。自分はこの数年来画伯の御恩情を受けたことが實に多いが歌集発行にあたり装禎まで心配していたゞくといふことは感が深い。なほこの歌集については久保田先生及び藤澤古實君から種種御配慮を受けた。古今書院主人は自分が少年時代の師である。その人が出版の労を取つて下さるといふのも因縁が深い。忝ない心でこの集を編み終へた。大正十一年一月耕平記
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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